仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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制御不能なラスボス系ヒロイン。


♭.俺は暴走するかもしれない。

 影に包まれた少女の荒ぶる心音がその一瞬だけ固まったような気がした。

 獰猛な獣のように繰り返されていた吐息の鳴動が冷たい雨に打たれる子猫のようなか細いものに変わっていく。積み上げられた何かが前触れもなく崩れ落ちるかのような現実を前にして、彼女のストレスは限界を迎えた。

 意思疎通は不可能と思われていた少女の黒く霞んでいた本心が浮き彫りとなって、拒絶と動揺に首を振り続ける。

 

 ただ、魔剣の柄だけは手離さない。

 不朽の剣(デュランダル)は立花響を譲らない。

 

 何か別の力が働いている。外部からの干渉を受け付けない非物質的な力の脈動。人智及ばぬ神秘の技術(オーバーテクノロジー)。それが少女の不安定な意識を糸で絡めて弄んでいるのではないだろうか。

 彼女を苦しめる破壊の衝動とは、自己を死守するために機能する他の否定に過ぎない。人間は常々そうやって、他者を貶して自身の尊厳や立場を保とうする。特段珍しいものではない。誰であれ等しくそれを胸に抱えて生きている。それ自体が異常とは言い難い。

 心の何処かで芽吹いたその小さな衝動が膨れ上がって暴走してしまった結果が現状(これ)なのだろう。意思の肥大化。あるいは感傷の増殖。小さな疼きが大きな歪みに変えられた。手に余る感情の暴風雨を立花響は制御(コントロール)できない。

 

 では、立花響の純心を揺さぶり、狂気と暴力の獣へと変えた主犯者は誰か──……答えは難解なものではないだろう。すぐ目の前にある。聖遺物とは、無から何かを生み出すのではなく、有を増幅させる媒体と考えれば、彼女の握る()()原因(こたえ)だと辿り着く。

 

 だったら……ここから……どうしようか……。

 

 困ったなあと片腕を失った男は薄れゆく意識を引き摺るようにして、熱のない頭を捻って考えようとした。だが、驚くほどに何も浮かばなかった。どうやら血が足りないらしい。視界も狭まってきた。世界が深い海の底へと落ちて、(すべ)てが重く遅くこの身にのしかかるような感触に意識を持っていかれる。

 幾度も経験した死の呼び声が聴こえてきた。

 彼の魂に縋りつく得体の知れない亡者たちは歓喜に喉を震わせる。待ち望んだ終焉。地獄に等しかった現世との別れ。彼にとって死は解放を意味する。望まぬ生に呪縛され、死に急ぐように戦い続けた無辜の魂はここでやっと終わりを迎える。

 

 そう。終わるのだ。

 この世界で目醒めて、彼が最初に望んだもの──〝死〟によって。

 

「………………」

 

 どこか見覚えのある異世界で目を覚ました記憶喪失の男は一晩考えた末に自殺を試みた。そして失敗した。誰に止められたわけでもない。何かの不都合が起きたわけでもない。単純に男は自殺に失敗したのだ。

 男の中にいた三体の熾天使はその自殺に対して何の行動も起こさなかった。目醒めたばかりで名前すら持たなかった男が自己の境遇を危惧し、自身の感情を排斥して早々に命を絶つべきだと判断しても尚、天界の使徒は何の啓示も男に与えなかった。

 それもまた一つの道である、と──彼等は男の自殺を見守っていた。

 ただ、もし、生きることを選ぶなら──……。

 ビルの屋上へと登り、転落防止の柵を飛び越え、眼下に広がる見知らぬ世界と蟻のように忙しなく行き交う雑踏を見下ろす。知っているようでまるで知らない風景。記憶は無くとも、ここではないどこかの似たような街で、なんてことのない人の顔をして、なんてことのないことで笑って、自分は生きていたのだろう。

 だから、ここに自分の居場所はない。あってはならないのだ。命は一度であるべきだ。如何なる理由があろうとも命の価値は淘汰されてはならない。ただ一度の人生だからこそ、人は懸命に生きようとする。命あるからこそ、人は誰かを愛そうとする。

 

 だから、その倫理から外れた自分は、きっと人には戻れない。

 

 あと一歩踏み出して、何も知らないまま、何も無いまま、さっさとこの命を終わらせてしまおう。

 

 死の恐怖は皆無だった。足は震えてすらいなかった。命の執着に乏しいこの身が破滅を望んでいる何よりの証拠であった。それは疑いようもない真実であり、男の中に迷える虚弱な心は一片も存在していない。

 ここから飛び降りて、骨も肉も砕け散って、彷徨える魂は黄泉へと戻って、自分の命ごとすべてを無かったことに──……できなかった。

 

 できなかった。死ねなかった。

 

 誰かが男の足を掴んで離さなかったから。

 

 その誰かは誰でもなかった。何もそこにいない。何もいるはずがない。なのに、男の眼には無数の腕が男の足にしがみついているように見えてしまって、もうどうしようもなかった。男の死出を決して認めない亡霊たちの腕。その一本一本は恐ろしいほどに力強く、死に向かうことに戸惑いを持たない男の足をがっちりと掴んでついに離すことはなかった。

 もし仮に、この亡者たちの腕が男の記憶から抹消された前世の残滓とも言えるものならば、これは死んで楽になろうとする男を赦さない呪縛(のろい)の権化であるのだろう。

 

 生きて苦しめ──そう告げられたような気がした。

 

 だから、戦うしかなかった。

 いつか戦いの中で朽ち果てるその時まで、男は血潮巡る闘争の輪廻に身を委ねるしかない。誰の為でもなく、何の意味もなく、ただいつか死ぬ為に戦う。

 ()()()とは程遠いあまりに虚しい死に方を男は望んでいた。

 

 そんな時だった。

 まだ名前すら決めていなかった男の上に、お人好しな少女が落ちてきたのは──……。

 

「………………ふぅ」

 

 血だらけの肺臓で痛ましい呼吸をする。

 思えば、あの日、この子と出会わなければ、自分はここまで頑張ることはなかっただろう。

 あの向日葵(ひまわり)のように明るく華やいだ笑顔が、記憶の海から葬り去られた大切な……大切だっだものを思い出させてくれた気がして……。

 

 そうして、男はたった一つの望みを捨てて、津上翔一という人間になることを選んだ。生きて背負うことを選んだ。死ぬ為に戦うのではなく、命尽きるまで生きる(たたかう)覚悟を胸に抱いた。

