校長室から出てきたクリスティン・エンマークの表情と言ったら死刑宣告でも受けたかのように蒼白だった。足元も覚束ず、これから帰る宿の場所すらわからないのではないかと思うほど茫然自失状態だった。
かと言って学外まで送ってやるつもりはなかった。人が犯しうる多くの愚かな間違いについて、セブルス・スネイプはよく知っていた。彼女は驕っていたのだ。自らが踊らされているとも気付かずに。
校長室の階段を登ると、ダンブルドアは珍しく眉間を押さえながら何か物思いに耽っていた。無理もない。グリンデルバルドとダンブルドアといえば魔法史に取り上げられる魔法使いで、ライバル関係で、宿敵だった。そのグリンデルバルドの脱獄と現在最も危険な闇の魔法使いの復活が重なればいくら勇猛な魔法戦士だって参る。
闇の帝王の登場によりすっかり眩んでしまっているが、かつてはグリンデルバルドこそが帝王だった。
「全く。良くないことは立て続けに起こるのう、セブルス」
「ええ。先程のエンマークですが、校舎までプロップと歩いてきました」
「ああ…確か魔法省からの呼び出しがあったはずじゃな。事前に聞いてはいたが…ふむ」
「ヌルメンガード陥落は極秘ですが、もしエンマークの顔を知っていたら何か勘づくかもしれません」
「プロップはなかなか鋭い男じゃからの。しかし現状誰があやつの脱獄を手引きしたのか、目的はなにかもわからない。その情報が闇の帝王に渡ったところで支障はない」
「支障はない。そうでしょうか?闇の帝王とグリンデルバルドが手を組む可能性も…」
「それはあり得んじゃろう。二人の目的は似ているようで食い違う」
「ですが校長、両者とも貴方を殺したいと思っているのは間違いありません」
「…左様、わしの身の安全は確かに脅かされている。じゃが我々の方針は変わらぬ。ヴォルデモートの企みを阻止し、ハリー・ポッターを守ることが最優先じゃ。それに、グリンデルバルドの目的が若き日から変わっていないと言うならば行き先は東じゃろう」
「…ロシアですか?」
「最も可能性があるのはロシアじゃ。魔法族の独立統治機構のない国の中で最も彼の威光が残っておる」
「ロシア、と聞くと嫌でもプロップを思い出しますな」
「確かに今年に入ってから様々な場面で彼の名が影のように付いてまわるのう」
ロシアに魔法省やそれに準ずる統治機構は存在しない。旧ロシア帝国では魔法族のみの話し合いの場や国際魔法議会の代表会議など緩やかな政治はあったものの、イギリスやアメリカのように明確な法や決まりはなかった。そしてロシア革命によりその緩やかな繋がりさえも消えた。
彼らはグリンデルバルドの掲げた正義に賛同した。つまり、マグルの世界と魔法界を隔離する国際機密保持法の撤廃だ。とはいえこの強固な取り決めを堂々と横紙破りしたわけではない。彼らは魔法使いとしてではなく一党員としてソヴィエトの政治中枢へ潜り込み、マグルの権力構造の中に魔法使いの地位を築いたのだ。
彼らは「革命により瓦解した魔法コミュニティにより仕方がなくマグルに扮して生活をしている」と主張する。連邦が崩壊した今もなお。
プロップ家はソヴィエト魔法族連盟の一員だった。そして今もロシア政府に深く関与している。しかし多くの旧ロシア帝国の純血たちは同じ道を辿っているため彼の家だけ特別というわけではない。
グリンデルバルドの脱獄とプロップを繋ぐものはない。彼とつながっているのは唯一ルシウス・マルフォイとドローレス・アンブリッジのみだ。なのになぜか様々な陰謀の兆しに彼の気配を感じる。
「彼はこれまでの刺客と比べると奇妙じゃ。我々の側でもなく、ヴォルデモートに心から賛同しているわけでもない。さらに言えば魔法も使えない」
「その点が不安です。なぜ彼は魔法が使えないことを隠して、隠し切って堂々と振る舞えるのか。不気味と言ってもいい」
「とても真似出来ぬよ。…彼には彼なりの生き方があるのじゃろう。わざわざそれにケチをつけるマネはしとうない。じゃが…そうは言ってられんかもしれんのう」
ダンブルドアの言わんとしていることはわかる。プロップは駒を進めた。
「ヴォルデモートになんらかの進展があったのじゃろう。広間でのパフォーマンス、そして権威剥奪。一気に転がり込んだ生徒人気とハリー自身の信頼。非常に危険な兆候じゃ」
「…どうしてもポッターと接触しないおつもりで?」
「左様。セブルス、君が一朝一夕でハリーの信頼を掴むというのはドラゴンに読み書きを覚えさせるようなものじゃ。しかしプロップになら通じる手もあるやもしれぬ」
「確かに私は死喰い人の立場として接触しています」
