インフィニット・オーバーワールド   作:マハニャー

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 この回が一番書きたかったんじゃ……。

※今更ですが、モノローグで名字を出すのは分かりにくいのでほとんどのキャラについては名前を出すことにしました。ご了承ください。



Story.25 愛故に

 第三アリーナで起こった幻神獣(アビス)の襲撃事件。

 ヴァンフリーク商会所属の機竜使い(ドラグナイト)としての事件の後始末――主に幻神獣(アビス)の死体の処理など――を終えた俺とソフィーは、他の代表候補生たち、ついでに織斑、篠ノ之と共に、事件の事情聴取のために会議室に呼ばれていた。

 尚言うまでもないことだが、クラス対抗戦は中止になった。

 

「さて……まずは全員、ご苦労だった」

 

 会議室の巨大な長机に腰掛けた俺たちに向けて口を開いたのは、織斑先生。事後処理で手間取ったのか少し疲れたような顔をしている。

 ご愁傷様、としか思えないが、隣に座るソフィーはあからさまに嬉しそうである。一応窘めておいた。

 

「全員無事……とは言えんが、あれだけの敵を相手に全員生きて帰って来れただけでも御の字だろう」

 

 ちらりと俺と鈴を見る織斑先生。距離を取って戦っていたソフィーはともかく、最前線を張っていた俺と時間稼ぎをしていた鈴は傷だらけで、酷い見た目だからな。

 特に鈴は女の子だ。彼女の大事な体に浅いとは言え傷を付ける結果になってしまったことは残念でならないし、申し訳ない限りだ。春万? 男の傷は背中のもの以外なら勲章だろう。

 

 そんな前置きを挟んで、織斑先生は早速事情聴取に入った。

 大仰な言い方だが、要するにやることは情報のすり合わせだ。一人ずつ状況と所感を説明し、それぞれを比較して情報の確度を高めていく。

 小一時間ほどして、ようやく聴取は終わりを告げた。

 

「ふむ……特に目立った相違点はない、か。お前たちも疲れているだろうに、すまなかったな。何か質問はあるか?」

「では、一つよろしいですか?」

「何だ? オルコット」

 

 小さく挙手をしたセシリアは、眦を鋭くして織斑先生の目を真っ直ぐ見つめて、

 

「襲撃をしてきたあの謎の生物と、そして学園のISを回収していった謎のIS……あれらについて、学園は何か情報を掴んでいますの?」

「…………目下、調査中だ」

「つまり何も分かっていない、と言うことですわね」

 

 セシリアは一言で斬って捨てた。

 

「あの生物については? 確か死体が残っていたでしょう」

「すまない、セシリア。何分未知の生物だ。どんな細菌やら病原菌やらを持っているかも分からんのでな。俺たちの方で処理させてもらった」

「……本当なら文句の一つでも言いたいところですが、それも当然の懸念ですわね」

 

 はぁ、と溜め息を吐き出しながら背凭れに体を預けた。その表情は険しい。

 そんなセシリアの態度が癪に障ったのか、箒がセシリアに噛み付く。

 

「貴様! 千冬さんに向けて何だその態度は!!」

「……あなたに口出しされる謂われはありませんわ。今の私はIS学園の生徒としてではなく、この場におけるイギリスと言う国家の代表として質問しましたの。ISの性能を軽々と越える能力を持つ全く未知の生物、そして未確認のIS……国防の観点からしても、早急に情報を集め、対策する必要があります」

 

 情報がなければ対策も何もありませんが、と自嘲気味に笑うセシリアに、言葉もなく沈黙する箒。

 国のために声を上げたセシリアに対し、箒は感情に任せて怒鳴っただけだ。

 

 ……セシリアには悪いが、今はまだ幻神獣(アビス)の存在を、こちらの世界の住人に知られるわけにはいかない。

 無用な混乱を招く必要はない。一番望ましいのは秘密裏に事を運び露見させることなく終結させることだが……こうなってしまった以上、もはやどうしようもないだろう。

 

