仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。 作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)
潮風の匂い。
波のさざめきが戦火の音に掻き消される。
都心から大きく離れた貿易港で働く人々の活気ある気配は失われていた。邪悪な軍団を率いる
それは
聞く者すべてを震撼させる野獣の吶喊が遠方から木霊して、汗水を垂らして労働に勤しむ作業員らは手を止め、互いの顔を見合わせると一心不乱にシェルターへと急いだ。
第三号の声だ。アレの声がする場所には必ずノイズが現れる。今すぐ逃げなければ、バケモノ同士の戦いに巻き込まれてしまう。命の危機を前にして誰もが恐怖心を原動力に足を動かした。
本来ならば予兆もなく
実際に第三号もそのつもりで叫んでいる。
天羽奏には余計な同情をさせまいと説明を省いているが、彼の咆哮の大半は危険を呼び掛ける警告に過ぎなかった。戦闘中には、適度に雄叫びを周囲に向けて発することで、逃走の機会を失った者へノイズの位置を間接的に知らせ、隙を見て戦線から離脱するように促していた。
効果は絶大と言えた。二年前に起きたあの事件を期に、人々の心の中でノイズに対する危機感が膨れ上がっていることも理由の一つとして数えられるのだろう。第三号の声が少しでも聞こえたのなら、政府が発令する公の警報を待たずにシェルターへ向かえ。今や専門家でさえ口を揃えてそう発言している。そうして、人々は間接的にもノイズの被害を防止する術を身につけ、第二号が姿を消してから二年もの間、ノイズによる年間の犠牲者は未だ極小数に抑えられていた。
その対価として、彼は人々からノイズ以上に恐れられることになったが───それは
ある日、足を挫いてノイズから逃げ損じた親子を守りながら戦ったことがある。屋内での戦闘であった。死闘の果てに手傷を負ったが、いつもと変わらぬ勝利を収めた彼は何の思慮も持たず、部屋の片隅で震える親子の無事を確かめようとして、血塗れの手を伸ばし、敢えなく拒絶された。
バケモノ‼︎ この子に触れないで‼︎
身を挺して子供を守らんとする母の決死の叫び声であった。恐怖で身震いを起こす腕の中に無垢な子供を覆うように隠して、目の前に佇む血だらけの化け物から懸命に我が子を庇い続けていた。
その時になって彼はようやく自分がもう〝仮面ライダー〟ではないことに気が付いた。
ギルスの声は、ほぼ総ての生物に産まれながらに備わっている生存本能を過剰に煽ってしまう畏敬の音質を発していた。威嚇という防衛手段が独自の進化を突き詰めた果てなのかもしれない。あるいは、声帯すら獲物を狩る武器として進化させた結果なのかもしれない。どちらにせよ、何にせよ、他でもない敵意を撒き散らしながら戦う彼を誰がヒーローと呼んでくれるのか。
それでも彼は叫び続ける。如何に拒絶されようと、怪物と罵られようと、戦場から一人でも多く離れてくれるというのなら、声が枯れるまで叫んでやろうと二年前から決めていた。
二年前の雪辱───。
彼がまだアギトであった時に、人々から英雄視されたが故に、一つの過ちを犯したことを忘れてはいない。必死に
〝なにが仮面ライダーだ……弱くて、愚かで、紛い物のくせに〟
元から
その名を呼ばれたから演じていた。どうせ、他に何も無かった身の上だ。貰えるものは貰っておく。それだけの理由で〝仮面ライダー〟という肩書きを務めただけに過ぎない。今さら失ったとしても、
俺にはもう何も残されていない。
捨てられるものは心ぐらいか───。
〝俺に仮面ライダーの名は重すぎる〟
潮風の匂いが
指の先まで神経が研ぎ澄まされて、闘争に飢えた獣の意志に圧迫される。心が喰われる感覚と言えばいいのか。意識が血に染まるような正気ではない衝動が脈打つ心臓の鐘音を高めていく。
不意に小指が熱くなった。
先日に邂逅を果たした少女との約束が脳裏に過ぎり、優しい少女のあどけない笑顔が記憶を掠めた。
その熱を振り払うように手を握り締める。
ギルスは灼熱の
『d::ie↓□d◆i♯e||d″i⇔%e÷?!!?!』
〝来いよ。
ウミネコが鳴く青空の下で一匹の獣は
心が擦り切れるまで、心が喰い殺されるまで───ギルスは血に飢えた闘争心を剥き出しにして、高らかに吠えた。
***
波の音色が麗やかな歌声に重なる。
都外に位置する貿易港一帯を中心に多数として出没したノイズと交戦する二つの影があった。
風鳴翼と立花響。
物理現象に囚われない位相障壁を歌によって無力化することによって、ノイズに対抗し得る唯一の戦力とまで言わしめる
とはいえ、第三号とは未だ顔を合わせていない。あの肌が粟立つ咆哮も耳にしていない。
第三号がノイズと交戦している場所は港の中央から数百メートル離れている。どうやら、戦いながらも移動しているらしい。民間シェルターから遠ざかっていく動き方をしているが、真意は定かではない。
司令官である風鳴弦十郎の指示により、第三号が距離的にも手を出せなくなった海沿いに発生した
「う、うりゃあああっ‼︎」
響は悲鳴に近い間抜けな雄叫びを上げながら、何とか拳を振り回して、ノイズの猛攻を間一髪で凌いでいた。
「はぁぁ───ッ‼︎」
翼は気迫すら刃に変えんとする声を上げ、滑らかな剣術を駆使しながら、迫り来るノイズを瞬く間に細切れに変えていく。
手練れの戦姫と未熟な戦姫。
二人の仲は、背中を預けるに値する戦友には程遠い。不安定な距離感が垣間見える。
前線で死闘を演じる二人の戦姫の勇姿に、かつての天羽奏と風鳴翼のような卓越された連携の面影は無い。実質一人で戦っているようなものだ。ギクシャクとした歯痒い雰囲気が沸々と漂う。互いに踏み入れることのできない壁を作らざるを得ない空気が出来上がってしまっている。
弦十郎も二人の関係には頭を悩ませていた。
どうしても立花響を認めることができない風鳴翼の辛辣な態度が不仲を生み出している大方の理由だが、それに関して彼女を強く叱咤することはなど弦十郎にはできなかった。
天羽奏の面影を重ねて、天羽奏の
あの日以来、翼は自分の弱さを嫌った。
強くあるために不要なもの一切を捨て去った。心すら戦士には無用の情緒であると切り捨てた。そうして、帰るべき鞘すら失った抜身の剣だけが残った。
そんな不器用な生き方しかできない風鳴翼にとって、光に満ちた太陽のような少女は見ているだけで辛いに決まっている。
