暗く冷たい地下深くの倉庫での仕事を終えて長き沈黙の時を破り登場するのは僕である。いや、僕自身は黙った覚えはないのだが。僕、ウラジーミル・プロップはブロデリック・ボードの顔貌のまま複数の暖炉を経由してロンドン市内へ出た。無言者のユニフォーム。鯨幕よりダサいそれを脱いで飲食店裏のゴミ箱に突っ込む。そして足早にレナオルドの待つ電話ボックス前のバンへ向かった。
さて、今回の任務で僕はまたもうまく面倒ごとを乗り切った。アンブリッジの説教を受けてくれたゲラートに感謝。そしてロングボトムの棚ぼた情報にも。彼がボードのことを救ってくれなかったら、僕はルシウスの馬鹿な独りよがりを知る由もないまま大きな不利を背負ってしまうところだった。
無言者を服従させたところで予言は手に入らない。彼らは神秘に携わるが直接干渉することはできない。予言は予言された本人にしか取り出せない…このルールは絶対だ。
ボードが殺されていた場合、ダンブルドア達は警戒を強めるだろう。下手したらその警戒の余波は魔法省の犬である僕にまで及び、後ろ暗い過去を暴かれて降格までして手に入れた周りからの信頼も失う羽目になるところだった。
とはいえ、心神喪失した魔法使いをそのまま放っとくなんてもったいない。(ましてや殺すなんて!)僕はルシウスに一報入れてから『予言奪取の理想形』について話し同意を得、彼の件を引き継いだ。
ルシウスの仕事をこなすため、僕はこの冬は蜂のように(もしくは蟻のように)働いたのだ。しかもヌルメンガード脱走時なんて怪我までした。今回の仕事でこれまでかけたリスク分のリターンは得られるだろう。
バンを見つけて乗り込むと、拡張された車内にはルシウスが座っていた。
「上手く行ったのか?」
「ええ」
すぐに反対側のドアがあき、アンブリッジ…もとい、アンブリッジに化けたゲラート・グリンデルバルドが入ってきた。
「ここ半世紀で一番ヒヤッとした」
すぐにあわてて靴を脱ぎ捨てた。彼の足はメキメキと大きくなっていき、小さなアンブリッジの体が不気味に蠕動している。
『うわ、グロいな』
スピーカーからレオン・レナオルドの声が聞こえる。このバンは運転席と後部座席をしっかり仕切ってある。彼は背後からの不意打ちが一番ムカつくそうだ。
僕の体も多少ムズムズしてきた。幸いボードは同性で、しかもそこまで体格も変わらないので着替えの必要はない。ルシウスは変形していく二人の間で顔をしかめている。
「レナオルド、出して市内を適当に走ってくれ」
『はいよお客さん』
エンジンがかかって車は前進し、マグルたちの車列に加わる。窓から見える人混みを見てルシウスの鼻が不愉快そうにひくついた。魔法使いの目には害獣の群れにでも見えるのか?僕は人混みを見ていると安心する。僕を知らない人がこんなにいるんだからリセットはいくらでもできると思えてくるからだ。
「前話した通り、準備はこれで終わりだ」
僕がそう言うとルシウスは頬にほんの少しの紅潮を浮かべ、「よし」とつぶやく。それをみてアンブリッジから戻ったゲラートが窓枠に肘を付きながら言った。
「じゃあ次はあんたらの動向を教えてくれ。ここまで下準備して噛み合わないことされちゃたまらない」
ルシウスは僕の事はまだ少し舐めてるがゲラートに対しては一歩引き慎重に接している。
「ああ…だが、ここで?」
ルシウスは運転席の方へ目配せする。
「ああ。レナオルドなら大丈夫だ」
「だが彼はマグルだ」
「僕も似たようなものだ」
レナオルドは純正マグルだ。僕と違って魔力のかけらもないので魔法使いの手に落ちた途端秘密をペラペラ喋りだす。だが僕は彼以上の適任を未だ見つけられていない。彼の能力は彼がいま正気で手足もちゃんと揃っているという点で証明されている。
ルシウスと僕の関係は冬で変化した。一方的隷属は終了し共栄する方向にまとまった。というのもルシウス達死喰い人側でちょっとした権力闘争の火種がくすぶっているらしい。ルシウスと対立するのはヤックスリーら魔法省に勤務している死喰い人で、本来ならば予言奪取に最も貢献できる立場の連中だった。
役人というのはたいてい金持ちが嫌いだ。正確に言えばサラリーで暮らす人間は金持ちを蹴落としたがっている。魔法使いにもしみったれた労働者魂があるらしい。(同士よとでも言えばいいのか?)ヤックスリーらはルシウスへの協力をそれとなくはぐらかして、別の大きな任務を勝ち取った。
「アズカバン集団脱獄も時間の問題だ」
