不安の予兆
朝潮の夕立化。
そんな珍しい現象が起きる鎮守府があった。
通常の朝潮という艦娘は、真面目一辺倒で規律を重んじ、堅苦しいと言われることが多い。
対して、ここは?
「司令官、お菓子をくれないとイタズラをします! お菓子を下さい!」
「来たか、駆逐艦最強の娘っ子……朝潮!!」
とある月の最後。
提督主催の仮装大会に率先して参加して、三角帽子にステッキを持ってマントを羽織り、提督にお菓子をねだる。
よくも悪くも、ここの朝潮の印象はかなり砕けた印象が強い。
何よりも、提督にハッキリと好意を表し、異性として幼いながら自覚しているのが最大の違いだろう。
指輪を渡され、既に限定解除を行った唯一の駆逐艦。
それが、ここの朝潮さんであった。
「ほほぅ? イタズラするのか朝潮。この俺に、そんな魔女っ子スタイルで通じると思っているのかァ!?」
「通じる、通じないの問題ではありません!! 私の後ろにはお菓子を待つ妹たちがいるんです、イタズラを敢行してでも、そのお菓子を奪いますッ!!」
「笑止千万、だがよくぞ言い切ったァ!! 求めるなら奪え、我が屍を踏み越えてェッ!!」
ノリノリの司令官殿は全身を失敗ペンギンの着ぐるみで包み込み、無敵のようにして待ち構える。
ラスボスの構える執務室。駆逐艦たちと遊んでいる月末の日。
背後には大きなバスケット。お菓子を欲しいなら奪っていけと。
既に趣旨を履き違えている。楽しいので気にしないが。
「分かりました!! 朝潮、司令官を打倒させて頂きます!!」
朝潮はステッキを構えた。驚く提督。すると。
こっちもノリノリで、ステッキを振り上げて、
「えいっ!!」
「うぼぁ!?」
殴打。提督の膝を。今日はお菓子を求める聖戦なのだ。
普段ならば決してしない上官への反逆も許される、と本人が言うので襲う。
遠慮などしない。折角の提督が用意したいお菓子、手にいれなければ朝潮の名前が泣く!
「くぅっ!? やるな、朝潮……。だが俺はまだ生きているぞ!!」
膝をつく。然し、不敵に笑って、また立ち上がった。
「司令官こそ、中々に頑張りますね……!! ですが、朝潮は負けません!!」
イタズラをすると言うが、具体的なモノは分からない。
取り敢えず、戦って奪う。そんな感じで行く。
「……何してんの、あれは?」
「お菓子の争奪戦ですって。……何で戦っているのかは知らないけどね」
季節が早いがサンタの格好をする鈴谷と、秘書の飛鷹が呆れてみていた。
彼女は仕事をしているため、仮装はしてない。今日は提督が艦娘と触れ合う日なのだ。
こう言うイベントには決して参加しなかった彼も、今では積極的に参加している。
書類は飛鷹が続けるため、執務室に押し掛ける怒濤の艦娘と提督は戦っていた。
お菓子は彼を倒してから奪え、という謎の箝口令により、艦娘たちは時間をおいて、奮闘していた。
大人の二人が見ている先で。
「う、うぼああああああああ!!」
どこぞのエンペラーよろしく断末魔をあげて、大の字に倒れる失敗ペンギン。
勝利者、朝潮。ステッキを突き立てて、ガッツポーズで決めた。
「勝ちました!! では、お菓子を下さい!!」
はいはい、と鈴谷が取り分のお菓子を配る。
彼女もイベントの手伝いをしているので、テンションの高い朝潮に姉妹の分まで渡しておく。
「……然し、前に比べて丸くなったわね朝潮」
嬉しそうに執務室を後にした彼女を見て、飛鷹は鈴谷に言った。
以前の堅苦しいまでの真面目さはある程度砕けて、そのまま年相応の明るさに変わったというか。
彼の言っていた、人間に近い状態になっていた。
「そこのロリコンが口説いたせいでね……」
ゾッとする視線でペンギンを見下ろす鈴谷。
最近思う。提督、前よりも更に駆逐艦に甘くなってきていた。
仕事はしっかりとさせる。然し、休みの日などは大抵駆逐艦と遊んでいる光景が増えた。
一部ではこう、囁かれている。マジでロリコンじゃないか、と。
「ロリコン……ロリコン? 私にはどっちかっていうと、シスコンのように見えるけど……」
幼い妹に接する溺愛の兄のような言動である。
飛鷹はロリコンの汚名は流石にないとは思う。
駆逐艦に卑猥な事をするまでもなく、可愛がるように溺愛しているダメなお父さんのようでもある。
ロリコンとは少々異なると思うが、鈴谷は構ってくれないので拗ねていた。
「いててて……朝潮ったら、マジで容赦ねえなもう」
ステッキで殴打された彼は無事に起き上がり、着替えをするべく一度退室。
わざわざ格好を何度も変える気合いの入れ具合。
お次は、イ級の格好をして来た。二足歩行する見慣れた深海棲艦がいた。
変な音をさせて、目が不気味に光る。
「駆逐艦の子泣くよ!?」
「…………」
鈴谷のツッコミに無言で大丈夫、と動くイ級。
暫く艦娘が来るまで待機。
そして、来た。
「失礼します」
ノックをして入ってきたのは。
「提督。お菓子を下さい。さもないと、イタズラ……いいえ、戦いを挑みます」
…………継ぎ接ぎの白い修道服を纏った、シスターであった。
但し、中身は某空母であったが。何をしているんだろうか。
共通点など、たくさん食べる以外には特にないのに、わざわざ髪の毛まで色を変えていた。
「!?」
「ファッ!?」
飛鷹は書いていたペンを落とした。提督は奇声をあげた。
鈴谷は知っていたので苦笑い。
大好物のお菓子を食べるため、空母加賀は手段を選ばない。
場合によってはプライドなど海に捨てる。
無表情で侵入、今にもかじりついて来そうな勢いであった。
「やべえ、勝てる気がない」
「負ける気がしません」
イ級、逃げる。シスター、追いかける。
よく分からない追いかけっこをしながら、仮装大会は恙無く進んでいく。
ぎゃあああああああーーーー!! 不幸せだーーーーー!!
