ハルトナツ   作:マスクドライダー

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第74話 努力の証を示すは

「ハルの描いた絵は、Cです!」

『ん~…………っ、正解!』

 

 お次は回答者を入れ替え、ナツには僕の描いた絵を見抜くというお題が課せられた。

 なぜ僕の身体的特徴ではないのかと聞けば、見事にスルーされたのでまぁそういうことなのだろう。

 ……僕に特筆する特徴がないと。ええ、そうですか。自覚があるだけに、なんだか逆にモヤモヤしますとも。

 で、件の絵なんだけど、そういえば死ぬほど忙しいっていうのに一枚描かされたっけな。あの強引さの原因はここにあったわけだ。

 絵の内容はなんでもっていうから、長閑な田園風景を描かせていただいた。それを他の三枚は精工に模写しているんだけど、ナツはどうやって僕の絵とわかったのだろうか。

 それは楯無先輩も気になるらしく、正解であることを告げてからなぜわかったのかと問いかけると、僕にとっても意外な答えが返って来た。

 

「細かな描写が全然違いますよ。ほら、この民家の瓦とか」

『ど、どこ? 申し訳ないけど、私にはまったく同じようにしか見えないのだけれど……』

「ハルの絵は瓦一枚一枚で、微妙に色の濃淡とか変えたりしてます。他にも木とか田に張られた水とか、とにかく細部までこだわるのがハルの絵ですから」

『日向くんの絵ってそこまで細かいの……!? え、日向くん、実際変えた!?』

「はい、変えてます……。むしろそのあたり怠ると、写真的な描写が疎かになっちゃいますから力入れてます……」

 

 ナツは絵に近づいて気付いた点について指さし説明しているが、楯無先輩をもってしても完璧まで違いを認知するまでに至らなかった。

 そこで描いた本人である僕に真偽を問いかけるも、正直なところ嬉し過ぎてそれどころではなかった。

 だって僕みたいになんとなくの雰囲気とか、そんな気がするとか曖昧な感じじゃなくて、ナツがものすごく僕の絵を見てくれてるっていう証拠じゃないか……!

 そう、力入れてるんです。入れたんです。むしろそういう瓦とか葉っぱとか、一枚一枚の違いを出すところにすごくこだわってるんです!

 画家の端くれとして、意図した描写を気付いてもらえるのは本当に嬉しいことだし、ましてや恋人であるナツがそこをわかってくれるなんて本当に嬉しい。

 あまりの嬉しさにいっぱいいっぱいになった僕は、顔を覆い隠してその場にしゃがみ込んでしまう。無理だこれ、しばらく立てそうもない……!

 

『あらあら、一夏ちゃんの私には違いが分かります発言で、尊いゲージのほうもだいぶ稼げてるわねぇ』

「も、もういいですから! 次行きましょう、次!」

「そうだね、そんなに騒ぐことでもないよ。きっと家族のみんなも見抜いてたろうし」

「そう言われるとなんか心が痛い! 嬉しいよ、ありがとう、大好きだ!」

「ちょっとちょっと、本当に気にしてないってば。私はハルの一番のファンなんだから当たり前だよ」

 

 思わず照れ隠しで次のゲームの開始を促してしまうが、ナツが隣でふと零した言葉に過敏反応。

 確かに語気に棘は感じられなかったが、誤魔化そうとしたのは間違いじゃないゆえに、気にするほどのことじゃないよね。というふうに受け取ってしまう。

 いや凄いことだよ。多分だけど我ながら無駄なくらいのこだわりなのに、それをキチンと僕の絵に対する知見で見抜くなんて。

 そうやって普通に称賛を示せばいいものを、テンパった末に僕は語彙力を急速に低下させつつ散文的に思いの丈を述べた。しかもナツを抱きしめながら。

 でも僕の杞憂だったらしく、ナツには少し困った様子が見受けられた。おかげでむしろ慰められてしまう始末。

 む、ナツがそう言うならいいんだけど、やっぱり嬉しかったら嬉しいって伝えるべきなのを思い知らされてしまったなぁ。

 ……よし、ならば、今度こそ次のゲームに行ってみようじゃないか。

 

『あら? もう進めていいかしら。んじゃまっ、タイトルコールから。事実は小説よりも奇なり!? 文芸部のしれーん!』

 

 楯無先輩のタイトルコールがなされると、四色のボックスは地面へと収納され、代わりにクイズ番組の回答席のようなものがせりあがって来た。

 席は三つ。着席しているのは文芸部の試練と題するだけあって、顧問の先生、部長、副部長のようだ。しかし、試練とはいったい……?

