我輩はネコである。名前が。
そうなのだ。この頃に、とうとう我輩に名がついたのである。
名付け親は我輩のボスなのだが、これが名付け親といって良いのやら、少しあやふやだ。というのもボスが我輩をネコ、ネコと呼んでいるうちに、それが周囲に定着してしまって、しまいには我輩はネコである。と認識されるに至ったのだ。
「まあ、ペンネームのようなもんでして」
心の中でチョビヒゲにメガネのサラリーマンがそう言った。うむ。本名不詳というのも、裏側の人間、ヴィランとしてはかえってよろしいことやもしれぬ。
そう、我輩はヴィランである。
ヴィランとは、まあ犯罪者のことをさす単語であるが、特に個性を使ったものをそう呼んでおるように思われる。
この社会では、銃やらを一般人が使ってはならぬのと同じく、個性もその使用を法で禁じられている。
それを自分の都合で勝手気ままに使用して、しかもなお悪いことに犯罪を犯すのに大いに活用するのだ。そりゃあ見つかり次第に官憲が捕まえに来るのも、なるほどと納得する。
その捕まえに来る官憲が、個性の使用を許可されたヒーローと呼ばれる者たちだ。
何やら古い西部劇の時代の、悪漢と保安官のようでもあり。法やら治安やら社会の仕組みというものが、きっとまだ現実に追いつけていないのだろうなあ、と思う。
閑話休題。
前回、我輩はボスの先生との面会を強いられることとあいなった。その結果として、まずは我輩の個性をいろいろと試して、よく知ってはどうかという提案を受けるに至った。
その過程については、くわしくは語ることはない。我輩にだって、思い出したくもないことはある。わりと多目に。
そもそも過程と言えば、吹っ飛ばすものではないだろうか。うむ。それが良い。1年ほどのもろもろをすっ飛ばして、結論から言おう。
我輩は葬儀屋である。
ネコのような顔と体毛を持ち、少しだけ火を操り、死者からたまに個性を受け取ることのある、火車なる妖怪である。少なくとも、そんな個性だと思われる。
日々運び込まれてくる仏の顔をのぞきこみ、目が合ったものから受け取った個性をボスの先生に渡して生きている。
正しくはこちらから受け渡す方法がとんと見当がつかぬので、ボスの先生が抜きとってくれるのだが。ともあれ、そうしてお給金をいただいておる。
まさか3歳にして職に就こうとは、生前ですら考えもしなかったことだ。世の中というものは、世界が違えども変わらずに世知辛い。
さて。これからどうしたものか。
今までは、生きることだけで精一杯であった。その甲斐あって、ようやく食う寝るところに住むところ。仕事に収入に安全と、ようやっと人心地がついたところだ。
そうなってから、ふと考えるに。
この環境はもしや、時間制限があるのではなかろうか。
というのも、収入の元であるところの個性を買い取ってくれるボスの先生が、いわゆるムショ入りしてしまうのだ。これはマズい。
しかし我輩もそのボスの先生の一味とは言え、良識はある。悪の親玉に俺はなる!と決意して、世の中に大迷惑をかけまくり、その上反省どころか誇ってしまう人間を助けるのもどうであろうか。
ここはほっかむりをして何も知らぬ振りを決め込み、ほとぼりの冷めた頃合いに孤児院にでも転がり込んで、学校に通ってヒーローを目指すのはダメであろうか。
我輩が高校を出るまで、十年以上かかる。さすがにそれまでには原作の期間は終わっているだろう。つまり、ボスも捕まるなり改心するなりしているはずである。
あるいは一切合財を放り出して、海外へと逃げ出してしまおうか。そのためのツテはないが。
あるいは。あるいは。
ボスの先生から、あの個性を受け取れるか。ワンチャン試してみるのも一興であろうか。
うむ。まあ、何はともあれ、ようやくだ。ようやく我輩は、自分の人生を歩き出すことができるらしい。
ふむ。
我輩はネコであり、ヴィランであり、葬儀屋である。
将来は、まだわからない。
●「まあ、ペンネームのようなもんでして」
機動戦艦ナデシコより。もはや懐かしいを通り越して、覚えていないことが多い。正社員でサラリーマンなのに、本名不詳でプロスペクター(監査官)とだけ名乗っていた人のセリフ。