ハルトナツ   作:マスクドライダー

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日常回と見せかけ実は重要な話。
一夏ちゃんの心理描写にご注目ください。


第6話 笑って生きよう

『あ、あの、それ返してほしいな。僕、まだ描いてる途中で――――』

『うっせー! 知ってんだぞ、お前の爺ちゃん有名人なんだろ。マネしてこんなへたっぴな絵描きやがって!』

 

 ――――また昔の夢だ。こんな頻度で見るなんて、最近はいったいどうなっているのだろう。忘れもしないあの日、僕が俺になった時のことだ。

 確か小学校一年生の頃、同級生のガキ大将みたいな子に描いていた絵を取り上げられたんだったっけ。普段からオドオドしている僕は、彼にとっては格好の標的だったんだろう。

 多分、僕が困ったり悲しんだりしてるところを見て楽しんでいたんだと思う。得てして人間そんなものだ。他人の不幸は蜜の味なんて言葉もあるんだから。

 

『ヘヘッ、こんなもんこうだ!」

『ああっ……!』

 

 あろうことか彼は、僕が抵抗する気がないのをわかっていて画用紙を破り捨ててしまう。だが僕は、それが真っ二つにされるのをただ黙って見ているしかなかった。

 だってそうだろ。仮に俺が抵抗したってそれは彼を更に面白がらせるだけで、返り討ちに合うのが関の山だ。

 自分にそう言い聞かせた俺は、ただ彼が自分に興味を失って立ち去るのをひたすらに待つ続けた。ただ彼を面白がらせないためだけに全力を注いだ。

 その時だった――――

 

『お前、ハルに何やってんだ!』

『ナツ……』

『……っ! ハルの絵、破いたのかよ……。ハルが一生懸命描いてた絵なんだぞ……。お前はそれを……。許さねぇ! ハルに謝れ!』

『な、なんだよ! 文句があるならぶっ飛ばしてやる!』

 

 僕を探しでもしていたのか、そこに現れたのはナツだった。半泣きで散り散りになった紙を集める僕を見て状況を把握したらしく、ナツは一気に感情を爆発させた。

 こういう状態のナツは、例えどんな相手でも掴みかかっていくのだろう。今回もその例に洩れず、体格のいいガキ大将に躊躇なく詰め寄って行った。

 そこからは大立ち回りというやつで、二人はドタバタと砂埃を巻き上げながら殴る蹴るの喧嘩を繰り広げ始める。

 そして両者とも砂まみれになった頃、ナツのマウントポジションから放つ強烈なパンチがガキ大将の顔面にモロ入った。それが決め手となったのか、彼は大泣きしながらどこぞへと走り去っていった。

 

『……ったく、情けないやつ。ハル、大丈夫か』

『大丈夫かって、ナツの台詞じゃないじゃないか……。そんな、くだらないことで傷だらけになって。絵なんて、またいくらでも描き直せるのに……!』

 

 ナツは身体中に着いた砂を叩き落としながら、逃げて行くガキ大乗の背中に辛辣な言葉を投げかけた。

 けどそれはナツの台詞じゃない。僕がナツに言うべき台詞だった。

 だからものすごく情けなかった。僕は実害があったわけでもないのに。だから少し馬鹿らしく思えた。また描き直しができるのに。

 今度こそ僕が泣きながらそう伝えると、ナツまで怒り出してしまうではないか。

 

『くだらなくなんかねぇよ! ハルの努力を、ハルがくだらないなんて言ってんじゃねぇ!』

『けど……』

『けどもへったくれもあるか! いいかハル。相手が誰だろうと、俺はお前の努力を笑うやつがいたら許すつもりはねぇからな! 俺はハルが頑張ってんのを知ってんだよ! じっちゃんみたいな絵描きになりたいって頑張ってんのを、俺は近くで見てきてんだよ! それを、こんな……!』

 

 僕には始めどうしてナツがそんなに怒っているのかが理解できなかった。あれは僕が描きかけだった絵であって、ナツには関係のない話だっていうのに。

 けれどナツの、打ち捨てられた画用紙の残骸を拾うナツの悔しそうな表情を見て気が付いた。きっとナツは、怒らない僕の代わりをしてくれているんだって。

 それは確かに悔しくはあった。けど、下手な絵というのも間違ってはいない。描き直せばいいというのも本心だ。どちらかと言えば悲しいのであって、憤りに関しては全く感じていなかった。