「酷な話だが、今は信じるしかないか」
二課の作戦本部から弦十郎は風鳴翼の叔父として見守ることしかできなかった。
***
爆ぜる剣戟が
慎ましげに反らせた銀色の刃が軽やかに踊る。胸の内から威勢のある歌声が飛び出てしまうのでないかと疑うほどに晴れやかな心境だった。
体が羽のように軽い。
風鳴翼は重石のとれたような開放的な感覚を味わい、内心で首を傾げていた。
鉄のように冷たい
悪くない気分だった。
責務や使命感ではなく、風鳴翼という少女の想いに応えるように天羽々斬の切れ味がより鋭さを増しているような気がした。
防人の歌。
守りたいという願いが鉄の塊に魂を宿す。
晴れ渡る青空にV字の隊列を為して滑空するフライトノイズの群れが敵の品定めでも済んだのか、垂直に急降下して二人の戦姫を目がけて飛来する。瞬時に
造作もなくノイズを退けた翼の目に、もう一人の戦姫たる立花響が倒れる瞬間が走った。
未だ素人の域を出ない響は空中からの攻撃に対応できるほどの高い技量を身につけていない。何とか直撃は避けたものの、地面に突き刺さったノイズの衝撃をもろに受けて、大きく転倒してしまったのだ。
響がダメージを負ったと勘違いした翼は顔色を変えてノイズを薙ぎ払いながら彼女の元へと駆け寄った。
「立花っ!」
「す、すいません。あははは……」
何とか笑って誤魔化そうとした響は、翼の目が鋭く細められるのを見て、ガックリと肩を落とした。
「退きなさい」
翼の冷淡な一言が響の胸に突き刺さる。
「あなたが無理して戦う必要はない。私一人でも十分です。それとも他に戦う理由があるの?」
物静かな瞳が刃となって無力な少女を睨みつけた。
縮こまるように響は口籠ることしかできない。
長年に渡って
尚も戦場にしがみつく大層な理由───響は唇を噛んだ。答えることができない。
剣の戦姫は冷たい口調で言葉を続ける。
「奏の力が宿っているから───などと口にはしないで。あなたの胸の中にある
私は知りたい。立花響が
品のある厳かな声音ではあったが、感情の起伏は隠せていなかった。
響と翼の視線が絡み合う。
巨大な水晶の瞳は青空のように澄んでいた。
そして、これは風鳴翼の紛れもない本心だと響は悟る。翼は今この場で立花響に覚悟の是非を問うことによって、二人の拗れた関係に決定的な終止符を打とうとしていたのだ。それが最悪の結果を招いたとしても、このまま延々と引きずるより幾分はマシであると判断したのだろう。
響は少しだけ言い淀んだ。義務感や正義感では片付けられない明確な言葉にできるほどの崇高な理由が、果たして自分の中にあっただろうか。答えは出ない。答えなど何処にもない───だから、それが答えであった。
響は気恥ずかしそうに頬を緩めた。
「いつでも、どんな時でも、誰かのために頑張れるって、それは素敵なことだから───そう、教えてくれた人がいるんです」
「…………」
「勝手かもしれない。我儘かもしれない。正義かどうかなんてわかりません。でも、間違いじゃない。誰かの為に頑張ることだけは間違いじゃない。
だから、今の私にできることを全力で頑張ります。翼さんや奏さんのように強い覚悟はまだ持てないけど……この手で守れるものがあるのなら、私は戦います!」
少女の鉾のように真っ直ぐとした輝きを抱く瞳が翼の固執した心を激しく突き動かした。
翼が真っ先に思い浮かんだ言葉は───
立花響にではなく、あの用務員に言葉を失うほどに呆れてしまった。
あの人畜無害そうなトボけた笑顔はそこまで人の心に影響を与えていたのか。争いとは無縁な顔をして、生きてるだけで幸福だと言いたげに笑いながら───彼の言葉はどれだけ人の心の支えになっているのだろうか。
推し量ることはできない。少なくとも、目の前で健やかな笑みを浮かべる少女の華やかな心を支えているのは紛れもなくあの陽気な青年だろう。
人はこうも誰かの支えになれるものなのか───。
呆れるほどに焦がれてしまって、翼は自分の小指をそっと眺めた。
彼と交わした約束の証は不思議なまでに翼の心を支えていた。平穏な笑顔一つで誰かを支えることができる簡単な世の中だから、風鳴翼の歌声もきっと誰かの背中を支えているはずだ。耳を澄ませば、そんな彼の声が聞こえてきそうだった。
なにが約束だ。約束とは名ばかりの一方的な契りではないか。
背負われたのだ、風鳴翼の夢を。
そして、立花響も何かを背負われて、背負われた分だけ背負うために
それこそが、人が人を想う美しい営みではないか。
小指に宿る優しい温もりの残滓を噛み締めるように翼は静かに微笑んだ。響からすれば、それは初めて見る風鳴翼の優しい笑顔であった。
気高き歌姫が零した一握りの温もり───想う人は同じ。
「……あなたは退き際を弁えなさい」
スイッチを切り替えた翼は、颯爽とした足取りで踵を翻し、長髪を揺らしながら呟くように口にした。
「シンフォギアとて万能ではない。未熟な戦士を気にしながら戦えるほど、私も高い技量を有している自負はないの。限界は自分で決めなさい。それが戦士の第一歩よ。……それに、あなたに何かあったら、私はあのお節介な用務員に合わせる顔が無くなってしまう」
謂わば合格通知のようなものだった。
風鳴翼は立花響を未熟ながらも一人の戦士として、戦場に立つ資格があると認めたのだ。
響はポカンと口を半開きにしながら、長い思考時間を経て、やっとのことで憧れの風鳴翼に認めてもらえたことに気がついた。内心では野兎のようにピョンピョン跳ね回りたいぐらいに歓喜の瞬間であったが、感動を押し留めてもそれを無視できないでいた。
「…………用務員? 用務員って、まさか、翔一さんと会ったんですかッ⁉︎」
響の興味はそこだった。
翼は自然に肯定した。
「ええ」
「────!」
声にならない声とはこういうものなのだろう。青ざめた表情の響は焦る気持ちで頭がいっぱいであった。
風鳴翼は誰がどう見ても美少女と形容できる容姿をしている。スレンダーなモデル体型は若い女性が目指すべき目標として有名ファッション雑誌が毎日のように取り上げているし、和風美人を体現したかのような麗しい顔立ちは男受けが良いらしく、彼女を慕う男性ファンは増加の後を絶たない。
美人トップアーティストと平凡な女子高校生。
負けてしまう。何がとは言わないが、色々と負けてしまう気がする。響は目をぐるぐるさせながら、あわわわと危機感を覚えて狼狽していた。
