長い時を経て、飛鷹はとうとう結ばれた。
己を殺すことに慣れて、己を騙すことに慣れて、己を抑えることに慣れた艦娘は、その願いを成就させた。
願いが叶って、二人はと言うと。
「飛鷹、ここはどうする?」
「そうね。安全策で行きましょう」
いつも通りだった。
二人で一緒に何をするにもくっついている。
初々しいカップルと思いきや、割りとこれまで通りの生活を送っていた。
伊達に付き合いは長くない。阿吽の呼吸で進めている。
飛鷹のラスボスモードはすっかりと大人しくなり、皆と仲良くやっている。
然し、飛鷹は受かれてばかりもいられなかった。
ここからが肝心なモノなのだ。
「……戦況は?」
「件の奴で人類が優勢と言われているな。結構勢力を殺ぐことに成功しているらしい」
二人は頻りに戦況を知りたがった。
世界中の動き、敵の規模や勢力の強さを。
鈴谷と揉めているとき、大規模な作戦があった。
その時には、甚大な被害を出しつつも人類軍は勝利を収めていた。
しかしながら……。
「そもそも論になるんだが、深海棲艦の中枢は何処なんだ……? いや、それ以前に奴等はどこから来て何をしに俺達や艦娘を襲う? 理由も分からん、規模も見えねえ。若干優勢になったとはいえ、依然終戦は見えない、か……」
提督は椅子に深く座ってため息をついた。
戦況に終わりが見えない。それは深海棲艦という未知の存在の理由が知れないこと。
奴等はなんだ。侵略者か? それとも宇宙人か? はたまた異世界の存在か?
幽霊の類いだったりして、なんて彼は呆れた思考をする。
人類が深海棲艦に知ることは少ない。驚異的な進化速度、幅広い対応策。
バックに、何者かがいてもおかしくない大規模な戦力。
誰かが世界を、人類を終わらせようとけしかけているのかも。
兎に角、防衛で手一杯の艦娘と人類のこの戦争は、本当に終わるのか。
……提督は怖い。愛している飛鷹が、沈む日がきそうな気がして。
己のせいで、愛している彼女が悲しみを残して消えていくかもしれない。
知っているからこそ、そこから先には進めない。彼女を心身共に愛することも。
彼女に何かを送ることも。比例して、失ったときの絶望は大きくなると身内で見てきた。
愛情を手にいれたから、尚更二の舞を演じそうで。
教えてほしい。大本営でもいい。他の偉いお役職でもいい。
いっそ、いないと思う神様でもいい。誰でもいいから。
彼女を失わずに幸せにできる方法はないのか?
リスクは背負いたくない。飛鷹は恋人だ。
提督は戦い続ける危険性を知っている。
勝ち続ける自信もない。彼女を護ると誓えない。
そんなことは、出来ないと身の程を弁えている。
どうすればいい。飛鷹と幸せになるには。
どんな手段をとればいい。このまま提督に居座るべきか?
それとも……。
飛鷹は理解している。
彼が、飛鷹を恋人にしてから何かに怯えるように毎日を過ごしている事を。
(……分かっているのよ。私が、艦娘でいる以上は……貴方は救われない)
失う恐ろしさ。消えていく悲しみを知っている彼は、戦争が出来なくなってきている。
分かるとも。付き合い以前だ。彼は彼女にこんなことを言うようになった。
「飛鷹、死ぬな。死んだら負けだ。死にそうになったら全部捨てて逃げろ」
最悪、規律なんて無視しろと。生きるために、方法を考えると。
戦う限りは死のリスクを受け入れないといけない。
一瞬で全てを消し去る泡沫のように。
今も未来も泡になって、過去が呪いになって彼を苦しめる結末。
(冗談じゃないわ……。私に彼を置いていけと言うの? 嫌よ。絶対に離さないわ。離れないわ。あの人の妻は、嫁は、私だけ。夢が増えたのに、死んでたまるものですか!!)