 そんな僕に代わってナツは――――怒って、嘆いて、悔やんで、僕を励ましていてくれているんだ。そう考えた途端に、僕は――――

 

『ナツ、ごめん……。僕がもっと、もっとちゃんとしてれば、ナツが……!』

『泣くなって、こんなの怪我のうちに入らないからさ』

 

 この日のナツは、僕の嗚咽交じりの言葉をこう解釈したことだろう。僕がもっとしっかりしていれば、ナツが怪我することもなかったろうに……って。

 けど、違う。そうじゃないんだよナツ。僕が言いたかったのは、ナツが僕の代わりをすることなんてなかったのにって、そう、言いたかったんだ。

 ナツが僕の代わりに怒ったりとか悔しがるのは凄く嫌だった。僕が嫌な気持ちをする以上に、嫌な気分が胸中を渦巻いて仕方ない。

 僕がそんな気持ちにさせた張本人だという事実は、更に僕を嫌悪の坩堝へと落としていく。もはや真っ直ぐナツを見れないくらいに、僕はただ悔しくて――――

 

『ん~もうちょっとこう、ハルがなめられないで済めば――――あ、そうだハル。自分呼ぶの、僕から俺に変えてみろよ』

『え……?』

『口調とかオドオドしたの今すぐ直せとは言わねぇ。というか、別に俺は直さないでいいと思うけどな。でもよ、僕と俺とじゃ少しでも自分にガッツみたいなのを入れられるんじゃないかなって』

 

 ナツは四つん這いになっていた僕の顔を上げさせると、いいことを思いついたぞとどこか得意気な表情を浮かべた。

 そしてピッと人差し指を立て、とりあえず一人称を僕から俺へ帰るところからやってみようと提案してくる。

 そういうナツは僕を責めようという気は全く見られず、心底から僕がもっと力強くいられるよう願ってくれているのがよくわかった。

 瞬間、またしても目頭が熱くなっていくのがわかる。ナツはこんなにも僕のことを想ってくれているのかと。だから僕は、ナツの期待に応えたいという一心で――――

 

『あ、あぁの、その、お、お、お……俺……?』

『……ブッ! ハッ……ハハハハ! ハル、なんで自分のこと俺って言うだけでそんな不安そうなんだよ!』

『だ、だって、多分変だし、似合わないと思うから……』

『気にすんな、そのうちハルも周りも慣れるよ。じゃ、ハルも一歩前進したことだし帰ろうぜ』

『……うん』

 

 決意を新たにハッキリ俺と宣言するつもりだったが、直前で萎縮してしまう。最終的には疑問形交じりの俺が飛び出るではないか。

 そんな俺が可笑しかったのか、ナツはしばらく腹を抱えて笑い転げた。ナツに悪気はなかったろうが、羞恥で顔に熱が集まってしまう。

 でも、ハルがひとしきり笑った後に言った慣れるという言葉はどうも心強かった。まるで、そのうち胸が張れる時がくると言われているようで。

 そうしてナツは立ち上がると、未だ座りっぱなしだった俺へと手を差しのべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きてーっ!」

「わーっ!? なになに!? なにごと!?」

「何じゃないよもう。珍しく全然起きてくれないから心配するじゃない」

 

 突然耳元で鳴り響いた大声に驚いた俺は、布団を蹴散らしベットから転がり落ちるように飛び出た。まだ寝ぼけた頭で何が起きたんだと前方を見渡すと、ナツが目の前で仁王立ちをしているではないか。

 珍しく寝覚めが悪い……? その言葉からして、何度も起こしに来たということなのだろうか。どちらにせよ心配はさせてしまったらしい。

 多分だけど昔の夢を見ていたからだろう。俺にとっては始まりの日であると同時に、ナツにあんな想いをさせた日でもあるわけで。

 まぁ、とりあえず謝っておかないと……。……今謝ると、違う意味も込めてしまうかも知れないが。

 

「ごめん、心配かけて」

「ううん、それだけ大騒ぎできるなら大丈夫だよ。私のほうこそ、驚かせてごめんね」

「じゃあ、えっと、おあいこってことでひとつ」

「フフっ……。そうだね、そうしよっか」

 