 せめて、この手でも守れるぐらいのちっぽけな幸せを守ってみよう。この子が笑っていられる居場所ぐらいは守ってみよう。

 津上翔一はそうやって仮面ライダーを受け入れた。痛みと苦しみに溢れる茨の道を突き進んだ。虚無に等しい伽藍堂の自分が誰かの苦しみを代わりに背負ってやれるなら、そのまま地獄まで持っていけるなら、こんな紛い物でも存在意義があったと笑っていけるような気がして。

 

 でも、ダメだなこれ……もっと悲しいものを……置いていっちゃうな……。

 

 いずれにせよ、この命が死にゆくことに変わりはない。結末は死の壁で閉ざされてしまった。己が最も欲していたはずの死によって、何もかも途絶えてしまった。

 だったら、最期に無策を掲げて衝動的にやるしかない。決断は早かった。悠長に残された時間など、この命からは一滴すら絞り出せはしないだろう。どれだけ考えようと、どれだけ悩み抜こうと、今の自分に最善の選択を手にすることはできないのだから。

 

 なにかも全部、最後にかなぐり捨てる。

 

 そして、自分の魂にだけ従おう。

 

 この胸の中にある魂を、最期に信じてみよう。 

 

 この世界で、確かに生きていた()()()()という男の魂に。

 

 すべてを賭けよう。

 

「響ちゃん」

 

 たった一本になってしまった腕を伸ばして、突き立てた魔剣をさらに奥へと押し込もうとしている影の少女を強引に抱き寄せる。

 

 ギルスではなく。

 

 ()()()()として。

 

 少女にかけられた呪いを一つだけ、もらっていく。

 

「そんな怖い顔してちゃあ、もったないよ。響ちゃんは笑顔が一番似合ってんだからさ」

 

 (ギルス)の超常的な権能は殆ど()()()()()()。筋肉は(ほど)けるように萎縮し、臓器は冷たい肉塊へと変わる。細胞は緩やかな崩壊を開始し、まともに機能しているのは声帯だけの状態。しかも、それは超因子(メタファクター)がこれ以上(ギルス)の姿を保てず、意思とは無関係に変身を解除しようとしているだけに過ぎない。今のギルスには立花響から不朽の剣(デュランダル)を引き剥がす余力は到底残されていない。

 壊死した臓物から止め処なく迫り上がってくる血液で口内が満たされる。血を吐けばそれだけで意識が切れてしまうような気がして、翔一は咽せないように口角から溢れ出た血を少しずつ装甲板(クラッシャー)の隙間から地面に垂らした。

 

 舌が正常に動いているかさえわからない。確かめる(すべ)もない。今はただ死力を尽くして言葉を繋ぐだけ。

 

「俺さ……あの時、響ちゃんに会ってなかったら、たぶんとっくに死んでたよ。なんにも持ってなかった外側(ガワ)だけの怪物をさ……一丁前の人間にしてくれたのはね、響ちゃんだったんだ」

 

 言葉一つで命が擦り切れるようだ。全身の痛みが消えて、目がいよいよ何も映さなくなった。

 

 遠くなる。遠ざかる。この腕の中にある熱さえも。

 

 それでも、津上翔一の魂は──……俺はまだここにいる。

 

「ありがとう、響ちゃん。俺に生きることを選ばせてくれて」

 

 黒い闇に染まった少女の肩が小刻みに震え始めた。

 (ギルス)は凍えた背中を優しく何度も撫でるように(さす)る。そこに荒れ狂う暴威を見せつけてきた(かつ)ての堕天の獣(ネフェリム)の面影は無く、少女もまた噓のように大人しくなってしまった。

 ここにはもう獣はおらず。

 人間(ひと)人間(ひと)を想う心だけが息吹く。

 

「■ょ■……■ち……さ……ん……?」

 

 不安と恐怖が渦巻く少女の細く削がれた声。今すぐにも泣き出してしまいそうな震える声色は影に呑まれているはずの立花響の唇から紡がれていた。

 

「ゆめ……だよ……ね……? だって……こんなの……私は……イヤ……だもん……」

 

 ()()()と大きな雫が金色の魔剣の上で寂しく跳ねる。

 

「守りたくて……離れたくなくて……だから、がんばって……がんばったのに……なのに……どうして……」

 

 立花響が運命の鎖に絡まれて、天羽奏から引き継ぐように撃槍(ガングニール)の装者となって、弱音の一つも見せずに今日まで戦い続けてきたのは、その先に彼女の目指したものがあったからだ。

 最初はただの憧憬に過ぎなかった。能天気を絵に描いたような気の抜けた笑顔が好きだった。悲しいことがあれば一緒に泣いてくれて、嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる。人の心に寄り添って生きる青年の生き方が、響の目には何よりも美しく見えた。

 私にもできるだろうか。願わくば、いつか隣に立って、同じ道を同じ歩幅で歩んでみたい。一人で背負えないものを一緒に背負って生きてみたい。

 そんな願いが彼女の原動力の一端を担っていた。

 

 だが、それはもう永久に叶うことはない。

 

 すべてが夢のように消えてしまった。

 

「そうだね。夢だよ。きっと、最初から、悪い夢だったんだ」

 

 子供をあやすような柔らかい語りかけと一緒に少女の背中をぽんぽんと叩く。すると、黒く澱んだ緊張の空気が漂白され、次第に(ほぐ)れていくように、呪縛めいた立花響の異常な握力が急激な弱まりを見せた。

 立花響の中に大きな変化が(もたら)された。怒りや苦しみに勝る途方もない悲しみが彼女に芽吹いた巨大な闇を洗い流す。立花響の深層に突如として生じた黒い衝動は完全に剥がれ落ちた。その結果、不朽の剣(デュランダル)の絶大なる束縛効果が薄れていった。

 (ゼロ)にどれほど巨大な数字を掛け合わせたとしても(イチ)には覆らない。0は0のまま変わることはない。根を失った花と同じである。後はもう散るだけ。

 

 不朽の剣(デュランダル)はもう立花響を縛れない。

 

 もはや、響は剣を握ってすらいなかった。両手を柄に添えているだけのようなもの。それでも不朽の剣(デュランダル)から一向に離れようとしないのは彼女の深層意識がまだ不朽の剣(デュランダル)との繋りに囚われたままなのか、彼女はそれ以上動くことはなかった。

 どのみち外的要因の介入が必要なのだろう──ギルスは響の小さな肩に手を置いて囁いた。

 

「こんな悪夢は、終わりにしよう」

 

 傷ついて、傷つけて、最後に残ったものさえも痛みだというのなら、そんな結末は夢でいい。結局、誰も救われなかった。誰も報われなかった。精一杯の努力も、ひと欠片の奇跡も何もかも無駄になった。なんてヒドいシナリオだ。バッドエンドにも程がある。ヒーローの名を騙った末路がこれか。そもそも器じゃなかった。きっと最初から間違っていたんだろう。

