大臣の仕事の中で最もくだらない(または吐き気のする、うんざりする)ものはパーティーや行事への出席だが、イギリス魔法省は目下例のあの人特別警戒体制を敷いているので、それらとはほぼ無縁でいられた。
国際社会はというと、一向につかめないグリンデルバルドの行方に焦り始めているので無駄に危険なイベントを開くはずもなく、各国思いのままに対策に専念しているようだった。
先日、ウガンダでフランス人旅行者が殺された。マグルのニュースでも報じられたものだが、旅行者の正体はフランス魔法省に所属する魔法使いだった。
ウガンダはつい最近虐殺のあったルワンダの隣国であり、さらに内紛中のコンゴの隣国でもある危険地帯だ。そこに白人がいるというのはまずありえないことで、更に殺されたともなればマグルは黙っちゃいなかった。危うくマグルの国際問題に発展しかけた所をブルキナファソ魔法省が介入しなんとか“あやふや”にした。だが全世界規模で報じられたニュースをなかったことにすることはできず、報道が突然止むという不完全な収束となった。そんな"あやふや"加減がいかにもうさんくさく、マグルたちはまことしやかに陰謀だのスパイだのと囁いている。
魔法界では犯人はゲラート・グリンデルバルド、もしくはその協力者だとフランスメディアが報じているが、僕(ウラジーミル・プロップ、またはグリンデルバルドの協力者)が本人に聞いたところによると「身に覚えがない」との事。
「殺されたやつが何を探ってたのかは知らないが、もしかしたら俺の影でも踏んでしまったのかもしれんな」
ゲラートは僕が国際魔法協力部で入手した資料をもとにかつての賛同者たちの中で未だ美しき青春の日々を忘れていなさそうな人物を厳選し逢瀬を重ねていた。あるときは僕の叔父、あるときは名も無きマグルの老紳士。実に見事だった。各国の魔法省の魔の手から逃れ続けた手腕は半世紀を超えてなお健在だ。
僕はゲラートが旧友と再会した途端あっさり捨てられてしまうかもしれないと頭の隅で危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。彼は旅の土産の酒を開けながら少し寂しげに言った。
「全員俺よりはマシな年のとり方をしていたが、これから何かを始めようとするには皆遅すぎる。体や魔力の問題ではなく…単なる気力や若さの問題だな。そのくせ、心だけはあの頃を忘れていない」
「老人なんてだいたいそんなもんだろう」
「辛辣だな。まあそれはそれでいい事もある。昔のやんちゃをなかったことにして重鎮になった奴も少なからずいる」
「まあよくある話だな。反体制派がいつの間にやら…って」
「まったくマグル的だ。だが偉くなった代わりにある程度信奉者は抱え込んでる。ユーゴスラビアのあたりじゃ若い世代も賛同してくれてるらしい」
「そいつらがあんたを売る可能性もあるんじゃないか?」
「さあ。どっちにしろ昔みたいに俺が表立って何かを指揮する事はもうない。集会を開いたり暴動を扇動したりするわけじゃない。革命は個人的なものに還元されつつある」
「僕のところに言葉の通じない魔法戦士が押し寄せる、なんてことにならないならいいんだ。無事に帰ってきてくれて何よりだよ」
「ああ。俺がいないといろいろ困るだろう?新しいペットの事とか」
「確かに。使い道は決まっててもまだ準備が整っていないから…」
僕は地下室のレンタル代、管理費諸々が口座を圧迫していくのを思い出しうんざりした。金なんて…と思いつつも、金なしに健全な協力関係を築くことは不可能に思えた。友情、愛、信頼…?そういうのを信じるやつを僕らはカモと呼ぶ。
「とはいえ、入り口はもうすぐそこさ。関係者筋によると国際魔法連盟へダンブルドアが来ることになった」
「それはそれは…今まで音沙汰なかった分なにかあるんだろうな」
「どうだろうね」
