仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。 作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)
【ギルス-残業-編〈開幕〉】
♪04.Armour Zone
ライブ会場の惨劇───。
大人気ボーカルユニット『ツヴァイウイング』の公演中に起きた認定特異災害・ノイズの大量発生の一件は世間に大きな傷痕を残した。
およそ十万人にも及ぶ観客や関係者が居合わせたライブ会場は突如として出現したノイズの大群によって大混乱に陥ったという。ノイズによって灰となって崩壊させられた者、我先にと逃げ惑う人々の波に呑まれて負傷した者、そのまま運悪く亡くなった者。人類殺戮に長けたノイズの被害はやはり大きかった。
大惨事となったこの事件───その犠牲者。
行方不明者と死傷者を合わせて───1874人。
たった
10万人という凄まじい人数が生み出した大混乱は1万人以上の犠牲者を出すに足りる大規模な災害であったと後に専門家は口にした。それが2000人にも満たない犠牲者で済んだと言うのは奇跡に近い僥倖だった。
後々の調査から、ノイズ発生による人的な二次災害は極めて少なかったということが判明した。十万の命を孕んだライブ会場は恐怖と混乱の坩堝と化し、誰もが我が身の命のために、他人を蹴落とす心理に至る地獄のような空間で───。
人々は節度ある避難をしていた。
もちろん、ノイズの恐怖によって支配された人間の荒波のような避難は少なからず死傷者を生んでいる。だが、それは予測された膨大な犠牲の数とは一致しないごく僅かなものであった。何より、避難経路を巡る暴行などの───ノイズ発生の際に見受けられる他殺による被害は0だったと言う。
1874人の犠牲者には申し訳ないが、これは奇跡だと誰もが思った。
少なくとも、多くのメディアはそう取り上げた。
一万人以上の犠牲が予想された大惨事の裏側には何が───いや、誰がいたのか。
生き残った人々は口々にこう言った。
仮面ライダーが来てくれた。
仮面ライダーが助けてくれた。
あるいは───。
仮面ライダーが来ると思っていたから焦らなかった。
仮面ライダーなら何とかしてくれると信じていたから暴動は起きなかった。
仮面ライダーは来る。だから、彼を待っていた。
誰もが正体不明の
未確認生命体第二号───『仮面ライダー』
ノイズを狩る未知の生命体。
いつ如何なる時でも、人々の平和を脅かすノイズが出現すれば、黄金のバイクと共に颯爽と駆けつけてくれる正義のヒーロー───それが仮面ライダー。
ライブ会場の惨劇は、仮面ライダーの尽力によって、最小限の被害に抑えられた。
とはいえ、悲劇の傷痕は深い。
ライブ公演をしていた『ツヴァイウイング』の一人───天羽奏。
彼女もまた犠牲者の一人と言えよう。
命に別状はなかった。
しかし、彼女は意識を未だに取り戻さない。
眠り姫のように安らかな顔で植物のように生きている。まるで、魂だけを抜き取られたかのような状態のまま、彼女は眠り続けている。
来たる日を待ち詫びるように───眠る乙女。
そして、彼女の命を守り抜いた仮面ライダーは───その日を境に姿を消した。
***
ライブ会場の惨劇から三日後───。
都内の地下水道。
じゃぶじゃぶ───と。
鼻孔を抉るような汚臭に包まれた下水道を一人の青年が荒い息遣いで壁伝いに進んでいた。
汚泥に塗れた水に浸された果てしない闇の筒の中を彷徨う彼の目は虚を宿し、呼吸すら不規則なまま、ふらついた足で真緑の水を掻き回すように動かしている。
青年は酷く衰弱していた。
意識は朦朧として、彼の肉体は意思に反するように軸を失っていた。
汚物に澱んだ空気を吸えば、それだけで嘔吐しそうになるが、彼の場合は呼吸そのものが辛辣なまでに痛くて───生きているだけで死ぬほどに苦しい。
息苦しくて、辛くて、熱くて熱くて、どうしようもない。
虚無の瞳が睨む───水面に佇む己の姿。
それは
悍しい悪魔の居姿が幻覚として脳裏に過ぎり、顔面を蒼白とした青年は恐怖の絶叫を辞することができなかった。緑色の怪物が青年の影を覆い尽くさんと狙っている。そのような強迫観念が絶えず彼の精神を蝕んでいた。
喰らえ、喰らい尽くせ───。
耳障りな悪魔の囁きが呪詛のように脳を掻き乱して、反芻するように頭へ響く。それは耐え難い狂気となって青年を苦しめる。
喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ。
喰い尽くせ───目を醒ませ!
