ため息を吐き、飴の無くなった棒を捨ててお茶を飲む。
「ゴメン、脳みそが今の言葉を理解するのを拒んだからもう一度言ってくれる?」
「私たち夜の一族に関する記憶を失うか、それともすずかの婚約者になるか、どっちが良いかしら?」
「聞き間違いじゃねえのかよクソッタレ……!!」
冗談だと思いたいのだが月村忍の顔を見る限りでは冗談を言っているようには見えない。つまり、本気で夜の一族に関する記憶を失うか、それとも記憶を持ったまま月村の婚約者になるかどうかを問いかけていた。
「何でそんな二択が出てきたんだ?」
「夜の一族も色々と大変なのよね。安次郎叔父様の件で過激派は一掃出来たし残党が居たとしてもしばらくは活動出来ない程に消耗させる事は出来たわ。だけどその代わりに穏健派が勢力を増してきたのよ。これまでの平穏を保つ為に部外者を始末するべきではないかと言われたわ」
「穏健、派……?」
「一応穏健派よ。夜の一族の平穏を守る為にやってる事は過激派と然程変わらないけど」
やろうとしている事はあれだが、穏健派の気持ちも理解出来る。秘密を守る為に一番の手段は口を封じる事なのだ。その場では喋らないことを約束させたとしても、生かしておけばいつか口に出してしまうかもしれない。それならば殺して喋られないようにすれば良い。短略的で暴力的な手段ではあるが、確実に秘密を守る事が出来る。
「で、殺されたくなかったら代わりにどちらかを選べと?」
「えぇ、夜の一族が持つ異能を使って記憶を消すか、それともすずかと婚約を結ばせる事で夜の一族に取り込むのか、どちらかを選ばせると言って言いくるめておいたわ……」
穏健派との交渉に余程力を使ったのか彼女の顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。それをご苦労様、なんて労うつもりはない。何せ俺は巻き込まれた被害者なのだから。自分から厄介ごとに飛び込んでいったのならば多少は申し訳なく思うかもしれないが、今回に関しては完全に巻き込まれた立ち位置にいる。俺が何かをしたわけではないので、何も言うつもりは無かった。
ふと気になって月村の方を見てみるが満更でもなさそうな、だけどどこか諦めたような顔をしていた。やはり、もしかしたらと思っていたのだが、あの一件で月村は俺に対して特別な感情を抱いてしまったらしい。チョロいなどと言われるかもしれないが、月村からしてみれば俺は吸血鬼なのにそれがどうしたと受け入れてくれた存在になる。人間とは異なる存在であると知っても、以前と変わらぬ対応をしてくれる俺の事を特別視してもおかしくないだろう。
月村の容姿は優れていて、学校でも異性に対して意識し出している男子生徒たちから人気がある。月村忍の姿を見る限り、将来的に彼女に酷似した容姿になるのが伺えて、加えて性格も良いと来ている。しかも、実家は名家で婿入りしたとしても生活に困らないだろう。総じて紛う事なき優良物件。普通ならば万歳三唱しながら即座に婚約を受け入れ、薔薇色の未来が約束される事になるだろう。
だが、生憎と普通ではない事を自覚している。
それに俺には心に決めた相手がいる。
しかし、命が惜しいからといって彼女の秘密を忘れるような甲斐性無しにもなりたくない。
「悪いがどちらも断らせてもらう」
だから、夜の一族に関する記憶を失う事も、月村の婚約者になることも断る事にした。
「……理由を聞かせてもらえるかしら?」
「俺は安次郎から夜の一族の事を聞かされて、その上で月村と関わり続ける事を決めてるんだ。別に夜の一族の事をバラすつもりはないし、だからと言ってなし崩しにとはいえ彼女が明かしてくれた秘密を忘れるような甲斐性無しの玉無しになりたくない。なら婚約者になるのかって言われても断るさ。何せ、今の俺は大切に想っている相手がいるんでな。そいつを蔑ろにする事なんて出来やしない。だから両方とも断るって言ったんだ」
「穏健派が強硬手段に出るかもしれないわよ?そうなった場合、私たちは貴方を守る事をしないと言っても?」
「そうなったら夜の一族は月村だけになるだろうよ」
