【完結】フーディーニの魔法   作:ようぐそうとほうとふ

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07.時間①

 いつもはゆっくり時計の針が進む聖マンゴ病院特別病棟。ただし今日だけはすべてが慌ただしかった。

 まず、私…ジェーン・シンガーの勤める聖マンゴ病院特別病棟は、主に不可逆性の損傷を受けた患者の……ううん、こんな言い方じゃ回りくど過ぎる。要するに、もう手遅れでもとに戻らない人たちの病棟だ。

 例のあの人に拷問を受けて完全に頭がおかしくなった人だとか、忘却術が逆噴射しちゃった人だとか、頭をほとんど植物に乗っ取られた人だとか、そういう人たち。

 悲しいのは、魔法があれば肉体的な損傷はほとんど元通りにできるってこと。患者さんの家族は、そのどうしようもない欠落をむりやり覆い隠されたせいで余計にその欠落がいかに致命的かを突きつけられる。そして、いつの間にか見舞いには誰も来なくなる。

 ここはまるで宝箱みたいだ、とブルック兄さんは言った。

 

「あるのは宝じゃなくて、しまって忘れられたガラクタばっかだけどな」

 

 患者さんの前で言うもんだから引っ叩いてやったけど、この上なく的確だと思ってしまった。それに、兄さんの心無い言葉は患者さんの誰の耳にも届いてなかった。

 私みたいなほとんど杖の使えない落第生が曲がりなりにも看護助手なんて仕事につけるのは、彼らがモノ同然なおかげ。ここで必要なのは忍耐力と、鈍感さと、そういう物悲しさを割り切れるある種の冷徹さだけだ。

 

 そんな、浮世からさらにまた浮いた場所に、急患が担ぎ込まれてきた。

 極秘だと言われた。極秘ならもっとプロフェッショナルに任せるべきでは?と進言にもかかわらず、私はその急患の担当になった。理由は、魔法が下手だから。

 つまり殺そうと思っても殺す手段がないだろうという、簡単な理由だった。誰もペットの犬が寝首をかかないか心配しないのと同じだった。

 なんじゃそりゃーと思ったけど、それが理由で好かれることは意外と多かった。無力であることを開示する代わりに得られる他者からの信頼は、私がその場で残飯をケーキに変えたりしない限り揺るがないだろう。

 

ーようするに、舐められてるのだ。

 

 だからといって、怒りは湧いてこないけど。

 そもそも怒りを燃やせるほど生活に余裕はなかった。思うに、中途半端に満たされてるのが諸悪の根源なのだ。いつ貧困のどん底におちても不思議じゃない状態ならば、茶葉の模様に一喜一憂する暇なんてない。

 

ーそういえば、ここ数年茶葉で紅茶を飲んでいない

 

 だからといって、死ぬことはないけど。生活に余裕がないからね…。

 なんだかこうやって程々の諦めを繰り返していくうちにお婆ちゃんになっちゃいそうで嫌だな。そう思いつつ、日常はどうやったってやりたくない些事まみれで消費されていく。急患の担当は刺激のない毎日にとってはいい刺激かもしれない、とポジティブに捉えることにする。

 

 まず、私は誓わされた。

 

「私、ジェーン・ペトラ・シンガーはこの患者の情報をいかなる者にも漏らさないと誓います」

 

 後に致命的なことと知るのだが、どうやらこの誓は破れぬ誓いと言うらしかった。そして通されたのは痩せこけた少年のベッドだった。見覚えのあるその患者の名前を、口にするのは恐ろしかった。

 

 

 

……

 

 

「酷くやられたな」

 分かってることをいちいち言うなよ。と文句垂れたいのは山々だったが、治療してもらってる身なので治療者の機嫌を損ねることはしたくなかった。僕の傷は諸般の事情によりグリンデルバルド先生による外科治療と相成った。闇癒者の協力者は用意していなかった。

 とはいえ、実際魔法界において外科的治療は殆どのご家庭で容易に行えるたぐいのもので、呪文や謎の薬物による疾患よりもマシなのは間違いない。傷口から泥やゴミを取っ払い、傷の具合を見つつハナハッカを塗るだけだ。