セブルスはプロップに対してあまり干渉してこなかった。何度かポッターと懇意にしていることに探りという名の嫌味を言ったことはある。しかし彼は基本的に自分の仕事を他人に話すことはないらしい。「何事も全て順調ですよ」としか言われなかった。
「セブルス、プロップは本当に死喰い人に協力していると思うか」
「…予言の奪取のためにポッターの信用を得ようとしているのは確かです。ですが彼の担う役割が重すぎる。これが気になります。ルシウス・マルフォイは慎重です。仲間でもない人間に重要な仕事を与えるとは思えない」
「それはわしも疑問に思っておる。二人の関係性に何らかの変化があったのやもしれぬ。…どちらにせよ我々にとって良くない変化じゃ」
要するに、何もかも暗雲の中でも進むしかない。いつもそうだった。これからも。
その男はやはり平然と朝食の席に着き、日刊予言者新聞に載ったパーシー・ウィーズリーの尋問官昇格の報せを読んでいた。
「…ずいぶんと」
と、セブルスが話しかけるとプロップはギョッとした顔をして振り向く。セブルスはそれにいささか不快感をいだきつつも言葉を続けた。
「随分と貴方と取り上げられ方が違うようだ。ニューエイジ、ウィーズリー尋問官」
「ああ。そうですね。写真映りもいい」
「日刊予言者新聞に仲の悪い魔法使いでも?」
「さあどうでしょうね。酷い振り方をした魔女ならいますが…」
プロップはページを捲り、自分の名前が載っている記事を探した。しかし見つからなかったようでそのまま新聞を畳んだ。
「僕は名前も顔も目を引かないんです。取り上げても売上に貢献しないと思ったのでしょう」
確かに魔法省としても、次官肝いりの役人がポッターの嘘を認めた狂人の仲間入りした事は報じたくないだろう。プロップ本人は飄々としているが、今までの地位を守るためにルシウスに与した男がその地位を捨ててなおその態度をとっているというのはやはりあまりにも不自然で疑わしかった。
「何故ポッターの主張を今になって認めたのです?」
「貴方の友人がそうさせたのです。…まさかご存知なかった?」
と言ってプロップは挑発的に笑う。フォークに刺さったマカロニを口にかきこむと席を立ち、それでは。と言い残し去っていく。セブルスを避けているかのようだった。
降格以降、彼の周りに生徒がたかっている光景をよく見かけるようになった。それを見てパーシー・ウィーズリーがやってくると、生徒たちは皆添削済みのレポートを持って「課題についての質問をしています」と答えて彼を撃退していた。生徒たちはいたずらっぽい笑みを浮かべ、プロップは共犯者のように微笑む。
パーシー・ウィーズリーとプロップの関係はあれ以降目に見えて悪化していた。もちろん目に見えていることは全てではない。彼らの敵対関係はかなりきな臭い。少なくとも教員として見る限り、ウィーズリーは心からプロップに好意を寄せており、プロップはウィーズリーを支配している共生関係だった。
その衡があれだけの衝突で外れるものだろうか?
この胡散臭いウィーズリーvsプロップの構図はいかにも生徒達好みすぎる。
「スネイプ先生」
魔法薬学の授業後、ドラコが沈んだ声で話しかけてきた。
「質問があるのですが放課後よろしいでしょうか?」
彼の質問がプロップに関してである事は疑いようが無かった。
「先生…父上は一体何をしようとしているのでしょうか」
ドラコの第一声はこうだ。
「父上はプロップに脅されているんです」
「ドラコ、落ち着け。まずなぜそう思ったかを話したまえ」
スプラウトやフリットウィックならここで茶の一つでも出すだろうがあいにくセブルスはそのような社交性は持ち合わせていなかった。しかしドラコの感じているプロップへの恐怖心はたいへん興味深い。
「あいつが、クリスマス休暇が終わる直前に家に来たんです。その日父上は怯えていました」
「怯えていた?」
「ええ。父上が与えられた任務でなにか弱みを握られたんです。きっと…でも父上は何もお話しにならない。先生ならご存知でしょう?父上は危険な任務についているのですか?」
なるほどダンブルドアの推論通り二人の関係性は変化していたらしい。しかし魔法の使えないプロップがイニシアチブを取れるのだろうか?弱みを握られたならばその場ですぐに魔法により処置してしまえばいい。それをしなかったのはなぜだろう。
「ドラコ、我々に与えられる任務は常に危険だ。ましてや筆頭のルシウスの任務は責任もまた重大だ。あの方の心臓すら握っているかもしれん。君のお父上が重圧にやられるのも無理はない」
「違う、そういう態度じゃなかった」
「ではどういう?」
「あれは…」
ドラコは言葉に詰まった。
「怖がっている、のも違う。なんだろう。大きな賭けをしているような…」
賭け。あのルシウスが?
