仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。   作:下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣)

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おひさ。


08.Did you see the sunrise?

「これは一体……?」

 

 風鳴翼はその光景を目の当たりにして、言葉の限りを奪われた。

 市販される薬品の製造やその運送に携わる工場の施設内は、物々しい破壊の痕跡が至る所に見受けられた。凄惨な地割れが起こったかのようなアスファルトの裂け目。頭を潰されて燃え上がる横転した大型車両の残骸。倒壊した建造物とその瓦礫の山は爆撃を疑うに値する壮絶さを物語る。

 そして、黒い砂漠と見違えるほどに降り積もった一面に広がる煤。

 それが認定特異災害たるノイズの死骸であることは明白である。もはや、考えるまでもなく、この尋常ではない量の炭素は先程まではノイズという血肉を象っていた物質なのだろう。

 黒き粉塵による雪原と化した薬品工場を前にして、風鳴翼が呼吸すら儘ならぬ驚愕に襲われたのは、やはりその途方もない数にあった。

 

 いったい、どれだけのノイズを……。百、二百……。いや、果たして三桁で収まる量なのかこれは……。

 

 少なくとも、風鳴翼はこれほどのものを未だ嘗て見たことがない。

 

「翼さん」

 

 病み上がりである風鳴翼の肩を支えていた緒川慎次は、苦々しい神妙な眼差しを工場の奥へと向けていた。不気味なこの空間に違和感を覚えているのは翼だけではなかった。

 

「引き返しましょう。ここは、恐らく、僕たちが居ていい場所ではありません」

 

 緒川の声音は至って冷静なものであった。それ故に、これが恐怖で足が竦んだ者の弱音ではなく、彼の正気と理性が弾き出した信頼の高い判断であることを翼は理解する。

 

「空を見て下さい。上空で待機しているはずの二課のヘリが消えています。何かトラブルがあって、やむを得ず離脱したんです」

「トラブル……ですか……」

「あの風鳴司令が撤退の判断を迫られるということは……」

()()()()()()()()()()、ということですか」

「恐らくは」

「ノイズでしょうか。それとも例のネフシュタン……」

「わかりません。ただ、もう一つの可能性をあげるとすれば──」

「緒川さん」

 

 それ以上はいい──と、緒川の背広を無意識に握り締めていた手の震えが語る。

 緒川慎次は心の内で決断した。風鳴翼の懇願を聞き受けて、本部には無断でこの場所に重傷者であった彼女を連れて来たが、ここから先は彼女の身の安全が最優先である。

 この戦場に蔓延する死の香りは、あまりに濃すぎる。

 

「翼さん、戻りましょう。やはり、ここは危険です」

「ええ。理解しています」

「今の翼さんには天羽々斬(アメノハバキリ)は纏えません」

「承知の上です」

「なら、どうして」

 

 この戦場から目を離さない──?

 その疑問を投げかける前に、緒川の支えを解き、風鳴翼は自らの二足の脚で歩き出した。フラフラとした覚束ない足取りはまだ傷が癒えておらず、平衡感覚が戻っていない何よりの証拠であった。

 

「緒川さん、どうしようもない私の我儘を汲んでいただき、ありがとうございます。感謝しています。ここから先は一人でも大丈夫です」

「翼さんっ!」

「私一人でどうにかなるなどと……。そのような自惚れはありません」

 

 何も救えないかもしれない。何も変えられないかもしれない。

 

 ただ、それでも──……。

 

「ずっと考えていました。なぜ、あのとき、三号は私を助けたのか」

 

 それは夢のような一瞬だった。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》に圧倒され、切り札の絶唱すら失敗に終わり、天羽奏の置き土産《撃槍(ガングニール)》とその新たな装者である立花響を守れなかった──と、絶望に苛まれながら意識を深い闇へと沈ませたその時だった。

 

 〝ひとりにはしないよ〟

 

 あの時、冷たい雨に打たれていた風鳴翼の凍えた身体が感じたものは血塗られた獣の熱ではなかった。まるで、両手で優しく抱き締められているような柔らかな温もり。

 

 心の熱。

 

「……助けたい。今度は、私が助けたい。何度も殺し合い、何度も傷つけ合った風鳴翼(わたし)だからわかる。ようやくわかった気がするんです。

 彼の拳は彷徨(さまよ)っている。怒りや悲しみでもない、行き場を失った(むな)しさ……。彼はきっと死に場所を探しています。自分の命に終わりを求めているのです。でも、それでは──……!」

 

 張り上げた声が喉元で不意に引っかかる。その先の言葉を発することを躊躇っている。言葉を見失った口だけが忙しなく動いて、音のない吐息が静かに空を舞う。

 わかっている。これは私の都合だ。風鳴翼の我儘だ。未確認生命体第三号の意思を無視した身勝手極まりない一方的な感情。駄々を捏ねた子供のよう。

 

 それでも。

 

 そうであろうと。

 

 もしも、奏がここにいたら、きっと同じことを言ってくれるはずだから──。

 

「死んでほしくない。死んでいいわけがない。たとえ、それが私の傲慢なエゴだとしても、風鳴翼は彼を死なせたくはありません」

 

 嘗てないほどの揺るぎない決意が(つるぎ)のような声となって発せられた。

 緒川慎次は面食らったように暫し茫然とした。まさか、彼女があれほど目の(かたき)にしていた未確認生命体第三号を一転して()()()()と口にするとは思いもしなかった。

 倒すべき敵。それが両者の関係性であったはずだ。それがどうして今更──と、緒川が疑問にするよりも早く、翼は気恥ずかしそうに微笑みながら答えていた。

 

「あのとき、三号の心に触れられた気がするんです。もしかすると、発動を止められた絶唱が起こした小さな奇跡かもしれません」

 

 真実はわからないが、あの声は幻聴ではなかったはずだ。

 

 強く、真っ直ぐで、迷いない。

 

 ヒーローの声。

 

「似ていました、とても」

「似ていた?」

「はい」

「誰にですか?」

「奏や立花に、よく似ている人です」

 

 緒川は驚愕していた。未確認生命体第三号を天羽奏や立花響と結びつけるとは──いや、そもそも風鳴翼にとって唯一無二の存在である天羽奏と重ね合わせられる者が立花響の他に存在すること自体が、あまりに意外だ。

 そして、それを嬉しそうに語る彼女の表情もまた緒川にとっては考えにくい現象だった。

 

「……変わりましたね、翼さん」

「そうでしょうか」

「はい。変わりました。とても素敵だと思います」

 

 そう言って、目頭を押さえながら、緒川は(おもむろ)に翼の手を取って肩を貸す姿勢に移った。

 

「緒川さん……?」

「今日の僕はアーティスト風鳴翼のマネージャーです。翼さんの我儘を聞くのが僕の仕事なんです」

 

 翼が気付かぬうちに眼鏡をかけていた緒川の悪戯な笑みを見て、翼は少しだけ頬を緩めた。

 

 

***

 

 

 それを果たしてなんと形容すべきか。

 少なくとも、雪音クリスには想像もできなかった。

 破壊と蹂躙。遍く生命の一切合切を否定せんと殺戮という言葉が四肢を得て、凶禍の牙を研ぎ、(いびつ)な魔獣の骨格に肉を貼り付けた姿。触れるもの(すべ)てを傷つける闘争の極限たる姿は悪魔を超え、地に君臨せし暴神を彷彿とさせる。

 紅き刃の蛮神。

 それが超越者(エクシード)だった。

 力という概念の化身の如き存在であった。

 目に映るもの。耳で捉えるもの。鼻を掠めたもの。すべてが敵である。例外はない。その他の認識は必要ない。己が何者であるかさえ、()の者には不要と切り捨てる情報である。

