「ユニコーンの毛、アカシア材…30センチ。たおやかな曲線。貴方の産まれるより前から店に眠っていたものです」
オリバンダーはダンブルドアの手に収まった深い赤みの杖を愛おしげに言った。その杖はオリバンダーの手によるものではなく、彼の父が晩年、最後に作った杖だった。
アカシアの木材は扱える魔法使いが少ない。さらにこの杖に限って言えば作り手の最後の情熱が注がれているせいか、これまで百年近く誰も選ぶことがなかった。
ダンブルドアの杖はハリー・ポッターと引き換えに奪われた。その事実を知るものは騎士団とオリバンダー、ウラジーミル・プロップに通じる者のみだった。
「よりによって老い先短い年寄を選ぶとはのう」
「いえ、あなたと出会うのをずっと待っていたのです」
杖と魔法使いは比翼の鳥のようなものだ。父親の遺作はようやっと自身に見合った片翼を見つけられた。それも偉大な。ダンブルドアが杖を再び取り戻すまでの繋だとしても、ずっと棚の奥に仕舞われているよりよっぽどいい。
それにしても、とオリバンダーは考える。
何故敵は杖を奪うなんて半端なことを?
勿論杖は魔法使いの生命線だ。だがその気になればこうしてすぐに合う杖をみつけられるし、合わなくても無理やり魔法を行使することはできる。杖の剥奪はいわば一時的な無力化に過ぎない。本当にダンブルドアを殺したいなら、杖作りの自分もまとめて殺すべきなのだ。
それだけで敵は闇の帝王でないとわかる。だとすれば…
頭のなかにあの白髪の、骸骨のような男の顔が浮かんだ。グリンデルバルド。今の子供にとっては昔話の悪役だが、オリバンダーにとっては未だ鮮烈で生々しい傷跡のようなものだった。
ダンブルドアはミネルバ・マクゴナガルにオリバンダーを送らせる。入れ替わりで入室したのは、いつもどおり、渋い顔をしたセブルス・スネイプだった。
「それで、ポッターは?」
「良くない。と言っても、体はすぐに回復するじゃろう」
「では精神が?」
「いいや、発狂しているわけでも洗脳されているわけでもない。ただ些か秘密主義になったようでの。儂に全てを話してくれたわけではないようじゃ」
「プロップになにかされたと考えるのが妥当では?」
ダンブルドアは悩ましげに半月眼鏡をはずし、薄いブルーの布で拭いた。こんな仕草は稀だった。
「聖マンゴの癒者がハリーを洗いざらい調べた。服従の呪文の二重検査まで施した。それでも呪文の形跡がない」
…服従の呪文二重検査とは…
本来服従の呪文はいかなる場合においても違法だが、極めて重要かつ緊急性を要する事態のみ認められた特例措置である。闇祓いの資格を有する者2名と癒療従事者1名の立会のもと行われる。服従の呪文にかかった疑いのある者に再び術をかける検査。服従の呪文は二重にかかることはない。被験者が激しい拒絶反応を示した場合、服従が立証される。そのまま服従した場合、呪文行使者は立会人の指示により速やかに術を解き、呪文後遺症の検査後二週間のカウンセリングが行われる。
「グレンジャーやウィーズリーにならばあるいは話したかもしれん。じゃが残念ながら、儂は彼の信頼を大きく損なったようじゃ…」
ダンブルドアがハリーとの面会に漕ぎ着くまで、かなりの時間がかかった。検査や治療に時間がかかったのももちろんだがファッジが申請書にサインするのをギリギリまで渋ったせいもある。
病室の扉を開けたとき、ハリーは本を読んでいた。テーブルには六年生用の教科書が積み上がっていて、ダンブルドアは心を痛めた。もう学校ではハロウィンの準備をしている。
「ハリー」
声をかけてやっとハリーはダンブルドアに気付き、教科書を閉じた。
「ダンブルドア先生…」
「ようやく会えたのう」
ハリーは顔を顰めた。彼の抱いてる不満はわかる。ここまで救出が遅れたこと、面会が遅れたこと。様々な自体がこんがらがった結果とはいえ、当の本人にはそんな事情は関係ない。
「まず君に謝らねばならない。すぐに助け出すことができなくて本当にすまない」
「…いえ、事情はわかってます」
「この場所にはいかなる魔法もかかっていない。盗聴の心配はない。君は今まで誰にも犯人について供述しなかった。わしには教えてくれるじゃろうか」
「ええ、先生。僕はあなたにしか話さないと決めてました」
ハリーの言い草は些か奇妙だった。まるで魔法省への反感や騎士団への好意といった面で決定したのではなく、理性的な判断により決めたような口ぶりだった。今までのハリーには見られない判断基準だ。