 

『今から二人にはフリーでトークをしてもらうわ。その最中に、恋愛小説もビックリなワンシーンを見出してちょうだい!』

「ええ、そんな無茶な!? 別に意識してやってるわけじゃないんですけど……。というか、それでしたらこの文芸部の人たちは何をしに?」

『彼女たちはいわゆる審査員ね。制限時間内に三人から合格を貰えれば、尊いゲージに大幅なブーストがかかるわ!』

「なるほど、いわばボーナスゲームってことですね。ハル、実現させるよ。事実は小説よりも奇なり!」

「どうしてそんなにやる気なんですかねぇ」

 

 というか、周りが勝手に僕らでカップリングを組んでるだけ――――いや、事実でもあるんだけど、そんなの意識してやれるはずもないではないか。

 付き合うに至るまでの大きな流れは、それこそ事実は小説よりも奇なりかもだが。親友がある日突然女の子になったって、かなり超常のできごとだし。

 それも多くの本を読んだであろう文芸部員及び顧問を納得させろって、かなりの高難度な気がしてならない。

 特別尻込みしているつもりもないけど、逆にナツはどうにもやる気に満ち溢れている。

 逆境だからこそ燃えるという熱血成分でもなさそうなんだが、どうしてそこまで乗り気なのか本当に不思議だ。

 しかし、う~ん……本当にどうやってクリアするべきか。考えれば考えるほど上手くいかなそうでもあるが、無策で挑むのもなかなか無謀だし。

 

『制限時間は五分! それじゃあ行くわよ、文芸部の試練――――ぁスタートっ!』

「「…………」」

「……黙るの!? あれだけやる気だったのに!?」

「う~ん、いや~……アハハ。思えばそれっぽいこと、皆がみてないところでやり切っちゃった感じもしない?」

 

 もちろんすぐ口を開くとも思ってはいないが、いつまでたっても両者ひとことも発さない。

 妙なやる気を見せていただけに、リードはナツなんだろうなぁとか思ってたらこれだ。流石にツッコミ魂が発動してしまったぞ。

 あ~……でも、ナツの言っていることも一理あるよなぁ。この間に至ってはプロポーズまでしちゃったんだし。

 くっ、こんなことなら温存をして、公開プロポーズにでもするべきだっただろうか。……でもそれってベタ? 文芸部を納得させるには足りないかも。

 とにかく、ナツが何も思いつかないっていうことなら、ここは僕から切り出すべきだ。これもまた分け合うこと――――だと思う、多分。

 

「……そうだ、前々から聞こうって思ってたことがあったんだった。ナツはさ、僕の右手のことをどう思う?」

「どう……って。……素敵な手だよ、とっても。ハルの全部がこの手に詰められてる。とっても、とっても、素敵な手……」

 

 無自覚というか気持ちを封じた状態ではあったが、ナツを好きになった直後くらいのことだろうか。

 僕はナツと互いの存在を確かめ合うかのように、ここにいることを伝えるかのように固く手を繋ぎ合った。

 その際に僕は、ナツの手の温もりや柔らかさを再確認し、ナツの手が届く範囲こそ僕のあるべき場所だと自覚した。

 そして反対にこうも思ったことを、ずっと聞かずにいたのを忘れてしまっていたようだ。

 ナツは僕の手に、何を感じ取ってくれているのであろうか――――と。

 僕の右手は絵の描き過ぎでタコができたり、擦り切れたり、爪が割れたりしちゃってお世辞にも綺麗とは言えない。

 絆創膏などで傷を覆い隠してはいるものの、シルエットはどことなく凹凸が目立つ。人によっては醜いとすら感じてもおかしくはない。

 それを推してもなお、ナツは僕の手を素敵だと評する。……そう言ってくれるのはわかっていたさ。いたけど、期待どおりのものが返ってくる喜びは、とても言葉で表現しうるものじゃない。