 知るべきことは、ただ一つだけ。

 

 まだそこに動いている影があるのかどうか──。

 

「■■■■■■■ォォ……ッ」

 

 怒号にも似た獰猛な吐息が顎部の装甲板(クラッシャー)から熱を帯びた白い蒸気となって漏れ出す。

 濃度を増した暗みのある深緑の躯体は多くの傷を孕んでいた。今し方、無数のノイズから受けた傷である。皮膚が肉ごと削がれ、骨は剝き出しになったまま砕けている。曲がらぬ方向に曲がった関節と裂かれた腹から無造作に垂れ下がる(はらわた)。頭蓋骨は割れてしまい、壊れた蛇口のように堅牢な牙の隙間から延々と吐血している。

 もう死んでいる。

 死んでいるようなありさまだ。

 なのに、死んでいない。それどころか、痛がる素振りも苦しむ様子もない。

 

 死の超越。

 あるいは、生命への叛逆。

 

 ゴキゴキッ──と、全身の骨格が悲鳴を上げて軋み始めると、各部の筋線維が委縮と膨張を繰り返す。何か(おぞ)ましいものが(からだ)の内に潜んでいるかのように、鋼鉄の皮膚を突き破るような勢いで激しく蠢動する。生と死の螺旋。急激な細胞分裂によって、負傷した体組織の修復を行いながら、無理な代謝によって劣化した染色体を自壊させて、DNAごと肉体の構造を書き換えてしまう未曾有の再生能力。

 これにより時間が遡行したように傷口は塞がり、骨は新たに生え変わって、捩じれた四肢は逆方向に回転して元の状態へと戻る。一見すれば、神の御業と見違える蘇生と呼ぶに近しい能力だが、その実、人間という脆弱な器を全く加味していない禁忌の力に違いない。

 元の遺伝子情報は消滅を余儀なくされ、人体を構成する体細胞はより鋭角で凶暴なものへと変異して、生きているのか死んでいるのかすらわからぬバケモノへと変身する。もはや、何がどうなろうと知ったこっちゃない。

 

 殺すまでは。

 

 殺しきるまでは。

 

 全部、全部、全部。

 

 ■■たちの敵だ──……!

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ォォォオオオ‼」

 

 土塊混じれる瓦礫と砂のような硝子片を被ったまま、雪音クリスは息を殺していた。指一つでも動かせば殲滅対象にされかねない。離脱もできず、応戦もできず、倒壊した施設の一部に身を隠して、ギルスとノイズの動向を遠目で見守っていた。

 時間にして凡そ十分も経っていない。超越者(エクシード)として覚醒を果たしたギルスが戦闘を始めて、ほぼ一瞬の出来事のようなものだった。

 いや、あれを戦闘と言えるのだろうか。

 生死を奪い合う闘争とは程遠い。死を死で塗り潰す生命の冒涜のような一方通行の惨たらしい暴力。

 ギルスは短時間で災害(ノイズ)の死骸の山を築いた。特別な能力を行使したわけではない。疑う余地もない。あれはまさしく単純な暴力だった。

 

 まだ自分が見た光景を信じられない。

 それは決して同情を抱くべき景色ではなかった。多数の災害(ノイズ)が手も足も出ず、()(すべ)もなく超越者(エクシード)と成った蛮神(ギルス)に淘汰されただけに過ぎない。しかし、そのあまりに一方的且つ圧倒的な力の差は、クリスの心に底知れぬ恐怖を植え付けた。

 立花響の《不朽の剣(デュランダル)》による破滅的な一撃のように、人智を超えた凄惨な威力ですべてを無に還すのではなく、超越者(エクシード)はあくまで暴力の域に留まっていた。怒りのまま殴り、獣のように叫ぶ。嘗ての未確認生命体第三号と何ら変わらない。

 否。

 違う。

 クリスは頭の中ではっきりと否定した。アレはもうあの未確認生命体第三号ではない。同じであってたまるか。あのとき第三号は死んだのだ。いま動いているのは別のもの。未確認生命体第三号の骸を被った得体の知れない狂気──!

 

『……a arienai……kore ga GILLS……dato??????』

 

 幾多にも積み重なった災害(ノイズ)の亡骸に塗れて地を這う白の縞馬(ゼブラ)。その四肢は()がれている。野良猫に弄ばれたザリガニのようだ。完全聖遺物たる《ネフシュタンの鎧》を装備した雪音クリスでさえ苦戦を強いられた相手が、今や水を失った魚のように地面を力無く跳ねて、異常な現実の前に打ちのめされている。

 相方である黒の縞馬(ゼブラ)は右腕と頭部をごっそり奪われていた。片膝を落として、折れかかった戦意を無理にでも焚き付けようと拳を何度も地に叩きつける。だが、活路は見えない。このバケモノが倒れる姿を想像できない。

 

『ko konna mono ga sonzai shite iinoka…??????』

 

 その絶望感は言葉にできない。

 

 最初に仕掛けたのは、ロードノイズの方であった。

 

 まずは白の縞馬(ゼブラ)が動いた。次いで黒の縞馬(ゼブラ)がそれを追跡する形で覚醒したばかりの蛮神(ギルス)へ勇敢に飛び込んでいった。この時、超越者(エクシード)へと変身した余韻か、ギルスは植物のように呆然と突っ立っており、(はた)から見ても隙だらけの状態であった。

 二体のロードノイズは凄まじい脚力に任せて接近すると、蛮神(ギルス)の目前で白の縞馬(ゼブラ)が横に弾けるように離脱。視界から突如として消えた(ノイズ)を安直に目で追おうとしたギルスに、反対方向に回り込んでいた黒の縞馬(ゼブラ)の素早い殴打が突き刺さる。

 死角から容赦なく放たれた拳頭はギルスの下顎を掠めて、頸の骨を振盪させながら脳髄を大きく揺さぶった。人間ならば、確実にそのまま両膝から崩れ落ちて、再起が困難な状態へと陥るであろう渾身の一撃が、ギルスに突き刺さる。

 一撃離脱戦法(ヒットエンドラン)。致命的とも言える確かな手応えを感じた黒の縞馬(ゼブラ)は跳躍で一時的に退避する。反撃を警戒。返ってくるものはない。二体の縞馬(ゼブラ)に翻弄されるギルスの有意識はもう正常な機能を残していなかった。

 故に背後の敵にも気付かない。

 いや、気付いたとしても反応できない。

 蛮神(ギルス)の背後を完全に捉えた白の縞馬(ゼブラ)はその無防備な脊椎に手刀を振り下ろす。洗練された暗殺者のような機敏な動き。一撃必殺を可能とする生命の急所は如何に超越者(エクシード)と化したギルスと言えど例外ではないはずだ。首と胴体を切り離せば、流石に再生はできないはず。

 

 二度と蘇生などさせるか。

 

 完全な覚醒を果たす前に、今ここで仕留める──!

 

『────?!?!???』

 

 しかし、次の瞬間には縞馬(ゼブラ)の腕が飛んでいた。

 

 白の縞馬(ゼブラ)は自身の腕が炭化しながら宙に舞う光景を見た。斬られたとは思わなかった。ギルスの隙だらけな背中は未だ目の前にある。だが、振るったはずの手刀は無くなっている。肩から先がごっそり消えて、鋸で捩じ斬られたかのような無惨な断面から血飛沫の代わりに赤黒い煤が吐瀉されているだけだ。

 いつのまに──?

