僕が今までであった数多くのアウトローたちの中で一際異彩を放っていたのは魔法生物の密売をしている老人だった。彼は十年は洗っていないもとが何色かもわからないローブを着ていて、その下にはありとあらゆる取引禁止の品をぶら下げていた。名前はネクラースと名乗った。ネクラースは醜男を意味する名前を聞いて驚く僕へ向かって言った。
「俺はずっとそう呼ばれてきた。それ以外の名前はない。いいんだ、名は体を表す。そうだろ」
ネクラースはそう言って黄色い乱杭歯を見せて笑った。彼は見た目と裏腹にさっぱりした性格であり、独自の哲学を持って密猟に勤しんでいた。老人のぱさついた皮膚の下の筋肉は僕のものよりよっぽど硬く逞しく、おそらく多くの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。ちらりと見えた手の指は三本しかなかった。
「杖は嫌いだ。俺は必要以上に杖を使わんようにしている。つまり、隠された罠や俺の身の安全に関わる時だけだ。魔法生物を…ヒトを含めて…殺すとき、大体はこの手で絞める事にしている」
魔法で済むなら魔法でやったほうがいいのに。けれどもそれは礼儀の問題らしい。手間と敬意の相関図には個人差がある。僕はどちらかと言うと手間をかけざるを得ないだけで敬意なんてこれっぽっちもない。人間は突き詰めてしまえば60キロはある物質で、切りにくい筋まみれの肉と206個の骨で出来た、処分に困る肉塊だ。
ありとあらゆる生物はやがて朽ちゆく有機物。グリフィンの鋭くなめらかな鉤爪もフウーパーの色とりどりの羽毛もアッシュワインダーの赤く燃える卵も、そこに価値を見出せなければ全てがただの腐り掛けの生モノだ。(ファイヤ・クラブの殻にへばりつく宝石だけは別だ。あれは腐らない)
どこまでも削ってゆく。削りきれないところまできて残った物がきっと本質なんだ。僕は一体何でできている?骨と肉といろんな有機物と魂以外に何もないのだとしたら、僕は今すぐ点を打つ。僕が穿ってきた点々、人々の言葉に穿つ最後の点。人生を修辞するに相応しいタイミングで言う言葉はどれも、人生はひょっとしてまるで意味の無いものなんじゃないかと僕に思わせるものばかりだった。
初めてイギリスで殺した女の最後の言葉
「杖をアソコに突っ込んで唱えて。不妊の呪文よ。迷信なんかじゃないわ。今日刷ってた本に書いてあったから」
数時間後、彼女はそのへんの道端にあるゲロとほとんど同じになった。
僕はイギリスに来たあと、いきなり魔法省の仕事にありつけた訳じゃない。僕ら家族はボロボロだったし、おまけに母は死にかけてた。魔法省は『魔力を有する存在』として僕らを一応亡命魔法使いと認め、いくつか職を斡旋してくれた。その求人はどれも父と兄のプライドを満足させるには不十分で、二人はそれを蹴った。プライドなんてない僕はその中で一番労働時間が長く、家に帰らないで済みそうな仕事を選んだ。印刷所の仕事だった。
魔法界の本は未だ手製本が主流である。新しい本が出るのは稀で、それも革表紙の本となるとますますだった。読み捨て雑誌以外の本は概ね持ち主本人よりも長く保つよう作られているので教科書や古典作品も新たに刷ることも少ない。書店の数も限られているため一冊一冊丁寧にかがり、背がためし、美しい装飾が施された表紙を貼り付ける。単純作業で、しかも杖でやるより手でやるほうが良いとされる作業だった。同じ仕事には三人ほど就いていて、みんな黙々と自分の机で製本していた。
就職した1983年当時、世の中はヴォルデモートの戦後処理にやや飽きていた。僕は時たま現れる『例のあの人』の文字を見るたびに奇妙な気持ちになった。レニングラードでは聞かない名前をここではこぞって怖がっている。奇妙な気分だ。英語はもともと話せたが、日々アルファベットに翻弄されるにつれ僕の正気は削られていった。
1985年。僕がそのしみったれた職をやめて魔法省を目指し始めた年の年間部数ランキング。
1位 フラウ・メイヤー著『夫を手放さない愛のテクニック』
2位 バーナバス・カッフ著『マグルに学ぶHow to SEX』日刊予言者新聞
3位 ブルータス・マルフォイ著『魔法族の誇りー闇の時代から光の時代へ(再版)』ウィザーズプライド社
わかりやすい年だった。誰も彼も、闇の時代を過去のものにしたがった。そのための手っ取り早い方法はセックスとか飯とかそういう足し算だった。足し算、足し算。マイナスになった誇りを取り戻そう。今まで特に意識してなかった自尊心を取り戻そう。僕の働いていた印刷所は手製本以外の事業を開拓すべく、読み捨てを前提とした無線綴じの雑誌を刷るために新兵器を導入した。マグル製の人間より賢く正確な機械は秒間0.5冊のスピードで低俗な雑誌を刷り続けた。
