【完結】フーディーニの魔法   作:ようぐそうとほうとふ

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07.信用の稼ぎ方

 僕の授業もそろそろみんな慣れてきて授業時間は秩序が保たれていた。一番の懸念要素だったハリー・ポッターの懐柔はある程度成功したので、僕は授業中静かに読書に勤しむことができる。

 ただしポッターの完璧な恭順はハーマイオニー・グレンジャーにより阻まれているというのが現状だ。彼女は未だ僕を警戒している。毎回提出される小レポートの文体から内容まですべてから彼女の内面を知ることができなかった。彼女は僕に一切心を許しておらず、ポッターにもそのことを伝えているはずだった。

 確かに未だ世間のダンブルドアバッシングは続いているしヴォルデモートの復活はポッターの妄想扱いされたままだ。魔法省も学校に食い込んだ僕という楔を叩く準備をしている。もとより僕個人でどうこうできる問題ではないが、僕のかわいそうな権力の犬のフリはグレンジャーには通じていないようだった。

 

「先生、いいですか?」

 授業後に話しかけてきたのはハッフルパフの監督生、アーニー・マクミランだった。彼は最初こそ僕の授業方法に戸惑っていたが3回受けたら慣れたらしく、真面目に教科書に取り組んでいた。

「僕、どうしても杖を使って呪文を練習したくて…実技が今から不安で不安で仕方がないんです!先生。個人授業や課外講座などを実施する予定はありませんか?」

「なるほどマクミラン。君の不安はよくわかるよ」

 わかるが、なんの得にもならない時間外労働をすると思うか?そんなことをすればアンブリッジは怒りだしルシウス氏から毒入りの封筒が送られてくるに違いない。さらに実技の講習なんて幼児より魔法が使えない僕にできるはずもない。

「これまで僕の立場をわざわざ口にしてこなかったのは君のような生徒を置き去りにしているようなものだったね。反省している」

 もう生徒は全員教室を去った。次は昼休みなのであわてんぼうの生徒が入ってくる事はない。

「僕は魔法省からの派遣教師なんだよ。だからやれる事があまりないんだ」

「でも先生のレポート採点はとても役に立ってます!やれることが無いなんてことないでしょう?」

 レポート採点は外注にやらせてるから完璧でなければ困る。生徒1人あたり1ガリオンもくれてやってるんだぞ。君たちの赤ペン先生は全員ルシウス氏のお金で雇われているパートタイマーだ。時間を切り売りする彼女、または彼らは学歴に見合う仕事を見つけられなかった血統に恵まれない人たちで、マグル社会にも魔法界にも溶け込めず頭脳を持て余している。マクミランは純血だから1時間の重さを知ることは生涯ないだろう。

「それは教壇に立つ以上果たすべき最低限のことだからね」

「…」

「そう沈んだ顔をしないで。そうだ、いい考えがある。自主練習するなんていうのはどうだろう?」

「自主練習、ですか?でもそんな場所…」

「この教室を使いなさい。僕は補講も居残りも罰則もさせない主義だから放課後は誰も使わないし」

「監督してくださるという事ですか?」

「いいや、場所を貸すだけだ。黙認、ってやつだね」

 僕が人差し指を唇に当てて微笑むとマクミランはぱあっと花が咲くように笑った。僕は声をひそめて二人だけの秘密のように嘘を囁いた。

「僕が杖を振ることが嫌いじゃないっていうのは、くれぐれも内密に。信用できる友達だけ呼びなさい」

 

 アーニー・マクミランは友達を誘って放課後の教室で自主練習を始めることになった。彼はたいそう大喜びで、自身の監督生の適性を示さんと息巻いていた。彼は素直で真面目な模範的ハッフルパフ生だ。胸を張っていい。

 

 アンブリッジは怒るだろう。僕は授業では彼らに杖を振るう理由を奪ったがそのための別の場所を作ってしまった。ファッジの望みは、全ての生徒が暴力的な呪いを知らず黙々と机に向かってタスクをこなす事だ。アンブリッジの全意識はファッジの機嫌を損ねない事に注がれているので今回の事はいくら遠回しに報告しようと気付くだろう。

 事あるごとにアンブリッジの名前を出しているとまるで僕が彼女のことを好きみたいに思われるかもしれない。僕はたしかに彼女を引き合いに出し過ぎるフシがあるが、彼女を良く思ったことは一度もない。出会い方が違えば喜んであのシワシワの首を絞め上げていたはずだ。けれどもそうしないのは、やはり恩があるからとしか言いようがない。