 動揺が闘争に滾る心身を一瞬の内に凍りつかせる。反撃の予兆すら見せなかったギルスからの理不尽とも言える予想外の一撃は、ロードノイズの感知能力を遥かに凌駕していた。

 

 いや、一撃ではない。

 そんな生易しいものはここにはない。

 

 音速に達した真紅の風刃が白き縞馬(ゼブラ)の四肢を瞬く間に奪い去る。以前の悪魔の触手(ギルスフィーラー)とは異なる成長を遂げた背部の魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)は一個体としての完全な自律を可能としている。変身者の意識とは関係なく、主たる蛮神(ギルス)に向けられた敵意や殺気に対して、自動的な反撃に加えて執拗なまでの追撃を行う。

 そして、その速度はこれまでの比ではない。

 虚空に描かれる鮮血の如き軌道は紅い残像と黒い粉塵を掃き散らす。まさしく鎌鼬(かまいたち)の嵐刃。悲鳴一つも許さぬ魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)の無情の猛攻に、白の縞馬(ゼブラ)は身動きも取れぬまま、壊れた人形のように両手両足を捥ぎ取られた。

 

 同胞が一方的に蹂躙される一部始終を目にした黒の縞馬(ゼブラ)が慄然と身を強張らせていると、突如として蛮神(ギルス)の姿が消えた。加速の予備動作も無く、音の残響すら交わさず、夢幻のように世界から忽然と消え去った。

 ロードノイズの感知能力は並ではない。(アギト )(ギルス)には及ばずとも、それらの超常的な生命に迫るだけの知覚神経は有している。

 それでもまったく反応できなかった。

 すぐ真横に佇む蛮神(ギルス)の息が詰まるような威圧感に──。

 

■■■■、■■■オマエモ テキカ……?」

 

 ()()()と、耳元で囁くような絶対零度に等しい死の悪寒が駆け巡るも束の間、右手首を尋常ではない凄まじき握力で潰される。そして、抵抗すらできない爆発的な引力に弄ばれ──。

 

 ()()()、と。

 

 狂おしいほどの膂力に任せた蛮神の怪腕が、黒き縞馬(ゼブラ)の右腕を残虐且つ鮮やかに引き千切ってしまった。血潮の如く飛散する炭素の粉末が踊るように地に降り注ぎ、感情を持たぬ紅の双眸だけが煌々と揺らいでいた。

 両者の距離はそれなりにあった。単純な走行によって肉薄したとすれば、(おの)ずと足音は響き、気配を遮断することは実質的に不可能となる。

 なのに、縞馬(ゼブラ)の五感による索敵は何一つとして反応を示さなかった。それはロードノイズが有する高度な視認性を搔い潜るほどの機動力を得ている事実に他ならない。それも通常の生物が到達できない異次元の身体能力だ。

 一部始終を傍観していた雪音クリスの視覚にも、ギルスの動きは理解が追い付かないものとして映っていた。恐らく霊長類が数万年かけて進化したとしても、アレには至らない。根本的なものが違う。

 

『gh…giGggg……??!!』

 

 ノイズには痛覚がない。たとえ、脚を折られようと腕を切られようと、ロードノイズの中枢器官たる黒い心臓が無事である限りは戦闘は続行できる。片腕を強引に奪われてしまった黒の縞馬(ゼブラ)は足が竦むような恐怖を味わいながら、頭を切り替えて、果敢な反撃へと転じる。

 肉弾戦が推奨される零距離の射程。わざわざ右腕を直接(むし)ったおかげで今のギルスには防御の手立てがない。それができる姿勢ではない。それどころか、未だに半分棒立ちのようなものだ。構えてすらいない。隙だらけだ、不気味なほどに。

 黒の縞馬(ゼブラ)は隻腕になったせいで崩れかけた躯体のバランスを立て直し、即座に重心を入れ替える。殴撃の破壊力では致命傷にすらならないというのなら、自慢の脚力に任せて蹴り技で穿つまで。丸太のような左脚を大きく振り上げ、鞭のようにしならせた。

 間合いは完璧。タイミングも最善と言える。

 痛恨の威力を誇る上段蹴り(ハイキック)がギルスの頬から頭部にかけて狙いを定めて振るわれる。風を切る音色の直後に生々しい破砕音が轟く。大槌で頬を殴られたようにギルスは縞馬(ゼブラ)の蹴撃をもろに喰らった。赤色の複眼と銀色の牙から溢れ出した流血が脳漿を混じらせて飛び散る。

 

 頭蓋骨を砕いた感触。

 間違いない。脳が逝った。

 

 脳を潰されて生存できる生物は少ない。たとえ、限度のない甦生を可能とする生体であったとしても、脳を損失した状態では意味がない。傷が癒えて五体が完治したとしても、それを動かす器官が無ければ死んだも同然である。所詮は糸の切れたマリオネットだ。

 縞馬(ゼブラ)は勝利を確信した。独自の進化を遂げた堕天の獣(ネフェリム)も所詮はこの程度に留まる。やはり、アギトのような奇蹟を具現するには至らない。人ならざる獣如きが、神の領域に届くはずが──……。

 

 いや、それこそどうだ。ありえないのでないか。

 

 この化け物は、もはや生物としての規範を超越している。

 

 生あるものは必ず老いる。死の呪縛こそ生物の根源たる証。死あっての命。そこから(はぐ)れたものを生命とは呼ばない。

 

 死から解き放たれたもの。命から解き放たれたもの。

 

 それはもはや〝神〟なのでは──……。

 

 前頭骨を粉砕されたギルスは大脳に深刻な損傷を負った。そのまま事切れたように前のめりになって倒れる──()()()()()、何事もなかったように身体を瞬時に捻らせ、危機を察知したロードノイズの咄嗟の防御を凌ぐ激烈の反撃(カウンター)を叩き込む。

 ()()()()と、全身を揺さぶるような鈍重な衝撃(インパクト)が突如として縞馬(ゼブラ)を襲う。それは解き放たれた神槍の如き鋭利なる殺傷力を携えた豪速の前蹴りであった。黒き縞馬(ゼブラ)の腹部には蛮神(ギルス)の漆黒の右脚が突き刺さり、殺伐とした衝撃が波状となって筋骨を蝕む。数秒遅れた後、ついに耐え兼ねたロードノイズの腹部が、針に突かれた水風船のように炭素の小さな飛沫をいくつも噴き出した。

 馬鹿な、と狼狽える縞馬(ゼブラ)の目には、血管が破裂するほど拳を握り締め、更なる地獄を見せつけんと殴殺の構えを取った死神が迫る。

 (はや)い。

 異常(はや)すぎる。

 

「■■■■■■■■■■ォオオオオオオッ‼︎」

 

 大地を激震するギルスの裂帛は豪速の拳となって黒の縞馬(ゼブラ)の顔面を粉砕した。聴いたこともない悲惨な音が炸裂し、首から上が文字通り一瞬で消し飛んだ。ロードノイズの中枢を担う心臓の部位は運良く免れたが、その途方もない凶暴な衝撃は縞馬(ゼブラ)の逞しい躯体を紙屑のように吹き飛ばし、神格との邂逅に等しい耐えがたい畏怖をこの場に居るすべての者に刻みつける。

 確かに頭蓋骨は割られたはずだ。脳は損傷したはずだ。

 なのに、一向に死なない。死という原理がこの深緑の獣を避けているかのように、命に終わりが訪れない。いや、そもそも生きているかさえ怪しい。生きているのか、死んでいるのか。あるいはただ戦うためだけに存在しているのか。

 

