インフィニット・オーバーワールド   作:マハニャー

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 どうも侍従長です。

 ようやく簪ちゃんを出せます。
 これで残るヒロインはシャルのみ……なんですが、正直シャルをヒロインとして書く気が起きないんすよね。ぶっちゃけラウラの方が好きかも知れない。
 だからもしかしたらシャルのヒロイン入りはなくなるかもしれないです。

 それではどうぞ。


Story.21 更識簪

 生徒会室を後にして俺たちは、小一時間ほど準備(・・)をしてから、簪が居ると言う第二格納庫に向かった。

 入学してから今の今まで、ずっとここで一人で専用機の開発をしていたらしい。……どうにも違和感が残るが。

 のほほんさんからの更識簪についての情報(友達自慢)を聞き流していると、ついに目的地に到着した。

 ドアノブに手をかけたところで、のほほんさんが聞いてきた。

 

「それで、どうするの~? 私が先に行く?」

「いや、このまま行くよ」

「え、ちょっ……」

 

 慌てるのほほんさんを放って、俺は一息にドアを開け放った。

 

「失礼します」

「やっほー、かんちゃ~ん。……かんちゃん?」

 

 俺たちが足を踏み入れた格納庫には、散乱する何かの器具と保管されたISしかなく、人の姿はなかった。……と言うとでも思ったか。

 

「そこの柱の後ろ。見えてるぞ」

「ふぇっ!? う、嘘っ……!」

「お、やっぱり居たか」

「…………」

 

 案の定聞こえてきた声に、俺たちはそろってその声の方を向く。

 じっと見つめていると、やがて観念したのか、恐る恐ると言った様子で小柄な少女が出てきた。

 整った顔立ち、水色の内側に向いたセミロングの癖毛、眼鏡の形状をしたIS用の簡易ディスプレイ、おどおどと気弱そうな立居振る舞い。

 この娘が楯無の妹、更識簪か。

 

「かんちゃーん!」

「あ、本音……」

 

 固い表情だったのが、のほほんさんの顔を見てほっと緩んだ。仲のいいことで。

 暫しイチャつく二人を眺めていると、簪の視線がこちらに移った。

 

「そ、それで、あの……あなた、は?」

「初めまして、俺はイチカ・ロウ・ヴァンフリーク」

「あっ……二人目の、男性操縦者……」

 

 安心したような表情をする簪。俺でよかった、みたいな反応だな。

 そう言えば、織斑の《白式》開発に人員を取られたせいで簪はこんなことになっているんだったか。嫌悪感を覚えるのも無理はないな。ザマァ(笑)。

 

 ふむ……少し、突いてみるか。

 

「ああ。ついでにお前の姉、更識楯無のルームメイトだ」

「……っ! お姉ちゃんのことは、言わないで……!」

 

 案の定、反応したか。

 妬ましさ、羨ましさ、悔しさ、厭わしさ、寂しさ……ってところだろう。

 姉も姉だが、こっちもこっちで色々拗らせていそうだ。難儀な姉妹なことで。

 

「ちょっといっちー……」

「ああ、すまん。別に他意はないよ」

「えぇ~……?」

 

 いやホントに。ちょっと反応が見たかっただけだから。

 まあ、それで思い切り警戒されたのは予想外だったが。姉は素直になれないシスコンで、妹はコンプレックスの塊。とんでもなく面倒臭いな。

 それに……昔の俺を見ているようで、嫌になる。

 

 溜め息を吐きながら、俺は簪の背後に立つ明らかに開発中のISを見やった。

 

「それが、一人で組み立てているって言うISか?」

「……そう、だけど」

「煮詰まってるみたいだが」

「…………」

 

 やれやれ、これはまた……随分と警戒されたもんだな。

 姉の話題を出しただけでこれとは。苦労するぞ、楯無。

 まあこの二人の姉妹喧嘩について何かを口出しする気はないし、俺は俺で引き受けた仕事を完遂するのみだ。

 

「結局、あなたは何をしに、ここに来たの……?」

「君の手伝いをしにきた」

「てつ、だい?」

「ああ。ルームメイトの頼みで、な」

「……ッ、お姉ちゃんの?」

「いっちー! それは言わなくても――」

 

 姉の依頼だと聞いて、簪は胸元を押さえて俯いてしまった。

 俺を咎めるようなのほほんさんを制止して、簪の反応を待つ。

 口出しする気はないとは言ったが……まあ、橋渡しはしてやるとも言ったしな。

 

 やがて、俯く簪の口から、震える声が漏れ出した。

 

