用務員室。
そこは立ち入り禁止にされていた場所だ。
ただの用務員室のドアというエフェクトでしかなかった引き戸。今はその扉には厳重に鍵が掛けられ、鎖が幾重にも張り巡らされている。
「時間だ」
扉の前に立ちはだかるは、監督官言峰。
「扉は一つ、再びこの校舎に戻ることを許されるのも一組。覚悟を決めたのならば闘技場の扉を開こう」
戦いの決断を迫る神父の黒い姿に、岸波は僅かに気圧されたようだった。それでも、気圧されたことを悟られぬように、下腹に力を込め言峰を見上げる。
「ふむ。岸波白野は覚悟を決めてきたようだな」
ひな鳥の精一杯の虚勢。小さな決意であろうと、覚悟は覚悟だと言峰はそれを認めた。
「衛宮士郎の方は、聞くまでもないか」
衛宮士郎を見下ろす。
「何がそんなに愉しいんだ?」
憮然としたまま睨み付けると口の端をつり上げ泰然とそれを受け止める言峰。
「死すべき運命を逃れ、予選通過という奇跡、本来ならばありえない対戦カード、お前たちの決戦はあってはならないものずくめだ。ならばその結末に興味がわくのも、当然というモノだろう」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味でしかない。衛宮士郎。お前も薄々感づいているはずだ。なぜなら、お前は——」
見透かした言葉に、深淵までものぞき込んでくるような言峰の黒い瞳。それは、地上の彼と全く変わらない。
「ふむ、これ以上は差し控えよう」
だが珍しくも言峰はそれ以上は踏み込まなかった。
「傷を切開するのがお前じゃなかったのか」
「それは、私の役目ではない」
言峰がまじめくさった顔をする。
「せいぜい、惑うがよかろうよ」
「めずらしいな、あんたがそんな風に投げやりになるなんて」
「別に投げやりになどなってはいない。所詮はAI、決められた役割を決められたとおりに演じるマリオネット。それ以上でもそれ以下でもない。そこから外れたモノの末路など——」
くっと小さく喉を鳴らす。
この神父には未来が見えているのだろう。
その未来が彼にとってはよほど愉しいらしい。
「さて、それでは神父らしく祝福の言葉でも贈ろうか。さあ、マスターたちよ、己が勝利をかけて殺し合え」
呪いの言葉とともに決戦場の扉が開かれた。
※※※
最後の扉が開かれた先は、何もない薄暗い海の底だった。
生命の臭いが全くしない、死の海の底の底。
境界線さえ存在しない、そこが最終決戦の舞台。
「一つ、確認させてもらうが」
そこに降り立ったとき、一番最初にアーチャーが口を開いた。
「本当にやるのかね? ムーンセルへのハッキングを」
最後の最後、その念押しに首肯で答える。
「ああ。そのために来たんだ」
「そうか」
アーチャーの嘆息とともに白銀の軌跡が描かれる。
対する甲高い金属音。
「アーチャー!! 何をする!!」
アーチャーが振るった剣をセイバーが弾いていなければ、俺は間違いなく死んでいた。
「そういう反応が出来る君の方がおかしいとは思わんのかねセイバー」
「月の聖杯戦争の不正、それを正すのが先決。だというのに、この聖杯戦争をそのまま続けるつもりですか、アーチャー!!」
士郎をその背に庇い、セイバーがアーチャーと対峙する。
「ふむ、やはり君はムーンセルのサーヴァントではなかったのだな」
双剣を構えるアーチャーは完全に戦闘態勢に入っている。
「士郎、先に行ってください!」
「わかった、セイバー。ここは任せる。行こう、岸波!」
彼女の手を取って、走り出す。
アーチャーはそれを追うそぶりもみせず見送った。
interlude
混乱している。
どうして、アーチャーが。
士郎に手を引かれて走りながらも疑問ばかりが、頭の中をグルグル回っている。
「大丈夫か、岸波」
ようやく立ち止まってくれた士郎が振り返って声を掛ける。
大丈夫とはどういう意味か。
身体は大丈夫。
走った直後で息は切れているが、怪我もしていない。
でも、アーチャーに剣を向けられた。直接ではないにしても、自分が果たそうとする目的に対して剣を向けられたんだ。
その裏切りに胸が痛む。
黙っていると、士郎は困ったように眉を寄せた。
「アーチャーはたぶん、岸波を裏切ってはいない」
士郎の言葉はただの推測。あるいは想像にしか過ぎない憶測。
アーチャーが士郎に向けた殺気は本物だった。アーチャーの振るった剣は、セイバーが防がなければ間違いなく士郎の命を奪っていた。
それでも、アーチャーは裏切っていないという言葉の根拠を私は求めた。
「だって、アーチャーの剣はセイバーに防がれることを前提としたものだった。あれで、一応の体裁が保たれることになっただろ」
士郎は更に説明を続ける。
「つまりはさ、ただ一人のマスターだけがこの闘技場を出られる。そのための戦いをするサーヴァントっていう体裁。でも、たぶんそれ以外の意味もあるな」
士郎自身も話すことで、徐々に自分の考えがまとまってきたようだ。
「もし、アーチャーが俺に斬りかかっていなければ今頃ここはエネミーだらけになっていたと思う。そうなっていたら、俺たちはムーンセルへのハッキングなんてできなかった」
そこで小さく声を上げた。アーチャーの真意にようやく気がつくことができた。
「ムーンセルへ攻撃を仕掛けようとしている俺たちを止めようとするアーチャー。その構図が成り立っているから、エネミーは出てきていない」
聖杯戦争は基本的にサーヴァント同士の直接対決がメイン。勝利という一つしかない椅子を奪い合っているという構図があればこそ、それを邪魔するような真似をムーンセルはしてこない。
「やめるか?」
士郎は、自分がリタイアしても続けるくせにずいぶんとくだらない事を聞く。
疑問は別の所にある。なぜ、自分を一緒に連れてきたのか。
アーチャーのマスターならば士郎がしていることを止めるかもしれないと考えるのが普通だ。
「もし岸波が俺を止めるつもりなら、そんな混乱していないだろ」
至極もっともなことを言われてしまった。
「それじゃ、始めるぞ」
士郎は遠坂たちから預かったプログラムを走らせる準備を始めた。
※※※
「アーチャー、先ほどの言葉はどういう意味ですか?」
「先ほど、とは?」
剣戟と剣戟の狭間の会話。
「とぼけないでください! 『ムーンセルのサーヴァント』とはどういう意味です?」
強い語調をそのまま現すような剣筋がアーチャーを襲う。
「そのままの意味だ。月の聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは皆、ムーンセルのメモリーから再生された英霊だ」
さらりと受け流すアーチャーの剣と言葉に、セイバーの頭は一瞬真っ白になった。
「つまり我々は魔術師のサーヴァントである以前に、ムーンセルのサーヴァントだと言える。だからこそムーンセルに仇成すモノはすべからく、天上のサーヴァントにとって敵になる。その相手が例え、マスターであったとしても」
そこで間合いを取ったアーチャーは一拍おき、セイバーを正面に見据える。
「だが、君は違う。君は、地上のサーヴァントだ」
天上に堕とされた地上のサーヴァント。あり得ない奇跡の具現。狂ってしまった聖杯戦争の象徴。
「では、シロウは……」
地上のサーヴァントを召喚出来た衛宮士郎は、一体何者なのか。
「答えなど、とうに出ている。『俺』は月の聖杯戦争に参戦していない」
つまらなそうに、アーチャーはその答えを告げた。