「戦うために生まれ、戦うためだけに生きる」

 

 それはまるで。

 

「修羅……」

 

 雪音クリスはそう呟いた。

 腹の底から湧き上がってきた耐え難い感情に委ねて。

 

『g▽×°≠o☆f°=<<ig\\:◇ht!!!!!』

 

 二体のロードノイズが全く歯が立たずに破れてしまった事実を目の当たりにした他の災害(ノイズ)が、蹶起するように雑音の叫びを上げると、それを合図にして一斉にギルスへと強襲を仕掛ける。色彩の激しい災害(ノイズ)の束が一方向へ向かう光景は、虹色の津波が流れ込むようだった。

 数で押し切るしかないと踏んだのか。それとも欠損したロードノイズの身体が再生するまでの時間を稼ごうと考えたのか。如何なる理由があれ、利口とは言えない。この獣の如き荒神の前にして、戦う意思を捨てぬことは無意味に等しい愚行と変わりない。

 

 エクシードギルスは強すぎた。

 今まで未確認生命体第三号の強さには、多大なるデメリットが付き纏っていた。エネルギー不足による肉体の衰弱。それは状況を選ばず、常にギルスの肉体をその生命ごと容赦なく蝕み、ハイエナのように食い散らかしていた。

 だが、超越者(エクシード)へ禁忌の進化を終えた現在(いま)のギルスの体内には、立花響によって起動された完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》の刃──その破片が残存している。その半永久的な神秘は著しく劣化しているとはいえ、未だ効能は()()していると言える。

 飢えるほどに欲していたオルタフォースが、(からだ)を内側から突き破る勢いで激しく巡っている。もはや、体細胞がどれだけ老化しようと破壊(はえ)しようと構わない。それを遥かに上回る超速再生とその奇蹟を可能とする代償(コスト)がこの肉体には揃っている。

 そして、《不朽の剣(デュランダル)》が生み出す過剰とも言える莫大なオルタフォースを制御する賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)も錬成された。これによって、有り余るほどのオルタフォースを効率的に肉体へ分配し、制御下に置くことができる。

 

 力。

 解き放たれた力。

 

 枷で縛られた獣はもういない。己が身に染みた無頼の暴力を思う存分に振るう。ああ。なんて新感覚。これが自由。これが自然。まるで世界と一体になったみたいだ。何も考えなくていい。何も思わなくていい。ただ、ただただ、いまはこのすべてが、狂おしいほどに愛おしい──……。

 

 きもちがいいね。なにもおもいだせないけど壊シテシマエ 何モ思イ出セナイヨウニ

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■オオオォォォォォォッ‼︎」

 

 咆哮。

 そして爆裂。

 巨大な群体と化した災害(ノイズ)の山が個体であるギルスへのしかかり、身動きを完全に封じたかと思えば、次の瞬間には大量の災害(ノイズ)の肉片が無慈悲に弾け飛んでいる。荒ぶる魔神の絶叫が轟き、有象無象の耳障りな雑音が手当たり次第に引き裂かれては死に絶える。

 超越者(エクシード)の禍々しい躯体には、他の生命を殺すためだけに発達したと(おぼ)しき凶器の数々が隠すことなく曝け出されている。肩には大鴉の翼のような形状を模した黒き爪が飛び出ており、蟷螂の前脚のような鎌刃は腓骨と脛骨の間から生えている。背中には広範囲で機能する魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)が備わり、両腕からは臓物を刈り()る曲線が描かれた紅の鉤爪とそれとは逆方向に伸びる漆黒の爪が常に敵の命を無作為に蹂躙している。

 まるで、全身が武器だ。たとえ、四面楚歌と言える現状況であろうと、同時に交わされる複数の攻撃に対して、前後左右の方向に囚われることなく対応でき得る恐るべき生体の構造である。それも防御や回避といった自己の防衛ではなく、あくまで殺害の手段として各器官は発達を遂げている。

 触れるだけで殺せるように。

 一匹でも多く殺せるように。

 尋常ではない闘争と殺戮への妄執に近しい渇望は、エクシードギルスの存在そのものを形作っている。

 

 誰にもアレを止めることはできないのだろう。

 

 誰にも……その変身者でさえ……。

 

「どうする……どうすりゃいい……?」

 

 雪音クリスは考える。残酷な結論ばかりが頭を満たすが、たった一粒の希望を模索する。あの傍若無人な埒外のバケモノを野に放つことだけは避けねばならない。アレは見境なく人を殺す。街の一つや二つは崩壊するだろう。ノイズより遥かに厄介だ。ここで止めておかねば、最悪の場合は戦争も起き兼ねない。

 それは雪音クリスが望むものではない。

 

「わからねぇ……ッ‼︎ 力を制するのは力だけだってのに、アレ以上の力をアタシは知らない……! クソッ! フィーネはこんな時に何やってんだ……⁉︎」

 

 まさか、これも計画の内なのか──?

 

 ──……ち! ……いちッ!

 

 困窮するクリスの意識に突如として掠める残滓のような儚い音が響く。

 

 ──しょ……い……! きこ……な……ァ!

 

 辺りを見渡すものの、この場で言語を発せられる人間といえば、雪音クリスと依然として気絶している立花響と──知らぬ内にどこかへ消えてしまった彼女の主人だけだ。

 

 ──おも……だせ……ッ! おね……が……もと……どって……!

 

 この声の主はどこにも見当たらない。

 

 ──いな……のか⁉︎ ここ……に……ない……のか⁉︎

 

(な、なんだ……? こえが……どこから……?)

 

 次第に彼女の視線が一つの方向に定まる。理由はわからない。どこからともなく頭に流れ込んだ悲痛を語る叫び声が、雪音クリスの第六感を突き動かしていた。

 何かがいる。

 きっとあそこにはもう一人いるのだ。

 生命の輪廻から外れた怪物は数多の生傷から血を浴びながら、蛆虫のように跋扈する災害(ノイズ)を踏み潰し、終わりなき殺戮に身を堕とす。身も心も血みどろになった化け物。人間には戻れない。どうやっても戻ることは叶わない。

 

 それでも少女は叫び続ける。

 

 ──もう、そこにいないのか、翔一ィイイイイイイイイッ!

 

 彼の名を、何度でも。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■アアアアアアァァァッ‼︎」

 

 少女の声が獣の咆哮に掻き消される。

 

 彼はもうそこにはいないのだ。

 

 いないのだ、どこにも。

 

「■■■ァッ‼︎ ■■■ァァ‼︎ ■■■ォォオオオ‼︎」

 

 その事実はこの怪物の動きが語っている。

 神の如き超越者(エクシード)に挑む災害(ノイズ)の総力は非常に高い。数に勝る戦力はない。飛行型や爆撃型による多角的な戦術も見込める。これに相対する者は多彩な災害(ノイズ)が組む陣形の意図を事前に汲み取る必要がある。

 少なくとも、未確認生命体第二号と第三号は戦闘においてノイズの組織的な動向に常に気を配っていた。そうでもしなければ、状況によっては容易く詰む場合があるからだ。ただでさえ、多勢に無勢を強いられる戦いにおいて、敵側に戦術的な要因を与えることは敗北に直結する。浅くは囲まれないように立ち回る。深くは敵陣の急所を狙える位置と逃走経路を常に確保する。これを損なえば、待っているのは死という敗北だ。

 その考えは雪音クリスや風鳴翼にとっても概ね同じである。

 災害(ノイズ)は単体ではない。多数の集団を相手取るのだ。如何に激しい攻勢に押されようとも、眼前の敵を処理するために視野を狭くすれば、勝敗の天秤が一気に傾いてしまう。重要なのは判断力。対ノイズ戦の肝はそこにある。それは覆しようのない定説と言っても過言ではない。