 

「きっと、痛いよね。苦しい、止めたいって思うこともあったりするでしょ? それでも、大好きなことのために頑張ってる。そんなこの手が大好き」

 

 正直、思う時もある。ぶっちゃけしょっちゅう。タコがつぶれたりしたときなんか特に。

 それでも、楽しいんだ。痛いことなんかどうでもよくなるくらい、絵を描くことが楽しくて仕方ない。

 そんな証拠である右手をナツは好きだという。

 

「それにね、触れるとすごく暖かいんだよ。体温もそうだけど、何より心が温かい。えへへ、きっと、私がこの右手が大好きだからだろうね」

 

 ナツは僕の手を取ると、自らの頬へ添えさせた。

 ……同じだ。ナツが同じことを想っていてくれたんだ。

 体温でなく、心の温もり。僕がナツの手に感じたことを、ナツが僕の手に感じてくれている。

 僕の手へ愛おしそうに頬ずりをするナツが、たまらなく愛おしい。

 

「……好き。全部、大好き。ずっと触れていてほしい。離さないでほしい。たくさん触られたい。んくっ……! 好き、好き、好き、大好きぃ……!」

 

 僕が思った以上に、ナツは僕の右手のことを気に入ってくれていたらしい。僕の全部が詰められていると豪語するだけはある。

 しかし、ナツは次第に大衆の前で披露するにはアブナイ方向へと進み始めてしまう。

 ナツは僕の右手を巧みに操り、指先や掌を己の各所へ触れさせていく。そして、その都度色帯びた声で好きと呟いた。

 いけない、このままでは本当に局部まで触れさせてしまいそうだ。……いけないと、思ってはいるんだけど。

 ナツの声色然り、表情然り、自身を触らせる手つき然り。どれをとってもまるでベッドの上でのそれで、だんだんと思考が溶けていくのを感じた。

 ……誰か僕を止めてくれ。でなければ自らの意志では自らの欲望を制御できない。あぁ、あぁ……! 理性を断ち切り、今すぐにでもナツを――――

 

「「「ああああああああああっ!」」」

「どーうなってんのこのカップル! なんで右手ひとつでここまで盛り上がれるの!?」

「日向氏の努力の結晶! ゆえに割とオリジナリティも高め!」

「書ける、書けちゃうよ! 画家とヒロインの短編くらいなら余裕で書けちゃうネタが波のようにぃ!」

 

 ……居たね、止められる人たち。

 絶叫が聞こえたかと思えば、ピンポーンなんて間抜けな音を出しながら丸が書かれた札が三つ挙がる。どうやら審査員三名が、合格を出してくれたらしい。

 目を向けてみると、三人が三人とも審査員席に突っ伏しながら何か騒いでいる。

 様子を見るにそもそもはいわゆるハルナツ派ではなかったようだけど、もしかしてまたしても信者を増やしてしまっただろうか。

 ともあれ、合格を出してくれたら何より――――なんだけど、かなり深く二人の世界だったから不完全燃焼感がすさまじい。

 ナツも自分があまり冷静でなかった自覚でも沸いてきたのか、なんだかモジモジとしつつ顔を伏せてしまった。

 僕は僕で、危うく理性がはじけ飛びそうになってしまっただけに気まずい。露骨にそっぽを向かないとやってられないくらいだ。

 

『かなり難しいお題のつもりだったけど、これも秒殺ぅ! はいというわけで、尊いゲージにブースト入りまーっす!』

「え、えーっと、もうあと一押しだね、ヨーロッパ旅行!」

「う、うん、この勢いでいただいちゃおう!」

 

 気づけばモニターに表示されている尊いゲージも、残り三分の一ほどでマックスなくらいのところまできた。

 そういえばお題はいくつ出されるのか聞いていなかったけど、このぶんなら次かその次くらいには達成となりそう。

 未だ心臓を打ち鳴らしながら漠然とモニターを眺めていたが、気まずさに耐えかねたらしいナツが声をかけてくれた。

 だけど当り障りのない返ししかできなくて、しかも動揺が隠しきれていないから気まずさが増してしまう。

 二人して恥ずかしくて押し黙ってしまうこれは、付き合いたての時期を思い起こさせる。そう考えると、僕らも随分と遠慮がなくなったものだ。

 

