ではどうぞ!
周囲の壁や床が見るからに朽ちているが、かろうじて手入れがなされた様子がうかがい知れる。天井から下げられた照明には電気が通っているのか薄暗いながらも光を放っている。
その光の下で、セレナは苦し気に呻きながらうずくまっていた。その彼女の元に慌てた様子でマリアが駆け寄る。その手には無痛の注射が握られている。
マリアはそれをセレナの首元にあてると、中身を彼女に注射する。
それから少しすると、苦し気だったセレナの表情が和らいでいき、少しすると彼女は大きく息を吐いてゆっくり立ち上がる。
「ありがとう、姉さん。楽になりました」
「ありがとうじゃないわよ……貴女は目覚めたばかりなのよ……無理をしたら何が起こるか分からないのよ」
「それは、まあ……はい……」
気まずげなセレナを前にマリアは優しく彼女の体を抱きしめる。
「もっと自分の体を大切にして頂戴……今ここにいることは本当に奇跡なのよ。私は、もう二度と……」
声を震わせながら抱きしめる力を強めるマリアにセレナは小さく苦笑を浮かべると静かに抱擁をほどき、マリアを向き合う。
「すいません。心配をかけて……はい、しばらくは安静にしています。でも、いざとなったら戦うのは変わりませんよ?流石にそこは譲れません」
「それは………「絶対……ですよ?」っ………」
マリアは反論しようとするが、念を押すように、強い決意を込めた表情でセレナがそう言うと、言葉に詰まってしまう。
しばらく迷うようにマリアは表情を歪めるが、やがて諦めたようにため息を吐く。
「分かったわ……だけど、絶対に無理だけはしないで。もしも何かあったら必ず私たちに言うのよ。いい?」
「はい、必ず……」
セレナの言葉にマリアはどこかほっとしたように息を吐く。
「それでは、姉さん、行ってください。私はここでもう少し休んでいきますから」
「もう大丈夫なの?もう少し付き添ってても……」
「はい、大丈夫です。もう少ししたら私も合流しますから」
「そう……分かったわ。それじゃあ後でね」
そう言ってマリアは部屋から出ていく。その背中を見送ったセレナは小さく息を吐くと左手の小指に目を向ける。その爪は明らかに長く、そして鋭く伸びていた。
セレナは黙ってその爪を見つめていたが、不意に摘まみ、強引に伸びた部分を圧し折ると、それを口に放り込み、ごくりと呑み込む。
「…………やっぱり、だめ……か……」
そう寂しそうにつぶやくと、きっと何かを決意した表情をして部屋から出ていく。
武装組織フィーネの宣戦布告から一週間が経過したある日の昼間。とある建物の一室から何かをぶん殴り、ぶっ飛ばすような音が響いている。
それから少しするとその音も収まり、静寂が広がる。
その部屋の内装は反社会組織らしいインテリアで包まれているのだが、それらは無残に破壊され尽くされ、その筋の者達は軒並み倒れて気絶している。立っているのは二人の男。
「おい、こっちは終わったぞ。そっちは見つけたか?」
「ええ、おかげさまでバッチリです」
緒方の言葉に緑羅はそう、と頷いてコキコキと首を鳴らす。
「全く、こき使いやがって……俺は必要ないだろう、お前の実力なら」
「まあまあ、良いじゃないですか。暇を持て余してたんでしょうし、少しは親睦を深めましょうよ。緑羅君としても活動資金は欲しかったでしょ?そう言うのに目をつむってあげますから」
緒方の苦笑交じりの言葉に緑羅ははあ、とため息を吐くと、そのまま緒方とは別の場所を調べ始める。
あの後、緑羅は宣言通り元二課の面子と合流し、互いに情報交換を行った。主に自分たちの近況、その後、世界各地、日本で目にしてきた異常、違和感等々、時折、響にせがまれてなんて事の無い日常なども話し合った。
それらから総合して、どうやら二課の方もルナアタック以降、ノイズを倒し続けていた以外、特に何もなかったらしい。緑羅の方も時々旅先でノイズと戦ったがそれだけで特に何か変わったことはなかった。あの謎の違和感についても話したが、彼らにも心当たりはないらしく、もう少し詳しく調べてみると言っていた。