 

 にもかかわらず。

 

「■■■■■■■ォォ‼ ■■■■■■■■アアアァァァ‼︎」

 

 エクシードギルスは圧倒的な物量に対して、個の〝力〟で応えていた。

 数的不利を物ともせず、万象を捻じ伏せる純然たる暴力(ちから)の行使によって、戦況を打破する()()()()な強さ。殴られたら殴り返す。蹴られたら蹴り飛ばす。刺されたら刺し返し、斬られたら真っ二つに斬り裂いて息の根を止める。

 そこに武芸や躰道の心得は存在しない。嘗ての仮面の戦士が見せた絶技と称すべき体術の一片すら残されていない。最小限の動作で多数の敵の攻撃を(かわ)し、一瞬の隙を突いて反撃に転じるあの超人的な戦い方はどこにもない。

 これは暴力だ。

 あるがままの暴力だ。

 災害(ノイズ)が知略巡らせ追い詰めようと、数に任せた消耗戦にもっていこうと、それらを容易く凌駕する根源的な暴力で圧し潰す。最も単純にして、対策のしようのない、絶対的な強者のみが許される戦い方。

 

 即ち、神の領域。

 

 あの青年が絶対にしないような──スペック任せのゴリ押しである。

 

 (はた)からみれば、蟻に(たか)られた地を這う羽根なき蝶のような有様である。しかし、穴だらけになった血腥(ちなまぐさ)い身体を振り回して、高笑うかのように吼えては、血潮滴る両腕の鉤爪で敵の顔面から股下まで貫き、真っ二つに裂いて惨殺を謳歌する。

 頭がおかしくなりそうだ。ノイズの攻撃はもはや集団リンチに近い。だが、現実の光景に反して、一方的に虐殺されているのはノイズの方だ。赤い血が飛翔するとその倍以上の手足や首が跳ねる。鳴り止まぬ叫喚と咆哮が混ざり合って、地獄のような狂宴を色濃く彩る。

 恐ろしい。

 今はただ恐ろしい。

 震えが止まらない。これは恐怖か? ──血の気が引くような戦慄に身を固めるクリスの(まなこ)に、欠損した肉体の再生を終えたばかりの黒の縞馬(ゼブラ)が粉骨砕身の勢いでギルスの懐へ突撃する姿が飛び込んできた。

 一匹、また一匹と、血に溺れる狂気の蛮神の手によって絶えず死滅していく雑兵(ノイズ)の群体を掻き分け、手頃なクロールノイズを踏み台にして、跳馬のように大きく飛翔した漆黒のロードノイズは眼下にギルスを捉える。

 

「■■■……ッ‼」

 

 逃げも隠れもせず、守りも避けもせず、ただ目前に迫る敵の(はらわた)を搔っ捌きながら、血反吐と共に吼え続ける蛮神(ギルス)もその脅威へ無視を決め込むことはできなかった。

 敵は皆殺しだ。

 例外はない。

 絶え間なく打ち寄せる大波のような災害(ノイズ)を、異常な腕力に任せた横一閃の薙ぎ払いで斬り伏せる。刹那にて一斉に飛び上がるノイズの首。しかし、また新たなノイズが後方から代わる代わるに飛び出してくる。

 四方から徐々に狭めてギルスを包囲する雑魚(ノイズ)の群体を、ギルスは邪魔だと言わんばかりに鎧袖一触の残虐たる鉤爪で殲滅していく。止まらない。止めることもできない。足が刺されようとと腕が折れようと何も感じず、ただ盲目的に鏖殺する異形の神。

 

「■■■■■■ォォォ⁉︎」

 

 だが、ついに圧倒的な物量が初めて功を奏した。

 エクシードギルスの両脚に、ヒューマノイドノイズとクロールノイズが半ば引き摺られようになりながらも、しがみついたのだ。

 動きが僅かに鈍るギルス。

 好機と見てノイズが一斉に飛びかかった。その一瞬の内に、縞馬(ゼブラ)の姿が視界から完全に消えた。そして、機動力を殺された蛮神(ギルス)の逞しい肉体に、ノイズの爪が針山のように何本も突き刺さる。両手両足は無論のこと胴体や喉すら貫通している始末。錆びついた鮮血が()()()()と果肉が捻るような不快な音と共に傷口から溢れ飛び散る。

 だが、ギルスは痛がる素振りすらせず、怒髪天に達する修羅(アスラ)の如き雄叫びを大気に震わせながら、ノイズをふるい落とし、踏みつぶし、叩き落としてはその脳天を両手で引き裂いた。

 恐ろしき姿。しかし──。

 憤怒の蛮神によって死滅の一途を辿るノイズの影に潜んだ者がその殺戮の領域へと大きく踏み込んだ。

 

 無惨に葬り去られたノイズの残骸を隠れ蓑にし、距離にして三メートルまで急接近した黒の縞馬(ゼブラ)は手掌を獲物を狩る鷹の趾のような鋭い構えのまま、ギルスの心臓に突き出した。

 ()()()()と、鋼鉄が削れ合うような音色が爆ぜる。

 縞馬(ゼブラ)が放った決死の一撃は真紅の鉤爪によって完全に阻まれていた。如何に敵意に敏感であれ、これだけ周囲から絶えず殺気を向けられていては反応できまい──と、ロードノイズは先程まで思考していた。その思惑は外れていない。どれほど感知能力が秀でていようと、攻撃を捌き切れなければ何の意味もない。

 何の意味もないのだ、捌けなければ──……。

 

『koitu……??!! dokomade!!!!!!』

 

 感情の色を含まぬ血の複眼が黒の縞馬(ゼブラ)を呑むように捉えた。悪寒が走るも次の瞬間には、縞馬(ゼブラ)の腕は散弾が破裂したかのような暴力的な衝撃を受けて、上方向に弾かれた。火傷のような熱が前腕から伝わる。殴られたのか、蹴られたのか、目で追跡できなかった。

 再度攻撃を仕掛けるため、もう片方の腕を脇下まで引き絞る。敵の速力は計り知れないが、両者に肉弾戦を強いるこの間合いなら出の早い欧撃が圧倒的に有利であることには変わりない。

 淀みなく左腕の拳骨を水平に放つ縞馬(ゼブラ)だったが、その直後に(つんざ)く烈風が軽快に走り去った。

 

『ghgg……??!!!?』

 

 縞馬(ゼブラ)の腕が、またもや虚しく宙に舞う。

 あの触手か。それとも爪か。駄目だ。何も見えなかった。来るとわかった時には断ち切られている。腕を押し戻そうとした時には切られた後だ。何もかも後手になる。

 再び片腕を奪われた黒き縞馬(ゼブラ)

 しかし、敗北感や諦念に身を任さず、是が非でも()()()()()()()()()()()()()()()という使命感のみを活力にして、勇猛なる一歩を踏み出したも束の間、()()()と体幹が滑るように崩れ落ちた。

 右足が斬られている。足首から下をさっぱりと。

 次は左の足。今度は見えた。紅の双爪が流れるように太腿を引き裂いた。やはり(はや)い。思考と初動の(ラグ)がない。あれは本能で戦っているヤツの動きだ。考えていないんだ。殺すこと以外は何も、覚えていないんだ。

 

『bakemono me……』

 