 

 俺は仮面ライダーじゃなかった。

 

 最後まで仮面ライダーになれなかった。

 

 でも、一人の人間には成れたというなら、俺は……俺の出来損ないの物語(ゆめ)は終わりでいい。

 

 終わらせよう、また新しい夢を見るために──……。

 

「お別れだ。これは持っていくね」

 

 最後まで仮面の奥に力無き微笑みを隠したまま、津上翔一は立花響を乱暴に突き放した。

 張り詰められた糸がプツンと千切れるような音と共に響は《不朽の剣(デュランダル)》を抵抗もなく手放し、関節の弱まった人形のように地面に崩れ落ちた。そして、そのまま安らかな眠りにつくように彼女は意識を失った。

 次に目覚めた時に、すべてが夢であることを祈りながら。

 

「おやすみ」

 

 すう、と仮面の下で息を吸う翔一は己の身体に突き刺さった《不朽の剣(デュランダル)》を見下ろした。

 半永久的に無尽蔵のエネルギーを供給するこの完全聖遺物は超速再生を可能とする《青銅の蛇(ネフシュタン)》に唯一対抗でき得る魔剣である。決して破壊されない不滅の性質が神の厄災を退ける蛇の加護とぶつかることによって対消滅に等しい超常的な反応が発生する。《青銅の蛇(ネフシュタン)》攻略の突破口は《不朽の剣(デュランダル)》にしか果たせない。二つの完全聖遺物をこの世界から消し去るには双方が必須なのだ。

 

 だが、この剣は大きな災いを引き起こす。

 月を破壊し、地上を砕き、人災を(もたら)す。異分子たる自分(ギルス)が死亡した先で、これを回避することは現在の二課では到底できない。()()()()()()()()()。毒花を摘むなら根を枯らせ。一種の賭けには違いないが、デメリットを天秤に掛ける時間もない。

 元より、この恐ろしい力を秘めた完全聖遺物が無ければ、《青銅の蛇(ネフシュタン)》を破壊する必要は無くなるのではないか──……。

 

 思考が帰結するよりも前に、呼吸が細く潰れていくよりもっと前に、半ば無意識とも言える(うつ)ろな神経がドロドロになった(ギルス)の腕を上がらせていた。

 太陽を掴むような仕草で五指の感触を確かめる。そして(てのひら)を晴天に翳すようにして四本の指を揃える。

 抑えの手はない。その辺に転がっている。

 視界は濃霧の中にあるようだ。巨大であるはずの刀身が一切見えない。

 

 だが、幸か不幸か、この身体に刺さっているのだ。

 

 外すわけ、ないだろう。

 

「すぅぅ……───はァあッあああああああああああああッ‼︎」

 

 津上翔一は掲げた手刀を、正真正銘、()()の一撃として《不朽の剣(デュランダル)》の刃へと放ち……。

 

 

 パキン、と。

 

 

 不朽不滅の神秘ごと、殴り砕いた。

 

 

***

 

 

 折れるはずがない──と、フィーネは思わなかった。

 

 (むし)ろ、折れるべきだ。折れてもらわないと困る。

 完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》に刻みつけられた神秘の性質は()()である。万物に与えられた寿命。生あるものは必ず老いるという必衰の(ことわり)にただ一つの例外として君臨する朽ちることのない永遠の(つるぎ)──それが《不朽の剣(デュランダル)》である。

 叙事詩『ローランの歌』では、瀕死の重傷を負った聖騎士ローランはデュランダルが敵の手に渡ることを恐れ、剣を折るために刀身を岩に叩きつけたところ、逆に岩を両断してしまったという有名な逸話がある。如何なるものもその剣を折ることはできない。魔剣《不朽の剣(デュランダル)》の絶大な神秘性はそこにある。

 

 だからこそ、フィーネは《不朽の剣(デュランダル)》を指標にした。

 

 立花響のフォニックゲインによって完全なる起動を果たした不死の剣を砕く者がいたとすれば、それは神の叡智によって定められた絶対的な摂理(ルール)に囚われることのない()()の獣だけである。

 聖遺物と呼ばれる特殊な力を有した遺産を生み出したのは、太古から人類が〝神〟と崇めてきた地球の支配者たる者たちである。そして、この星の上位者であった彼らが唯一恐れ忌避してきた異端の存在こそ、神に逆らう龍の双牙──即ち〝AGITΩ(アギト)〟と呼ばれた超越者であった。

 

 アギトは超常の神秘を捻じ伏せる。

 絶対たる神を超越するが如く万象の定説を引き裂き、天の下に積み上げられた秩序を破壊する。それはまるで神々を喰い殺さんとする美しき龍。(かつ)ては神の前で(ひざまず)き許しを請うだけの存在であった人間が神殺しの龍に化け、天地に芽吹いた神聖の悉くを淘汰し、黙示録(アポカリプス)の一片を引き起こすまでに至った。

 アギトこそが天の神を打ち滅ぼす唯一の存在であることは明らかだ。あるいは、アギトもまた神に属する異端の生命なのかもしれないが、真偽の行方は誰も知らない。フィーネにとって重要なのはアギトが持つ無限に等しい進化の力ただそれだけである。人間の足並みでは到達できない神の不可侵領域へといずれ進化できる(アギト)の力がフィーネをここまで駆り立てたのだ。

 

 そして、今、津上翔一は神の祝福が施された《不朽の剣(デュランダル)》を叩き折った。

 

 これで確定した。

 津上翔一の中にある(アギト)の素質は原初(オリジン)に勝るとも劣らない優れたものである。美しき調和によって栄えた神代を地獄に変えた()()()()()()()()に最も近しい存在が津上翔一なのだ。

 フィーネはこのような逸材と出会うために悠久の時間を彷徨い続けた。遺伝子に魂の記憶を刷り込ませ、幾度となく世界の影で暗躍し、理想の(アギト)を求め探し続けた。時代の節目には必ず(アギト)の才覚に恵まれた者が現れたが、誰も覚醒には至らなかった。自力で(アギト)の封印を解放することはほぼ不可能であった。それでも諦めず、執念と渇望を行動力に変えて、輪廻に逆らい生き続けてきた。

 

 その努力がようやく報われる。

 

 ──その(アギト)、私がもらう!

