仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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(この度、お気に入り登録8000に到達しました。誠に感謝です。感想も沢山いただいき感激でございます。オリ主仮面ライダーモノってこんなに人気あったっけ?と疑問は尽きませんが切ちゃんバースデーガチャが壮大にタヒんでしまったのでもはやどうでもいいです)

前回との温度差に腹壊しそうな内容と量ですまないすまない。


♭.俺は彼女の歌に耐えられないかもしれない。

 立花響は唄を歌った。

 逃げ遅れた少女を背負い、大量のノイズに追われながら、誰にも助けを求められない孤独な街で安寧の地を探して走り回る。息を切らしながら、体力の限界を迎えながら、それでも果敢に逃げ続けた。

 挫けることは死を意味する。絶望に染まる状況でも、響は己を奮い立たせて我武者羅に走り続けた。

 やがて、逃げ場のない狭い路地に追い込まれ、ついに忌まわしき認定特異災害に囲まれてしまった時───。

 

 〝生きることを諦めるな〟

 

 不意に思い出したあの言葉が響の胸を熱く迸らせて、彼女は無意識の中で口ずさむように聖詠を奏でた。その唄こそ───立花響の身に宿った聖遺物・撃槍(ガングニール)を起動させる聖なる(カギ)であった。

 凶暴な衝動───天まで届く光の柱が走る。

 そして、シンフォギアが立花響を包んだ。

 純白のプロテクターを纏った戦士のような姿に戸惑いを隠せない響は安易には認め難い記憶を呼び起こされ、激しく動揺した。あの日───ライブ会場の惨劇の渦中、ツヴァイウイングの天羽奏がノイズと戦っていた時の勇ましき容姿と一致していたのだ。

 唯一の違いは武器である槍が無いこと───。

 だが、もしも、これが()()()()()()()()()

 覚悟を決めた響は怯える少女をしっかりと背負い直して、()()()()()ノイズへと拙い拳を振り下ろした。驚くことに、無敵の位相障壁を持つノイズの奇妙な肉体は呆気なく響の拳に砕かれた。

 やはり、そうだ。この力は、ノイズと戦える力なんだ。

 そうと分かれば───響は恐怖を捨てて、ノイズの包囲網へ一点突破を試みる。止め処なく溢れてくる歌に身を任せて、彼女を囲っていたノイズの大半を文字通り殴り倒した。

 

「お姉ちゃん、スゴい!」

 

 少女の歓声に照れながらも、自分が得体の知れない力を行使していることに若干の疑問を感じ───しかし、この力があの天羽奏から引き継いだものだというのなら一切の迷いは無かった。

 

(あの人が歌っていたこの唄が間違いなわけあるものか!)

 

 襲いかかるノイズを拳打で叩き伏せて、ノイズに支配された地獄のような街から出ようと走り出した手前───。

 

『u¥→u÷U>°%u…urusai koe da』

 

 その異端な雑音は現れた。

 人間のような軀を持ちながら頭は(コブラ)のそれであり、邪教を仕切る祭司のような風貌を装い、勢いを味方につけた響の前に堂々と立ち塞がった。

 見たこともないノイズだった。

 言葉───言語を習得したノイズ。

 響は無心で頭を振った。あれは言葉でも声でもない。人間の声帯器官を真似て、聞くに耐えぬ不協和音を並べることにより、さも発声しているように見立てているだけに過ぎない。

 とはいえ、コミュニケーションは可能なのか───否、その歪んだ笑みの綻びが間違いなく邪悪な存在(もの)だと響の心にひしひしと伝わらせていた。溢れ出る敵意が挑発するように響の出方を伺っている。

 

(そこをどけぇぇえ───ッ!)

 

 響の(ストレート)は───(コブラ)には届かなかった。

 

(ええっ⁉︎)

 

 彼女のパンチは片手で受け止められていた。

 (コブラ)は余裕ある表情のまま、もう一方の腕を自分の腹部へ抉るように突っ込んで、掻きむしり、ポケットから取り出すような素振りで腹の中から細長い錫杖のような武器を取り出した。自傷行為というわけではなく、痛がっている様子もない。その姿が尚も響に恐怖という感情を抱かせた。

 杖の尖った先端で地面を軽く小突き───(コブラ)は錫杖で響を大きく叩き殴った。シンフォギアの防御力でも緩和し切れない衝撃が響を襲う。

 軽々と吹き飛ばされた響は───背中の少女の悲鳴に意識を留め、天性の才能を開花させるように無茶な姿勢制御を空中でやってのけた。くるりと回転して被弾した態勢を整えた。絶叫を上げる少女を強く抱え直し、両足で着地する。まさに危機一髪であった。

 その見事な動きにロードノイズは苛立った。

 響は呼吸を整えながら、胸に込み上げてくる歌を途切れさせないように意識する。この蛇ノイズは他のノイズとは格が違う。歌うことを止めてしまえばその瞬間───これは響の理由もない直感であった。勘に近い。だが、的を射ている。

 

(なんとかして、()()()()と!)

 

 戦う力がある。シンフォギアには装者の身体能力を向上させる機能も付与されている。そのため、彼女の突き出す拳は砲弾の如き殺傷能力を秘めていた。

 だが、響は戦闘に関してはずぶの素人。殴り合いの喧嘩など人生で一度足りとも経験したことがない。

 剣を手にした人間がみな等しく剣士になるわけではない。幾度となく剣を振るって、その重みを知り、初めて剣士と名乗るのだ。

 力があっても───強くなれるわけではない。

 いつかの青年がそんなことを言っていた。呑気な性格の彼があまりに場違いなことを言うものだから、響はその言葉を何となく覚えていた。まさに、この状況そのものだ。

 過信するな、立花響! 私の背中に背負った命は私のものじゃないんだぞ! ───素早く目線だけを動かし、ざっと周囲の様子を窺い、目に止まった建物───運送会社の倉庫と思しき建造物の中へと疾走する。恐らくは仕事中だったのだろう、巨大なシャッターは開いていた。

 倉庫内にノイズはいなかった。

 淡い光源の照明がぶら下がり、段ボールが積まれた幅の大きい鉄棚は倉庫内部の随所に大きな影を落としていた。身を隠すのに打ってつけだった。

 響は鉄棚の影に少女を下ろした。

 

「ここで静かにしててね」

 

 子供をおぶったままで勝てる相手じゃない。

 響は自分の頬を叩いて、眼前の敵を強く睨んだ。ゆっくりと迫り来る(コブラ)は不敵な笑みを浮かべながら、手に持った錫杖で地面をコンコンと叩く。挑発のようだ。こういう時はどうすればいいのかわからない。

 結局、響は馬鹿正直に駆け出した。下手な小細工などできるはずもないし、真っ向勝負しか思いつかない。

 

(今度こそ、当たれぇ───!)