ゲラートは徹底的にダンブルドアを避けている。ダンブルドアは何度か彼の足跡を追っている形跡はあるものの、未だ動向ははっきりしない。おそらくヴォルデモートの方で手一杯なのだろう。ヴォルデモートの方はというと、最近報じられたニュースでうっすらと何をしようとしているのかわかった。
グレゴロビッチ氏 イギリス国内で殺害される。
ノルウェー魔法省に侵入者 職員ら3名死傷
僕はてっきりゲラートが閉じ込められてたことに今更腹が立ってやっちゃったのかと思ったが違うらしい。彼は新聞を見てから「ははあ」と唸って顎髭を撫でた。
「まずいな。近いうちにあいつがここに来るかもしれん」
「あいつ?」
「ヴォルデモートさ」
「なぜ今更。ハリー・ポッターを学校に戻すっていうのはあっちも同意してたのに」
「別件だよ別件。なあヴォーヴァ、悪いがしばらく旅行に出てくれないか?適当に変装して、魔法省の無い国にさ」
「立場上難しいんだが」
「髪を一房おいていけ。俺がなんとかするから。それであの、例のしまってる杖があるだろう?あれを持っていってくれ」
もちろん僕だってヴォルデモートに会いたくはない。だがダンブルドアから奪った杖を持ってどこかへ行けなんて訳のわからない指示にはいそうですかと納得できるほど従順ではない。
「あいつの狙いはあの杖なのか?」
「そうだ。ここにあったら話す間もなく俺が殺される」
「ダンブルドアの杖をあんたが欲しがるのはわかるよ。だがあいつまで?」
「そうだ。アレは特別なんだよ。…三兄弟の物語を知ってるか?」
僕は突然出てきた童話のタイトルにびっくりしたが、幸い読書少年だったのですぐに思い出すことができた。吟遊詩人ビードルシリーズにそんなタイトルの話があったはずだ。
「あれか…橋で化物だかなんだかに出会うやつか?」
「それだ。その話に出てくる最強の杖、それがあれだ」
「は…?本気で言ってるのか」
「大マジだ。それにお前が思ってるより信憑性のある話でな。歴史を紐解けば杖の最初の持ち主まで遡れる。話せば長いが」
「童話に出てきた杖を求めて爺さん三人がわちゃわちゃしてるっていうのか?しかも僕はそのために犬に噛み殺されかけて…」
「お前が想像してるよりあの杖…ニワトコの杖の力は絶大だよ。使ってた俺が言うんだ」
「ああ…やっと話が見えてきた」
だから杖作り、そしてヌルメンガードにいた面々が殺されたのか。僕にはその欲求は一生理解できそうにない。なんせ魔法を使えないのでね。
「ヴォルデモートがどうしてそこまでしてあの杖を求めるのかはわからんが、まあ最強の座にふさわしい杖はあれの他にあるまいよ。俺も昔そう思っていた」
「そんな単純な理由じゃないと思うが…」
つまり僕はヴォルデモートが喉から手が出るほど欲しがっている杖を持って逃げなきゃいけないのだ。最悪ゲラートも殺され、僕も捕まり殺されるかもしれない。
「安心しろ、話す時間があればお前に危険は及ばない。何故なら俺を殺しても、お前を殺しても、その杖は使えないからだ。その杖は強力な交渉材料になる」
「どういう事だ?」
「杖には忠誠心というものがあるだろう。盗んだ杖は使いこなせない」
「…ああ、そういえば“杖改め法”もそれを利用したものだったな。たしかにニワトコの杖は僕がダンブルドアからうば…受け取ったものだ。所有権はダンブルドアのまま…ということか?」
「そのとおり。飲み込みが早くて助かる。ヴォルデモートが杖を使いこなすにはダンブルドアを殺す他ないんだ」
「だからあいつに殺してもらうわけか」
「ああ。…ダンブルドアを殺すために杖が必要だっていうなら難しいかもしれんが…その線は薄い。残念ながらダンブルドアも衰えた。ニワトコの杖を奪われた奴ならば若造でも勝てる」
「そうなのか?なぜわかる」
「老いには勝てない。俺がそうだからだよ」
自嘲気味に笑うゲラートに反して僕は内心焦っていた。もしヴォルデモートがダンブルドアを殺したら名実ともに杖はあいつのものになる。そうなればこちらに勝ち目はないのではないか。そのことを指摘するとグリンデルバルドは“なんてことない”といった顔をした。