 案の定アンブリッジは麻薬捜査犬より鋭い嗅覚で放課後の自主練習に関する文を見つけ出し、僕に問い詰めた。

 

「これはどういうこと?放課後生徒に教室を貸し出すですって?」

 

 朱い炎が燻る木炭の割れ目がアンブリッジの丸くて、なのに骨ばった頭蓋骨の形を作りあげている。炎が怒りを抑えた呼気のように頭の部分を覆い、くるくるしたカールの渦巻きを再現している。暖炉からニュと顔だけ飛び出たアンブリッジ。火かき棒でその鼻っ面を殴ったらきっと爽快だ。僕のパターは彼女の前歯を引っ掛けて遥か彼方の空へと飛ばし、お付きのドラコがファーと叫ぶ光景が脳内を横切る。…ゴルフなんてしたことないけど。

「生徒からの申し出がありました」

「杖を振らせるなと、私は何回も何回も貴方に言ったはずよ」

「申し出てきたマクミランの生活態度や成績から総合的に判断しました」

「総合的判断?ハッ…」

 アンブリッジは徐々にボルテージが上がってきてるようでぱちぱちと瞬きをした。彼女がプッツンするまでもう少し。僕は慌てて理由を述べた。

「マクミランは監督生です。レポートの出来を見るに真面目で向上心があります。論理的に考える事ができ、遵法精神もあります。」

「それで?」

 彼女は一応僕の言うことを聞いてくれる。

「彼が取るに足らない一生徒ならともかく、監督生です。ハッフルパフは血統や親の仕事で監督生を選びません。彼の信奉者は多い」

「つまり貴方はマクミランを通じて生徒たちを手懐けようとしていると、そういうこと?」

「おっしゃる通り」

「なるほど貴方らしいわね。だからウィーズリーを呼んで汚れ役を任せるわけ」

「ええ、その通り」

 アンブリッジはだいたいお見通しらしい。僕がウィーズリーを呼ぶ本当の意図は仕事をしたくないからではなく、彼にヴィランをやらせるためだ。彼を生徒たちを締め上げる悪役の立場に置き、僕はそれを影から助ける。何という出来レース。八百長。プロレス。ウィーズリーは適任なのだ。彼はその生真面目さ故に憎まれ役になりやすい。(だから彼はこの世界が間違っていると思うんだろう)

「優秀な生徒が出てこないよう頭をひっぱたいて押さえつけるよりも、優秀な生徒を引き抜くか刈り取るかした方がわかりやすいと思いませんか?」

「貴方の言うわかりやすさが血なまぐさいものでなければいいんですけれどもね。…貴方のやりたいことはわかった。検討するから時間をちょうだい」

「いい返事を待っていますよ」

 

 アンブリッジは僕の出世をすべて横取りできるから(そして僕はそれを許しているから)きっと公正な判断をしてくれるはずだ。正直僕もマクミランに教室使用を許可するのはある種の賭けだと思っている。僕は彼らの自習に全く介入するつもりはない。好感度を稼いだだけだ。マクミランのような生徒の好感度を上げることはそのリスクに見合う価値がある、と思う。

 マクミランは公正な生徒で、現在魔法省が取り組むハリー・ポッター断罪キャンペーンについてよく思っていない。初回レポートの端々からそれがわかった。そして彼は良い成績を取るためなら自分を抑えることができる。故に交友関係も広く信頼も厚いようだ。こういう人物はネガティブな感情の表出が少ない傾向にあり、マクミランはまさに善人と聞いて思い浮かべる人物像そのものと言える。

 彼には多少上司の不興をかおうが空き教室を貸してやるくらいの価値がある。とりあえずはそう判断した。僕はアンブリッジにマクミランの出したレポートのコピーとマグルのカウンセラーにやらせた分析の結果まで封筒に入れて送ってやった。フクロウは重たいそれを足に括られ、迷惑そうな顔をしていた。

 

 マクミランの他にも監督生全員と反抗的な生徒、ハリー・ポッターについてはマグルの精神分析医に鑑定を依頼している。とはいえポッター以外は簡単なプロフィールと書いた文章や僕から見た日々の言動といった、その人の全身を形作るには凡そ足りない面白みのない余白が描かれたパズルのピースのような情報しかなかった。

