「それで、俺はなぜ正座させられているんでしょうか」
目が覚めた途端、床の上に直接正座という姿勢を強要されている理由を問う。
「そりゃ、反省を促すために決まっているじゃない」
遠坂の言。
「その男にこの手の事に関して反省などさせても無意味だと思うがね」
誰もいないようにしか見えない場所から、アーチャーの声だけが響く。
「桜がパッチを当ててくれたから良かったものの、遅れていれば魂が崩壊していた可能性だってあったのよ」
腹部に傷を負って気絶した俺は、保健室に運ばれ健康管理AIである桜のおかげで回復したらしい。
もっとも、単純な損傷ならまだしもステータス異常を付加された場合、完全に治療できないこともあるようだ。
今回の損傷には、そのようなやっかいなモノは付与されていなかったおかげで事なきを得たとのことだった。
「ちょっと、聞いてる!? 死にそうな傷を負われたら、庇われた方だって困るんだから」
「わかった、今度は気をつける」
「いいわ。とりあえず、それでヨシとしておいてあげる」
士郎の返答に、遠坂はまだまだ言い足りないことがたくさんある様子だが、とりあえずは飲み込んだらしい。
「お茶が入りました」
会話の切れ目を見計らって、桜が日本茶を卓についているメンバーに配ってくれた。
士郎は立ち上がって桜の入れてくれたお茶を飲むためテーブルに着く。
席についているのは、遠坂と士郎とセイバー。そして、アーチャーのマスターである少女だ。他の英霊たちは皆姿を消している。
「あら、美味しいわね」
一口啜り、目を丸くする遠坂。
「ありがとうございます」
お盆を両手で抱くように持った桜がぺこりと頭を下げる。
「すみません、サクラ。お茶請けがあれば嬉しいのですが」
両手で湯飲みを包み込むようにして持ち、お茶で喉を潤したセイバーの要望に一瞬全員が黙りこくった。
「変わったサーヴァントね」
「ええっと……お茶菓子、ですか?」
遠坂がセイバーに感心した目を向け、桜が不思議そうに首をかしげる。
普通サーヴァントは自分から積極的に食事摂取をすることがない。彼らの存在は基本的に有機物の摂取ではなく、魔力摂取に依存しているから食事を取る必要がないからだ。
だがセイバーは俺からの魔力供給がないため、食事で魔力を僅かながらにでも摂取している。
「この辺りに、日本のお茶菓子のデーターがあったかな……」
桜は戸棚の辺りを何やら操作し始めた。
「とにかく自己紹介くらいはしてもらえないかしら。シロウは私の名前を知っているようだけれど、私はあなた方のことを全く知らないんだから」
気を取り直した遠坂は、俺たちの方に視線を向ける。
「俺の名前をなんで? ああ、セイバーが呼んでいたからか。しかし、自己紹介と言っても……」
「なによ、いまさらだんまり?」
頬杖をつき、首をかしげる遠坂。
「今更、遠坂相手に自己紹介なんてのも、ヘンな気がしてさ」
初対面の相手もいるので気を取り直して自己紹介を始める。
「何から話せばいいのか。そうだな……俺は、穂群原学園の二年で、色々あって冬木の聖杯戦争に参加していたんだが……気がついたら、ここの聖杯戦争に巻き込まれていた」
「………………あんた、私にケンカ、売ってる?」
『色々』とか『気がついたら』なんて言葉で済ませようとしたら遠坂は低い声音で問い詰める。
「別にケンカを売るつもりなんてないぞ。冬木の聖杯戦争の方は、ここで語るべき話じゃないだろ」
この返答に、遠坂は納得しない。
「確かにその通りね。でも、月の聖杯戦争への参加が、そんな適当な説明で通ると思っているの?」
「そっちについては、俺もホントに何も分からない。『気がついたら』以上の説明なんてつけられない」
士郎からはこれ以上の説明を期待できないと判断し、セイバーの方へと視線を向ける。
「あなたのところのボンクラマスターがこう言ってるけど、サーヴァントとしてはどうなのよ?」