「お姉ちゃんが、私を気遣って……?」

「ああ」

「お姉ちゃんが、私のために……?」

「ああ」

「そっ、かぁ」

「かんちゃん……?」

 

 傍から見れば姉からの愛情に感動しているように見えるが、恐らく違うだろう。

 気遣わしげなのほほんさんの言葉も聞こえていないようだ。

 

「ダメ、なのかな。私じゃ、ダメなのかな」

「かんちゃん……」

「私じゃ、お姉ちゃんを越えられないのかな。ずっと、お姉ちゃんに助けられて、お姉ちゃんの背中を眺めてることしか、出来ないのかなぁ……?」

 

 IS学園生徒会長、更識楯無。学園最強の称号を持つと同時に、自由国籍を持つロシアの国家代表の座を得た才媛。

 彼女の専用機、《霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)》は、楯無が一人で作り上げたという。

 

 やはり、簪が一人で専用機を完成させようとしているのは姉への対抗心の表れか。

 どうやら対抗心だけと言うわけでもなさそうだが……

 

「お前が何を持ってそう思ったのかは知らんが……このやり方じゃ、いつまで経っても楯無を超えることなんて出来んぞ」

「え……」

「今のお前がやってることは、楯無の真似をしているだけ。アイツの背中を追いかけているだけだ。というかそもそも、楯無を超えたいのに楯無と同じことをしてどうする」

「…………」

 

 今の更識簪がしていることは、更識楯無を超えるための努力などではない。

 むしろ俺には、大好きな姉に置いて行かれたくないと、必死にしがみつこうとしているようにも見える。

 

「大体だな、簪。お前、本当に楯無が誰の助けも借りずに、たった一人でISを完成させたと思ってるのか」

「え……?」

「俺も実情は知らんがな。本当に一人で完成させられるって言うんなら、楯無はどっかの天災兎並の天才ってことになるが」

 

 時間、場所、知識、資材、ノウハウ……ざっと考えただけでも、IS一機組み上げるのがどれほどの難行なのかが分かる。

 本来は企業や軍が担うことを、個人でやろうと言うのだ。その難度は計り知れない。

 

 それほどのことを、楯無ただ一人で完遂することなど出来るのだろうか? 否だ。

 楯無がそれを成し遂げたのは、彼女の文字通り血の滲むような努力と、そんな彼女を助けたいと尽力した周囲の人々のおかげだろう。

 

「簪はどうだ? 楯無に並ぶだけの努力をしてきたと言いきれるか? 幼い頃から更識家当主としての器を期待され、それに応えてロシアの国家代表にまで上り詰めた姉に」

 

 何も、簪の努力を否定したいわけではない。

 完成まで漕ぎ着けられずとも、ただ一人で頑張ってきた簪の努力は、称賛を受けこそすれ嘲弄されていいはずがない。

 だが、それでも尚、楯無が積み重ねてきたものには及ばないのだ。

 

 そして、もう一つ。

 

「お前には居なかったのか? 手を差し伸べてくれる人が、助けてくれる人が。意地を張って、その手を振り払ってしまってはいなかったか?」

 

 のほほんさんから聞いた話だが。

 一人で黙々と作業に励む簪を気遣って、手伝いを申し出てくれた先輩は居たらしい。

 しかし簪はそれを断った。姉への対抗心から。絶対に、一人で成し遂げてみせると。

 

「……っ、あ」

 

 俺の言葉を聞いて、簪が視線を横に逸らした。

 その先には、穏やかに笑うのほほんさんの……簪の、親友の姿があった。

 

「本音……」

「大丈夫だよ、かんちゃん。私は、かんちゃんの味方だから。かんちゃんが望むなら、いくらでも手伝うよ?」

 

 そう言ってにっこりと笑うのほほんさんから感じる、ほんのりとした母性。

 これは簪みたいな人見知りの娘が懐くのも納得だな、と一つ頷く。

 

「さて、簪。今まで色々言ってきたが……お前はどうする? どうしたい?」

「私は……」

 

 のほほんさんに緩やかに背中を押されて、簪は胸の前でぎゅっと拳を握る。

 そして、顔を合わせてから初めて、俺の目を真っ直ぐに見つめて、

 

「私は、ISを、《打鉄弐式(うちがねにしき)》を完成させたい」

 

 傍らに立つ、自身の未来の相棒を見つめながら、簪は途切れ途切れの言葉を紡ぐ。

 

「ずっと、こんなところに居るのは、この子も可哀想。先輩たちにも、謝って、頭を下げて、お願いして、手伝ってもらう」

「いいのか? 一人でやらなくて」

「うん。つまらない意地を、張ってる場合じゃないし……それも、私の武器だと、思うことにしたから」

 