「やめろ……やめろやめろ……ッ」
青年───津上翔一は逃げるように汚水の中を不格好に走る。
ばしゃばしゃ───と。
汚泥に足を取られて、大きく躓き、穢れた汚水を全身に浴びる。それでも気に留められない。怖くて、怖くて怖くて───逃げ出した。這いつくばって、焦るように逃げようとした。だが、その足を掴むように痛みは襲ってきた。
ひっくり返った昆虫のように踠き苦しむ。
身体を貫く異質な激痛が凄まじい炎症となって、肉体の内側から炙られる感覚───嘔吐と呻き声。汚い水面を無我夢中で殴りつける。
彼の内側から何か得体の知れない
その声すら───痛い。
喰らえ、喰らえ、喰らい尽くせ───。
悪魔の声は止まらない。彼が弱り果てる機会を今か今かと待ちわびるように、気味の悪い呪詛は鳴り止まない。
喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰い殺せ───!
「なんなんだ、チクショウ……がッ……ぁぁぁ……」
血の味がした。口腔の中に広がる甘美な味覚。溶けてしまいそうな激しい獣の誘惑───突如、芽生えた狂気に翔一は無心で頭を振った。
俺じゃない。俺じゃない。これは俺じゃない。
自分が自分でなくなる恐怖に耐え切れず、半狂乱のまま、縋る思いで額を壁に殴るように叩きつけた。額から一筋の血が鼻の輪郭に隔たれて、静かに流れていく。
その匂いに酔った。
喰らえ、喰らえ、喰らえ───。
「血が……ぁぁ……肉がぁッ……はァァ……」
口元から大量の涎が滴る。空腹───顎が癇癪を起こすように
恐怖に耐え切れず、また走り出す。ここが何処なのか、記憶にあらずとも、彼は本能の赴くままに無心で足を動かした。
なぜ、生きている。
俺は死んだ。力尽きて死んでしまったはずだ。
なぜ、傷一つない。
俺は瀕死の重傷を負っていたはずだ。腹を貫かれていたはずだ。なのに、なんで何もかも無くなっているんだ。
彼の肉体に、外傷と呼べる痕はまるで無かった。致命的な一撃を食らった腹部にも瀕死の重傷は何も残されておらず、ただ、肉体を蝕む未曾有の激痛だけが
理解が追いつかない───不可解な生存。
ここはどこだ。なんで俺はここにいる。なぜ生かされた。なぜ生きてしまった。
俺のカラダを蝕んでいるのは───何だ。
「なんで、なんで……いないんだよ……エルさん……ッ」
火のエル。
地のエル。
風のエル。
津上翔一の肉体に憑依していた三体の超越生命体であるエルロードは居なくなっていた。その圧倒的な存在感───翔一の身体から忽然と
居なくなった、彼の
突然、何の別れもないままに。
それはあまりに苦痛だった。想像以上の苦しみだった。記憶喪失の津上翔一が今まで何とか平静を保てていたのは、三体のエルロードの存在が大きい。彼らが如何なる怪人であれ、共に生きて、共に戦った、津上翔一と最も近しい間柄であったが故に、彼らの喪失は翔一の心をいとも容易く不安定な状態へと陥れた。
「なんでいなくなっちゃったんだ……なんで、なんで」
ぽっかりと穴が開いたように───孤独感。
その孤独な心を抱いた胸を穿つように憎悪の声が響き渡る。
喰らえ、と───。
邪悪な悪魔が冷笑を浴びせながら、津上翔一の虚無を象る伽藍堂の心へ入り込むように、娼婦のような甘い声で誘惑する。
喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ。
喰らい尽くせ、嬲り殺せ、暴れ回れ。
お前は自由だ。鎖から解き放たれた
「ァあ……がぉ……は……ッ」
苦痛に満ちた呻き声。
胸を引き裂かれるような痛み。
何か恐ろしい獣が───この身体から解き放たれる。
頭が割れてしまいそうだった。
意識が硝子のように砕けてしまいそうだった。
