「……………とはな」
「それは、…………では………ですか」
「…………別に………言っていない」
「しかし………」
「そう声を………マスターが………しまうぞ」
少女と男性の会話。
少女がいぶかしみ、男性が険を含んだ答えを返す。
意識を取り戻したとき、最初に聞こえてきたのがそんな会話だ。
しかし、意識を取り戻したとは言っても、まだ外界を認識し理解する能力までは回復しきっていない。だから、彼らの会話の意味を理解できず、ただの音として聞き流していた。
苦労して目を開けると、白いカーテンが目に入った。清潔な白いシーツと布団にくるまれている。ここは病院だろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、耳に届く音を無意味に左から右へと流していた。
だが、二人の口調がだんだんと険しくなりつつある。
「セイバー」
だから、その会話を遮るために少女を呼んだ。
「……っ! シロウ!」
男性と話していたセイバーは慌てた様子で振り返る。
どうやら、かなり心配させてしまったらしい。
「なんで俺、寝てるんだ?」
「覚えていないんですか?」
覚えていること。
気がつけば、即死でないのが不思議なほどの傷を胸部に受けた。しかし記憶からは『誰が』『なぜ』『どうやって』という部分はきれいに抜け落ちている。
「おそらくは、ショックのせいでしょう」
セイバーは小さく首を横に振り、無理に思い出さなくてもいいと話す。
「ところで、さっきから気になっていたんだが……、アーチャー、どうしてお前がそこにいる」
赤い外套を羽織った、背の高い男性を睨み付けた。
口調がきつくなるのは致し方ない。
何せ、殺気混じりの敵意に満ちた視線を先ほどから遠慮の欠片もなくぶつけられているのだから。
「私としても、貴様の顔など見たくもない。だが、マスターが未だ目を覚まさないのでな」
「な!? 遠坂が?」
白いカーテンで仕切られた向こうのベッドに寝ているのだろう。俺は慌ててベッドから起き上がろうとして、ひどくみっともなくベッドの下へと転げ落ちた。
「シロウ!?」
セイバーが身体を支えてくれて、ようやく立つことができた。
「まだ、怪我が?」
「いや、身体は……」
なんともない。
ただ、身体が思うように動かない。
いや、違う。
身体もきちんと思うとおりに動いてくれている。なのに、なぜまともに立つこともできないんだ。
「世界を知ろうとするな」
感情をどこかにおいてきたような声が聞こえて、そちらの方を向く。
「この世界は、いわば情報集合体でしかない。ここはムーンセルが作り上げたSE.RA.PH《セラフ》、霊子により構築された虚構世界。いわば、固有結界のようなもの。それを人の身で知ろうとする行為そのものが無意味だ」
「アーチャー、お前、何を……?」
赤い礼装を纏った英霊が、淡々と語るこの世界の真実。
しかし、こんなにも実体がある世界が実は虚構だと言われ、すぐに納得できるわけがない。
「そんな基本的なことさえ分からんのか」
バカにすると言うよりも、呆気にとられているアーチャー。
「魔術師ならば基本的なことだ。虚構世界にアクセスしたのならば、ここが虚構世界であることを受け入れろ。現実の世界が現実であると認識するのと同様に」
理性では感じ取っている現実感と、解析から得た虚構の感覚。
そのズレが、この奇怪な違和感の原因。
世界を探ろうと無意識下で行っていた解析を止める。
瞬間、世界が明晰になる。コンピューターが過負荷に耐えながら行っていた処理を中断したときのように、動作が一気に軽くなった。
「そも、貴様のような未熟な魔術師がよくも月の聖杯戦争に参戦できたものだ」
『ムーンセル』『SE.RA.PH《セラフ》』『月の聖杯戦争』
アーチャーの言葉の中に並ぶ重要なキーワードと思わしき言葉。
「待ってください、アーチャー。先ほども言いましたが、私たちは『月の聖杯戦争』などに参加した覚えなどありません」
「馬鹿なことを言う。君とて聖杯の招きに応じてサーヴァントとなったのだろう。何にしても、すでに戦いは始まった。それとも、怖じ気づいたのかね、セイバーともあろうものが」
「私を愚弄する気か、アーチャー」
アーチャーの挑発的な物言いに、セイバーが殺気だつ。
「セイバー。待ってくれ」
放っておけば、剣を抜きかねないセイバーを押しとどめる。
セイバーはもの言いたげな様子だったが、なんとか堪えてくれたようだった。
「アーチャー、ここは……いや、これは冬木の聖杯戦争じゃないのか」
「違う。模倣はしているが、全くの別物だ」
俺としても、こいつと向き合わなければならない時点で腹立たしいが、現状を知る手立ては他にない。こんな訳も分からない場所で、聖杯戦争のただ中に情報もなく放り出されるのはさすがに遠慮したい。
「別物? 『月の聖杯戦争』とかいうのか?」
「そうだ。ここは、ムーンセルといういわばコンピューターによって構築された箱庭。そこに接続できる魔術師だけが、ムーンセルがアーカイブから作り上げたこの聖杯戦争に参加できる」
アーチャーが淡々とそこまで説明したところで、カーテンの向こう側の気配が身じろぎした。
「む、ようやくマスターが目を覚ましたな。話はここまでだ。これ以上のことを聞きたいのならば、運営にでも問い詰めるがいい」
それだけ言うと、カーテンをめくってその向こうに立ち去るアーチャー。俺としては、遠坂が心配だから顔だけでも見ておきたかったが、アーチャーの背中はそれを拒絶している。
『運営』というものが何かはよくわからない。だが、冬木の聖杯戦争を模倣しているというのならば、おそらく教会から派遣されていた『監督役』にあたるものがいるのだろう。
「———わかった。行こうセイバー」
ベッドから下りて、セイバーを促すとコクリと小さく頷いた。