レミリアは決意した。今日こそは、かの邪知暴虐の苗床を殴り飛ばさねばならぬと。
起床して着替えを終え、朝食を食べにリビングへと向かいながら、彼女は一人思いに耽る。
最近、館の者達の当主・レミリアに対する態度が非常に悪いのである。妖精メイドは敬うことを知らず、先程廊下ですれ違った時など「ははは、それでねー……っと、ちぃーす」と言いながら、顎をしゃくっと会釈しおった。そもそもあれは会釈だったのか。顎という突起した部分を前面に押し出しての威嚇行為ではなかろうか。よかろうならば戦争だ。妖精共よ、顎を出せぃ。
昨日は苗床の下僕である小悪魔の態度が目に余った。あろうことか彼女は、図書館へ赴いた私の頭上に埃をかけおったのだ。当主である、つまり従業員である彼女にとって、雇用主のそのまた上の社長であるレミリアに対して、だ。だというのに彼女は埃被った私を目に入れたのにも関わらず、常と変わらぬ様子で「いらっしゃいませー」と言うのみで、手を止めることすらしなかった。
掃除中の彼女は、自前の羽とク〇ックルワイ〇ーをパタパタさせていた。殺意が沸いた。羽もクイッ〇ルも毟ってやろうかと思った。
妖精メイドを雇ったのは私の決定だが、提案したのは苗床である。宙に浮いて掃除する小悪魔に気付けなかったのは私だが、そもそもそんな非常識な掃除をしている小悪魔にこそ圧倒的な責があり、彼女を召喚し、彼女と契約しているのは苗床である。結論、全て苗床のせいである。
必ずや、我が誇りにかけて、かの苗床を殴り飛ばさねばならぬ。
なお、埃をかけられたことと誇りをかけることをかけた訳ではないことをここに明記しておく。
さて、そのようなことをつらつらと考えている間にリビングに着いた。何時もの定位置、長椅子の誕生日席に腰掛けたレミリアの前に、妖精メイドが朝食を運ぶ。今日の朝食は白米、みそ汁、たくあん、塩――以上である。
え。
「ね、ねぇ、咲夜」
背後の従者に声をかける。
「なんでしょうお嬢様」
「ちょっと……ひもじいかなって」
厨房担当兼メイド長・十六夜咲夜は常の無表情から転じて、にっこりと笑った。白百合の如く美しく咲き誇る彼女をレミリアは、自分の身の丈よりも小さかった頃から知っている。そのため我が子に向けるような情愛を抱いており、今回も彼女の笑みにやられ、つられてにへらと笑い返した。
ついで咲夜は言った。
「これは節制ですわ、お嬢様」
「節制?」
「はい、節制です」
片手を頬にあて、首を傾げて憂いの表情を見せる咲夜はこれまた転じて、若妻の如き初々しさと酒場の端に座る独り身の女の如き色気をレミリアに感じさせた。可愛い。エロい。食べちゃいたい。
レミリアは興奮した。
ついで咲夜は言った。
「私はお嬢さまが心配なのです。毎日毎日屋敷をうろつくくらいしかしないお嬢様が豪勢なお食事ばかり頂いては、いつか不摂生からお身体を壊してしまうのではないかと」
「咲夜……っ!」
レミリアは感動した。彼女がここまで主のことを想ってくれているなんて、手抜きなのではと疑ってしまった自分が恥ずかしい。ちょっと見た目が貧相だからって、文句なんて言ってはいけない。これには見た目ではわからない、咲夜の思いやりが詰まっているのだ。
従者の気遣いには、相応の態度を以て返さなければならぬ。
レミリアは眼前の真心こもった朝食を、心からの感謝を込めて味わうことにした。そして恭しく机に向き直る主を見届けた咲夜はその様相をフラットにし、常の無表情へと戻した。この女、演技派である。
――蛇足だが、我が子同然の従者に興奮したことに関しては、レミリアは少しも恥じていなかった。悪魔は欲望に忠実なのである。
「いただきます」
先ずは白米を一口。美味い。正直
しかし、流石のレミリアでも愛だけで白米三杯イケる訳ではない。一杯でも厳しい。愛で腹は膨れぬし、味覚は刺激されぬのである。
よって彼女は明確な塩味を欲した。塩味とは、取りも直さず塩である。
レミリアは塩を一つまみして、ぱらりと白米にかけた。
そして一口。美味い。海のない幻想郷において、塩とは須らく八雲印の外注品であり、そのような既加工物のどこに咲夜の愛情を込める余地が存在するのかと思わないでもないが、誰が何と言おうとも、事実がどうであろうとも、咲夜が愛があると言ったらそこに在るのだ。それが愛情であり、これこそが至高の味わいである。レミリアは満足げに頷き、一口目の
しかし、塩味が欲しくともただの塩のみでは味気ない。レミリアの視線は、食卓の右手前に居座る味噌汁へと向けられた。
茶碗を手に取る。
……はて?
