【完結】フーディーニの魔法   作:ようぐそうとほうとふ

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06.クリスティン・エンマーク

 クリスティン・エンマークは自らが置かれた窮地についてよく理解できていなかった。というのも彼女は人の心を察するのがとても不得意だったからだ。唯一理解できるのは、グリンデルバルドがヌルメンガードから脱獄したということと、施設を考案した自分がその全責任を負わされそうになっているということだった。

 

 鬱蒼とした森により隔絶された牢獄の前、大きく刻まれた『より大いなる善のために』の文字を一瞥し、エンマークは忌まわしい事件の傷跡癒えぬヌルメンガードへ入っていった。

 もともとの重々しい雰囲気を塗りつぶすように設置した自然光に近い灯りを出す白熱灯(マグルの発明。光るガラス球)はすべて粉々に砕け散り、替わりに牢獄内は青白いルーモスの光に点々と照らされていた。そのせいでヌルメンガードは本来の死の足音が聞こえてきそうな牢獄の姿を取り戻していた。

 房にはまだ囚人が閉じ込められているが、グリンデルバルドによる一連の混乱に乗じて脱獄したものが3名、流れ魔法にあたって死んだのが1名、負傷により搬送が5名と大幅に数を減らした。

 唸り声やため息が聞こえる。生温かい息がかかった気がする。薄暗闇のせいで緊張が何重にも折り重なってそこかしこに幽かな気配を感じる。

 

 嫌な場所。本当に、嫌な場所…。

 

 グリンデルバルドの脱獄を手引きしたという魔法使いは未だ顔すら割れていない。グリンデルバルドは恐るべきことに、職員の一人を手にかけた後、半世紀ぶりに握った杖で残りの職員14名の記憶を消した。

 囚人たちの記憶を集め検証しても顔を見た囚人はいない。いや、むしろ顔を見た囚人たちは病院送りにされたか脱獄したかなのだろう。堂々と門をくぐってやってきた悪党たちだ。すくなくともここには証拠は残っていないだろう。職員の使っていた守衛室は焼かれ、杖登録書も署名も何もかも焼失した。手ががりは脱獄囚たちのみだ。

 

「脱獄した連中がもし国境を超え、ドイツやリヒテンシュタイン等に身を隠した場合見つけるのはほぼ不可能でしょうな」

 

 髭面のオランウータンみたいな顔をしたエルモ・ノルドレーンが重たい瞼の向こうからエンマークをじろりと見た。ノルウェー魔法省の役人であり、フェノスカンジア共同体の地域代表でもある。ヌルメンガードの利用に関して彼を口説き落とすのにえらく苦労した。エンマークはどこか嫌らしいノルドレーンの目つきに二の腕を粟立てながら相槌を打つ。

 

「おかしいわ。連盟に加盟しているくせに…」

「ノルウェー魔法省は加盟しているがね。彼らは、フェノスカンジア共同体を統一された魔法コミュニティだと認めていない立場だ」

「スウェーデンやフィンランドに魔法使いはいないとでも思っているのかしら。我々は地質学的繋がりで共同体だけれども、まとめてノルウェー魔法省の管轄にはなりたくないわ。なぜそんな簡単なことさえ認めてくれないのかしら。ほんの少し、名前と人数が変わるだけなのに」

 ノルドレーンはエンマークの物言いに呆れた表情を浮かべ、牢獄の最上階へ続く扉を開けた。錠は取り外されているが、扉をくぐった途端なんだか閉じ込められたような閉塞感がある。真っ暗な螺旋階段は恐怖を塗りつぶすためにたっぷり夜光虫のランプがとりつけられ、満点の星空にいるように明るい。だが頭の上にいるのは見るもおぞましいものだ。

 染み付いたけものの臭いと一緒に唸り声が聞こえてくる。涎と空気が混じりあい弾ける音。耳朶を這うような生理的嫌悪を掻き立てる音。

 かつてグリンデルバルドのいた柵の向こうに、それは転がっていた。

 

「身元はわかったのですか?」

 エンマークの問いにノルドレーンが答える。

「名簿と照らし合わせた結果…ルーカス・ビャーグセンだとわかった」

「ビャーグセンですって?」

 ビャーグセンは古くから純血を貫いてきた家で、かなりの資産家だ(彼らの金はほとんどマグルの企業に投資されている。周知の事実ではあるが、国際機密保持法でマグルの市場に魔法を介在させるのは禁止されている。故に共同体は資産家ばかりの純血たちの口座を監視する必要があったが、近年は形骸化していた)