夜の一族の事をバラすつもりは無いが、穏健派はそう考えずに俺の命を狙うかもしれない。そうなったら、何でもありの戦争になるだけだ。穏健派は俺の事を狙い、俺は月村家以外の夜の一族全員を狙う。半端に終わらせる事などしない、どちらかが途絶えるまで殺し合う事になる。それだけだ。
「そういえばテロるとか言ってたわね……はぁ、分かったわ。貴方の記憶は消さないし、すずかと婚約を結ばせる事もしないわ。だけど穏健派には貴方の記憶を消したと報告する。だから絶対に口にしないでもらえるかしら?」
「安心しろ、口の硬さには自信がある。拷問されて話しそうになったら舌を噛み切ってでも絶対に喋らない」
「……すずか、残念だったわね?」
「お姉ちゃん……!!」
恥ずかしいのか、月村は顔を赤くしながら月村忍の事を叩いている。これがポカポカと軽い音ならば可愛らしい光景だったのだが、生憎と聞こえてくる音はドスドスという重たい音。夜の一族の身体能力を遺憾無く発揮しているのが分かる。月村忍も辛いのか、初めは軽く笑っていたがすぐに乾いた笑いで顔を引き攣らせている。
「す、すずか?ちょっと痛いから手加減してくれると助かるのだけど……あら、もうこんな時間なのね。悪いけどそろそろ帰らせてもらうわ」
「おぉ帰れ帰れ。帰って俺に安眠させてくれ」
処理をしなければならない事がまだまだあるのだろう。イレインの事と月村の事を話して彼女たちは帰り支度を始めた。すると月村が何かを決心した顔で俺の近くまでやって来る。
「加賀美君……」
「どうした?」
寝不足だったから、月村だったから油断していたのだろう。彼女は俺の頬に手を添えると顔を近づけて、俺の額に唇を当てた。
「ーーー私、諦めないからね!!」
それは奥手な月村の精一杯の頑張りだったのだろう。林檎かと思うほどに真っ赤にした顔でそう告げると、彼女は逃げるようにしてリビングから出て行った。
「あらあら……」
「へぇ、中々の色男っぷりじゃないか」
「加賀美様は俗に言うすけこましなのですね」
「そこはせめて女誑しにしてくれよ……いや、それも違うけどさ」
そんなつもりは無かった、だけど実際にはそうなってしまっているので強く反論することは出来なかった。
俺は明日の朝を迎える事が出来るのだろうか。
「あぁぁぁ……!!しちゃった……しちゃったよぉ……!!」
火がついたように熱くなっている顔を手で覆い隠しながら加賀美君の家の玄関先で蹲る。流石に唇にはしていないとはいえキスはキスだ。事件の疲労が抜けきっていないからなっているどこかボンヤリとした状態で、勢いに任せてやってしまった感はあるけど恥ずかしいものは恥ずかしい。
だけどした事に対する後悔は無い。あるのは羞恥心だけだ。
そうやって数十秒程その場に蹲って、顔の熱が多少引いてきた頃合いを見計らって立ち上がる。今日は無理矢理お姉ちゃんに着いて行く事で加賀美君に会ったのだが、こうしてキスをしてしまった以上は他に話さなければならない相手がいる。
加賀美君の隣に立っている家ーーー沙条さんの家に行き、インターフォンを鳴らす。
「はーい……って、月村さん?顔が赤いけど大丈夫?」
「うん、大丈夫だから」
出て来たのは話したかった相手である沙条さん本人で、顔が赤い事を指摘されたけど気にしている暇は無い。
何故なら、今から宣戦布告を行うのだから。
「沙条さん……私、加賀美君の事が好きになりました」
「……友人としてかしら?」
「ううん、異性としてです」
普段の加賀美君と沙条さんのやり取りを見ていれば、2人が深い関係にある事はすぐに分かる。そんな2人の間に割って入るような私は間違いなく悪者だろう。そうだとしても、
「だから、宣戦布告です。私は加賀美君と一緒に居たい。例え沙条さんがいるとしても」
この気持ちを無かった事にはしたくは無かった。私の正体を知り、それでもそんな事は知った事かと言って友人で居てくれる彼とそれ以上の関係になりたいと思った。
だから、沙条さんに正直に自分の気持ちを伝える。私が悪者だと言う自覚はあるけど、だからと言って横から掻っ攫うような卑怯な女にはなりたく無いから。
そうして私たちの間に重たい沈黙が続く。私の言葉が余程不快なのか、彼女の眉間には深いシワが刻み込まれて今にでも殺すんじゃないかと思う程に鋭い視線を向けている。