 ゆっくりと時間をかければ綺麗に治る…とはいえ、僕にはゆっくりしている時間もなかった。ゲラートはハナハッカを塗りつつ、呪文をかけてどんどん傷口を癒やしていく。

 杖は、先程手に入れたダンブルドアの杖ではなくていつも使ってるなんの変哲もないオークの杖だった。

「おニューのは使わないのか」

「ああ。使えないだろ、あいつの手から奪ったとはいえ俺のものになったわけじゃない」

「ふうん」

「まあとにかく、この杖がダンブルドアの手元にないってことが重要なのさ」

「特別な杖なのか?」

「まあね」

 ゲラートはそれ以上話してくれなかった。

 

「明日は魔法省に行くな。理由を聞かれる」

「バカ言え、明日休んだらいかにもだろう。それにどうせ執務室にこもりきりなんだ。問題ない」

 

 結果的に、僕は助手に使っている、ホグワーツを卒業したてで僕のシンパだった学生に心配されただけですんだ。

 

 僕の腕をミンチにしかけたくそったれの犬について、歯型からネクラースはいくつか筋をあたってみると言って音信不通になった。彼は魔法生物に関して信頼が置けるが、動物もどきについてはわからなかった。

 とにかく、僕が犯人であるとわかってて噛み付いて、喧嘩を売ったやつがいることは間違いない。正直言っていつ闇討ちされるか気がきでなかった。だがそこで日和ってるようじゃ、これから僕とゲラートとで成そうとしている大事業は成功の見込みはない。

 これはもう魔法使いには決して理解できない感情だとはわかっているが、僕は魔法省のリノリウムを踏み鳴らす山高帽のすべてが剥き身のナイフみたいに鋭く、そして恐ろしく感じる。僕が悪事を働いてると知ってる誰かが、黒いマントの人混みからふらりと現れ、僕に緑の閃光を浴びせる。

 

 十分あり得るだろ。

 

 一皮むけば僕は悲しいほど無力で、弱くて、惨めな存在だと必死で隠している、ただの中年だ。若さゆえの万能感も肯定感もなく、きっと一生強者の慈悲に縋っていくしかない。

 魔法使いがマグルに対してどれだけ残酷になれるかは、数多の死喰い人、遡れば魔法族全体が示していた。彼らの歴史は表面こそ穏和で、賢く、調和に満ちているが、少し読み込めば、一行前に登場したマグルはうさぎのパイになっている。

 

「成功…と言っていいのか?」

 と、ルシウス・マルフォイはせせら笑うように、僕の袖口から覗く包帯を一瞥してから言った。

「ファッジから聞いてないのか」

「ああ勿論、私は彼の相談役と言っていいほど信頼されているから」

 わざわざ嫌味を言ってくるあたり、死喰い人の中での仲良しグループ闘争で一時的な勝利をつかめたらしい。わかりやすくてなによりだ。その勝利は杖改め委員会のそれなりのポストとの交換で、長続きしないことを本人もわかっていた。ルシウス・マルフォイは達成された欲望の賞味期限についてよく知っていた。

「僕が犯人だと確信したやつがひとりいる。動物もどきだ。おそらく未登録の」

「何?」

 ルシウスの表情は語調とは裏腹に変化がなかった。心当たりがあるんだろう。だがそれをジョーカーを切り終えたばかりの人間に対して尋ねるのはあまりに愚直だ。僕という札はそれなりの価値を持つ。情報の代償にふっかけられるに違いない。

「騎士団のメンバーなら問題ない。闇祓いだったら厄介だが…未登録ということはまず名乗り出られないだろう。一つ知っておいてほしいのは、ポッターはもう僕らの手元にないということだけだ」

「ああ、それはもう十分わかっている。それで、君はどうする?外国にでも逃げるのかね」

「ああ…それもいいかもしれない」

 嫌味を素直に肯定されて、ルシウスは面食らっていた。だが事実、僕は外国に行く理由が山ほどあった。

 

 魔法を使う人間は、概ね自らを他の生物より優れてると感じる。故に、『我々より知性の劣る』ものを保護しようというナルシズムに陥るらしい。(余談だが、マグルがイルカを殺すのを躊躇ってると聞いたときは笑ってしまった)

 しかしながらマグルに関してはそれは驕りであり、見当違いの気遣いだった。魔法使いはもっと早いうちにマグルを虐殺すべきだった。類人猿のときマグルがそうしたように。だが、もうそれも手遅れだ。