 しかもルーカスは当主、テオドル・ビャーグセンの一粒ダネのはずだ。エンマークは気が遠くなる。前々からエンマークのやることなすこと全てにケチをつけていたのはこのビャーグセンを筆頭とする純血の一派だった。

 薄暗闇のむこうのルーカス・ビャーグセンを見る。

「ビャーグセンさん。私、クリスティン・エンマークです。お久しぶり…」

 戸惑いながら声をかけるがまるで闇に吸い込まれているように返事はない。ただ汁気のある呼吸音が響くだけだ。

「明かりはないの?暗くて何も見えないわ」

「明かりがほしいならルーモスを…おすすめしないが」

 ノルドレーンの忠告を無視し、エンマークは杖を取り出しルーモスを唱えた。

「ルーモス」

 青白い淡い光が杖先に灯った。その瞬間、生温かい風が顔面に吹き込み、一瞬遅れてゲロと、汗と、サビの混じったおぞましい臭気が無防備な嗅覚を襲った。そしてほとんど同時に、杖灯りのすぐそばに真っ赤ななにかが現れた。

「ひ…」

 反射的に数歩後ずさり、杖灯りをそらした。理性がそれを拒絶する。おそらくは、ルーカス・ビャーグセンだったそれを。

 

「な…なに…、あれは、ビャ、ビャーグセンなの?」

 

 吐き気を堪えながら、柵のすぐそばでこちらを睨みつけてるであろうルーカスから目を逸らした。唾液を啜る音と荒い呼吸音が聞こえる。野生動物と向き合っているみたいだ。これが本当にビャーグセン?少なくとも前にあった時は言葉は喋れてた。あんな顔ではなかった。

 

「ああ。発狂している。させられたのかもしれんが…来たときにはもうああだった」

「こ、こんな惨いことをする必要が…」

 

 エンマークは言葉を失っていた。その様子を見てノルドレーンの嗜虐心は満足したらしい。ほくそ笑みながら柵の向こうを一瞥し、杖を振ってカーテンを出現させて隠し、滔々と語り始める。

 

「グリンデルバルドはルーカスと入れ替わり共犯者の手立てで変身したんだろう。変身術かポリジュース薬か、はたまた剥いだ顔の皮膚をかぶったのかはわからんが。そして救護されるふりをしあの扉から出た後、救護室で職員を襲い火をつけた。共犯者も同様に事情を聞くために通された守衛室に放火。橋を落とし、森に火をつけ逃亡。ここまで好き勝手やられちゃフェノスカンジア共同体としてもノルウェー魔法省としても立つ瀬がありませんな」

「…確かに…このような、事態は想定していませんでしたわ」

 ノルドレーンはせせら笑う。エンマークはカッとなってつばを撒き散らしながら怒鳴った。

「誰があんな、死にかけの老いぼれを助けに来ると思うのよ!あと数年で死ぬようなやつを…!」

「物好きはいたようだね」

「ッ……!」

 ヌルメンガードの下層部、フェノスカンジア共同体の施した監視体制は万全だった。囚人たちは職員なしでは房から絶対に出れないし、作業室やセラピールームへの移動時につけられる足枷には強力な呪いをかけてある。識別番号入りの入れ墨そのものには追跡呪文がかけられている。(今回脱獄した他の囚人たちの房からは入れ墨部分の皮膚が遺されていた)

 しかしながら、グリンデルバルドに関しては何もいじっていない。そう、これはむしろアルバス・ダンブルドアの呪いの中途半端さが招いたのだ!エンマークがそう反論しようとする前にノルドレーンはその幼稚な論を叩き潰した。

「我々はダンブルドアの構築したヌルメンガードへ至るまでの魔法防御を台無しにし、グリンデルバルドの狂信者がやりやすいように下準備したという事だよ。全く情けない話だな」

「…そ、れは…共同体の意見ですか?」

「いいや。我々ノルウェー魔法省の見解だ。つまり、我々は間違った人物に舵を取らせていたのではないかと後悔している」

 事実上の最終通告だった。つまり、彼の発言は共同体からのノルウェー魔法省の離脱を示唆している。フェノスカンジア共同体は国際社会での発言力のほとんどをノルウェー魔法省に拠っている。彼らを失えばスウェーデン、フィンランドの魔法使いは辺境のちいさなコミュニティに逆戻り。国際社会からはほとんど締め出され、またほそぼそと凍土で生きていくしかなくなる。

