仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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悲報まだ四話。


♫.俺はそれでも行かなきゃいけないのかもしれない。

 完全聖遺物。

 FG式回天特機装束(シンフォギア)の核として用いられる聖遺物の欠片とは異なり、一度でも起動さえしてしまえば、適合者であろうと無かろうと万人がその尋常ならざる恩恵を得ることができる超常の()()()()

 遥か昔、大いなる先史文明の時代より、その姿形を損なうことなく現代まで保ち続けた完全聖遺物の力───それは人類史二千年の叡智を持ってしても到底測りきれないものであった。

 

 風鳴翼はそれをよく知っている。

 二年前の惨劇───。

 完全聖遺物を目覚めさせる唯一の鍵たる歌の力───フォニックゲインを生み出すため、政府の庇護の下で着々とその人気を世間から獲得していたボーカルユニット・ツヴァイウイングの大規模な公演が計画され、そのライブと並行する形でとある完全聖遺物の起動実験が特異災害対策機動部二課の指揮の下、秘密裏に開始された。

 およそ十万人にも及ぶ聴衆と二人の歌姫によって奏でられた唄は深き眠りに沈んだ完全聖遺物を呼び覚ますに値する相当量のフォニックゲインを容易に発生させるに至った。実験は成功したのだ。二人の歌姫の並ならぬ尽力によって。

 だが、聖遺物とは人智に及ばぬ理解不能(ブラックボックス)の塊のような代物であることには変わりない。

 

 起動した完全聖遺物は彼女らの努力を嘲笑うかのように暴走した。

 

 この事故によって、特異災害対策機動部二課の指揮系統は大きく乱れることになり、ツヴァイウイングと十万人の観客を蓄えたライブ会場へ狙い澄ましたかのように出現した認定特異災害・ノイズの例を見ない大群の襲撃に対応が遅れることになった。

 天羽奏と風鳴翼は戦った。迫り来るノイズの猛威に、指揮も何も得られぬまま勇敢に立ち向かった。彼女たちにはそれしかできなかった。一匹でも多くのノイズを倒すことでしか消えゆく民の命を救うことができなかった。

 その結果、被害は奇跡と称されるほどの最小限に食い止められた。恐怖に駆られた十万の人々が密集する閉鎖空間の中で、彼らは互いを尊重し、慈しみの心を忘れず、滞りない避難を心掛けたが故に起こった奇跡であった。

 

 人々は重ねて口にした。〝仮面ライダー〟がきてくれたから、と───。

 

 しかし、その輝かしいヒーローはもうどこにもいない。

 

 死が蔓延る地獄と化したライブ会場で苦闘する二人の戦姫を救うべく、無比たる天災へとその身を変えた鬼神の如き戦士は己の命と引き換えに、天羽奏と風鳴翼、そして立花響の命をノイズの魔の手から守り抜いた。

 そうして仮面ライダーは命を救って、命を燃やし尽くして───命を落とした。

 だが、惨劇は終わらなかった。翼が気を失っている間に、天羽奏は禁忌の絶唱を歌ってしまった。その代償として彼女の意識はいつ目覚めるかもわからない深い眠りについた。二年間もの月日が流れても、未だ彼女が目を覚ますような予兆は見られない。このまま永久にベッドの上で伏したまま生涯を終える可能性もある。もう二度と彼女の笑顔を見ることは叶わないかもしれない。

 悲劇はまだある。

 民間人であったはずの立花響は胸に突き刺さった槍の力を信じ、今や天羽奏の穴を埋めるべく、過酷な戦場に立たされることになってしまった。戦いにはあまりに不向きな真っ直ぐすぎる性格であるにもかかわらず、不安を押し殺して我武者羅に拳を握っている。

 

 二年前のあの日から、何もかも変わってしまった。

 

 唯一、風鳴翼だけがあの日と変わらぬまま剣を握ることを許された。

 

 一人だけのうのうと生き長らえて、変わり果てた光景と何も変わらぬ自分の剣に止め処ない怒りを覚えて───。

 何もできず、何も守れず、何も果たせず。

 それでも悔やむばかりでは誰の為にもならないと悟り、この剣を振るう理由に間違いはないと言い聞かせ、今度こそ自分が愛したものを守り抜こうと防人として奮い立たせてきた。折れてばかりでは自分を支えてくれる多くの者に顔向けできないと絶望に屈した脚に鞭を打った。

 

 そんな彼女の───その歩みを嘲笑うが如く運命は()()と邂逅させた。

 風鳴翼は己の恥ずべき弱さを思い出す。

 何もできなかったあの日の無力感を。

 誰も守れなかったあの日の悔恨を。

 忌まわしい惨劇の全容が焼き付くように脳裏に瞬き、決して忘れることなど許されない鮮明な記憶と共に───あの日に起きた混乱に乗じて、失われたはずの完全聖遺物の名を戒めるように口にした。

 

「ネフシュタンの鎧……ッ‼︎」

 

 ライブの惨劇から二年───翼は己の過去と対峙することになる。

 駅前に設けられた一面の緑が広がる大きな公園には()()()少女の影が暗澹たる夜空から絶えず降り注ぐ雨に打たれていた。殴るような雨粒を受けて芝生が(こうべ)を垂れ、外灯の明かりが不吉な空気を察して点滅を繰り返し、平穏であったはずの公園を異界じみた空間に変容させていた。

 少なくとも、この場で最も状況を把握しきれていない立花響でさえ、不穏な寒気に身体の芯を冷やされて、両の脚が子供のように震撼していた。

 濡れた柔肌を伝って流れ滴る雨水の涙。苦しげに漏らす吐息の白さは冷徹な悪寒と化して、胸の鼓動を天井知らずに早めていく。それほどまでに二人の目の前に現れた三人目の少女は異端であった。

 例の如く出現したノイズを討伐せんと戦っていた風鳴翼と立花響のシンフォギア装者二名の前に立ち塞がるように現れた青銅の蛇を彷彿とさせる鱗の鎧(スケイルメイル)に全身を包ませた謎の少女。

 その表情は、透明な浅葱色の目庇で覆われているため、明確な判断は可能ではないが、つり上がった口角が彼女の底知れぬ実力と好戦的な性格を顕著に表していた。

 