あのバカは誰にでも懐き、誰にでもオープンだ。
ただし、恋慕の話になると一向に踏み入れさせてくれない硬派な男でもある。好きな女性のタイプを聞けば「良い人」と答えるほどに謎めいた恋愛観を持っており、響も未来も女性として相手にされていないのではないかと疑いを持つレベルの素っ気なさには常々モヤモヤさせられている。
かれこれ三年以上の付き合いになる響や未来が積み上げてきたものの成果と言えば、割とグラグラな信頼関係と買い物という名のデートに連行できる権利と気軽に家にお邪魔できる優越感ぐらいだ。
もしも、風鳴翼ほどの高嶺の花たる美人があのバカと本気で仲良くでもなってしまえば、響と未来の三年という道のりは秒で追いつかれてしまうだろう。間違いない。乙女の勘がトップギアで囁いている。
響は動揺で狂った呂律のまま翼に訊いた。
「な、なな、何を話してたりしていらっしゃったんですか」
「……とくに」
翼は頬を赤く染めて、そっぽを向いた。
まさか、絹ごし豆腐を箸で掴めずに四苦八苦した挙句、用務員に力の抜き方を丁寧に教わって、やっとのことで冷や奴を食べることが叶い、二人して互いの手を叩きながら子供のように喜んでいたとは口が裂けても言えまい。
響はそんな茶番などつゆ知らず、翼の恥ずかしそうな顔に何かがあったことだけは察せられた。それも決して良からぬことだ。乙女の勘が囁く。響が予測している以上に二人の仲は縮まっているのかもしれない。
「その顔は絶対に何かありましたよねッ⁉︎ 何か二人だけの良い思い出を作って、ちょっと思い出したら恥ずかしいって顔ですよね⁉︎」
「お喋りは終わりよ。構えなさい」
「後で翼さんは翔一さんと何があったか、事情聴取ですからねっ!」
「拒否します」
「ダメです!」
有無を言わさぬ強い語気に押されて、翼はなんだか色々と早まってしまったかもしれないという気持ちになった。
立花響とこれから上手くやっていけるだろうか。人付き合いは苦手な方なのだ。とくに遠慮なくグイグイ来る子は扱いづらくて難しい。前途多難だ。溜め息も出る。億劫だ。
でも、悪くない。
風鳴翼の隣には天羽奏がいた。そして、今は天羽奏の力を持った別の少女が翼の傍らに立っている。
天羽奏の面影を立花響に重ねていた自分が情けなくなった。
似ているが全然違う。
似ているところはせいぜい一つだけ───。
笑ったときの顔が幸せそうなところだ。
「ノイズは一匹も逃すな! 避難状況は不明。逃げ遅れた生存者がいる可能性も考慮しろ!」
「はい! 翼さん、後ろは任せて下さい!」
二人の戦姫は曲がりなりにも小さな一歩を踏み出した。
その輝かしい栄光の前進を踏みにじらんと空間から不気味に滲み出る
二人が駆け出す───その時であった。
「ッ───この音は⁉︎」
聴き慣れた駆動音に翼は咄嗟に身構えた。
「エンジンの音……あの人と同じ……」
響の瞳が哀愁に染まり、乾いた潮風が髪をなびかせる。
嵐の予感が迫る。
そして、鬨の声が唸りを上げた。
遥かなる海原を真横に侍らせたエンジンの鼓動が戦場に響き渡る。
深緑の鎧に包まれたオフロードバイクが大地を疾駆していた。ペダルを刻むように踏み、スロットルを手早く回しながら
激しく回転する車輪に蹴散らされる
タイヤが地に落ちて、一先ずは落ち着きを取り戻したバイクは威嚇するように深々と鼓動するが、エンジンが弾けるような爆音を脈打つと急発進して、凶器となった前輪を荒々しく持ち上げた。襲いかかる分厚い鋸めいた車輪がヒューマノイドノイズの顔面を粉砕し、スリップさせた後輪が勇敢に飛びかかるクロールノイズを叩き返した。
目を奪われてしまうほどの至妙な
アスファルトを焦がしながら運動を停止した車輪が巨大な円を描きながらマシンを静止させる。巻き起こる排気ガスの煙霧を裂いて、それは怒れる咆哮と共に禍々しい居姿を二人の前に現した。
「■■■■■■■■───ッ‼︎」
烈風の如く戦場に飛び込んできた深緑の怪物は、またしても未確認生命体第三号であった。
剣の戦姫と獣は視線を交わした。翼の瞳には信じられないものを見ている驚愕が入り混じっていた。未確認生命体第三号は別の場所にてノイズと交戦中との報を受けていたが───まさか、もう片付けたというのか。
肩を上下に揺らしながらギルスは二人の装者が溢す呼吸の拍を聴き取る。体力を消耗している様子はない。戦闘続行が可能な容態である。この場を二人に任せても構わないが、ノイズの感知能力が発現したということは
俺にしか聞こえない声であるのなら、俺が行くしかあるまい。
だが、
「第三号さん!」
響の何かを訴える声は無視でいい。彼女は何かと
ギルスは超常的な視覚を用いて、直ちに現時点での戦況を頭に叩き込む。ノイズの総数はそれほどだが、対処が面倒な
この区域一帯で使えそうなものは何かあるか。見渡す限りの海上コンテナの山。乗り捨てられた
───やれるのか、そんな状態で⁉︎
天羽奏の心配する声が脳裏で響く。どうやら、肉体の疲弊は隠せていないらしい。彼女の焦りようから相当な息切れを起こしているのだろう。確かに呼吸するだけで喉が焼けるように痛い。肺臓が潰れているのかもしれない。あるいは気管に異物が混じったか。呼吸が正常に機能していないのは確かだ。
どちらにせよ、脳髄が滞りなく機能している限りは危惧する必要は皆無だ。指の関節をゴキゴキと素早く曲げて、脳の伝達速度をチェックする。異常は無い。神経細胞は生きているようだ。
(全然できるに決まってんじゃん。やる気もりもりスライムもりもりだZE! これしきの労働で音を上げてたらエルさんたちになんて言われるか分かったもんじゃないからね。HAHAHA)
戦闘とは不釣り合いである陽気な声音はギルスの戦いに染まった思考を裏側へと覆い隠す。
敵戦力が塊となって動いていることから戦略的な陣形を意識していることは承知である。どこかに知能を有する司令塔でもいるのだろう。当面は気に留めることではない。問題は
爆弾というより爆発が厄介だ。優先して始末しておきたい。
気は乗らないが正面から突破するのが最も手早く現実的な策だ。多角的な運動は見込めないが、遮蔽物には余念がない
───でも、そんなに戦えないだろ。ノイズも食ったんだし、無理しなくても……。
(まあまあ。なるようになるっしょ。それに前に言ったじゃん? あのクラゲは狩るって)
───え? ……ロードノイズはいないぞ?