 両脚を奪われた黒色の縞馬(ゼブラ)は前方へ崩れるように倒れようとしていた。雨に打たれたかのような深紅の流血を浴びている蛮神(ギルス)はそれを無感情に見下ろしている。逃げる隙もない。こいつの視界に入った時点で、生存の可能性は呆気なく地に落ちたのだ。

 魔神の双爪(ギルスクロウ)の血染めの尖鋭が殺伐と閃いた。

 ドスッ、と。

 無念を嚙み締める黒い縞馬(ゼブラ)の左胸で鼓動していた心臓が一撃で制止する。全身を構成する強固な細胞が結合の崩壊を始め、無機質な炭素の塊へと変貌を遂げる。

 縞馬(ゼブラ)の黒いロードノイズは活動を永久的に停止した。

 また一つ、神話の遺物をこの世界から葬り去った。

 エクシードギルスは完全に炭化を終えた縞馬(ゼブラ)の死骸を蹴り破り、文字通り粉々にして踏み躙ると、紅色の鉤爪に突き刺さったままの漆黒の心臓を地面に叩きつけ、煌々とした黒い鮮血を撒き散らした。

 

「■■■■■■■■■■■■■■ァアアアアアアアアアッ‼」

 

 朽ちて灰となる災害(ノイズ)に一瞥も暮れず、闘争に縋る本能赴くまま、血みどろの蛮神(ギルス)は叫び続けた。

 勝利の愉悦など要らない。己が渇望するは新たな命。それを殺すことのみ。理由はない。理屈もない。ただ、そういう存在であるだけ。そのような業を背負っただけ。

 神は常に理不尽を象る。これもその一種に過ぎない。

 

『suki wa atta na GILLS!!!?!』

 

 突然のことであった、地中から白い腕が飛び出してきたのは──。

 

「■■■ッ⁉︎」

『osoi!!!』

 

 正確には地面の中ではない。無慈悲な塵殺によって積もりに積もった災害(ノイズ)の死骸である煤に紛れて、息を潜めていた白の縞馬(ゼブラ)が起こした奇襲であった。

 (はな)から黒の縞馬(ゼブラ)は囮であった。この殺戮の化け物を地獄に叩き落とすには多少の犠牲も安い代償の一つでしかない。

 

 再生されたばかりの筋骨隆々とした四肢で、全身に物騒な刃物を携えたエクシードギルスへ臆せず組み付く白き縞馬(ゼブラ)のロードノイズ。当然のように蛮神(ギルス)の各部位に備わる爪が縞馬(ゼブラ)の肉体に突き刺さった。

 しかし、白い縞馬(ゼブラ)はギルスの突出した機動性を封じることにこそ勝機を見出していたため、如何なる理由があろうとも離すことはなかった。

 死に物狂いで暴神の躯体を抑え込む白の縞馬(ゼブラ)の脇腹にギルスは肘鉄を何度も喰らわせるが、その執念が弱まることはない。

 背中から解放された二本の魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)が粘液を散らしながらロードノイズを絞殺せんと鼠を喰らう大蛇の如く巻きついた。

 白き縞馬(ゼブラ)の脊髄ごとへし折る膂力で絞め上げる。

 

『ssi……sindemo hanasanu??!!?!』

 

 しかし、ロードノイズは力に屈さない。着実に這い寄る死と恐怖を振り払うように、ギルスの血塗れの肉体に縋り付く。

 

『kisama no shimatu no shikata ga wakatta!!!!!』

 

 真紅の触手は有情なくぎりぎりと頸を締め付ける。これが人間であれば、既に気道は潰され死に絶えている状態だ。耐えられるものではない。

 

『sore ha……kono sekai kara kieru koto da!!??!!』

 

 (しぼ)られていく。(ほど)けていく。

 

『yorokobe……kisama no daisuki na tatakai da……』

 

 されど、白の縞馬(ゼブラ)は勝ち誇っていた。それは使命を全うした戦士の零す細やかな愉悦。己が命を犠牲にして果たした役目は、必ずやこの蛮神を地の底へ引き摺り下ろす。

 

『warera no sekai de eien ni samayoe GILLS??!!!』

 

 そして、ついに──。

 魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)の怪力による絞首に耐え兼ねた白き縞馬(ゼブラ)の頭が捻れ飛んだ。それと同時に著しい弱まりを見せた縞馬(ゼブラ)の拘束から素早く脱したギルスが両腕の双爪で火花を散らしながら、白い縞馬(ゼブラ)の四肢や胴体を瞬く間に切断する。

 鮮やかな手腕で五体をバラバラに解体された白の縞馬(ゼブラ)から心臓を掻き取る行為は実に容易いことであった。呆気ない幕引き。黒い鮮血を走らせたギルスは次なる標的を探さんと踵を返す。

 

 その時からだった。

 音もなく、匂いもなく、超越者に気取られることもないままに、その異質な現象が現実を静かに蝕み始めていたのは──。

 

 ギルスの背後から約十五メートルほど先に、半壊した工場施設の一部であろう建造物の壁が黒い墨汁が滲むようにして(ゆが)み始めている。大きさは直径三メートル程度。周辺の瓦礫や鉄屑を巻き込みながら、息を潜めて少しずつその規模を拡げている。

 

(あれは……ゲート⁉︎)

 

 雪音クリスだけがそれに気付いていた。

 完全聖遺物《ソロモンの杖》によって幾度となく故意に引き起こされていた次元障壁の限定的な開放の際に生ずる現象の一端。謂わば、これは認定特異災害であるノイズの発生源である。

 しかし、待てど災害(ノイズ)は一向に出現しない。この黒い空間の(ひず)みは、異界と現世を繋ぐ物理的な出入り口なのだ。門が開放された時点で、人類の抹殺を掲げるノイズが我先にと溢れ出て然るべきはずなのだが──……。

 

 ──われら の せかい で えいえん に さまよえ ギルス!

 

「まさかッ」

 

 ロードノイズが最期に残した呪詛の真意を汲み取ったクリスが次の瞬間に見た光景は、突如として地中から出現した巨大な芋虫(ワーム)型のギガノイズであった。

 白き縞馬(ゼブラ)の命令を予め受けて、次元障壁の穴が生じた位置の軸線上にギルスが立つ機会を地中から伺っていたのだろう。恐らく、あの(ゲート)縞馬(ゼブラ)のロードノイズが意図的に開放させたものだ。自身の命と引き換えにしてもギルスをその場に抑え込んでいたのは、次元障壁の門が完全に開放されるまでの時間稼ぎだった。

 

 もはや、それしか無かったのだ。

 

 不死身のバケモノを、亜空間に閉じ込めるためには──。

 

 一瞬にしてギガノイズの巨影に覆われる蛮神(ギルス)は棒立ちのままであった。まさか自分が窮地に達していようなどとは微塵も想像していないような自然体である。

 猛牛のような双角を天高く振り上げた芋虫(ワーム)はその尋常ではない巨躯を存分に生かし、凄まじい遠心力を伴った頭突きをギルスに叩きつけた。

 暴風が吹き荒れるほどの威圧を前にして、反射的に両腕を交差させたギルスの防御(ガード)と双角がぶつかると同時に、アスファルトの地面が砕けた。

 その威力たるや想像絶する。

 ゴギャッ‼︎ と、全身の骨が一度に砕け散る凄惨な音が躯体から響く。前腕肩と上腕骨が文字通り木端に粉砕し、筋肉を切り裂き、漆黒の皮膚が赤く破裂する。肋骨も四本ほど完全に逝った。あまりに果てしない衝撃ゆえに感触は消えていたが、両脚の腓骨も当然のように折れただろう。