「か、必ず。必ず捕まえます…ですから、ですからもう少し時間を」

「ああ、我々とてこの協力関係を崩したいとは思っていないよ。問題解決に向けてどうか尽力してほしい。ミス・エンマーク。我々の顔に塗った泥をどうか忘れずにね」

 顔が熱くなった。エンマークは行き場のない怒りを込めて牢獄の汚らしい、汚物で汚れた床を睨みつけた。

 そして自分は、フェノスカンジア共同体という拠り所は、グリンデルバルドを捕まえない限り消されるのだと確信した。

 

 

 

…………

 

 夜道。獣道からふいに舗装された道に変わる。左手を見上げるといつの間にかそこには五メートル近い高さの鉄門が聳えている。

 その脇にある使用人用の扉に手をかけると、ふいに背後から男に声をかけられた。

「こんばんは」

 クリスティン・エンマークは身構える。牢獄でみた暗闇から突如現れた顔を思い出し、恐怖で足がすくんだ。勢いよく振り返ると、最悪の想像に反して線の細い、夜の森にはひどく場違いなほど平凡な男が立っていた。

「こちらになにか御用ですか」

「……ええ。ダンブルドアに用が」

「ああ。客人ですか。よかった…不審者かと思いましたよ」

 男はホッとしたような顔をしてエンマークにドアをくぐるように促す。まだ恐怖の余韻が残っていたが、男はどうやらホグワーツの関係者らしいので素直にドアをくぐった。男は敷地に入るとほんの少し襟をただし、手を差し出した。

「僕はウラジーミル・プロップです。ここで闇の魔術に対する防衛術の教師をやっています。今日は私用でたまたま外に出ていまして」

「あら…先生だったのね。私はクリスティン・エンマーク…ごめんなさい。私もあなたを不審者かと思ったのよ」

 手を握り返すと、思ったより硬い手だった。ガッチリ握られたあとに男はにっこり微笑んだ。

「お気になさらず。最近何かと物騒ですからね」

「そうなの。なにか事件があったの?」

「細かいことの積み重ねですよ。…もしかしてスウェーデンからいらした?」

「ええ、そうなの。なぜわかったの?」

「別の言語を無理して使うとどこかに独自の訛りがでます。ほんの些細なものですが、一時期通訳をしていたのでわかるんです」

 プロップと名乗った男は自然と隣を歩き、会話を繋げる。ホグワーツの敷地内、魔法で守られた土地に入った途端すっかり安心してしまった。実際エンマークは移動中ずっと脱獄囚に殺されるのではないかと戦々恐々としていたのだった。

「ダンブルドアに用事とは?」

「…それは言えないわ。兎に角急用なの」

 プロップはそれ以上聞いてこなかった。校舎の入り口をくぐると生徒が疎らに廊下で本を読んだり立ち話していた。じろっと物珍しげにエンマークを一瞥したあと、個々の世界に戻っていく。

 思ったより活気のない学校だった。理由はわからないが、生徒たちは全員なにかからコソコソ隠れているような印象を受けた。奇妙に思いつつもホグワーツ城を歩いていくうちに、歴史ある建築に見惚れてしまった。

 プロップは「ご案内しましょうか?」と尋ねる。

「いいえ…確か使いの人が…あ」

 大広間の前に、如何にもな人物が不機嫌を撒き散らしながら立っているのが見えた。

「…ミス・エンマーク?」

 セブルス・スネイプ。ダンブルドアが彼が校長室まで案内すると言っていた。伝えられていた特徴通りの真っ暗、陰気、鷲鼻。フェノスカンジアにもよくいるチクチク嫌味を言うタイプの魔法使いだった。

「プロップ先生、なぜ貴方まで?」

「帰りにばったり出くわしましてね」

「ええ。城まで話し相手になってくれて」

「では我輩が引き継ごう」

 仲が悪いのだろうか?スネイプはプロップをじろりと睨みつけ、プロップは肩をすくめてエンマークに丁寧に挨拶して立ち去った。スネイプは禄に挨拶もせずにつかつか歩きはじめ、エンマークは慌ててそれに続く。