 その通り。

『無条件で助けてくれる誰か』を作ることは非常に難しい。必要なのは、何があろうと揺らぐことのない信頼関係。

 もしそれを手に入れることができれば、常に他者に囲まれて生きる人間にとって絶大なアドバンテージとなる。

 

 それを理解出来てるなら、準備(・・)が無駄にならずに済んだみたいだな。

 簪の言葉に笑みを零して、俺は不意に視線を背後へやった。

 

「――だ、そうですよ?」

 

 呼びかけに応じてドアから姿を現した生徒たちを見て、簪が目を見開き、大きく息を呑んだ。分かりやすく驚愕している。

 そんな簪を柔らかい視線で見つめながら近づいてくるのは、ここ、第二格納庫でこれまで簪と一緒に作業をしてきた整備科の生徒たちである。

 ここに来る前にのほほんさんを通して事情を軽く説明し、今まで隠れてもらっていたのである。

 

「えっ、えっ、え……!?」

 

 まあ、そんなことを知る由もない簪は、これ以上ないと言うほどに困惑しきっているが。

 やってきた生徒たちが、次々に簪に声をかけていく。

 

「全く水臭い! ずっと一緒なんだから、少しは頼ってくれてもいいのに!」

「大丈夫だよ簪ちゃん! 一生懸命お手伝いするから!」

「新型ISの開発……腕が鳴るぜ!」

「あなたが頑張ってるところ、ずっと見てきたから。力になれたら嬉しいわ」

「と言うかズルい! あたしにも関わらせろー!」

 

 投げかけられる暖かい(?)言葉。

 

 お膳立てをしたのは俺かもしれないが、彼女たちは簪を助けるために集まったのだ。

 ならばこの光景は、簪の功績に他ならない。

 泣き言一つ溢さず、ひたむきに頑張っていた簪の熱意が、彼女たちの心を動かしたのだから。

 

 戸惑うばかりの簪の背中を押すのは、もちろん、親友であるのほほんさんだ。

 

「ほら、かんちゃん。ちゃんと、自分の言葉で言わないと」

「本音……うん、そうだね」

 

 すぅ、はぁ、と深呼吸をした簪は、ディスプレイ越しに整備科の生徒たちを見つめて、

 

「私は……《打鉄弐式》を完成させて、お姉ちゃんを倒したい(・・・・・・・・・・)

 

 簪が口にした目標に、集まった生徒たちが驚きの声を上げる。

 しかし、簪の瞳に灯る闘志の炎は、その言葉が去勢などではないことを何よりも雄弁に告げていた。

 学園最強、生徒会長更識楯無に勝つ――その意味を理解して、それでも尚、簪は宣言したのだ。

 

「お姉ちゃんに勝つ。勝って、言いたいことがある。……今までごめんなさい。そしてお願いします――私を、助けてください……!」

 

 その願いに、俺を含めて返す言葉はただ一つ。

 

『喜んで!』

 

 

 

§

 

 

 

「それで~? 私だけ呼び出して、どうしたのいっちー?」

 

 簪の願いを聞き届けて、張り切った整備科の生徒たちが物凄い熱意で作業を進める中。

 俺はのほほんさんを格納庫の外へ呼び出していた。

 

 不思議そうに首を傾げるのほほんさんに、俺は何も言わず微笑んで――徐にのほほんさんの上着の左ポケットに手を突っ込んだ。

 

「ひゃあっ!?」

「はいはいちょっと待ってなー」

 

 ポケットから引き抜いた俺の手に握られているのは、スピーカーモードで通話中の端末だった。

 表示されている連絡先は『おじょうさま(シスコンお姉様)』。

 まあつまり、さっきまでの会話はこの端末を通して楯無たちのところへ届けられていたと言うことだ。

 

 のほほんさんは、悪戯がバレた子供のような表情で舌を出した。

 

「あはは~……いつから気付いてたの~?」

「違和感は大分前から。確信に至ったのはついさっきだ。……のほほんさん、ずっと俺の左側に居たからな。少し露骨過ぎたぞ?」

「うぐぅ……全部私のミスですか~……とほほ」

 

 ショックを受けるのほほんさんだが、そもそもの話。

 

「あの楯無が、可愛い妹に男が会いに行くって言うのに何もしないわけがないとは思ってた」

「あ~……」

 

 自分で言ってて思った。納得するしかない理屈だよな。

 

「で、いっちーはそれに気づいて、どうするの~?」

「いや、簪が居るあの場で暴露するのもどうかと思ったんでな」

 

