仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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ウマとスズメの育成ばっかりしてます(事後報告)


♫.俺はすごーくギリギリかもしれない。

 開け放たれた窓の向こう側には、無窮の空色が広がっていた。

 絵に描いたような青空は何でもないような顔をして、ゆらりと(そよ)ぐ風の音に雲霞の途方を(おお)ってしまう。見たくないものを見せないように。知らなくていいものを知らずに済むように。平和という虚実を、子供が見る夢のように空は(かた)り続ける。

 綺麗で柔らかい空色のインクで。

 白いキャンパスいっぱいに塗りたくるように。

 青く。青く。ただひたすらに青く。

 

 誰が見ても美しい〝空〟だと言えるように。

 

「やっぱりここにいらしていたんですね」

 

 声がした方向へ反射的に視線をやると清廉とした背広の男性がいた。足音のみならず、裾が擦れる小さな物音すら抹消する驚愕の歩法を日常的に扱える人物など、世界は広しと言えどそういないだろう。

 風鳴翼は少しだけバツの悪そうな表情で自分のマネージャーを出迎えることにした。

 すると、緒川慎次はどこか困ったような愛嬌のある微笑を浮かべて、朝の日差しに包まれた病室へと足を踏み入れた。

 

「ダメですよ、翼さん。まだ安静にして頂かないと。傷口は完全に塞がっていないんです。少しの運動も厳禁です。(はや)る気持ちは……お察ししますが、今日は響さんを信じてあげて下さい」

「承知しています。未熟の域を出ないとはいえ、立花は揺るぎない決意を携えた一人の戦士です。そこに杞憂などありません」

「にしては、浮かない顔をしているように見えますよ」

「気のせい……とは言えませんか」

「はい。病室(ここ)にいるのが何よりの証拠です」

 

 嫌味を含まぬ爽快(さっぱり)とした笑顔を向けた慎次に、翼は覇気のない苦笑を漏らすしかなかった。

 困ったことに、返す言葉が見つからない。

 来客用の丸椅子に腰掛けていた翼は開けっ放しにしていた窓から長閑(のどか)な涼風が室内に流れ着く感触を肌で味わった。綿のように柔らかい風。(ほの)かに紫陽花の香りが()みていて、晴れ渡る青空のどこかに梅雨の兆しを感じ取れる。

 雨雲は見えずとも、空の色は着実に変わっているのだろう。

 黒く。

 ただ黒く。

 滲んだ青を塗り潰して。

 

「…………」

 

 そう思うと、少しだけ寂しいような気がした。

 

 風が撫ぜる先にはベッドがある。

 この病室の主人のものだ。

 御伽噺(おとぎばなし)に登場する可憐な姫君のように、清純とした安らかな寝顔の少女は翼の掛け替えのない友である。もう何年も声を聞いてない。笑っている顔も、怒っている顔も、深い記憶の中にしか残されていない。

 こんなに近くにいるのに、ずっと遠くにいるみたい。

 手を伸ばせば届きそうなのに、決して掴むことのできないこの空を仰いでいるような感覚。

 虚しさだけが手のひらに残ってしまう寂しさを翼は覚えた。

 

 天羽奏。

 悪い魔女に魔法をかけられてしまったように永劫の眠りにつく少女が待ち詫びているもの──それは白馬に乗った王子さまなのか、はたまた魔法使いなのか、無二の親友である翼にだってわからない。

 何の為に眠るのか。

 誰の為に夢を見るのか。

 深く閉ざされた(まぶた)の裏側で拡がる夢が悪夢でないことを祈るしか今の翼にはできない。

 

 ……仮にもし、あなたの瞳が悲しい世界を見ているのなら。

 

「緒川さん、無理を承知でお願いがあります」

 

 いつか聞かせてほしい。その名も無い物語を。

 

「私を、風鳴翼を、どうか戦場(いくさば)へと連れて行ってください」

「翼さん、それは」

「行かねばならないのです。行かねば……きっと私は後悔する。他の誰でもない、私の、風鳴翼の、この魂がそう叫ぶのです」

 

 私もね、あなたに聞いてほしい物語があるから。

 

「お願いします。私を()()()()()()に会わせてください」

 

 

***

 

 

 ──生きるとは、なんだ。

 

 鋼鉄の(つるぎ)に衝突した妖拳から赤色が滴る。

 冷たい刃と熱い血が溶け合うように交差し、過敏な感覚を尚も尖らせる。

 深緑の(ギルス)と真紅の(ジャガー)