「初めましてだな、人気者」

 

 場の空気を支配している鱗の鎧(スケイルメイル)の少女は挑発的な口調で翼に言い放ち、そして───。

 

「そんで───サヨナラだ」

 

 背筋に迸る殺気を直感した翼は咄嗟に絶刀(アームドギア)を盾にして防御の態勢を維持せんと動いた。

 その直後に凄まじい衝撃と大量のスパークが弾け飛ぶ。

 鎧から伸びる紫水晶の刃を一本に繋ぎ合わせたかのような鞭が翼の膂力では到底抑え切れない傲慢な威力を伴って乱暴に振るわれたのだ。数珠のように連なる鞭の刃が天羽々斬の刀身を削ぎ落とさんと激しく痛めつけ、止め処ない火花を雨天の下で爛々と燃やす。

 何という馬鹿力───! 翼の瞳が驚愕の色に染まる。

 金属の悲鳴が散らされ、奥歯を噛み締める翼はその残虐な一撃によって固めていた防御(ガード)の姿勢をついに崩され、大きな隙を晒すことになる。

 

「そら、もう一発ッ‼︎」

 

 青銅の鎧に常備された武装の鞭は左右に一本ずつ───少女の猛々しい掛け声と共に振り回される水晶の鞭が雨のベールを引き裂きながら横薙ぎに迫る。

 回避の厳しい直撃の軌道。だが、己の人生を剣と著し、この身を戦場に捧げてきた翼の実力も伊達ではない。不意の攻撃に隙が生まれたとしても、その程度の隙間は押し潰してやれるだけの技量は持ち合わせている。

 

「くッ───はぁぁぁッ‼︎」

 

 翼は背面飛びの要領で横一閃に叩き殴らんとする鞭を紙一重で回避した。束ねた長髪の毛が刺々しい紫の刃に掠められて、激しく揺さぶられながら夜闇に何本か散っていったが、憂う余裕は何処にもない。泥濘んだ地面に片手をつき、不躾に転がりながら着地すると、翼は瞬時に脚部の装甲から排出された短刀を握り、鎧の少女に目掛けて素早く投擲した。

 狙いは正確に少女の顔面を捉えている。

 思わぬ反撃に鎧の少女は目を丸くして、考える暇も与えられず、反射的に水晶の鞭を引き戻した。目前まで差し迫った短刀を力強くしならせた鞭を振り上げて難なく弾いてみせる。

 カキンと乾いた音が響き、雨音に紛れて緑の大地へ短刀は静かに突き刺さる。鎧の少女は舌打ちをした。たかが一振りの僅かな時間であれ、敵に態勢を整える時間を与えてしまった。今は多少の無理を通して追い討ちを畳み掛けるべきだったが───まだ身体はそこまで闘争本能を求めてはいない。それが少女には悔しく思えた。

 少女の目指すべき場所は()()()()()()ではない。

 思考と反射を一度に両立させる戦士の極致。そこに余計な思慮は介在しない。脳髄の信号に頼らずとも、あくまで無条件反射の延長として、最善かつ的確たる攻撃の判断を肉体そのものが導き出す。そこに自己は不要。脳が潰されようと命が尽きようと戦えるだけの血肉が残ってさえいれば、それは文字通り朽ち果てるまで戦い続ける。

 それこそが〝無我の境地〟───己を捨て去った者にのみ、到達し得る究極の戦闘技術。

 

 鎧の少女は〝無我の境地〟を目指す。

 あいつと同じ場所に辿り着くために。

 あいつと同じ痛みを背負うために。

 

 たとえ、それがどれほど愚かな罪過を孕んでいたとしても───。

 

「…………」

 

 鎧の少女は苛立つ心を鎮めて、前を見据える。

 白い呼吸を吐きながら風鳴翼は両脚で大地を踏み締めて、銀色の絶刀(アームドギア)の剣尖を少女に向けていた。雨に滴る鋼の刃を冷たく一瞥した鎧の少女はもう片方の鞭を乱暴に手繰る。深々と地面を抉っていた紫水晶の鞭が土塊を撒き散らしながら、踊るような軌道を描いて少女の手元の位置まで寄り戻される。

 少女は鼻を鳴らすような仕草で静かに笑った。

 

「へぇ、案外やるじゃねぇか」

 

 降り止まぬ雨音に混じる声が語るのは純粋な称賛であった。

 

「完全聖遺物とFG式回天特機装束(シンフォギア)じゃあ、どれだけ持ち主のポテンシャルがズバ抜けていようと到底埋められない差ってやつができちまう。特にこの《ネフシュタンの鎧》に流れるエネルギーは別格だからな。褒めてやるよ。お前、そこそこ強いな」

 

「やはり、それは二年前のッ‼︎」

 

 翼が血相を怒りの色に変えて吠えた。

 この目が見間違うはずがなかった。風鳴翼の(まなこ)に刻みつく二年前の惨劇が時を超えて再び顕現する。

 天羽奏と風鳴翼の歌によって起動を果たし、その直後に発生した認定特異災害の強襲による大混乱に乗じて、何者かによって奪取された完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》───すべての元凶(はじまり)聖遺物(チカラ)

 天羽奏や立花響を含む大勢の人々の日常を壊し、その運命を狂わせた負の遺産が今ここに───!

