【完結】フーディーニの魔法   作:ようぐそうとほうとふ

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14.ヌルメンガード(前編)

笑うんだよ、ヴォーヴァ。笑え。お前が魔法を使えないと悟られる前ににっこり頬を吊り上げて笑うんだ。チェブラーシカのようにおすましで、あるいはブギーマンのようにいびつに。

 

 でももう僕は子供じゃない。笑ったって誰も喜ばない。救済がないことはわかっていた。安息も。遠い日の幼い二人、そして可愛い妹ももう戻らない。僕の、三十歳の笑顔は薬物中毒患者の書くスマイルよりもひどい。嘘っぱちとか作り物とかの次元を超えて、ただただ醜く怪しい皮膚のシワだ。そこから庇護欲なんて引き出せるわけもない。

 

 僕は子供でなくなってしまった。

 

 救済を。

「笑って」

 生き方を。

「もっと口角を上げて」

 僕に教えてくれ。

 

 死んでしまった両親が何かの間違いで生き返ってていても、多分僕に家族セラピーは無意味だろう。親の愛はだいたい子供のすべてを決定づける。だが、僕の場合は敷かれたレールがいくら真っ直ぐでも、変態ペドフィリアによる妹の死で破壊される。いや、もしかしたらもっと前から破壊されてて、レールはあると思い込んでいただけなのかもしれない。

 振り向けば死体の轍だ。

 

 僕ができる魔法。死体消失マジック!

 色情魔の売女の首をナイフで切り裂き、彼女の杖を眼窩に突っ込んでからめちゃくちゃに掻き回す。そして動かなくなった肉の塊を運び、粉砕機に、あるいはバスルームにおいて、牛刀で叩き切る。すっかりミンチになった細切れの女をさらにビニールで小分けにして、農村のごみ捨て場にわけて捨てる。(この魔法は被害者が男でも女でも手順は変わらない)

 厄介な頭蓋や大腿骨は念入りに砕き、焼く。僕の家の暖炉からたまに煙突から煙が出るとき、大体元ドーキンスだとかジャクソンだとかが焼かれてる。

 注意するのは匂いである。レモンのアロマなんかじゃ骨や肉が燃える匂いを誤魔化せない。

 おすすめは『インド自家輸入スパイス。バーフバリ!本場のカレーをイギリスで』これを薦めるのは、ロンドンのスーパーなら大抵おいてあるからだ。もちろん匂いはきついが、血と腐臭よりは目立たない。幸い、僕のアパルトメントは外国人向けでアングロサクソンがいなかった。ここでは他人に口出ししない。僕のカレー好きもやつらの大麻の栽培だとか政府に申請してない親戚について口出ししない限り誰も文句を言わない。

 

 

 僕は飛行機の荷物受け取り所からやや古風な革張りの鞄を見つけ出し、皮膚をきゅっと締め上げる寒さに身震いした。空港の出口を少し探すと、BDが人懐っこい笑みを浮かべて手を振っていた。

「よお!センセ」

「やめろよバックドア」

 僕とBDは抱きあい、すぐに空港前に停めていたBDの車へ乗り込んだ。骨董品にしか見えないボロい車だったが魔法をかけられていて中はふかふかしたクッションと圧迫感のない高い天井でリラックスできる。

「にしてもわざわざ飛行機使うかね」

「飛行機なら魔法省に気付かれないから」

 魔法使いに国境はあまり意味がない。それでも一応イギリスでは出入国管理をやっていて、魔法省職員は国外に行く場合届け出がいるし、箒などを使った不法入国を監視する局もある。だがマグルの通行手段はノータッチだ。

「俺なんて車ごと飛んできたぜ!」

 BDはわははと笑ってハンドルを切った。羨ましいことで。

「送った資料は読んだ?」

「ああ。短期間でよくやったな」

「お礼を言うなら俺じゃなくてエンマークだよ。わざわざあのヌルメンガードを公営化してくれたんだ。調べやすかったぜ。世も末だよな」

「事実世紀末だからな」

「魔法使いは長生きなんだから、もっと気長に生きればいいのに」

 BDには彼女の、ヌルメンガード立役者のクリスティン・エンマークの焦りがいまいち理解できない。BDは自由人で、国なんてなくても生きていける。でも多くの人間は自分の所属にアイデンティティを託す。自己改善や自己改革を組織に仮託する。個人の境界と社会の境界を取り違え、取り違えたまま生きていく。