 

 是が非でも欲しい。

 倒壊した建物の陰から(ギルス)の様子を窺っている櫻井了子は抑えようのない興奮の炎に身を焼かれるように、狂喜に満ちた笑みで頬を吊り上げる。

 薬品工場の敷地は《不朽の剣(デュランダル)》の一撃によって荒れ果ててしまった。プレハブ工法で造られた建築物は瓦解し、頑丈に建造されているであろうメインの巨大な工場ですら鉄壁が凹み、屋根は粉砕されあばら屋と化している始末。何も知らない者がこの惨状を見れば、悲惨な爆発事故が起こったのだと認識するだろう。間違いではないが、正解でもない。あれは余剰エネルギーの放出である。本当に爆発していたのなら、辺りは文字通り吹き飛んでいた。

 了子は瓦礫の山を見つめる。そこには気絶した立花響と呆然とする雪音クリスと《不朽の剣(デュランダル)》の残骸がある。そして、堕天の獣(ネフェリム)()()が横たわっている。脈の有無を確認できたわけではないが、恐らく息は絶たれているだろう。

 

 ギルスは自身の腹部に突き刺さった《不朽の剣(デュランダル)》の刃を手刀の一閃で叩き折った。三分の一ほどの刀身を失った完全聖遺物は地面に力なく落下し、折られた先の刃は(ギルス)の腹に刺さったまま血を浴び続けていた。その後、ギルスはついに力尽きて、両膝から崩れ落ちるように倒れてしまった。

 死因は一つに絞れない。失血によるショック死が有力だが、それも断定しがたい。普通ならとっくに死んでいるはずだった瀕死の重傷に加えて、体細胞に負担を強いる変身によって筋肉は大きく疲弊し、心臓に至るまで衰弱し切っていた男だ。死を背負いすぎていた男の末路など常人に理解できるものではない。

 ただ一つ確かなものは、今はしっかりと()()()()()ことだけだろう。

 

 心臓は鼓動を終えて、血液は流れることを辞めた。全身から熱が消え去り、脳が凍結する。

 

 津上翔一は死んだのだ。

 

 命に平等に訪れる死が(ようや)く津上翔一の肩を叩き、冥府の闇へと誘った。彼もまた(それ)を受け入れるように静かに息を引き取った。

 脈打たぬ深緑の屍肉はまだ隻腕の獣の形をしている。彼の肉体が活動を永久的に終えたことによって、酸素の供給が絶たれ、体細胞の急激な変異も起こせず、結果的に変身が解けなくなった状態なのだろう。死後硬直に似た現象である。時間が経てば(ギルス)の細胞も腐敗し、その醜い仮面ごと変身が解かれてしまうだろう。

 フィーネの計測した()()()()()はそれだった。

 

 津上翔一は死んだ。間違いなく。

 

 だが、彼の(ギルス)はまだ死んではいない。

 

 必ず息を吹き返す。完全な起動を果たした《不朽の剣(デュランダル)》の生み出した莫大な量のエネルギーを喰らって、死した肉体に命脈を通わせ、まさしく神のような()()を体現するはずだ。

 

(さあ、目醒めろ、津上翔一……! 条件は揃った! お前はアギトだ! 神の奇蹟をお前は再現できる……!)

 

 無情に倒れ伏したギルスは依然として死の沈黙を貫く。

 

(何年この時を待ったか……! ギルスではダメだった。ネフィリムの奇蹟は戦いにのみ注がれる。生命の停滞では神にはなれない! だからアギトを待った! 今度こそ私は近づくのだ……! 神に……あの方に……!)

 

その瞳には、底知れぬ恩讐の坩堝にも染まらない愚直な一本の感情が走っていた。たった一つの目的のために、その手にあったものすべてを犠牲にし、数千年の時代を駆け抜け、ようやくここまで辿り着いた。

 終焉の巫女(フィーネ)は目を見開き、心の中で祈り続けた。神すら墜とさんとする金色の龍が地獄の底から舞い上がることを……。

 

(私に見せてくれ、新たな神話を……アギトの再誕を……!)

 

 そして、フィーネの真摯な期待に応えるかのように、(ギルス)の身体が()()()と大きく跳ねた。

 

 

***

 

 

 男がいる。

 

 死んでいるような、生きていないような、そんな男がいる。

 

 男は灰被った廃墟のような礼拝堂に並べられた長椅子へ腰を落として、まんじりともせずじっとしている。身に包んだ白衣の裾には煤が滲んで色褪せ、頭髪には隠し切れない白髪が雪積もるように垂れて、目は泥のように濁って一切の感情を排斥していた。

 

 男はどこも見ていない。ただそこに座っている。

 

 炭と瓦礫に覆われた礼拝堂には、床に転がる首のない聖母の像や錆びついた燭台、(かつ)ての絢爛な輝きを失ったステンドガラスの破片が星の砂のように散らばっており、踏み躙られた神秘の上で誰も祈りを捧げなくなった孤独な十字架だけが清く佇んでいた。

 

 その十字架の前で懺悔するかのように、男は沈黙と共に項垂(うなだれ)れていた。

 

 時折、手に握っている封筒を物珍しげに眺めては、興味が失せて鬱蒼とした視線を黒ずんだ床へと戻す。考えて、考えて、意味がないと悟り、封筒を破り捨てようとするものの、諦めたようにまたそれをくしゃくしゃに握り直す。

 その封筒に中身はなかった。(から)だった。持っていても意味のないものなのに、男はなぜか捨てられず、一人わけもわからないまま苦悩していた。

 茶封筒には「■■■くんへ」とだけ書かれている。肝心な宛名が読めない。塗り潰されているわけでもないのに、なぜか読めない。読めていたら何か変わっていたのか。読めていたらここに来なくて済んだのか。いいや。きっと変わらない。ここで全部終わりだ。

 

 こんなものを持って、何をすれば良いのだろうか。何をさせたいのだろうか。

 

 何もできやしないのに、ね……。

 

 男は野良犬の死体を見ているような冷たい目を伏せて考えていた。だが、次第に考えることに飽きてしまう。だってもう答えは出ていたのだから。

 

 〝それはなんだ。〟

 

 男の背後から声がした。人の世にあってはならないような途轍もない重圧と狂おしいほどの威厳に満ちた女らしき声には聴き覚えがあった。だが、思い出そうとは思わない。所詮は失われたものだ。取り戻せない。

 男は驚きもせず、振り返りもせず、粛々と返答した。

 

「知らない。知らないが……多分、誰かの遺書だ。中身は入っていないけど」

 

 〝貴様はそれを読んだのか。〟

 

「わからない。でも、読んではいないと思う。読めていたら、こんなところに持ってこないだろうし」

 

 〝ふん。()()()()()()とはよく言ったものである。ここはどこでもない。貴様の中である。〟

 

「ああ。うん。そうだったね。ここには未練ばかり。取り返しのつかないものばかり。()()()()()世界だ。心底吐き気がする」

 