「……先輩」

「ああ、分かってる」

 

 隣に座るソフィーと視線を合わせ、小さく頷く。

 

 そうこうしている内に話は移り、俺たちの処罰(・・)へと話は移った。

 

「さて……まずは、ヴァンフリーク、ドラクロワ。お前たちだ」

 

 そう言って鋭い視線を向けてくる織斑先生だが、元より自覚していた俺たちに動揺はない。

 ソフィーに至っては詰まらなそうに欠伸までしている。

 

「何故処罰されるかは、言われずとも分かっているな?」

「避難勧告に従わず独断で戦闘行動に入り、教師の指示に従わずに行動を継続、正体の分からない敵性存在と交戦……ってところですかー?」

「……そういうことだ。お前たちの実力は分かっているが、あまり無茶なことはしてくれるなああ言う手合いは教師陣に任せておけばいい」

「お二人に何かあったらと思うと、心配で心配で……」

「…………はぁい」

 

 更に皮肉を返そうとしたソフィーだったが、涙ぐむ山田先生を見て渋々口を噤んだ。

 俺たちにとってはいつものことなので特に感慨も湧かないが、一般人よりの価値観を持つ山田先生にとっては、生徒が自ら危険に飛び込む姿はショッキングな光景だっただろう。

 

 結局、俺たちに下された処罰は反省文10枚という軽いものだった。

 私兵団とはいえ軍属の身としては思うところがないでもないが、ここは学園だ。妥当な処分、なのだろう。

 自分から罰を望むと言うのも妙な話だし、この程度であれば素直に受け入れよう。

 尤も、俺を嫌っている春万や箒は若干不満そうではあったが。

 

 ちなみに避難誘導に当たっていただけの楯無、セシリアたちはお咎めなし。

 命令に従わず撤退しなかったことで、鈴にも俺たちと同じく反省文の罰が課された。

 そして最後に、

 

「篠ノ之。お前には、反省文五十枚と寮の自室での一週間の謹慎を命じる。頭を冷やしてこい」

「なっ……!?」

 

 信じられない、というような表情で織斑先生を見つめる箒。俺からすれば、お前がしたことの方が信じられないんだがな。

 

「千冬さん!? どうして私が!?」

「織斑先生だ。……それを本気で言っているのなら、重症だな。中継室を力尽くで占拠し、故意に敵を呼び寄せ、自分のみならず他の教師や生徒を危険に晒すような真似をした。ヴァンフリークたちのそれより、余程タチが悪い」

「わ、私はただ、出来ることをやっただけです!」

「織斑春万のために、ですかぁ?」

 

 嘲るような口調で口を挟んだソフィーを、射殺さんばかりの目で睨む箒。

 しかしソフィーはその激昂を鼻で笑って、

 

「言っときますけど、私が介入しなかったらあなた諸共中継室に居た人は全員死んでましたよ? 大きな音がしたらそっちに注意を向けるのはどんな生き物だって同じですよね? そんなことすら考えられなかったんですかぁ?」

「貴様ぁ……!!」

「いい加減に自覚してください。あなたの愚行は、本当なら刑事罰すらあり得る最悪の行いです。あなた一人が自滅するのはどうでもいいですけど、せめて他人を巻き込まないようにしてくださいな。恋は盲目、なんて可愛らしい言葉で片付けられる問題じゃないんですよ」

「なっ、こ、こいなどと…………ひっ!?」

「……ここまで言われて、食い付くのはよりによってそこですか。ほんっとーに――救いようのない、クズですね」

 

 一瞬、ソフィーの瞳がスッと細まり、その小さな体から息苦しくなるほどの濃密な殺気が放たれる。こめかみに銃口を突き付けられるような感覚に、楯無とセシリア、山田先生は反射的に身構え、箒は怯えを露わにする。

 