 フェノスカンジア魔法共同体は超高齢化を通り過ぎ、レッドリスト入りだ。遺された子どもたちがほそぼそと子孫をつなごうとあがいている。彼らはイギリスより遥かに純血について拘りがあり、それにより身を滅ぼした。(彼らはマグルと交わるのを禁忌としてきた“過激派”だ)

「僕にはわからないよ。正気じゃない」

「グリンデルバルドがどうしてそんなに怖いんだ?」

「子どもの頃寝る前に毎日脅されたら怖くもなる。…情操教育って大事だな」

「まあ俺もばあちゃんにはよく脅されてたな…悪いことすると寝てる間に歯が抜けるって。一回だけ、本当に寝てる間に歯が消えたんだ。俺、それですっかり信じちゃったよ。今思うと、単に生え変わりの時期だったんだろうけど」

「情操教育の成果がこれか。ばあさん泣いてるぞ」

「まっさかあ。ばあちゃんの老人ホーム代、俺が払ってんだぞ」

 車はどんどん濃い森の中へ入っていく。魔法のおかげで密集した木々の間を抜ける事ができるが、歩いていくのすら厳しいほど生い茂る苔と下草と木。ヌルメンガードへ続く、道なき道。こんなに深い森の中に閉じ込められる彼の孤独を思うと狂っててもおかしくない。いきなり襲いかかられないように用心せねばならない。僕はリボルバーの弾丸の数を確認した。

「銃なんて、グリンデルバルドには効かないよ。杖なしの魔法くらい朝飯前だろーよ」

「まあ用心に越したことはないだろ」

 BDは僕の魔力の無さについて理解している。しかしながら魔法より強い武器はないと思ってるおかげで、僕のささやかな武装には冷ややかだった。だが銃は少なくとも剣よりは強い。やっぱり何もないよりはマシなのだ。

「近代的じゃないねえ」

「杖は近代的か?」

「杖こそ最先端だろ?杖一つで何もかもできちまう。俺が思うに、一つで何でもできるってのがモダンだよ。マグルの製品はどんどんちっちゃくなってくだろ?レコードもテレビも食洗機も。次はオールインワンになるさ」

「なるほど…」

 だとしたら僕はものすごいロートルだ。何をするにもそれ用の道具が欲しくなるから、僕の家のキッチンには刃物が山盛り。牛刀、ペティナイフ、筋引き、骨スキ、中華包丁、腸裂き、革包丁。そうだ、魔法省をクビになったら肉屋になろう。

 

「ここからは徒歩だ」

 BDは少し開けた場所で車を止めた。生い茂り折り重なる葉で周囲は暗い。その森は恐ろしく静まり返っていた。小鳥の鳴き声や獣の息遣い、風の音と言った環境音すらしない不気味な静寂が重く立ち込めている。この森は魔法で作られたのだろう。マグルだったらまず入ろうとは思わない森。僕は、一応魔力はある。だからいまここに立ってられるが、もしマグルだったら火の中に裸で突っ込むようなものだ。それくらい不吉な気配が森全体に漂っている。

 雑談しながら森を進むと、沈鬱な色をした高い高い塀があった。人工物なんて微塵もない森に不釣り合いだ。BDはポケットから杖を取り出し、壁にある僅かな裂け目に差し込んだ。すると裂け目は人一人がようやく通れるくらいの幅まで広がり、僕らはそこへ体を知恵の輪みたいにしながらすすんだ。

 

「クリスマス休暇でよかったよ。協力者とは話をつけてる。ウラジーミル、ロシア語忘れてないよな?」

「もちろん」

「あんたは一応ロシアの役人だって紹介してある。話し合わせてくれよ」

「ああ」

 ヌルメンガードの管理はノルウェーの魔法使いと共同体に属する自治体から選出された役員が取り仕切っている。BDはそのうち犯罪者の人権について熱心でない構成員を買収した。(もちろんルシウスの金で)その構成員は僕たちを「ロシアとナイジェリア政府からの見学者」という体でヌルメンガードに招き入れる。

