僕は座り尽くしている。
役目を終えた僕には、もうやることもない。端的に言うと燃え尽き症候群だった。
アパートは引き払った。ルーピンの襲撃もあったし、なによりマグルの暴徒に殺される可能性がぐんと高まったからだ。あれからまた状況は二転三転し、僕は今、二年前アンブリッジのオフィスだったところに…すべてが始まったあの部屋にいた。
あの頃の僕はそれなりに順調で、周りのごちゃごちゃした些事を右へ左へスライドパズルみたいに動かしていれば“生きている”と錯覚できていた。
それのなんと不幸なことか。
それは決して循環しない水槽の水のようなもので、澱みはどんどん溜まっていき、僕はじんわりと窒息死していたかもしれない。
人は生まれた瞬間から死に始めている。とはいえ、死に方くらいは選ぶ権利があるはずだ。
ナージャ、妹よ。最近は君のことすら思い出さない。
僕はパソコンの電源をつけた。
BDのカスタムしてくれた魔法界でも動く電子機器。あいつも、もしかしたら19年後とかにはマグル機器のカスタム事業とかで大金持ちになれたかもしれない。
だがその未来はもう来ないだろう。
まだサーバーの生きているネット掲示板に立ち並ぶスレッドは、軒並みデマとも真実ともとれないものだった。
というのも、テレビはもう砂嵐しか映さない。公共ラジオもノイズしか流さなくなり、新聞はほとんど出回らなくなったからだ。複数の情報をもとに真実を見極める、なんてのは誰にもできない。だから世界はめちゃくちゃになってる。
アメリカの国境閉鎖に関して
中国、ロシア政府はすでに魔法使いに乗っ取られている?
【緊急】南半球の情報が途絶したようだが…
フランスでは、フクロウが一斉に飛んだ。そういうことなんだろ?
黒い森事件
救世軍からのお知らせです
仏独戦線異状なし?
放射線量観測情報総合スレッド
南極避難所で爆発?見たことのないオーロラ観測
イランで前代未聞の流星群
ドイツ空軍による黒い森爆撃はマグル同士の戦争の直接的引き金になった。爆撃に使われたのはかつて西ドイツに配備され、ひっそり眠っていたM388核弾頭だった。
その前に、ドイツ魔法界について軽く説明をしなければならない。
ドイツには現在魔法省はない。もちろん魔法使いを取りまとめるゆるやかな繋がりはあるが、フェノスカンジア魔法共同体やロシア魔法族同様、国際魔法連盟に正式加入していない上に政治らしいことをしていなかった。
ドイツは第二次世界大戦時、グリンデルバルドの理想に一番近づき、それ故に打ち砕かれた。つまりはマグルによるマグルの絶滅戦争。その悪しき虐殺の歴史を再び夢見る狂信的な奴は、悲しきかな。未だ大勢いた。
黒い森にデイビー・クロケットが撃ち込まれ、その雄大な自然を焼いた後、地獄の窯は開き、閉じることはなくなった。
大地を焼き尽くす炎。爆撃下にいた魔法使い10名、及びヴォルデモート卿、ダンブルドア、両名の生死は未だ不明だ。骨も残さず焼けたのか、はたまた身を隠しているのか?
わかるのは、魔法使いはマグルの破壊の爪痕が、自分たちの細やかな破壊と比べ物にならないほどに世界を破壊することだけ。
マグルが少ない知恵を絞って生み出すことができるのは後先考えない破壊だけだと、魔法使い全員が確信した。
そうしてようやく、魔法族はネズミトリを公共事業にすると決めた。
「マグルの手にかかり殺された魔法使いは想像より少なかった。これは喜ばしいことだよ」
セネガルの魔法使い、カーマは言う。
「魔法族の血は、思ったよりも劣化していなかったってことだ。それに、マグルに殺されてしまうような弱い個体の淘汰になった。種としては正解だよね」
グリンデルバルドもこの意見に同意していた。僕からはノーコメントだ。
まあでも、そろそろマグルVS魔法使いの構図にも飽きてきた。キルゲームからパーフェクトゲームへ、試合を畳もう。
「ウラジーミル。そろそろ外に出たらどうだ?」
「ダンブルドアとヴォルデモートの死体は上がったのか?」
「いいや?だがどうせ生きてるだろ。オレかお前か、はたまたハリー・ポッターのところへ行くかはわからんがね。いずれあっちからでてくるさ」
「じゃあここより安全なとこなんてないだろ」
そうだな。と言ってグリンデルバルドは出て行った。僕に飽きたかな?とも思ったが、それでも良かった。