頬を冷たい壁に叩きつけ、そのままズルズルと崩れるように汚水の中へと身体を浸す。爪を立てた指先が赤い痕を残す。涎がこぼれ、鼻息は荒く、目はいよいよ正気を失い───獣に呑まれる。
「ぁぁ……アァァアアアアアアァァァッ⁉︎」
喰らえ、喰らえ、喰らえ───。
お前はバケモノだ。望まれぬ不完全な怪物だ。命を貪る異形の生物だ。誰もお前を認めない。誰もお前を赦さない。
さあ、喰らえ、
肉を喰らえ。血を啜れ。生命を蹂躙しろ。
それがお前の在り方だ。
おお、
「黙れ……ッ! 喋るな……耳障りでッ! 俺は……俺を……ぉ、ぉお、俺を呼ぶなァァァァァァァァァァァァァッ‼︎」
瞬間───その手から金色の鉤爪が皮膚を突き抜ける。
手の甲を突き破り、殺意に満ちた禍々しい鉤爪がぴくぴくと蠢き、その爪先から得体の知れない粘液を垂らしている。
それだけではなかった。
頭蓋骨を食い破るように二本の短い角が伸びて、彼の人間としての形を奪うように全身の筋肉が忌々しい悲鳴じみた残虐な音を響かせる。ゴキッ、ゴキッ───と骨格が軋み、その体躯は深い緑色の筋肉へと変質する。彼の瞳は血よりも赤い真紅の双眸へと変わり、その牙は血肉を食らう悪魔のように鋭く歪む。
その忌々しき
重なる影が───津上翔一を覆う。
激しい水飛沫を撒き散らしながら、肉体の突然変異に抵抗する翔一の黒く澱んだ皮膚に覆われた腰部に金色のベルトのような変身器官が現れると───彼は闇に吠えるしかなかった。
「ぉ、ぉお……ォォ……オォオオッ」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」
まさに、悪魔の咆哮であった。
忌まわしい怪物の産声であった。
深緑に覆われた異形の獣───呪われし生命体〝ギルス〟が覚醒した。
ギルスは獰猛な荒い息を撒き散らし、その萎縮された
そして、疾走する。
血を求めて───本能。
獲物を定めた豹のように身を屈めて、恐ろしいほどの俊敏な脚力で
「■■■■■■■■■■ーッ‼︎」
その殺伐とした鉤爪を振り下ろした。
***
ぐちゅり、ぐちゅり───と。
それは咀嚼していた。
辺り一体───錆びついた下水道の暗闇は黒い煤で包まれ、殺戮という言葉より凌辱と表した方が的確であろう惨たらしい死骸となって転がる無数のノイズがその惨劇を物語る。腹を引き裂かれ、頭を踏み潰され、四肢をもがれ、暴力の限りを尽くされて弄ばれた残虐な終局をノイズは迎えていた。
だが、それだけではない。
ぐちゅり、ぐちゅり───。
煤へと自壊するはずのノイズの脚を蟹の手足を捥ぐように引き摺り出して、それを容赦なく喰らう異形の怪物がいた。
肉に
彼の手に触れられたノイズは自壊することすら不可能となり、その肉を貪られるまで死ぬことすら許されず、死罪を座して待つだけの咎人と成り下がる。ぶよぶよとした身体を千切られ、細長い脚を折られ、顔を悪魔のような牙で砕かれた。それでもノイズは自壊を許されない。それは食料。あるいは家畜。喰らい尽くされるまで死ぬことはできない。
ぐぢっ、ぐぢゅり、ぐぢゅり───と。
ギルスはノイズを喰っていた。
凶暴な牙はノイズの無機質な血肉を噛みちぎり、
天の者と人の子が産み堕とした───暴食の獣。
互いに殺し合い、共食いを繰り返し、それでも飢えて、見境もなく、節度もなく、ただ本能が為すべくして赤い双眸が見つめる
「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」
響き渡る咆哮───。
ノイズを粗方その胃袋に押し込んで満足したのか、邪悪なる
突然、頭を押さえる。
苦痛に踠き始める。
