ルシウス氏は2年前理事を解任された。理由は記載されていない。10月一周目の秋の空気が濃くなる校舎はホグズミードへ向かう生徒たちで浮足立っていた。1年生、2年生は寂しく留守番だ。ルシウス氏は列車がさり風通しの良くなった廊下を驕奢なローブを翻して意気揚々とやってきた。
再び理事の座に返り咲いたこと。ダンブルドアの余命もあと僅かであることを暗に告げるため髪にたっぷりチックを塗ってやってきた。彼の完璧なブロンドが気まぐれな秋風に台無しにされないように。
彼が持つステッキはどこまでも真っ直ぐでグリップから杖が引き抜ける仕様になっている。当然内蔵された杖も真っ直ぐだ。エボニーの上品な照りはくだらない塗料を使っていない証拠で、そのどこまでも深みのある軸はグリップの継ぎ目の蛇の頭の銀細工から直接生えてきているようだった。その銀細工というのもこれまた瀟洒な品で貴金属特有のいかがわしさを微塵も感じさせなかった。
少なくともソヴィエトでは富は淫らだった。富をひけらかすのは、富を暗示するのは死を意味した。
魔法使いは少なからず富を隠し持ってはいたが、何も知らないマグルの前で富の香りを振りまくような真似だけはしなかった。犯罪者が存在しないように、金持ちも存在してはならない。
「どうですか?凱旋の気分は」
僕は校長室でほんの数秒の挨拶を交わしただけのルシウス氏を正門へ送るときに尋ねた。
「気持ちがいいよ」
石畳の廊下を抜け、生徒たちが数名スニッチを模したおもちゃを放り投げあっている中庭を通り抜けたあと、ルシウス氏はようやく本題に入った。
「君の仕事だがね、ここ一ヶ月の君を見て、さらに身辺に関する調査をして決まったよ」
平然と裏切りを告げるルシウス氏に思わずぎょっとして僕は彼の言葉を遮った。
「待って、待ってください。また僕を調べたんですか?勘弁してくださいよ」
「もちろん資料は渡すさ。それにこれは裁判記録だ。国立図書館に行けば誰だってわかる事だよ」
「旧ソヴィエトの裁判記録ですよ。今じゃ破棄されてるはずですが…貴方がそうやって僕の周りを嗅ぎ回るのをやめないのなら僕は協力しない」
彼の傲慢さにはほとほと嫌気がさす。彼は僕が負い目を持ってるのをいいことにさらに自身の支配を強めようとしている。どんな人間を使って探らせたのかはわからないが、場合によっては始末しなければいけない。魔法使いを殺すのは骨が折れるから嫌いだ。
「そんなことを言える立場か?ライカ」
ライカ、スプートニクに乗って星となったクドリャフカ。ライカはメスだった。僕をカマ野郎だと思ってるのか?このクズ野郎。
殺気だつ僕を牽制するようにルシウス氏は僕の目線の高さまでステッキを掲げて言った。
「お前が仕事を上手くこなせないならお前の隠し持っている秘密をもっと掘り返してもいいんだ。私は君を信用したい。だから目に見える首輪がほしいんだ。いいか?君は放し飼いにするにはあまりに危険だ。その事にピンときてない君が怖いよ」
要するに一度握った弱みは死ぬまで離さないと言うことだろう。僕はルシウス氏に心臓を握られているのだ。そして彼はそれをいいことに僕の骨の髄までしゃぶり尽くす。
僕は突き出された蛇の頭を左手で握り押し殺した声で答えた。
「信用したいから疑うというのはいい心構えだ。けれども対等ぶるなよルシウス・マルフォイ。あんたは僕を卑劣に脅しているんだ。あんたは自分の下品さを自覚しろ」
「ハッ…聞いて呆れる。下品だって?下品なのはどっちだ」
「試してみるか?」
「魔法も使えんくせに?」
「
僕の牽制がどういう効果を持ったか僕はじっくり待った。彼の目をまっすぐ見据え、ステッキを離さなかった。ルシウスの瞳は僕を見続け、僕が瞬きもせずに見つめ付けるとついに根負けして瞬きをした。
彼の瞼が降りたとき僕はステッキを手放した。ルシウスはステッキを改めて握りしめ、また僕を見て息を吐いた。
「…ようやく素の君がでてきたな。しかしまだその仮面は剥がすなよ。たしかに私は君を脅している。だがそれを下品と思ったことは一度もない。繰り返し言うが君のような異常者は公のためにもすぐに死ぬべきだ」
