「——すみませんシロウ。彼らに、私の真名を知られてしまいました」
二人だけになった中庭でセイバーが頭を下げる。
「ん、それは仕方がないだろ。相手が、円卓の騎士だもんな」
気にしなくてもいいと、軽く手を振りながら考えるのは記憶についてだ。
俺は月の聖杯戦争につい先ほど巻き込まれたと思っていたが、違うのかもしれない。
レオのクラスメイトだったという発言。もしも、それが月の聖杯戦争の予選に関わっていることだとしたら。
それは——
「シロウ……今のは——、シロウ?」
「ああ、ごめん、セイバー、聞いてなかった」
「いえ、たいしたことではありません。それより、何を考えていたんですか?」
「考えることがたくさんありすぎて、かなり困惑してる。レオがクラスメイトだって言ってたけど、あの様子だと岸波もそうなんだと思う。でも、俺はそれを覚えていない。そもそも、どうして俺が月の聖杯戦争に参戦するハメになったのかさえ不明だ。それに、何より気になるのは——セイバーにも聞きたいんだけど」
僅かにためらいながらも、俺はセイバーに自分の考えを語ることにした。
「セイバーはこの月の聖杯戦争についてどう思う?」
「シロウ、何が聞きたいのですか?」
あまりに漠然とした問いにセイバーが眉根を寄せる。
「なんていうかさ、俺はこの聖杯戦争は何かおかしい気がする。冬木の聖杯戦争は魔術師たちが、魔法への到達を目指して聖杯を満たすための儀式だよな。アインツベルンは聖杯戦争の度に小聖杯を用意し、サーヴァントを戦わせ中身を満たそうとしていた」
聖杯を得るためにサーヴァントが競い合うのではない。聖杯を満たすために、サーヴァントの魂が必要。つまり空の聖杯に中身を入れ、起動させるのが聖杯戦争という儀式だ。
話しながら自分の考えをまとめようとしている俺の言葉をセイバーは反論せずに耳を傾ける。
「この月の聖杯戦争の真意はなんだろう。なんで聖杯を巡る争いが必要で、誰が聖杯を用意しているんだ」
セイバーの持っている情報は俺とほとんど変わらない。それでも、セイバーの考えを知っておきたかった。
「それをいつ、誰に聞いたのですか?」
けれどセイバーから返ってきたのは、全く別の論点だった。
「それって、どれのことだ?」
「ですから、聖杯戦争の儀式のことです」
セイバーに詰め寄よられ軽く身を引く。
「えっと、いつ——だったかな。聞いたのはイリヤからだ。ああ、でもあの時、セイバーは——?」
頭が——いたい。
おかしい、のか?
何が、おかしい?
何かが、おかしい?
「どうして、セイバーが……ここにいるんだ?」
顔を上げ、セイバーを見る。
「何を言っているんですか、シロウ」
「だって、あの時——くっ」
あまりの頭痛にうめき声を上げる。まるで、それ以上の思考を押しとどめようとするかのように、頭痛は激しさをましていく。
ついには立っていられなくなり、その場にうずくまる。
それでも、思い、出さない、ないと。
そう、しないと、致命的な、こと、に……
「シロウ! シロウ!!」
慌てるセイバーが肩を抱きかかえて、名前を繰り返し呼びかけるが、答える余裕は俺にない。
「それ以上の記憶領域へのアクセスは重大なトラブルを引き起こす可能性があります。早急に思起行動を停止してください」
上から無感動な声が振ってきて見上げる。
「———っ」
俺は必死に頭痛に耐えていたことも、何かを思い出そうとしていたことも忘れてしまった。
浅黒い肌の少女が立っていた。神秘的な紫の瞳の眼鏡の少女。おそらくは東洋系で額に赤いビンディをつけている。人間離れした造形は人形のような冷たい印象を与える。
彼女は裾の短いワンピースらしきモノを身につけているが、その裾の短さは正面からならばギリギリの太ももの付け根まで。防御など不要だと言わんばかりだ。上半身の方も攻めの姿勢。素肌の上から一応Vネックのワンピースを来ている。そのVの切れ込みも臍近くまでの切り込みが入っている。すなわち胸部の淡い膨らみが見えるか見えないか、そんなギリギリさ。
屈んでいる俺からすると、とくに下半身はギリギリどころの話ではない。
「——履いて、ない?」
見上げている俺には——見えるべきモノがなくて、見えてはいけないものが見えてしまっていて。
しかし、こうも堂々とされていると反応に困る。
「記憶領域へのアクセスを止めたようですね。どうですか、調子は?」
「あ、あっと、確かに——」
痛みは完全に消え去っている。
「ならば、立ち上がられてはいかがですか?」
「あ、うん」
なんとも間の抜けた返事をして、俺は立ち上がる。
「初めまして、私はラニ=VIII」
「俺は衛宮士郎だ」
『履いてない』衝撃に未だ呆然としたまま、ほとんど反射的に自分の名前を告げる。
「さきほど興味深い話をされていたようですが、私にも聞かせていただけますか?」
「話って」
「『月の聖杯戦争の真意』と言う話です。これまで聖杯戦争の参加者の中で、そのようなことを考えた方はいらっしゃらなかったので」
ラニは更に言葉を続ける。
「聖杯戦争はムーンセルが用意しました。ムーンセルは地球を監視し、余さず記録し、保存する霊子の頭脳です。そのムーンセルが自身の担い手を選出するために執り行う儀式、それが聖杯戦争です。そこに疑う理由はありません。しかし、あなたは聖杯戦争の本質そのものに疑念を抱いている。その理由が知りたいのです」