魔法使いがマグルの虐殺に手を染めた時点で僕の目的は八割方達成し、あとは待つしかないのだから。
だがグリンデルバルドは違う。これからのために老体に鞭打って、支配のための下地づくりをしなきゃならない。
僕にとっちゃそれは余生みたいなもんだ。
あるいは、老後に始める趣味みたいなもんだ。死ぬまでの僅かな時間、人生に意味があったかのように自分を騙すための時間だ。
つまりは僕には必要のない時間だ。
それでも、僕はグリンデルバルドが好きだから、彼のためにすばらしき新世界を円滑に回すための書類を作ってる。仕事ができるやつ、魔法が達者なやつ、御しやすいやつ。ありとあらゆるカテゴライズ。方法は簡単で、行政調査をしたときに記録した杖の材質から判断すればいい。
ノック、ノック。
律儀なノック音。今となっては珍しい客だ。
入ってきたのはお久しぶりの、パーシー・ウィーズリーだった。
彼は真っ青な唇で開口一番こう言った。
「…ぼくたちのしたことは間違ってないよな?」
「どうしてそんなことを?」
「父は親マグル派として有名だから、家に火をつけられたんだ」
「そうか」
「ロンも…ポッターと消えたっきり…だ」
「そうか」
僕の無関心な様子にパーシーはしびれを切らして怒鳴り散らした。
「なあ、死喰い人から何か、情報はないのか…?あいつらはまだポッターを狙っているんだろう?!」
「興味ないからわからないな…」
「どうしてそんなに他人事でいられるんだよ、ヴォーヴァ!」
君は家族を嫌ってたじゃないか、パーシー。どうして今更焦ったり悲しんだりできるんだ?僕にはそっちの方が不思議だぜ。
「…ぼくは……わかってるんだ。どうやったのか見当もつかないけど…きみなんだよな?この事態を招いたのは」
「わかってるのに、君はここで喚き散らすだけなのか?リーマス・ルーピンはわざわざ逮捕しにきたぞ」
ルーピンの名前を聞いてパーシーは小さく「あぁ…」とうめき、うつむいた。まあ薄々感づいてはいたさ。
パーシー・ウィーズリーは不死鳥の騎士団と通じている。彼以外の家族全員団員じゃそれも仕方がない。責めるつもりはさらさらなかった。
なのにパーシーはとんでもないことをしたとでも言いたげに顔を手で覆い、床に膝をついた。
祈るみたいに。
後悔するならやらなければいいのに。若者の心はよくわからない。
「パーシー、昔誰かが皮肉たっぷりに言ってたろ。この世はいつだって、あり得べき最善だ」
マグルのせいで僕らは身を隠し、魔法生物は絶滅の危機に瀕し、世界の未知の領域は科学によって穢されていっている。
死や、時間や、心や、命、魂までもがマグルによって淫らに暴かれつつある。近いうち、魔法が決して踏み入れなかった領域までマグルの科学は進んでいっただろう。
幸いその未来は失われたがね。
むしろ、魔法使いにとっては失われた未来がようやくやってくる。
魔法生物は再び大地をかけ、空を飛ぶ。
巨人の足が、地を均し、そこに魔法植物が根をはり、森を作り、生き物が暮らす。自然の営みから少し離れたところで、魔法がゆっくりと醸成されていく。
社会なんてものは、せいぜいご近所付き合いってくらいの意味しか持たなくなって、人生は、日々をしっかり生きることを示すようになる。
僕は静かにポケットから杖を取り出そうとした。それを見て、パーシーはすかさず杖を抜く。
「やめてくれ…!」
僕は無視して杖を抜いて振りかぶった。パーシーは躊躇ったんだろうか。彼の杖先がほんのすこし震えた。僕が魔法使いだったら死んでるっていうのに、馬鹿だなあ君は。
当然、僕の杖からはなんの光線も出ない。
「……え…」
「僕は魔法が使えないんだよ」
僕の両親は、魔法の使えない僕も魔法族として扱って、魔法族の世界で生きてるように必死に育ててくれた。
「かわいいヴォーヴァ…大丈夫。大丈夫よ。あなたはきっと立派な魔法使いになれるから…」
母は涙をたっぷりためた瞳で僕を見つめた。父は、僕を真っ直ぐ見つめることをやめて、それに頷くだけだった。兄は僕の存在なんてまるで気にしてなかった。
この世界は、鈍色の蓋がかぶさってる。
「何をしても自由だよ」
ほんとに?
両親はたいてい子供にそう言う。
「君はなににでもなれる」
ほんとに?
教師も似たようなことを言う。
「きっとうまくいく」
ほんとに?