 箒の言動に呆れ果てているのは俺も同じだ。こいつは自分の行動の意味を、それがもたらす結果を何一つ考慮していない。

 奴の世界には、きっと自分と春万、そして織斑千冬ぐらいしか存在していないのだろう。

 

「ま、待ってよ千冬姉! 結局無事に済んだんだしさ、そこまでしなくても――」

「結果論で語れることじゃない。何より問題なのは、それだけのことをしでかしておきながら、反省どころか自覚すらしていない篠ノ之だ」

「っ、ヴァンフリーク……」

 

 横槍を入れた俺に春万が言い返そうとしたところで、

 

「うるさいっ!! 春万の敵を横取りしたくせに!!」

「…………は?」

 

 ……横取り? 何故ここでそんな言葉が出てくる?

 あまりにも予想外の叫び声に、部屋の中の人間が一斉に固まった。

 呆然とする俺たちに気付かないように、尚も箒は喚く。

 

「あんな奴ら! お前たちが邪魔さえしなければ、全部春万が倒してしまったんだ! 春万は天才だ、神童なんだ……お前たちの助けなど必要なかった!!」

「…………」

「お前たちさえいなければ! 全部春万の手柄に――」

 

 ゴッ!! 鈍い打撃音。

 明らかに錯乱した箒の喚き声は、鈴の拳で強制的に中断された。

 腰の入ったいいパンチであった。箒が一撃で昏倒するほどに。

 流石に拳が痛んだのか、若干腫れた手をプラプラさせながら、鈴は織斑先生に向き直って、

 

「すいません、流石にムカついたので……つい、手が出ました」

「……いや、いい。今の言動は目に余る。お前がしなければ私が止めていたところだ」

 

 恐らくその前に、もし鈴が手を出さなければ……箒の命はなかっただろう。

 先程よりも遥かに強く深い、底冷えのするような殺気を露にするソフィーを見て、胸を撫で下ろすと共に鈴に深く感謝する。

 鋭く収束されているおかげで俺以外に誰もそれに気づいていないのが救いか。

 

 とりあえず……、

 

「ふにゃぁっ!?」

 

 わしゃわしゃわしゃーっ、とソフィーの髪を両手で掻き混ぜる。

 猫っぽい悲鳴を零して目を白黒させるソフィーに、笑みがこみ上げてきた。

 

「いきなり何するんですかーっ!?」

「いや、すまん……急にやりたくなった」

「……そうですか」

 

 俺の表情を見てハッとしたソフィーは俯くと、そっと手を重ねてきた。遠慮がちに絡んでくる小さな手を、こちらからしっかりと握り締める。

 

「ありがとうございます、先輩」

「何のことだか」

「……ふふっ、ねぇ先輩」

「ん?」

「先輩のそう言うところ、私、大好きですよ」

「それは光栄だよ」

 

 不意に顔を上げたソフィーの笑顔は柔らかく、温かい。あざとく可愛さを演じていない、彼女の素の笑顔。

 ああ、やっぱり。こいつには、笑顔が似合う。

 かすめるように頬を撫でれば、亜麻色の瞳が気持よさげに細められる。

 穏やかな気分で暫し見つめ合っていると……

 

「はーい、そこのバカップルさん? そろそろ戻ってきてもらってもいいかしらー?」

 

 若干顔を顔を赤くした楯無の言葉に顔を上げれば、気恥ずかしそうに、あるいは呆れたようにこちらを眺める面々の姿が。

 流石に周囲を無視し過ぎたか、と反省。だがソフィーは何を思ったか、そのまま俺の体に抱きついて楯無へ視線を向けると、

 

「……羨ましいですか?」

「んなっ!? な、ななな何言って……」

 

 いきなり何を言い出すんだこいつは、と思ったのだが……楯無の過剰ともいえる反応に、おや? と首を傾げる。

 顔を真っ赤にしてわたわたと慌てる姿は……何と言うか、非常に分かりやすい。

 俺としては反応しにくいことこの上ないのだが、ソフィーの口元に浮かんだ笑みは変わらない。

 