ヴォルデモート卿は昔の仲間が恋しいらしく、あの灰色の島に近々訪問予定。役人派は予言なんかよりも脱獄した死喰い人たちの受入準備や脱獄後の情報戦の用意で忙しいようだ。誤報局のロウルがかなり張り切ってるとか。
どんな小さなサークルでも権力争いは起きるものだな。僕、ゲラート。人は二人揃えば社会になる。だが僕はありとあらゆる闘争において参加する権利を持たない。少なくとも魔法界においては。
「ポッターへの干渉はどうなっているんだ?」
ゲラートはルシウスに尋ねる。…今更だが拡張された車内とはいえおっさんとおじいさんが三人並んで座っているのは滑稽だな。
「継続中だ。闇の帝王いわく、抵抗は弱まってきていると」
「ずっと神秘部への道のりを見せ続けているのか?」
「ああ。…いや、断言はできんが」
「そばで見ていて感触はどうだ。ウラジーミル」
「そうだね。彼はあの夢を密かに楽しんでいる。友達に言うといろいろ言われるようで、代わりに僕に話してくれる」
「よくそこまで心を許されてるな」
「心なんて知らないよ。ただ神秘部についてあの学校の中で一番詳しいのは僕だろうから聞きに来たんだろう。あとは彼の好奇心を刺激し続けるだけだ」
ちなみに神秘部は数ある部署の中で唯一パートタイマーを一切雇っておらず、外注もゼロ。完全にブラックボックス化しているので僕は毎度それっぽい匂わせ話を創作している。一般的に知られている事実をちょっとずつ盛るだけとはいえ想像力に乏しい僕にはなかなかの苦行だ。
「例の降格キャンペーンのおかげで最近は心を開いていると言えなくもない。が、一方でセブルス・スネイプが探りを入れてきている」
「何?セブルスが?」
ルシウスの瞼がひきつる。
「ああ。彼、二重スパイなんだろう?本当にこっち側なのか?」
「そのはずだ。いや、そうでなければ困る」
「困るじゃ困るのはこっちだ」
ゲラートがやや苛立たしげに答え、ルシウスの眉間はますます狭まる。
「僕があんたの共犯なのは知ってるはずだ。なのに何故嘴を突っ込む?」
「ダンブルドアの信用をより一層得るため、だと思うが」
「なら嘘の報告でもすればいいものを。…まあ本人のいないところで白か黒か決めることほど無駄なことはないな。とにかく、僕はあんたにはじめ言われたとおり彼の行動をある程度左右する段階まできたわけだ」
「……ああ、不本意ながら認めざるを得ない。私は君を軽んじていたが、今となっては最も良き取引相手だ」
「あんたの認識がまた覆らないことを祈るよ。そして僕たちからのあんたの認識も」
「…とんだカードを拾ったな、プロップ。お前を支える力は運の良さだけだ」
「その点あんたはハズレをひいてるね。鞍替えならいつでも歓迎する」
「黙れ」
ゲラートは僕とルシウスの間で散る火花をさも愉快げに眺めていた。
さて後に続くのは事務的なやり取りなので割愛するが、要するに僕たちは予言を奪取する手はずを整えた。あとは機が熟すのを待つだけである。
ハリー・ポッター籠絡キャンペーンはなかなかの効果だった。パーシーへヘイトを集め、彼と対立し、ポッターの肩を持つ。露骨にわかりやすい立ち回りだが、それを察知したのはダンブルドアとセブルス・スネイプくらいだろう。(もしかしたらマクゴナガルもだが)
あのグレンジャーでさえ、僕のレポートで初めて自分の感情らしきものを書いていた。曰く「貴方の宣言には驚きました。」疑いとも取れる文だが無反応よりよほどいい。好きの反対は嫌いではなく無関心。嫌いの反対もそうだ。すくなくともグレンジャーの興味は引けたようだ。
なによりポッター。彼の感情の針は振り切れていた。僕への疑いを懐きつつ、同じように虐げられている者として同情と親しみも感じている。馬鹿げたことに僕を頼れる魔法使いだとまで言っていた。
「杖が振れなくても僕を愛してくれる?」父も兄も答えはノーだった。妹は尋ねる前に死んだ。僕の問は宙ぶらりんのまま墓場行き。
僕は好きや嫌いがよくわからない。ただ抱く感情の大きさや割合についてはわかる。ポッターの中で僕の占める割合は大きくなっていく一方だ。ただ同時に彼の感情の中で別の大きな存在があるのに気付いた。彼には家族も恋人もいないはずだ。
その疑問は今回のルシウスとの打ち合わせで解消された。にわかには信じがたいがあのシリウス・ブラックが彼の名付け親らしい。シリウスは不死鳥の騎士団の本部に潜伏しているそうで、ポッターはこのクリスマス休暇にも彼にあってるはずだった。
ルシウスはかなりの情報を僕に隠していた。開示されたぶんだけ僕の立場は上がっているのだろう。これもグリンデルバルド様々だ。彼がいなけりゃ僕は永遠に馬鹿な頭の手足に甘んじたままだった。