 男の語気は変わらない。

 一定の感情から振れることなく、機械のように乾いた唇を動かしている。

 

 その様子が、女は気に入らなかった。

 

 〝そうだ。貴様の中は未練ばかりだ。救えなかったものばかりだ。貴様自身も含めてな。〟

 

「知ったような口をきくね。どちらさまで?」

 

 〝貴様を貴様以上に知っている者である。故に、我は貴様を救いたい。これは本心である。〟

 

「結構です。人助けなら他所(よそ)でやりなよ」

 

 〝貴様の意見など聞いておらぬ。黙って我に従え。〟

 

 鬱陶しそうに困惑する男へ、女は両手を首に回して後ろからそっと抱き締める。男の表情は変わらない。視線すら動かない。この世界が、男の中で生じた心象の具現と言うのなら、何をしたところで無意味であると結論づいていたから。

 女は男の耳元で囁いた。甘く蕩けるような誘惑を耳の穴から抉り入れるように。

 

 〝貴様の中は痛みばかりである。悲しみばかりである。なのに怒りがない。傷を慰め、涙を火に焚べる、怒りの感情が貴様にはなかった。〟

 

「…………」

 

 〝我はそれが遺憾であった。貴様は恨むべきだった。憤怒すべきだったのだ。その手紙を渡されたあの時も。誰も救えなかったあの時も。このような世界に連れて来られたあの日、そして今も。貴様の怒りは如何なる時も自分にしか向けられておらぬではないか。そんなものは断じて怒りなどではない。〟

 

「怒りがなんだ。そんなもの何の役に立つ。誰かの首を絞めれば傷が癒えるのか。撃鉄を叩き起こせば死人が息を吹き返すのか。ありえないだろ。何の意味もない。時間の無駄だ。誰かを責めるぐらいなら、それなら俺は……こうやって頭を抱えて、一人で後悔してた方がいい」

 

 男のみすぼらしい背中がより小さく、そしてより哀れに見えた。

 女はより力強く男を抱きしめる。このひどく哀れな男を本当の意味で理解してやれるものはもうどこにもいない。男の中にさえ残されていないのだ。それがどれほど惨たらしいことか。

 

 〝いい加減に悟るがよい、我が(アギト)よ。貴様の中に鎮められた憤怒は人間如き矮小なものに向けるべきものではない。()()に向けるべきだ。貴様を裏切り続けた世界の摂理を、何も為さない破綻の倫理を、怒れるままに破壊するのだ。それが貴様の報われる唯一の道標である。〟

 

「それは思考の放棄だろう。八つ当たりだ。知恵ある者のやることじゃない」

 

 〝貴様がやらぬなら、我がやるまで。貴様の記憶には残されておらぬだろうが……貴様の(ギルス)は我の力だ。エルロードではない。我が授けた。〟

 

「やめろ。そんなことしなくていい。俺はもう疲れたんだ」

 

 〝ああ。そうだ。疲れ果てたのだろう。知っている。ずっと見ていた。故にこれ以上、貴様が背負う必要はない。もう何も背負うな。その辛苦の呪縛から我が解き放つ。〟

 

「違うんだ。違う。俺は」

 

 〝貴様が報われぬ世界など、(テオス)が認めようと、この我だけは赦さぬ。〟

 

「俺は、何も、いらない」

 

 〝一緒(とも)に滅びよう。(アギト)はそのために生まれ落ちたのだから。〟

 

「いらないんだ……もう……」

 

 

***

 

 

 茫然自失となった雪音クリスは全身の力が抜け落ちて、細かな石屑が降られた瓦礫に小さく(まと)まって座っていた。

 彼女のすぐ前には血塗れのまま横たわる(ギルス)の死体がある。腰に巻かれた超因子(メタファクター)の中央に備わる賢者の石は美しき翠色の輝きを完全に(うしな)い、燃えるような深紅の複眼は色彩を奪われ、その隆々とした軀体は崩壊した景色の一部に溶け込むように沈黙していた。呼吸の音が聴こえず、心臓が跳ねる脈動すら感じない。

 死体が一つ冷たく転がっている。

 片腕を切られ、腹を貫かれ、砕かれたアスファルトの上で潰れたように寝そべる()()は野良猫に弄ばれた蟲の死骸のようであった。

 他を寄せつけない比類なき獰猛な強さは野獣のようで、自分を(あや)めんとする少女を(ゆる)した背中は人間のようでいて、朽ちれば名も知れぬ虫のように見窄(みすぼ)らしい。

 

 結局、雪音クリスは(ギルス)の仮面に翻弄されるばかりであった。

 憎むべき敵であるはずなのに、心のどこかで(ギルス)と戦うことを拒んでいた。彼女の記憶に色濃く残り続ける最愛とも言える者の面影が無意識に重なり、幾度となく困惑に顔を歪めた。そんなはずがない。何も似ているところなんてない。頭では理解していても、(ギルス)の孤独な背中にはクリスを地獄から引きずり出した飛蝗(バッタ)英雄(ヒーロー)の輪郭が宿っているようで、彼女の意思に反して身体は不都合を訴えることが多々あった。

 ありえない。似ていない。何もかも違う。

 今日まで(かたく)なに否定し続けていたが、もはや獣か蟲かもわからぬ死に絶えた()()を眺めているうちに、結論などどうでも良くなった。

 

「……なんで助けた」

 

 ギルスは雪音クリスを身を挺して庇った。咄嗟の判断だったのだろう。自我を損なって暴走する立花響の眼前に躍り出る行為は首を差し出すに等しい。雪音クリスを不朽の剣(デュランダル)の凶刃から守れるためには己の命を擲つしかないとギルスは覚悟を決めたのだ。

 本来なら、あのまま殺されていたのはクリスの方だった。ギルスではない。雪音クリスが死んでいた。死の矛先を曲げられてしまったから、雪音クリスの心臓は今も動いているだけであって、きっと死んでいたのは自分だった。

 

「アタシは……オマエの名前すら、知らないんだぞ……」

 

 なぜ、ギルスは雪音クリスを助けたのか。

 深く考えずとも、その答えだけは明確(はっきり)としていた。

 絶大な力が秘められた魔剣によって腕一本を切り落とされ、挙句は腹を突き刺されて、決して免れぬ死の苦痛に苛まれたにも(かか)わらず、ギルスは立花響を慈愛を持って抱き締めた。一切の暴行を赦し、宥めるように神の呪縛を(ほど)いた。

 その姿が何よりの証拠である。

 雪音クリスだったからではない。そこにいたのが雪音クリスであっただけで、きっと(ギルス)は誰であろうと何であろうと危険を(かえり)みず助けに向かったに違いない。誰にでも手を差し伸べて、人が背負わねばならない重荷を勝手に奪って、孤独(ひとり)で闇の底へと沈んでいってしまう。