 

 響の振り回すような拳は(コブラ)の錫杖に受け止められた。手がダメなら足で───攻撃手段を蹴りに変えて、隙だらけの脇腹へ打ち込むが、(コブラ)は長い錫杖を巧みに扱い、響の拳と足の両方を防いでしまった。

 驚きも束の間───掌底が響に打ち込まれた。

 それから何度も攻撃を仕掛けるが、響は全く歯が立たなかった。ついにロードノイズに傷一つ負わせることなく、響の取り柄である体力だけが消耗していく。それに伴い、彼女が奏でる聖なる歌も次第に弱まり───(コブラ)が錫杖の先端を使い、響の喉を激しく突いたことが決定打となって、彼女は上手く声が出せなくなった。

 歌えなくなった。

 それはシンフォギアの敗北を意味する。

 

「がッ……⁉︎」

 

「お姉ちゃん⁉︎」

 

 少女の心配する声───倉庫の隅で涙ながらに響へ駆け寄ろうとしていた。

 来ちゃダメ! ───言葉が喉より先へ出ようとしない。

 仕方なく響は少女の方へ駆け寄り、その細々とした幼い矮躯を抱き締めて、倉庫の奥へ奥へと逃げ続けた。苦渋の決断である。逃げ切れるわけでもない。追い詰められるのは時間の問題であった。

 やがて、二人は倉庫の一角で蛇型ロードノイズに呆気なく追い詰められてしまった。響は何とか幼き少女を自分の背中に隠して、最後まで守ろうとするが───果たして、雑音(こいつ)にどこまで通用するのか。

 (コブラ)は残忍な笑みが張り付いた顔で───さながら基督教徒が丁寧に十字架を切るように、不気味な紋様(サイン)を手の甲に描き、家畜を見るような冷酷な目で響に言い放った。

 

『zitu ni orokashii……omae ha AGITΩ ni tikai』

 

「ぁ、あぎ、と……?」

 

『a aa@a……k kk korosaneba!!??』

 

 激情に身を任せるように(コブラ)が錫杖を天高く振り上げ、針のように鋭利な先端を響の心臓に向けて振り下ろさんとした。

 避けることはできない。彼女の背中には守るべき少女がいる。

 受け止めることもできない。立花響は戦闘に至っては単なる素人でしかない。

 命が奪われる───死が見えた。

 生きることを諦めたくない頑固な心と心の内に隠した恐怖心が死の間際で鬩ぎ合って───あの時に助けてくれたツヴァイウイングも仮面ライダーもどこにもいなくて───必死に目を瞑った響は無自覚のまま、心の奥底で彼の名前を叫んだ。

 

 ───助けて、翔一さん‼︎

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 乙女の祈りは怨嗟の咆哮となって───残酷な運命に引き合わせた。

 

 その獣は突如として立花響の目の前に現れた。

 獣───そうとしか表現できなかった。

 コンクリートで造られた壁を発泡スチロールを壊すように易々と殴り砕き、()()()()と足を引きずり、肩から赤い血を滴らせ、疲労困憊を呈していても尚───決して獲物を逃さない獰猛な瞳はまさに生粋の狩人たる獣だった。

 深緑の隆々とした鎧のように強固な筋肉。()()()()と鳴らす銀色の牙。肉を好む蟲の顎の如き禍々しい双角。漆黒の皮膚に覆われた体躯は霊長類を模した姿を象りながら、人類とは全く似て非なるものであることを示すように、全身が殺気を帯びた凶器となって、微塵の人間性も獣心(ここ)には無いことを悟らせる。

 腰部に装飾された金色の超因子(メタファクター)に埋め込まれた賢者の石が闇の中で鈍く輝いて───その鮮血の如き双眸を明らかにする。

 響は息を呑んだ───まるで、あの()()()()()()のようだ。

 しかし、そのような希望に満ちた惰弱な発想は一瞬の内に打ち消される。

 異形の生命体が銀色の大顎(クラッシャー)を満遍なく開けて、聴くもの全てを震撼させる凄まじい咆哮を放ったのだ。

 遠くから木霊した残響を耳にしたことはあれど、視界に収まるほどの至近距離からその咆哮を体感したことはなかった。故に思い知らせた───この声は武器なのだ。ただの一声で、響の心にまだ燻っていた闘志が嘘のように霧散した。いや、彼女だけではない。力を得た響を一方的に追い詰め、その脅威を知らしめた(コブラ)が───邪悪な笑みを絶やさなかったロードノイズがその笑顔を喪失させ、あまつさえ、慄然として身を震わせている始末だった。

 これが未確認生命体第三号───ノイズを喰らう化け物。

 その足の下で、腕を捥がれたロードノイズが息絶えてなるものかと蠢いていた。奪った女型の(コブラ)の腕を放り捨て、未確認第三号はロードノイズの背中をぐりぐりと踏み躙る。

 響が手も足も出なかった強力な(ノイズ)を瀕死の状態にまで追い込み、動けぬように足で踏みつけて、まるで、己の力を知らしめるように咆哮した(ギルス)は次の標的(えもの)を決めるべく舌舐めずりをするように見渡して、すっかり縮こまってしまった響の方を取り憑かれたかのように見つめた。

 その表情はわからない。

 仮面が張り付いていて───何もわからない。

 

「未確認生命体……第三号……」

 

 第三号(ギルス)に怯えて今にも泣き出しそうになっている背後の少女を響は身を挺して庇うようにするが、果たしてこの状況で何ができるのか───響の脚はこんなにも震えているのに。

 

『gi……gGGg……!?!?』

 

 ギルスに屈辱の限りを尽くされ、挙句は踏まれて、戦闘不能と思われた隻腕の(コブラ)雑音(ノイズ)が最後の力を振り絞り、激しく踠きながら身体を翻すようにして、その拘束を懸命に解こうとした。