 間合いの駆け引きを捨てた至近距離の連打(ラッシュ)に勝機を見出したギルスとあえて撃ち合いに挑んだロードノイズ。幾度となく繰り出される攻防一体の熾烈な乱撃はついに正面から激突する事態へと急転した。

 肉が裂けて軋めく指骨が凶器の先に触れる。危惧すべき局面。愚直に膂力で競り合えば手首ごと落とされかねない。

 ()()()

 四肢に宿る暴威へ身を投げるように、深緑の怪腕に体重を加える。

 

 ──正しさとは、なんだ。

 

 金属が擦れ合うような甲高い共鳴が拳と剣から放たれた。それは閃光のような一瞬。相反するベクトルと摩擦の暴圧が突如として霧散した。両者は互いに意図せず瞠目のままにすれ違い、仕留め損なった標的を黙って横目で見逃した。

 決め手は(ギルス)の流血。怪人(ロードノイズ)の完成された剣技を滑らせた液体は激烈な火花を代弁するかのように赤く咲き乱れ、燃え尽きぬ闘志を煽るように路面(アスファルト)に飛び散った。

 両者は背を向け合うようにすれ違った。双方ともに右側。肩と肩が触れ合う距離。ただ視線は虚空を漂う。

 刹那の空白。

 転じて真紅の(ジャガー)が動いた。剣先を直角に()らしながら真横へ振り回すように()ぎ払う。右腕と胴体を両断できる位置とタイミング、そして何よりも速力があった。殺刃閃く剣風は容赦なく(ギルス)の神経を戦慄させる。

 

 ──結局、なにもわからなかった。なにも得られなかった。

 

 俯瞰の脳髄が合理性を追求した体術でこれに対応させる。

 ()()()と落下するように片膝を屈曲させ、もう一方の脚で次点の布石となる軸を作る。予備動作はない。股関節に至るまで各関節部はある程度の軟化を完了している。曲芸じみた動きに必要な因子は()()()()だ。骨格の配置を熟知していれば、人外めいた躰道も可能な領域に達する。

 それ故に、彼はこれを(いた)く得意としていた。

 予測を超えた体捌きに翻弄された敵は必ず一糸の隙を見せる。切迫した空気が瓦解する感触。針の穴がこじ開けられるような芳香(におい)。それは確実に反撃(カウンター)が決まる絶対的な一瞬に他ならない。

 

 ──戦闘(たたか)っても。殲滅(たたか)っても。飽くまで殺戮(たたか)っても。

 

 剣閃が獣の残像(カゲ)を虚しく斬り裂いた。

 

 ──答えは出なかった。

 

『g……GILLS⁉︎』

 

 ──ここにあるのは、(いたみ)だけだ。

 

 機軸となった脚へ瞬発的に体重移動を施し、腰を低位置に保ったまま半回転。遠心力の助力を得た肘鉄による荒々しい殴打を脇腹(ボディ)に突き立てた。けたたましい粉砕音が走る。体内の筋繊維が食い破られ、並々ならぬ痛打の衝撃が赤の(ジャガー)を襲う。しかし、敵の戦意は緩むことはない。その証明として得物は決して手から離れることはなかった。

 今にも崩れ落ちそうな両膝を気迫で伸ばし、豹は両手で剣を振るい上げた。上段からの唐竹割で(ギルス)の脳天から仕留める算段に移行。両者の距離は未だに肉薄している。振るえば必ずや直撃するだろう絶対の軌道(ライン)(ジャガー)の眼前に(ひら)いていた。

 天から地へと落とされる斬撃。

 が、しかし──。

 それよりも僅かに。

 だが確実に(はや)く。

 ギルスのローキックが脛部を捉えていた。威力は微々たるもの。決め手に欠ける蹴撃。だがそれは完璧と言えた(ジャガー)の斬撃が描く軌道(ライン)に大きな亀裂(ズレ)を生み出させる会心の一撃に違いなかった。

 猛烈な速度で駆ける(つるぎ)の先端が生体装甲(バイオチェスト)に覆われた胸部の肉を撫でるように斬り裂いた。霧のような赤い飛沫が跳ねて、緑の皮膚に深緋の裂傷か刻まれる。だがそれは致命傷には程遠いものだ。擦り傷と言えるだろう。そして、ギルスの目前には隙を晒した粗末な雁首がある。思考よりも闘争心が四肢を急かす。

 ギルスは即座に足を入れ替える。(ジャガー)はまだ斬撃の余韻に手を止めざるを得ない状態。畳み掛ける絶好の機会(チャンス)。二足の重心を操作し、最も殺傷に長けた向心力を瞬時に算出する。敵が回避の初動に移った。だが、逃さない。

 

「■■■ィィッ‼︎」

 