 さらに姉妹間の溝が深まりかねないし。

 溜め息を吐きながら、報告をする。

 

「とりあえず、俺に出来ることはやった。後は簪たちの努力次第だ。もちろんこれからも手伝いぐらいはするが…………楯無、そんなことばっかりしてると本気で嫌われるぞ?」

『…………ッ!?(ガタガタガタッ)』

 

 何やら派手に転んだような音が聞こえてきたが、とりあえず無視。

 後始末は虚さんに任せて、通話を切り、のほほんさんに返却する。

 差し出された端末を、のほほんさんは何やら微妙な表情で受け取った。

 

「どうした?」

「……怒らないの~? 勝手に盗聴されてたのに~」

「盗聴って言ってもな。それほど気にするようなことでもないだろう」

 

 これは盗聴と言うよりむしろ傍聴ではなかろうか。

 どちらにせよ、妹のことを心配しての行動だったわけで。少し行き過ぎている気がしなくもないが……まあ、そこら辺のツッコミは虚さんがしてくれるだろう。うん。

 特に俺のプライバシーに関わるようなことを聞かれたわけでもなし。特に言うこともない。

 

「いっちーは優しいねぇ」

「……そうでもないさ」

 

 のほほんさんのしみじみとした言葉に苦笑で返し、簪の元へ戻るように促す。

 

「うん、戻るけど……いっちーは?」

「俺は――もう少ししてから戻るよ」

 

 今の俺にとっては――あの空間は、少し居た堪れない。

 一人の少女の助けを求める声に応えて、全員が一致団結して動いている……そんな光景は。どうしても。

 

 自嘲気味の笑みを浮かべる俺を見て、のほほんさんはふと口を開いた。

 

「――羨ましくなっちゃった?」

「……っ」

 

 思わず顔を上げれば、感情の読めない薄い笑みを浮かべたのほほんさんの姿。

 彼女はその笑みのまま、何でもないことのように言葉を続けた。

 

「確かに、今のかんちゃんはいっちーにとって……織斑一夏にとっては(・・・・・・・・・)辛いよね」

「…………」

 

 知っていたのか、とは聞かない。

 そもそもヒントを与えたのは俺だ。更識の持つ権力を考えれば、政府が隠匿したあの事件に至ることも十分可能だろう。

 だがまさか、それを最初にのほほんさんに指摘されるとは思わなかった。

 

「優秀な家族と常に比べられ続けて、突き放されて、置いて行かれたくなくて、追い付きたくて、必死に努力して。ここまでなら、イチカ君(・・・・)とかんちゃんは、とてもよく似てる」

「…………」

「けど、たった一つ、決定的に違ったのが……一人じゃなかったこと」

 

 そう、更識簪と言う少女は、どんな状況でも決して孤独などではなかった。

 傍にはどんな時でも支えてくれる幼馴染が居て、いつでも気にかけてくれている同輩や先輩たちが居て、不器用ながら愛情を向ける家族が居て。

 簪が一言助けを求める声を上げれば、彼らは何も言わずに協力してくれる。その結果が、今の第二格納庫で繰り広げられているであろう光景だ。

 その様は……

 

「本当、君と真逆だよね(・・・・・・・)。常に庇護と愛情を受けてきたかんちゃんと、迫害と暴力を浴びてきたイチカ君。嫌になるほど、君たちは対極に居る」

「…………」

「そのことは、イチカ君が一番よく分かっていて……だから、居た堪れない。どうして自分の時はこうじゃなかったのか、って怒りたいけど、かんちゃんに非はないから怒りを向ける矛先が見つからなくて。そもそも、割り切ったはずの感情に振り回されて、戸惑って。怒りとか、寂しさとか、妬ましさとか、羨ましさとか。平然とした顔してるけど、今、心の中はぐちゃぐちゃなんじゃないかな?」

 

 ……図星、だった。

 混沌としてどうしようもなかった心中を綺麗に言い当てられて、思わず呆然としてしまった。

 

 気圧される。いつもののほほんとした雰囲気とはあまりに違う彼女に、布仏本音と言う少女に。

 決して脅かされているわけではない。だが、こちらに向けられるその透き通った瞳に視線が縫いつけられる。

 何故か、正体のことを誤魔化そうとすら思えなかった。俺は呆然としたまま、のほほんさん……本音の言葉を聞いていた。

 

「あの光景こそが、織斑一夏君が本当に望んでいたもの。そして、手に入れることが出来なかったもの。信頼できる家族と一緒に時間を過ごして、気の置けない友達と笑い合って……君が本当に欲しかったのは、そんな当たり前だった」