 虚を衝かれたはずのギルスは───あろうことか、興味が失せてしまったように足を上げてロードノイズを逃した。

 咄嗟に立ち上がり、今までの借りを返さんと女型の(コブラ)が鞭を振り上げると───その腹に鋭い蹴りが穿たれた。ギルスの右足が槍のように深々と突き刺さる。いつの間に? 目で追うことなどできない機敏な動き───あるいは、(コブラ)の攻撃を完璧なまでに読んでいたのだろう。ギルスはその態勢を維持しつつ、軸となった左足で地面を蹴り上げ、瞬時に両足を入れ替えることにより、一撃目より遥かに威力が増した二撃目の蹴りを反撃など許さぬ強力な連撃に変えて───(コブラ)の顔面を文字通り粉砕する。

 何たる脚力か───あのロードノイズが為す術もなく吹っ飛んだ。

 直撃する瞬間、ギルスは体躯を捻るように旋回を加えて、その蹴撃に只ならぬ破壊力を与えていた。人間では到底不可能な域───素人の響でさえ、この化け物の強さがどれだけ馬鹿げているのか理解できてしまう。

 血のように赤い煤を撒き散らしながら吹き飛ばされる女型の(コブラ)───段ボールが陳列された鉄棚に突っ込んでいき、そのまま無数の棚を押し倒して、雪崩のように落ちてきた荷物の山に埋まってしまった。そのまま動きはない。死んだのだろうか。 炭素の塊に還ったのだろうか。

 ギチギチと音を立てながら中途半端に伸びた触手が右腕に収納される。手の関節を確かめるように曲げながら、気怠げな足取りでギルスが段ボールの山へと近づく───ふざけた怪物にトドメを刺すために。

 すると、突然の停止。

 思い出したかのように響と少女が茫然と佇む方角へ首を向け、殺意が漲る紅の(まなこ)で二人をじっと凝視した。

 ぎらぎらとした熱い目───狙いを定める野生の肉食動物のそれである。

 

「ひっ」

 

 背中の少女が恐怖のあまり響の腕にしがみつく。この化け物に恐怖心を抱かぬ者など此の世にはいない。命ある生物としての本能が警鈴を鳴らすのだ。(これ)に近付いてはならない。接することも、戦うことも、同じ場所にいることさえ避けねばならない。

 一刻も早くこの場から離れなければ───何が起こっても不思議ではない。

 しかし、こちらのすぐ傍にはロードノイズがいる。これでは逃げられない。響の拳が位相障壁を持つノイズに届いたところで、その上位種に位置するロードノイズには実力的に太刀打ちできない現状───逃亡は極めて難しい。あの邪悪な司祭を模した(コブラ)は響を殺害しようとしていたが、恐ろしい乱入者に目を奪われて、その動きを一先ずは止めざるを得なかっただけに過ぎない。あの(コブラ)から安易に逃げられるとは考え難い。

 そこまで考えていた響だったが───それこそが間違いだった。

 敵はもういなかった。

 響のすぐ隣まで迫っていた祭司のような(コブラ)は音もなく忽然と居なくなっていたのだ。一体いつから? どこへ消えたのだろう? もしくは、誰を真っ先に殺害すべき対象だと見做したのだろうか───。

 

『gGggg…GILLS───??!!!?』

 

 (コブラ)は天井に張り付いていた。

 そして、飢えた毒蛇が獲物へ飛びかかるように俊敏な動きでギルスに襲いかかる。完全に意表を衝かれたギルスの後頭部へ錫杖を鈍器のように振り下ろした。

 だが、それも不発に終わる。

 ギルスが響と少女を無言で見つめていたのは、決して二人を捕食対象として捉えていたからではない。そこにいたはずの獲物を探していたに過ぎない。喰うのはお前ではなく、この俺だ───頭部の感覚器官たる悪魔の双角(ギルスアントラー)が五感を司る触覚として機能し、我が身を殺めんとする悪意を隈なく感知した。

 その反射速度は異常───それは(ギルス)の力というより変身者が有する抜群の戦闘力(センス)

 (コブラ)の錫杖がギルスの頭を叩きつけるよりも先に、仰向けに倒れるようにして劇的な回避を成功させたギルスは虚空を()ぎる錫杖を恐ろしい反応速度で掴み、(コブラ)の無防備な胸部に右足を添えて、そのまま勢いを殺さず明後日の方向へ蹴り飛ばした。

 地面に背中から叩きつけられる男型の(コブラ)

 奇襲すら無駄に終わる。

 奪った錫杖を叩き折り、決して逃さぬ執念にも似た殺意の塊たるギルスが立ち上がった(コブラ)へと怒涛の声を上げて駆け寄った。もはや、誰にも彼を止められない。野に放たれた猛虎を止める術など誰が持っていようか。

 

「■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 容赦のない拳が幾度となく放たれる。響の拳とは違う───明確な殺意だけが迸る。命を奪う意志を感じさせる殺伐とした鋭い拳打が流れるようにロードノイズに打ち込まれていく。速い───目で追うのが精一杯だ。防御すら許されない(コブラ)が大きく蹌踉(よろ)めくと両肩を掴んで、腹部(ボディー)に捻じ込むように重圧的な威力を誇る膝の蹴撃を叩き込んだ。激しさを増す凶悪なる暴力───くの字に曲がる(コブラ)のその背中に両手を束ねた怒れる鉄鎚(スレッジハンマー)を豪快に振り下ろす。

 破裂するような轟音が響き───(コブラ)が押し潰されるように地面に叩きつけられた。

 だが、まだ終わらない。

 (コブラ)の腰部を膝で乱暴に押さえつけながら、抵抗できぬよう両腕をがっちりと固めて、(ギルス)は化け物たる所以を響へ()()()()()()()()、刃の如き歯牙が並ぶ暴食の大顎(デモンズファングクラッシャー)で頸部の肉を引き千切らんと、まさに野生の肉食動物のように荒々しく齧りついた。

 ぐぢゅりッ───肉を砕く生々しい音が響き渡る。

 

「──────ッ」

 

 見るに耐えぬ光景だった。

 如何にノイズであれ、生きたまま捕食される恐怖と絶望によって促される決死の抵抗は人間のそれとよく似ていた。足をばたつかせ、腕を振り回して、腰で振り落とそうとする───だが、肉を喰らわんとする猛獣は必死に抗う(ノイズ)の致命的な動きを封じていた。ノイズに関節という概念は無いと言ってもいい。肉体はほぼ変幻自在である。しかし、アギトやギルスのような超常的な力によって、存在そのものに干渉を及ぼす拘束はノイズの肉体さえも制限してしまう。