シリウス・ブラックは僕の間接的命の恩人だ。アンブリッジと出会えたのは彼が脱獄したおかげだから。もしかしたら兄のことを知ってるかもな。そこはどうでもいいけれど。世界は狭いものだ。
シリウス・ブラックの話を聞いて一番悪い顔をしていたのはゲラートだった。彼は僕よりよっぽど老獪なので何か策でも考えついたんだろう。
ルシウスと別れ、ホグワーツに帰る前にゲラートとレナオルドとマグルのバーで一杯やった。
「娑婆の味。ああ、ゲラートの前でそんなこと言っちゃ悪いか」
「本当の娑婆の味はファースト・フードだ」
ゲラートはやけに高そうなコートとサングラスを着ていて、ついこないだまで糞まみれで床にうずくまっていたとは思えない。成金ヤクザみたいなレナオルドといるとマフィアのドンみたいで、平々凡々な僕はその場にいるのがひどく場違いな気がした。
「ウラジーミル!そういやお前の変態性癖は治ったのか?」
「変態性癖?なんだそれ」
「何ってお前、学校じゃ殺しの一つもできないだろ。溜まってんじゃねーかって…」
「まさかお前、僕がテッド・バンディかなんかの親戚だとでも思ってる?」
「いや、チカティロだろ」
ゲラートが茶々を入れてレナオルドが笑う。僕は呆れながら酔い始めた二人を見た。
「僕は快楽殺人者なんかじゃないよ。そうせざるを得なかっただけだ」
「はいはい」
レナオルドはすっかり上機嫌で僕の三倍のスピードで酒を飲み干し去っていった。
「魔法を使いたいと思ったことは?」
ゲラートは尋ねる。レナオルドはもっと饒舌になる。
「ねえよ!いや、ごく稀にあるか?でも俺が思うに、魔法が使えないからこそこの商売はやりがいがある。俺はグラディエーターなのさ」
「剣闘士?」
「そう、命を張るなら魔法使い相手のほうが楽しい。だって魔法使いがマグルの俺にビビってんだぜ。マジウケるよな」
レナオルドの愉しみは僕も概ね同意する。
魔法使いはマグルに杖を向けることを躊躇しないが同族に向けることは極力避ける。容易に相手を殺し得る力を持っているものが互いに殺し合わないように社会を存続させるための知恵だ。
誰しもが爆弾のスイッチを持っている。その中でその爆弾を同士に向けることはすなわち秩序の崩壊を招く。魔法使いという理知的な生物はムカつく同胞をどう始末するかで悩むよりは下等なマグルのケツを蹴っ飛ばしたほうが合理的だとわかっている。
「だから俺はこの仕事を楽しんでる。魔法なしでも最高にハッピーに生きてるぜ」
「それは結構」
ゲラートはそんな秩序につばを吐いた。魔法使いは自らの殻に閉じ籠ったままその中でゆっくり衰退していく事を選んだ。消極的自殺。僕の頭の中で食事を受け付けなくなった母の痩せこけた顔が浮かぶ。
僕は当初ゲラート・グリンデルバルドに魔法をかけられ、最悪殺されることも覚悟していた。(その時はきっと死んだ家族に再会できる)もちろん勝算があったからこそ実行したのだが、不確定要素が多すぎた。
結果的に僕は賭けに勝った。ゲラートは僕を大いに気に入ってくれたらしい。彼の目指すものは僕の目指すところと概ね一致しているし、彼と僕は欠点を補い合っている。
何がヴォルデモート卿だ。
予言がなんだ?
生き残った男の子。だからなんだって言うんだ。
僕らが直面しているのはもっと漠然と目の前に立ち塞がる閉塞感で、生きれば生きるほど鬱積していく真綿のような絶望だ。
この世の大半を占めるクズ共は揃いも揃って目の前のくだらない問題がいかに深刻かを語るが、それを解決したところでまた次のどうでもいい深刻な問題を見つけるために地べたを這いずり回るのだ。
思うに、世界は少し複雑になりすぎている。個人が抱える問題はキャパシティーオーバー。溢れかえった心配事が僕らを窒息させる。もっとシンプルに生きようじゃないか。カテゴライズをやめて、価値基準をリセットしよう。
思うに、その先に本当の自由がある。
僕は姿くらましができないので近場までゲラートに付き添い姿くらましをしてもらい、そこから徒歩だ。少量でも歩いてるうちにいい具合に酒はまわるだろう。
ゲラートと二人きりになって宵の口の森の中に立ち尽くす。手探りの闇。ルーモスすら使えない僕は月明かりを頼りに前に進むしかない。
「これ以上は気づかれるかもしれないからな」
ゲラートはルーカスのものだった杖を振って僕を見送ってくれた。
「幸運を、ヴォーヴァ。寂しかったら電話しろ。あいつがいない時なら添い寝しに行ってやるから」
「ゾッとするね」