 そんな人間がこの世には確かに存在しているのだ。

 

 あの仮面の戦士もそうだった。

 

 地獄に落ちるのは俺一人でいい──と、たった一人で戦い続けていた。

 

「どいつもこいつも……なんでアタシを置いていくんだ……」

 

 一滴の(なみだ)が頬を(つた)う。震える指先でそっと(ギルス)の顔に触れると、鉱物のように冷たい仮面にぽつりと雫が小さく跳ねた。仮面は何も応えない。その先にある素顔を押し殺したまま、憐れな静寂を(かたど)る。

 

「置いていくなよ……一人にしないでよ……」

 

 か弱き悲叫にも劣らぬ少女の呟きを掻き消すように、突如として地鳴りのようなものが工場施設に轟き渡る。異常を感じ取った雪音クリスは紫水晶(アメジスト)の双鞭を握り締めて音の震源を探る。

 数秒後、爆発的な激震と共に地中から巨大なワーム型のノイズが出現した。立花響が起動させた《不朽の剣(デュランダル)》の奔流を受けたのか、肥え太った躯体は崩れるように半壊していた。勢いよく地上へ出たものの、(もが)き苦しむように瓦礫の海に何度も首を叩きつけ、その場でのたうち回った挙句、不愉快な雑音を吐き散らしながら絶命した。

 恐らくだが、立花響が《不朽の剣(デュランダル)》を覚醒させた際、咄嗟に地面に潜って難を逃れようとした個体だったのだろう。単純に間に合わなかったのか。それとも不朽の剣(デュランダル)の放出したエネルギーが地中にまで影響を及ぼしたのか。どちらにせよ、巨大な芋虫は努力虚しく死滅に至る一撃を貰ってしまった。

 

 驚かせんな。こっちはそれどころじゃねぇんだよ──クリスは静かに胸を撫で下ろす。今の彼女には(ギルス)の遺体と気絶している立花響の二つを守り抜く自信が無かった。まだ《青銅の蛇(ネフシュタン)》の負った傷が完治していないのだ。

 雪音クリスに与えられた当初の任務は完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》の起動並びにその奪取であったが《不朽の剣(デュランダル)》がギルスによって破壊されたため、後者の達成は殆ど不可能になった。しかし、今のクリスにとってそれは些細なことだ。元より彼女を影で操る首謀者(フィーネ)は腹の読めない女である。クリスも信用はしていない。

 フィーネが用意した段取りは一つ。立花響に《不朽の剣(デュランダル)》を起動させることだけであった。極めて高い確率で乱入してくるだろう未確認生命体第三号に関して、フィーネはクリスに無視するよう(あらかじ)め伝達していた。それが今となっては気に食わない。フィーネはこの状況を予測していたのではないか。世界的に見てもトップレベルの頭脳を持つあの聡慧な女が異分子たるギルスの行動を計算しないはずがない。

 

(あの女はアタシに何か隠し事をしている! それが何かはまだ検討もつかないけど……今はアタシの意思で行動させてもらう!)

 

 雪音クリスはギルスに助けられた。ならば、ギルスが守ろうとした立花響は雪音クリスが守るべきだ。そうあるべきだ。

 青銅の蛇(ネフシュタン)の治癒が滞っているとはいえ、木端の雑兵(ノイズ)程度ならば難なく戦闘できるだろう。ノイズを強制的に従属させる完全聖遺物《ソロモンの杖》が手元に残っていれば楽であったが、それは不朽の剣(デュランダル)の一撃で手放してしまった。本来なら《ソロモンの杖》の回収が最優先であるが、クリスは安全が確保されるまでここを動く気はない。

 

(あのデカブツ一匹で終わりか……?)

 

 荒廃した薬品工場の敷地を見渡す。どうやら、(ひしめ)き合うほどの大群を率いていたノイズは不朽の剣(デュランダル)の閃光によって残らず灰塵に還ったらしい。地中に潜って危機を脱しようとしたノイズが居たのだから、他にも災厄を回避しようと足掻いたノイズが居るのではないかと構えたが杞憂であった。

 クリスは安堵の吐息を浅く吐き出す。負傷した《ネフシュタンの鎧》が回復すれば、すぐにでも《ソロモンの杖》を回収しよう。後始末は例の特異災害対策機動部二課にでも任せればいい──と、気を抜いた直後だった。

 死して炭素の塊と成り果てたワーム型のノイズの大きな腹部を何かが突き破った。

 それは人外じみた一本の腕であった。ノイズの肥えた腹を内側から引き裂き、そこから赤い煤を全身に浴びた何かが二つ()()()と産み落とされた胎児のように姿を現した。躯体を丸く縮ませていたそれらは地上の空気を吸って、ようやく四肢を広げて立ち上がる。

 霊長類のような逞しい手脚。西洋の装飾らしき意匠の甲冑に身を包ませ、騎士のような兜から覗く眼光は白刃のように鋭い。しかし、肝心の首から先は人間とは全く非なる生物の頭が乗せられている。

 馬だった。

 白と黒の二匹の()()

 

「オマエら……!」

 

 それは不朽の剣(デュランダル)が起動する直前まで雪音クリスが相手をしていた二体のロードノイズ──白と黒に分けられた縞馬(ゼブラ)に違いなかった。

 二体の縞馬(ゼブラ)は厚い体皮に覆われた芋虫(ワーム)の内部に身を隠すことによって《不朽の剣(デュランダル)》の災害的な一閃を躱したのだ。地中へ潜ってもなお死滅を免れなかった芋虫(ノイズ)とは異なり、体内に潜伏していた二体の縞馬(ゼブラ)不朽の剣(デュランダル)の影響を完全に回避できたらしく、ほぼ万全と言える状態で雪音クリスの前に立ち塞がった。

 

『GILLS wa shinda noka??』

 

 白の縞馬(ゼブラ)が力無く横たわる(ギルス)に気付いた。

 

『nen no tame todome wo sasou』

 

 黒の縞馬(ゼブラ)が一歩前に出る。戦闘で負ったダメージも回復しているようだ。

 

「ホトケに手ぇ出すんじゃねえよッ!」

 

 クリスは紫水晶(アメジスト)の双鞭を手繰(たぐ)り、縞馬(ゼブラ)の足下に叩きつけた。

 反射的に制止する黒の縞馬(ゼブラ)は彼女が纏う《ネフシュタンの鎧》を一瞥すると、嘲笑うかのようにまた歩き始めた。クリスは縞馬(ゼブラ)のロードノイズと対峙するため、地についた膝を伸ばそうとする。しかし、全身の関節が錆びついた歯車のように鈍く神経に逆らった。《青銅の蛇(ネフシュタン)》が有する超常的な再生力が麻痺し、鱗鎧(スケイルメイル)の稼働に支障を及ぼしているのだ。