という、提督の意味不明な絶叫が鎮守府に響き渡るのは多分どうでもいい。
加賀さんのノリが良かった。それだけの話である。
そんな平和な鎮守府で。
「…………」
一週間後。提督が、突然大本営に呼び出しを受けた。
何事かと、心配する部下たち。今まで呼び出しなど受けたことのない彼が、召集された。
特に飛鷹は、心配して無理矢理ついていった。代理は鈴谷がこなしているので、まだいいが……。
「…………」
心配。とても心配。
大丈夫だろうか? 何か失敗をしてしまったのか。
あるいは、大本営の怒りに触れてしまったのか。
どうしよう、どうしよう。何かできること、出来ることを……。
「朝潮、落ち着きなさいってば」
「そうよ。あんた、朝からずっとうろうろしてるじゃない」
ここは朝潮の部屋だった。
整理整頓のされた部屋のなかを、落ち着かないようにうろうろしている朝潮。
余裕がないのか、休暇なのに制服をきて青ざめた顔色で無意味な移動をしていた。
心配して顔を出した霞と満潮が、何度か声をかけるが聞いていない。
提督の行方が心配で、狼狽えているようにすら見えた。
「大丈夫でしょ。真面目が服きて歩いているような奴だし」
「そうそう。ヘタレなのを除けば、無神経なのも改善されているわ。なにも心配ないじゃない」
霞と満潮は勝手に入れたコーヒーを片手に呑気に喋っている。
然し、長女は落ち着かない。
黙っていったり来たりを繰り返す。
その様子に、次第に何か言いたいことがあるように、顰めっ面になる満潮。
なんというか、鬱陶しい部分があって、つい指摘してしまった。
「……朝潮。あんた、あいつを信じられないの?」
「!!」
途端、驚いたように朝潮は妹を見た。
彼女は、不機嫌な顔をして、頬杖をついて姉に言った。
「だから、心配することないって言ってるじゃない。それをさっきから、意味のない行動をして。あんだけ普段懐いているくせに。分からないの? あいつはここ最近じゃ、奇行もやってないし、憲兵に目をつけられる理由なんてないわ。呼び出しを受けたのだって、何かの任務とかの命令でしょ。あんたは心配しすぎ。少しはあいつを信じなさいよね」
満潮の言うことは理解できる。
過剰に朝潮が心配しているだけで、多分あの人が危険な目に遭うことはない。
いざとなれば飛鷹がいる。あの大本営すら敵に回して生き残りそうな彼女が一緒だ。
こっちは待っていればいい。それは、分かっているのだが。
「満潮、いい加減にしなさい」
「……何よ。実際そうでしょ?」
霞が今度は満潮を注意する。
霞はため息をついて指摘した。
「知ってるわよ。あんただって、内心ビクビクしているくせに。強がって、朝潮に牽制なんていい度胸してるじゃない」
「!?」
霞のストレートな物言いに、怯む満潮。
何で知っている、みたいな顔になって慌てて取り繕う。
霞は、表情を引き締めてから二人に聞く。
「……仮に。あいつが、何かしたとして。飛鷹さんが気付かないと思う? いくらあの人があいつに甘いからって、危ない事まで見過ごすわけがないでしょう。飛鷹さんは怒るときは怒るわよ。それが、鎮守府の存亡の危機なら、尚更」
霞なりに冷静な分析をしていた。
彼女だって本当は怖い。突然の呼び出し。大本営には良いイメージがない。
艦娘を食い潰す鎮守府があると、翔鶴が言っていた事もあった。それを奴等は承認している。
そんな連中が、ここのような規模がそこまで大きくないとは鎮守府の提督に、何の用事があるのか。
「任務って、さっき満潮は言ったけど。多分、それもあり得ない。言っちゃ悪いとは思うけど、あいつは優秀な部類じゃない。ダメコンを平気で使う、頭のおかしい奴だって、向こうは思っている。問題がないと思っているのは、私だけじゃない? 所謂、艦娘の視線と人間の都合は別問題だもの。……でも、飛鷹さんが黙っている訳もない。あの人って、あいつに危害を加えようとすると、人間だろうが艦娘だろうが深海棲艦だろうが関係ないって聞いたわ。私も、今回の事は、よくわかんない。少し鈴谷に聞いてみたけど、怪しい記録はないって言うし。面倒なことにならないと良いけど……」