(どっかにいるんじゃない? そのうち出てくるよ。出てこなかったら、引きずり出すけど)
爪先で地面を小突きながら、ギルスの僅かな
そこまでして、俺を
それとも俺みたいな奴が人間のフリをしているのが気に食わないのか。
いや、
右足を半歩後ろに引き下げて、膝を曲げ、腰を落として獲物に飛びつく肉食獣の如き前傾姿勢へ移行する。両手の拳を握り締めて攻撃の意思を固め、湧き上がる殺戮の衝動を舌で舐めるように冷血な闘志を身に宿す。
(
───なんだ、その名乗りは。
(ギルス、爆げ───あっ、フライングは困ります! あーお客様! 一斉に動き出すのは困ります! あー! お客様っ! あーっ! 困ります! あー! もうやってやらァーッ‼︎)
ギルスは止め処ない憤怒を拳に宿したかのように大地を殴りつけ、空間を裂くような咆哮を天に轟かせた。
「■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」
『g&i°l°lsd▽◇e^^=s//e><rv↓e〒°→☆d%$☆to+:〆d#ie??!!』
憎悪に満ちた耳障りな雑音が仰々しく連なって反響する。一匹の獣を敵と認識した
呑み込まれる哀れな獣。
だが、災害となった津波でも強固な山を削り切ることなどできない。
力及ばずに弾き返されたのは物量で勝るノイズの方であった。
獰猛な一匹の
適応力と言ってもいい。戦況は川の流れのように一瞬一秒で移り変わる。足踏みしている敵などいない。玩具の兵隊など何処にもいない。生きているのなら個々で動く。敵意に過敏になれ。頭で把握しろ。感覚で理解しろ。すべてに対応してみせろ───!
休む暇もなく四方八方からノイズが殺伐と飛び掛かる地獄絵図の真ん中でギルスは生きていた。拳で打ち砕き、足で振り落とし、飛んで跳ねてノイズを撹乱する。背中を地に着けて開脚すれば、ブレイクダンスを踊るように回転して、迫るノイズを叩き蹴り、辺り一面に煤が舞う狼煙を巻き上げた。
「■■■■■ァ‼︎」
極限的な強さで
彼女はかつて第二号と第三号の話を風鳴弦十郎から個人的に聞いていた際に、彼が零したある言葉を思い出した。
「第二号も第三号も、あれは命そのものが戦いであった者だけが辿り着く極至だ。俺が考えるに……彼らはずっと昔から戦っていたんじゃないか。休むこともなく、ただ、ひたすらに、な」
そして、今も───。
「ウタを、唄うな……」
初めて第三号と出会った時、彼はそう叫びながら苦痛に踠いていた。
胸が締めつけられるような気分に響は無心で頭を振った。
どうしても、第三号が気になってしまう。
なぜ、あの凄まじい強さを持つ深緑の怪人を、優しさが服を着て歩いているようなあの青年と無意識に重ねてしまうのか。
大好きなあの笑顔が獣のような仮面の下に隠されて、今も泣いているような気がして───あの第二号と同じように。
「立花ッ!」
叱責の声に我を取り戻した響の目には、空中で旋回を繰り返すフライトノイズの群れに剣先を向ける翼の背中があった。
「第三号のことは今は捨て置け。私たちは私たちの為すべきことをする。貴女も未熟であれ戦士であるのなら、戦いに集中しなさい」
「……はいっ!」
そうだ。私は歌を辞めない。この歌は───きっと誰かを守れる歌なのだから。
「■■ォ───ッ!」
渾身の正拳突きで三体のヒューマノイドノイズが重なった壁を殴り飛ばしたギルスは敵陣に風穴たる突破口をこじ開けた。背中に凍てつくような殺意の視線が常に突き刺さっている現状下であろうと関係ない。敵陣の真ん中を突っ切れるのは今しかないのだ。
ギルスは大量のノイズに背を向けて脇目も降らずに走り出す。
敵の攻撃の手は緩むことはない。四方から迫る滂沱のような攻撃の合間を間一髪かい潜り抜け、ギルスはついにノイズの本陣を強行突破に成功した。
そして、そのまま彼は見定めていた場所へ足を向ける。
瞬時に後ろを振り返ると一匹の漏れもなくノイズの群れは逃亡する
一心不乱に逃亡を謀る
そして、その先には巨大な
追い詰められた? いや、
ギルスは行手を阻むフォークリフトの目の前まで盲目的に疾走すると勢いそのまま車体を素早く右足で蹴り、跳躍の要領で横の海上コンテナの壁に左足で
刹那の浮遊感から───着地の感触。
足の踏み場なら大量にあった。
狭い通路に深く考えもせずに突っ込んだ故に身動きが取れず、騒々しく
手始めに先頭にいたヒューマノイドノイズの顔面を踏み砕き、煤に変わる前に新たな
狩人の手刀が狙いを定めたのは、陣形を崩さんと集団の後方から頑なに動かなかった
『÷f▼l><%yi°n€^\g???!!』
「■■■■ァァァ───‼︎」
爆撃による遠距離攻撃を行っていた二匹のセルノイズを守護する肉壁たるノイズは
こいつは多種に存在するノイズの中でも爆弾を生むという特質上、無秩序に被害を大きくさせる災厄だ。予期せぬ犠牲を産み落とす可能性が最も高いため、率先して狩るべき対象と判断する。
断末魔を鳴かせる暇すら与えぬ激甚の手刀がセルノイズの血肉を易々と引き裂く。鮮血の雨にも似た炭素の粉塵を撒き散らして消滅するセルノイズを看取ることなく、ギルスはもう一匹の
残されたセルノイズが慌てた様子で爆弾を射出しようと一歩後退る。
セルノイズから分離されることによって小型ノイズと化した爆弾が解き放たれ、ゴムボールのように地面を軽快に弾み───ギルスは臆することなく
「■■■■ッ‼︎」
起爆するまでの一秒にも満たない僅かな
『w→○h#\\□〆€a¥●t??!!』
爆発は起こらない。小型ノイズが孕んだ爆薬となるエネルギーを放流させ、
ギルスは腕部に寄生する
セルノイズの爆弾は、爆破する直前に物理法則に従うべく位相差障壁によるベールを脱ぐことによって、物理的な爆風を生み出すことができる単純な構造である。逆に言えば、位相差障壁に守れた状態で爆発すれば、その威力はノイズにも向けられることになる。
そして、オルタフォースに刺激され、爆薬という果汁に満たされた小型ノイズが叩き起こされて、セルノイズの制御も虚しく一斉に起動する。硝煙のような香りが鼻腔を
あとは
「■■■■■■■■ァァァァッ‼︎」