 それこそ平日だったら布団を引っぺがされていたろうが、最大まで放置しておいてくれたのはナツなりの慈悲だろう。

 それにつけても限界がきたゆえの大声だったわけで、やはり迷惑をかけたのなら謝るというのは共同生活を送る上での鉄則だ。

 それでいて、ナツのように許すことも……かな。かれこれ十年にも及ぶ同居してきたが、こうして尊重し合うことで特に大きないざこざも起きたことはない。

 そうして俺はまた、差し伸べられたナツの手を取って立ち上がった。

 

「ん~……! 日差しが気持ちいいね~」

「そうだね、絶好の洗濯物日和って感じで」

 

 朝食を済ませた俺たちは、いつものように協力して洗濯物へと取り掛かる。とはいっても、後は干すだけで完了の段階だが。

 庭先に出ると、ナツは爽やかな日光を浴びながら大きく背を伸ばす。時分は春。ポカポカ陽気に包まれるのが気持ちいいというのは全面的に肯定だ。

 それだけでなく、単純に干した洗濯物が乾くというのは精神衛生上非常によろしい。逆に雨だとすごく憂鬱な気分だ。スケッチもし辛い天候だしね。

 

「それじゃ、始めよう。ハル、いつもどおりお願いね」

「うん、任せて」

 

 ナツもいい天気で気合が入るのか、フンスと鼻息を鳴らして開始を宣言。いつもどおりにという言葉を受け、いつものように洗濯籠へ手を伸ばす。

 しわにならないよう丁寧に扱いながら服をハンガーへ引っ掛けると、それを更に物干し竿へ。そんな単純作業を機械的にこなしていった。

 見る見るうちに洗濯籠の中身は減っていき、俺たちの慣れというものが伺える。初めは普通に身長が足りないで苦労したものだが。

 ……それにしても、この光景もなかなか絵になるのかも知れない。爽やかな風に揺られる服やタオルなどの洗濯物。それが爽やかな青空の下……か、ふむふむ。

 

「ハル、お疲れ様」

「ナツのほうこそ。お疲れ様」

 

 構図やら配色やらを脳内シミュレートしている間に干す作業は終わり、ナツが俺を呼ぶ声で意識が一気に引き戻された。

 いけないいけない、ボーっとしていてナツに怒られるところだった。まぁ心配して言ってくれているのはわかるけど。

 さて、この後は各所の掃除をしないとならない。手早く戻って手早く終わらせよう。そう思って縁側からリビングへ戻ろうとすると、ナツが俺に声をかけてきた。

 

「ねぇ、少し休憩しようよ。せっかく日差しも気持ちいいんだし」

「いいね。たまにはひなたぼっこもオツってやつかも」

 

 ナツのほうに目を向けてみると、縁側に腰掛けて俺に手招きをしていた。休憩がてら、もう少しこの爽やかな日差しを浴びようとのこと。

 それは大いに賛成だった。確かに今日の日差しは格別快い気がしていたところではある。そういうわけで、俺もナツに倣って縁側へ腰を下ろす。

 今となってはこの距離感も慣れたものだ。かつてなら遠慮していたこと請け合い。ナツの放つフローラルな香りには未だドギマギさせられるが。

 それでもこうして他愛のない話をしていれば気が紛れ、俺たちの間には一見穏やかな空気が流れる。そう、一見は……ね。

 やはり解せない。ナツの醸し出すこの楽しそうな様子はいったいなんなんだ。ここのところ男だった時よりもいっそう顔つきが明るい気さえする。

 ……たまには相手を傷つけてしまうことを恐れるな。ここはハッキリさせておくべきだろう。ずっと俺の中でわだかまりだった、その笑顔は本物なのかということを。

 

「ナツ、ひとつだけいいかな」

「いきなりどうしたの?」

「キミ、最近無理とかしてない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミ、最近無理とかしてない?」

 