「俺たちが馬鹿正直にあいつと戦う理由なんてないだろう?そんなの他の正義感の強い魔法使いに任せておけばいい。とにかくイギリス魔法省の実権と世論を掴む。あとは自動で勝利が転がり込んでくる。お前の立てた計画はそういうものじゃないか」
「…」
「なにより、予言だ」
「またあの水晶玉の話を持ち出すのか?」
「ああ。お前はどうも信仰心にかけてるせいか毛嫌いしてるな。しかしながらまだこの世界にも神秘というものは残されている。あの予言はヴォルデモートの死だ。予言されてる以上それは覆らない。やつは必ず死ぬ」
「そりゃ生き物は必ず死ぬ!馬鹿にしているのか?あんたも僕も死ぬんだよ、いつかは」
「かっかするなって。あの予言の中身はルシウスから聞いたよな?ハリー・ポッターだけがあいつを殺しうる」
「ああ」
「ダンブルドアが死に、ヴォルデモートをポッターに殺させる。予定はなにもかわらないだろ?」
僕は呆れて口を閉じた。予言なんかを当てにするなんて。僕の人生綱渡りの連続だ。ゲラートがまさか本気であんな小僧がヴォルデモートを斃すと思ってるわけはないと思うが、なんだか不安になってくる。なんだかんだであいつのほうがゲラートより半世紀は若いわけだし、大魔法使いとはいえ老いには勝てない。
「はあ…全く、全くあんたといると楽しいよ、ゲラート」
「俺もだよ、ヴォーヴァ」
「じゃあ旅支度を始めるよ。行き先はそうだな…久々に墓参りにでも行こうかな」
戻ってきたハリーにとって最も憂鬱なことはダンブルドアとの面会で、これから嫌というほどされるであろうハーマイオニーからの尋問より数倍嫌だった。
昨年度、自分を蔑ろにしていたダンブルドアから何が語られるというのか。心配していた、だとか白々しいことを聞かされたら去年の今頃みたいに怒り散らしてしまうかもしれない。
病院は快適だった。看護師は優しかったし、一人でじっくり考える時間がたっぷりあって、自分が置かれていた状況…プロップによる拉致監禁と、もし神秘部から逃げなかったらどうなっていたかを想像することができた。
プロップが水晶をポートキーにしてなかったら。プロップに頼らなければ。プロップがいなかったら。
そう、プロップさえ居なければ自分はムーディよろしく詰め込まれることはなかった。だが同時に、予言がポートキーになってなければ自分はヴォルデモートに殺されていたかもしれない。胸中は複雑だ。あのまま神秘部で奴と出会ったら、きっと誰かが死んでいた。助けに来てくれる騎士団かもしれないし、ロンやハーマイオニーかもしれない。
僕一人が犠牲になったから多くが救われたとも言えるのか?
こういう考え事をしているときにいつもよぎるのはダンブルドアの目だった。僕の視線から逃げるように逸らされる青い目。法廷以来、一度も目を合わせていないのかも。
病室では僕の方から目をそらした。なんだか全部馬鹿みたいに思える。
ダンブルドアの話したことは事実以上のなんでもなく、僕が現状厳しい立場にいるということの再確認でしかなかった。
ホグワーツの敷地までは闇祓いに警備された。ホグワーツ急行は貸し切られ、トンクス、キングズリーが僕の両脇を固め、ほか5名が同じ車両に乗り込み、10名が列車と並走して警備にあたった。ホグワーツに着く頃、外にいた闇祓いは何人か減っていた。襲撃があったという。城に入ってからも僕の周りには5名の闇祓いがいて嫌でも注目を集めた。
しかしあがるであろう歓声、(あるいは罵声)はなく、ハリーを囲う闇払いを見た生徒たちはすぐに視線を逸らし、隣にいる友人とひそひそと話をするだけだった。
奇妙だ。その理由はすぐにわかった。全身ピンクの小さな魔女、ドローレス・アンブリッジが沢山の『教育令』の額縁の前で広間を行く生徒たちをじっと監視していたからだ。