片腕で貫いたセルノイズを悠々と持ち上げる。圧倒的な膂力に任せてセルノイズを振り回しながら乱暴な遠心力を加え、コンテナに挟まれた小路に密集するノイズの群れへと峻烈たる勢いで投擲した。
為す術もなく投げ飛ばされたセルノイズは通路の奥に駐車された巨大なフォークリフトの車体に激しく叩きつけられた。ずるりと力尽きたように地面に滑り落ちて、枝のような痩軀に幾つも実らせた葡萄の果実が黙々と赤く膨らみ始める。一回り、二回りと大きく膨張して───。
その直後、破滅的な轟音が天を突いた。
爆発が起こったのだ。
死の爆炎が逃げ場を失ったノイズの群れを包み、火の海に染める。
ギルスは爆発の衝撃に身を伏せた。想像よりも爆発が激しい。真横で何か金属の破片が突き刺さる音を拾い、肝を冷やしながら、ゆっくりと顔を上げる。
燻る炎が弔火のように雑音の名残りたる塵を焼きながら、海から渡ってきた潮風に飄々と抵抗もなく揺らされていた。積まれていたコンテナは無秩序に横転して凹んだ末に穴が開いている。バチバチと炎上する重機から絶えず吐き出される黒い煙が青空すら焦がさんと放恣に昇っていく。ギルスは辺りに散らばった焦げた金属片が車のドアか何かの部位だと知ると何とも億劫な気持ちになった。
どうやら、
(ビ、ビックリしたぁ……汚ねぇ花火のつもりがとんでもねぇ花火になっちった…………請求書とか送ってこないよね? ね?)
───余計なこと言わなきゃカッコいいのに。
奏の呆れたような安堵の声が聞こえる。
首を巡らせて周囲を仔細に警戒するギルスは暫くの沈黙の後、
(えっ⁉︎ カッコいい? 俺ってカッコいいの⁉︎ ヤッター! 奏ちゃんに褒められたー! 奏ちゃんにかっこいいって言われたー! FOOOOO! テンション上がってキター! 今夜は赤飯だァー!)
───いや、もう駄目だな。あたしの目が節穴だった。忘れてくれ。
(そんな殺生な……⁉︎ 今度からは決め台詞でも言えるようにしとこかな。そっちの方がカッコいいかな。うーん。ネタが豊富過ぎて迷うなぁ。なにが一番ウケるんだろうね)
───ネタなのかよ。格好良くしたいんじゃないのかよ。
(基本的に俺は何やっても格好つかない呪いに掛かってるからね。ふざけないと死ぬ病気を患ってんの。ギャグの世界の住人だから)
───はぁ、翔一らしいっちゃらしいけど、なんだかなぁ……まっ、とにかくお疲れさま。翼たちもそろそろ終わってる頃だろうし、カチ合う前に早いとこ逃げちまおう。
奏の提案にギルスの変身者である津上翔一は指の関節を曲げて
(ところがぎっちょん。まだ終わってないんだ、奏ちゃん)
───えっ?
小首を傾げるような声を漏らした奏に普段と変わらぬ快活な笑みを含ませながら翔一はゆったりと───途端に動きを変えた。
ギルスは何の予備動作もなく背後から伸ばされていた異質な腕を払いのけ、転瞬の間に手首を掴み、躊躇を介せず全力で背負い投げた。
稲光の如く一瞬の出来事に奏は戸惑うが、その影には見覚えがあった。息を呑む緊張の声。奏は影の接近に気付けなかった。
───コイツは、この前の逃げたクラゲのロードノイズ⁉︎
奏の動揺を隠せない声とは異なり、冷静さを欠かないギルスは至って泰然と身構えた。その眼光には殺意のみが迸る。
『g Gg GILLS naze wakatta!!??』
投げ飛ばされた
ギルスが如何に優れた感知能力を有しているとはいえ、索敵を可能とする
それに加えて、よもや、搾りカスとでも卑下すべき微々たる残量の
感知などできるはずがない。
他の生命体はまだしも、ロードノイズだけは感知できるはずがない。
なぜ気付かれた。なぜ戦える。なぜそれほどまでに強い───
眼を疑うほどの速力。不意打ちじみた飛び掛かり。凡百の
だが、ここにいるのは死地を走り抜ける風の如き猛獣。
一対一であるのならば、負ける道理はない。
ギルスは即座に身を屈ませて回避しつつ、
強力な一撃を受けて、大きくよろめきながら後方へたたら踏む
破壊の限りを尽くす暴風のように左右の鉄拳が唸るような快音を鳴らして、防御すらままならぬ
一方的な暴力だった。
攻防は無いに等しかった。
奏には、ギルスの戦いを主観の視点でしか体感することができない。しかし、それ故に、この男がどれだけデタラメな強さを会得しているか、その一端を見せつけられていた。
眼だ。攻撃の最中でも津上翔一の視点は留まることを知らない。気を抜けば酔ってしまいそうなほどに目紛しく動き回る視線はギルスが敵と見做した者の腕や脚は勿論のこと、視線や口唇の動き、関節の度合い、あらゆる部位を剣呑に見据えていた。
そうして、何度も敵の動きを見続けた彼は一言だけ告げるのだ。
見切った、と。
放たれた豪殺の拳を何とか受け止めた
粗末な空振りほど隙は大きくなる。その貧弱な時間に容赦なく一撃を叩き込むのが
ギルスは
その威力たるや、百五十キロに近い体重を持つ
〝隙ばかり窺いやがって……そんなにアギトの力が怖いかッ‼︎〟
大海原を穿つ銛のように犀利な上段蹴りを
抵抗もできずに蹴り飛ばされ、陽に照らされたアスファルトに転がり落ちるロードノイズが悲痛の呻き声を上げる。痛覚があるわけではあるまい。手も足も出ない実力差に腹を立てているのだろう。駄々を捏ねるように両の拳を地面に叩きつけた。
『ggGg……kono youna GILLS wa shiranai??!!』
唐突に胸郭が
「…………ッ⁉︎」
何事か、と懐疑の目線を胸部に向けることなく、
この症状は急性心不全のそれとよく似ている。
血流が不調をきたしたのだと把握するのに時間は掛からなかった。
翔一は
いや、それが原因か───。
究明は敢えなく完結した。
エネルギーの供給が間に合わず、弱った心筋が心膜に阻害され、拍動が正常に行われなかったのか。確証は得られないが、考えられる原因としては最も頷ける。
まずい。心臓がやられたのなら、あとどれだけエネルギーが残っていたとしても関係がなくなる。
噎せ返るような息の運動に気道が詰まる。酸素を上手く取り込めない。空気が腐肉のように不味い。肺が血反吐に犯されているのか。呼吸が難しい。
しくじった。翔一の脳裏には、それだけが過ぎる。
───おい、どうしだんだよ翔一⁉︎ なんか変な息遣いだぞ⁉︎
「■■……ッ! ■■ォ……‼︎」
『omae wa okashii?!?! naze imada GILLS de irareru??!!』