 さっきまで日常会話を楽しんでいたというのに、急に真剣な顔つきをしたハルがそう切り出した。無理? 無理とはいったいなんのことを言っているのだろう。

 家事のことか? 確かに習いごとの影響で時間が足りない日もあるが、別に無理をしているということはない。ハルの世話は俺がやりたくてやってるわけだし。

 でも無理と言われると家事全般のことしか思いつかない。他の例を挙げようと腕組しながら頭を捻って考えるも、それらしいものはなにも浮かばなかった。

 

「ごめん、なんのことかいまいちわからないや」

「……キミは、ナツは、どんなに辛い時でも大丈夫だって笑うだろ。昔なら間違いなく見抜けた自信はあるけど、今はわからないんだ。だって今のナツは、昔のナツよりずっと楽しそうに見えるから」

 

 素直に教えを乞うことにすると、ハルはなんとも言いにくいかのように俯き加減にそう尋ねてきた。辛い時だって……か。確かに心当たりはある。

 千冬姉の影響か、はたまた両親が俺たちを捨てた事実があるせいか、潜在意識的に強く生きなければと思っている節はあるかも知れん。

 単純にハルに心配をかけたくないというのもあるのだが、この調子ではどうやらバレバレだったみたいだ。それはさておいて、本題に戻そう。

 ハルはどうやらここ最近の俺が無理して笑っているように思えたらしい。その原因は、ここ最近の俺がかつての俺より楽しく生きてるふうだから、だそうだ。

 そのかつてというのは間違いなく男の時より。俺としては口調と仕草が変わっただけでかつてのように過ごしていたつもりだが、ハル視点ではそう見えていたようだ。

 困ったな、全く自覚がないからなんとも言いようがない。しかし、それこそ俺が無理をしていない証拠なのだろうけど。でも昔のように見抜けないらしいから嘘ついてるって思われたら困るしな。

 

(いや、でも……)

 

 ……楽しいような気もしてきた。そりゃ最初はいろいろ大変だったけど、弾を始めとした男女問わずかつての友人たちの反応もあまり大差ない。

 不安の裏返しというやつだろうか。受け入れてもらえなかったらどうしようとか考えていたしで、肩の荷がおりたとでも言えばいいのかな。

 そしたら一気に吹っ切れたというか、女の子として過ごすのも苦を見つける方が難しくなった。たぶん女子たちと深い友人関係を結ぶようになったからだろう。

 女装という感覚は薄れないながらも、ファッションに気を遣うのってけっこう楽しいもんだ。あ、やっぱ俺楽しんでんじゃん。

 まぁなにより、ハルが今までどおりでいてくれるのが一番の救いなんだけどな。そうでなければ俺は、こんな考えはもたなかったはずだろうから。

 あぁそういえば、ハルに料理の腕が上がったのではと言われた時には本当に嬉しかった。ハルに美味しいと言ってもらうのもここいらは楽しみで――――

 

(……なんだ、思ったよりも俺は――――)

「えっと、ナツ。回答に困るんなら別に、その、聞かなかったことにしてくれても大丈夫だけど」

「楽しいよ」

「え?」

「うん。私、楽しく生きてる」

 

 この感情が心まで乙女に染まりつつあるせいかはわからない。けど、どうやら俺は男の時よりも人生を謳歌しているようだ。

 それら全てはハルがくれたもので、ハルと共にあれるから俺はそう思えるんだと思う。だって俺とハルは、十年もの歳月を重ねてきたのだから。

 ハルと話すのが楽しい。ハルに食事を作るのが楽しい。ハルと過ごす一分一秒が楽しい。そう思えるのは、それが当たり前のことではないと気づけたから。

 だってそうだ、俺が女の子になって拒絶されていれば、ハルといて楽しいなんて思えるはずもない。そうか、そうなんだ。この何気ない時間は、とても尊いものなんだ。

 

「だからハルはさ――――」

「むぐっ……!」

「もっとたくさん笑って?」

 

 ハルは元からあまり笑わないやつだ。微笑みを浮かべるようなことはあるけど、俺でも腹から笑った姿はほとんど見た覚えがない。

 それ以外の時はなんだか難しい顔つきなことが多く、何をそんなに思い詰めるのかと心配になるくらいだ。

 しかもハルが考え込むような様子を見せる機会はここのところ増える一方。そう、ちょうど俺の姿がこうなった時期ほどから。

 そう思うと、なんだか悔しさが込み上げてくる。ハルこそが俺を笑顔で居させてくれているのに、そのハルは俺が原因で考え込むなんて。

 だからこの際物理的でもなんでもいい。俺はハルの頬を優しめに撮むと、少しだけ力を込めて口角を上げさせた。

 しかし、口元だけ笑顔になっても目元に変化がないのでどうにも違和感が残る。そんなハルの中途半端な表情を前に俺は――――

 