 ズルッ──と、割れた地表の上をギルスの足が滑った。如何に超越者(エクシード)といえど簡単に抑制できる一撃でなかった。このまま押し切ろうとするギガノイズは己が全ての力を振り絞り、抵抗を続けるギルスをついに弾き飛ばした。

 両脚が地面から離れる。

 浮遊感が全身を満たす死の瞬間。

 遥か後方へ弾かれる直前に、あろうことかエクシードギルスは受け身の姿勢を大きく崩しながら腰を捻ると、脚部に備わる大鎌をギガノイズの首筋に引っ掛けた。

 よもや、この状況から反撃してこようとは思いもしなかったギガノイズの小さな悲鳴はブチリと肉を裂く音と共に消失する。

 

 受け身のことなど知るか。お前も死ね──と、ギガノイズによって弾き飛ばされながら、同時にギガノイズを斬首する。

 

 敵は葬り去った。しかし、ドライバーで打たれたゴルフボールのような有様の蛮神(ギルス)が向かう先には、当然のように解放された次元障壁の穴がある。あの門を潜り抜けた先には、人類が踏み込めない異次元の世界が待っている。

 その世界がどうなっているか、雪音クリスは知らない。

 ただ、安寧とは程遠い地獄のような闘争が待ち受けていることだけは理解できる。何故なら、あの場所には災害(ノイズ)の根源が眠っているのだから──……。

 

 轟音が(つんざ)く。

 次元障壁が開放された空間に残されていた工場施設の一部が完全に倒壊する音だ。瓦礫が砂塵のように散らばり、折れた鉄管が跳び回り、巨大な土煙が膨らむと辺り一帯を丸呑みするように包み込む。

 視認性が悪い。ここからの位置では何も確認できないが、最後にギルスが(ゲート)の奥へと吸い込まれるように消えていったことだけは確かだ。

 

 エクシードギルスは、この世から消えた。

 

 消滅したのだ、この世界から。

 

 その漠然とした事実だけが、途端に静まり返った工場施設に漂う鉄臭い空気に混じっていた。

 

「や、やりやがった……」

 

 雪音クリスは茫然としたまま口にした。そこに何の感情を宿せばいいのかもわからずに。

 

 (ゲート)が、閉じる──……。

 

 

***

 

 

 〝我が(アギト)よ。貴様に足りぬものは憤怒である。〟

 

 灰積もる(さび)れた礼拝堂。

 長椅子に腰かける薄汚れた白衣の男を、背後から愛おしく抱き締めている女はそう囁いた。

 

 〝されど、貴様はまだ運命の傀儡も同然。嘆かわしい。断じて許容できぬ。〟

 

 男は何も答えない。

 口を閉ざして(こうべ)を垂れるようにして、折られた燭台を虚しそうに見つめている。

 この廃れた礼拝堂が、男の心象を具現化した景色だとすれば、きっと彼の心は()うに死んでいるのだろう。ここには何の希望もない。色褪せている。願いも、夢も、思い出さえも──。

 

 〝絶望だけでは何も変わらぬ。何も変えられぬ。貴様がそれを一番理解しているだろうに……。〟

 

 細雪のように降り積もる灰塵が孤独な十字架を錆びつかせる。祈りすら届かず、神仏ですら死に伏した。この場所に(のこ)されたものは所詮意味のない後悔だけ。

 

 未来なんて、ありゃしない。

 

 〝故に(くさび)を一つ解き放つ。憎むなら憎むが()い。憎悪もまた貴様が捨て去ったものであろう。〟

 

 何もしたくない。

 何も考えたくない。

 

 これ以上、息をしたくない。

 

 〝憤怒(いか)れ。憎悪(にく)め。そして鏖殺(こわ)せ。この世界に価値はない。〟

 

 いやだよ。もう終わらせてくれよ。

 

 〝どちらだ。どちらを消せば、自由を取り戻す。何を捨て、何を得る……?〟

 

 いらないよ。何もいらないんだ。

 

 どうせ、失うんだから。

 

 

***

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■オオオォォォォォ──ッ‼︎」

 

 この世の(はて)に等しい絶叫(こえ)であった。

 今まさに固く閉ざされようとしていた次元障壁の門の淵を、純然たる腕力だけで押し留め、そこから這い出ようと身を乗り出す深緑の蛮神の禍々しき妄執の姿は言葉に尽くせなかった。

 さながら、地の底で揺らぐ獄炎の中から手を伸ばす咎人。まだ現世に未練を残しているとでも言うのか。血反吐を垂らしながら、指が裂けようとも構わず、死に物狂いで次元障壁の閉門を抑え込んでいる。

 ついに上半身が門の外側に這い出た。右足を上げて門を跨ぎ、半身を異次元の世界から引き抜こうとする。すると、その所業を決して赦さぬ獄卒の如き剣刃が尋常ならざる量となって、逃亡者の(からだ)へ無遠慮に突き刺さった。

 眼球、顎、喉苗、双肩、胸郭、脇腹、腹部──身体の内側に孕んだ無数の剣が突如として飛び出てきたような酷烈な光景が飛び込んできた。

 

 ノイズだ。

 次元障壁に阻まれたその先に存在している前人未到の亜空間には、無限に等しい莫大な量の災害(ノイズ)が絶えず蠢いている。これまでに確認された認定特異災害とは全く姿形を別にした個体も数え切れぬほど活動しているに違いない。

 あれはノイズの絶対的な巣窟(テリトリー)だ。

 迷い込んでしまった殺戮の神を、みすみす生きて帰すはずがない。

 流血に次ぐ流血。それに混じる脳漿と脂肪。ぶちまけられる臓物と骨の断片。脳髄を含む全身を隈なく穢らわしい肉塊に変貌させるため、(ノイズ)の群は牙となり爪となり刃となりギルスを背後から一方的に刺し殺す。何度でも殺し続ける。決して逃さぬように、その肉に杭を放つ。

 

 (むご)い。なんて惨たらしい。まるで屍肉を啄む鴉の大群のよう。目を背けたくなる。究極と言って差し支えない再生能力が肉体の治癒を瞬間的に施すがために、このような目も当てられぬ罰を受けなければならないのだ。

 なんて哀れな怪物。なぜ蘇ってしまった。なぜあのまま黙って死ななかった。そんなに死が怖いのか。そんなに命が恋しいのか。それとも最初から生きてすらいなかったのか──?

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎ ■、■■■■■■■■■■──‼︎」

 

 肺から喉へ吐き出される空気が、内出血の止まらぬ気管支の血塊に埋もれて生々しく残響する。それはもう獣の声ですらない。血の海を泳ぐ巨鯨の嘶き。死者の慟哭。

 超越者(エクシード)たる蛮神は絶え間ない死の苦痛を味わっている。しかし、後退はしない。引き戻せない。我が身を穿つ無数の杭ごと前に突き進む。果てなき地獄の底に(いざな)災害(ノイズ)らの攻撃に耐え抜き、己が肉さえ置き去りにしても構わないと言わんばかりの強引な膂力で亜空間の門をこじ開け、外に出る。

 ブチブチブチッ──と、引力に押し負けた筋肉が皮膚と共に凄惨に弾ける音が鳴る。ノイズの腕であった。一本、また一本と、四肢に絡まる鎖を断ち切るように力任せで前に進む。

 前に。

 ひたすら前に。

 それ以外のことは、何も覚えていないのかのように。

 

「マジかよ……」

 