ルシウスは僕を嫌悪している。それだけははっきり伝わった。彼は僕の弱みすべてを手にしなければ安心できないんだろう。不安なんだ。彼が僕の心臓に爪を食い込ませれば食い込ませるほど僕も彼も後戻りできなくなる。
「そんな僕に頼みたい仕事があるのは誰だ?」
「そう、仕事だ。君たちは仕事が好きだろ」
ルシウスは紙束をどこからか取り出し僕に渡した。彼は僕を完全に支配しきるつもりでいるのがやっとわかった。いざとなれば彼はためらいなく杖をふる。腹を括ったわけだ。
「長い話だ。我が主が所望するのは面倒な手続きが必要な代物だ」
「魔法使いはいつも前置きが長いな。簡潔に言ってくれ」
「予言だ。予言が要る」
「何?あれは確か本人しか…」
「そう、本人にしか取り出せない。ハリー・ポッター自身にしか」
「ヴォルデモートはそんなものを欲しがってどうする」
「おい!その名を軽々しく口にするな!」
「ったく…」
僕は苛立ちを隠しきれなかった。予言だと?そんなものを欲しがってどうする。予言なんてものがあろうとなかろうと運命は決まっているのだから放っておけばいいだろう。
「我が主がご所望だ。それ以外に理由はない。我々はハリー・ポッターを神秘部に行かせ、予言を取り出させなければならない」
ルシウスは今までにないくらい強く言った。ヴォルデモートへの恐怖からか目が血走っている。
「そんなでたらめな任務と聞いていればあの場であんたを殺してアルバニアにでも逃げてたのに」
「私としてもそのほうが楽だったかもしれないな。知らぬが仏という言葉の意味を、それを見てよくわかったよ」
「仕事相手にそれはないんじゃないか」
「は…ウラジーミル。ウラジーミル・プロップ。私は仕事をこなすという点において君を信用している。現状学校でもうまくやっているようだし、魔法省でもうまくやっているな。この仕事もうまくやれ」
「ではポッターをデートにでも誘うか。やあポッター、今度の休み神秘部へ行かないか?…馬鹿らしい」
「よく聞け。私が君に頼んでいるのはハリー・ポッターの掌握だ。彼の心を弱めればそこに押し入ることができる」
「開心術を使うのか?」
「いいや、違う。だが似たような手段で我が主は彼に干渉できる。しかし押し入るには、彼の心が弱ってないといけない」
「…当初とやることは変わらないってわけだ。それにしても…」
僕は嘲るように笑った。
「本当に魔法使いは面倒な奴らだな。そんな回りくどいやり方をしなくても直接的手段に乗り出せばいいじゃないか」
「直接的手段?押し入り強盗でもしろと?」
「ああ。権力に物を言わせてポッターを連行してやらせればいいだろう。必要なら友人を人質にすればいい」
「そのためにはまずいくつか障害を取り除かないとな。まずダンブルドア。そのやり方じゃ夏の二の舞だ。そして闇祓い局長とファッジだ。ファッジはどう転ぶかはわからん」
「ヴォ…貴方のご主人様はなんて?」
「今は派手にすべきではない。せっかくまだ死んでいることになっているのだから、と」
「ふん、まだるっこしい」
イギリスに移り住んでここ10年は魔法使いのやり方に我慢してきた。しかしその10年間の努力はもうルシウスによってめちゃくちゃに破壊された。僕のすべてがもう取り返しのつかないほどに破損していることは僕とルシウスにしかわからない。他人にとってはわからないがウラジーミル・プロップにとってはもう今が分水嶺だった。
ルシウスの握った僕の秘密ーいや、秘密と言うにはいささか派手なものだが、それは単なる死体の山ではない。僕がウラジーミルとして生きるにはそれをバラされては困る。
彼を殺してセストラルに喰わせようか悩んだ。しかし彼はもう僕の前で警戒を解くことはないだろう。僕は魔法使いじゃないんだ。僕の殺意は彼に届かない。
「…仕事はやる。やらねば僕に未来はないのだから」
「そのとおり。わかってくれて嬉しいよ。期待している」
ルシウスは完全に僕を下した。僕はまたすべてが枯れた雪原に戻りたくはなかった。僕は文明を、消費社会を、カフェインとアンフェタミンを愛している。ここほど快適な狩場はもうない。居心地のいい住処を保つのもまた本能だ。しかし、僕はまだ諦めちゃいない。このままこの男の下僕として生きるくらいなら豚の餌になったほうがマシだ。全ての方がついたらこいつと、僕の経歴を漁った犬野郎を肥溜めにぶち込んでやる。