 

 ……そうだ。

 世間からの称賛とか、名誉とか、そんなものはどうでもよくて。

 ただ、皆の言う『当たり前』が欲しくて。

 届かないと分かっていても手を伸ばしたくなるほどに、眩しくて。

 

 沈黙してしまった俺に、何を思ったのか本音は両手を広げて

 

「はいっ♪」

「……そのポーズは?」

「今なら無料で、イチカ君のことをぎゅーってしてあげます。さぁどうぞ!」

「俺に、抱きつけと?」

「私からでもいいよ?」

「そういう問題じゃなくて……あまり軽々しく男に体を……」

「私、そんなに軽い女の子じゃないよ?」

「なら……」

「イチカ君……いっちーだから、だよ~?」

 

 急に雰囲気を元に戻したのほほんさん。温度差に風邪引きそう。

 まごつく俺に業を煮やしたのか、のほほんさんはズイッと両手を突き出した。

 

「いっちー、この体勢けっこう疲れるんだよ~? お菓子のお礼ってことでさぁ~」

「……そういうことなら」

 

 あくまで渋々、と言う態度でのほほんさんの胸元に額を置けば、のほほんさんの両手が俺の頭をしっかりとロックし、胸の真ん中へ押し付けてきた。

 突如真っ黒になる視界と、鼻を刺激する何とも言えない甘い匂い、そして俺の顔面が埋まった、ふくよかな胸の感触。

 暫し漂白された思考に最初に浮かんできたのは、「のほほんさん、着痩せする方なんだな」と言うどこかズレた感想だった。

 

「…………ほほほんはん(のほほんさん)?」

「くすぐったいよぉ~、そこでしゃべっちゃダメ~。……んふふ~、こんなところ見られたら、ソフィソフィに怒られちゃうかな~?」

 

 ……怖いことを言うなよのほほんさん。

 抗議しようとしたが、ゆっくりと髪を梳く手の感触に、思わず押し黙る。

 

「よし、よし……」

「……恥ずかしいんだが」

「でも嫌じゃないんだよね~?」

 

 まあ、正直に言って。かなり、心地良くはある。

 上半身を包み込むのほほんさんの体温が、漂ってくる甘やかな香りが、労るようにゆっくりと髪を撫ぜる手の平の温もりが。

 のほほんさんから与えられる全てが、俺の中の何かを刺激して……けれどその刺激は、何故だかとても心地よくて。

 

「いいこいいこ~」

「……俺は子供かよ」

「子供だよ、君は」

 

 思わずぼやいた俺に、のほほんさんははっきりとした否定を返した。

 

「子供って言うのはね~、身近な大人、家族の姿から、色んなことを学んで、少しずつ少しずつ、大人になっていくの。……お母さんから愛情を受けて、お父さんの背中を見て、兄弟や姉妹と支え合って助け合って……そういう風に、成長していって、大人になるの。――でも、いっちーにはそれがなかった」

「…………」

「もちろん、それはいっちーのせいじゃない。むしろ、そんな境遇でこんな風に真っ直ぐ育ったのは驚きだよ。感心、感心~♪ よっぽどお師匠さんは人間味に溢れた人だったんだね~」

 

 のほほんさんの言葉に思い浮かべた師匠の顔は、自慢げに笑っていて、少し笑ってしまいそうだった。

 

「だからいっちーは、まだ子供。大人にならざるを得なくて、でも足りないものが多すぎて背伸びしてるだけの、ただの子供」

「……そう、なのか?」

「あくまで私がそう思った、ってだけだけどね~」

 

 見上げたのほほんさんの表情は、とても優しく綻んでいて。何故だか、泣きそうになってしまった。

 浮かんできた涙を誤魔化すように、のほほんさんの胸元から顔を離し、今度は肩口に埋めた。……どうしてのほほんさんから離れようとしなかったのかは、自分でもよく分からない。

 

 けれどのほほんさんは何も言わず、にへっと笑って抱き締めてくれた。

 胸の奥から湧き上がってきた衝動に従って、俺からも抱き締め返す。同級生に縋りついて何やってんだ、と言う感情はあったが、どうでもよかった。

 今はただ、この温もりに包まれていたかった。耳朶を打つ優しい声音に、酔いしれていたかった。

 

「だから、いっちーはこれから、これまで以上に色んなことを学んでいかなきゃいけない。大人になるために。一人の人間として生きていくために」

「…………」

「それをこの学園で学んでいってもらえたら、生徒会役員としては嬉しいかな~? ……まあとにかく、その第一弾として~……いっちーには、誰かに甘えるってことを覚えてもらいたかったのです」