そう。
飛鷹は、夢が増えた。
彼も知らない、もっと大きな夢が。
彼と結婚して、普通に人間として暮らして、平和に生きていくこと。
二人の子供を愛して、二人で一緒に年を取り、二人で一緒に老後を過ごして、二人一緒の墓に入る。
それが、最大の夢。ごくごく当たり前の夢。
(現実を見なさい、飛鷹。深海棲艦の規模は何年経っても見えてこない。奴等の進化する速度は、新型の艦娘が誕生したり、改良された艦娘が戦場に華々しく出る、何倍も早い。冷静に考えるべきよ。私が戦う理由は何? 彼の為でしょう。艦娘の誇りは捨てた。艦娘の意義も捨てた。私に残ったのは、提督というただ一人の男だけ。小さなひとつをとるために、大きな十を捨てるというなら是非もない。私は、生きなければいけないのよ。彼と共に、彼のために。私は……私の選ぶ未来は、決まっているでしょ。往きなさい、飛鷹。……いいえ、出雲丸。彼と、何よりも……私自身の未来のためにっ!!)
建前などいらない。
プライドだったら沈める。
何がほしい。何を諦める。
……決まっている。
飛鷹が欲しいのは、未来だ。
確実に手に入り、確実に守れる、そんな明日だ。
(よし、決めた。元々決心してたけど、彼にも言わなきゃ。夢を、未来を叶えるただ一つの方法を)
これは逃亡ではない。正当な権利だ。未来への布石だ。
無責任と言うのならば、甘んじてその謗りを受けよう。
そうだ。己の欲望のために責任すら捨てるのならば、それがいい。
元より飛鷹もまた、夢に狂う女に過ぎなかったのだ。
(本当に結ばれる、ただ一つの方法。それがこれなのよ。これが私の出した答え)
彼と長き時を夢見る為に。
最後の翼に力を込めて。
鷹は、再び羽ばたき出す……。
「提督。大事な話があるの」
そう、恋人が切り出したのは……とある日の事だった。
真剣な表情で、彼に言い出して、時間を欲しいと。
執務を終えた夜、二人きりの執務室で。
窓を閉めて、カーテンをかけて。ドアを施錠して、盗聴防止の札を張り付けて。
準備は万端。コーヒーを飲む提督は机に座って神妙な顔をしていた。
「どした、改まって」
ブラックの苦味で緊張を隠す。
なんの話なのか。最近の言動に不安が出ないように隠してきたつもりだが。
また、バレているか。恋人に隠し通せるほど、彼はポーカーフェイスではない。
「ねえ。貴方は、この戦い……終わると思う?」
彼女は来客用のソファーに座って、そんなことを聞いてきた。
冗談ではない声色。提督は飛鷹を見る。
「貴方の考えでいい。提督としてじゃなく、個人の見解で」
暗に、どんな返答でもいい、といってくれた。
これは不安が気付かれていると、提督も素直に恋人に甘えることにした。
強がっても無駄だ。また、無理をするなと怒られてしまう。
正直に、彼は口を開いた。
「……司令官失格の最低な発言だと思うよ。けど、飛鷹だから言う。正直に。……………………終わるわけねえだろ。人類に勝ち目なんて、俺はあるとは思っちゃいねえ」
重いため息のあとに、心情を吐露した。
勝ち目なんてない。彼は最近、本当にそう思う。
「考えてみろよ飛鷹。俺達は深海棲艦とは言っているが、連中は何なんだ。俺達は防衛の為に戦っているだけで、一度でも敵の打撃を与える攻勢に出て成功した試しがあったか? 敵の本拠地はどこだ? 奴等の目的はなんだ? 何であんなに早く進化できる? 新型が次々現れる? 誰があれだけの整備をしている? 一体何のための戦争なんだ? この質問に一つでも、お前は正確な回答が出来るか?」
「無理ね。全部、分かってないもの。深海棲艦は、全てが謎だらけ。解明するにも、そんな余裕は人類にも艦娘にもない。後手に回るのが常の私達には、終戦は見えない……」
飛鷹も同感だった。深海棲艦に対して、人類はあまりにも無知すぎる。
何もかもしれない現状で、本当に終戦などあり得るのか?