不安を煽るようで悪い、と霞は二人に言った。
更に続ける。
「満潮、こんなときまで威嚇は止めて。朝潮、あんたはホントに落ち着いて。そんなんで、いざってときに行動できるの? 不意の事態に備えるのも私達の仕事よ。正直言えば、みんな怖いのよ。何かあったんじゃないかって。気持ちは同じなのに、朝潮はパニックになってるし、満潮に至っては強がっているし。頭を冷やしなさいな。あいつを支えてるのは、ここにいる艦娘なのよ? 私達だってその一員でしょうが。こう言うときこそ、冷静に。余裕を心がけないと……取り返しがつかない事態になっても、いいの?」
霞は自分でできる範囲で動いていた。
満潮のように、強がっているだけじゃない。
朝潮のように、狼狽えているだけじゃない。
深呼吸して、此度の異変に、冷静に対応していた。
それほど、大本営の信用はされていない。
「杞憂ならいいよ、それで。私もそうなってほしいと思ってる。けど、悪い方に転がったらあのバカ、また一人で抱え込んで自滅する。そんなの、見てられないったら。一度経験したから、同じ過ちは繰り返させない。確かにあいつは真面目で頑張るけど、溜め込むからそれを阻止しないと爆発する。……嫌よ、私。なにもできずに、司令官が苦しむの」
分かっているから、行動する。霞はそういう決意をしている。
満潮は素直に謝った。よろしくない兆しの時にまで、姉妹で潰しあうなどバカらしい。
それ以前の問題かもしれないのだ。杞憂ならいい。取り越し苦労ならば、それで。
万が一があった場合の心構えをしろと、霞は怒る。
「……ごめんなさい。取り乱して」
「取り乱すって程じゃないけど、あんたはもう少し指輪もらった自覚をしてほしいわ。五人しかない指輪持ちの一人なのよ? しっかりして頂戴」
腰を下ろして、朝潮は項垂れる。
霞の言う通り、唯一の駆逐艦であるのにこの体たらく。
恥ずかしさが今ごろ出ていた。
「気持ちは否定しないわ。けど、ただ甘えていればいいわけでもない。振り向いてほしければ、先ずは頼れる女にならないとね」
「…………」
霞はそういって、コーヒーをあおった。
満潮はそれを苦い表情で見ていた。
「……何だかんだ、あんたも狙っているわけか。よくわかったわ、うん」
「だから、無意味な挑発を止めなさいよ。普段なら相手してあげるけど、今は空気を読めっての」
「はいはい……。今回はあんたの言い分が尤もだから、従うわ」
満潮は机に突っ伏した。霞は肩を竦める。
アドバイスなのか、あるいはライバルの宣言なのか。
よくわからない。けれど、朝潮はにおいを感じ取った。
自分と同じように、霞や満潮は狙っている。
姉として、情けない姿を晒せない。
「そうだよね……私も、頑張らないと!」
立ち直りも早いのが朝潮。
司令官の頼れる駆逐艦として、唯一の指輪持ちとして。
こう言うときにも、冷静に対処しないといけない。
「ありがとう霞!」
元気になった朝潮は、取り敢えず制服を着替えてくると、隣の部屋に移動した。
その背中を見て、苦笑する霞。
「……まったく、世話の焼ける姉よね」
「意外ね。霞が朝潮を助けるなんて」
満潮が顔をあげて言った。
彼女は横目で理由を語った。
「助けたつもりはないわ。私はこう言うときには団結するべきと思うだけ。困難は皆で乗り越えないとあとが怖いから」
それが彼女の言い分だった。
非常時にいがみ合いしていても意味はない。
理屈は通っていると、満潮も納得した。
因みに、夕方ごろ二人は戻ってきた。
提督は、何やらお説教の呼び出しだったと説明。
飛鷹は見事にご立腹で、暴れそうになったらしい。
詳細は教えてもらえなかったが、あまり良い空気ではないのは間違いなかった。
そんな日。朝潮の周りが、少しずつ変化していく物語は、ここから始まる……。