「……っ」

「……泣いてもいいよ~?」

「……泣かないさ。――もう、散々に泣いたから」

「そっか」

「ああ」

 

 思い出すのは、マギアルカ・ゼン・ヴァンフリークと初めて出会った時のこと。

 あの時もこんな風に、彼女に諭されて、抱き締められて、その胸で泣いた。

 

 ……何だか、今更ながら照れくさくなってきた。恥ずかしさを誤魔化すのも兼ねて、軽口を叩いてみる。

 

「あれだな。……のほほんさんは、いい母親になりそうだな」

「え~? いっちーのお嫁さんになら、なってあげてもいいけど~?」

「…………」

 

 ほんのりと赤らんだ頬は、見なかったことにしておく。

 まあ、こんなことまでしてくれる辺り、決して嫌われているわけではないことは分かるのだが。

 気まずい雰囲気になりそうだったので、名残惜しい気持ちを抑えつけながらゆっくりと体を離す。

 

「……もういいの~?」

「うん、ありがとうのほほんさん。……あー」

「?」

 

 続きの言葉を言っていいものか悩むが……甘えろ、と言われたばかりだしな。

 

「その、また……機会があれば、頼んでもいいか?」

「ふぇ? ……あ、うん! もちろんだよ~! いっちーならいつでも大歓迎!」

 

 素直に甘えるって言うのは、何気に照れるものだな。

 ……ああ、そうか。俺は、そんなことすら知らなかったのか。考えてみれば、これまで誰かに甘えたことなんて、ほとんどなかった。

 マギアルカに救われてからも、彼女の隣に立ちたいとずっと気を張ってきた。

 

 今度会った時は、少し、甘えてみようか。

 きっとあの人なら、少し驚いたような顔をして、俺の大好きなあの笑顔で受け入れてくれるだろう。

 

 心底嬉しそうに笑うのほほんさんに笑みを返しながら、そんなことを思った。

 

 

 

§

 

 

 

「失礼します」

 

 イチカが本音に甘えていた時。凰鈴音は一人、職員室へ来ていた。

 断りを入れて踏み入ると、部屋の明かりは既に消されていた。差し込む夕日が室内を真っ赤に染めている。

 見渡せば、椅子に深く腰掛け窓の外を眺めている黒髪の女性が一人。

 鈴音をここに呼び出した張本人、織斑千冬その人だ。

 

「……来たか」

「はい」

「来い。座れ」

 

 常の覇気に溢れる堂々とした態度とは異なり、妙に気落ちしたような、疲弊感のようなものを漂わせる千冬に違和感を感じないでもなかったが、素直にその言葉に従う。

 千冬の目の前の椅子に座り、改めてその整った美貌を見つめれば――目元に浮かんだ隈、僅かに乱れた髪形や襟元など、やはり、疲れているようだった。

 

「……それで、どうして私を呼び出したんですか?」

 

 しかし鈴音は、それらに一切触れることなく本題に入るように促した。

 

 率直に言って、鈴音は千冬が嫌いだった。

 言うまでもなく、千冬は彼の……織斑一夏の家族だ。たった二人しかいない家族の一人だ。

 自分などより、『あの時』の一夏の近くに居たはずの人間なのだ。

 だと言うのに目の前の女は、身も心もボロボロに傷ついていた一夏に手を差し伸べるようなことはなかった。

 本当なら、誰よりも一夏のことを気遣い、守らねばならない人間であったはずなのに。

 何も出来なかった自分を棚に上げていると分かっていても、鈴音は千冬を恨まずには居られなかった。

 

 それを踏まえても鈴音の態度がいつも以上に刺々しいのは……今回呼ばれた理由を、心のどこかで直感していたからだろう。

 

 鈴音の問いに、千冬は視線を彷徨わせて、やがて意を決したように口を開いた。

 

「……凰。お前は、一夏の友達だったんだな」

「イチカのですか? そうですけど」

「違う。……私の弟、織斑一夏のことだ」

 

 やはりか、と鈴音は心中で呟いた。

 今更掘り返してどういうつもりだ、と言う言葉を飲み込んで、胡乱げに千冬を見つめて言葉を返す。

 

「友達ではありませんでした。私は一夏に助けられただけ。それ以降、まともに話したことはありませんから」

「そ、そうか。……凰、お前はどう思う?」

「どう、とは?」

「――ヴァンフリークが、実は一夏だった……と言うことが、あると思うか?」

「…………」

 

 本題はそこか。鈴音は静かに気を引き締めた。

 