 十八番の転身脚(バックスピンキック)が豹の頭を叩き殴るかのように炸裂した。首が捻れ回るほどの壮絶な威力を孕んだ蹴撃に真紅の(ジャガー)は抵抗の(すべ)もなく背後の先にある金網のフェンスまで吹き飛ばされる。

 フェンスの先には薬品工場の敷地に収まる巨大な駐車場がある。そこに自家用車らしき影はない。今は企業のロゴが掘られた社用車や大型のトラックだけが数台停まっているだけだ。不確定要素に気を巡らせる必要はない。

 フェンスに衝突したまま背中をだらりと預ける(ジャガー)の剣士。

 追い討ち──は、できない。

 ギルスは残心も(まま)ならぬ忙殺の渦中にいる。

 敵意が急接近する鋭い気配を知覚していた(ギルス)は攻撃の寸前で脚部に加える荷重を削減し、およそ八割まで威力を抑えて撃ち放った。苦渋の判断であった。上手く食い込めば、狩れたかもしれなかったが──そうでもしなければ、今度は自分が隙だらけの背中を敵にくれてやることになる。

 爪先で路面を削るように腰を落として、垂滴の拳を握り締めた。

 (ジャガー)の青い剣士が背後から迫り、次の瞬間には両者の攻撃が虚空に炸裂していた。青白い光芒が交差して閃く。ギルスの頬に冷刃が添えられ、ロードノイズの顎下には拳が静止する。

 双方は同時に睨み合いながら地を蹴り、跳ぶように後退を選択する。

 

(……ウザいな)

 

 仮面の奥で津上翔一は小さく舌打ちをした。

 お世辞にも万全とは言い難い肉体の過酷な状態。耐久性の欠落は立ち回り次第でどうにでもなるが、破壊力に直結する筋力の低下だけは無視できない。大半の器官が機能を損なうギルスの身体的衰弱はこれ以上ないほどに厳しい戦いを翔一に強いていた。

 このままでは何の解決にもならない。泣き言ばかりが目立つ思考を切り捨てるように整理する。

 

(二匹の実力はほぼ同格。似たような動き方。所々に見受けられる癖や咄嗟の判断も酷似している。同一の個体として認識していい。基本スペックはまあまあ高い。少なくとも今の俺よりかは上だろう。今まで討ったモドキの中でも五本の指には入る。立ち回りをミスれば筋力(パワー)で押し切られて簡単に終わるだろう。かといって悠長に遊んでいるわけにもいかない)

 

 キツいな、と悪態をつく。

 

(赤い方は今はノびてるとはいえ、どうせすぐに動き出す。どっちか片方を先に始末しようにも嫌なタイミングで横槍を入れてきやがる。二対一のアドバンテージ。同時ではなく交互に攻めることで互いの動きを阻害することなく、一方的に此方へ負担を強いることができる)

 

 両足がアスファルトの上を滑り、摩擦によって静止した。深青の(ジャガー)もまた制動を終えた。両者にとって余裕のある間合いだが、油断のできる距離でもなかった。接近(いこ)うと思えば二歩で潰せる。絶妙な距離間が両者の神経へ安易に踏み込めない空気を匂わせる。

 

(何にせよ攻撃的な姿勢じゃない。やろうと思えば最初から(くび)を狙えたはず。どちらかといえば保守的な戦法(やりかた)だ。こっちの消耗を待っているのか。堅実に勝ちに行くタイプか。律儀なヤツだ。どのみち活路はここにない。だったら無茶を承知で──……!)

 

 肺に溜まった血色混じる空気を吐き捨て、奥歯を喰い縛りながら屈伸による跳躍めいた乱暴な急接近をギルスから仕掛ける。

 相対するように深青の(ジャガー)も剣を振り上げて接近を開始。路面を荒く削る互いの足底が交差して、次いで両者の一撃がぶつかり合い空間を震撼させる。

 

(死ぬ気でぶつかれェ──ッ‼︎)

 

 そのまま獣と豹は絡み合うように肉薄した。

 瞬間的に音速の領域へ到達した拳と剣は激しい円舞曲(ワルツ)に身を委ねるが如く互いの位置を奪い合いながら殺伐とした暴力の応酬を繰り広げる。弾かれ、防がれ、それでも貪欲に喰らいつく。一歩たりとも退くことを許されない肉弾戦は天井知らずに世界の速度(ギア)を加速させる。