プロップの元上司、そして現ホグワーツ高等尋問官。今学校がどうなっているのか、そういえば一度も考えたことがなかった。あいつの復活をようやく世間が認め、いろんな暗い事件が相次ぐ中、どんな顔して魔法省の代表として授業をしているんだか。
だがこの様子を見ると、ハリーの思惑とは違ってかなりの権力を持っているらしい。見るからに生徒たちは緊張し、警戒している。急にハーマイオニー達のことが心配になった。すぐにでも寮に帰りたかったが、目の前には校長室へ続く螺旋階段がある。
階段を登ると、ハリーは1人になった。人に囲まれてずっと息苦しかったのから解放されるや否や、次はダンブルドアだ。
懐かしき校長室。記憶と寸分変わりなく、不死鳥フォークスがハリーを認めると高い声で囀った。それに呼ばれたかのようにダンブルドアが奥の椅子から立ち上がり、ハリーを見つめた。
前のように微笑んだりはしなかった。半月型の眼鏡の向こうの瞳はなんだか冷たく、空気は緊張している。ダンブルドアは真剣みを帯びた口調で
「おかえり」
と言った。
ハリーは「お久しぶりです」とかろうじて答えた。ただいまはなんだか違うような気がしたし、他に適切な言葉が浮かばなかった。
「すっかり元どおり、とはいかないものじゃな。ハリー」
「当たり前でしょう」
「戻ってきたばかりの君にこんなことを言うのは気の毒じゃが…魔法界は未曾有の危機に直面しておる」
「そんなのわかってます」
「いいや、ハリー。目に見えていることよりもさらに事態は深刻なのじゃ。とりあえずおかけなさい」
ハリーは渋々椅子に腰掛けた。ここで揉めてもなんにもならない。病院の時よりもはるかに真剣なダンブルドアに気圧されたというのもある。
「今から話すことは君が成人するまでは話すことはないだろうと思っていた事で、今のところわし以外誰も知らないことじゃ。ヴォルデモートの命に関わる」
「あいつの…」
「左様。グリンデルバルドが脱獄してから、ヴォルデモートは水面下で力をつけている。仲間だったり権力だったり、様々な力をじゃ。当然グリンデルバルドと組んでいる。今のところは」
「…ええ。ですがグリンデルバルドは多分あいつを邪魔だと思ってますよね?」
「左様。わしに始末をつけさせるつもりじゃろう。だが奴の思惑に乗ろうが乗らまいが、ヴォルデモートは必ず君の命を狙いにくる。だとすれば結局、生き残るためにわしらは奴を倒さねばならん」
「ええ、その通りですが…先生なら勝てるでしょう?ヴォルデモートに。あいつは先生を恐れている」
「そうじゃのう…今のところは」
ダンブルドアは半月型の眼鏡を外してローブの袖で拭った。
「じゃがたとえ今のヴォルデモートを倒しても、奴は死なん。15年前と同じように再び蘇る」
「そうだ、そもそもなんであいつは死の呪文を受けても死ななかったんでしょう?」
「それを今から君に教える。少し長くなるが、いいかね?」
ハリーは息を呑んだ。今更いいえなんて言えるか。例えどんなにダンブルドアの態度が気に入らなくても、ヴォルデモートに殺されるより最悪なことはないのだから。
「勿論です」
ハリーの返事を聞いたダンブルドアが杖を振ると、壁から憂いの篩が迫り出してきた。促されるままにその台の前に立つと、ダンブルドアは棚にずらりと並ぶ記憶の詰まった瓶の中から一本を取り出し、その中にそっと零した。黒いインクのような記憶が篩の中で渦を巻く。
「今から見せるのはある老魔法使いの記憶じゃ。そしてヴォルデモートの人生の始まりでもある、ある出来事と悲劇の元凶じゃ。君にはまだるっこしく感じるかもしれんが、奴の秘密を知るためには一から理解していくことが必要なのじゃ」
「わかりました。今夜一気に済ませるんですか?」
「わしはそのつもりじゃが、どうかな。ハリー、体調は」
「万全です」
「ふむ。聖マンゴの癒者はやはり腕がいいようじゃな。では」
ダンブルドアは篩を指した。ハリーはかすかに浮かんだ不安を振り払うようにそれを覗き込んだ。