 如何なる災厄も退ける神聖が《不朽の剣(デュランダル)》の無限に等しい(チカラ)の放流によってその効力を一時的に損ない、行動不能の危機に陥っている。恐らく《青銅の蛇(ネフシュタン)》は鎧の修復が終わるまで、雪音クリスの指示を一切受け付けないつもりなのだろう。

 クリスの額に動揺と焦燥の汗が流れる。

 

「クソッ! 言うこときけぇ! いま戦えんのはアタシだけなんだ!」

 

 吠えるクリスに完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》は沈黙を貫く。

 

『shikiri naoshi da』

 

 白の縞馬(ゼブラ)が指を鳴らした。すると、金属が擦れ合うような不快な音響が空間の(ひず)みから溢れ出し、水面(みなも)に落ちた墨汁のように時空が黒く滲み始めた。そこから孵化した蛆虫のように次々とノイズが次元を食い破って現界を果たす。

 雪音クリスは絶望を目の当たりにしていた。大型小型問わず出現した災害(ノイズ)の総数は見えているものだけでも三百は軽く超えている。ロードノイズはここにいるものすべてを亡き者に変えるつもりなのだ。

 

『sekai wa yugande simatta watashi tati no youni』

『owaraseru subete AGITΩ morotomo』

 

 守れない。

 この量はどうしようもない。

 圧倒的な物量差の前にして、クリスは鉛のように重く縛られた四肢を這うように動かし、眠り続ける立花響を庇うようにして厄災(ノイズ)の大群を睨みつけた。

 理解及ばぬ雑音めいた叫声が無秩序に吐き散らされる。それはノイズの狂喜の歓声だったのかもしれない。堕天の獣(ネフィリム)の死。(アギト)を継ぎし戦姫の抹殺。人類を淘汰するためだけに造られたノイズにとって、希望(のぞみ)絶たれたこの状況こそが至福の一時なのだろう。

 

『K♧:+il×=lev%e:::ry^^◎▽t<<h\\▲<in£″g……‼︎』

 

 虐殺の鬨が鳴り交わされ、世に破滅を産み落とさんと災厄(ノイズ)は打ちつける波のような暴力的な侵攻を開始する。雪音クリスはもう身構えることしかできない。どうにか立花響だけでも逃せはしないかと頭を回転させるが、それも極めて難解なものだった。せめて《ソロモンの杖》が手元に残っていれば──と、嘆きを口にすることすら惜しい。

 窮地に立たされた雪音クリスはついに祈り始めた。迫りくる災厄の渦を前にして、鎧の少女は瞼を閉じて必死に祈る。

 神でも、悪魔でも、誰でもいい。なんだって構わない。助けてほしいヤツがいる。救ってほしいヤツがいる。対価を求めるならアタシの命をくれてやる。それぐらいしか差し出せるものはないけれど、もしもこの祈りが届いているのなら、どうか、どうか──。

 

「だれか助けて──……」

 

 その時だった。

 

 ()()()と何かが跳ねたのは。

 

「──────ッ」

 

 絶対零度に等しい戦慄が神経を駆け巡る。心臓が恐怖で唸るように低く鼓動する。理由などわからない。ただ、許容しがたい悪寒めいた気配を背後に感じ取ったクリスはゆっくりと視線を後方へと移し、そこにあった信じ難い光景に目を疑った。

 

「ギル……ス……?」

 

 隻腕の獣がいた。

 ()()()()()()()()()

 死んだはずの深緑の獣が腹部から流血を滴らせながら、一本の腕を力無く地面へ垂らし、二本の脚で立ち上がっていたのだ。

 

「オマエ────」

 

 生きていたのか──と、安堵混じる声音が喉の先で詰まる。様子が変だ。何かがおかしい。いや、()()()()()()()()()ではないか。

 ギルスは死んでいた。間違いなく息絶えていた。心臓は止まっていた。呼吸もしていなかった。生命活動はとっくに終わっていたはずだ。

 では、これはなんだ。これはなぜ動いている。

 

 この死体はなぜ動いているのだ──⁉︎

 

 超因子(メタファクター)に収まる賢者の石から止め処なく赤い血液が垂れ流される。それはまるで血涙のようだった。金属(フレーム)が絶え間ない血を浴びて赤く染まり、深緑の鎧が腐敗して爛れてしまったかのような濃い色彩に変化する。

 賢者の石が翠色の光輝から充血した眼玉のような病的な黄色の彩色に変わると、全身の生体装甲皮膚(ミューテートスキン)から膿が破裂するように血を滴らせる。死滅した細胞を削ぎ落とし、腐蝕した血液を体外へ排泄することによって、新たな血肉を創造しようとする謂わば超再生の一環──。

 

「■ァ……■■……■■ァァ……」

 

 糸に繋がれた操り人形(マリオネット)のように(ギルス)は肉体の異常な活動に何の行動も起こさず、されるがままの状態で死の苦悶を潰れた声帯で喘いでいる。

 肘から下を失った二の腕の断面から黒い粘液が滝のように溢れ出す。黒い血液。堕天の獣(ネフィリム)の因子。(ギルス)の体内で(うごめ)く寄生蟲が生命の波長を求め、切断された腕の筋線維に巻きついた。

 賢者の石が放つ輝きが増すと同時に、額の第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が呼応するかのように激しく閃光する。

 

「■ァァッ……■、■■ァァ■■■■■■■ァァ──‼︎」

 

 天を喰らわんとする雄叫びと共に、不朽の剣(デュランダル)に斬り落とされた腕が再生──いや()()()()()。それは(ギルス)の今までの腕とは異なるものであった。鴉の大翼のような漆黒の爪。それとは逆方向に伸びる血染めの大鎌と表現すべき鋭い鉤爪。殺戮に長けた二つの刃が皮膚を突き破って、その凶器を見せびらかすように露出する。

 失った腕の超速再生に伴いもう片方の腕も同様の変化が生じる。いや腕だけではない。悍ましい変化は(ギルス)の全身に訪れていた。繭を喰い破って孵化せんとする蚕のように(ギルス)の内側から得体の知れぬ黒の意識が暴れ始める。

 そして、ついに鎧の如き大胸筋の隙間から琥珀の結晶が顔を覗かせた。(アギト)の心臓とも言える中枢器官《ワイズマン・モノリス》──ギルスに吸収された《不朽の剣(デュランダル)》の刃が蓄えていた膨大な量の(フォース)が全身の器官へ循環され、常軌を逸した狂気の進化が促される。