 呼吸すら(まま)ならぬ超至近距離による熾烈な攻防。

 先に折れたのは──ギルスであった。

 青天井と化した加速のデッドヒートはギルスの摩耗した肉体に尋常ならざる負担を強いる。それは次第に筋肉の悲鳴へと変わり、翔一の感覚神経を過敏に刺激した。

 その結果として、拳のスピードは減速を余儀なくされる。

 攻撃の甘さは死に直結する。

 悩む暇はない。

 翔一の思考は攻撃を捨てることを即決した。頭と体を防守する西洋式ボクシングスタイル。爪先によるステップを用いて敵の隙を窺う。あくまで防御を優先。敵のスタミナが尽きるまで耐え抜くしか道はない。

 対する(ジャガー)はギルスが戦闘態勢(バトルスタイル)を変えたその意図を感覚的に汲み取ったのか、拍車を掛けて鋭く攻め立てる。膨れ上がるように速力を増す斬撃はギルスの思惑を容易く打ち壊した。

 

 両腕を駆使した防御(ガード)は辛うじて追いついているが、動作の細部に滲んだ苦しさは隠しきれない。

 焦燥感に急かされるようにギルスは拳を握った。幾度となく颯然と振われる(つるぎ)の軌道を完全に予測して、腰部の僅かな動きだけで回避する。空振りを続ける(ジャガー)の位置は自然と近接する。防御(ガード)を取らない裸の顔貌がすぐそこに見える。

 ここしかない──タイミングを見計らい、ギルスは起死回生の拳打(ストレート)を放った。ノックアウトが狙える会心の瞬間。しかし衰弱した筋力は彼の想像を超えたデメリットとして表に現れていた。

 遅い──というよりも、力が入りきらない。

 深青の(ジャガー)(ギルス)の拳を苦もなく(かわ)してしまう。己の悪手を埋め合わせるように()かさずギルスは蹴撃を打ち込むものの、片腕の膂力で強引に受け止められてしまう。

 見誤った、とフィジカルの差を恨む時間すら残されていない。

 ガラ空きとなった深緑の胸部に向けて剣の柄頭が叩き込まれる。至近距離から痛恨の打撃を食らったギルスの意識は途端に白ずみ、圧迫された気管支から嗚咽のような獣の苦悶が漏れた。

 

 混沌とした意識が視界を揺らす。狂酔した白濁の景色に脳が襲われる。

 ぐったりと肩を落として退き下がる(ギルス)を逃すまいとロードノイズは追撃の手を休めることなく怒涛の猛攻に転じる。指揮棒(タクト)を激しく振るうように豹の剣士は弱り果てた獣を追い詰める。

 不安定な足取りのまま半ば無意識に後退するギルス。視覚が回復しても尚、翔一の自我は覚醒とは程遠い朦朧とした状態であった。気絶の一歩手前。半透明な有意識。それでも──本能は生きている。

 それは本能的なものに相違ない。後天的な反射運動に近い。命あるものならば誰しもが持つ力。

 ()()()()

 意識すら儘ならない苦境の中で、ギルスは察知能力による究極的な反応で激烈の打ち込みに対応していた。目に見えない殺気を第六感で捉え、幾千と繰り返してきた動きを()()()()

 しかしそれらはあまりにも危うげな挙動で、勝機が何方(どちら)に傾倒しているか、誰の目にも明らかであった。

 それでも必死に戦っていた。

 津上翔一の意識が無くとも、ギルスは戦っていた。

 

 何の為に……?

 

 この不可解な事象を唯一目にした少女は悟る。茜色の少女だけは悟ってしまう。

 

 そうだ。きっと。

 

 (ギルス)は、()()()()んだ──……。

 

 

***

 

 

 白色の縞馬(ゼブラ)青銅の蛇(ネフシュタン)の装甲に拳を突き立てた。

 完全聖遺物たる蛇鱗によって編まれた鎧はロードノイズの攻撃に対しても鉄壁と言える耐久性を誇るが、接触時に発生する凄惨な衝撃は殺し切れるものではない。《ネフシュタンの鎧》を纏う少女の顔に悲痛を噛み締めるような影が生まれた。

 

「ゔッ……ぜぇんだよ、ウマ面ヤローッ‼︎」

 

 紫水晶(アメジスト)の鞭を手繰(たぐ)って接近した縞馬(ゼブラ)を引き剥がす。後方から迫る黒の縞馬(ゼブラ)には双鞭を振り回して牽制。二体のロードノイズは軽快なステップで一先ず後退する。

 雪音クリスは白と黒の縞馬(ゼブラ)たちを睨みつけながら、地獄絵のような戦場に木霊(こだま)する不相応な歌声の方向に耳を傾けていた。

 立花響も戦っている。

 もはや目視で確認はできないが、四方を埋め尽くすノイズの大群を相手に、我武者羅に拳を握っているに違いない。

 

(気に入らねぇ……! どいつもこいつも……!)