 自然と絶刀(アームドギア)を握る手に力が入り、翼は荒ぶる心臓が無遠慮に繰り返す呼吸を噛み殺し、濡れた前髪を掻き分けることも忘れて、ただ目前の忌むべき記憶と対峙した。

 

「待ってください、翼さんっ!」

 

 背後から声───立花響が悲痛な顔色で叫ぶ。

 

「相手は人間です! 力づくだなんて、そんな───」

 

「あなたは退がっていなさいッ‼︎」

 

 翼は有無を言わさぬ怒気に満ちた声量で響の声を呑み込んだ。

 

「敵が人であるならば尚のこと‼︎ アレはシンフォギアのように選ばれた人間だけが扱える代物ではない! 悪人であろうと等しく力を与える神の奇蹟の残滓───放っておけるものかッ! 何より、この私が、あの鎧を目覚めさせたこの私が、放っておいてなるものかッ‼︎」

 

 風鳴翼の燃え滾るような意志を感知した天ノ羽々斬が吼え、滑らかな刃紋を描く絶刀(アームドギア)の刀身が裂かれるように拡大して駆動する。身の丈に合わない暴力的な巨大さを兼ねた大剣へと変形した絶刀(アームドギア)が放つ威圧──響は翼の殺意なる感情を察することができた。

 大剣は対人戦では不向きな形態である。しかし、あの強烈な一撃を防がねばならないと懸念すれば、分厚い巨剣の選択は当然とも言える。加えて、並大抵の破壊力では《ネフシュタンの鎧》を傷つけることは困難であることも翼は承知していた。

 だが、如何に理に適っていようと風鳴翼の胸中に燻る黒い感情の渦は隠せない。響は直感する。───あの目は、少し前の、未確認生命体第三号と戦っていた時の目。

 何もかもを放り捨てて、怒りに殉ずる目───。

 あの鎧は何が何でも取り返さなければならない。この命に替えても、自分の不始末のケリはこの剣でつけるべきだ。心に積もる焦燥は彼女を盲目の闇へと染めていく。

 

「へッ、いいじゃねぇか。そういう威勢は嫌いじゃない」

 

 クククと笑う少女は鱗の鎧(スケイルメイル)の背部から奇妙な装飾が施された杖を手にした。武器にして些か短く、無駄な意匠が多過ぎるその杖を少女は、未だ戦意に乏しい表情で目線を右往左往している響の方へ小さく傾けた。

 

「おまえはそいつらと遊んでな」

 

 杖に装飾された宝石の部位が怪しい閃光を放ち、空間を捻るように歪ませると俄かには信じ難い光景を意図も容易く生み出した。

 

『k:=*•i◆l☆#l±k×il<<^^l°k◎i€l%l???』

 

 認定特異災害(ノイズ)───偶発な事象によってのみ出現する自然災害の一端がその常識を蝕むように人為的に発現された瞬間であった。

 突如として虚無から現れたノイズの群れに囲まれてしまった響は蒼白となった表情で絶句するしかなかった。翼もまた眦を裂いて驚愕に身を強張らせた。

 

「うそ……ノイズを操って……⁉︎」

 

「それがこの《ソロモンの杖》の力だ。自律の核を持たないノイズなら意のままに操作できちまう完全聖遺物。便利なもんだろ? ……安心しろよ、お前とはサシでやってやるよ」

 

「………ッ‼︎」

 

 鎧の少女は《ソロモンの杖》と呼称した完全聖遺物を背部の装甲に挟むように収納すると、正眼の構えで迎え撃たんと巨大な絶刀(アームドギア)を携えた翼への挑発も兼ねて紫水晶(アメジスト)の鞭を瑞々しい大地に波打たせた。

 それはまさに狙いを定めた獲物へ這い寄る大蛇の滑らかな動き。

 激しい雨音に草木の擦れが消されて、二匹の面妖な毒蛇がじりじりと忍び寄る錯覚を翼は肌で感じ取った。この雨では聴覚はアテにはならない。これまで培った経験則による直感と滂沱に遮られた悪条件下の視覚を頼りに戦わなければならない。

 ノイズと交戦を開始した立花響を横目で流して、より焦燥が高まった。長期戦はあの子にとって不利になる。一刻も早く《ネフシュタンの鎧》及び《ソロモンの杖》を確保しなければ───!

 

「教えてやるよ」

 

 翼の意識が眼前の敵に引き戻された直後、白銀の鎧は途轍もない跳躍力で雨が降り頻る夜空へと舞った。ヒラヒラと追随する凶器の紫水晶が蝶の翅のように羽ばたき、少女の頭上でその先端を音もなく束ねる。

 

玩具(シンフォギア)との格の違いってやつを───!」

 

 鞭の先が重なり合う瞬間、暗黒の雨空が叫び散らすかのような異音を轟かせた。弾けるような雷が乱れ舞う。それは〝渦〟であった。二本の鞭が捻れ狂う竜巻の如き渦を形成し、無慈悲な自然界に蔓延る(フォース)を強引に掻き混ぜながら、混沌とした一つの物質として収縮させる。それは目に見えるほどの凶悪な塊となって、圧倒的な(フォース)が渦巻く光弾として顕現する。

 そのエネルギーの〝渦〟に───翼はとある戦士を脳裏に浮かばずにはいられなかった。

 それはどこか、仮面の戦士が放つ必殺の一撃に似ていた。

 いや、そういえば、彼の腰部に巻かれたベルトもまた───。

 

 ()()()()()()()

 

 激烈とした雷電がプロミネンスのように迸る。高密度のエネルギー球体へと変貌した(フォース)が暴風を巻き上げながら、小柄な鎧の少女すら呑み込まんとするほどに肥大化を繰り返し、尚も飽きずに成長を続ける。目を疑うほどの馬鹿げた質量を蓄えたエネルギーの団塊───警戒すべきはその威力とその範囲。

 翼は血の気が引いたような悪寒に従い、ただ喉がはち切れんばかりに叫んだ。

 

「立花ッ、私の背中(うしろ)に隠れなさい───‼︎」

 

「こいつが()()()()()()()───神の力だッ‼︎」

 

【NIRVANA MAGOG】

 

 捻れ狂う嵐の如き巨大な光弾が放たれた。

 

 

***

 

 

「早まるなよ、翼」

 

 高速道路を走る普通自動車の運転席に腰を浅く下ろした風鳴弦十郎はハンドルを握る手を緩ませることもできずにいた。

 特異災害対策機動部二課本部が観測したアウフヴァッヘン波形と呼ばれる聖遺物が発する固有のエネルギー波が、二年前の事件によって奪われた完全聖遺物『NEHUSHTAN(ネフシュタン)』のコードを示した瞬間、弦十郎は考えるよりも先に司令室から飛び出していた。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》───ツヴァイウイングを崩壊させた元凶とも言える存在を前にして、風鳴翼が正気を保てるとは思えなかった。

 もちろん、彼女を信じたい気持ちはある。

 近頃の翼は憑き物が落ちたようにどこかスッキリとしていた。久しく無縁であった年相応の穏やかな表情も度々見せるようになって、険悪な雰囲気であった立花響との関係も彼女なりの折り合いをつけたのか、時間があれば稽古に付き合うほどの仲に進展していた。