「僕を誘拐したのは死喰い人でも魔法省でもありません。プロップ先生です」
「ああ、そうじゃろうと思ってた」
「そうだと思ってた、ですって?」
ダンブルドアは自分がハリーの地雷を踏み抜いたことを悟った。
「去年は不干渉を貫いて、誘拐されて何ヶ月も放っておいたのも全部知ってたからですか?ヴォルデモートが暴れ、プロップが暗躍してるのも全部あなたの計画のうち?冗談じゃない!」
癇癪を起こした子どもの扱いは苦手だった。正解はほとんど【静観】である。嵐が過ぎ去るのを待つ他ない。
「先生は何を考えてるんですか」
「ハリー。君が怒るのも当然じゃ。今からわしは、君にすべてを話す気でいる。どうか落ち着いて聞いてほしい」
「…ポッターにどこまで話したのです?」
「わしの把握している情勢じゃ。ヴォルデモートとプロップは緩やかな連合を組んでいること。ハリーの命が彼らの交渉材料になっており、命と引き換えにわしは杖を失ったこと。プロップはわしを消耗させることで、この三つ巴ができる限り長くもつれることを期待していること」
「そこまで話して…大丈夫なのですか?彼はまだ未成年なのですよ」
「勿論…だがそうは言ってられん。ハリーがこちらへ全幅の信頼を置くには曝け出さねばならん」
「……」
セブルスは苦々しい顔をする。彼とて、ダンブルドアの命令で一切の手出しを禁止されていた。せいぜい死喰い人側の立場から安否を聞き出すくらいしか。彼がそれで納得していたのは、彼が大人だからだ。
「プロップはヴォルデモートを脅威に思っているとハリーは言った。もしかしたら共闘も…とまで。彼がプロップに対して、誘拐被害者であるにも関わらず信頼を寄せているのは驚愕じゃった」
「たしかに昨年度は懐いていたようですが…」
「ハリーがプロップ側に寝返るようなことはないじゃろう。これ以上彼と接触させなければ。ただ彼はハリーの心になにか芽を植え付けたような気がしてならんよ」
「…ポッターは危険思想に染まった、と」
「そうとはいっておらぬ」
ハリーはきっと真っ当なままで、勇敢で、仲間思いで、今まで通りまっすぐ運命に立ち向かうだろう。ただしプロップが彼の向かうべき運命をこっそり書き換えているかもしれなかった。
病室で、ダンブルドアはハリーに訴えかけた。
「プロップがヴォルデモートの打倒を目指すのは当然じゃ。なぜなら彼の背後にはグリンデルバルドがいる。自分より強い闇の魔法使いがいるのをグリンデルバルドは許さんじゃろう…」
グリンデルバルドの話を持ち出すときのダンブルドアは遠くを見るような瞳をしている。ハリーはそれに気づいている。
「グリンデルバルドの目指す未来も、ヴォルデモートの目指す未来も、力に溺れた歪な世界じゃ。我々は三つ巴のさなかにいるのじゃ」
「わかっています。…どっちにしろ標的は僕なんでしょう。ずっとここに閉じ込めますか」
「まさか、そんなことはしない。君はクリスマス明けに学校へ帰れる」
「…ほんとうですか?」
「そうとも。君の無事はもうミスグレンジャー、ミスターウィーズリーには伝わっておる。騎士団にもじゃ。一度、騎士団本部によってから行くと良い。みなも喜ぶじゃろう」
ハリーはやっと嬉しそうな顔をした。むりやり彼の喜ぶ話題にしたとはいえ、ダンブルドアはほっとする。
「それまでどうか、ここで療養しておくれ」
「……わかりました」
けたたましくノックされた。面会時間はちょうど終了のようだった。
「では、ハリー…お大事に」
感じのいいナースが入れ違いで出ていくダンブルドアに会釈し、ハリーに食事を運んでった。こうして面会は終わった。
「今は新聞もラジオも、真実らしきものしか伝えておらん。魔法界は今気付かんうちに混沌へ突き進んでいる」
リウェイン・シャフィックは魔法省発表の法案を民衆にわかりやすく噛み砕く広報役になっている。 毎日マグルが殺されてるのに、マグル間の事故として処理されている。役人が、週に五人入れ替わってる。誰もそれに違和感を持たない。
人事が流動していく。昨日までの上司がいない。毎日法令が作られる。守る暇もなく、廃止される。どんどん歯車が噛み合わなくなっていく。
その全てがウラジーミル・プロップとその裏に控えるグリンデルバルドの謀略だとしたら、次に起こるのは魔法省の乗っ取りだ。ファッジを完全に操るか、それとも別の誰かを立てるか。