 ギルスが封じたものは───ノイズの肉体(チカラ)

 彼に触れられたノイズは人間一人として炭素へ還元できなくなる。ノイズとしての性質を奪われて自壊すらできなくなる。単なる物質へと貶められ、物理法則に従わねばならなくなった無力な生命体たるノイズは捕食者(ギルス)にとっては格好の餌に過ぎない。

 蜘蛛の糸に絡まった肉を貪り喰らうように───ギルスはノイズを喰らうのだ。

 

『y Yya yame ☆>〆s↓#<to*▽▲p×:=!!??!!??』

 

「■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 ぶちぶちぶちぶち、と───ゴムのように噛み千切られる雑音の肉。

 鮮血じみた煤が食い千切られた首から噴き出される。

 思わず響は目を伏せた。彼女の背中に顔を埋める少女にはこの凄惨なる光景は見えていないであろうが、その残虐を極める音だけでトラウマとして記憶されるだろう。

 辛うじてまだ胴体と首が繋がっているロードノイズだが、喉仏まで噛み砕かれた頸部では生存などできるはずがなかった。少なくとも、他のノイズならば肉体が大きく破損した時点で活動は不可能となる。

 しかし、(コブラ)はまだ絶命していなかった。

 ロードノイズの生命力は四肢を欠損しても動きを止めぬほどに強靭であった。一般的なノイズと違って、ロードノイズは内部に蓄積されたエネルギーの量が桁違いなのだ。役目を終えると自壊しなければならない程度の活動エネルギーと違い、エネルギーを自律して生み出す器官を各々に与えられたロードノイズは容易に殺せるようなノイズではない。

 (コブラ)は一瞬の隙を突き、肉を咀嚼していたギルスの拘束を振り払うと蛇のように地を這いながら離脱───彼我の距離を間合いが及ばぬ距離まであけて、焦るように起き上がると腹部から新たな錫杖を取り出した。

 

『GILLS omae ha kanarazu kono te de korosu??!!』

 

 怒りを露わにして錫杖を振り回す。

 

『ima koko de kiero GILLS!!!!』

 

 (コブラ)は戦意喪失となったわけではない。

 何よりロードノイズに撤退という選択肢は知覚(インプット)されていない。死ぬまで戦い、殺すために戦う。認定特異災害───人類を抹殺する完成された兵器でありながら、生命体としてはこれ以上ない欠陥品の出来損ないがノイズに下される評価に相応しい。

 それ故に厄介───この兵器を止める術は極めて少ない。

 (コブラ)が錫杖を前に突き出してギルスへと突貫する。

 (ギルス)は棒立ちのまま動かない。

 長時間に及ぶ戦闘行為による疲労───力を制御できず、過分なパワーに振り回され、絶えず過剰なエネルギーの奔流に身を押し潰されそうになっているギルスにとって、長期戦とは猛毒を吸い続ける行為と同等の意味を持つ。その肉体は時間と共に破壊される。己の力によって着実に身体を壊されている。

 故にギルスの戦闘可能な時間はごく僅か。

 既に一時間以上の戦いをノイズ共に強いられていたギルスにもう戦える時間は残されていない───はずだ。

 司祭姿の(コブラ)は勝機を見たりと錫杖を意気揚々と振り上げた。この一撃でお前の頭蓋骨を砕いてやる。邪悪な意思が垣間見える錫杖の殺気ある動き───互いの必殺の間合いに(コブラ)が踏み込んだ。

 そして、錫杖が乱暴に振り下ろされる瞬間───ギルスの第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が妖しく閃いた。

 

 〝おまえがきえろ〟

 

 風を斬るような一撃(カウンター)が裂き誇る。

 ずぶり───鮮血の煤が弾け飛び、(ギルス)の深緑に覆われた怪腕が(コブラ)の胸元を貫いた。

 たった一撃───それが決め手となる。

 ロードノイズの渾身の攻撃を嘲笑うかのように最小限の動きで避けたギルスは目にも留まらぬ韋駄天の貫手を必殺の反撃(カウンター)として放っていた。剣よりも鋭く、弾丸よりも速い、圧倒的な貫手突き───その一連の動きは理性なき獣ではなく、闘いの世界に身を置く達人の極技に値する。

 (コブラ)の軀を貫いた(ギルス)の手には───心臓のような器官。

 ドクドクと不規則ながらに鼓動している。

 その不気味な臓物をギルスは躊躇うことなく握力に任せて握り潰す。腐った林檎が潰されたようにそれは()()()()()()と音を立て、煤ではない瑞々しい黒い液体を滴らせて朽ちていった。

 その瞬間、頭上に光の輪を浮かべたロードノイズは否応なく肉体を炭素の塊へと変貌させ───初めて自壊を許される。

 (ギルス)が握り潰した心臓こそ、ロードノイズのみに与えられたエネルギー器官───これさえ破壊できれば、ロードノイズは如何なる状態でも死に絶える。

 動かぬ赤黒い砂像となった(コブラ)からギルスが乱暴に腕を引き抜くと、歪な人を模した形すら保てずに単なる黒い砂の山となって崩れ落ちた。

 

「すごい……」

 

 一部始終を目撃していた響はそんな言葉しか絞り出せなかった。

 息もつけない熾烈な光景が目に焼き付いていた。ロードノイズを圧倒してしまった。獣のように野生的な暴力(ステゴロ)でありながら、冷徹な暗殺者の如き殺人的な技術が一つ一つの動きに混ざっていて、人と獣の狭間で揺れる何者にもなれない狂戦士(バーサーカー)のように強かった。

 それは響の目からしても、怖かったし、恐ろしかったし───とても悲しそうだった。

 血を吐くような声で()()()()叫んでいた。

 未確認生命体第三号───響を一方的に追い詰めたロードノイズを虐殺と称しても差し支えない実力差で圧倒してしまった異形の怪人が抱く赤き瞳は未だ獰猛に揺れている。

 その首が再び響の方へ向けられる。

 まだ狩り足りないとでも言うのか。血塗れの指がゴキゴキと関節を曲げて鳴らされる。何かを探るように悪魔の双角(ギルスアントラー)が振動して揺れる。その姿勢はまだ戦う意志を見せていた。