 風鳴翼のマネージャーを務める緒川慎次の話によれば、どうやら素性も知れない男の影がチラついてるようだが、その真意は定かではない。何はともあれ、二年前のあの日以来、ずっと身を削るように生きていた風鳴翼が少しでも肩の荷を下ろせるような心の余裕ができたのなら、弦十郎は彼女の叔父として、同時に上司として、これ以上喜ばしいことはなかった。

 だが、その安寧は信用に足りるものではない。

 今の風鳴翼を作ったのは彼女の相方とも呼べる少女───天羽奏に依存している。それ故に、風鳴翼の少女らしからぬ大人びた精神は天羽奏が関わると途端に瓦解する。立花響との一件がその最たる例だろう。

 二年前に起きた事件による天羽奏の疾患は、風鳴翼に癒えぬ傷を刻み込み、彼女に不相応な重圧を背負わせた一番の要因である。天羽奏という片翼を失った原因であるライブ会場の惨劇を否応なく彷彿とさせる聖遺物を前にして、翼が正常な判断ができるとは考え難い。

 死ねば諸共───風鳴家の次期当主として英才教育を受けてきた彼女の防人としての覚悟は本物であるが故に、そのような考えに至る可能性は十分にあり得る。

 

「翼ちゃんは歌うのかしら。奏ちゃんと同じように絶唱を」

 

 助手席に座る櫻井了子が物憂げな視線をヘッドライトの向こう側に寄せながら呟いた。

 

「絶唱は使わないでくれ……ッ!」

 

 忙しなく左右に揺れるワイパーと車窓を叩く雨音に紛れて、弦十郎の祈るような声が響いた。

 狭苦しい車内に鉛のような時間が流れる。

 重たい沈黙の空気に耐え兼ねた了子が音量を気を遣いながら車に搭載されたラジオをかけ始めた。特に理由もなく拾われた電波はニュース番組であった。わざわざ変える必要もないため、了子は両手を膝の上に置いた。

 ニュースの内容は───二人が向かっている現場からそう離れてはいない場所で大きな事故があったらしい。他人事とは思えない情報に二人は自然と耳を傾けた。

 

『───○○線にて、電車の大規模な脱線事故が発生し、ダイヤが大幅に乱れております。幸いにも怪我人はおらず、現場から最も近い▽▽駅からおよそ三十メートルの付近で電車は完全に停止したため、死傷者は出なかったとのことです。電車内には乗客・運転士ともに発見されておらず、無人で動いた可能性があると、たった今警察の方から発表がありました』

 

「無人、ね……これって、響ちゃんから報告があった例の車両かしら」

 

 ああ、と小さく弦十郎は応えた。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》と邂逅する少し前───先に現場に急行していた立花響から未確認生命体第三号との接触が報告されていた。だが、第三号は現場付近に出現したノイズの殆どを一人で掃討してしまうと無人で動き出した電車に連れ去られてしまった───と、泣きそうな声で響が連絡していた。

 そして、程なくして完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》を纏った少女が二人の前に姿を現れた。この一連の流れには何か作為的なものを感じずにはいられない。まるで、裏で手を引いている何者かが未確認生命体第三号との接触を恐れているような───……。

 

「じゃあ、暴走電車を止めたのは未確認生命体第三号ということになるわね。でも、おかしいわ。理性を失った獣であれば、電車なんて止めずにすぐ脱出していそうなものなんだけど」

 

「その時の被害はどうなる?」

 

「無人の電車がどこまで速度を出していたかにもよるけど、停車した位置はノイズの警戒区域をとっくに超えているから───そうね、死者は出るわね、確実に」

 

 了子の導き出した冷淡な回答に弦十郎は静かに息を呑んだ。

 

「俺は第三号をケモノとは思わん」

 

 そして、喉から絞り出すように断言した。

 

「奴が握る拳は誰かを守らんとする漢の拳だ。心を持たん獣には決して辿り着けない。誇りを胸に宿した正義の戦士(ヒーロー)の仮面だ」

 

「それって、お得意の直感かしら」

 

 揶揄うような口調の了子にフンッと得意げに弦十郎は笑った。

 

「当たり前だ。俺はそう信じている」

 

「ふうん。でも、あなたが信頼しているヒーローも今回の戦いには間に合いそうにないわね。暴走した電車を止めるためにどれだけの体力を消耗するのか、流石の櫻井了子にもわからないもの。単純に距離からしても、彼の援護はとても見込めないわ。残念ね」

 

 了子は手元のタブレット端末で正確な計算を弾き出したのだろう。半ば()()()()()()ような物言いで非情の現実を語った。弦十郎とて、それぐらいは承知している。未確認生命体第三号の内なる心を信じているが、予測不能な動きをする彼を戦力の一つとして頭数に入れるつもりは毛ほども無かった。

 なぜなら、未確認生命体第三号は特異災害対策機動部二課の味方ではないからだ。

 彼の敵は恐らく認定特異災害(ノイズ)だろう。だが、彼が何を守る為にノイズと果てなき孤独な戦いに身を投じるのか───弦十郎は未だ知らずにいた。

 

 誰の()()としてその戦場に立つのか。

 

 ……それこそ、彼が()()()()()であるのなら。

 

 おまえの正義は、どれだけ悲しいものに染まっているのだろうか。

 

「───ッ⁉︎」

 

 弦十郎は背筋が凍るような閃きを感じ取り、咄嗟の判断でラジオの音量を最小まで下げつつ、殴るような雨音に包まれた車内でじっと耳を澄ました。

 ありえない。

 つい先程、その可能性は無に等しいと結論づけたばかりだろう。それをどうしてこんなにも早く覆してしまえるのか。如何に弦十郎が彼に得体の知れない信頼を寄せていたとしても、今回ばかりは贔屓が過ぎる。

 聴き間違いだ。

 だが、それは徐々に───確かな速さで近づいてくる音が気のせいでは済ませなかった。

 幻聴であるならそれで良かった。実際、耳がおかしくなったのかと疑いもした。しかし、この音は───この音だけは疑えない。

 この気高き熱を秘めた鼓動───〝仮面ライダー〟が走る音だけは。

 