脚を一歩を前に踏み出して、よろめきながらもギルスは戦意に満ちた拳を震わせるが、閑静とした苦慮の果てに片膝を地に預けた。
崩れ落ちるような感覚が意識を揺さぶる。
ダメだ。エネルギーの供給が間に合わない。
喰われていやがる、俺の命が───。
ついに
『GILLS wa korosaneba aAa aa aaaAaGItoLLS!!!!???』
怨恨に染まった金切り声が吐き出される。
その声を合図にして、ギルスに飛びかかるクロールノイズが二匹───爆発から奇跡的に難を逃れて、横転したコンテナに身を忍ばせていたのであろう
苦悶に動きを止めていたギルスの反応速度は著しく低下していた。クロールノイズの接近を許し、危なっかしい動きで身体を捻らせ、何とか直撃を
振り解こうと身体を乱暴に揺らし、苦闘の末に二匹とも腕から引き剥がすことに成功する。大地に叩きつけて、惰性を貪る蛙腹のように肥えた贅肉を踏み潰した。
突然、奏の警告が走る。
───翔一、後ろだ!
「■、■■ァ……ッ⁉︎」
その隙を狙っていたのか───飛びつくような糸が彼に巻きついた。
細長い管のような透明色の触手が
「■■……ッ⁉︎」
彼は吐き捨てるように舌打ちした。
ギルスは懸命に身を捩らせて拘束を解こうと抵抗する。双角が萎縮された状態では本来の10分の1にも満たない能力しか扱えない。加えて、彼を束縛せんとする触手は厳重に巻きつけられている。
だが、他にやりようはあるはず。同時にギルスは
刺胞毒への応急処置を施せる程度には知識の蓄えが翔一にはある。しかし、それが役に立つかどうかは疑わしい。相手はクラゲではない。ロードノイズと呼称された生体兵器である。炎症や疼痛を起こす程度の刺胞毒で留まってくれるわけがない。致死性の高い毒を生み出しているはずだ。果たして、どこまでギルスの免疫力を信用できるか───。
だが、すべては杞憂に終わる。
毒など無かった。触手に刺細胞らしき構造は見当たらなかった。
拍子抜けだ、と安堵する翔一ではなかった。何かあるに違いないと勘繰って、続けながら
妙なものを捕捉したのは
(なんだ。この変な細胞は。見たことがない。少なくとも人体には無い。待て。そもそも奴の肉体を構成している物質は何だ。殴りつけた感触が妙だった。あれは頑丈なゴムに近かった。ん? ゴム……?)
思考が落ち着きを取り戻し、新たな焦燥を生み落とす。
翔一が真実に辿り着くとほぼ同時に、ノイズ内部に蓄積された特有のエネルギーがあるものに変換され、
合点がいった。納得はしていないが、大凡の答えは得た。
あれは発電器官だ。筋肉の細胞が変質した発電板が集合して高出力の電圧を生む。デンキウナギやデンキナマズの特徴だ。クラゲではない。
ギルスはすぐさま自身に巻きつく触手を睨みつけた。電気抵抗を削いだ伝導体。反して、
(野郎ッ、詐欺だろ⁉︎ 本家は落雷だったろうがッ‼︎)
───おい⁉︎ なんかアイツ、バチバチしてるぞ⁉︎
(放電だね! 流石にマズいかもしんない!)
青い稲妻が触手を這うように弾ける。
ギルスは焦る気持ちを抑えられずに触手を引き千切らんと非力を承知で足掻くことしかできない。
十全の状態ならまだしも、力を削られて虚弱な生命体となった
翔一は舌打ちを交えて忌まわしい敵を睨み据えることしかできない。
だが、決して辞世の句を残そうとはしなかった。
無意識の内に握り締めた拳が高鳴って、小指に温かな熱が灯る。
『yakikirete shimae GILLS!!!???』
そして、雷鳴の音が解き放たれた。
破滅的な凄まじい電撃が哀れな
暴れ回る殺伐とした電流の奔流に為す術もなく、深緑の軀を小刻みに激しく揺らす。狂ったように踊る。痙攣と言うよりも振動。支離滅裂な動きを神経が意図したわけでもなく、ただ、電気に弄ばれるようにギルスは死の一撃を永遠と食らい続けた。
悲鳴すら上げられない。
痛いの一言すら絞り出せない。
全身に流れていた血液が一瞬で干上がる感覚。視界は青い閃光で真っ白な世界を広げて、炎の柱に磔にされたような拷問じみた激痛だけが感知できる。火刑に処された古の魔女もこんな気持ちで死んでいったのかもしれない。
───■■‼︎ ■■ッ‼︎
肉が焦げる香ばしい匂いが充満する。深緑の鎧が黒ずんでいる。
───■■……ッ‼︎ ■■ィ‼︎
焼き殺された細胞が吐き出す焦げ臭い煙が
ギルスは立ち尽くしたまま動かない。動けるはずもない。
たとえ、
哀れな獣はその身に天罰を受けたように雷に焼かれた。運命に争い続けた悪しき業を清算すべく、血に塗れた肉体は焼き尽くされる。
苦痛に叫ぶことすら許されずに───否。
断じて否である。
痛みに叫ぶことなど彼はしない。苦しみに嘆いて、悲しみに折れて、
───■■、■■、■■‼︎
……本当に聞きたい声が、聞こえなくなってしまうから。
───起きてくれよ、翔一ッ‼︎ 翼と約束したんだろ! だったら、こんなところで終わるなよ、翔一ィ‼︎
闇の中で呼ぶ声。
この音が聞こえる限りは───まだ、やれる。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」
『!!!!?????』
天すら喰らわんとする惨禍の咆哮が死した
『b bb baka na?!?!?!』
ロードノイズが得体の知れぬ怪物に身を震わせる。
なんだ、このバケモノは。有り得ない。有り得るはずがない。
致死量の電流を叩き込んだ。地球上の生命体ならば、例外なく抹殺できるほどの感電だったはずだ。それがなんだ。なぜ、意識を保てる。
再生能力にも限度がある。精神ばかりは生身の人間である。神経の通った生命であるのなら、過度な痛みに耐えられるはずがない。
ギルスは不完全で未完成の生命体だ。こんなに強いはずがない。もう戦えるはずがない。
なのに、なぜ、このバケモノは死を赦さない。
『nannda……nannda omae wa!!??!!??』
ロードノイズが知ることはないだろう。
津上翔一という人間の真の強さ───目蓋の裏側に宿る情景が何かを。
独りで戦っていた少女がいる。独りで背負い込もうとした少女がいる。心を捨ててまで誰かを守りたいと願った誇り高き少女がいる!