また、情報交換の際に緑羅は響たちの頼みもあって弦十郎と緒方の二人にG細胞の事を話していた。流石に細胞を移植された存在がいるとなっては黙り続けることはできない。だが、むやみやたらに明かすこともできず、話す人数は最小限にしなければならなかった。それで響たちの話を参考にした結果、彼ら二人なら秘密を打ち明けても大丈夫と判断したのだ。
話を聞き終わった彼らは形容しがたい表情を浮かべていた。まあ、そうなるのも仕方ない。だが少なくとも、何があろうと決して口外はしないと約束はした。それがどこまで通じるかは不明だが……
そして、今後の方針として、以前よりも二課との連携は重視するために、通信機を持ち、連絡がつくようにした。本当ならばこういうのは避けたい所だったのだが、今はそうも言っていられない。多少のリスクは覚悟しなければならないだろう。
そして今日、緒方から不審な物資の流れを見つけたので単独で乗り込むが、付き合って欲しいと言われ、こうして付き合っているのだ。代わりに組織の金は緑羅が回収していいと言われたので、まあでかい口は聞けないのだが……
緑羅が部屋の中に隠されていた金庫を見つけ出し、その中をあさっていると、見つけ出した資料を見ながら二課に連絡を取っていた緒方が携帯を仕舞い、背中越しに話しかけてくる。
「……そう言えばなんですが、あの君の細胞を移植された少女……」
今回の件も含めた話し合いの場で、特に多くの人間の頭を悩ませたのが、やはりG細胞を移植されたセレナと呼ばれていた少女の件だ。
彼女はあまりにも危険すぎる。彼女にG細胞が使われたとあっては、まず間違いなく、彼女はいずれ怪物になる。今は細胞が沈静しているのか、それとも本当に抑制する方法があるのか人間の姿形で、意思もはっきりとしている。だが、それがずっと続けられるのか、それとも有限か、有限ならばタイムリミットはいつなのか。全てが不明だ。
最初、緑羅は自分が処理をすると言ったのだが、これに響が反対の声を上げた。緑羅にそんな事はさせられない。本当に大丈夫な方法が見つかったのかもしれない。殺す以外の方法を見つけようと緑羅に訴えた。
甘すぎるが、響らしいと言えば響らしい答えだ。だが、緑羅もこの件だけは簡単に妥協することだけはできない。彼女を説得しよう何度もG細胞の危険性を言い聞かせても、、響は答えを変えなかった。
緑羅の言う通り、本当に危険なのかもしれない、だけど、それでも、間違っても、殺すなんて絶対にダメ、と響はそこだけは譲らなかった。そうしているうちに周囲も響に同調するように殺す以外の方法があるのではと言い始めた。
ここまでくると、流石に緑羅も押され気味となり、最終的には殺さない以外の方法をできる限り探し出す、それでも見つからない場合は何らかの方法、具体的には完全に凍結させるなどの方法で行動不能にさせる、と言う事で落ち着いた。
「何だよ急に……危険すぎるが、一応は保護する形で「僕たちの考えに気づいていたでしょう?」………まあな」
緒方の言葉に緑羅は肩をすくめて答える。
あの時、あの場において、きっと、響以外の、少なくとも、弦十郎、緒方の2人は気付いていたはずだ。セレナを助ける方法はない。行動不能とて、いつまでも続けられるものではない。彼女は間違いなく、化け物になると。翼も、クリスも、それなりの修羅場を、地獄を経験しただろうがまだ子供。恐らくだが心のどこかで希望を信じているだろう。
だが、今回の一件に、希望なんて言葉は存在しない。待ち受けているのは、死か、化け物かの二択だ。その中で一番マシなのは人間としての死を与える事だけだ。
その事を大人たちは自覚している。だからこそ、あの時響の意見に賛同したのだ。少なくとも、子供たちには真実は伏せ、今この場で最も穏便に収まるであろう意見を出した。緑羅もそれに気づいたから、同調した。
「セレナはもう無理だ。希望も、逃げ道も、どこにも存在していないし、用意されていない。待っているのは絶望だけだ」
「………だからあなたが殺すと?」