ついに異形の怪物は崩れ落ちるように地面に倒れ、深い海底で溺れるように手足を乱暴にばたつかせて───果てない苦痛を経て、禍々しい肉体は溶け落ちていくように変わる。
深緑の皮膚は肌色へと変色し、鬼のような双角が伸びる頭部から毛髪が生え、真紅の複眼は役目を終えたように青年の顔へと戻っていく。
「──────がはッ」
血反吐の塊が飛び出た。胃が拒否したのか───消化不良を起こしたノイズの塊だった。
「ぉ……おお、俺が……ぎ、ギルス、に……っ⁉︎」
津上翔一は信じられないと目を丸くして驚いていた。
彼はその存在を───『仮面ライダーギルス』と呼ばれる戦士を知っていた。だからこそ、余計に頭が理解を拒んでいた。
だが、今は驚愕に浸る時間ではなかった。
確かめるように両手の掌を見つめると───既に変化は起こっていた。
老化現象───ギルスの後遺症。
年相応に骨張った手は今や
彼は
それも息のある木乃伊───生きた死骸。
「ぁぁぁ……ッ⁉︎ が、がァァ……⁉︎」
舌が動かせない。内臓が潰されている。骨が砕かれている。
なのに───死なない。
彼の肉体が途轍もない代謝を繰り返し、尋常ならざる速度で細胞の再生を行なっている。渇き果てた肉体にまだ血脈が通っているのはそのせいだ。
途方もない───痛み。
何もできぬまま、喘ぐことすらできず、ただ耐えることしかできぬ拷問のような時間を過ごして───およそ三時間。
やって動けるようになった翔一は無茶な再生能力によって底上げされた新陳代謝の対価として今度は鉛の如く重たい疲労感に襲われていた。
地下水道の隅で、怯えるように膝を抱えて座る。
地獄だった。
地獄のような時間だった。
生きた心地などまるで無い。
今こうして正気を保てているのが、不思議なくらいに……。
「もう戦えない」
自分に言い聞かせるようにそう告げた。
「でも、俺はノイズを食らって……ギルスはノイズを食べたがっている……」
それは彼に宿った
「耐えられるのか、独りで」
頼れるエルロードはもういない。
津上翔一が一人でも戦ってこれた理由───その大天使たちは何処にも居ない。
この光なき無限の地獄で孤独に戦えるのか。
醜悪な痛みを噛み殺して、ひとりで守り続けられるのか。
仮面ライダーギルスとして───この世界で生きていけるのか。
「………………」
翔一は首を振る。
無理だ。できっこない。俺はただの人間なんだ。過去の記憶すら持たない無垢な一般人に過ぎないんだ。過酷な運命に立ち向かえるような強い人間じゃない。俺は弱い人間で───。
俺はただの人間でありたいんだ。
そう言いたかった。はっきりと口にしたかった。
なのに───彼は懲りずに願ってしまった。
まだ守らなくてはならない
俺に勇気をくれ、と───。
一筋の勇気を。地獄に耐えていける勇気を。再び立ち上がれる勇気を。
仮面ライダーとして一人でも戦っていける小さな勇気を───。
───ひとりじゃないって。
彼の願いは届く。
その想いを優しく抱き締めるように───
「そ、そそ、その声……まさか……」
───へへっ、驚いたか。
闇を照らす温かな光となって、かつての大天使と同じように、彼女の優しい声は彼の脳裏に響き渡っていた。
有り得ない。何がどうなって───何もわからない。
ただ、その声を───彼が命をかけて守り抜いたこの声に励まされるのならば───津上翔一はどんな苦痛も耐え抜いて、どんな地獄を駆け抜けて、きっと戦っていけるのだろう。
それがとんでもない不幸であったとしても───動き出した運命は誰にも止められないのだから。
「か、かか、かな……
───おう、表出ろや。
「出口わかんない!」
───一生そこで突っ立ってろ、変態っ!
……多分。
この作品はギャグです(鋼の意志)
『多々喰わなければ生き残れない!(生き残れるとは言っていない』