敵の目的も分からない状況で何が言えるというのか。
その前に、己が死んでしまう終焉が訪れるだけ。
大本営の懸命の研究も、未だに不十分で結果には結び付かない。
常に後手。先手はいつも深海棲艦。
確かに今は優勢かもしれない。でも、いつ引っくり返るか分からない。
行き先の見えない、一寸先は闇。
そんな戦時を、いつまで支えないといけない。
明確な終わりが、互いの死ぬことぐらいしかない無情な世界で。
不安にならないほうが寧ろスゴいだろう。
生憎と、弱気で腰抜けで腑抜けの提督はよわっちい男である。
こんな状況、何時までも堪えられない。
恋人が死ぬかもしれないストレスを我慢できるほど、強くもなければ分別もつかない。
彼は凡人、凡才の男だ。戦いながら愛する者を守れる勇者でも豪傑でもない。
「そう。それを聞いて、安心したわ」
飛鷹はどこか、ほっと胸を撫で下ろしていた。
安堵したように、彼女は大きく深呼吸して、彼の顔を見る。
良かった。彼もやっぱり、不安だったのだ。
飛鷹も死ぬ思いはもう嫌だ。終わりの見えない戦争などまっぴらゴメン。
辟易していた。戦いの日々も、いつ訪れるかも分からない幻想の平和も。
そんなもの、口を開けて待っているだけじゃ何時までも来やしない。
望むものは、やはり勝ち取るものなのだと思う。
周囲の目など知ったことか。己が望んだ世界を目指して何が悪い。
飛鷹はそういう利己的な部分も強い、嫌な女。
然し利己的だから、大切なものは死に物狂いで抱え込む。
苦しむならばそれもよし。いいや、上等だ。
だって。
「私は貴方が大好きよ。永遠に、ね。失いたくないし、失われたくない。愛されたい。愛したい。だから、決めたわ」
飛鷹はゆっくりと立ち上がる。呆然とする彼に近づき、妖艶で邪悪な微笑みを浮かべる。
また、朱色の瞳からハイライトのご退場なさった危険な色で彼に迫る。
「ひ、飛鷹……? え、なに? げきおこ……?」
「怒ってないからね? 弥生みたいなこと聞かないの」
ビビっていた。何か不味い返答をしたと思ったんだろうか。
いやいや、まさか。大満足のヘタレなお返事を頂きましたとも。
腑抜けの返事で怒らせたかと思ったが、違うらしい。
……最近知った。飛鷹は感情が昂ると基本的にハイライトが消える。
嬉しかろうが憎かろうが、こういう状態になるらしい。
非常に、怖い。
「ねぇ……提督。一つ、提案があるんだけど……。というか、お願いかな?」
目の前に来て、顎を指先で摘ままれて、視線を上げられた。
闇色の瞳が、提督を見据える。底の見えない真っ黒な穴が。
「な、何でしょうかね……」
思わず敬語になる。ヤバい、超怖い。
なんかヤバいこと考えているこの彼女。
可愛い笑顔が今は攻撃的に見えて仕方ない。
彼女は、丁寧に言葉を紡いだ。
それは、ある意味彼にとっても、救いだったかもしれない、大きな分岐点だった。
「提督。私に良い考えがあるの。ねえ、海軍の仕事辞職して、一緒に隠居しない? 私と、二人きりで。それで、田舎に帰って先ずは一先ず結婚しましょ。海外旅行はそのあとでいいから。ねっ?」
どこぞの司令官を彷彿とさせる、彼女の囁きだった……。