「おい、ソフィー……」

「うふふふ、やっぱりぃ……かーいちょう♪ ちょーっとお話が――」

「ヴァンフリーク、ドラクロワ。少しいいか」

「……何ですか?」

 

 遠慮がちに声をかけてきた織斑先生へ視線を向ければ、彼女はやや厳しい目で俺たちを睥睨して、

 

「先ほどお前たちの使っていたあのIS――《黄龍》と《テュポーン》と言ったか。あれを引き渡してもらおう」

「――何故?」

「学園に提出されたデータでは、お前たちのISは《アキレウス》と《アタランテ》のみ。あの二機はデータにない。学園側で預かり調査をする必要がある」

「はぁ?」

 

 不快げに眉を顰めるソフィーだが、織斑先生の意見は別に教師としては間違ってはいない。そして学園の生徒として、指示に従う義務が俺たちにはある。

 しかしことこの件においては、俺たちにその義務は発生しない。

 何故なら、既に果たされているのだから。

 

「申し訳ありませんが、お断りします」

「……これは命令だ。お前たちに拒否権は――」

「既にこの二機のデータは、学園の上層部(・・・)に提出済みですので。緊急時のみと言う条件で使用の許可も出ています」

「何だと? ならばなぜ、担任の私に話が来ていない?」

「あなたに伝えるまでもない、と上が判断したんでしょう」

「――っ、ヴァンフリーク……!」

「おいヴァンフリーク! 姉さんに向かって何だその言い方は!」

 

 ここぞとばかりにいきりたつ春万に溜め息を吐いて言い返そうとすれば、

 

「――うるさいですね」

「なっ……」

「織斑先生、あなた自分がしたことの意味分かってます? 私たちはきちんとデータを提出し、義務を果たしてたんです。なのにあなたは独断で私たちからISを取り上げようとした。国家機密の塊であるISを」

「ッ、それは、私の元に情報が伝わっていなかったからで……」

「だから何ですか? それはそっちの落ち度であって、こっちには何の関係もありません」

 

 冷然と告げるソフィー。

 多分に棘が含まれているものの、彼女の言葉は全て正しい。

 織斑先生の行為は、一歩間違えれば国際問題にもなりかねないものだった。それを彼女自身も理解しているのか、言葉尻が弱い。

 結局彼女は有効な反論を見つけることが出来ずに、唇を噛んで引き下がるしかなかった。

 

 そもそもの話、機竜の使用を許可したのはマギアルカなのだ。

 あのマギアルカが、世界最高の商人が。その程度の根回しを済ませていないなど有り得ない。

 事実、こうして幻神獣(アビス)の襲撃が起こった時点で、既にマギアルカによって学園側へのある程度の事情の説明はなされている。

 ……この時点では知る由もないが、織斑先生への通達が行われていなかったのは、マギアルカが幻神獣(アビス)の存在と共に、イチカ・ロウ・ヴァンフリーク=織斑一夏という特大のスキャンダルを暴露していたからだったらしい。

 下手に扱えば日本と言う国が根本から揺らぐかもしれない、特大の厄ダネだ。慎重になるのも無理はないだろう。

 その躊躇によって引き起こされた今回の件。これもまたマギアルカの計算の内、と考えるのは、流石に考え過ぎだろうか?

 

 

 

§

 

 

 

 月の光が照らす夜。昼間の騒動もあってか、普段は夜を徹してお喋りに興じている彼女たちもすっかりと眠りについてしまっている。

 生徒たちが快適に眠っていても、教師までそう出来るわけではない。とりわけ学園の警備を一手に担う織斑千冬にとっては、むしろ夜からが本番だった。

 誰も居ない職員室で、眼前に積まれた書類の山にげんなりと溜め息を吐く千冬。もう数時間も格闘しているが、一向に減る様子がない。

 これ以上は能率が下がるのみだと判断して、千冬は書類を畳んで立ち上がった。

 