 次の瞬間───倉庫内に激震が襲った。

 倉庫の天井が何か途轍もない重さに耐え兼ねて、圧し潰されて落ちてきてしまった。こじ開けられた天窓から月光が差し込んで、鉄骨混じりの瓦礫の山が土煙を巻き上げ───そこから溢れ出す有象無象のノイズが奇声を発しながら響と少女、そして、ギルスへと攻撃を仕掛ける。

 

「ノイズッ⁉︎」

 

 しまった。まだノイズは残っていたんだ。

 

「ここから動いちゃダメだからね、絶対!」

 

 涙目の少女を鉄棚の影に押し込んで、一度は失った闘志を燃え上がらせるべく響は大きく深呼吸した。頬を叩き、拳を握り、弾むようにその場で小さく跳躍───恐怖で固まった身体をほぐして、悪意が滲んだノイズへと向かい合う。

 息を吸って───()()

 天羽奏が歌っていたあの歌をもう一度口ずさむ。大丈夫。今はしっかりと声が出せる。まだ私も戦える。まだ歌うことができる。胸に激しく鼓動する熱い心が刻む聖なる歌に従って───立花響は唄を歌った。

 ノイズの位相障壁を調律するには歌うしかないのだから、彼女は歌に身を任せて拳を握る。

 歌いながら、戦う───それがシンフォギア。

 

(はぁぁ───ッ!)

 

 ロードノイズには勝てなかったが、普通のノイズならば───。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 空間を引き裂くような咆哮が轟いた。

 響は驚いて、音の方向へ顔を向けると───ギルスが頭を掻き毟るように手で押さえて苦しんでいた。

 

「■ァ……ッ‼︎ ■■ォ……‼︎」

 

 嗚咽のような苦悶の咆哮(こえ)がギルスから漏れる。

 両膝から崩れ落ちて、地を舐めるように悶絶する。激しい頭痛に苛まれているかのように頭を抱えて、足を痙攣させて踠き苦しみ、怨念じみた絶叫を吐き散らす。

 やがて、その痛ましい獣は頭を大地に叩きつけた。何度も頭を打ちつけて、何度も脳に刺激を与えて、何度も何度も痛みを呼び起こす。

 理解が追いつかない異常な光景───響は呆然とした。

 しかし、彼女の歌は途切れることはなかった。彼女はほぼ無意識で歌唱していたのだから、如何なる残虐な光景が目に飛び込んできても、今の立花響に唄を止める術はないに等しかった。

 だからこそ、ギルスは血を吐いた。

 吐いた血は───ギルスに残された最後の自制心だったのかもしれない。仮面の下で青年が自分の舌を歯で噛み切り、痛覚によって意識を留めんとする最後の抵抗が行われていた。だが、ギルスに残された人間としての心は容易く獣の衝動に呑み込まれてしまう。

 噛み切った舌も再生させられて、手も足も自分のものじゃないように感じられて───獣は嘆くように叫び散らした。

 

「■ゥ……■■ァァ───タをッ‼︎」

 

 声がした───()()()()()()()()

 

「───歌ヲ、歌ウナァァァァァァァァァァァァッ‼︎」

 

 

***

 

 

 ウタがきこえる。

 

 ───だ■だ、■■ッ!

 

 ウタが闇の中できこえる。

 

 ───しっ■りしろ! ■■! ■み■■れるな、自■を忘■るな!

 

 ウタが───おいしそうなウタが───俺の衝動が───狂ったように───声が───ッ!

 

 ───■■、■っ■■■ろ!

 

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ!

 

 (オマエ)は───ッ! (オマエ)はァ───ッ!

 

 ───■■ーっ! ■■ーっ‼︎

 

「お、俺を呼ぶなあああああああああああああああああああああああッ‼︎」

 

 

***

 

 

「■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 理性を失った猛獣が咆哮する。

 獲物を狩る野生の豹の如く身を屈めて疾走する(ギルス)の標的は蔓延る大量のノイズではなく───立花響、ただ一人であった。

 

(えっ───)

 

 ノイズなどまるで眼中になかった。

 何の抵抗もできなかった響の細い首へ深緑の右腕は食らいつくように伸ばされて、響の首を力強く絞め始めた。そのまま恐ろしい膂力を用いて、彼女を軽々と片手で持ち上げる。息ができない。両足は既に宙に浮いている。気道が圧迫されて呼吸は不可能となっていた。

 頬に冷たい感触───もう一方の腕から殺気立つ金色の鉤爪が伸びて、響の幼い顔を引き裂かんと頬に触れるように添えられていた。

 

(殺される───!)

 

 死を予期する瞬間、ギルスはまたもや頭痛に苦しみ始めて、苦悶の末に響を乱暴に放り投げた。地面に叩きつけられた響は激しい咳をこぼしながら、まるで、何かと戦っているかのように無秩序に暴れ散らす(ギルス)を悲哀に満ちた目で眺めた。

 それはただひたすらに痛ましい。

 両腕を裂くように伸びた曲刀の如き鉤爪で憂さ晴らしでもするかのようにノイズを葬り去るギルスは時折、耐え難い頭痛に何度も地面に転がりながら、それでも暴力だけが己を鎮めることができる救いの手なのだと言い聞かせるように、ただ怒りに身を任せて殺戮の爪を傲慢に振るい続ける。

 血を吐くような叫びが木霊する。

 響は気づかない。(ギルス)が決して彼女を視界に入れぬように注意を払って戦っていることに───気付けるはずがない。

 

「わけわかんないよ……」

 

 ピタリと動きを止めたギルス───その咆哮は天に向けられた。

 

「■■■■■■■ァ───ッ‼︎」

 

 嗚呼、まだウタが───うまそうなウタがきこえる───!

 

「〝Imyuteus amenohabakiri tron〟」

 

 そして、もう一人───聖なる歌声は解き放たれた。

 遥か空より舞い降りる剣の如き乙女の歌が混沌とした戦場に刃を突き立てるべく、凛として空に響き渡る。その歌唱力、聴き間違える者はいないだろう。

 ギルスは咄嗟に防御に徹する構えで空を仰いだ。響はこれから何が起こるのか予測すらできていなかった。

 闇夜に浮かぶ月の光に少女の影が数多の剣となり、激しい合戦に撃ち放たれる矢の雨のように微塵の容赦もなく降り注ぐ。それは涙───友を失った少女の嘆き悲しみであったのかもしれない。

 

 だからこそ、俺が受け止める───!