『勢い。うんうん、勢いねぇ。日向くんからいい言葉が聞けたわ。そう、何事も勢いって大事だと思うのよ』

「……僕はいったいなんの地雷を踏んだんだ!?」

「ま、まぁまぁ、聞いてみないとわからないし、何もそう焦らなくたって――――」

『と、ここで最後のお題を発・表! 勢いで! キスしちゃいなさい! それもかなり濃いやつ!』

「あいつ絶対に本物の馬鹿だ!」

 

 楯無先輩はまるで言質でも取ったかのように、僕の発した勢いという言葉を嫌なくらいに強調して含みを持たせた。

 これまでがこれまでだけに、悪戯絡みであの人には不安しか覚えない。僕はいったいどこに地雷の要素があったのかと頭を抱えてしまう。

 そんな僕を気が早いとナツは宥めるも、明かされたお題を聞くや否や態度を一変。いや、豹変と喩えたほうが近そうだ。

 だってあいつとか言っちゃってるし、怒りの臨界点でも超えて男だった時の口調が出てしまったのだろう。

 このままでは【だぜ】とか【だろ】とか思い切り口にしてしまうのでは? 流石に大衆の前でそれはよくないと判断し、今度は僕がナツを宥めにかかった。

 

「ナツ」

「ハル、止めてくれるな! やっていいことと悪いことの分別くらい、いい加減わからせてやらないと――――んむっ……!?」

 

 僕は放送席に向かいつつあるナツの肩を掴んで振り向かせると、そのまま喚き散らすために忙しく動く唇を奪った。

 一度熱した鉄がなかなか冷めないように、燃え上がってしまった僕の衝動はなかなかに抑えきれるものではない。

 地雷を踏んだと焦りはしたが、なんだか好都合に思えきたんだ。ナツを黙らせる、ナツを落ち着かせる、そして僕の欲望も満たされる。それが同時に解消できてしまうお題だったから。

 僕が不意打ち気味にナツと唇を重ねてから数泊置き、会場は悲鳴――――もとい黄色い歓声で包まれる。

 僕らのキスなんかで盛り上がるのは勝手だけど、別にファンサービスのつもりなんて微塵もない。

 ナツが落ち着いたというか、混乱でいっぱいいっぱいであろうところを見計らい、僕はそっと唇を離した。

 

「ぷはっ! はぁ、はぁ、はぁ……ハ、ハ、ル……?」

「人の目があるのになんでって? ごめんね、気が変わったんだ。人前とか関係なく、僕はナツとキスがしたくてしたくてたまらなかったから」

「それは、そう、だよ。私だって建前のつもりなんてない。ハルが求めてくれるなら、いつでも、どこでも。……けど、でも………」

 

 いつしか、というにはかなりタイムリーな話しで、さきほど家庭科室前でこのようなやりとりを交わしたばかりだ。

 そしてナツはこう言った。キスしたい? じゃあしよっか。私はいつでもどこでも構わないよ――――と。

 だからというわけじゃない。揚げ足取りなんてよくないしさ、さっきナツがそう言ったからしましたなんて、そんなことを言いたいわけじゃないんだ。

 実際に、ナツはこうしてかなり混乱してしまっている。多分、想像を絶する羞恥心だったのだろう。軽い気持ちでいつでもどこでも、なんて言えなくなってしまったみたい。

 僕が身勝手に欲望を抑えきれなくなったゆえにたどり着いた結論だが、思うことがひとつばかり。いや、結論どころか暴論なんだけど    

 

「ナツ、慣れって大事だなって思うんだよね」

「……大勢の前でして、慣れちゃおうってこと?」

「大まかに言えば。心配しないで、次があるかないかくらいの提案だから。ただし、もし受け入れてくれるのなら僕は――――思い切りいくことだけは覚悟しておいて」

「…………」

 