 

 人類の天敵たる災害(ノイズ)を操ることができる完全聖遺物《ソロモンの杖》を所持する雪音クリスにとっても、今の状況は望んだものではない。《ソロモンの杖》の力によって召喚したノイズ。それを遥かに上回る量で自然発生したノイズ。加えて、それと共に現界を果たした強力なロードノイズたち。不測の事態が重なり合い、収拾がつかない泥沼の戦地と化した薬品工場の敷地内でクリスは苦悩していた。

 雪音クリスには課せられた任務がある。

 それは特異災害対策機動部二課の本部にて厳重に保管されていた《サクリストD》と呼ばれる完全聖遺物を武力によって強奪する──ことではない。

 

 不滅不朽の性質を持つ奇蹟の剣──《デュランダル》の起動こそが彼女の目的である。

 

 その為には、撃槍(ガングニール)の適合者である立花響が必要不可欠であることを雪音クリスは彼女の主である人物から聞かされていた。理由はよくわからない。()()立花響には歌の力を最大限に引き出せるポテンシャルがある──と、(にわか)には信じられない話を聞かされたクリスは納得できないまま、ここまで来てしまった。

 

(あんな如何にも弱そうな……何の穢れも知らなさそうなヤツが……アタシよりも上だって言うのかよ……!)

 

 聖遺物の起動に必須である要素──それは〝フォニックゲイン〟である。

 フォニックゲインは未知数のエネルギーと呼ばれている。人間(ヒト)の声が紡ぐ〝歌〟によって自然的に発生し、その〝歌〟を受動する聴取者にも発生する神秘の力と言わざるを得ないエネルギーである。

 有識者はフォニックゲインの性質を〝生命の息吹〟と語っていた。草も土も海も風も──生きとし生けるものは微量ながらも絶えず鼓動している。それが自然界のフォニックゲイン。オルタフォースによって造られた生命の息吹。

 聖遺物を永き眠りから覚醒させる唯一の鍵がそれであり、その力を最も多く生み出すことができるのは立花響であると云うのだ。

 風鳴翼でもなく、天羽奏でもなく、雪音クリスでもなく、立花響が適任である、と──……。

 

(アタシの力じゃ無理だって言うのかよ、フィーネ……!)

 

 表情に悔恨を滲ませたその時だった。

 二体の縞馬(ゼブラ)がその隙を突くようにクリスへと急接近を仕掛ける。一拍遅れて青銅の蛇(ネフシュタン)の双鞭を振るうものの、黒色の縞馬(ゼブラ)には両腕で防がれ、白色の縞馬(ゼブラ)には伸身する躯体にひらりと避けられてしまう。

 そのまま目前まで迫ったロードノイズ。

 クリスは咄嗟に身構え、迎撃の態勢を整えようと重心を落とした直後──。

 

「んなッ」

 

 白色の縞馬(ゼブラ)はクリスの頭上を飛び越えて、そのまま脇目も降らず明後日の方向へ走り出した。

 あれほど執拗に青銅の蛇(ネフシュタン)へ攻撃を続けていた縞馬(ゼブラ)が豹変したかのようにあっさり標的を諦めるとは考えていなかった。何が起こったのか理解できずに瞠目するクリスだったが、突然稲妻が走ったかのような閃きを得て我に返った。

 あの方向は間違いない。

 今も尚、燦々と響き渡る少女の歌声が何よりの証拠である。

 

「テメーらもアタシじゃ不満だって言うのかよ!」

 

 痛憤に晒されたクリスは白の縞馬(ゼブラ)の背中を追いかけようとしたが、敢えなく黒の縞馬(ゼブラ)に行手を阻まれる。

 

『AGITΩ no hadou horobi no yochou』

「あァ⁉︎」

『anzuru na omae mo sugu ni kieru』

「……っ‼︎ そんじゃあやってみろよ、木偶の坊ォおお!」

 

 雪音クリスと黒の縞馬(ゼブラ)が激突する。

 時を同じくして。

 白の縞馬(ゼブラ)と対峙した立花響は今まで感じたことのない情動に頭を混乱させていた。()せるような呼吸と尋常ではない動悸。休むことなく無我夢中で戦い続けた彼女の身体は石のような固さを錯覚させるほど困憊していた。

 疲れ果てたといえばそうなのだろう。

 だが、戦いを止めるという選択肢は最初(はな)から抜け落ちていた。

 目の据わった響は鬼気迫る表情を崩さない。集中力が極限的に増した末に一種の興奮状態が彼女の意識を支配していた。一挙手一投足に至り今までとは別人のような武闘の巧者めいた動きをする。それが誰を模倣しているかは語るまい。