「ボンクラ……、ボンクラって、へっぽこよりもきつくないか……」
俺の嘆きをキレイに無視する遠坂。
「私の方も同様です。マスターからの呼びかけで、こちらの世界に呼び出されましたが、それ以上のことは……」
セイバーが首を横に振る。
「嘘でしょう。マスターだけじゃなくサーヴァントまでムーンセルからのフォローが入らないなんて!?」
音を立てて椅子から立ち上がり、セイバーに詰め寄る。
サーヴァントには聖杯戦争に参加する事になった時点で、基礎的な情報はムーンセルから付与されることになっている。
それが機能していないというのは、異常ということらしい。
「事実です。本来ならサーヴァントとして聖杯戦争に参加する事になった時点で、その時代背景や生活習慣など、戦争を行う上で必要な情報が自動的に入手できます。ですが、この月の聖杯戦争には適用されていないようです」
落ち着いてくださいと遠坂をなだめながら、セイバーが補足する。
「実体化できているということは完全にムーンセルとのリンクが切れているというわけではないんでしょうけれど。考えられるとしたら、マスター側のバグがサーヴァントであるセイバーにまで及んでいる、ってところかしら」
席に着き腕を組んで首をかしげる遠坂。だが、考えたところで推測以上のことはできない。
「で、そっちの子は………、なんでシロウをそんなに熱心に見つめているのよ? 気があるの?」
遠坂の言葉に彼女は何度も首を大きく横に振る。長い髪がそれに合わせて揺れる。
「ちょっとでも赤くなってくれているのならからかいようもあるのに、無表情で否定とか」
「う、なんか、すまん」
なぜか申し訳なくなってくる。
「なんでシロウが謝るのよ。と、こんなアホなやりとりをしていても、話は進まないわね。それで、あなた名前は?」
遠坂の促しに、彼女は自分の名前が岸波白野であること。自分もまたこの聖杯戦争に参加する事になったいきさつ、それどころか自分史というものの一切の記憶がないことを訥々と話した。
「何よ、あなたも記憶がないの? 二人が二人とも記憶に関するバグが生じているなんて。ムーンセルになんらかの異常が——」
「それはありません」
茶菓子を用意して戻ってきた桜が、菓子をテーブルに出しながらそう言った。
「現状、ムーンセルの全機能は正常に稼動しています。お二人から記憶の異常のお話を聞いたときに、念のためムーンセルに問い合わせてみました。ですが、お二人のパーソナルデータは正常であるという返答です。また全ての聖杯戦争参加者への記憶の返還についても確認しましたが、そちらについても異常の報告はありません」
桜は遠坂に尋ねられることを先回りして、簡潔に報告する。
「そ。健康管理AIのあなたが言うことだから信じるわ。ということは、やはり当人の問題なのね。ただ、気になるのは記憶の喪失している部分が異なっていること」
遠坂はお茶を口に含んで、喉をしめらせる。
「岸波さんの方は、全生活史の喪失。シロウの方は、月の聖杯戦争に関する記憶がすっぽり抜けている。同じように見えて、これはきっと異なる事象なのよ」
椅子の背に身体を預けて天井を仰ぎ見る。
「ま、いいわ。気が向いたらついでの時にでも調べてあげるわ」
姿勢を直し、遠坂はそう告げる。なんだかんだで面倒見がいいのも、やはり遠坂だ。
「助かる」
俺の隣で岸波もペコリと頭を下げる。
「とはいえ、できるだけ早くここについての情報を収拾した方がいいわよ。もう聖杯戦争は始まっているんだから」
「ああ、そうする。と、そういえば、あいつは何なんだ?」
早速とばかりに問いかける。この話は一緒に対峙した遠坂相手にしか聞けない。
「あいつって……、ああ、あいつね」
その話になったとたん、遠坂が何か苦いモノでもかみつぶしたように顔をしかめる。