 大勢の前でキスをする方向に進めている僕にだって、抵抗感くらいは抱いている。だけど、僕はもうそんなもの打ち捨ててしまいたいんだ。

 真の意味でTPOを弁えることのない振舞いを。そのためには慣れが必要で、慣れるためには必ず初めてという壁を越えて行かなくてはならない。

 そのためにこの舞台はちょうどいいんじゃないだろうか。……なんていう考えが浮かぶくらいには、トチ狂っているという自覚もあるけど。

 だけど僕の我儘を、欲望を、何もナツに強要するつもりはない。そもそも馬鹿げていることには変わりないんだから。

 だからこそ僕は、まるで脅すかのような口ぶりでナツがある程度断り易いよう仕向けた。

 しかし、そんなことは無意味も無意味。だって僕を見上げるナツの顔は紛れもない女の表情で、それが全てを物語っているから。

 

「ナツ……」

「ハル……」

 

 僕もナツも、熱い吐息を漏らすかのようにして互いを呼び合う。こんな喧騒に包まれているのに、驚くほどにハッキリと聞こえた。

 それはきっと、耳でなく心で聴いているから。そう、振るわせるのは鼓膜ではない。心を振るわせるのだ。

 僕がナツの細い腰に腕を回すと、ナツは僕の首へと腕を回す。少し背伸びしている姿がなんとも可愛らしい。

 後はもう、目を閉じ互いの距離をゼロにするだけ。……だけなんだが、我慢に我慢を重ねただけに、果たして僕いったいどれだけ理性を保っていられるだろう。

 

――――――――――――ガコン!

 

「っ……!? 今のはなんの音――――」

「ハル、足元!」

「なっ、煙幕だって!?」

 

 何か重苦しい鉄の戸でも開いたかのような音が聞こえた。

 気のせいで済ませるにはあまりにお粗末。キス寸前だったがすぐさま頭も気持ちも切り替え、音の出所を探るべく周囲を見渡す。

 だが一歩遅かった。僕らの足元に野球ボールほどの大きさの球体がいくつか転がってきたかと思えば、それは勢いよく煙を噴射し文字どおり煙に巻かれてしまう。

 これは亡国機業が釣れたとみて間違いはないんだろうけど、アリーナ下の地下空間から仕掛けてきてるってことか……?

 だとしたら下手に動くのも、この場に留まっておくのもまずいっていう半詰みくらいの状態に追いやられているかも。

 ならば話が早い。僕のすべきことはただひとつ。

 

「ナツ、絶対に僕の傍から離れるな!」

「ハル……。うん、私はここにいるよ!」

 

 この煙に乗じて分断されました。なんて間抜けなことだけは絶対にないよう、僕はナツの手を固く握った。

 なんとも心強い返事をいただけたもんだ。私はここにいる。キミがそう言ってくれるだけで、いったい僕がどれだけ救われることか。

 僕が握ったナツの手をナツが握り返してくる。僕はそれを更に握り返した。と同時に、またしても鉄の戸が開くような音が響く。

 音の近さからするに僕のほぼ真下。という予想に相違なく、アリーナの芝生の一部がハッチのように開かれているではないか。

 そこから延びてくるのは、どこか見覚えのあるような女性らしき腕。その腕は僕の足首を異様な力で掴み上げ、地下空間の暗闇へと引き込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「釣れた! 虚ちゃん、後のことお願い!」

「畏まりました」

 

 煙幕が晴人と一夏の両名を包むと、アリーナのアナウンス施設に待機していた楯無は、険しい顔を隠そうともせず席から立った。

 観客席は突然の煙幕を演出と疑う者や、何か悪い予兆であることをどことなく感じ取っている者などが盛りだくさん。

 これらを鎮める大変な役を頼れる専属メイドに任せ、己はもっともっと大変で、なおかつ最優先事項である晴人と一夏の援護をすべく急ぎ部屋を飛び出ようとした。

 しかし、ある一方が楯無を足止めさせる。どうやら専用機の回線をを用いた通信で、発信者は愛すべき妹。

 だが現状あまり構っている暇がないというのも事実。

 楯無は珍しくも妹である簪に対し、どことなく棘が見え隠れする口調や態度で通信を始めた。

 