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魔法界人口の2倍の部数の雑誌がーつまり、僕が一日で作れる本の1000倍がー刷り上がり箱にすとすと納まった時点で、僕は自分の限界を悟り、辞表を出した。
「私達、いよいよ時代に見捨てられるんだわ。マグルのほうがよっぽど凄いもの。やんなっちゃう」
紙の色に似た肌の女は、落丁のあるはじかれた雑誌…よく燃える紙屑と同等のそれ…を勝手に拾って休憩時間に読んでいた。月刊魔女の看板魔女だったシャルロッテ・ウィガーンのセックス事情特集を開き、マグル製の安い紙タバコをふかしていた。紙みたいな女が紙を読み紙を燃やす奇妙な光景だった。
「絶望するわよね。魔法使いになれないってのはもう諦めついたけど、これじゃマグルにもなれないのかも」
スクイブはわざわざ自分をスクイブだと宣伝しない。あたりまえだが、それは弱みだからだ。けれども彼女はむしろ宣伝していた。まるで誰でもいいから私をめちゃくちゃにしてほしいと言わんばかりに、堕落したさまを隠そうとしなかった。
彼女は魔法使いの母を持っていたが、兄弟全員が父親のマグルの血を継いでしまったらしい。末っ子の彼女は魔力の発露をそれはそれは期待された。週に一度は魔力に目覚めさせるために2階の窓から落とされた。そのせいで左脚が僅かに変形しているのだという。ニュートンのリンゴ。彼女は重力に抗えなかった。
長男はスクイブとしてダイアゴン横丁で清掃員をやっている。次男はマグルの会社に就職し、地方の老人に発電機を売りつける仕事をしている。三男はマグルに魔法薬をドラッグとして売り付けるバイヤーをやっていたが、最近マグルの刑務所に投獄されたという。
「あたしもいつか墓場行きなのはわかる。問題はどこの墓場なのか。墓地を選べるなら、あたし、家族と同じ墓だけは嫌」
僕は彼女の願いを聞き届けた。彼女は粉砕機で四方一センチのブロックにされ、家畜の餌の中に撒かれた。これで少なくとも永遠に家族と顔を合わせずに済む。広義の弔いだ。
「俺はこの年齢にもかかわらず人間の首を絞めてる時だけは勃起する。多分そういう癖なんだな。ふつう杖を使ってセックスするか?え、する?最近はそうなのか。恐ろしいな」
「なんだよ、爺。飢えてるのか」
一緒にいるのはマグルの男で名はレオン・レナオルド。彼はナチュラルボーンマグルであるにも関わらず魔法使いの存在を知っていて、魔法使いとマグルの違法取引の橋渡しをしていた。国際機密法なんてものは国際レベルで守られていてもマイクロの視点に立ち返れば取りこぼしはいくらでもある。彼はマグルの癖にやたらと賢く、魔法使いが杖を使って彼をだまくらかそうとしたら途端に見抜き、杖腕をへし折った。
僕は彼から魔法使いが魔法を使えなくなる手段を伝授してもらった。レオンとネクラースはお互い僕より長く知り合い同士だったが交流は浅薄だった。僕が彼らの縁をより固く結んだとしたならば、僕は殺されるために産まれてきたユニコーンたちに死んで謝らなければならない。
「いや、アッシュワインダーが最近売れないのはなぜかと思ってたんだ。謎が解けたな」
「確かに愛の妙薬は人気ないね。もうどうしても手に入れたい相手なんてどこにもいないんだろ」
「同感だ。俺は女なんてもう何年も欲しくない」
「あれだろ、ヒツジとやるようにヒッポグリフとやってんだ、あんたら密猟者は」
「それでモノを失くしたやつを両手の指くらい見た」
「ああ?…それって何本だよ。あんた、指何本あったっけ…?」
ネクラースとレオンと僕は概ね気があった。そして全員が協力すれば如何なるものも入手可能だった。僕が女を殺して始末に困ったとき真っ先に粉砕機の場所を見つけてくれたのはレオンだったし、女だったドロドロを撒き散らす場所を紹介してくれたのはネクラースだった。ネクラースの育てている数多くの魔法生物たちの一部(言うまでもなく違法である)は僕が育てたと言ってもいいかもしれない。
そんな後ろぐらい過去を何故思い出しているかというと、今目の前に立つ若く新しい友人を見ていたら不思議と懐かしさに駆られたからだ。
「最近君、変だぞ」
「なにが?」
パーシーは苛立たしげに手に持ったクリップボードをバシバシと腕に叩きつけていた。そこにはホグワーツ魔法魔術学校の教授たちの通知表が挟まっている。僕とパーシーとでキャッチボールされる教授の名前と評価はやり取りさせるたびに恣意的に改ざんされていく。アンブリッジの望む形に書き換えられていき、“精査”はほぼ終わった。
「何がって、ポッターだよ。ハリー・ポッター。君、彼に肩入れしていないか?」
「そんな事はない。確かに特別扱いは命じられたが」