 

 それはもう獣ではない。

 ましてや、人の器ですらない。

 堕天使の黒翼のような大爪は両肩から拡げられ、赫々と滴る蟲の如き触手は鎧の一部と化し、誰も触れることすら赦さぬ暴虐の威迫はもはや悪魔ですら及ばない。神の頂へと吼えるかのように伸びる三つの触覚は原罪の王冠を表すかのようにここに君臨せし者が如何に埒外たる存在かを粛々と物語っていた。

 

 超越せし者(エクシードギルス)──それは荒ぶる神そのもの。

 

 怒り狂った蛮神である。

 

 その場にいた誰もが死んでいたはずのギルスの尋常ならざる進化に戸惑いを隠せず、気道ごと首を絞められたかのような息詰まる緊張感に絶句していた。死者の蘇生。理解できぬ禍々しき進化。そして、凡そ生物と呼べるかどうかも疑わしい重圧(プレッシャー)と〝死〟の感覚。

 ただ一つ確かなことは──これはこの世にあってはならないものだ。

 

 顎部の装甲板(クラッシャー)が地獄の大釜のように開かれた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッッ‼」

 

 咆哮。

 この世の(はて)を体現するかのような(オト)──。

 工場施設の窓硝子が一斉に砕け散り、暴嵐のような物理的な質量を兼ねた蛮神の咆哮は無差別にも雪音クリスを吹き飛ばした。そして災害(ノイズ)の上位種たる縞馬(ゼブラ)すら竦み上がらせ、周辺まで迫った下級のノイズを握り潰すように()()する。それは死の音響だった。調律ではない。脆弱たる存在を掻き消す神の咆哮はノイズに対して致命的な殺傷力を伴い、雑巾を絞るようにノイズは音に捩じ切られる。

 もはや声すら凶器に等しい。己を構成する血の一滴に至るまで、すべてが鏖殺の武具となり、何者も逆らえぬ力の象徴となる。超越者(エクシード)となったギルスは暴力を司る神と言っても過言ではない。

 

 すべてを壊すまで、彼は止まらない。

 

「ゲホッ……なんだよあれ……⁉︎」

 

 雪音クリスは瓦礫の山に頬を削られながら、その異端たる神に瞠目する。

 

「オマエ……本当にあのギルスか……? 未確認生命体第三号だよな……?」

 

 怯弱の声を枯らすようにクリスは問いかける。

 答えは返ってこない。ギルスは敵を──目に映るすべてを壊すために己が闘志を研ぎ澄ます。両腕から伸びる血染めの大鎌をクロスさせて火花を散らす。もはや誰の声も彼には届かない。

 やがて、クリスは自分と同じように激甚たる咆哮に巻き込まれたであろう立花響が瓦礫の山に身体を(うず)めている姿を発見した。まだ気絶しているようだが、額から血が溢れ出ている。先程までは無かった。クリスと違って受け身を取れなかったからだろう。皮膚が裂かれてしまっている。

 ギルスが命をかけて守ろうとしたものが、ギルスの手によって壊される。

 雪音クリスは残酷な現実を飲み込んで一種の確信を得た。

 

「オマエは……誰なんだ……?」

 

 そこにいるのが雪音クリスの知るギルスではないことを……。

 

 

***

 

 

「ありえないッ‼︎」

 

 フィーネは我を忘れて叫んだ。

 予期していた未来と訪れた現実が彼女の理想を打ち砕いた。冷静さを失ったフィーネは頭髪を掻き毟り、無数に転がる石礫を蹴り上げ、正気から解き放たれた狂人のようにのたうち回る。

 

「ギルスのまま……進化、しただと……⁉ バカな……そんなこと……あってたまるかァ……‼︎」

 

 世の終焉を見たかのような蒼白とした顔色を更に歪ませ、倒壊した建物の壁に拳を何度も叩きつける。血が滲もうが眼中に留まらず、フィーネはただ無我夢中で爆発するような感情を吐瀉し続ける。

 

「ギルスが……ギルスとして進化するなど……私は知らない! そんな不合理な可能性……考えもしない……してたまるかッ」

 

 ギルスという生命が辿り着く終着点は決まっている。堕天の獣(ネフィリム)だ。完全な覚醒を遂げたアギトと違って、自己でエネルギーを補完できない不完全なギルスは他者を捕食することによって、生命活動に必要なエネルギーを補う。故にギルスは殺し合った。生きる為に他者を殺した。

 非人道的な殺戮を繰り返さねばならないギルスの運命は人間にとっては耐え難く、次第にギルスの変身者は無意識の中で自我を捨て去り、有意識を完全なる野生に陥れることによって罪から逃れようとした。それが堕天の獣(ネフィリム)である。

 ギルスはアギトになれなかった者だ。

 アギトになろうとして、進化のエネルギーを求めて、更に殺し合った挙句に堕天の獣(ネフィリム)へと進化する。ギルスの進化の道は最初から閉ざされていたのだ。所詮はアギトの出来損ない。それ以上のものには変われない。

 

 フィーネはその無情の光景を腐るほど見てきた。

 

「アギトがギルスに退化したのなら……その先の進化はアギトであるはすだ……ネフィリムとの分岐点たるエネルギー不足はデュランダルで解決した……なのになぜだ……なぜギルスのまま進化した……二年前のアギトの姿はなんだったのだ……天羽奏にワイズマン・モノリスを与えた影響か……だが今のギルスにはワイズマン・モノリスがある……アギトへの条件は満たして……」

 

 高速で巡る思考を呪詛のように言葉に移すフィーネは不意に唇を噛んだ。霧の中で正体の掴めなかった真実の実体が漸く彼女の手に収まろうとしている。

 

「そうか……そういうことか……津上翔一ィイ……」

 

 辛酸を飲まされたのようにフィーネは()()()()と奥歯を噛み締めた。

 

「二年前のアギトは四元素の内〝火〟〝風〟〝土〟の三つだった……そこにギルスの属性〝水〟は含まれていない……それもそのはず……アギトの力はお前の力ではないのだからなあ‼︎」

 

 崩れかけたコンクリートの壁に血塗れの拳を叩きつけ、新たに君臨した異形にして異端の蛮神へ憤怒を吠えた。

 

「津上翔一、キサマ最初からギルスだったのかッ‼︎」




死体が暴走(しゃべ)っている…。これが噂のゾンビゲーマーですか。違います。はい。
働かなくていいだなんて鬼畜天使と違ってシェムシェムはやさしいな〜(棒) なおやり方。オリ主くんは泣いていい。泣ける涙が残ってたらの話ですけど。
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