「簪ちゃん、どうしたの?!」

『ま……ずい……! すごく……まずい……!』

「っ!? もしかして増援?!」

 

 耳元で聞こえたのは、抑揚のない喋り方をする簪にしては珍しく、焦りがとてもわかり易く伝わってくる声色でのシンプルな現状報告。

 敵の増援を見張っていた簪がまずいと言うのだ。報告したい内容は敵増援であることはわかるが、それを推してこの焦りよう……。

 楯無の背中に、どこかゾワリと悪寒がとおりすぎていく。なぜならそれは、想定しうる最悪のパターンでしかないのだから。

 

『敵増援一機……。ごめん……なさい……! 一機相手に、壊滅状態……!』

(っ~~~~! なんで増援が、なんて考えてる暇はない! 私にできる最善は、いったい何かを考えないと!)

 

 楯無が得た情報によれば、敵増援はほぼ100%来ない――――来なかったはずだ。なのにこうして現れ、たった一機で専用機六機を壊滅状態に追い込んでいるというのだ。

 ゆえに楯無は、この想定外の状況をどうやって打開するかという課題に対して脳をフル回転。

 

(いっそ通して三対二の状況に……? いいえ、一人で六人を追い込む実力者を、防衛目標の前に連れて行くわけにはいかないわ! だとすれば――――)

 

 増援が現れたのだとすれば、その目的は晴人と一夏を狙ったメンバーの援護と考えるのが妥当。

 であるならば、これ以上簪を始めとした六名への損壊を避けるため、あえて通させるのもひとつの手である。

 そんな考えが浮かんだものの、あまりにもリスクに対してリターンが見合わない。

 増援の方は六機を壊滅させる実力と断定されたが、潜入していた構成員の実力は未だ不明のまま。

 もし仮に増援と同等の実力を有していた場合、同時にかかられてはいくら楯無であろうとも厳しいとみていいだろう。

 楯無としても苦渋の決断。自らの役割を放棄するに等しい行いに罪悪感を覚えながら、二人を信じるという選択肢を導き出した。

 

「増援の足止めに向かうわ。簪ちゃん、私が行くまではなんとか耐えて!」

『一夏と日向くんは……!?』

「私が足止めしている間に、倒しきってくれると信じるしかないわ」

『っ……! 了……解……!』

 

 二人が潜入していた構成員を倒してしまえば、形勢は一気に逆転する。楯無は二人が自分の援護なしにやってくれることを願うしかできなかった。

 楯無の判断に思わず聞き返してしまった簪だったが、それもこれも己らの不甲斐なさのせいであることを思い出した。

 増援を完璧に抑えきってしまえば、楯無は滞りなく二人の援護に向かうことができた。それをさせなかったのは、言い訳のしようもなく自分たちなんだ。

 そんなネガティブな思考が過るも、タラレバの話をしている暇もないというのもまた事実。簪は己の未熟さを痛感しながらも、ただ楯無の到着するまでの時間稼ぎへ尽力した。

 

「……虚ちゃん、援護に向かえない可能性が高いのは伝えておいて」

「畏まりました。……ただ、あまりお気に病まぬよう願います」

「ええ、そうね……訂正するわ。とっとと倒して、必ず向かうって伝言お願い!」

「はっ。お嬢様、どうかご無事で」

 

 楯無も楯無で不甲斐なさに駆られているのか、眉間に皺を寄せて随分と頭が痛そうな表情を浮かべる。

 そんな楯無から下された命令を、虚はでしゃばることなく淡々と受け止めた。……が、ただひとことだけ、それもまた従者として必要な気遣いを見せる。

 過度ではないが確かな労いの言葉を耳にして、楯無はとても救われた気分だった。だからこそ、従者にふさわしい主でいなければならない。

 取り繕っているのは一目瞭然だが、楯無は纏わせる雰囲気を軽くてノリのいいお姉さんの状態へと切り替えた。

 そして自らの健闘を祈る優秀な従者に対し、力強いサムズアップを見せ、それから今度こそ管制室から飛び出してゆく。

 

 

 

 

 


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