「常識的に考えて、有り得ないと言うことは分かっている。私は、一夏が誘拐された現場をこの目で見た。あそこに残されていた大量の血痕を、この目で見た。あれほどの傷を負って、治療もなしにただの子供が生き残れるわけがない。他人の空似と思うのが正解なんだろう……だが、それでも!」

「…………」

「それでも私には、あいつがそう見えてしまう……有り得ない、はずなのに……! 期待してしまうんだ!」

 

 訥々と言い募る千冬を見て、鈴音が思ったのは――「何を言っているんだこの人は」という、呆れだった。

 一夏の誘拐事件は、今では事件そのものが国家機密扱いとなっており、一介の生徒を相手にこんな風に暴露していいものではない。鈴音とてそれを知ったのは、代表候補生になってからのことなのだ。

 苦悩する千冬を半眼で見ながら、鈴音は千冬の言葉について考えてみた。

 

 と言うより、その可能性は鈴音が常々考えていたことだった。

 初見のインパクトと離れていた年月があったとはいえ、かつての彼をずっと見つめていた自分が見間違えたのだ。……本当に見間違えだったのかは、ともかくとしても。

 イチカ・ロウ・ヴァンフリークと出会って以来、鈴音はイチカのことをそれとなく観察してきた。

 結論としては……見間違いではなかった(・・・・・・・・・・)

 顔立ち、背格好、笑い方、ふとした時に見せる些細な仕草、時折覗くどこか寂しそうな笑顔……その全てが(イチカ)こそが、織斑一夏であると物語っていた。

 

 こんな言い方をすると鈴音が粘着質なストーカーのようだが、純愛(?)である。

 もはや確信に至っている鈴音だが、生憎と、それを千冬に伝えるつもりはなかった。

 まず第一に、千冬を信用する気にはなれないし……今のイチカ(一夏)は、とても幸せそうだから。

 あの頃とは違って、彼の全てを否定しようとする人間は居ない。彼の周囲には、彼を信頼し共に歩んでくれる友が居る。

 ただそれだけのことが、一夏にとってどれほどに嬉しいことなのか……鈴音はそれをよく知っているから。

 彼の幸せを壊したくない。ああやって、ずっと笑っていてほしい。

 何より……やっと、二人で笑い合うことが出来るようになったのだから。

 

 だから、鈴音はわざと答えを濁した。

 

「さぁ? そんなこと私に言われても困ります。けど……確かに、よく似ているとは思います」

「……っ。やはり、お前から見てもそう思うか」

 

 パッと顔を上げ、表情を輝かせる千冬。

 千冬に希望を持たせるような言い方にしたのは、一応、こんな人でも一夏の家族だから。本人がもはやそう思っていないとしても、心配するくらいは許されるはずだ――

 

 しかし、鈴音のそんな考えは、千冬の発した次のセリフに跡形もなく吹き飛んだ。

 

 

「だが……あいつが一夏ならば、どうして私たちの許に帰ってきてくれない?」

 

「……は?」

 

 何を、言っているのだ、この人は。

 

「それに、性格も変わり過ぎている……私の知る一夏は、あんなに冷たい眼は向けて来なかったし……可愛い弟を、あれほど痛めつけたりはしなかった。素直で明るく、優しい子だった」

「…………」

 

 一夏が変わった? 当然だろう。あれほどの迫害を何年も受け続けてきたのだ。変質もしよう。それでも歪まなかった一夏は称賛されてしかるべきだ。

 

 ……いや、待て。待て。待て……まさか(・・・)

 

「一体一夏に……何があったのだ(・・・・・・・)?」

「――――」

 

 一夏の身に起こったことを、何も知らない(・・・・・・)と、そう言うのか?

 

 心配そうにこちらを見つめる、その顔に……鈴音は言葉を失った。

 

 何も知らないなどと、そんなことがあり得るのか?

 これが学校と言う箱庭だけでのことならまだ分からなくもない。だが、一夏の件は明確に規模が違う。

 学校ぐるみどころではない。町だ。町ぐるみ(・・・・)の迫害が起こっていたのだ。

 だと、言うのに、この女は。

 

「家族なのだから、一緒に居るのは当然だろう?」

 

 その、疑問すら抱かずに放たれた言葉に、鈴音の我慢はついに限界に達した。

 

 椅子から勢いよく立ち上がり、呆ける千冬の胸倉を掴み上げる。

 戸惑っているその顔がカンに障る。どうしようもなく腹が立つ。

 顔を近付け、喉の奥から、腹の底から、叫ぶ。

 

「――ふざけるなッ!!」

「なっ……」

「家族ですって? アンタが本当に一夏の家族だって言うんなら、アンタは今まで一夏の何を見てきたのよッ!!」

「お前、何を言って……」

「知らないってんなら教えてあげるわ! 一夏はね、ずっと苛められてたのよ! それもクラス内でとか学校内でとかどころじゃない、町全体でよ! 私が転校してきた時にはそうだったから少なくとも三年、もしかしたらそれ以上の長い間、一夏はずっと、ずっと! 苛められてた!!」

「……何、だと? 一夏が、苛め……」

「呆れたわ。心底、呆れた。アンタ、本当に何も知らなかったのね」

 

 一夏は何も言わなかった?