難しい話ではないのかもしれない。死喰い人側と組んでるのならば、もう魔法省の半数の票は握っているも同然だ。
ヴォルデモートの狙いがダンブルドアとハリーの殺害、そして虐殺という至ってシンプルなものなのに反して、グリンデルバルドは違う。
政権奪取がかなったら、ついに彼の悲願、国際魔法使い連盟機密保持法の撤廃へと動き出す。そうなればもう、戦争だ。英国魔法界だけではない、世界を巻き込んだ…ひょっとしたらマグルも巻き込んだものになる。
「ブラックのことは?」
「…まだじゃ」
ダンブルドアはシリウスの行方のことも、新しい教師のことも、結局ハリーに何も告白できていなかった。彼の癇癪が、動揺が…気持ちが離れていくことが怖かった。何かを失うことにこれ程まで躊躇うことがあっただろうか?老いとは抗い難いものらしい。いくら知恵で武装しても、身体の中から怖れで食い荒らしていく。
若かりし日、二人で話した理想の世界について。
若さゆえの過ちを、無謀を、彼はずっと持ち続けて、まだ挑戦している。
ダンブルドアの胸に満ちるのは、老いた心では決して取り戻せない野心への羨望と、もう以前のように戦えない、ゆっくりと死へ沈んでいくだけの肉体へのどんよりとした諦念だった。
馬鹿げた夢を。今度はプロップと叶えようだなんて。今更…何もかも変わっても、君は諦めないのか。
本当に、君は無謀で無茶で、野心家だ。
もう事態は絡まり合い、加速し、悪化していくばかりなのだ。
今はまず、目の前の問題から片付けねばならない。つまりはヴォルデモートを殺さなければならない。
…………
僕は別にレイシストってわけじゃないが、国ごとに人間、大まかなキャラクター分類ができると思ってる。ロシア人は無口だとか、フランス人は気取ってるとか…そういう類のもの。
それでいうと今日あう相手は『いけ好かない高飛車女』か『人権屋』だったが、ドアを開けて待っていたのは『けばいセレブ女』だった。もっというとかなりマグルナイズされた金持ち女がいた。
イギリスでは金持ちはむしろ中世のカッコに戻りたがる(マルフォイ夫妻がいい例だ)が、海の向こうはそうでもないらしい。洗練されたモダンな柄のスーツにメッシュのはいった髪。銀髪と赤というこれまた奇抜な組み合わせが驚くほど似合っていた。
「あーら…あらあらこんにちは」
「こんにちは。遠路遥々お疲れでしょう」
「そんな事はないわ。マグルの飛行機を使ってみたのよ、これがなかなか退屈しなくってね。だって空をあんな鉄の塊でわざわざ飛ぶのよ?スリル満点だったわ」
「はあ。…それでMrsマリー・カナデル、本日大臣はお会いできないとは聞いておいでで」
「ええ。あなたが代理なんでしょう?ずいぶん若いわね」
「見かけだけですよ」
「MACSA国際魔法協力部代表の私が渡英までして面会するには若すぎるって言ってるのよ。おわかり?坊や」
「…名乗り遅れましたね。僕は国際魔法法務部に昨日付で着任しましたウラジーミル・プロップです。以後お見知りおきを」
「じゃあ今度は貴方がこの国の外相なの?」
カナデルは驚き、僕の頭からつま先までをもう一度よく見た。何度見たって僕は冴えない男そのものだが、肩書がつくだけで相手の目の色が変わる。
「ああ、それは国際魔法協力部全体のボスがいます。ですがあなたの用件…つまりグリンデルバルドに関しては僕が担当でして」
「それにしても、前任者と会ってまだ三ヶ月しかたってないわ。季節外れの人事異動?」
「ええ。イギリス魔法界は例のあの人に翻弄されていますので」
「…そう。有能な人材は内政に向けちゃったのかしら」
「年功序列は悪しき習慣です。ここにもまだ残滓があったのが救いでしたね」
カナデルは赤いルージュを歪めて笑った。こういう挑発的なセリフが好きらしい。つくづく“っぽい”な、と心の中で悪態をつきつつ、話を進める。彼女の経歴は予め調べておいた。インタビューや紹介記事の内容すべて、アーカイブされてるものは目を通してる。
もちろんそういうリサーチはこの女だけでなく、全ての国の外交官を対象にして進行中だ。グリンデルバルドへの危機意識は、ヴォルデモートのいるイギリスでは極端に低いが、他の国では依然高いままだった。特に東ヨーロッパとアメリカでは顕著だ。ゲラートがやらかしてきた事を考えればヴォルデモートなんて…いや、彼の悪行も偉大だがね。
「まあいいでしょう。…本当に、例のあの人ってのはこの国の癌なのね」
「ええ。グリンデルバルド狩りに力を貸せず申し訳ありません」
