その日の秘書は、初めて曙が担当していた。
意外と穏やかに二人は仕事をこなしている。
「提督、例の新型の書類は?」
「印鑑は押した。纏めて提出するから、置いといて」
「オッケー。じゃあ、補修工事の予算編成のことは?」
「修正案出して終わらせた。そっちはそこにある」
曙は初めてにしては手際がよかった。休むことなく進む仕事。
気がつけば、正午には大半が終わっていた。
「お疲れ。手際いいな。慣れているのか?」
軽く伸びをする提督に、渋い顔で曙は明かす。
「まあ……前いたところで、揉めちゃって。そんで、罰として一人で何回も秘書の仕事をやってたから。嫌でも慣れるわ。そうしないと、日がくれるし」
そう言えば曙の転属理由は前の鎮守府で提督と揉め事を起こして流されたのだった。
あの日常茶飯事の悪態を言うなら仕方ないだろう。今は反省しているが。
「あー……。そうか。じゃ、互いに気を付けようか。俺がミスったら怒っていいぞ。遠慮すんな」
「はいはい。あんたこそ、手際が良すぎて文句のつけようもないわ。此方も気が楽になるよ」
互いに呼吸があっているのか、衝突はなかった。
やはり、何だかんだあの優秀な綾波の妹。
慣れてしまえば、彼女だって問題はない。
「飯、どうする? 俺が作るか? 昼休みも兼ねて。どうせ、後は遠征の報告と資材の管理の記入、後は演習の日程決めの連絡とかの忙しくないもんだけだし。お前は休んでていいぞ」
「お気遣いどうも。一応、食事の支度もあたしの仕事なんだけど。あんたがしたいなら、任せる」
「俺が好きなもん作りたい。俺がやる。オーライ?」
「どうぞ、お好きに。なに作るの?」
「ペペロンチーノ」
「……また? この間漣が食べてたって言うけど、得意料理?」
「得意じゃない。好きなだけ」
ひとつ知った。彼は手抜き料理の達人だ。
如何に手早く美味しくめんどくなく作って簡単に片付けをするかに拘る。
最近じゃ時短アイテムも増えてきた。フル活用して彼は好きなものを好きなように作る。
味はまあ、相応なもんらしいが。曙は食べてないが、概ね好評。
料理をする艦娘からは妥協と邪道のオンパレードと酷評であると言う。
そんな彼はペペロンチーノだけは毎回作る。確かに簡単なものでは王道だが。
しょっちゅう作っては食べているらしい。よく耳にする。
「んー……俺さ、ペペロンチーノだけは絶対に作れるように材料は保管してあんの。理由は俺が好きだから」
「あの脂っこいのが? ガッツリいくのね……って言うか執務中にニンニクってどうなの?」
「後で口臭は消してます。曙はどうする昼飯?」
併設されたミニキッチンに向かい、何やらあさっている。
他に何が出来るか聞くと、何故か麺類だけが豊富に出てくる。
「何で麺類だけ……」
「保存楽じゃん」
見も蓋もない。曙は無難に饂飩にした。
彼はガサガサあさって、何処からかおかずに天ぷらを用意していた。
「秘技、伊良湖と間宮から頼んで作って貰った天ぷらを乗せるだけの術」
「ネーミングセンスがない!」
まんまだった。伊良湖たちに適当に余った食材を揚げて貰ったらしい。
饂飩とペペロンチーノをざっと用意して、いざ昼飯へ。
「ニンニクの臭いしなくない?」
「今回は適当に作った。俺しか食わねえからダシ入れたし。最早ペペロンチーノ擬きだな」
「うわぁ……雑」
にんにくを抜いてダシを入れるとか意味不明なアレンジしている。
他愛ない話をしながら一緒に食べる。
「微妙な味だわ……。これはねえな。次はコンソメにしよう」
「そんな磯風みたいな事を……」
素人特有のアレンジレシピ。彼は嫌そうにしながら擬きを食い終える。
饂飩とてんぷらを食べながら曙はふと聞いた。
「あんたって、飛鷹さんとはどんだけ長いの?」
よく、付き合いが長いと二人は言うが実際にはどれぐらいなのか。
問うと、彼は思い出すように少し考えて、答えた。
「そーさなー。もう、五年くらいか。俺が最初の鎮守府の時に配属された、初めて出会った空母だし。あ、因みにうちに赤城は居ないけど、加賀はいるっしょ? 加賀も結構長いこと一緒にいてくれてるけど、四年くらいかな。あいつも転属してきた。資材が余ってて当時戦闘を控えていた、後方支援のうちにきたの」
「へえ……」
以前は過去を聞く機会も無かったし、聞いてもお茶を濁すだけだった。
今はある程度の事を教えてはくれる。流石に踏みいった事は聞かないけど。
トラウマに近い出来事を抱えているのは皆知っている。
あの惨事を見れば刺激すればまた、ああもなるだろうし。
曙はよくもまあ、艦娘をここまで尽くそうと思うと感じる。
普通、聞く限りの経験をすれば憎むか恨むか蔑むかくらいはしそうなのに。
この人にはそれがない。あったかもしれないが、今はない。
今まで見てきた提督の中で間違いなく一番の良識と常識を持っている。
曙は知っている。艦娘を己の慰みものに使うクズを。戦果の道具にするゲスを。