 職員室の戸締りを済ませて、重い足を引き摺るようにして教職員棟の自室へと向かう。

 歩きながら思うのは、やはり彼――イチカ・ロウ・ヴァンフリークのことだった。

 

 ……馬鹿げている、と言うのは自覚している。論理的に考えて有り得ない、と言うのも理解している。

 千冬のもう一人の弟――織斑一夏は、己が二度目の栄光を手にしたあの日に、死んだのだ。

 それはどうしようもない、変えようのない事実で、事情はどうあれ……自分が一夏を見捨てたのもまた、揺るぎない真実で。

 自分はその罪を一生背負って生きていかなければならなくて。その罪から逃れようとしているわけではない、と言い切れはしないけれど。

 

 それでも、垣間見てしまう。見えてしまう。

 イチカという少年の姿に、振る舞いに、表情に……弟の面影を重ねてしまうのだ。

 その行為がどれだけ罪深く愚かなものか分かっていても、止まらない。辞められない。気が付けば彼の一挙一動を目で追ってしまっている。

 このままではいけないと思うのだが……

 

 ふと、コッコッ、と響いていた足音に、自分以外の何者かのものが混ざっていることに気が付き、顔を上げる。

 するとそこには、彼の隣に侍る少女――ソフィー・ドラクロワが、感情の読めない透明な笑みを浮かべて佇んでいた。

 

 昼の一件から彼女に苦手意識を持っていた千冬は、思わず身構えてしまう。

 

「ドラクロワ……こんな時間に何をしている?」

「ちょっと、織斑先生にお話がありまして」

「話、だと……?」

 

 いぶかしむ千冬に、ソフィーは笑みを崩さない。

 

「それは今でなければ出来ない話なのか?」

「いえいえ……ただ、先輩に聞かれたくないお話なので」

「イチ――ヴァンフリークに、か」

 

 ソフィーは無言で微笑み、

 

「ええ。ちょっと、貴女に釘を刺しに」

「釘……?」

 

 どういうことだ、と問い質そうとした千冬だったが――瞬間、ソフィーの痩身から放たれた、物理的な重圧さえ錯覚するような殺気に立ち竦んだ。

 

「……っ!?」

「――これ以上、先輩の邪魔をしないでください」

「それ、は……どういう……」

「聴取の時、貴女は先輩から《黄龍》を取り上げようとしましたよね? あの時は調査する必要が云々とか言ってましたけど……ホントは違いますよね」

 

 

 

「ISという武器を取り上げることで、先輩を――弟を戦いから引き離したかったんですよね(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

「――ッ!?」

 

 

 

「織斑一夏。国益のための犠牲となった少年。彼を襲った悲劇と、貴女方家族の境遇に同情はしましょう」

「けれどそれは貴女方の事情。あの人に、先輩には何の関係もないこと」

「既に亡くなった肉親を生徒に重ね合わせて、あまつさえその自由を奪おうとする……呆れるほどに女々しくて、自分勝手」

 

 侮蔑の滲む声音で放たれた指摘に、千冬はぐっと歯噛みするしかなった。

 

 ……もしこの時、千冬が普段の冷静さを保っていられたならば、きっと気付けただろう。

 日本政府によって事件に関する記録は全て抹消されていて、ソフィーが知り得るはずがないことに。

 けれどこの時の千冬は、内心の弱い部分を言葉のナイフで抉られて、それどころではなかった。

 

「はっきり言います。貴女の自己満足の贖罪に、先輩を巻き込まないでください」

「わ、私は……!」

 

 何とか声を絞り出して反論しようとする千冬だったが、もはやソフィーは彼女の言葉など聞いていなかった。

 