 響の心理に色濃く残る戦士の姿──その魂に宿るように拳を握る。

 もはや今の響には己が口ずさむ歌にすら意識を留めることはない。それどころか歌唱していることすら忘れている。

 無我の境地。

 その一端とも言える精神状態は決して正気と呼べるものなどではない。ただ一つの情念に固執する者が他の全てを捨て去る破綻の心をどうして正気と呼べるのか。

 

 立花響はただ焦っていたのだ。

 まだ見えない。まだ聞こえない。

 なのに感じてしまう。感じてしまうほどに鮮明に。

 

 その背中は少女の脳裏に刻みついていた。

 

(私がやらなきゃ……私が戦わなきゃ……私が勝たなきゃ……!)

 

 過剰な強迫によって押し潰されそうな少女の心が溶けていく。

 

(いつだってそうだ。いつもそうだった。負けそうな時、挫けそうな時、いつもそばにいてくれた。いつも駆けつけてきてくれた)

 

 どくん、どくん、と胸が異常な高まりを鼓動する。

 

(だから来てしまう。また来てしまう。()()()()()仮面ライダーが……ッ‼︎)

 

 その時、()()()と何かが弾ける音がした。

 どこからともなく、ただ少女の祈りに応えるように。

 

 望んだ力を与えんと──……。

 

「なに、これ……」

 

 錆びついた(つるぎ)が立花響の眼前に突き刺さった。

 

 

***

 

 

 防戦一方の危機に陥ったギルスは狭い路地へ追い詰められる。

 行動を否応なく制限される窮屈な道幅にもかかわらず、(ジャガー)は一切の遠慮なく片手で剣を振り回す。下段から閃く鋭い剣光に身を退いて避ける(ギルス)の目には斬り裂かれた室外機の中身が見えた。

 敵にとって狭さは関係ない。不利な条件は一方的に此方が負担している。

 行手を阻む有象無象ごと叩き斬らんとする苛烈な斬撃を前にして(ギルス)の本能が今こそ接近すべきだと路面を蹴り上げた。上段から振り下ろされる(ジャガー)の剣を視認した(ギルス)はフェイントの動作を混ぜた跳躍じみた助走を用いて、路地の壁を文字通り疾走する。回避と接近の両方を同時に行える壁走りは青の(ジャガー)にも予測できず、反応が遅れた末に背後を取られてしまう。

 そのままロードノイズの背中に飛びかかるギルス。

 両者は揉み合うように転がり、躯体の節々を傷つけながら路地の奥へと進んでいく。

 

「■■ッ‼︎ ■■■ォ‼︎」

『koitu……!?!? hanase!!!?』

 

 ついに青の(ジャガー)が組み伏せんとする(ギルス)の腹部を片足で蹴り上げた。引き剥がされた深緑の猛獣は体幹のバランスを崩し、直立できないまま背を預けるように壁に張り付いてしまう。

 素早く立ち上がった(ジャガー)は剣柄を握り締めた。

 そこでようやく津上翔一の意識は平静を取り戻した。

 己の身に起きた驚愕の体験。しかしそれも目前の景色に比べれば些か劣る。膝が笑って上手く動けない。状況理解と打開策──脳漿が焼き切れるような思考速度で起死回生の一手を探る。

 (ジャガー)の青い剣士は刺突の構えでギルスの頭部に狙いを定めた。

 剣尖が描くであろう軌道(ライン)を瞬間的に目視で把握した翔一は崩れ落ちるように横転して回避を試みる。コンマの時間差。(ギルス)の頭があった壁へ吸い込まれるように雷光めいた白刃が突き抜けていった。

 肝を冷やすような安堵も束の間──反対方向から戦線に復帰した真紅の(ジャガー)(ギルス)の首を斬伐せんと大股で駆け寄ってくる足音が鳴り響いた。

 射程圏内に踏み込まれたギルスは直立も儘ならぬ苦渋の態勢である。顔を歪めながら翔一は視覚と聴覚に集中。タイミングを計る。そして砂埃を被りながら大きく前転し、真紅の剣士が繰り出す袈裟斬りを間一髪で躱してみせた。

 標的を失った刃は薬品工場に繋がる大筒のようなパイプを粘土のように斬り裂いた。その途端パイプの切り口から蒸気のような白煙が飛び出して辺り一帯に散漫する。

 