「ダンブルドアには同情するわ。厄介事を2つも抱え込んじゃ、どっちか疎かになるわよね」
「グリンデルバルドがイギリスに潜伏しているとは限りません」
「いいえ、確実にこの国にいるわ。そのことを話しに来たの」
「ああ、あまり聞きたくない話ですね。…いえ、拝聴しましょう」
カナデルはアメリカ魔法議会の判が押された書類を小さなセカンドバッグから引っ張り出し、机に並べる。ゲラートの脱獄後の足取りの調査報告書だ。
「ビャーグセンの杖の行方を抑えるのはホントに苦労したわ。杖作りのグレゴロビッチにまで協力を要請したの…そのかいあって、彼の杖の魔法の痕跡がイギリスで見つかった」
「そんなことが可能なんですか?つまり、杖を追うということが…」
「熟練の杖作りでも難しいわね。でも今回ばかりは事情が特殊でね。ルーカス・ビャーグセンの杖が特注だったおかげよ」
カナデルは僕が読んでいた書類をひったくり、何ページかめくって突き返してきた。
「あの純血一家はグレゴロビッチに一人一人杖を作らせていたの。杖の呪文の痕跡ってもちろん個人差があるんだけど、グレゴロビッチは特注の杖にだけこっそり特別な痕跡を残すように仕掛けを作るのが趣味だったの。偉業に我が技ありってね」
「………へえ。その痕跡ってのは?」
「ほら、ここ」
そう言ってカナデルは写真を指差す。場所はヌルメンガードへ渡る橋の土台だった。ゲラートが落としたんだろう。風雨で削られた岩肌に直接刺さった鉄の支柱の根元に、小さく跡が刻まれていた。
「このマークは…」
「死の秘宝よ」
カナデルは囁く。
「グレゴロビッチは神秘主義だったのね。それともダームストラング出身なのかしら…?あそこ、このマークが刻まれてるもの」
「あれはグリンデルバルドが刻んだんですよ」
死の秘宝、名前は知ってる。この伝説の面白い点は、各国の魔法界に似たような伝承がいくつも転がってることだ。イギリス魔法界は『ニワトコの杖、蘇りの石、透明マント』だったか。ロシアでは『ニワトコ杖、呪われた宝石、氷の衣』だったか。変わり種だと日本では『サンシュノジンギ』とか呼ばれてたような。
とにかく、それらが同一のものであることは我がプロップ家の祖先が証明している。さらに言えば、それらのルーツがこのイギリスの古い家系にあることも。
魔法界屈指の人気アイテム…そして失われた神秘。そのマークをなぜわざわざ刻むのだろうか。覚えてたらゲラートに聞いてみるか。
「…この刻印が、ロンドンで見つかったわ…グリンデルバルドは何をするつもりなのかしら。…ねえ、例のあの人と戦うつもりなのかしら」
「さあね」
そんなに知りたいなら聞いとくよ。君はきっと喜ぶ。マリー・カナデル、彼女はアメリカ魔法議会MACSAの中でも特に革新的な主張を持っている。
アメリカ魔法界は「ノーマジ保護」から「ノーマジ隔離」へ移りつつある。つまりはマグルは守るべき存在ではなくなり、魔法族はいつまでも隠れていられないという考えだった。
ーやがて我々の存在は暴かれますー
カナデルがインタビューで繰り返し使うフレーズは彼の旦那の経営する新聞社の謳い文句で、その雑誌はアメリカで一番売れている。
彼らがよく言うのは、大戦がすべてを変えたということだった。あの戦争で確かになったのは、マグルの凶暴性は際限ないということと、彼らの進歩は歯止めが利かないと言う事だった。
ー世界をより良くする方法ー
我々魔法使いはかつて世界の調停役でした。ノーマジの過ちを許容し、正し、彼らを導いてきました。ですがいつからか、彼等は我々の手を離れ、恩を忘れ、世界を鑑みずに破壊を繰り返し、無計画に増え、我々の領土を物理的に奪っていきます。
もはや世界に神秘はほとんどありません。彼らは何もかも明らかにしなきゃ気がすまないのです。我々の秘密が暴かれるのも時間の問題でしょう。
我々の過ち、それは進歩と成長に寛容すぎた事でしょう。ノーマジを弟分のように思えてたのは、我々に彼らが劣っているという確信があったからこそなのです。ですが今、それは揺らいでいます。
世界が再び最良の形になるには、ノーマジが退歩し、我々がより厳格にならねばなりません……
アメリカのノーマジ差別主義者は、魔法族のみの崇高な世界を諦めつつある。ヴォルデモートの理想は人と人が混じりすぎたアメリカでは通じない。
求められる統治体系はまさにグリンデルバルドの目指した「調和」なのだ。
推薦ありがとうございます。