 ヌルメンガードの入り口は不意に現れた。壁からも続く森を進み、ひときわ濃い藪を抜けた途端、目の前に崖がぽっかり口を開けていた。危うく落ちるところだった。

 崖の向こうは濃い霧に覆われていて、こちらとあちらの境界線を敷いていた。その崖の縁を左手に進むと、吊橋があった。吊橋は真新しく、乗っても揺れないワイヤーでできている。吊橋は霧の中に続いていて、中にはいるとすぐ前を行くBDの背中すら見えない。

 崖は、始まるのが突然だったように終わるのも突然だった。吊橋の板から一歩進んだ先にあったのは岩場で、目の前にBDの背中。僕は彼の背中にまともに突っ込んでしまう。

「これが…ヌルメンガード」

 BDが珍しく畏れた様子でつぶやいた。僕は鼻を押さえながら真っ黒な塔をみた。

 

 切り立った岩場の隙間からはえてるような、曇り空の色をした塔。シンプルな石造りの牢獄はかつてグリンデルバルドが己に逆らうものを収監し二度と出さなかった粛清の城だ。

 今や吐き気のする人道主義者の偽善の象徴。

 塔の前には真っ白いローブを着た男が腕を組んで待っていた。ローブにはよく見るとフェノスカンジア魔法共同体議会のマークが光っている。 

 

「ズドラーストヴィチェ」

 

 協力者は取り立てて特徴のない顔の男だった。看守服のせいで個性が完全に消えていて、量産型の笑みが映える。僕に握手したあとBDとも握手し、すぐにバインダーを寄越した。

 

「ようこそ、フェノスカンジア犯罪者更生施設へ。我が団体の取り組みに興味を持っていただけて幸いです」

 特にそう思ってなさそうな定型文のあと、協力者は息を潜めて僕たちに英語で囁いた。

「ようこそ!またの名を、毛布のような地獄へ。俺はルーカス・ビャーグセン。よろしくな、イワンにクロンボ」

「なかなかいいやつだろ」

 どうやら特徴のないふりをしてるだけでかなり口の悪い男らしかった。BDは何度か会ってるので打ち解けている。彼は僕らの書いた嘘っぱちの書類をちらっと見てはんこを押したあと、僕らから杖を没収し几帳面に軸と素材を書き付け、鍵付きの金庫に保管した。

「さて…これで手続きは終了。さっそくツアーの始まりだ」

 

 ヌルメンガードに常駐している職員は15名。そのうち七名は作業療法士で、マグルの大学で福祉に関する授業を45単位取得している。若き理想家クリスティン・エンマークは次々と、やる気のない魔法使いたちがやる気を出す前に権利と権威を刈り取っている。悪意なく、無自覚に。彼女はどんどんヘイトを稼いでいる。

 ルーカスは25歳くらいで、若く、反抗的で、理想について言葉にできなくてもヴィジョンを持っていた。そしてその理想はエンマークの目指す社会と違っていた。

 

「全く馬鹿げてるよな。『蛍光灯ではなく、この暖色の白熱灯を使ってください。優しい光でリラックスします』?ここにいるのは全員人殺しや強盗犯だぞリラックスもくそもあるかよ」

 

 ヌルメンガードはパノプティコンだった。全展望システム。ベンサムというマグルの考えた効率の良い監視の形態。

 通常は円筒だが、ヌルメンガードは四角い。壁に沿って放射状に独房が並び、その中央には螺旋階段がある。螺旋階段は独房からは中を見ることができないように特殊なガラスがはられていた。看守は中央螺旋階段を行き来するだけで全囚人の監視が可能であり、通常の監獄よりも少人数で効率のいい監視が実現する。

 これならば少人数で看守をしなきゃいけない時でも速やかに罪を摘発し、魔法使いならば即座に罰することができる。

 

「あいつは子殺し、あいつは浮気相手を爆発させた。あっちは…よくわからんが、三人殺した。ま、ここにいるやつ全員の殺した数でもグリンデルバルドのギネスは越えられんよ」

 