「……プッ…………」

「笑ってって言っときながら、人の顔見て笑うのはどういう了見!?」

「ごめんごめん、ちょっとシュールだなって思っちゃって」

「まぁ、うん、肝に銘じてはおくけどさ」

「あ、今笑った」

「え? そ、そう?」

 

 こういう時ほどハルの反応は早いもので、頬を紅く染めながら俺に抗議をぶつけてきた。即座に手を離して謝ると、ハルはまったくとでも言いたげに口元を撫でる。

 そしてハルの手が口元から遠ざかった一瞬、ほんの一瞬だがその顔が自然な笑みを浮かべていることを見逃さなかった。

 思わず指を差しながらそう指摘すると、ハルは自分でも笑顔だったことに気づいていなかったような反応を示す。そうしてまた、なにか考え込むような表情に戻ってしまった。

 これは失敗だったと眺めていると、ハルはなんだか言い辛いことなのか、ゆっくりひとことずつ紡いでいくかのように言の葉を飛ばす。

 

「ナツがくれたものだと思う」

「へ?」

「喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、全部ナツが俺にくれたものなんだ。キミに、もう俺の代わりはさせたくないから」

「ハル……」

「だから、そうだね。なるべく笑って生きよう。俺も、ナツも」

「……うん!」

 

 ハルがそう言ってくれるのは嬉しかったが、正直何を言っているのかはよくわからない。特に後半部分の、代わりはさせないという部分。

 それはきっとハルの中に確と存在する信念か何かで、いくら俺とて気安く触れていいところでもないのだろう。

 というよりも、今はただ他のことに集中したい。この胸の奥に宿るような、温かく、それでいて切ないようなこの感覚に。

 これの正体こそまったくわかったものではない。けれど身を委ねずにはいられない。手放すにはあまりにもおしい。なぜだかそう思える不思議な感覚だった。

 すると、次第に我が身が熱を帯び始めていることに気が付いた。笑って生きよう。そう言って照れたような笑みを浮かべたハルを見ていると、カッと燃え上がるかのようで……。

 

「よーっし、休憩終わり! ハル、気合入れ直して頑張ろう!」

「ん、了解。じゃあ俺はいつもどおり水回りを」

「お風呂場、足滑らさないように気を付けてね。昔みたく大事はヤだよ」

「い、いちいち蒸し返さないでいいじゃないか。だいたい、あの時もみんな大げさなだけで――――」

 

 俺に残されている選択肢と言えば、込み上げてくるなにかを誤魔化すように振る舞うくらいだった。勢いよく立ち上がれば、いつもの調子に戻れた気がする。

 ハルもそんな俺の姿を見てから立ち上がり、どうにもノソノソと動くようにしてリビングのほうへと戻って行った。

 基本的に水回りがハルの担当ということになっているが、かつて風呂掃除中に派手に転んで大きなたんこぶを作ったという前科がある。

 それ以降俺の心配は晴れないもので、再三注意するもあまり聞き入れてはもらえない。多分だが、本人からすると抹消したい記憶なのだろう。

 しかしそうは問屋がなんとやら、逃げるように奥へと進むハルへ最大限注意を払うよう促しておいた。

 最後のほうは観念したのか、こちらへ向き直りつつ終始殊勝な態度で俺の言葉を聞き入れてくれるように。

 そして指令を与えるかのようにビシッと敬礼を送ると、ハルは慌てながらも敬礼をしてからキビキビと風呂場へ向かって行った。

 その背を小さく笑いながら見送ると、俺もリビングを掃除すべく掃除用具を手に取った。

 

 

 

 

 




一夏ちゃんの心内を書いている時が一番筆が進みます。
今回で晴人との日常が当たり前のものではないという認識になりました。
つまり一夏ちゃんの中で晴人が特別なものという認識であるのと同義でして。
つまり……? ウフフ……今後の展開を待たれよ。
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