 

【千ノ落涙】

 

 閃いた光芒が天より降り注ぐ刃の雨となって、ノイズの大群に情け無用と言わんばかりに突き刺さる。その光の剣は墓標のように突き立てられ、大量に蠢いていたノイズを一匹残らず炭素の塊へと滅してしまった。一瞬にして、辺りを塵の残滓だけが踊り舞う荒地に変えた恐ろしい一撃に響は目をパチクリさせて───いや、回避不能の広範囲に渡る斬撃に耐えた禍々しい獣が一匹ゆらりと残っている。

 両腕の金色に瞬く鉤爪が幾多の剣を薙ぎ払った摩擦熱の余韻を煙としてぷすぷすと上げていた。赤い獰猛な双眸が絡みつくように闇の中に揺らめき、戦場へと舞い降りた少女と対峙する。

 

「風鳴……翼さん……⁉︎」

 

 そこにいたのは元ツヴァイウイングにして国が誇るトップアーティストである───あの風鳴翼であった。

 彼女もまた唄を歌っていた。

 冷酷な表情を固めた風鳴翼は立花響の纏うシンフォギアを一瞥し、かつての盟友の面影を重ねずにはいられなかった。沸々と湧き上がる名状し難い感情が複雑な表情を隠させない───だが、目前の理性なき獣への明確なる憤怒の感情を隠すつもりはなかった。

 絶刀(アームドギア)の殺意に満ちた剣尖を深緑の(ギルス)へと向ける。その目は研ぎ澄まされた抜身の刀のように冷たく───鋭い。

 

「第三号───貴様はまたしても、またしてもッ! 今度は奏のガングニールまで!」

 

 彼女には、この化け物を決して許せぬ理由がある。

 

「どこまで奏をつけねらうつもりだ、第三号ォ───ッ‼︎」

 

「■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 両者がぶつかり合う。

 銀色の刃と金色の爪が激しい火花を散らし、演舞の如く凄まじい剣戟が繰り広げられる。目を見張るような熾烈な攻防戦───獣と剣士が互いを敵と判断し、その命を奪わんと本気の殺し合いに興じている。

 そこに話し合いの余地などない。

 二人は、二年という長い時間の中で───ずっと殺し合ってきた。出会えば殺し合い、互いに命を奪い合う歪な関係を築き上げてきた。

 

「第三号、今日こそは貴様を斬るッ!」

 

『───駄目だ、翼! ガングニール及びその装者の保護を優先しろ!』

 

「くッ───……了解しました」

 

 司令たる風鳴弦十郎の命令に背くことはできない翼は素早く剣を振り払うように滑らせ、迫る鉤爪を弾きながら、華麗な体捌きで円を描くように足払い───翼の意図に気付いたギルスは蛙のように飛び上がって後退する。

 両者とも攻撃を躊躇う間合いまで距離を空ける。

 二人は決して目を離さない。

 お互いの必殺の間合いは熟知している。行動パターン、予備動作から些細な癖までも───何百回もの死闘が二人の身体には染み付いていた。

 先に動いたのは───ギルスだった。

 翼の目には隙と思しき苦慮の間隔が見えたが、この彼我の距離ならば確実に命を仕留められるような隙ではなかった。何より翼の背後には保護対象の立花響(ガングニール)がいるため、安易にこの位置から離れるわけにはいかない。

 咆哮───何度聞いても慣れない怒り狂った声。

 ギルスは腕部から伸びた黄金の鉤爪を無造作に握った。掌を真っ赤な血で滲ませながら鋼鉄をも斬り裂く刃を無理に掴んで───爪を腕から引き千切らんとする残虐な勢いで横へと強引に引っ張る。

 ギチギチと悲鳴のような音───肉が剥がれる嫌な音。

 そして、解き放たれる得体の知れない触手。

 それは昆虫の触覚を連想させる嫌悪すべき形態を模した金色の触手であった。長さは十メートルを悠に超える。深緑の腕から粘液を撒き散らしながら、それ自体が意思を持つように波打ちながら蠢いていた。これこそがギルスの持つもう一つの武装───悪魔の触手(ギルスフィーラー)

 疲弊したように呼吸を荒くしたギルスは短い苦悶の末に───駆け巡る衝動を押し殺して───悪魔の触手(ギルスフィーラー)を鞭のように大地に叩きつけると怪力に物を言わせて触手を鋭く()()()()()

 

「■■■■■■ァ───ッ‼︎」

 

 天に仇なす憤激に満ちた咆哮が響く。

 力強く穿たれた黄金の悪魔の触手(ギルスフィーラー)は防御の姿勢を固めていた風鳴翼の無視するように真横を横切り───佇むことしかできない立花響へと狙いを定めて真っ直ぐと突き進む。

 

「貴様───ッ⁉︎」

 

「え」

 

 咄嗟に動けるはずもなく、目を閉じる暇もなく、殺気を帯びた触手が自分の───真横を通り過ぎる瞬間を響は呆然と眺めることしかできなかった。凄まじい風圧を感じて、ふわりと髪がなびいた。視線を少し横にズラすと気味の悪い触手がすぐ隣にあった。

 何に目掛けて触手を振るったのか。

 響は振り返って、ただ唖然とした。

 そこにいたのは───片腕を失った女型の(コブラ)

 響のすぐ真後ろまで迫り、戦意を失った彼女へ必殺の鞭を振り下ろさんとしていたロードノイズは胸部を鉄槍の如く真っ直ぐと伸び切った触手に突き貫かれ、有無を言わさぬ制止を余儀なくされていた。

 

『AGITΩ no narisokonai GILLS huzei ga……!!??』

 

 その怨嗟の声も虚しく、女型の(コブラ)の頭上には天使の輪のような光が輝き───。

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 怒りの咆哮(こえ)を轟かせた(ギルス)が力任せに悪魔の触手(ギルスフィーラー)をロードノイズの左胸から引き抜くと───触手の先端に備えられた鋭利な爪には心臓を模した臓器が漆黒の液体を走らせて───ギルスは心臓(それ)を掴むと躊躇なく握り潰した。

 爆散はしなかった。

 音もなく煤の塊となって(コブラ)のロードノイズはぼろぼろと崩れ落ちる。呆気ない幕引き。砂塵舞う残滓だけが響の目の前に生まれた。これがロードノイズの絶命。響は自分の命が危うかったことを徐々に実感して、身体が恐怖に震えて───理解不明な行動をとった(ギルス)をぼんやりと見つめた。

 ギルスは黒く滴る手を拭うことなく、()()()()()を暫くの間、黙するままに懐かしみの目で眺めた後、ずるずると足を引きずりながらその場を後にしようとした。

 

「待て───いや……くそッ‼︎」

 

 任務は放棄できないと悔しそうに声を漏らす翼。

 響は頭が混乱して碌な思考ができないままであったが、(ギルス)の蟲のような双角が弱々しく萎縮していく酷く哀れな後ろ姿を見て───響は()()()()()と有り得ない考えを過ぎらせた。

 

(私を助けてくれた……?)