「どうしたのよ、一体」

 

「エンジンの音だ」

 

 額から汗が滲む。

 

「第三号の───ギルスの(おと)だ」

 

 ドクン、ドクン───と、心臓が跳ね飛ぶような熱烈とした駆動音が雨を裂く。

 

「後ろか───ッ」

 

 弦十郎がミラーを確認すると同時に視界を覆うようなフラッシュが炸裂する。

 天を衝くようなエンジンの爆音。

 悪魔が携える真紅の双眼を模した前照灯が熱く光り輝く。

 突き刺さる豪雨をその身に受けながら、深緑のオフロードバイクが自動車の真横を隼の如き速度で走り抜ける。それは疾風のようだった。風が悪魔の姿を象ったのだと思えるほどの畏怖が秘められていた。感じるはずもない風圧を肌が知覚して、鳥肌が騒つき、息が詰まるような緊迫感に支配される。

 滂沱に浸された水面の悪路に物ともせず、スリップ寸前の悲鳴がアスファルトから鳴り響き、凄惨な水飛沫を車輪が巻き上げた。速度は決して緩めない───強い意志が震えるマフラーから迸る。

 まさに一瞬の出来事である。緑色の死神を乗せたマシンが咆哮じみたエンジン音を轟かせ、二本の赤い残像を置き去りにしながら、より深い闇夜へと消えていったのは───。

 

「あれって、第三号?」

 

 了子がズレた眼鏡の位置を直しながら、すでに視認が困難となった距離まで走り去った深緑の背中を目で追いながらそう呟いた。彼女の表情はただ()()()()()()という驚嘆を物語っている。

 あの生命体は不死身か───?

 了子の目が怪しく光り、その口角が恍惚に歪んだ。

 ()()()()()()()()()───。

 魍魎に化かされたように呆然とハンドルを握っていた弦十郎は不意に我に返り、突如として鬼気迫る焦燥の容貌へと変わった。アクセルペダルを力強く踏み込み、法外な加速を促した。車体が大きく揺れて、スリップしたタイヤが濡れたアスファルトを焦がすように、不快な音が高速道路に響いた。

 

「きゃっ⁉︎ ちょっと安全運転───」

「無茶だッ」

「なにがよ」

「あんな身体では戦えんッ!」

「……あの一瞬で見えたのね。どうだった」

「少なくとも、両脚はお釈迦だッ! 骨が突き出て関節が捻れていたぞ! 車輪に挟まれたか⁉︎ 加速した列車を体で無理に止めようとすれば、そうもなるだろう……‼︎ クソッ───何がそこまでお前を駆り立てるんだッ‼︎」

 

 弦十郎は思い出す。

 いつかの日にて、風鳴翼と拳と刃を交えていた異形の戦士が誰にも悟られぬ刹那の憂愁において、如何なる心情さえ覆い隠さんとする鉄の仮面の奥底で真紅の視線がただ一人の少女を優しく見守っていたことを───。

 

「了子くん、一つ訊きたい」

「何かしら」

「ギルスは人間(ヒト)か」

 

 了子は逡巡の果てに口を閉ざし、重たい吐息を解放するように残酷と言えるほどの無情たる現実を絞り出した。

 

「それを決めるのは私じゃないわ」

 

『───未確認生命体第三号の目撃情報が多数寄せられており、第三号が事故の原因である可能性が極めて高いとして、警察は調査を進めていくことを明らかにしました。近辺にお住まいの方は戸締りに十分に気をつけ、第三号の化け物のような声が聞こえ───』

 

 眉間に深い皺を寄せた弦十郎は何も言わずにラジオを消した。

 

 

***

 

 

 いつかの記憶。

 懐かしい思い出。

 

「へぇ、翼の家って難しいことしてんだな」

 

 それはまだ天羽奏と風鳴翼がツヴァイウイングとして活動してから間もない頃の記憶だった。

 聖遺物の適合者として選ばれた二人の戦姫はまだ互いのことを理解し合えていなかった。認定特異災害(ノイズ)を効率よく駆逐するための二人組(デュオ)として結成されたまでは良いが───これから戦友として背中を預け合うには両者とも知らないことが多過ぎた。

 想像もできない莫大な時間を共に過ごすだろう。数え切れないほどの戦場を共に駆け抜けるのだろう。そして、死ぬ時すら───共に朽ちていくのだろう。

 己の生涯を費やす仲になるのなら───互いのことは包み隠さず知っておくべきだ。

 そう考えていたから、天羽奏と風鳴翼は打ち解ける努力を怠らなかった。

 

「難しい、かな」

「あたしにとっちゃ、難しいよ」

 

 日課のレッスンを終えた二人は快活な汗を流し、スポーツ飲料を浴びるように嚥下しつつも会話を楽しんでいた。

 

「すべては護国の為に───なんか聞いてるだけで、あたし頭痛くなってきた」

「奏……っ!」

 

 揶揄われたと思った翼が不満げに頬を膨らませると、奏は白い歯を見せてけらけらと笑いながら「ごめんごめん」と謝った。謝罪の気持ちは微塵も感じられない。

 確かに奏の言うことも一理ある。戦争を終えた現代の日本においては時代遅れな〝家〟だという認識は翼にもある。だが、地盤が緩んだ国家を再建するために、裏で暗躍する大役を大戦時から脈々と受け継いできた風鳴の一族は今や国の中枢を担う政界にも君臨し、軍部においても重役を任され、日本という国家においては無くてはならない存在にまで昇格している。

 すべては護国のため───。

 先祖代々風鳴の一族が国家から厚い信頼を勝ち取ってきたのは、この迷いなき信念があったからこそだろう。

 翼もまた幼い頃からそう教育されてきた。考える余地はあれど、疑いの心は無かった。

 

「というか、その()()()()()()みたいなジィさんヤバいな。本当に人間か?」

「半分ぐらい魍魎の血が混じっていると私は睨んでる」

「残り半分は」

「鬼か天魔の血」

「人間の血0じゃん」

 