バカの一つ覚えみたいに。
「君の可能性は無限なんだ」
そんなのは嘘だ。僕は何者にもなれない。君も、君も、君も…
生まれたときから、世界の秘密はほとんど暴かれてて、“大義”はなく、“悪”もない。
この世はもう、若者を輝かせるような魅力はすべて、根こそぎ取り尽くされてる。残されているのは堆積していくルーチンワーク、鬱屈、窒息しそうなまでの見込みのなさ、退屈。
見上げた空の上にあるのは誰かの頭かそれを遮る大きな手。たとえ魔法が使えたとしても、待ってるのは狭い狭い世界だ。
なるべき何かのリストはあまりにも短く、また、“なれる”見込みはとてつもなく薄い。しかも最悪なのは、何者かになり得たとしても…この退屈は終わらないということだ。
魔法社会で唯一頂点といえる地位は、マグルを支配したつもりになってる勘違い集団の長。
まやかし…まやかし…まやかし…
要するに僕はもううんざりだった。
「腹いせに、たくさん殺した。家族も、同僚も、見たこともないマグルたちも。でもやっぱり全然何も感じない。ただ、そこまでしても僕は僕のなりたかった自分にはなれないし、絶望から抜け出せない。それが決定的にわかった」
パーシーは杖をおろした。そして俯く。
彼の中で作り上げられていたウラジーミル・プロップ像は瓦解した。
僕がイギリスに来てから作り上げた、こう見られたいという僕が。
僕の望む僕の姿。
絶対に手に入らない対象A。
「僕を殺さないのか?」
「できるわけないだろ…」
「なぜ?」
「ぼくたちは…友達じゃないか…」
「……そうだったな…パース。じゃあ、出てってくれ」
パーシーは出ていった。二度とここには来ないだろう。
そして僕は二度と“みぞの鏡”をのぞかない。
そして何日かして、また誰かが僕の部屋のドアを叩いた。
「どうぞ」
「…プロップ…先生…」
やってきたのは、ハリー・ポッターだった。
「………君を待ってたんだよ…」
「ずっとあなたを探していました」
「どうやって入ったんだ?」
「病院からの直通煙突です。あのルートは重大な魔法障害をおった時も通れるように、身元検査を甘くしているでしょう」
「ああ。そうだったね…忘れてた。もう、みんなウェストミンスター寺院にうつってて、煙突なんてめったに使わないしね…」
「……新体制が発表されるんでしょう?マグルの政治も取り込んだ、魔法族主体の…」
「新聞をよく読んでいるようだね。ここが学校なら、加点してあげられるんだが」
「あまり笑えない冗談ですね…」
「…せっかくだし、座ったら」
ハリー・ポッターは前見たときよりだいぶくたびれていた。五年六年あってないかのように思わせたが、初めてホグワーツで彼を見たときから数えても、まだ二年しかたってない。たった二年ですべてが変わった。
「驚きました。いつも混み合っていたキングスクロス駅はがらがらで、柱をくぐらなくてもホグワーツ特急に乗れるようになった。ダイアゴン横丁を出ても、魔法の店が開かれていて、小鬼が闊歩している。いいことのように思えるけど……」
ポッターは不気味なほどに落ち着いている。
僕はてっきり激情に任せて来たのかと思った。両親の中傷記事に怒り狂い、ドラコをしこたま殴っていた彼が不意に脳裏に蘇った。
あの頃は、ここまで来れるなんて思ってなかった。途中で誰かに殺されるだろうと。いいや、なんならグリンデルバルドにすら会えず、捕まるかもしれないと。だというのに、奇妙なことにすべてがうまくハマってしまった。
「僕の大切な人が…たくさんの人が死んだ。ぼくはそれに目を瞑ることなんてできない」
「……ここに来ようと思ったきっかけは何?」
「ダンブルドアが死にました。今朝方、学校で弔いました」
「そうか。魔法使いでも放射線は防げないんだな。…目に見えないからかな、理解の及ばないものだからかな?」
「わかりません。想像も付きません」
マグルは魔法使いを殺し得る。
グリンデルバルトの慧眼には恐れ入るよ。僕からはもう乾いた笑いしか出ない。
「ダンブルドアはあなたに伝言を遺しています。ぼくはそれを伝えに来ました」
「へえ。なんて?」
「“試合はきみたちの勝ちだ”と」
「……ハッ。わかりきったことを…」
「ぼくにははじめ、その意味がわかりませんでした。…ダンブルドアは死んだ。同じ場所にいたヴォルデモートの肉体も…おそらく同じです。やつの分霊箱は、まだ2つ残ってるけど」
眠らせておけばいいさ。魂単体じゃどうせ何も出きやしない。数十年後とかの世代に任せりゃいい。そうやって人は何もかも後回しにして生きてきた。
「ヴォルデモートの身体は滅んで、あいつの腹心は爆心地でだいたい死んで、君は指名手配されてるわけでもないし、魔法使いだし、好きに暮らせるじゃないか。よかったね」
僕のバカにしたような言葉に、ポッターはほんの少しだけ拳を固く握りしめるだけだった。僕はすかさず畳み掛ける。火種に息を吹きかけるように。
「…で、伝え終わったけどどうするんだい。出ていくかい。それとも他にまだ用事が?」
「煽っても無駄です。先生、あなたは試合に勝ったかもしれない。でも、勝負には勝てないんです」
「……どういうことだい」
「先生は、ぼくが先生を殺しに来たと思ったんでしょう」
「………違うのか?シリウス・ブラックを殺したのは…」
「あなたです。あなたが仕組んだんでしょう?知ってます」
「……意味がわからない。仇が目の前にいるんだぞ」
「他の用事ならあります。ぼくは質問しにしたんです、先生。昔しょっちゅうそうしたように」
「………なんだい」
「そもそも、なぜ先生はこんなに回りくどい自殺を思いついたんですか?」
おまたせしました。
次話で完結します。
浮気をせずに近いうちに書き切ります。