 息継ぐ暇もなく手甲で地面(アスファルト)を殴り、両腕に負担を掛けながらも起立したギルスは左右に忙しなく目線を動かして、二体のロードノイズの動向を注視した。

 (ジャガー)の剣士たちは(たぎ)るような殺気を脚力に変え、脆弱と化した(ギルス)に向かって疾走している。

 戦況は大きく動いた。(ギルス)の底は知られてしまった。(ジャガー)たちは防戦を捨て、確実にギルスの息の根を止めるべく攻めに転じたのだ。

 

 右はフェンス。左は工場。前方には敵。後方にも敵。道は大型車両が一台通れるだけの狭さ。

 腹を括るしかない。

 翔一は闘争の炎に息を吹きかけるように、ゆっくりと拳を解いた。

 

 まさに阿吽の呼吸に相応しい激甚の剣戟がギルスを襲った。僅かにタイミングを()らして斬りかかる二体の(ジャガー)。ロードノイズが駆使する剣術は回避の挙動に制限を強いる卑しい太刀筋に変わっていた。ギルスは回避の一択に行動を絞られる。防御(ガード)はできない。少しでも動きを止めれば骨ごと斬られる確信が翔一の神経を細く尖らせる。

 窮地に等しい戦局。

 死神の足音が聞こえる。

 耳朶に反響する風を斬り裂く殺刃の音色がいつ肉を断つ旋律へ変わるのか──加速する意識の裏側で朦朧(ぼんやり)と考えていた。

 死が隣りにある。

 手を伸ばさずとも指先に触れる位置に、(あまね)く生命が恐れて然るべき〝死〟が我が物顔で居座っているではないか。

 

 〝(おわり)〟がそこにいる。

 

 それが彼にとってはこの上なく甘い誘惑に聞こえてしまう。

 

『todome da GILLS!!!!』

 

 どれほど楽なのだろうかと考えてしまう。

 どれだけ苦のない選択なのだろうかと考えてしまった。

 それに比べて、今の自分は如何に惨めで醜いか──考えて、考え続けて、考え続けたその果てに、何となく笑った。笑うしかなかった。笑えば少しだけ赦されるような気がした。

 

『nemure tokoshie ni!!!!』

 

 馬鹿だなあ、俺は。

 

 生きることを選んだのは俺なのに。

 

 苦しむことを選んだのは俺なのに。

 

 選んだことすら忘れようとしている。

 

『na……?!?!』

 

 意識の裏側で渦巻いていた心理の唾棄がギルスの手足を無意識に動かした。それは何かに取り憑かれたかのように俊敏で、機械のように精細な手捌きで音速の白刃を完璧に()なす。

 それも一度のみならず。

 赤と青の(ジャガー)が繰り出す剣戟の嵐を掌底で振り払うように防ぎ、明鏡止水に至るが如く最小限の運動量で(ノイズ)の猛攻に対応する。

 底知れぬ異変を察知したロードノイズは左右に別れてギルスへ斬りかかる。だが、これも斬撃の軌道を(あらかじ)め知っていたかのような動きで回避される。ならば今度は前後から──位置を変えて執拗に挑戦する(ジャガー)に対して、翔一は沈黙の視線にのみ答える。

 

 ──もう見切った。

 

 (ギルス)を取り囲むように攻撃を続けるロードノイズ。

 再び握り締められた拳にすら気付かずに(いたずら)な疲労を重ねる(ジャガー)たちの腹部に鋭い一撃が(ほとばし)る。

 ()()()と骨身が軋むほどの凄惨な鉄拳が躯体に食い込んだ。

 それはロードノイズにとって予期せぬ反撃だった。虫の息と化した獲物を窮追したと笑っていた(ジャガー)たちは己の浅はかな思慮を恨んだ。

 (ギルス)は息を潜めて機会を窺っていただけに過ぎなかったのだ。必ずや訪れるであろう小さな勝機に喰らいつくためにエネルギーを温存し、二体が同時に隙を見せる瞬間を虎視眈々と狙っていた。

 左右同時に炸裂した鉄槌の如き妖拳は二体の(ジャガー)に重厚なダメージを刻み込んだ。(ジャガー)の剣士たちは蹌踉(よろ)めきながら足を引きずるように後退する。

 

『gg……gGaaaa!!!?!』

 

 ピタリと動きを止めた深青の(ジャガー)が執念めいた凄まじい威迫で負傷を圧殺した。(からだ)の内に秘めた力を振り絞るように裂帛と共にギルスへ突進する。

 対してギルスは手練れの闘牛士のように難なくひらりと躱した。だが(ジャガー)も諦めない。畳み掛けるように剣を振り翳す。しかし疾風と一体となった縦拳で斬撃は封じられてしまう。