 冗談抜きの真剣の目で語る翼に、ぶっと吹き出した奏は一頻り笑ったあと、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「でもさ、翼が剣を握るのは、風鳴家のしきたりだとか家訓だからじゃなくて、きっと、誰かを守りたいっていう気持ちが、他の誰でもない翼にあったから───そうなんじゃないかってあたしは思うよ」

 

 だって、そうじゃないと、あんなに気持ち良さそうに歌えない。

 

 奏の真っ直ぐな言い方に翼は恥ずかしそうにたじろいだ。

 

「でも、私は奏みたいに……」

「きっかけなんて何だっていいんだ。あたしは復讐から。翼は家訓から。スタート地点がこんなに違っているのに、あたしたち今、同じ道を同じ想いで走ってる」

 

 奏は開いた掌を翼の方へ向けた。

 翼も開いた掌を彼女の掌へそっと重ねて、絡めるように優しく握り合った。

 温かな感覚が伝わってきた。

 異なる志から二人は始まっていたとしても、今この手に溢れる感覚(ぬくもり)はきっと同じ熱を発している。温かな手。誰かを守れる手。この手が掴む想いは───きっと正しいはずだから。

 

 そう信じたいと翼は願う。

 

「防人───人を(まも)る人。綺麗な夢だとあたしは思うよ」

 

 屈託ない笑顔を向けた彼女を見て、風鳴翼ははじめて自分の夢を好きになれた気がした。

 誰に与えられたものではなく、誰に定められたわけでもない。

 義務でもなく、使命でもなく───風鳴翼の意志が紡いだ信念でこの道を歩もうと心に決めることができた。

 

 〝誰かを守れる人になりたい〟

 

 そんなちっぽけな夢を翼は誇らしく思えたのだ。

 

 

***

 

 

「翼さん───」

 

 立花響は震える声でその名を呼んだ。

 止め処ない大粒の雨が降り注ぐ緑の公園を抉り取ったかのように巨大な窪みが生まれていた。

 鎧の少女が撃ち放った凄まじい破壊力を孕んだ光弾を防ぐために、翼は大剣へと変形を遂げた絶刀(アームドギア)を大地に突き刺し、急場凌ぎの大盾として活用した。威力を完全に殺せたわけではないが、身を守る術としては最善の策であった。

 問題は《ソロモンの杖》と呼ばれる完全聖遺物によって召喚されたノイズの対処に苦戦していた立花響であった。武器(アームドギア)を持たない彼女は防御の手段が皆無であり、手数で圧倒せんと襲い来るノイズに集中せざるを得ない状況では何もかもが遅かった。回避が可能な攻撃であれば、それに越したことはないが、完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》が生み出した(フォース)の渦が地上に及ぼす範囲は実に半径二十メートルを易々と超えていた。

 避けられない───そう判断した翼は乱暴にも横から響の手を掴み、巨大な絶刀(アームドギア)の陰に押し込めた。

 

 その直後に閃光と爆発。

 

 戸惑いが残る響の目の前に、赤黒い消し炭と成り果てた公園の有り様と勇猛と佇む絶刀(アームドギア)が守護する領域に入り損ねた風鳴翼が負傷している姿が飛び込んできた。

 間に合ったと言えば、間に合ったのだろう。

 翼が負傷したのは焼け焦げた右腕と衝撃の余韻として弾け飛んだ石礫による切り傷と打撲が目立つ右半身である。時間に恵まれず、盾の役割を果たした絶刀(アームドギア)の陰からはみ出てしまった部位を中心に怪我を負ったのだ。

 もしも、あの閃光を全身に浴びるようなことがあれば、それこそFG式回天特機装束(シンフォギア)であろうと命に保証はない。

 

「……この程度で折れる剣ではない」

 

 稲妻のように熱く走る激痛を奥歯で噛み殺しながら、翼は努めて冷静に応えた。視界が歪む。脚がふらつく。呼吸が重い───立花響の無事を見届けて、安堵のあまり気を失いかけた翼はすぐさま怨敵を目で見据えて、薄れた意識を強引に呼び戻した。

 青銅の蛇鱗が意匠された鎧に身を包んだ少女が傍らに数多の兵隊(ノイズ)を侍らせて、二人のもとへゆっくりと接近する。その足取りはどこか重々しい。あの一撃を耐え抜いたことに煩わしさを感じているのかもしれない。

 

「その手じゃ、もう剣は握れねぇな」

 

 少女の視線が翼の右手に注がれた。注視せずとも酷い火傷の痕を確認することができた。

 翼はどこまでも冷淡に応える。

 

「左手がある」

 

「片手でアタシと張り合うってのか?」

 

「ええ」

 

「やめとけよ。両手が使えたって、どのみちアタシには勝てない。お前だってもうわかってんだろ? お互いの戦闘技術はほぼ互角。ただ、扱う武装が決定的な差を作っていやがる。この戦況じゃあ勝機はほぼない。そのぐらいわかってんだろ」

 

 鎧の少女が語る現実を翼は顔色を変えることなく聞き流した。

 実力が互角だろうと、武器の質が天と地の差を生んでいようと、翼はここで撤退を選択するわけにはいかなかった。それは風鳴翼の魂が許さなかったのだ。

 フン、と鼻を鳴らした少女は気怠げに言った。

 

「くたばるなら勝手にしろよ。アタシの目的は端からそっちだしな」

 

 少女の憂慮を含んだ視線が立花響に向けられた。

 

「わ、私……?」

 

「殺しはしねぇよ、多分」

 

 鎧の少女が小さく頤使すると、召喚されたノイズの群れが一斉に電源が入ったかのように響へと襲いかかった。

 自分の未熟さが風鳴翼に負担を強いてしまった。自責に囚われていた響は呆然と立ち尽くしていたが、止め処ないノイズの殺気を身に浴びて、弾かれるように我に返ると直ぐさま拳を握り、抗戦の意思を固めた。

 私がやらなくちゃ───!