 

 その結論は実に答えを急ぎ過ぎたものだったが、響が確かめるべく声をかけようとした時は───そこには誰も居なかった。

 ただ、バイクのエンジン音だけが寂しい声を響かせていた。

 

 

 

***

 

 

 

 少し戦い過ぎた───。

 津上翔一は膝から崩れるように倒れ伏した。

 濃厚な油の臭いと湿ったような煙を吐く夜の街の裏側───如何に悶絶しようと誰も気に留めないような無法地帯である裏路地で翔一は重々しい音を立てる室外機の隣に這いずるようにして座った。

 灯りの無い夜の帳───青年の不規則な呼吸が闇夜に呑まれ、凍えた両肩を抱き締めるように押さえた彼は奥歯を血が滲むほど食い縛った。

 来る、あの時間が───。

 (ギルス)の代償───変身の後遺症。

 逆さになった砂時計がその砂を余すことなく落としていくように、津上翔一の身体から生命活動に必要な栄養素の全てを喰らう。彼の肉体は一時的に(から)となり、生死を隔てる境界線さえ奪われる。

 それが一種の老化現象となって───彼を地獄に叩き堕とした。

 額には幾多の血管が浮かび上がり、蒸発してしまうかのように肉が(しぼ)んで、骨を象るように躰が歪に痩せ細る。水分と栄養素が根こそぎ吸われて木乃伊のように細身な老人と化す。窪んだ瞳は充血して、渇いた口から絶え間なく涎が溢れる。急激に老いた臓器はその機能を不全として、彼の生命活動を衰えさせる。

 

「がッ───ァ」

 

 肺が圧迫されて息が止まる。

 

「ォ──────ッ」

 

 五臓六腑が居場所を失い、身体に握り潰される。

 

「──────……」

 

 声さえ無くなって───。

 全身の骨が退化して砕ける音がした。

 筋肉の繊維がぶちぶちと解けて、雑巾のように絞られた気道から胃液が込み上げてくる。嘔吐───声にすらならぬ歪な音。翔一は人間として、生物として、これ以上ない屈辱に塗れた退化をその身に受ける。人体が持つ最低限の機能さえ損なわれ、この地獄のような時間だけ───彼は生きた肉の塊となっていた。

 残されていたのは脳の機能とそれを生かす心臓。

 痛みと死だけを背負わされた。

 気が狂いそうだ。

 脊髄に想像の余地すら与えぬ激痛を巡らせる。悲鳴を上げる声も、悶える筋肉も、涙を流す水分さえ、尽くを奪われた。あるのは痛覚───最も忌むべき神経が脳に焼き付いた。

 耐え難い死の痛みを味わって───死ねない。

 ()()()()()()()()()()

 破壊と再生。

 壊されて、生かされる。

 そこに規則性はなく、保たれる秩序はない。

 津上翔一を苦痛に満ちた生き地獄に縛るものは、彼に宿った(ギルス)が有する()()()()に他ならない。生きるために命を吸い、生きるために命を造る。飽くなき生死の理───生きるための原理こそが、彼の心を殺していた。

 津上翔一の肉体が生死の循環の果てなき輪に囚われる。途方もない輪廻が痛みとなって襲う。細胞が生まれ、殺され、また生まれては殺される。彼の血肉に宿った狂気の怪物の因子がそれを可能としていた。人間という脆弱な生物の域を壊して、新たな生命体へと生まれ変わろうと繭の中で蠢いている。

 堕天の獣(ネフィリム)の声───命を喰らえ。

 翔一はそれを必死に抑える。

 命を喰らえば、このような後遺症(くるしみ)に悩まされる必要はない。そうだ、あの歌───美味そうな(ウタ)だった。この身に足りぬ強靭なる栄養(エネルギー)が卵を孕んだ魚の腹のようにたっぷりと詰まっていた。あれを喰らえば───こんな痛みに悶えることもなくなる。

 立花響。

 風鳴翼。

 どちらでもいい。()()()()でもいい。喰らってしまえ。その喉で押し込め───美味な(ウタ)を喰らい尽くせ。

 

「■■……ッ!」

 

 潰された声帯が飢えた獣の如き声を漏らす。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───。

 逃れることなどできない。拒むことなどできない。

 お前は喰らうことで進化する。喰らわなければ永遠に退化する。そういう()()()だ。血を啜り、肉を喰らい、命を貪る。残虐な本能───それこそが生命の原理に基づいている。喰らうことは罪ではない。喰らわぬことが神への冒涜だ。

 

「■■■───ッ」

 

 まさか、ノイズを喰らえば事足りると思っているのか? それは本当にそうなのか? 津上翔一、お前は気づいているはずだ。お前がノイズ如きを喰らわねばならぬ理由が───お前はずっと前から分かっていたはずだ。分かっていたから、自分を騙して、誤魔化した。

 苦しかろう。痛かろう。()()()()()()()()()()()()

 楽になれ、津上翔一───堕天の獣(ネフィリム)よ。

 喰らうことがお前の生きる唯一の道だ。本能の赴くままに喰らえ。喰らって、喰らって、喰らって───喰い殺せ。

 

「■■ァ……■■ェ……」

 

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ───!

 

「■ァ……だ、黙れェええええええッ‼︎ 喋るなァああああああッ‼︎」

 

 翔一は血を声に叫んだ。

 破壊と再生を繰り返し、死の痛みを絶えず味わいながら、尋常ならざる速度で老化した肉体を無理やり起こして、乱暴な拳を大地に叩きつけた。決して老化現象が終わったわけではない。津上翔一が名状し難き狂気にも似た憤怒によって、行き場のない暴力を強いただけに過ぎない。

 まさしく(ケダモノ)衝動(それ)だった。

 怒りを声にして悪魔の幻聴を殺す。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───その言葉を()()()

 

「■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 人間という形を失っても───翔一はその場で暴れ回った。

 弱り果てた拳で自傷するように壁を殴り、折れた骨でゴミ箱を蹴り飛ばし、黒き空で蠱惑的に輝く月に向かって餓狼のように吠えた。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ。

 人など捨てろ。心など要らない。捨ててしまえ、そのすべてを───喰らってしまえ!