「…先生は、感じませんか?」
「何を」
「気味の悪さを」
気付けば足元に何もなかった。そんな気味の悪さを?冗談じゃない。
「僕はあいつを見ていたくない。けれども父上がもしあいつになにか脅されているのだったら助けになりたい。…先生、あいつは本当に僕たちの味方なんですか?」
それは今まさにセブルス自身も悩んでいることだ。いや、このドラコの様子からしてプロップはプロップで何かを企んでいることは殆ど間違いなさそうだった。
「……」
真実薬でも飲ませて洗いざらい吐いてもらおうか?長年魔法使いのふりをしてきた男がそんな罠にかかるはずもないが。そして何より…発覚した際にどのような弁明をするべきか。真実薬による自供は魔法法執行部の認可なしでは効力を持たない。死喰い人の会議の場ではルシウスの顔に泥を塗ることになる。しがらみがやつの寿命を伸ばしている。
「我輩が判断することではない。しかし君の不安ももっともだ。奴の動向は我輩もしっかり監視しておこう」
この言葉に彼が安心するとは思わなかった。だが、いても立ってもいられない気持ちはいくらか晴れただろう。落ち着いた表情で寮に帰せた。
死喰い人たちは今、セブルスの知る限り二派にわかれている。ルシウスら純血の中でも歴史が古く金を持つものと、魔法省勤めのかつて親族の誰かが投獄されたものたち。両者は以前より対立していた。自分を含めてアズカバン行きを免れたものたちはみな仲間の情報を売っている。つまり、そういう事だ。
ルシウスの予言の奪取は今晩実行されるアズカバン破りの補佐よりもよっぽど困難だ。そういう意味ではルシウスに同情を禁じ得ない。
プロップがポッターの心を支配するつもりなのだとしたら、自分はなるべくそれを阻止せねばならない。だとしたら出来ることは限られてくる。
魔法薬学の授業でポッターに課した罰はセブルス自身も不当だと思った。しかし、プロップの研究室に入り浸るのをやめさせるには罰則を与え拘束することしか思い浮かばなかった。
自分の不器用さは時折うんざりする。ポッターはアズカバンの集団脱獄のせいか、やけに気が立っていた。プロップとその件で話したかったのだろうか。 ポッターの単純さには呆れを通り越して哀れみが湧いてくる。なぜそう簡単に人を信じることができるのか。なぜあのバカバカしい演技に騙されるのだろう。子どもとはそこまで愚かなのだろうか?
そう、若さはありとあらゆる間違いを引き起こす。
15の時の最も愚かな間違いが脳裏によぎった。最悪の記憶が。
「鍋のくすみが取れないようならばもう一月罰則を追加せねばならんな」
磨きたての大鍋の山越しに自分を睨め付ける緑の瞳はリリー・エバンズそっくりだった。彼女の賢さが全く受け継がれていないことは最大の悲劇と言っていい。
父親譲りの短絡な思考がどれほどプロップに侵されているのだろうか。自分に知るすべも無いのがもどかしかった。
「ついに来ましたね…」
ポッターの罰則の翌日、土曜の朝だった。シビル・トレローニーが停職になり、城を追い出されそうになったところをダンブルドアが救った。
それを見ていたフリットウィックは悩ましげに言った。たまたまそばにいたチャリティ・バーベッジは顔面蒼白になりながら「次は私だわ」と呟いた。
騒ぎの中心のパーシー・ウィーズリーを見つめる100を超える瞳。その中にプロップも居た。
「あなたの指示で?」
セブルスの言葉にプロップは「まさか」と答えた。
「うちのアンブリッジの指示でしょうね。彼女、占いとか嫌いなんですよ」
「ならば次はやはりバーベッジ?」
「いいえ、十中八九ハグリッドでしょうね」
「それは少し愉快だ」
プロップの言葉通り、次はルビウス・ハグリッドだった。停職後の代理はそれぞれケンタウルスのフィレンツェとグラブリー=プランクだった。両者ともダンブルドアの指名であり、ウィーズリーは初日こそ快諾していたものの翌日、フィレンツェの採用に猛抗議した。おそらく上から怒鳴られたのだろう。(それを見ていたプロップは「いやあ。降格されてよかったよ」と笑いながら言っていた。)
そして週が開け水曜日になってから、再びクリスティン・エンマークがホグワーツへ訪れた。
彼女はすべてを失う覚悟を決めたらしかった。
「ではセブルス、くれぐれも学内のことをよろしく頼む」
近々世論は混乱するだろう。ヌルメンガードの脱獄と、アズカバンの脱獄。これらとヴォルデモートを関連付けるやつは必ず出てくる。(それも大勢だ)
だとしたら結局、ポッターの主張を認めたプロップは正しかったとされるのだ。
絡まりあった事態の中で一人勝ちするウラジーミル・プロップ。すべての糸が彼に繋がっているような気がして、ひどく気分が悪かった。
魔法界事情についてはウィキやポッターモアを参照しつつ勝手に想像しているものです。公式ではありませんのでご注意ください。