「これはある少年の話—————」
ラケルはキワムに近づくと手を差し出した
「私の手の平と合わせて下さい」
言われるがままに手を合わせる。カノンがむぅーと頬を膨らませているが、何故かキワムはこうするべきなのだと感じた
ピィィイン!!
「————!!」
手を合わせた途端視界が真っ白になり何も見えなくなった——————
「————もうすぐね」
(えっ?)
声を出そうとしたが声が出ない。それに今見ているものが何なのかよく理解できない。病院だろうか?白の壁に覆われた部屋の中にあるベッドに横になっている一人の女性と彼女の側に椅子を置いて座っている男性がいる。女性のお腹は大きく膨らんでいる。妊娠しているのだろうか?
「ふふっきっと貴方に似てやんちゃな子であるかもね」
その女性は優しい眼差しを自身の膨らんだお腹に向け、そのお腹を撫でている
「俺としてはカホに似て優しい子だと思うな」
男性も彼女のお腹をさすり、声をかける
「…元気に生まれてこいよ」
「イナト、名前を決めたって聞いたけど…」
その二人の名前にキワムは何故か寂しいとも悲しいとも言えない気持ちになった。二人共初めて聞いた名前なのに……
「そうだ、じっくり考えた名前さ」
「それは楽しみね」
キワムに緊張が走る
(まさか…もしかして……!)
「この子の名前は…」
キワムはゴクリと息を飲む
「————キワム」
(あ……あ………)
その一言でキワムは目の周りが熱くなるのを感じた
「どんな苦境や困難や失敗でも乗り越えて、諦めず自分の限界を決めないで己に克ち続けられる人になりますように…」
「素敵な名前ね」
(うっ…くっ……うぅぅう……!)
会いたかった、一度でもいいからその目に焼きつけたかった人。その二人が今、目の前にいる
(母さん!父さん!)
だが、声にならないその声は二人には聞こえない
「もし、楽園があるなら、三人でそこで暮らしたいわね…アラガミのいない世界、いいえ、アラガミが入ってこれない領域。そんな所がいつかできたらどれほど幸せか…」
(楽園……)
そこでキワムは我に帰る。意識を集中させ感応現状を断ち切る
「————ふぅ」
キワムは全身から汗が出ていることに気がついた
「キワム!」
カノンが強く手を握ってきた。その手を離さないようにしっかりと握り返す
「…大丈夫」
「……キワム」
キワムは大きく深呼吸をした
「何であんたがこの記憶を持っているんだ。俺が生まれる前の出来事を……!」
キワムの言葉には怒りが込められている
カノンはキワムにぴったりとくっつきながらラケルを見る
「貴方が見たものは全て本当のことです。私は貴方の両親を知っています」
「黙れ…」
「貴方の出産後のこと」
「喋るな…」
「そして、どうして両親が死——」
「黙れって言ってんだろうがぁ!!!」
カノンはあまりの迫力にビクッとする
「少なくとも貴方よりは両親のことを知っています」
「……!」
「顔も名前も知らない貴方は今まで逃げてきた。知ることが怖かった。そうでしょう?」
「…知ったような口をきくな」
「いいえ、貴方は知る必要があります」
「もういい…」
「両親だけじゃなく、貴方自身の過去を」
「俺の……過去…」
キワムは幼い頃の記憶が曖昧である。正直自分がアラガミと同じ体になった経緯を知らない。唯一覚えているのが自身の体に偏食因子を組み込まれたこと
「貴方は実験体です」
「実験…体…だと?」
ラケルは真剣な口調で話す
「もう少しお話しする必要がありそうですね」
「俺の何を知ってんだよ…」
「そうですね。強いて言うなら貴方があの場所で皆殺しにした日のことですね…」
「……!」
今となっては曖昧な記憶だが、キワムは確かに血の沼と化した部屋で一人で突っ立ていたことは覚えている。その後ふらふらと歩き周り…
「俺は次郎さんに救われた…」
「そこからは私は知りません」
その言葉が真実なのか、あるいはこちらを誘導させようとしているのかわからなかった
「貴方は知る必要が…いいえ、知るべきです」
キワムは黙り込んで俯いているとラケルはこちらの返事を待たずに語り始めた
「貴方は先ほども言ったとおり、実験体です」
「………」
カノンはどうすればいいのかわからずキワムの手を握りしめてじっとキワムを見つめる。彼の手は僅かにだが、震えている
「『目には目を』アラガミにはアラガミで対抗しようと考えていた計画がありました。その計画はどんなオラクル細胞でも受け入れられる身体を持った半人間、半アラガミの者を誕生させることでした」
「半アラガミ…」
キワムはかつてリストバンドをしていた右腕を見る。あれから右腕は人間となんら変わらない腕になっているが、月から帰還した直後はアラガミ化していた
「フェンリルが神機を開発するよりも早くこの計画は進められていました」
「そ、そんなひどいことがどうして許可されたんですか!」
カノンはキッとラケルを睨む
「全ては人類が生き残るためですよ…平和には犠牲が必要ということです。私は違いますけどね」
「「?」」
二人は最後の言葉の意味が理解できなかった
「陰で行われていたこの計画は人工的に創り出したオラクル細胞の完成によって最終段階に入った。それが…」
「人体実験ってことか…」
「ええ」
ラケルは平然と答える
「貴方はその成功例なのです。しかし、人工オラクル細胞P16細胞を投与された貴方は自我を失い研究所ごと潰し、計画は闇に沈んだ」
キワムの脳裏に誰かの悲鳴が響き渡る。自分ではこれがなんなのかわからなかったが、それが今わかった。この悲鳴は自分が殺した研究所の人々のものだった
「キ、キワム…」
カノンは落ち着かせようとキワムの手を強く握る
「…大丈夫、取り乱したりしてない。でも、手は離さないでほしい…」
「うん……」
(大丈夫、どんなことがあってもカノンとなら乗り越えられる。たとえ悲惨で残酷な過去を知ることになっても…)
「けど、今はやるべきことがある」
キワムは本来の目的から逸れかけていたため、話の軌道を戻す
「私がそれを教えると思いますか?」
ラケルは人ならざる気配を漂せながら、冷たい視線をこちらに向けその顔にはいつもの笑みは消えていた
「自分達で探し出すだけさ」
そう言うとラケルの体がジャミングのように途切れ途切れになる
「なっ!?」
「私の所に来た時はその時が最期と思うことね」
そう言い残しブツンとラケルの体は消えた
「ホログラフだったのか…」
「キワム、一度極東に戻りましょう」
「そうだな…」
今回の収穫で一番大きかったのはブラッドが関与していないことだ。それだけでもキワムとカノンは少し安心した
「いや、まさかな…」
キワムは最悪の事態を考えていた。ラケルが行おうとしていることが人類の危機になることであるのではないかと…