本当に痛いのはこんな焼かれるような痛みじゃない。ましてや心臓が止まりかけた痛みじゃない。
本当に痛いのは───心の痛みだッ‼︎
〝この程度の痛み───〟
燻る死の炎が巻き起こす激痛に苛まれながら、今にも消えてしまいそうな
〝あの子の痛みに比べればッ‼︎〟
ギルスの激情が走る。
魂の叫びが
脚部に寄生する
右踵から伸びる禍々しい大鎌の刃が蒼穹を睨みつける。
赤い双眸が迸る闘志を燃やす。
蹴り上げられた右脚が一本の大鎌のように振るわれ、疾風の一閃が
「■■■■■■■■ォォォォォォッ‼︎」
もはや、時間などと言える悠長な世界は何処にもなかった。
瞬きすら許されない刹那の風に彼我の距離はもう失われていた。
そして、すれ違うように一閃の静寂が呑み込んだ。
急いで格闘に持ち込もうとした
神速と呼ぶに相応しい超高速の
ズシャリ、と───斬り裂く音色が虚無に響く。
互いに背中を向ける零の時間。
ギルスは振り向くことなく力強い足取りで前へと進む。
宙に浮かび上がる天使の輪が活動の終わりを告げる。海月と霊長の姿を象ったロードノイズは恨めしい言葉の一つも残すことなく敢えなく炭化する。
涼しげな潮風に吹かれて───寂しげに消滅した。
カツカツ、と。
黒い鮮血の足跡だけが勝者が誰なのかを物語る。
「待て、第三号ッ!」
声の方角に顔を向けると、戦いを終えた剣の戦姫が埠頭の真ん中でギルスを睨んでいた。外傷は見当たらない。少しだけ表情が和らいで見えるのは、果たして目の錯覚か。
剣と獣。
両者に違いなく、間違いは腐るほどにある。
それでも間違い続けても尚───届かない理想を追い求める。どこまでも似たもの同士。だが、決して相容れてはならない。
そこにあるのは悲劇だけであると知っているから。
互いに視線が複雑に絡み合った。
「翼さん!」
遠くから少女が走ってくる。
その少女の背後には、幸薄そうな作業員らが五名ほど身を寄せ合いながら、命が無事であったことを安堵しつつも、これから起こり得る何かに怯えて、固唾を飲んで此方を窺っていた。
だからこそ、ギルスは張り詰めた仮面の奥底で、誰にも悟られぬように頬を緩めた。
遅れてきた立花響は血相を変えながら、これから予想される悲惨なる争いを止めるべく、二人の間に割って入ろうと前に出ようとして───翼は彼女を手だけで制止させた。
その表情には第三号に常として向けていた修羅の権化たる殺意は何処にもなく、ただ真っ直ぐとギルスを見つめていた。響は不安の余韻を感じつつも、翼の濁りのない瞳を信じるべく大きく頷いてから一歩後ろへ下がった。
翼は
「私は力無き者を護りたい。罪なき人々の今日を守る為に風鳴翼は剣を振るい、明日へと羽ばたくために歌を唄うと心に誓う!」
力強い言葉だった。
迷いの吹っ切れた少女の独白は名刀の刃紋のように澄んでいた。
「第三号、おまえは何の為に戦う? その力を誰の為に振るっている?」
「…………」
血脈の如く赤い双眸を二人の戦姫に向け、嘲笑するように静観する。何の為? 肉食獣が獲物を狩る理由が必要か?───挑発的な視線が翼の剣呑な眼差しと交差した。
一触即発の展開だが、翼の剣はついに動かなかった。
いつになく冷静な剣士へ興味を失せてしまったのか、ギルスは肩を回しながら、倦怠感を漂わせる素振りでギルスレイダーに跨った。
エンジンが始動し、慣れた足捌きでチェンジペダルを踏む。
その背中を響はじっと食い入るように観察する。
有り得ない話であるはずのに、どうしても、毎日のように見送っていたあの青年の背中がギルスの背中と重なって仕方がないのだ。
何度も見送って、何度も手を伸ばして、何度も掴み損ねてきた大切な人の背中を見間違えるはずがないのに───どうして、胸がこんなにざわついてしまうのだろう。
遠くなっていく隆々とした深緑の背中。
津上翔一によく似た優しい背中。
こんなに近くにいるのに、どこまでも遠い。
孤独な背中。
***
血反吐。
口腔内にこびり付いた血塊を吐き捨てる。
河川敷の芝生に放埒に寝転がった津上翔一は額に滲む玉藻のような汗を拭いながら、鉄の味がする溜め息をついた。
急激な老化を遂げた腕の骨格が明らかとなって、醜いだけの異形の影と化す。今にも朽ちて消え去りそうな腐蝕の腕には、人間性と呼ばれるものは残されていない。
こんな俺でも心は捨てたくない。
でも、いつかはその日が来るのだろう。
何の為に戦うのか。
誰の為に戦うのか。
あるいは、何もないからこそ、戦ってしまうのか。
過去も記憶もない。誇りも信念もない。命と力だけを背負った紛い物だったから、こうして、この世界で何食わぬ顔をして、今に縋って生き足掻いているのか。
なんて
───なんか翼も吹っ切れたみたいだしホント良かったぁ〜!