 ギルスは手隙の腕で青の(ジャガー)の肩部を掴んだ。小さな吐息が装甲板(クラッシャー)から漏れ出す。足払いと共に一瞬の浮遊感に襲われ、深青の(ジャガー)は投げ飛ばされた。

 受け身を取らせない殺人的な投げ技は(ジャガー)の後頭部をアスファルトに容赦なく叩きつける。ぐしゃりと肉が弾ける音が響く。人間ならば即死。だが敵はノイズ。この程度で死んでくれるはずもない。

 息の根を止めるべくギルスは寝技を掛けようとするが、態勢を整えた真紅の(ジャガー)がそれを許さない。

 深緑の鎧を貫穿せんと豹の剣がギルスを突いた。

 しかし鋼の刀身は血に濡れることなく空を切る。

 もはや、こうなってしまえばギルスの方が圧倒的に(はや)い。脇下でがっちりと挟まれた(つるぎ)の刀身をギルスは手刀で叩き折った。そのまま赤の剣士の胸部に激烈の発勁を叩き込む。半歩のみ退く(ジャガー)。絶妙な距離が開けた。柔軟な関節を駆使してギルスは躊躇いなく赤の(ジャガー)上段蹴り(ハイキック)を叩きつける。それも一発ではない。足を入れ替えることなく体軸のみを移動させ、顎部目掛けて思いっきり蹴り上げた。

 

「■■■■■ァァッ‼︎」

 

 二撃もの蹴り技を受けて吹き飛ばされる赤の(ジャガー)はゴミ袋やダストボックスにぶつかり、屑物を散乱させながら路上を転がった。立ち上がろうとその場で手足を(うごめ)かせるものの、力が入らずぐったりと横になった。

 暫しの静寂──残心の刻が訪れる。

 穏やかな風の音がギルスの冷血な神経を優しく撫でる。生き残ったという感覚はない。まだ戦いは終わっていないのたから。

 やがて狭隘な一本道で無様に地を舐める二体のロードノイズは屈辱的な憤慨を露わにした。二体とも戦意を喪失したわけではない。煮え滾る憤怒は健在である。

 

『nannda koitu ha ??? osore sura ushinatta noka ???』

『tatakai no tame ni umaretekita aware na yatu』

『GILLS GILLS GILLS』

『horobiru dake no seimei !?! kuite shine imasugu!!?』

 

 (いびつ)な音が辛うじて言語の(てい)を装った罵詈を口走る(ジャガー)たったが、津上翔一の感情が揺れ動くことはない。ただ一人恐ろしいほどの沈黙を貫き、臨戦の構えを(ほど)くことなく二体の豹が立ち上がる瞬間を待ち受けている。

 ふと思う。

 心が平静であるのは何故だろうか。

 彼の中に住まう少女が戦いの行末をじっと見守ってくれているからだろうか。

 それとも、終わりを悟った人間の心理とはこのようなものなのだろうか。

 何にせよ理解の必要はないだろう。拳の感覚が完全に消え去る前に決着をつける。今はそれだけに集中せねばならない──と、己が指針を再確認した時だった。

 

『he×=ll^^o*€a÷n*%:db°y÷e#』

 

 ゆっくりと──あるいは()()()とそれは現れた。

 

『de◎a::r*m¥>y″△n◇±+e⇔■me<<s≡\\is』

 

 黒い豹だった。

 (いにしえ)の祭服に身を包んだ黒い豹は権杖を手にして、薄らと気味の悪い笑みを浮かべていた。引き締まった躯体は女性のような肉付きを帯びていて、これまでの災害(ノイズ)とはどこか異質な印象を受ける。

 ゆっくりと歩み寄る黒豹の神官。

 正面から堂々と。

 手下の(ジャガー)を退いた(ギルス)に臆することなく。

 

 まるで女王のような力強くも余裕に満ちた歩みのまま権杖を構えた。

 

「…………■ァ」

 

  空気が一瞬にして凍結したような理解し難い緊張感が駆け巡り、津上翔一は弱々しい溜息を吐いた。

 

 ──コイツは俺がやらなきゃいけない。

 

 確信に近い直感があった。

 

 ──俺が戦った中で、たぶん一番強いヤツだ。

 

 ギルスは指先の感覚が無くなった手をもう一度だけ握り締めた。




バトル描写長すぎィ⁉︎と思いますけど、こーゆーオリ主ライダー小説が一つぐらいあってもええやんの精神で書いてます。つまりまだまだやるよ。許して下さい。なんでもしますから(なんでもとは言ってないけど感想は待ってるZE☆)

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