 家庭を支えるバイトで忙しかった?

 誰もそんな素振りは見せなかった?

 

 だからどうした。そんなこと、言い訳になりはしない。同情の余地など欠片もない。

 

「……アイツが苛められてた理由、アンタには分かる?」

「…………」

「――天才じゃなかったからよ。アンタや春万みたいに才能がなかったから、アイツは『不良品』として扱われてきた」

「『不良、品』……」

「それでも、アイツは必死に努力した。アンタたちに追い付くために、堂々と胸を張って隣に立つために、文字通り血の滲むような思いで! けど、それが報われることは決してなかった!」

「……!」

「どこまで行っても、一夏は天才じゃなかった! ただの凡人でしかなかったから! ……あの頃の一夏の気持が、アンタに分かる? 私には分からないわ。何をしても、どれだけ努力しても、その全てを否定され拒絶され続ける……そんな地獄に、アイツはずっと居たのよ!」

 

 絶叫する鈴音の瞳も僅かに潤んでいる。

 鈴音には当時の一夏の心境など分からない。当事者ではない以上、想像するほかない。しかしそれが、途轍もなく辛いものであったことだけは分かる。もし自分が同じ境遇に居ればと考えると、背筋が冷たくなる。

 

「もう一度聞くわ……アンタは、アイツに何をしてあげた? アイツの何を見てたの? 両親を失ってたった一人で家庭を支えようとしてたのは素直に凄いと思うわ……けど、それは家族を蔑ろにしていい理由にはならないわよ」

「蔑ろになど……」

「なら、アンタが居ない家で、家事は誰が担当してたの? そいつに対して、アンタは一度でも「ありがとう」って言ってあげたの?」

「家族なのだから、家事の手伝いをするのは……」

「手伝いをするのは当たり前って? ええそうでしょうね。でもね一夏は家事だけに専念してたわけじゃない、勉強も、剣道も、全部を一気にやろうとして、両立してた。あの頃の一夏は、本当にギリギリだった。アンタはこのことを知ってたの?」

「それ、は……」

 

 今までの言葉は、全て鈴音の想像でしかない。織斑家の事情など鈴音には知る由もない。

 だが千冬が見せた反応で、大体の状況が想像の通りであると分かった。もはや呆れるほかない。

 

「どうしてアンタがこのことに気付かなかったのか、教えてあげるわ。――アンタが、一夏のことを見ようとしていなかったからよ」

「そんなことは……!」

「アンタが今まで見ていたのは、『守るべき存在である弟』……一度だって、『織斑一夏』って一人の人間を見ようとしなかったのよ」

「…………っ!」

 

 静かに言い切る鈴音に、千冬は絶句した。

 反射的に反論しようと睨みつけるが、何故か、言葉が出てこない。

 それは心のどこかで、鈴音の指摘を認めてしまっているからだろうか。

 何も言えずに沈黙した千冬を見て、鈴音は鼻を鳴らし乱暴に突き飛ばした。

 そのまま何も言わずに退室しようとして……ドアの前まで来たところで、項垂れる千冬を振り返った。

 

「ヴァンフリークが一夏なんじゃないかって話だけど、私は別にどっちだっていいのよ」

「…………」

「だってアイツは今、あんなに楽しそうに……笑ってるんだから」

 

 それだけ言い残すと、慇懃に頭を下げて鈴音は職員室から退室した。

 

 

 

§

 

 

 

「……一夏……私は……お前を……」




 書いてから思いました。これタイトル詐欺じゃね? と。
 ムシャクシャしてやった。反省はしているが、後悔はしていない。(じゅんすいなまなこ)



 プリズマイリヤコラボ復刻イェーーーアッ!!!!
 はっはっは、リンゴの貯蔵は十分だ、待っててねクロエたぁんっ!!
 お迎えしたらすぐにマイルームに連れ込んでいっぱいツンツン(ボイス)してあげるからぁっ!!!!
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