 このパノプティコンの最上階に、グリンデルバルドの独房がある。螺旋階段とガラスは後付で、この階段が建設される前まではグリンデルバルドは完全に塔頂上に幽閉されていた。

 

「グリンデルバルドと会ったことは?」

「ないよ。エンマーク議長様にとってあいつはいない事になってんのかも。まあ多分、じきに死ぬって思ってんだろうな」

「彼の食事は?」

「ああ、リフトで運んでる。…でもリフトをつける前は知らないな。何食ってたんだろう?」

「さあね…」

 

 BDのすごいところは人を見る目があるというところだ。彼は見極めるのが大変うまい。ヌルメンガードを管轄しているのがノルウェーだとわかった途端、車でノルウェーに駆けつけて魔法使いの村を巡った。イギリス製の魔法道具を売りつけるセールスマンのふりをして、酒場や商店をハシゴしていった。

 そしてようやく、議会から大量に食料を発注されてる業者を見つけ出し、その業者のたまり場の居酒屋に張り込み、ついにヌルメンガードの職員を引き当てたのだ。それがこのルーカスだ。

 ルーカスは超高齢化した魔法使い貴族のひと粒種であり、純血主義者だった。魔法族たる自信と覚悟はイギリスの魔法使いよりも強く、過激だ。イギリスではもはやなあなあだが、彼らはマグルとの交配を近年まで法律で禁じていたため一際マグルに対して差別意識を持っていた。(その差別意識故に衰退し、マグルの大戦後はむしろ混血を推奨した)

 

 ルーカスはマグルに倣えをモットーにしているエンマークを憎んでいる。BDは彼の憎悪を見抜き、グリンデルバルド脱獄計画の仲間に引き入れた。

 とはいえ、彼は脱獄自体が目的で僕らには手段だ。グリンデルバルドが脱獄した責任を負わせ、この馬鹿げた福祉施設を閉鎖する。彼はその先を全然考えてなかった。

 

 独房はハニーカムのように組み合い、決して他と交わらない。囚人たちは隔絶された新設の、人間工学に基づいた規則正しい法則に支配され“治療”される。

 先代の負の遺産、グリンデルバルドという病巣の真下でぬくぬくと“愛”についての講義を受ける。気が狂ってもしょうがないね、これは。

 古ぼけた外観と不釣り合いや明るい光に包まれたパノプティコン。僕らはダラダラと話し続けてやっと最上階についた。分厚い鉄の扉だけは100年前からあるような鈍色だ。

 

より大いなる善のために。

 

 BDは複雑な文様のかかれた小箱を取り出し、中にある褐色のペーパーナイフをルーカスに手渡した。

 

イデオロギーはまだ響いてる。

 

 特殊なナイフは彼の親戚が作った品で、杖なし魔法の粋を秘めた道具だ。このナイフはあらゆる鍵を開ける。たとえダンブルドアがかけた魔法であろうと。

 

「俺の切り札だ。特別だぞ。友情割引」

 

 時間をかけて丁寧に防御呪文を切り裂いていく。

 

「いそげ。あと五分で別の看守が来る」 

 

 見学者のルートは厳密に定められている。時計によると、僕らはもうすでに一階で行われてるセラピーの見学に居なければならなかった。 中階層にいる人殺しではない犯罪者集団と七人のセラピストの社会復帰に向けたトレーニング。

 

「セラピールームに毒ガスを流してやりたい」

 

 下層の看守が異変を察知し階段を登ってくる前に脳のシワより入り組んだ魔法の迷路を解かねばならない。キーメイカーの大勝負は傍から見てもつまらない。ただ焦燥感だけが募る。

 

「魔法使いでもマグルの神経毒に気づくのは難しい」

 

 ルーカスは不安を紛らわすために早口で捲し立てる。

 

「無味無臭の毒ガスだけはマグルの使える魔法だと認めてやってもいい」

 

 BDの息が止まる。鉄の扉の奥でなにか歯車が回るような重い音が聞こえる。

 

 救済を。

「成功だ」

 生き方を。

「一歩下がって、ルーカス、お前は杖を頼む」

 

 僕に教えてくれ、グリンデルバルド。

 

 

 


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