人間の幸福
とうとう、このルートに来てしまったんだな。
ああ、来てしまった。この世界は……誰も泣かない、誰もが幸福になれる唯一の世界。
だが、そんなもの本当にあると思うか?
一人を決められず、重婚なんぞしてみろ。
他方の鎮守府での反応は知らないが、少なくとも大抵のヒロインも納得しない。
重婚は罪だ。繰り返す、重婚は罪なのだ。浮気よりも、二股よりも罪深き、選べないという行為。
誠意を見せない裏切りに近い行動。彼女たちが納得していればそれはいい。
然し納得しているのか、本当に?
心のなかで、我慢を強いていないと言い切れるのか。
寂しい気持ちを知っているのか。嫉妬の気持ちを知っているのか。
そして、彼女たちの人生を背負えるのか。重婚をしている人々に問いたい。
……貴方は、彼女たちを、心のなかで、泣かせていませんか?
重婚した場合、本作のヒロインはどうなるか。
例題だ。メインヒロインは。
「……他の誰かが幸せを保証するなら、私は手を引くわ。独占できないのは苦痛だもの。だから、祝福もする。けれど、彼がどうしても選べないというなら。身を退かなくても良いかな。まあ、付き合いの長い皆だし……互いによく知ってる間柄。見逃しても良いけど、時間制限つけるわ。あと、正妻は私だけ。あらゆる権限は私を通して行うことが前提よ。じゃないと、裏で暗躍してあの人と駆け落ちするから。情けないのも知っているとはいえ、逃げるなら私は何処までも一緒。ストーカーしてやるんだから」
一生影のように付きまとうこと確定のヤンデレ。
「嫌だよ!! 絶対やだ!! 鈴谷は鈴谷だけ見てほしい!! 他の人なんか要らない!! っていうか入ってこないでよ!!」
小動物、全否定。却下。
「……納得はできませんよ。然し、私の場合は外見が問題ですし……困りますね、ええ本当に……」
恋する狼、ロリコンを背負わせるか納得するかの究極の選択肢に苦悩した。
「……はぁ。私に言われても……」
この人はそもそも気付いていない。困っていた。
条件付き許容、断固拒否、迷う、困る。
……あれぇ? 意外とこれ、条件揃えば重婚可能じゃね?
特に危険なヤンデレは、意外と物分かりが良いので説得は可能。
つまり、反対は小動物のみ。彼女さえどうにかすれば、皆様幸せになりそう。
まあ、現時点で重婚を仮で行っている阿呆がこいつな訳で。
それこそ、愛してもいないしそれを自覚しない本人からすれば、皆の苦悩など知るよしもない。
因みにエンディングにしっかり結婚しているのは飛鷹だけ。
あとは死んでいる、ロリコン覚醒、スタートラインとまあ結婚には程遠い。
大体普通にこの国重婚は出来ません。
だったら、やっぱり鎮守府にこの男を縛り付けて酒池肉林するしかない。
隔離された桃源郷を作ろう。そう言うことなら皆幸せ。えっ? 憲兵さん?
本作には裏工作の得意な猛禽類がおります。彼女にお任せあれ。
彼のためなら、憲兵さんを説得する程度屁でもない。
そんなわけで。提督バッドエンド、始まります。
「親父? 何だよ、どうしたんだ急に?」
それは、遡ること指輪事件の頃。
皆に配布するために、悩んでいる頃に戻る。
急に、大将を戴く父から一報が入った。
重要な話がある。私用だが、記された日時に、記された場所に来い。
提督の人生に関わる相談がある。一人で。
護衛をつけるなら、憲兵にしておけ。話は通しておく。
そういう内容だった。
「はぁ? ちょっと親父、話が見えない……おい!!」
忙しいので、一方的に終えて切られる電話。
首を傾げる彼に、相棒は書類を胸に抱いて訊ねた。
「どうかしたの?」
「いや、なんか親父に急用が入ったから明日来いって……」
「……貴方のお父様? 大将の方よね?」
執務室で仕事をしている彼にいきなりきた連絡に、何かあるのかと勘繰る飛鷹。
然し、彼が言うには私用。身内の話らしい。
「……まあ、大佐の貴方に大将なんて雲の上の人が直接関わるなんて無いわよね」
「だよなあ。俺達、単なる平凡な凡人だぜ?」
裏などないだろう。親子の話し合いなら、同席は出来ないと飛鷹は空気を読む。
代わりに明日の代理は任せろと言ってくれた。
「サンキュー。お前のそういう以心伝心、好きだわ」
「そりゃどうも。慣れているからね、私も。気をつけて行ってきてね」
互いに軽口を叩きあって笑っていた昼間。
時刻は明日の午前中。場所は……都市部の有名な飲食店。
そんな早い時間帯に何事かと思いつつ、頼れる相棒に任せて彼はその呼び出しに応じて向かっていった。
指定された場所には軍服で来いと言われた。
海軍御用達の店なので、気にしないでいいと言われるが。
この、高級感溢れる気品に満ちた店内の個室。
映像でしか見たことがないような、自分が場違いとしか思えない席にいるのが酷く不安になる。
改まって、一体何なのか。多忙だろうに、余程重要な内容なのだろうか。
コーヒーのみ、注文した。父が支払うと言うが、恐ろしくて頼めたものじゃない。
実際出てきたコーヒーは、芳しい芳醇な香りを放ち、普段とは桁が違うことを分からせる。
礼儀正しく姿勢を整え待つこと数分後。
個室の扉が開く。
「済まんな、執務が遅れた」
……久々に、父と顔を合わせた。
前よりもより、顔つきは痩せた。
見た目は目付きの悪い、彫りの深い中年である。