 

「■■ァ……■■はッ……俺はァァッ‼︎」

 

 ───目を閉じて、翔一。

 

 優しい声が響いた。

 温かい声音が胸の中に誇らしく宿って───津上翔一は失いかけていた自我を取り戻す。そして、声が導くままに目を閉じた。暗い世界が広がる。冷たい闇に呑まれて、心が消えて、沸々と狂気の獣が牙を剥く。

 その瞬間───光が灯る。

 温かい光の唄。

 歌だった。

 優しい歌声が頭の中に響いて───天羽奏の唄に染まる。

 闇に喰われた心が安らいで、悪魔の囁きが聞こえなくなって、人間としての魂が彼女の歌を聴きたがっていた。安寧の歌声。獣の衝動を殺す女神の聖歌だった。

 津上翔一は毒が抜けたように崩れ落ちて、何も言わずに座り込んだ。()()()()と顎が震える。貧乏ゆすりのように足が怯えて小刻む。それでも動かない。彼女の歌が終わるまで、獰猛に揺れる瞳が落ち着くまで、今度こそ暴れぬように、離さないように両肩をしっかりと抱き締めて己を縛りつけた。

 

 ───〜♪

 

 頭の中に響く歌声を心の支えに───地獄のような時間を耐え抜く。

 津上翔一に宿った堕天の獣(ネフィリム)の衝動は彼女の歌によって、辛うじて抑えられていた。悪魔の如き幻聴は彼女の歌声にかき消され、暴食の意思は満たされたように気にならなくなった。

 彼が(ギルス)として戦って、喰らって、その変身が解かれて、耐え難い苦痛の後遺症に悶絶する時───。

 彼女はいつも歌ってあげた。

 歌ってやることしかできなかった。

 装者としての戦士の肉体も無く、人間として寄り添えることもできず、ただ苦悶にのたうち回る翔一を見ることしかできなかった。でも、その痛みを黙って見過ごすことなどできるわけがなく、津上翔一に宿った魂だけの天羽奏は心の声を震わせて───偽物の唄を歌ってやることしか思い付かなかった。

 ちゃんと歌えているか、わからなかった。声帯もないのに、息を吸うこともできないのに、魂だけで唄うなんて前人未踏の試み過ぎて戸惑いばかりがあったけど───翔一は()()()喜んだ。

 声が聞こえて───聞こえなくなった。

 ()()()()()()

 そう言って、笑っていた。

 残酷な話だと奏は思う。

 津上翔一の肉体は、彼が許すのであれば、一時的とはいえ天羽奏が支配することができた。端的に言えば、身体を貸し与えられた状態。完全な憑依。その際は魂だけ故に感じることのない感覚神経───五感もはっきりと伝わる。だから、翔一は食事の際は必ず奏に肉体を渡して、味覚を通じて食べさせていた。時には、奏が運動したいと言えば、翔一は易々と二時間ほど自分の身体を貸し与えた。

 自分の身体が他人に勝手に動かされるということへ抵抗がなかったというより、奏が己の肉体を取り戻した時に動きに支障がないようにするためのリハビリだと言っていた。

 だったら、なぜ───。

 天羽奏を戦わせないのか。その痛みを分けてくれないのか。

 彼は二年という月日の中で一度も彼女に(ギルス)として戦わせることを許さなかった。そして、想像を絶する苦しみを伴う後遺症の時間(いたみ)を肩代わりさせることも一秒足りともなかった。

 せめて、数分程度の時間でも良かった。───翔一が心に異常をきたすほどの激痛の中で奏が身体を借りることができれば、その間は奏が痛みを受けて、翔一にその痛みの感覚は回ってこないはずだった。

 ほんの数分だけ、数秒でもいい。痛みから逃れて休むべきだ。でないと、心が死んでしまう。奏は必死に説いた。私のことは心配しなくてもいい。身体に住まわせてもらってる家賃ぐらいは払う。

 そう言って、何とか想いを伝えて───翔一は頑なに頭を横に振った。

 拒み続けた。どれだけ苦しんでも、気が狂いそうになっても、その痛みを贖罪のように受け入れ続けた。

 この痛みは───力の対価なのだ、と。

 (ギルス)という(チカラ)を行使した代償が後遺症(これ)なんだ。

 だから、この痛みは俺が背負うべき業なんだ。俺に()された()なのだから、他でもない津上翔一が背負うべき聖痕(いたみ)なんだ。……俺はそう大天使(エルロード)に教わった。

 

 だから、奏は彼の痛みを見ることしかできなかった。

 それが嫌で嫌で、苦しくて、どうしようもなかったから───天羽奏は歌を奏でることにした。自分にできる唯一のことだった。あの時、津上翔一が死の間際に言った()()()()()()()()()を───津上翔一のために今は歌う。

 それが今の彼女の精一杯だった。

 これしかできなくて、これぐらいしか与えてやれなくて───。

 

 ───汝がこの男を支えてやれ。

 

 ───我々にできぬことを汝が為せ。

 

 ───汝を死の運命から引きずり上げたこの男を、今度は()()()()()

 

 あの天使たちの言葉を思い出して───きっと、これは私にしかできないことなのだと言い聞かせて、自己犠牲を当たり前のようにこなしてしまう危なっかしい男のために───私を救うために命を捨てた英雄(ヒーロー)のために、心から想いを込めて歌い続けよう。歌って、歌って───また一緒にくだらないことで笑えるまで、笑顔の唄を届けよう。

 それがきっと天羽奏に残された業なのだから。




後遺症描写するだけで前回のギャグが嘘のようになるなる(白目)
ps.ダイナミック踵落とし出し惜しみ侍ですまない・・・作者の好きなライダーキック5本の指に入る必殺技をホイホイと使いたくないんや・・・(なお、そのせいで戦い方がアマゾンズになってしまう件)

Q.残業編の残業って何?
A.後遺症
Q.オリ主三人称視点だと人違くない?
A.無我の境地(笑)ですから
Q.ノイズ食ってる理由って何?
A.そ の う ち ・・・勘のいい読者が既に生まれそうで怖いっすね

次回はネタバレイコン画(予定)

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