彼は至って真面目で勤勉で、口は悪いが悪意はない。
潮という気弱な姉妹が曙にはいる。
駆逐艦離れしたスタイルのよさと性格から、大抵ろくなめに合わない。
彼女自身が異性を常に怖がっているのも嗜虐の趣味に拍車をかける。
ここの潮は笑顔だった。毎日楽しそうに、幸せそうに生活している。
彼女は言うのだ。イヤらしい目付きで見てこない。大切にしてくれる。人間扱いしてくれる。
とても優しい、不器用な提督だと。何度も曙に説得していた。あの人は悪い人じゃないと。
それを聞かずに偏見を押し付けて、好き放題言っていたのが曙だった。
(潮見れば一発だったのに。余裕なかったなあ、あたし……)
兎に角姉妹を守ると躍起になった彼女は見境なく彼に攻撃した。
彼は反論はしたがなにも罰は与えなかった。というか、与えればいいと言うと逆に辛そうにするのだ。
そんなことは恐れ多くて出来ない。したくないという意志が見え隠れしていた。
それが曙に神経を逆撫でされてキレていた。結果、周囲に攻撃されて我に帰った。
思い込みと偏見を丸出しにした結果がこれだ。泣けてくる。
女を女と思わない理由も理解していても、何時もの憎まれ口で傷つけた。
余計なことばかり曙は口走る。後悔しても何時も遅かった。
今は、彼に感謝している。少なくとも、この人には絶望しないでいい。
最近朝潮を口説いていたとか聞いたが、本人に聞くと容姿を褒めただけ。
朝潮が脳内ピンク色の補正をかけただけだと判断した。指輪は渡しているようだが他意はあるまい。
「飛鷹には何時も迷惑かけてるし、相棒だからさ。こう言っちゃ何だけど、感謝もしてるよ。照れ臭くて言えたもんじゃないが」
彼は苦笑いして飛鷹との事をそう評価する。曙は呆れた。
この唐変木、飛鷹の好意にこれっぽっちも気付いていなかった。
四六時中一緒の癖に、よくもまあ……。
(まるでベタな幼馴染のカップルみたいな……。あ、でも飛鷹さんは怒らせると不味いって潮言ってたっけ。提督のために下手すると大本営も普通に敵に回すような人だって。そういう事ね)
飛鷹は恐らく非常に嫉妬深い。それを彼に悟らせないようにしつつ、彼を守っている。
しかも周囲の艦娘の好意に機敏に反応して、観察している。
だから、あの金剛ですら出し抜けないのだ。
適正な距離と対応を知っている飛鷹には誰も敵わない。
マジでゲームにありそうな幼馴染のヒロインのような人。
見た目はお嬢様のように美しいし、性格は……きっと彼とは相性が良いんだろう。
ただまあ、相手は悪いが。このウスラトンカチに気づかせる方がきっと難しい。
(良い人いるのに……ああ。でも、失うのは誰だって怖いよ。うん、この人に限った話じゃない)
まだ、無意識に怖がっているのかもしれない。愛やら恋やらは、彼にまだ恐怖しか与えない。
何度も見てきた絶望の悲劇。曙には想像できない世界なのだ。
曙は見ているしか出来ないが、彼に不幸が訪れないように手伝うぐらいはしようとおもう。
こんな嫌な女でも、しっかり艦娘としての使命を果たさせてくれるこの日には、恩義を感じているから。
そんなことを考え過ごす、昼時だった。
夜。順調に終えた仕事終わりに、姉妹が困ったように執務室を訪れた。
「サーセン、ご主人様。お風呂入りたいんですけど、いっぱいで入れないんで、ここの貸してくれませんかね?」
漣が軽いノリでそんなことを言い出した。いわく、大浴場が今はピークで入れない。
綾波と潮は見たいドラマがあるんで、今入浴しないと夜遅くになってしまう。
この二名は夜遅くは怖がるので、勘弁してほしいと懇願された。特に潮に。
「あ? いいぞ、準備と片付け全部するなら好きに使ってくれて。曙も一緒にいってきな」
彼は夕飯をかきこみながら許可した。執務室には併設される個人の風呂があり、贅沢にもひのきのお風呂らしい。
「さっすがご主人様! 話が分かる!」
「あ、漣お前そう言えば明日演習な。ちょっと神風と戯れてこいや」
「へっ!? 演習ッスか!? 聞いてねえっす!」
漣にさらっと言う彼は前にも言ったと告げる。ぎょっとする漣に、綾波も、
「言ってたよ。漣は寝惚けていたけど」
「ジーザス! マジか!」
大袈裟に落ち込む漣。潮が笑っていた。
「あんたはお風呂は?」
「このあと、長門と那智と足柄で飲み会行ってくるから、気にしないで。……あ、飛鷹見かけたら俺が死ぬから助けてって言ってたって、伝えておいて」
飛鷹は今日は用事で出掛けている。彼は一人、死地に向かうようだ。
曙は了解し、早速着替えを取りに行った。一応、まだいる彼に念押し。
「覗いたらぶっ殺すからね」
「するわけねえだろ。死にたがりじゃねえ」
漣が茶化すように笑って誘う。
「好奇心とエロスに負けて覗いても構いませんが?」
「綾波、そこのバカを絞めて」
「はーい」
「ギエエエ!?」
長女の威厳が物理で発動。
漣は軽く絞められた。
そんなこんなで、四人はひのきのお風呂にレッツゴー!