それは、つい先ほど屋上で戦闘になった黒い男だ。ひどく暗く重たい雰囲気を身に纏い、なんらためらいもなく俺と遠坂を殺しにかかってきた、まるで暗殺者のような男。
その男のことを話し出す前に、遠坂は視線を白野の方へと向ける。向けられた方の白野は小動物のように小首をかしげて見返す。
「ま、いいか。無縁でも無関係じゃいられないでしょうから」
悩んだのが一瞬ならば、判断も一瞬。
なぜなら、ココに存在している時点で彼女も聖杯戦争の参加者。ならば、ここに彼と無関係な人間などいない。
「あの男の名前は、ユリウス。西欧財閥の暗部の人間よ」
遠坂は知っていて当たり前とばかりに『西欧財閥』を話に出したが不思議そうな顔をしている二人をみて、すぐに自分のミスに気がつき頭を抱える。
「あんたたち、二人とも記憶喪失だったわね」
これで、地上の現状についてある程度は説明しなければならなくなったと息を吐く。
別に説明する義理などないのだが、ここできっちり最後まで面倒を見ようとするのが遠坂凛たるゆえんなのかもしれない。
「今の世界はね、『西欧財閥』によって世界規模で徹底的な資源管理が行われているのよ。1970年代、大崩壊がおこって自然災害が発生し、資源も不足。それをきっかけに世界のあちこちで内乱やら戦争やらが起こってひどい状態になったわ。それを、『西欧財閥』が彼らの考える資源の均等分配という形で納めたのよ」
淡々と、客観的に事実のみを簡素にまとめる遠坂。
「遠坂、お前、西欧財閥が嫌いだろ」
遠坂の言葉のなかに感情的なものは一切含まれておらず、淡々と事実のみを語っていた。だからこそ、西欧財閥が嫌いだということが分かる。
「当たり前でしょう。競争も闘争も何もなく、ただ分け与えられたモノを言われたがままに受け取る、なんて世界は牧場と何も変わらないわよ。そんな牧場で生きる人は、人じゃなくて家畜と一緒」
今度は一転して感情的に西欧財閥を批判する。
「今回、西欧財閥は聖杯を取るために暗部を送り込んだって事か」
「半分正解。暗部はそのサポートとバックアップ。本命は、別」
頭が痛いと言わんばかりに、額を押さえる遠坂。
そんな遠坂の様子に、岸波があっと小さく声を上げる。
「その様子だと、会ったことがあるみたいね。西欧財閥のご当主さまレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイに」
コクリと頷き、予選の時に彼と出会っていたことを岸波は説明する。
「へぇ、転校生のロールを演じて普通の生徒と混じって授業を受けるなんて、ずいぶんと余裕を見せてくれてるじゃない」
予選の時の西欧財閥の当主の様子を聞いた遠坂は小さく鼻を鳴らす。
「ところでセイバー、何を考え込んでるの?」
それまで黙り込んでいたセイバーが顔を上げる。
「リン、1970年代に大崩壊が起こったと言いましたね」
「ええ」
セイバーの確認に遠坂は頷く。
「シロウ」
「ああ。遠坂、俺たちが知る歴史では、そんなことはなかった」
「そう。でも、あなた記憶に不備が生じているんでしょう」
月の聖杯戦争への参加の経緯は不明だが、現実世界の記憶を失っているわけではない。
「桜、大崩壊について説明してもらえる」
「はい。大崩壊は、1970年代の地球で起こった地軸のポールシフトを指します。それまで23.4度に保たれていた地軸が大きく傾斜しました。それにより、地球の地磁気が乱れ、地震や台風など様々な自然災害が発生。また、それをきっかけにして世界各地の魔力が枯渇し始め、2030年にはほぼ完全に大源は消失しています」
「な!?」
見習いの魔術師である俺でも、思わず桜から告げられた事実に声を上げる。
「何よ、私からの説明じゃ納得できなかったのに、桜からの説明なら納得するってどういうことよ」
「いや、そうじゃなくてだな。今、大源の消失って、つまりマナがなくなったってことだろう!?」