天羽奏の抑揚のある声が脳裏に響く。
───長い付き合いのあたしでさえ、翼の融通の効かない真面目さには手を焼いてたってのに、翔一はすごいよな。なんつーか、うーん、うまく言葉にできないなこれ。とにかく、あたしから礼を言わせてくれ。翼のこと、気にかけてくれて、本当にありがとう。
友人が立ち直ったことに安堵していた奏の感謝の言葉に、翔一は自嘲するように苦笑した。
俺は何にもしてないよ。心の在り方を決めるのは、いつだって本人の心だ。
迷いながら、悩み苦しみながら、人は自分の答えを見つけ出す。険しい道のりを進み、挫折を繰り返し、時には信じた道に裏切られ、時には涙で乾いた土を濡らし、どうして分かり合えないんだと傷つけ合って、それでも肩と肩を貸し合いながら未知なる嵐の中を懸命に進んでいく。
そうして辿り着いた場所で自分だけの答えを得るのだ。
人は、それぞれが導き出したその答えに〝正義〟という名を与え、それまでの道を〝人生〟と呼ぶ。
津上翔一が持つことを許されなかった人間の誇りそのものである。
───いつかさ、あたしが身体に戻って、翼にもちゃんと事情を説明して、そしたら、立花も小日向も全員つれてさ、みんなで遊びに行こう。ピクニックとかどうだ? お弁当作ってさ。あたしも料理手伝うからいいだろう? 絶対に楽しくなるって。
甘い声で諭すような奏の言葉に、翔一は無言の微笑みを返し、しばらく、無窮の空を見上げてから───ぽつりと。
「ねぇ、奏ちゃん」
───なんだよ?
「ずっと翼ちゃんと仲良くしてあげてね」
───当たり前だろ。翼はあたしにとって大切な光なんだ。
「光、か……」
奏の当然だと言いたげな強い語気に津上翔一は頬を薄っすらと緩ませて、頭上に広がる青空を見上げた。
「それなら安心かな」
千切れ漂う雲を見つめて───小さく息を吸う。
生きるために息をする。
生きているのだと言うために息をする。
空にポツリと雨のように───。
「……あとどれだけ
奏に聞こえないぐらいの掠れた小声を漏らす。
嘘が一つ。
あるいは、もっと───。
たとえば、アギトが自然という名の大気から無尽のエネルギーを蓄えているとすれば、自身の肉体で完結しているギルスは何処から戦えるだけの莫大なエネルギーを生み出して───いや、変換しているのか。
心臓が鼓動する胸に手を当てて、翔一は言葉を呑み込んだ。
もういいだろう。
それは語らなくていいんだ。
俺が死ぬまでは語らなくていい───くだらない戯言なんだから。
***
忘れるな、■■■よ。
おまえが守りたいと心から願うもの───。
それは何よりも美しいものであることを。
思い出せ、■■■よ。
おまえの魂が信じ続けたものとは何だ。
失くしてなどいない。
奪われてなどいない。
闇を照らす光とは何かを───。
もう一度だけ、思い出せ。
その背中を支えてくれる優しさを。
その背中を押してくれる温かさを。
おまえは誰よりも知っているはずだ。
我らはそこで待っている。
***
えっこら、えっこら、ギコギコと。
「…………」
あら、誰かと思えば、今をときめく翼ちゃんじゃない。授業中だぜ? サボリかい? 遅刻? お寝坊さんなの?
「違います。仕事です」
わかってる、わかってるから、そのムスッとした顔すんのやめてよん。
「津上さんは何を」
ん? ほら、あそこに鳥さんの巣箱あるでしょ? 前に救助しちゃったのよ。んで、親鳥さんがUターンしないように急いで巣箱を作っちゃって、そのまんまだったから、今回はしっかりとした耐久性のある巣箱を作ってあげようと思いまして───そうだ。翼ちゃん、そこ切るの手伝ってよ。
「はい?」
ほら、ノコギリ。どうせ次の授業はじまるまで暇でしょ?
「……わかりました」
へへっ、これでDA○H島のロケに呼ばれても大丈夫だね。
「あっ(折れたノコギリを見つめて)」
うわっ……不器用だな〜(煽り)
「ち、違います! これは鋸の刃が錆びていただけで、決して私が不器用だからというわけでは───」
じゃあ、コッチのノコギリ使う?
「武士に二言はありません」
がんばれー……って、ダメだよ⁉︎ そんな切り方しちゃダメダメ! ノコギリで兜割りはできないよ⁉︎ ジャパニーズブレードじゃないんだから、こう、引くときに力を真っ直ぐ入れるの!
「引く? こうですか」
そうそう。うまいうまい。やればできるじゃない───あら、親鳥さんが翼ちゃんの肩に。やだ……絵になるわ……(うっとり)
「…………(助けを求める視線)」
お家作ってくれて、ありがとう、って言ってんじゃない?
「私は別に───あ」
おお、今度は俺の肩に───って、
「…………」
あ、今、翼ちゃん笑ったね。
「笑っていません」
いいや、笑ったね。見ちゃったね、翼ちゃんの可愛い笑顔。この目にしかと焼き付けちゃったね。俺のゴーストも囁いてる。風鳴翼OUTです。俺の中にいるバーローな審判もテンションアゲアゲで言ってる。
「笑ってなどいません!」
カワイイー! ヤッター! SAKIMORIの笑顔ヤッター! カワイイー! 家宝にしたいぐらいにカワイイー! SAKIMORIカワイイー!
「だから、笑っていませんって! もう! 子供みたいに
ええんやで。いっぱい笑って、ええんやで。
泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑う、心ある人間に与えられた特権なんだから───顔真っ赤にしてるSAKIMORIカワイイー! FOOOOOOOー! やっぱり、女の子は笑顔が一番やでー!
SAKIMORIかわいい(挨拶)
前回二万文字は嫌とか言ってたくせに分割先で二万文字超えるうんち作者で申し訳ない。かっこいいギルスを書きたくなっただけでこの有り様ですわ・・・書けたかどうか知らんけど。
オリ主だけ怒涛のシリアスですまないすまない。あんなにヤベェ後遺症とか毎回食らってんのに命が無事なわけがない。命(肉体)も心(精神)も削られて、あるのは痛み(感覚)だけ。それでもおまえは戦うんだよな。仮面ライダーだからじゃなくて、人を想って戦う優しいおまえだから誰かを救えるんだもんな。つまりはおまえは仮面ライダー。でも自分を救うつもりはない。伝われ、この切なさ。
〈以下補足〉
前話でオリ主が言っていた「退職」などの言葉はぜんぶ自分がいつか死んでしまうことの遠回しな比喩です。指切りで約束したのは、俺が死んでも二人を再会させてやるから、俺が居なくなっても二人は仲良くやれよって意味です。読み返してみてね(小声) これで読者さまも存分に苦しめ。心がアッてなれ。そして感想を書け(本音) 書けば作者が嬉しくてアッてなります。