然し佇まいは威厳があり、若輩者の息子としてはあまり近寄りたくない。
こんな風には、過去を知り経験した以上は……なりたくはない。
「あぁ、少し待ったぜ親父」
「おい、一応私用とは言ったが敬語を使え馬鹿者」
応答に目を細める父。他意はなくとも、威圧感が強い。
提督は苦笑して流す。
「今は仕事中じゃねえ。あんたは俺の親父。俺はあんたの息子だ。親子関係に敬語がいるのか?」
「屁理屈を言う……口ばかり達者になりおったな」
対面するように、腰を下ろす。
父も一杯、玉露を頼んでいた。
父もどこか、苦く笑うように唇の端を僅かにあげていた。
「んで? 何だよ、重要な話ってのは。俺はもう、なんもしてないが?」
少なくとも、父に心配をかけるようなことはしていない。
すると、父は小さく笑った。
「知っとるわ。もう医者騒ぎなど起こすんじゃないぞ、私も心労で倒れそうだ」
「……あんたが軽口に乗るなんざ珍しいな。どうした? 母さん絡みか……?」
父の数少ない弱点、それは妻のことだった。
今は亡き二人の妻を、彼は深く愛している。
ただ、その愛を……果てのない憎しみにしている。
省みない無謀なことを、繰り返す根源だった。
「……まあ、関係あるな。あいつらにも関係あるとも言える」
「……兄貴たちが? おい、どういうことだそれ。兄貴たちはもう、死んだ。分かってるだろ互いに。踏ん切りがついてねえのか、親父」
訝しげに聞けば、母にも兄たちにも関係あると言う。
もう、ここにはいない人達に関係あると言われれば、彼も不穏な空気を感じる。
確認するように聞くと、父は天井を見上げて言い出す。
「焦るな。そういう意味じゃない」
ゆっくりと聞けと、一度時間を作る。
届いた玉露が湯気をあげる。それを辿って彼も天井を見上げた。
空の上にいる、家族を見ているように。
「……一つ、提案があるんだ」
暫し沈黙し、軈て父は口を開いた。
聞いた覚えのない真剣な声色に、彼も表情を引き締める。
父は、茶を啜り、そして用件を……彼に、語った。
午後。
戻ってきていた提督は、腑抜けていた。
魂が抜けており、心ここにあらずで、虚空を見つづけていた。
「大丈夫……?」
引き続き、代理をしている飛鷹が聞く。心配そうに見てるが、彼は機械的に頷くだけ。
ダメだ。反射的な反応しかしていない。飛鷹は父が何か吹き込んだのかと案ずる。
実際その通りで、然しこれは艦娘には言えない案件。相談も出来ない。
ボーッと力が抜けて途方に暮れている。
ソファーで軍服のまま、寝そべって天井を見ていた。
分かりやすいパンク状態。精神の余裕が消えたようだ。
取り敢えず放置しておく。回復するまでは、休ませておくのが一番。
執務室に来る艦娘が死んでいる彼に何か聞くも、何でもないの一点張り。
強がりじゃなくて、本人ももて余す内容だと皆経験で理解して見守ることにした。
夕方になり、漸く起き上がる提督。顔色はゾンビになっていた。
「……少し寝てくるわ」
そういって、彼はフラフラ出ていった。
飛鷹はその背中を見送る。憲兵に聞いたが、戻るときには既にああだった。
よくない兆しが見えており、だが今回は大将の持ち寄った身内の話。
艦娘が入れる余地などない。言ってくれるまでは待つしかない。
あまり飛鷹も見たことのない彼の様子に、対応を考えていた。
相談されたことは、驚きの内容であった。
「お前、お見合いせんか?」
要するに、父は彼に縁談を持ちかけてきた。
いい加減、身を固めて同時に軍を退役して実家に帰って平和に暮らせと勧めた。
唖然とする彼に、父は理由を言った。
「お前もそろそろ、結婚の視野に入れる年齢だろう。私達家族の男は、艦娘と結ばれるとろくなことにならん。相応の、身の程の幸福を手に入れて早々に戦争から離れた方がいい。体験者はそう思う」
それは、父なりの心配。
兄達や自分のように艦娘と結ばれると自滅したり、破滅したりする。
そんな悲劇未遂を彼も起こした。故に、もう海軍を退役しろと言った。
経験して、見ていて、提督もその心配はよく理解できる。
寧ろ、有難いとすら言える気遣いだった。
だが、脳裏には皆が過る。大丈夫だろうか、それは……。
彼女たちが、果たして納得するかどうか。
「艦娘のことは気にするな。こう言うとお前には悪いが、提督は人間の幸せを優先するべきだ。艦娘にどうこう言われる筋合いはない」
それは、人と艦娘の違いであった。
人の幸福のやり方に、艦娘のような未成熟が口を出すなと。
人のなんたるかを知らない小娘は黙っていろと言う割と容赦のない辛辣な言い方。
個人的な恋愛に彼女たちは邪魔と言う、兄達を見てきた父らしい言葉。
故に、怒りもなにも感じない。納得はした。前もって悪いと謝っていたし。
「丁度、中将の知り合いに良い娘さんがいらっしゃるそうだ。会ってみるだけ、来ないか?」
「……いきなりだな。まあ、考えておくよ……」
そうとしか言えない。
彼としても考えることがあった。これは、余計なお節介とは言えない。
何せ、父なりに息子を心配してくれた結果なのだ。
自分自身、言いたいことも分かった。
戦争をしてる限りは逃げられない。
悲劇を回避したければ、艦娘から離れろ。
即ち、提督を退役してしまえ。そういうアドバイスだった。
お見合いの話を受け取って、彼は戻っていった。
これは誰にも言えない。新しい苦悩の、始まり始まり……。