 一歩、響が踏み出そうとした瞬間───ノイズの首が宙に飛んだ。

 

「翼さん⁉︎」

 

 銀色の軌跡が剣の戦姫から素早く走る───その目は苦悶に細められていながらも、内なる闘志は未だ燃え尽きていなかった。

 

「退がりなさいと言ったはずよ」

 

「でも、その怪我じゃ」

 

「私は防人。人を守るのが役目」

 

 白い吐息が漆黒の雨空に舞う。

 

「それに……奏の置き土産を渡すわけにはいかない」

 

 翼は片腕で引きずるように大剣(アームドギア)を構えた。

 剣を振るうことなどできないだろうに。立っているのがやっとのことだろうに───痛ましい戦姫の姿を目の当たりにして、鎧の少女は肩を震わせる。

 

「ハッ───人を守るだァ⁉︎ その剣でか? 笑わせんなよ、偽善者がッ‼︎」

 

 鎧の少女は激昂する。

 大地を蹴り上げ、跳躍じみた疾走で彼我の距離を縮める。速い───朦朧とした意識の翼へ容赦も情けも一片の温情さえ感じられない憤怒の攻撃を仕掛ける。

 紫水晶の鞭が叩き殴るように翼へと振り下ろされる。まともな回避運動を行えない翼は大剣(アームドギア)の防御力に頼って身を守ることしかできず、少女の怒涛の攻撃を甘んじて受け入れた。

 衝撃───息が詰まるような破壊力が全身を揺さぶる。

 

「力がもたらすのは破壊だけだ‼︎ お前は何かを壊して、何かを犠牲にして、その果てに残ったものを()()()()()と勘違いしているだけだ‼︎」

 

「違う、私は───ッ!」

 

「何かを守るにはな! 何かを壊さなきゃならねぇんだよ! 壊して、壊して、壊し続けて、挙句の果てには自分すら壊して───何も守れちゃいないテメェ如きが語るんじゃねぇよ、甘ちゃんが‼︎」

 

 乱舞するように激しく踊り狂う二本の鞭が大地に数多の傷痕を刻み込む。泥と化した土塊が無秩序に飛び散り、二人の少女を穢さんと抱擁する。

 怒りに身を任せた少女の連撃が天ノ羽々斬に叫声のような音を立てさせる。がりがりがりと蛇腹の剣に削られるような衝撃に晒され、ぶ厚い刀身に巨大なヒビが広がる。一撃、また一撃と交互に振り下ろされる《ネフシュタンの鎧》による凄まじい攻撃によって、徐々に粉砕されていく刃の破片が飛翔し、翼の肢体や頬に赤い線をなぞらせる。

 痛々しい流血が雨に紛れた。

 それでも鎧の少女は攻撃の手を止めることはない。我を忘れて鞭を乱暴に振るう。負けじと耐え続ける翼の息の根を完全に止めてやろうと───殺意すら露わにして攻撃を続けた。

 

「綺麗事を言うんじゃねぇ……綺麗事で片付けるんじゃねぇ……‼︎」

 

 息が上がるが、手は休めない。

 

「おまえみたいなやつが……力を持ったと勘違いしたやつが……ギルスになって……あいつの苦しみが……ッ‼︎」

 

 無意識に唇を動かしていると少女は涙ぐんだ声に変わっていることに気がついた。ハッとした時には、全身の力がぬるぬると抜けてしまい、翼の大剣(アームドギア)へ激情に感けて叩きつけていた紫水晶の鞭に通う(フォース)が萎えてしまったかのように、ゆるゆるとした勢いで地面に音もなく落ちてしまった。

 急激に(フォース)を酷使してしまったが故に《ネフシュタンの鎧》の原動力たるエネルギーが底をついたのだろう。半永久的に機能できるとはいえ、使い方次第では一分も掛からずに停止してしまうのが完全聖遺物の弱点である。

 無論、これはまだ《ネフシュタンの鎧》の真価を発揮できていない面が強いこともある。少女はそれもまた悔しくて仕方がなかった。

 片手で放り出された鞭を粗暴な仕草で手繰り寄せると、尚も降り注ぐ雨に顔を濡らして、熱くなった頭を冷やそうとした。雨は落涙のように少女の冷たい頬へと流れていき、ぐしゃぐしゃに荒んだ心を洗い落とした。

 

「……笑わせんなよ」

 

 ぽつりと弱々しく呟いた。

 

「……笑うな」

 

 ぼそりと力強く返された。

 

「私の夢を笑うな」

 

 息を呑むほどの威圧すら感じさせる言葉だった。

 風鳴翼の状態は端的に表すなら重傷であった。右半身は使い物にならず、全身に打撲の痣が残り、至る所に裂かれた切り傷によって絶えず流血している。骨だって幾らか折れているに違いない。

 完膚なきまでに叩き潰してやった。

 鎧の少女はそう高を括っていた。もう立ち上がれまいと勝利を確信していた。だが、実際はどうだ。まだ彼女の剣は折れてはいなかった。

 脚は機能を放棄したようにガクガクと震えている。

 腕は筋肉が萎縮したように肩からだらんとぶら下がっている。

 指の関節すら動かせないのか、彼女の手は大剣(アームドギア)の柄に触れていられるのが限界のようだった。

 それでも風鳴翼の大きな瞳は少女を捉えて離さなかった。

 鎧の少女は揺るぎない闘志に気圧され、足を一歩だけ後ろへと退いた。退かずにはいられなかった。どうしてもその言葉だけは少女にとっては、恐れて然るべきものだったのだ。

 

 夢。

 

 ───やめろよ。夢なんて言葉を使うんじゃねぇ。

 

 ゆらゆらと曲がった膝を立ち上がらせながら「私の夢を笑うな」と翼はハッキリとした声色で言った。その目に大きな滴を溢れさせながら。

 

「誰かを守りたいという拙い気持ちを綺麗な夢だと笑ってくれた……誰かのために頑張れることは素敵なことなんだと背中を押してくれた……皆がそう言ってくれた、私の、私の───」

 

 渇いた血脈に再び熱い血潮が通ったかのように、ぎゅっと手足に力が込み上げてくる。

 

「風鳴翼の夢を───笑うなああああああッ‼︎」

 

 突如、銀色の大剣が砕けた。

 その巨大な刀身から一振りの刀剣───絶刀(アームドギア)を手にした翼は決死の雄叫びを上げながら、鎧の少女へと迷わずに肉薄する。少女はまだ呆然とした表情のまま鞭を手放している。これが最後のチャンスだ。この隙を逃すわけにはいかない。少しでも近づいて、あの鎧の防御力を上回る一撃を叩き込む。