 逆に言えば、ポッターについては彼本人が知り得ない彼自身のことについてたくさんの情報で溢れていた。週刊魔女によれば彼はストロベリーよりチョコレートが好きで、女の子もビターな子が好み。月刊クィディチウィーザーによると箒に跨るときにローブを巻き上げる仕草がセクシーだと一部の熱烈なファンの間で話題だった。猫の目言論者によると彼は真実を呼びかけ続ける賢い魔法使いで、魔法省広報によるとダンブルドアに洗脳された哀れな未成年だった。

 ハリー・ポッターという像は本人を置き去りにして勝手に歪な鋳型を作られ、その殻しかない像を全員で叩き壊そうとしたり、新しい腕を継ぎ足そうとしたり、あるべき形に直そうとしている人間たちが集っている。ポッター本人に誰も興味はない。生き残った男の子、嘘つき、卑怯。そういう代名詞をみんなが捏ね繰り回したがってるだけで、そういう雑誌を買う連中の殆どは彼の中身に興味はないのだ。

 ポッターの青く固い肝臓や感情で凝った脳みそや、彼の西の浅瀬のような緑の瞳を見つめたいとは誰も思っていない。僕は違う。そういう意味では、僕は世間にあふれている一般魔法使いよりよほどポッターを尊重し、理解したいと思っているんだろう。

 

 僕は数多くの人と分かり合いたいと思っていたし、わかり合おうと努力していた。その努力はついぞ実ることはなかったしこれからも無いだろう。家族ですら、真実に心が通じたと思ったことはない。一番愛していた妹でさえ幼さや性差を差し引いても、理解し合えたことは無かった。

 妹が死んだのは重たい雪が振る12月の初旬だった。その日はめずらしく湿った空気が満ちていて、その水気が吐く息を凍らせていた。温かい血は循環が止まり次第冷えていき、バラ色の頬は青白い死んだ血管を透かすただの朽ち行く有機物へ。柔らかくカールした金髪は雪で濡れて茶色へ、そして溶かす温度を失った場所から雪で塗り潰されていく。

 頭のすぐ上までどっかりと雪を溜め込んだ、腹が膨らんでいるような曇り空、妹の下半身から流れる鮮血と、その横で死んでる妹を殺した男の割れた頭蓋にぶら下がる皮膚だけが赤かった。二人の作る染みはぐちゃぐちゃに湿った泥の中で混じり合い大地へ還ってゆく。妹も僕も兄も、まさか名も知らない男が人生にこんなに深く関わり合うとは思ってもなかっただろう。

 妹は僕たち兄弟のくびきだった。妹を失った僕らはもう二度と同じ歩調で歩くことはない。それを象徴するかのように、兄は手に持った血塗られたスコップを僕の目の前に突き出していった。

 

「…()()()()()()()()

 

 

 

 パーシー・ウィーズリーと再会した善きこの日はあの日の曇り空とよく似ていた。降り出すのは雨なのだろうが、彼の締めてる赤色のネクタイと白いシャツのコントラストを見ていると僕は自分の足元に2つの死体が転がっているような気がした。

「久しぶり、ウラジーミル。これまた出世したね」

「本当のところ、あまり望ましいことではないのだけどね」

 僕と彼はしっかり握手を交わし、校長室へ向かった。

 

 ホグワーツ高等尋問官として最初にする事はダンブルドアへの挨拶だった。

 はじめてこの老人と鼻を突き合わせたとき、僕はぼくの浅い中身を見通されたような寒気がして、腹のそこから腐ってくような苦い気持ちを味わった。あの透き通ったブルーの瞳。抉り出してやりたい。けれども僕の切りそろえられた爪が彼の瞼をこじ開けて、角膜を破り水晶体に到達するよりも先に、彼の圧倒的に理不尽な魔法が僕の指をめちゃくちゃに捻じ曲げて二度と利かないようにするはずだ。僕はまだピアノをひいたことがない。これから弾くことがあるかは疑問だが、可能性をわざわざ潰したくはなかった。

 僕の指は母の指に似ている。節くれだってささくれだった労働者の手だと母は言った。妹の手は僕と真逆で、未熟だったが貴族の持つ扇のようにしなやかで美しかった。彼女がもし生きていたら、英国に来れたとしたら、ピアノを弾きたがったかもしれない。

 そんなありもしない過程を思い描きながら、僕は校長室へ続く螺旋階段をパーシーと共に登った。


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