「あの人はね――『英雄』なんですよ」

「邪悪を滅し、弱きを助け強きを挫く。鍛え上げた力と高潔な意志、鮮烈な魂の輝きで人々を魅了する、光。何よりも誰よりも強くて鮮やかな、決して絶えることのない光」

「彼は決して無敵じゃない。世界には彼より上の実力を、天賦の才を持つ人なんていくらでもいる。彼はどこまで行っても凡才でしかない――それでもあの人は止まらない」

「何度膝を突こうと、無様に倒れ伏そうと、敗北の汚泥に身を浸そうと……再び立ち上がって、武器を取る。その姿に、多くの人々が魅了され、彼の足跡へと続く」

 

 夢見心地のような声音で、陶酔したように彼女は滔々と語る。

 その亜麻色の瞳は感涙に潤み、滑らかな頬は火照りを持って紅潮している。

 

「だから――あの人に、闇は要らない(・・・・・・)

「薄暗い欲望も、悪辣な陰謀も、過去の呪縛も……そんなものは、全て私が背負う。全て私が振り払う。先輩はただ、前だけを向いて突き進めばいいんです。あの人の行く道につき従い、その背中を守り抜くのが、この私――ソフィー・ドラクロワの役目なんですから」

 

 確固たる口調で言い切るソフィーの姿に、千冬は言葉を失った。

 立ち尽くす千冬を見て、亜麻色の髪の少女は嫣然と微笑む。

 

「どうして私がそこまで先輩に尽くすのか、不思議ですか?」

「…………」

「簡単ですよ――()の全ては、あの人からもらったものだからです」

 

「一度目は、この命。あの日、両親と共に死に絶えるはずだった無力な私の命を、あの人は救い上げてくれました」

 

「二度目は、『私』そのもの。愚かにも全てを投げ捨てようとしていた『私』を、あの人は見つけ出して、繋ぎ止めてくれました」

 

「ここに居る私を構成している全ては、先輩からもらったものなんです」

 

「だから、この全ては先輩のモノ」

 

 言って、ソフィーはゆっくりと自らの体に指を這わせる。

 

「この腕も、足も、胴も、腰も、胸も、顔も、髪も、目も、鼻も、口も、喉も、声も、心も、命も、全部ぜんぶぜーんぶ……先輩だけのものなんです。

 あの人が体を捧げろと言うのなら、喜んで差し出しましょう。

 あの人が心を捧げろと言うのなら、喜んで差し出しましょう。

 あの人が貞淑な淑女を望むなら、喜んでそうなりましょう。

 あの人が淫蕩な売女を望むなら、喜んでそうなりましょう。

 あの人が死ねと言うのなら、喜んでこの命を投げ出しましょう。

 私と言う人間の全ては、先輩のためにあるのだから」

 

 ……それは。それは、単なる忠誠とは違う。

 その程度の感情ではない(・・・・・・・・・・・)

 彼女を支配するその感情に名前を付けるのならば、きっと『愛』と言うのだろう。

 どこまでも、どこまでも深い、愛。

 鮮やかに狂い咲く薔薇のような。燃え盛る業火のような。渦巻く波濤のような。

 

「だから……だから私は、私自身が許せない」

「……?」

「私は、先輩のためのモノなのに。先輩のためだけに生きているのに。彼を助けることだけが、私の存在意義のはずなのに――もっと(・・・)って思ってしまう(・・・・・・・・)愛されることを(・・・・・・・)望んでしまう(・・・・・・)

 そんな傲慢が許される(・・・・・・・・・・)はずがないのに(・・・・・・・)

 

 ともすれば、彼女自身を切り裂き、焼き尽くし、呑み込んでしまうほどの。

 深い、深い……底なしの(やみ)

 

「先輩に声を掛けられて、先輩に触れられて、先輩に笑顔を向けられて、先輩に口付けられて、先輩に抱かれて、先輩に求められて…………その度に、もっと(・・・)って。

 欲深く望んでしまう。

 浅ましく欲してしまう。

 醜く求めてしまう。

 意地悪く願ってしまう。

 駄目なのに。

 許されないのに。

 あってはならないのに。

 私が彼を縛るなんて。

 足枷になるなんて。

 邪魔をするなんて」

 