 

 絶唱。

 

 天ノ羽々斬による絶唱。

 

 天羽奏のように誰かを守るために。

 

 風鳴翼の絶唱を歌う───‼︎

 

「───アタシには勝てないって言っただろ」

 

 鎧の少女が悲しげな口調で語った。

 

「───ッ⁉︎」

 

 それは背後からの強襲だった。

 滂沱の雨に萎れた草原の中に息を潜めていた紫色の蛇───ネフシュタンの(ムチ)が翼の脚を噛みつくように切り裂いた。

 装甲が粉砕され、血が雨水に滲むように散った。

 少女の手に鞭はない。だが、鎧と一体化している武装であるのなら、多少の操作は手動を介さずとも可能だったのかもしれない。そんな懸念すら見失っていた。悔しさよりも無力な自分への腹立たしさの方が強かった。

 敗北。

 疑いようもない敗北だった。

 翼の視界はどんよりとしたスローモーションの世界に変わる。走るどころか立つことすら維持できなくなって、ゆっくりと崩れ落ちるように地面に倒れ込んでいく。身体は糸の切れた人形のように言うことを聞かなくなって、冷たい雨が肌を覆う感覚だけがヤケに鮮明だった。

 闇の深みへ落ちていく感覚の最中───彼女の耳が拾ったのは「翼さん」と叫ぶように呼ぶ声だった。親しみのある声だった。最初は毛嫌いしていた声だった。親友のように眩しくて、子犬のように元気が良くて、話しているうちに、共に戦っているうちに、懐かしくて大切なものばかりを思い出させてくれた声だった。

 

 ───来てはダメ。

 

 未知なる完全聖遺物《ソロモンの杖》によって操られたノイズの軍団と交戦中であった立花響がこちらへ駆け寄ろうとしている。豪雨の中でもわかるぐらい泣きそうな顔つきで、ノイズを無理にでも振り切って、手を伸ばそうとしている。

 

 ───ダメだ。来てはならない。あなたは逃げなさい、今すぐに。

 

 声すら届かない。唇は動いているのに、声が出てこない。

 

 ───お願いだから、奏の力を他の誰かに奪わせないで。

 

 あなたになら託せるとやっと思えるようになった。

 天羽奏と同じ想いを胸に宿した立花響になら、その(ガングニール)で誰かを守るために歌ってくれると信じられるようになった。

 

 だから、それまでは私があなたを守ると───この剣に、この魂に、そして他でもない天羽奏に誓ったというのに───どうして、私はまた大事な時に───……。

 

 二年前を思い出す。

 

 二年前と同じことを繰り返すのかと自らに問う。

 

 嫌だ。嫌に決まっている。

 

 もう失いたくない。

 

 大切なものを失いたくない。

 

 ひとりで歌うステージは寂しいから。

 

 ひとりで駆ける戦場は怖いから。

 

 ひとりぼっちは悲しくて、どうしようもなく辛いから。

 

 もう一人は嫌だから───……!

 

 

「───私をひとりにしないで」

 

 

 それは誇り高き戦姫が零した涙ではない。

 護国に殉ずる防人の瞳から溢れ出した涙でもない。

 友を失いたくないと願った、どこにでもいる少女が流した落涙であったから───。

 

 

 〝ひとりにはしないよ〟

 

 

 その涙を拭う戦士(ヒーロー)がいたのだろう。

 

 

「………………」

 

 その声に聞き覚えがあった。だから、幻聴か何かなのだろう。

 だって、その人は戦いとは無縁の生き方をしている。暴力がとことん似合わない。子猫と昼食の焼き魚を取り合って負けているところを見たことがある。年下の少女によく土下座をしていて、とにかく腰の低い人で、戦いなんて経験しているはずがないような───ああ、でも、確かに、こういう時には絶対に駆けつけてくれそうな人ではあった。

 風鳴翼は重たい目蓋の隙間からぼんやりとそれを眺めた。

 雲の中にいるような遠い感覚のまま、その懐かしき名を口にした。

 

「あぎ、と……?」

 

 真っ赤な瞳と大きなツノが翼には見えたのだ。

 薄れゆく意識の中で揺蕩うように翼は異形の戦士の腕に抱かれて()()()()と眠りそうになった。深緑に覆われた鎧はどこか人間のように温かくて───とても寂しい鼓動に弾んでいた。

 どくん、どくん、どくん。

 ただの生きている音がとても優しく聴こえた。

 まるで、天使の柔らかな翼に包まれたかのような安心感と何処へでも飛び去ってしまいそうな空虚な悲しみに挟まれて、風鳴翼はただ一つだけ伝えなければならない言葉を口にした。

 

「ありがとう、()()()()()()

 

 ギルスは何も応えず、そのまま意識を手離した翼の頭をそっと優しく撫でた。




ひーろーはおくれてやってくる(オリ主くんのスダボロ具合から目を逸らして)

〈人物紹介みたいな変なやつ〉
○オリ主
ちょっと性格が良い奴すぎて作者が困ってる。おまえ…おまえ…って感じで書いてる。幸せになって。
○バーロー奏さん
いつのまにか正ヒロイン枠に収まりそうになっている子。夫婦漫才は無限に書けるぐらい楽しいけど、もうやらない。もうできない。
○ビッキー
これからが本番の子。もはや本作の癒し枠では? そう思ってる読者さまをドン底に突き落とす準備はできてる。
○SAKIMORI
日常で会う機会が少ないせいで戦闘でしかヒロイン力を上げられない不憫な子。まだまだ上がるぞ。
○キネクリ先輩
バッタさんのことが大好きすぎてメンドくせぇ拗らせ方をしちゃった子。実はとんでもねぇサプライズがある。
○393
諸事情でこれから出番が減る子。無印じゃ戦えないから仕方ないよね。だからこそ重要な役割があるんや。許して。
○御三家エンジェル
本作のド○えもん枠。果たして再登場はあるのか──まだ不明だぞ。

最近リアルがクッソ忙しいので次回の更新も時間がかかると思います。申し訳ない。これが普通のホモサピエンスの限界ですわ。
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