 僕は意外にも、まだ生きている。襲撃者はいつまでたってもやってこなかった。あれは本当に野犬だったんじゃないかと思い始めたとき、ネクラースの手紙をくくりつけたコウモリが僕が泊まっているマグルの安ホテルの窓に激突した。

 

 僕の心配事はネクラースのおかげでずいぶん楽になった。ルシウスに媚びへつらう必要もゲラートに泣きつく必要も消えて本当に安心した。

 気づかなくて本当に間抜けだが、実のところ、僕は毎日あの忌まわしい黒い犬につけまわされていたらしい。

「執念深さには感服するが、賢いとは思えん」

 と、ネクラースは言った。ネクラースは犬の写真とその犬をみかけた場所を示した地図を僕に渡した。

「あとは好きなように。ここからは有料だ」

 動物を、生き物を殺すことにかけてはネクラースはプロだ。処刑執行人ワルデン・マクネアなんか目じゃない。

「いくらだ」

「もどきだからな。700」

「なるほど、考えさせてくれ」

 ネクラースは確かに仲間だが、僕らの関係は予想される利益の額とほんの少しの夢で支えられたものであり、リスクとリターンについては別勘定だ。

 明確な値段を提示するということは、おそらくは人間の姿も捉え、さらには身元も住所も特定しているのだろう。だが僕の貯金はすっからかんで、僕はここに来て金に困るというしょうもない事態に陥っていた。

 そういう時はレナオルドの元へ行くのが常だった。

 レナオルドは勘定を人生にしていただけあって話が早い。だが700ガリオンの付加価値を彼に提示するのは困難だった。というのも彼はすでに僕にかなりの協力をしてくれていたからだ。

「ああ、あの犬か」

 レナオルドは事務所でそろばん(東洋の計算機)を弾きながら、絶えず飛んでくる紙飛行機を時々はたき落としていた。

「ネクラースに任せるが吉だが、こっちも好景気とはいかなくてね。死喰い人が暴れるもんだからどの店も支払いが滞ってる。儲かってるのはWWWって店だけだ」

「じゃあ単純に金がないわけか」

「まあね。ネクラースはそこまで考えちゃいないが、俺があんたに協力するのはある種の投資だし、あんたの命の危機を救わなきゃ回収できない」

「…しょうがない。いい話が出てきたらまた来るよ」

「本当にやばくなったら言えよ。最悪俺の方でなんとかする」

「ありがとう」

 レナオルドに汚れ仕事をさせるのは得策ではない。彼がやがて演じるであろう役はできるだけ潔癖であることが求められる。ともあれ、僕はお手上げだった。

 

「そういうときは、目の前の仕事に集中することだ。なんもかも忘れるくらい」

 

 レナオルドの助言は的確だった。目の前のことに焦点を合わせれば、背後に広がる不安事項はボヤけてく。黒犬の襲撃を避けるため、僕は毎日マグルですし詰めの地下鉄をくぐり、魔法使い用の偽装された入り口(最悪なことに駅のトイレ)を使うことにした。

 右も左も人間の吐息で生温かいが、突然野犬に腕を食いちぎられる危険は薄まった。

 さて、では彼の助言どおりに目の前のことに集中しよう。雑務はいつだってデスクに山をなしている。

 

……

 

 移動キーで消えたハリーをさらった人物の行方は巧妙に隠されていて、闇祓い数名を割いてるにもかかわらず未だ痕跡すら見つけられない。それどころか、マグルの交通機関での目撃情報すら集められない始末だった。マグルたちの監視はほとんど『カメラ』に入れ替わっていて、乗客一人一人の記憶を覗き犯人を探し出すのは砂漠でガラスの粒を見つけるようなものだった。

 何も書かれてないに等しい日報に目を通し、闇祓い局長スクリムジョールは、ぎゅっとシワの寄った眉間をゆっくりほぐした。

 

 何よりこの件で不愉快なのは、闇祓い局は騎士団の独断専行で行われた作戦の後始末をさせられているにすぎないということだった。

 スクリムジョールは騎士団に対して私情を挟まず公正に接してきたし、法のみでは立ち向かえない困難に対する重要な功績の数々に惜しみない称賛を送った。騎士団も闇祓い局へは敬意を持って接していた。メンバーの殆どが被っているというのもあり、関係は良好だった。