茶碗。何だろうか、いやに気にかかった。
レミリアは首を傾げて茶碗をしげしげと見回す。しかしわからん。この焦げ茶色の何処に琴線に触れるものがあったのだろうか。茶碗。焦げ茶色の茶碗。茶の茶碗。茶……碗……。
茶だ。
レミリアは思い至った。
そうだ、茶だ。この食卓には茶が足りない。さては咲夜め、珍しく抜かったな。
レミリアはによによとしてしまいそうな表情筋を抑えながら後ろを振り向き、咲夜へ熱い緑茶を持ってくるよう命じた。西洋生まれの貴き吸血鬼であろうと日本食には緑茶である。郷に入っては郷に従え。ツェペシュの幼き末裔は、今や日本文化にかぶれつつあった。
しかし、命じられた咲夜は僅かに顔を顰めると、悲しげな面持ちを浮かべながら首を横に振った。
ついで咲夜は言った。
「いけませんお嬢様、緑茶はいけません」
「どうしてよ。米に味噌汁とくれば、そこに緑茶が添えられるのは当然ではないの?」
レミリアは言い返した。さしもの咲夜に甘いレミリアでも、こればかりは許容できなかった。
しかし、次の咲夜の言葉によって、その反抗心は鎮火される。
「いいですかお嬢様、緑茶には”カフェイン”という成分が含有されております。これは過剰摂取によって動悸・吐き気・幻覚・幻聴など、心身ともに著しい悪影響を及ぼし、果ては死に至らせる劇薬なのですわ」
「ええ!」
知らなかった。レミリアはそんなこと知らなかった。日本食コワイ。レミリアは戦慄した。
「お嬢様、私はお嬢様に太く、長く生きてもらいたいのです。どうかご自愛くださいませ」
最後ににっこりと笑んで、咲夜は言葉を締めた。
「咲夜……っ!」
レミリアは感動した。彼女がここまで主のことを想ってくれているなんて、飲み物を出し忘れたのかと勘違いしてしまった自分が恥ずかしい。何を笑っているのだレミリア・スカーレット。恥を知れ。今知ったか、そうか。では決してその恥を忘るることなかれ。
従者の気遣いには、相応の態度を以て返さなければならぬ。
レミリアは眼前の真心こもった朝食を、改めての感謝を込めて味わうことにした。そして恭しく机に向き直る主を見届けた咲夜はその様相をフラットにし、常の無表情へと戻した。やはりこの女、演技派である。
――参考までに、一般的な緑茶のカフェイン含有量は一杯あたり30mgであり、これは同量の一般的な紅茶のそれとほぼ同等であることをここに明記しておく。
そも、味噌汁という液状の食べ物が既に並んでいるのに、わざわざ飲み物を求める意味はあったのだろうか。いやない。レミリアはそう思いなおすと、味噌汁を一すすりした。薄い、いや美味い。この薄さがちょうどよいのだ。そうに決まっている。
しかしレミリアはそこで気付く。味噌汁に具材が――ない。どういうことだ。
「ね、ねぇ、咲夜?」
「どうしましたお嬢様」
「味噌汁がちょっと……ひもじいかなって」
咲夜はにっこりと笑って言った。
「何を言っているのですかお嬢様。そこに愛があるではありませんか」
愛で腹は膨れぬ。味覚は刺激されぬ。食感などむべなるかな。
なのに最後に食したたくあんは、やけにしょっぱかった。
不定期
2019/4/13に修正