 ガリガリ、ガリガリ、と、自分の腕に爪を立てて掻き毟りながら、ソフィーはまるでうわ言のように言葉を紡ぐ。

 今の彼女に、もはや千冬の姿など見えてすらいない。

 亜麻色の瞳からは光が抜け落ち、眼窩には底知れぬ闇が蟠っている。

 明らかな異常。自傷に走る生徒を前にして、制止することすら出来ない。

 

「ああ、嗚呼――先輩……先輩センパイせんぱい先輩先せんぱいセンパイ先輩せんぱいセンパイ先輩せんぱいせんぱいセンパイ先輩先輩せんぱいセンパイせんぱい先輩せんぱいセンパイせんぱい先輩」

 

 ――呑まれていた。目の前の少女の身から溢れ出す、異様な雰囲気に。情けなくも委縮し、立ち竦んでいたのだ。

 

「……ドラクロ、ワ…………」

「――ぁー、やっちゃいましたか……」

 

 思わず漏れ出た呟きが届いたのか、周囲に漂っていた異様な雰囲気が嘘のようにフッと掻き消えた。

 光の戻った瞳をパチパチと見開いて、ソフィーはバツが悪そうに頬を掻いた。

 立ち尽くす千冬に、コホン、と一つ咳払いを挟む。

 

「えーとですね、つまり何が言いたいのかと言えば……必要以上の干渉をするな、余計な真似をするな、ってことです」

「それは……」

「こっちにもやることがあるんです。ぶっちゃけ、貴女なんかに構ってる暇はないんですよ」

「やること、というのは……」

「――必要以上の干渉はするな、って言いましたよね?」

 

 鋭い視線を向けられて言葉を詰まらせる千冬に、ソフィーは溜め息一つ。

 しかし結局何も言わずに、無言のまま踵を返した。

 

「まっ、待て……待ってくれ! ひとつだけ、聞かせてほしいことがある……!」

「何ですかー?」

 

 いかにも億劫そうに振り返ったソフィーを真っ直ぐと見据えて、千冬はその問いを放った。

 

「アイツは……ヴァンフリークは、本当に、私の弟……一夏では、ないのか……?」

「……はぁ?」

 

 意を決したように放たれたその問いは、ソフィーの表情を不快げに歪ませるのみだった。

 

「言うに事欠いて何ですかそれは……貴女、正気ですか?」

「っ、私は……!」

「面影を重ねるだけならまだしも、本気でそんなこと考えてたんですか貴女……女々しいなんてもんじゃありませんね。――大体、もし本当に先輩が(・・・・・・・・)貴女の弟だったら(・・・・・・・・)どうするつもりですか?」

「そ、それは……」

 

 ……どうする。一体自分は、どうしたいのだろう。

 自問して、何一つ答えが思い浮かばないことに愕然とする千冬。

 真実を求めるのに必死で、その後のことなど何も考えていなかったのだ。

 

 また昔のように、姉弟として……

 

「…………あ、れ……?」

 

 昔のように? 姉弟として?

 

 それはどういうものだっただろうか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ふと脳裏に蘇る、鈴の言葉。

『家族ですって? アンタが本当に一夏の家族だって言うんなら、アンタは今まで一夏の何を見てきたのよッ!!』

『アンタが今まで見ていたのは、「守るべき存在である弟」……一度だって、『織斑一夏』って一人の人間を見ようとしなかったのよ』

 

 ――私は、何をしていた(・・・・・・)

 ――私は、何をしてやれた(・・・・・・・)

 

 ――私は、何を見ていた(・・・・・・)

 

「あ、ぁ、あぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあぁ……っ!」

 

 混乱と、衝撃と、恐怖と、困惑と、罪悪感と、悔恨と……様々な感情が浮かんでは消え、浮かんでは消え……押し寄せる感情の波に抗えず、千冬の意識はフッと途絶えた。

 




やっと更新できた……長かった……。

予定では次話は、久々のダグラスサイドになります。次回もよろしくお願いします。
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