 なにか話しかけようと思ったが横顔を見るにスネイプはそれを望んでいないようだ。ただ黙々と階段をあがり、無言のまま鷲の彫像の前までたどり着く。

『ペロペロ酸飴』

 スネイプがそう唱えると鷲の像が回転し、中に螺旋階段があらわれた。

 

「校長がお待ちだ」

 

 とだけ言って、スネイプは階段を登っていくエンマークを見送った。

 階段を上がると、小さなプラネタリウムを思わせるドーム上の天井と、棚にところ狭しと並べられた魔法道具の数々が目に飛び込んできた。小さな博物館と言ったほうがいいかもしれない。

 その奥の机のあたりから白髪でひげの長い、紫のローブを着た老人が歩み寄ってきた。

 アルバス・ダンブルドア。イギリス魔法界の英雄にして国際魔法連盟のスター。グリンデルバルドをヌルメンガードに幽閉した本人だった。

 

「話は大方聞いておる」

 

 鋭い鈍器。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。青い瞳が半月メガネの向こうから容赦なくエンマークを睨みつけている。

 

「ミス・エンマーク。儂はまた過ちを犯したようじゃのう」

「返す言葉もございません……」

 

 20年前にヌルメンガードの利用を求めた際、ダンブルドアは取り合ってくれなかった。イギリスはヴォルデモート卿の危機に直面しており、ダンブルドアは目下それと戦っていたからだ。それから6年間エンマークは手紙を送り続け、計画書を送り続けた。14年前にヴォルデモート卿が破れ、世間がお祝いモードになった中ようやく面会が叶ったときもまだ渋い顔をしていた。

 それから十年、国際社会に置き去りにされている地方魔法使いのコミュニティがどれ程魔法界から隔絶され孤独を感じているかや、フェノスカンジア共同体の活動や規模の拡大についてずっと説明と報告を繰り返し、ようやく1987年に「現状有効となっている防衛策をそのままにしておくなら」という条件でようやく許可が下りた。そして1991年、念願のフェノスカンジア共同体議長となりヌルメンガードの更生施設活動を果たしたのだ。

 議員人生すべてをかけた結果がこれなのか?

 

「ミス・エンマーク。まず『現行の防衛策に手を出さない』という約束が反故にされていたことを非常に残念に思う。そして…ルーカス・ビャーグセンについて、どうするおつもりか?」

「…ビャーグセンがあそこに居なければ、ヌルメンガードは崩れ去ります」

「そのとおり。あそこには誰か一人が必ず入っていなければならない」

「ですので」

「罪のない哀れな若者を、重傷を負い正気を失ったものをかわりにいれておく、と?」

「……そうする他、ありません。そういう魔法なのですから」

 エンマークの言葉にダンブルドアはより険しい目で睨む。

「そうか、ミス・エンマーク。貴方はどうやら人の尊厳よりもあの建物のほうが大事のようじゃの」

「そのような言い方は卑怯ではありませんか?しょうがない事です。彼を助けたいのなら、どうか力をお貸しください!グリンデルバルドを捕まえてください!」

 その名を口した瞬間、ダンブルドアの眉がピクリと動いた。

「彼を助けたいのなら?それは本心かの、クリスティン・エンマーク。残念ながらそうとは思えん。あのような出来損ないの建物は、崩れたほうが良いのじゃ」

「駄目です!あれはフェノスカンジア共同体が国際社会に囚人の人権について訴えるための…」

「それ以上聞いてられん。ミス・エンマーク。自分のしでかしたことの重大さをいまいち理解しておらんようじゃが…」

 ダンブルドアは一際険しい声で続けた。エンマークは剣幕に萎縮しきって、怯えながらダンブルドアを見上げた。ダンブルドアは不死鳥を撫でながら、ゆっくり息を吐く。

 

「ヌルメンガードから哀れなルーカス・ビャーグセンを救出し、あなたは職を辞す。話はそれからじゃ…もしグリンデルバルドがまだ生きていて、堂々と光の元を闊歩しているのならばより大きな混沌は時間の問題じゃろう。とにかく、ヌルメンガードは壊さねばならん。あなたのその夢はもうとっくに終わったのじゃ、エンマーク」

 

 エンマークは震える拳を強く握った。自分の政治家人生20年が木っ端微塵に砕かれた瞬間だった。

 なんとか、震える声で返事をした。

 

「じ…時間をください……」

「時間か。手遅れになる前によろしく頼む」

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