……デカイ。旅館みたいな高級感が半端じゃない。
執務室の隣にはこんな良いものがあったのか。曙は知らなかった。
準備を終えて突撃すると、想像を越えた空間が広がっていた。
「司令官がいいって言わないと使えないからね。ラッキーだったよ」
綾波が機嫌が良さそうにシャワーを浴び出した。
数人がいっぺんに入れる湯船に沈む。手足も楽々伸ばせる。
「提督、大丈夫かな……。お酒、弱いって言うけど」
「相手が那智さんじゃたぶん潰れるね。足柄さんのカツもつけば胸焼けもプラスっしょ。うわお、なにこの苦行」
漣が心配している潮に言う。曙は、思いきって聞いてみた。
即ち、彼がどういう人物だと思うかを。
「ご主人様の人柄? ぼのは変なこと聞くねぇ……」
二人は思案する。そんななか、頭を洗う綾波が溢した。
「臆病な人だよ」
それは普段の綾波から飛び出すとは思えないほど、キツイ表現だった。
曙は湯船から見上げて問う。
「臆病?」
「うん。司令官は、わたしたちが死ぬことを極端に恐れてる。今となったら理由はわかってる。前からでも、綾波もそんな感じはしてたんだ。司令官は、誰か死ぬところを間近で見てて、死人を出すことを恐れている。だから、慎重な指揮しかしない。戦いの任務も極力受けない。うちの鎮守府で、戦いが少ないのは知っているでしょ?」
ここでは、激戦区への支援や輸送を主に受けている中規模な鎮守府。
矢面に立つことが少ないので、戦艦や正規空母の数が同じ規模に対し少ない。
それでも、異様に練度が高いのは逃げ腰だから。
倒す戦いよりも生き残る戦いをするから、皆死なない。練度も上がる。
「どうしても、の時はためらいなくダメコンを投入して、肩代わりするし。曙は知らないよね。司令官のあれは、今に始まったことじゃないの」
「えっ?」
鈴谷の時に使ったあのお説教もののダメコン。
下手すると提督が死んでいる欠陥品。綾波が言うと、潮が補足した。
「提督に皆で怒ったのは……何度もやってるから。大本営にも小言言われて、昇格も出来ないみたい」
「前回は確か……ああ、衣笠さんが狙われて沈んだときだったっけ? 突然執務室で血塗れになってご主人様倒れて。大騒ぎだったよねー。ご主人様ってば、鈴谷さんの一件以来、無理矢理全員にダメコン標準装備にしてるから、一回に二人以上沈むとマジで死ぬから絶対にやめろって言うのに譲らないし。……今考えれば、それが理由だったんだよね。死なせたくないから、自分が代わりにって言う自己犠牲。漣には嬉しくない気遣いなんだけどな……」
さらっと恐ろしいことを言った。何度も経験あり。ダメコン標準装備。
つまり、彼の指揮は部下だけじゃなく、本当に命懸けでやっていること。
他の提督には考えられない凶行を行っていると言うことか。
漣は沈んだ顔で、曙に言う。彼は艦娘を己よりも後ろにおく。
逃げ腰、腰抜けと揶揄されるなか、練度だけは誰よりも高い臆病者の鎮守府。
それが、此処なのだと。
「提督は……不器用な人だよ。みんなのことを考えているのに、誤解されるし、自滅するし、放っておくといつ死んじゃうかわかんない危なっかしい人」
「漣があの時怒った理由はね、これだよ。ご主人様は艦娘に死んでほしくないの。生きて、いつか人間として社会に送り出したいと思ってるんだと思うよ。漣たちを、一人の人間として見てるから」
「戦果を出せない、臆病者。司令官は……綾波達を守るためなら、自分だって捨てる。多分、性分だから何をいっても変わらないと思う。だからね、曙。死んじゃダメよ。綾波の命は、一人のものじゃない。司令官と、一心同体だってことを忘れないで」
三人が言う、彼の一面。あるいは、本質かもしれない。
臆病者で、愚か者で、不器用な優しい男。
「……肝に命じておくわ」
湯船に口まで沈んでブクブクと泡を出しながら刻む。
覚えておこう。彼の本心。
部下を死なせない、臆病と言われるその心を……。