 しかしながらグリンデルバルド脱獄からハリー・ポッター失踪にかけて騎士団は動きを完全に地下にうつし、今まで最低限あった局長、スクリムジョールへの報告すら途絶えた。

 魔法省内に敵対勢力のスパイがいるのは確実であり、それは闇祓い局とて例外ではない。現状は痛いほど理解している。しかしながら、杖改法施行を始めとした大掛かりな事業や増加する犯罪もまた重大な危機であり、放置すれば膿む傷のように事態は時間を経るごとに悪化していく。

 最近、ファッジがマグル首相担当を新設し、魔法法執行部の人間を割り当てた。また杖改法に伴い臨時の人員を大量採用したせいで出入り口のガード魔ンはトラブル続き。現在の魔法省のセキュリティはその気になればアズカバン脱獄囚も紛れ込めるほどだった。

 それに死喰い人が絡んでいる確証はなかったが、この混乱は誰かが意図して起こしたものだという直感はあった。

 だとすれば考えられるのは…。

 

 スクリムジョールは紙束をおいて立ち上がった。すでに局長会議の時間だった。

 

 局長会議は事態が際限なく悪化し、各局ごとにどんどん状況が変わっていくのを少しでも共有するために設けられた。スクリムジョールを初めとする実務的な人間はこの会議を時間の無駄だと思っているが、魔法法執行部や国際魔法協力部あたりはグリンデルバルドがらみで共有事項が多く、随分ためになっているようだった。

 この日の会議は珍しく魔法生物規制管理部からも、保護区の生物の脱走についての報告があった。さらに国際魔法協力部からも巨人族の動きについての報告が上がり、事態は水面下で動き続けていると実感させられる。

 闇祓い局からももちろん重要な報告があった。

 

「まだ大臣しかご存知ありませんが…ハリー・ポッターが生還しました」

 

 報告に場の空気に緊張が走った。ヒソヒソ声が部屋の中を駆け巡り、たっぷり30秒黙ってから続きを報告する。

「衰弱してはいるものの目立った怪我も、呪文損傷もありません。ただしハリー・ポッター自身はダンブルドア以外への供述を拒んでいます」

「なんと生意気な!」

 と声を上げるのはファッジ派の魔法使いだ。(確かスポーツ部の課長だかなんだか。今日はクィディッチの準決勝だ。きっと貧乏くじを引いたんだ。)

「ポッターは今どこに。安全なのですか?」

「それは警備の都合上お伝えできません。勿論警備には万全を期しております」

「報道へ会見する予定は?」

 と尋ねるのは魔法法執行部の代表が連れてきた痩身の男で、枯れ草色の髪がやけにくたびれた印象をだしていた。包帯の巻かれた手を少し挙げ、こちらをまっすぐ見ていた。

「ない。彼が無事ホグワーツへ戻されるまでは」

「ホグワーツへ?」

 魔法事故惨事部のロウルがいささか驚いたように言う。

「いやそれが正解だよ。ホグワーツが現状最も安全でしょう?」

 と、運輸部がとぼけた声で言う。スクリムジョールの同意にファッジ派の魔法使いが次々と反論を唱える。

 議題はいつの間にかダンブルドアの陰謀論へ掏り替わり、会議は井戸端会議へ移行した。時間がどんどん無駄に過ぎていく。

 いつの間にか司会進行は先程挙手したくたびれた顔の男にかわり、場はどんどん加熱していった。ダンブルドアとグリンデルバルドの共謀、例のあの人復活論は小鬼が流したデマ。等々、口から出る言葉がゴシップ誌のような安っぽいものになったころ、場の空気はやや白け、スクリムジョールの号令で会議は終わった。

 

「全く、この会議のあとはいつも無駄に疲れる…」

 ロウルが会議後珍しく話しかけてきた。彼もまた四六時中事件が起こる職場にいるせいか、無駄な会議というものの愚かしさについては似たような感想を持っているはずだ。

「意味があるのかわかりませんな。誰が言い出したんだか、結局最後は噂話だ」

「確かに、情報の9割は屑だがね」

「ハリー・ポッターは本当に、何も証言してないんですか?」

「ああ。我々には何も。近々ダンブルドアが面会に来るそうだから、きっとそのときになにか話すだろう。もっともダンブルドアが我々にそれを報告するかどうかはわからんが…」

 ロウルは大きくため息をついた。

「我々役人は損ですよねえ」

「まったくそのとおりだ」

 

 

 


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