それを真正面から受け止めて、目を逸らさない。ここで目を逸らしたら、彼と一緒に居ることなんて出来やしないと直感で判断したから。
「……良いわ、一先ず貴女が両夜の事が好きって事は認めてあげる」
重苦しい沈黙を破ったのは沙条さんからのまさかの一言だった。思わず唖然として彼女を見るが、さっきまで刻まれていたはずの眉間のシワは無くなっていて、それどころか寧ろ愉快そうに笑っていた。
「えっと……良いの?本当に?」
「認めてるのは好きだって思うだけよ。昨日両夜が帰って来なかった事が原因ね?月村さんと一緒に事件に巻き込まれて、そこで秘密を共有して、油断していたところを両夜の言葉とでノックアウトってところかしら?」
「何で分かるの……!?」
「恋する乙女の勘よ」
お姉ちゃんの手によって情報規制が敷かれ、外部には漏れていないはずなのに沙条さんはまるでその場にいたように言い当てられてしまった。加賀美君が本当に話していないか怪しく思えたが、彼は本当に話してはいけない事は絶対に話さないので違うはずだ。つまり、彼が昨日帰って来れなかった事と私を見て推理したのだろう。
相変わらず、この常人離れした洞察力と想像力には舌を巻くしか無い。
「寧ろ今までそういうのが現れなかったことの方が不思議だわ。両夜ったら格好良くって、優しくて、モテそうな要因は沢山あるのに」
「それは隣にいつも沙条さんがいたからだと思うけど……」
「まぁ影でこそこそやってたのは居たみたいだけど、そういうのに関しては影でこっそり始末しておいたわ」
「影でこっそり」
沙条さんはもしかして噂に聞くヤンデレというヤツなのだろうかと思ったが、どちらかと言えば彼女は嫉妬深いだけなのだろう。加賀美君の事が大好きだから一緒に居たいという感じだし、大切だからといって独占したいようには見えないし、加賀美君が自分以外の女の子に惚れられてもどこか誇らしげに見える。
だけど一線を超えたら容赦はしないみたいだが。
「そういう意味では月村さんは見込みがあるわよ?なんて言ったって私に直接そのことを言いに来たのだから。もしも泥棒猫みたいなことをしようとしていたら影でこっそり始末する事になっていたわ」
「良かった……言っておいて本当に良かった……!!」
夜の一族だから同世代の人間に比べて身体能力は高い方だ。沙条さんくらいの女の子に襲われても簡単に倒す事は出来るのだが、どういうわけか沙条さんと戦っても勝つ未来が思い浮かばない。逆に路地裏で横たわっている私と悠々と立ち去る沙条さんという未来なら簡単に想像出来るのだが。
「だからーーー私も宣言させてもらうわ」
胸に人差し指が突きつけられる。横取りをすると宣言している私に対して沙条さんは楽しそうな微笑みを浮かべ、だけども目には絶対に渡さないという自信が満ち溢れている。
「貴女がいくら彼の事を好きになっても構わないわ。だって、誰かが誰かを好きになる事なんて当たり前の事なのだからーーーだけど、彼は絶対に渡さない。私が愛した王子様を、貴女に絶対に渡さないわ」
「沙条さんが加賀美君の事を好きだったのは知ってるよ。だけど、私も加賀美君の事が好きなのーーーだから、正面から正々堂々挑むよ。私も、彼と一緒に居たいから」
2人の少女が1人の少年を取り合う。昼ドラや少女漫画のような展開だが、不思議とそれらで感じられるようなドロドロとしたものは私たちの間には存在していなかった。
「フフッ……ねぇ月村さん、貴女の事を名前で呼んでも良いかしら?私の事も名前呼びで構わないから」
「うん、良いよ。これからよろしくね、
「精々頑張りなさい、
相手は加賀美君の幼馴染。一緒に居た時間は愛歌さんの方が圧倒的に長く、知っている事も彼女の方がずっと多い。加賀美君が言っていた大切に思っている相手というのもきっと彼女の事だろう。
そんな不利すぎる状況で、だけど不思議と負ける気はしない私の初恋が始まった。
すずかちゃん、愛歌ちゃまに宣戦布告するという偉業を成し遂げる。
良かったね!!これが根源に繋がってる方の愛歌様だったら問答無用で人生から退場させられてたよ!!