 雪音クリスは緊張感すら手から零れ落ちるほどに唖然とした。

 帰還は絶望的だろうと踏んでいたエクシードギルスが、ついに現実(こちら)の世界に二本の脚で降り立ったのだ。その躯体には蜂の巣のように風穴が貫穿し、そこから物静かに垂れ落ちる血液が土を延々と汚している。裂かれた喉から細い息が漏れ、剥き出しになった骨が呼吸の度に大きく軋んだ。

 死にかけ。もとい死んでいるような状態。

 しかし、致命的であるはずの外傷は既に治癒を始めている。穴の空いた腹部から飛び出た(はらわた)は蛇が巣穴に帰るようにずるずると戻り、傷口が塞がっていく。潰された右目の複眼に腕を突っ込みノイズの爪を引き抜くと、破砕された頭蓋骨の再生が開始される。

 不死身だ。

 この化け物は、やはり死を伴わない不滅の存在なのだ。

 命の奪い合いでは殺せない。別のアプローチが必要だ。異次元の亜空間に閉じ込めようとしたロードノイズの策略は決して間違ってはいなかった。寧ろ、唯一と言っていい勝算だったのかもしれない。

 ただ、この化け物があまりに()()だったばかりに失敗した。

 背後にあったはずの異界と現世を繋ぎ止める災害(ノイズ)(ゲート)は今や役目を終えて完全に閉じられた。再度、そこへ押し込むことは不可能だ。

 

 ギルスは勝ったのだ。勝ち切ったのだ。何もかもに。

 

「■■、■■■……ッ」

 

 ゆらり、とエクシードギルスは焦点の定まらぬ不快な視界のまま一歩だけ前に進んだ。皮膚が爛れて骨が半分ほど露出している脚では動作が鈍い。しかし、それも超速再生でいずれは完治する。

 それまでにヤツから逃げなけばならない。

 雪音クリスは座したまま後退(あとずさ)る。腰が抜けているわけではない。まだ青銅の蛇(ネフシュタン)が完全に回復していないのだ。手足を動かして、なるべく距離を取ろうとする。

 また一歩、エクシードギルスは踏み締めた。

 盲目的な進行ではない。その方角には雪音クリスがいる。狙っているのだ。彼女の瑞々しい命を貪るために、蛮神は足を引き摺りながら進んでいる。

 瓦礫を蹴りながらクリスは後ろへ下がる。背中は向けらない。そんな恐ろしいことできるはずがない。

 さらに一歩。続けて二歩。負傷した足が完治したのか、ギルスの踏み込みが強まり、地面に散らばる砂利と硝子片が微かに震動する。

 それに対してクリスの動きは止まった。背中に冷たい感触が当たる。横転した大型トラックの荷台が逃げ場を遮り、これ以上の後退を許してくれない。

 今の青銅の蛇(ネフシュタン)に戦闘能力は皆無だ。逃亡すら困難と言える。どのみち一方的に殺害されるだけだ。

 万事休すか──雪音クリスは苦渋を噛み締めた。

 

「………………しょう、いち……さん」

 

 その時、空気が凍りついた。

 

「……──翔一さん」

 

 途切れてしまいそうなほど細く、崩れてしまいそうなほど弱く、しかして明瞭(はっきり)と聞き取れてしまう少女の涙を含んだ言葉。

 今にも消えてしまいそうな儚い泡沫の声は、意識を失っているはずの立花響の口から唐突に零れ落ちた言葉だった。

 彼女は鉄と瓦礫の絨毯の上で人形のように横たわっている。その瞼は赤く閉ざされたままだ。

 意識を喪失した闇の狭間で、彼女はそれでも彼の名前を呼び続ける。

 

「翔一さん」

 

 何度も。

 何度でも。

 

 闇の中でその名を呼び続けた。

 

「…………」

 

 動揺と困惑が支配する残酷な沈黙。

 やがて、止まった時間が動き出したかのように深緑の蛮神は息を飲み込み瞠目する雪音クリスを無視して、意識のない立花響の方へ歩みを変えた。

 二人の間に設けられた距離は、(およ)そ十歩にも満たない。

 

「お前ッ⁉︎ 待て、待てよォ‼︎」

 

 何の感情も灯さない殺戮の怪物の意図を汲み取った雪音クリスは制止の声を荒らげた。しかし、それがギルスの鼓膜に響くことはない。闘争と鏖殺の傀儡と化したバケモノの心に何が届くというのか──。

 何も要らない。

 全部捨ててしまえ。

 

「止まれッ止まれよクソォ‼︎ アタシはここにいるぞ!」

 

 何も聴こえない。

 誰の声も聴きたくない。

 

 ──……ち!

 

 もう死んだ。

 この魂は死んだんだ。

 

 ──……くれ! ……ってくれ……いちっ!

 

 生きていれば、人は必ず何かを壊す。

 それがイヤだから、破滅(おわり)を求めたのに。

 

 ──止まれッ‼︎ 止まってくれ、翔一‼︎

 

 ()()()()()

 

 どうでもいいよ、もう。

 

「■……ぜん■■……」

 

 血に染まった闇に溺れた虚な複眼が、涙を浮かべて眠る立花響の頭上を見下ろした。

 

 ──翔一ぃ‼︎ 思い出せッ‼︎ お前が忘れるはずないんだ!

 

 胸の真ん中に埋められた石碑から煩く何かが問いかける。

 

 ──何のために戦った⁉︎ 誰のために傷ついた⁉︎ 思い出せ、思い出してくれぇ‼︎

 

 何かを言っている。

 何かを伝えようとしている。

 でも、肝心の意味がわからない。

 

 ただ脳味噌に(やかま)しく響いて不快としか思えない。

 

きえ■……■■いら……」

 

 絡みつく因果と運命を断ち切らんと、エクシードギルスは真紅の鉤爪を断頭台に吊るされた刃のように振り上げた。これを降ろせば、きっと楽になれる。地獄のような輪廻から解放される。迷う理由は見つからない。

 立花響は動かない。彼女の意識はまだ戻らない。一筋の涙が小さな流星のように頬を伝うだけで、不憫な獣を憂うように抵抗の一切を放棄している。

 少女と獣。

 相容れぬその終局はやはり〝死〟によって綴られる。

 

「待て、待て待て、待ちやがれッ‼︎ やめろ、それ以上は───……」

 

 遠くの方で雪音クリスが焦燥と動揺に喉を涸らすものの、狂気と憤怒の坩堝に陥るギルスの心には響かず、一握りの躊躇も介さずに断罪の紅刃を振り下ろした。

 

 

 ──とまれ、翔一ぃぃいいいいいいッ‼

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■おおおおおおッ‼‼」

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ、俺はいつも間違えてしまうのだろうか。

 

 正しいことなんて、ひとつもなかった。

 

 頑張って、頑張って、ぜんぶ裏目に出た。

 

 それでも歩き続けて、這いつくばりながら()がいて。

 

 何かを壊して、何かを失って、また絶望して。

 

 屍だけが積み重なって。

 

 罰の与えられない罪ばかりが残って。

 

 死んでしまえ消えしまえと呪いながら、また道を踏み外す。

 

 もう飽きた。

 

 何も要らない。

 

 何も欲しくない。

 

 誰でもいいから終わらせてくれ。

 

 

 俺を殺してくれ。

 

 

「──それはあなたの〝心〟じゃない」

 

 天使の翼に触れられたような温もりが、無情を司る獣の仮面を優しく撫でる。

 

「あなたの正義(こころ)を……魂の自由を取り戻して、仮面ライダーギルス」

 

 風鳴翼は血に穢れた怪物を両手で抱き締めた。




実質シン仮面ライダーです(大嘘)
暴走を止めるのはヒロインのハグって日本書紀にも書いてある。
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