僕が激しい怒りに燃えている時、ホグズミードの湿気たパブでグレンジャーがくだを巻いていたらしい。ドラコいわく「あんたあいつに嫌われてる」そうだ。女子に嫌われるというのはなぜか悲しいものだ。
ハリー・ポッターの感情をコントロールするにはグレンジャーの信用を得るのが最優先だ。僕がいくら甘い言葉をポッターに囁いても彼女が四六時中疑いの言葉を口にしていたら意味がない。
「古今東西女の子を落とすなら」
と、僕は旧友BDの言葉を思い出した。
「はじめはあえて悪印象を与えるんだ。そんでその後、最大のピンチを救う。…これでだいたいイチコロだね」
「最大のピンチが何回も来るのか?」
「くるさ。というか、つくるのさ。お前そういうの得意だろ」
BDはバックドアと呼ばれていた。本名はわからない。彼はアフリカ系の黒人で、あちらの学校で学んだ祖母に自宅で魔法を教えられた。彼の両親は魔法使いではなく、彼も魔法省に認められていないので魔法使いではないのだ、と言う話を初対面の魔女にするのが好きだった。
彼は職業泥棒だった。キーメイカーという異名を持つ彼は、名前通りありとあらゆる鍵を開けることができた。
「俺が黒人だったから泥棒になったわけじゃないぜ。泥棒の才能がある黒人だったのさ」
ジョークが通じそうな相手にはよくこのセリフを言っていたが、笑っていいのか良くないのかわからない冗談は場を白けさせるだけだった。
「BD。お前はそれで何人抱けた」
「三桁は」
「だとしたらロンドンの魔女は全員お前と寝てるな」
「違いねえ」
彼は珍しく存命中の友達だ。彼は僕のバックグラウンドに無関心で、僕の払うギャラにしか興味がない。僕も彼の技術にしか興味がない。僕とBDはシンプルな関係だが、数値化できる友情は居心地が良かった。少なくともパーシーとの虚飾で彩られる会話よりは。
ホグワーツに電話がないのは面倒だった。フクロウは彼を見つけられないので、僕は電話をかけなければ彼と繋がれない。
もしかしたら彼の助けが必要になるかも知れないし、必要でなくとも僕は今ルシウスへの罵倒を誰かに聞いてほしかった。
「クソッタレ、ルシウス」
僕は校門を出て姿くらまししたルシウスに中指を突き立てていった。
浮き彫りになった僕のやらなきゃいけない事と、明確な敵。認めることはしゃくだが、僕は今久々にワクワクしている。
僕は急いで研究室に戻ると、アンブリッジへ手紙を書いた。
拝啓 アンブリッジ様
日刊予言者新聞へハリー・ポッター個人のバッシングをもっと強化するようお伝えください。リウェイン・シャフィックが適任でしょう。その他息のかかるメディアにも話を通してください。
ダンブルドアに関しても別のアプローチが可能でしょう。情報をあさるのが得意なフリーライターがいます。彼女の連絡先を記載しておきますのでご一考ください。
パーシーの本格的な職務は明日からだ。すべての授業を監察しなければならないが、初日から面倒を起こす教師はいないだろう。アンブリッジが以前よこした辞めてほしい教員リスト…もとい、教職に不適格と思われる教員リストにはダンブルドアを筆頭にハグリッド、マクゴナガル、フリットウィック、トレローニー、バーベッジと彼女のヘイトが高い順に名を連ねていた。
彼女は半分を憎んでいる。半純血はそう珍しいものではないが、デミは別だ。フリットウィック先生はとても温厚で教えるのも上手なのにアンブリッジは人だと思ってないようだった。
アンブリッジは半純血だ。なのでマグルと結婚した父を憎んでいたし、同時に素晴らしい魔法の力を授けた父を愛していた。杜撰でがさつな気の強い母親と安月給に甘んじる父親はいつも喧嘩していたらしい。複雑な愛憎に引き裂かれそうだった彼女はスクイブの弟の誕生により決裂した。
僕に肩入れしてくれる理由はそこだった。彼女の愛憎が僕を生かしてる。僕の境遇に自身を重ねたのかもしれない。とにかく僕は彼女の言葉にできない部分をうまく揺さぶり身の安全を得たわけだ。
まあ結局彼女に拾われたのが今僕がここでルシウスに脅される未来に通じているわけで、必ずしもいいことでは無かったのかもしれないが…。
なんにせよ、僕がこれからやる事はハッキリした。
僕は一度負けなければならない。