「マクミランの放課後教室はまだいい。彼の父親は魔法省にとっても大切な取引相手だ。だが…」
「パース。親のことなんて今は関係ないだろ。たしかに彼らは規則に反した活動をしていることになる。君はまさか純血の子どもだけは罰さないつもりなのか?」
先日発行された教育令25号「学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどはすべて解散される。再結成にはホグワーツ高等尋問官の承認を必要とする。届け出、承認無き学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブを結成したことが判明した生徒は退校処分とする」
この教育令はポッターがマクミランの放課後グループに参加したことをパーシーが敏感に嗅ぎつけたことにより急遽施行された。マクミランは僕に行ったとおり、クリスマス前のホグズミード村でポッターを誘った。無事OKを貰ったらしく一生懸命場所探しをしている。
「純血だからって特別扱いする気はない!誤解しないでくれよ。ただ、君がどう思ってるのかわからないんだ。少なくともアンブリッジさんは今の状況を歓迎しないだろう?君が彼女の意向に沿わないなんてありえない」
僕は長らく彼女の奴隷だったし僕はそれで良かった。だが奴隷とはいつか牙を剥くものである。それに僕は、彼女を一時的に裏切るかもしれないがかと言って徹底的に叩きのめし再起不能にするつもりはない。
「より大きな善について、君と話したことがあったね」
「え?ああ。覚えているよ」
「僕は善に向かって闘争中だ。パース、パーシー・ウィーズリー。君にはこの冬を使って考えてほしいことがある」
僕は椅子から立ち上がり、ガラスの向こうの暗緑色をぼんやり眺めながら反射したパーシーの虚像をみつける。パーシーの心は僕にべったりと依存している。僕は彼の望むような理想的な言葉を吐き続けていた。僕の喉越しのいい言葉を丸呑みにした彼は、棘付きの言葉を前にしてたじろいでいる。
「素晴らしい社会ってなんだ?善ってなんだ?何をもってして幸福を測るつもりなんだい。君の理想がどんな形なのか、僕はまだわからないんだ」
「それは…」
パーシーは言葉に窮した。
「魔法使いの高潔な魂を持って…より秩序ある」
「その言葉は空っぽだ。そうじゃないだろ。もっと削ぎ落とせ」
「削ぎ落とせってどうやって?」
「どうしたいかだけを考えろ。何が許せない?」
僕の強い語気に押されつつ彼は自分の頭の中を隅々まで探して見合う言葉を発掘する。僕の研究室は僕の座る位置にだけ光が指すようになっていて、対面に座る人物には影がさすようになっている。基本的なテクニックで、マグルのカウンセラーのパクリだ。彼らは自分の城から決して動かない。それは診療室という空間そのものが彼らの武器であり城壁だからだ。
「あー…そうだな。ええっと。一番はやっぱりダンブルドアかな。だって彼は、全員が白だということを黒だと言い張る。白は白なんだ。彼の見える世界は理解し難い」
「ダンブルドアの見ている世界ってなんだと思う?」
矢継ぎ早の質問に、パーシーは息継ぎをしてからまた自分の心の中へ潜るはめになる。今度はたやすく言葉を見つけた。
「マグルとの融和だとか、独善的な正義かな」
「調子が出てきたな。では言葉になった君の欲望から逆算して、もう一度君の理想について立ち返ろうか」
僕は上体をパーシーの方へぐっと寄せる。僕の顔に陰ができて、顔の凹凸がより濃い陰影を作る。パーシーは闇に窪む僕の目を見てぱちくりする。
「…多分僕は、マグルに迎合することなく、僕らだけでやりたいのかな。魔法使いの強さについて、僕らは曖昧にしかわからない。けどそれじゃいけない気がするんだ。…ごめん、まだうまく言えないみたいだ」
「十分だ。パーシー、ぜひ考えてくれ。そして休みが明けてからもう一度話そう。そうすれば僕らの関係もスッキリする。もし君が僕を悪だと思うなら遠慮なく蹴落としてほしい」
もう今日は絞れないとわかって僕はスイッチを切り替える。普段の平坦な調子に戻し、威圧を一気にどけて淡々と言った。パーシーはホッとしたような顔をしてから、自分が今何を心の底から引き出されたかを理解しきれないまま僕に尋ねた。
「君はいったい何を考えてるんだ?」
「終わりについてだよ。僕の人生、それだけだ」
僕の戯言について、薄っぺらい哲学について語る時間はもうない。
物事は万事複雑に絡まり続け、キップルは溜まり続ける。持続的混沌を打破すべく、僕はこのクリスマスにヌルメンガードへ赴く。だからもう、夢想の話をするのはやめよう。三十路になってようやくわかった。全てを魂に託すのは、僕にしか意味がない。僕は僕だけで完結する世界から少し領域を広げるべきなのだ。