「ええ、そうよ」
何を今更という遠坂。
「だって、それって……それじゃあ、魔術師はどうなったんだ」
混乱したまま問いかける。
「昔ながらの魔力を使うは
椅子の背に背中を預けて腕を組み、目の前にいる二人のマスターを眺め見る遠坂。
「もちろん、このムーンセルにアクセスしている時点であなたたちも、
テーブルに手をついては、顔を寄せてくる遠坂。
「どうして、あなたがそのことを覚えていないのよ」
月の聖杯と直接的に関係のないことであり、ここにくる以前のことはしっかりと覚えているのならば、知らなければおかしなことだと疑いの眼差しを向けられる。
「覚えていないんじゃなくて、そんなことはなかったんだ」
そんな目を向けられたところで、俺は俺の真実を語るしかない。
「なら、使ってみなさいよ」
「何を?」
「だから、魔術よ。あなたのいうことが本当なら、ポールシフトはなかった。世界からマナも失われてないし、魔術もまだ使えて
ほら、早くと急かす遠坂。
「わかった」
湯飲みに残っていたお茶を一気に飲み干したあと、手に残った湯飲みに魔力を通す。
「——
自身の魔術の成功率の低さから冷や冷やしたものの、どうやらうまくいったらしい。茶碗は割れることなく強化された。
強化された茶碗を思いっきり叩きつける。通常であれば、茶碗は粉々に割れるはずだが、強化された茶碗は割れることなく床を数回跳ねて転がった。
「それって、『コードキャスト:強化』とどう違うの?」
一連の行為と結果を見守っていた遠坂が首をかしげる。
「存在意義の強化は、コードキャストではわりと初歩の初歩よ」
何をなしたのかをあっさりと見破られるのは構わない。けれど、それが魔術師《ウィザード》が行使するコードキャストと見分けがつかないと言われてしまった。
だが、俺はそもそも遠坂の言うコードキャストを知らない。だから、その違いを説明することも出来ない。
「コードキャスト:強化」
戸惑っていると、遠坂がコードキャストを使って見せる。
俺と同じように茶碗を強化。彼女のコードキャストに反応して、一瞬だけ茶碗が淡く光る。そして同じように茶碗を床にたたきつける。
もちろん、結果は俺のモノと同様だ。
床に二つの茶碗が同じように転がる。
「もちろん、コードキャストには他にも多種多様なものがあるわ。かつての魔術と同じように」
コードキャストを見せられても、俺には魔術との違いを説明できなかった。存在に介入し性質や形状を変化させる強化は実践の上では、魔術と全く同一。
そこに魔力を用いるか、虚構世界に直接アクセスするかという方法論の違いはあるが結果が同じである以上、証明する術がない。
「なんだか、納得がいかないと言いたげだけれど」
「まぁな」
憮然とした表情になるのは致し方ない。何しろ、魔術に関して自分が知っていることを根底から否定されたも同然なのだから。
「そういうのを、うちのご先祖様も感じたんでしょうね」
ほんの少しだけ感傷的なコメントをした後、すぐにソレを吹っ切るようにパンと両手を打ち鳴らす。
「さて、私から話せるのはこのくらいかしら。あとは、運営に聞きなさいな」
「ああ。教会にいるという上級AIに話を聞いてみようかと思って」
「教会ってことは、あいつかぁ……」
渋い顔をする遠坂。
「ま、いいんじゃない。情報は大切だし、あなたたちにとっては有用なことをきっちり教えてくれるわよ、あいつなら」
その口調からはできることなら関わり合いになりたくないというのがありありと見て取れる。
「岸波も一緒に行くか?」
その誘いに頷きかけた岸波だったが、斜め後ろの方を見ていぶかしげな顔をしたあと、丁寧に断りの返事をする。
「そうか。なら行こう、セイバー。ありがとう、遠坂。助かったよ」
セイバーを促して立ち上がり遠坂に頭を下げた後、保健室を後にした。