「たぶん——俺は、他の聖杯戦争に参加していたからだ」
「地上では、大小様々な聖杯戦争が執り行われていると聞きます。あなたはその一つに参加していたのですね。では、あなたが疑念を抱いていることは一体何なのですか?」
次から次へとラニは自分の好奇心を満たそうと質問を繰り出してくる。
その勢いに押し負けそうになる。
「なんでそんなことを聞きたいんだ?」
だから、というわけではないが逆にラニに質問を発する。
「私は、師に『人形にすぎない自身を大切にしてくれる人を探しなさい』と言われました。だから、私は人を知る必要があるのです」
感情の起伏に乏しい少女が、師から言われたとはいえ自分を人形だと割切っている。だからこそ余計に人形じみてみえた。
「俺が感じているのは、疑念なんてほどのモノじゃない。ただ、納得いかないだけだ」
「納得?」
感情に寄る印象であるため、ラニには理解が難しく首をかしげる。
「ムーンセルそのものが聖杯で、その担い手を求めて開催されたのが聖杯戦争。それじゃあ、ムーンセルは何を考えているだろう」
「ムーンセルは演算装置です。そこに意志はありません」
「だから、そこに納得がいかないんだ。この聖杯戦争の裏には明確な意志がある」
士郎がはっきりと断言する。
「何を根拠に?」
「根拠はない。でも、意思があるからこの聖杯戦争は管理されているんだと思う」
「わかりました」
ラニがコクリと小さく頷く。
「私は今晩、星にこの聖杯戦争そのものについて問いかけてみます。明日の朝、またここで会いましょう」
「星に?」
「占星術です」
ここにきて始めて少女が人間らしい表情をした。不思議でしょうがないと、そんな顔を。
「それにしても、なぜ誰も聖杯戦争の本質について疑問を抱かなかったのでしょうか」
ポツリと呟いた。
※※※
校内の探索を行う。
校門の外はきちんと景色が広がっているが、見えない壁があり出られないようになっている。まるで、壁に書かれた書割のようだ。
そのほか、弓道場や校庭も再現されていた。こちらは、内部や設備まで整っている。
校内も歩き回ってみる。
一部、鍵がかかっていて入れない部屋もあったが、図書室や放送室など種々の特殊教室の他、地下に購買があり、シューズや校章などの他に焼きそばパンやカレーパンといった定番の調理パンが売られていた。
実際の学校として運用するには、規模は小さいが聖杯戦争をするだけならばこれで十分ということなのだろう。
驚いたのは、NPCとして再現されている生徒の中に、よく見知った人物たちが多々いることだ。生徒会長の一成をはじめとして、蒔寺、氷室、三枝の三人組までが存在していた。
彼らはNPCとして、主に聖杯戦争の保守・管理、およびマスターのサポートを行っているらしい。
話しかけた俺たちに対して、NPCとは思えないほど気さくで人間味のある返答をする。まるで、本物の彼らがそこにいるかのように。
むしろマスターたちの方が余所余所しく常に監視しているかのようで、居心地の悪さを覚えたほどだ。
そして最後に来た場所は、聖杯戦争参加者それぞれに与えられるマイルーム。
「驚いたな」
見た目はただの空き教室。しかし、この場所は携帯端末がキーとなっているため、本人とそのサーヴァントしか入ることが許されていない個室になっている。
「戦場で完全な安心を保証されている個室を与えられるとは」
セイバーが感嘆の息をもらす。
「だな」
冬木の聖杯戦争において寝室の問題を思い出して士郎が頷く。聖杯戦争中、寝込みを襲われたら困るとセイバーが寝室を同室にすることを主張。健全な男子高校生を自負する俺は徹底抗戦を図るという、不毛な戦いを思い出す。
尤もここも一部屋しかないので空き教室の中に散乱している机や椅子を使って、部屋を区切る必要があるのだけれど。
だが、
あとで、桜や一成に相談してみることも検討しておく。
俺一人なら床で寝ても構わない。土蔵でそれに近いことをよくやっている。けれど、セイバーを床に寝かせるわけにはいかない。
「贅沢言わなければ、問題はないよな」
もう一部屋ほしい、というのは贅沢なのだと言い聞かせる。
「なんですか、シロウ。何か、不満でも?」
「イイエ、ナニモ」
ここで不毛な言い合いの再戦をするつもりはないため首を横に振る。
「しかし、驚きました。まさかタイガまでいるとは」
「ああ。あんまりの再現度に頭が痛くなったよ」
いつものハイテンションなノリで藤村大河が学校で聖杯戦争について話しているという、現実離れした現実。
「今日は色々ありすぎて、さすがに疲れた」
「そうですね。この奇っ怪な聖杯戦争もそうですが……ずっと、考えていたんです」
じっと、こちらを見るイバー。
「どうした、セイバー?」
「シロウ」
改まって名前を呼ぶセイバーに、思わず背筋をただす。
「なぜ、私の真名を知っているのですか?」
「なぜってそれは、セイバーが宝具を使ったのを見たから……」
質問の意図がわからないまま答える。
「いいえ。それは、ありえません。私は、まだ宝具を開帳していません。そして、私から貴方に真名を告げていない。では、なぜ貴方は私の真名を知っているのですか?」
セイバーはもう一度同じ質問をした。