「ああ。お前らの手は借りない……そもそも、いくらお前らが規格外でも、あいつを殺せるのは俺だけだろうしな。その死骸を完全に破棄できるのも………だから俺が終わらせる。そもそもこいつは俺がまき散らした種だ。だからその芽を刈り取るのも、その結果蔑まれ、恨まれ、憎まれるのも俺一人で十分だ」
緑羅の言葉に緒方は何も言い返せず、小さく目を伏せる。
「謝るなよ。そんなものは欲しくないからな」
「……はい……」
その迷いのない言葉に緒方はそれ以上何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。
それからしばらく、二人は無言であさっていたのだが、不意に緒方が空気を切り替えようと口を開く。
「ああ、そう言えばなんですが、近々リディアン音楽院で学園祭があるんですが……」
「ああ、そう言えば校舎を新しい場所にして再開してるんだっけ?」
ルナアタックの一件でリディアン音楽院の校舎は全開。さらに校舎があった場所はフォニックゲインで汚染されて使えないため、別の場所に校舎を新造して、そこで学院を再開させたらしい。
「恐らくですが、響さん達からお誘いが来るかと思います。出来れば答えてあげてください」
「こんな状況で……と言いたいが、さんざんっぱらに響たちの誘いを蹴ってきたからな……今回は大人しく参加するさ」
「そう言ってもらえてよかったです……」
いささか無理やり感があるが、それでも、暗い話題しかない現状はいけない。少しは彼にとっても気分転換になってほしいと思う緒方だった。
夕暮れ時、周囲一帯がオレンジに染まっている中、リディアン音楽院の新校舎の空き教室の一つで、風鳴翼が大きな看板を前に作業に勤しんでいた。
そしてその彼女の前にはリディアン音楽院の制服に身を包んだ雪音クリスもまた作業をしていた。
今、クリスはリディアン音楽院の正式な生徒として在籍している。そして、学院はもうじき文化祭である
秋桜祭が控えており、多くの生徒がその準備に追われている。クリスもそれに巻き込まれてしかる口なのだが、彼女は未だ今の生活になじめないのか逃走、その先で翼と出会い、こうして彼女に捕まってしまった、と言うべきか。
対面に座りながらも作業に手を出そうとしていないクリスをみて、翼は小さく息を吐く。
「まだこの生活には馴染めない?」
「まるで馴染んでない奴には言われたたくないね」
「ふふっ。確かにそうね………そうね。それじゃあここでちょっと……」
翼が口を開こうとした瞬間、
「あっ、翼さん! いたいた」
ふいに教室の入り口から声がかけられ、二人が顔を向ければ、翼の同級生と思われる生徒が3人ほど立っており、近づいてくる。
「皆……先に帰ったんじゃ……」
「だって翼さん、学祭の準備が遅れてるの自分のせいだと思ってそうだし」
「だから私達も手伝おうって思って探してたんだけど……」
「でも心配して損した。何時の間にか可愛い下級生連れ込んでるし」
「私を、手伝って……?」
「案外人気者じゃねえか」
クリスがニヤニヤと笑いながらそう言うと、翼はふむ、と小さく目を細めると、
「そう言えば、昼間に連絡があったんだけど……五条緑羅、秋桜祭に顔を出すらしいわよ。心配かけた詫びだって」
「っ………!あ、お、そ、そうか………」
その発言に明らかにクリスは反応し、視線が若干泳ぎ、挙動がせわしなくなる。
「馴染めないのは仕方ないかもしれないけど、少しは馴染まないと、彼にいらぬ心配をかけることになるかもしれないわよ?」
「それは………い、いや、そもそも、あいつが来るとしてもがあたしにはあんまり関係ないし……………」
クリスはそんなこと言うが、指先で髪の毛をくるくるともてあそび、そっぽを向くその姿は中々どうして……ここに響と未来がいたらもっと面白くなるかもしれない。
そんな想像にに翼がうっすらと笑みを浮かべていると、
「え?五条?それって誰?」
当然生徒たちは食いついてくる。それに翼は落ち着いて答える。
「ここには通っていない私たちの………まあ、友人ね。少し性格に難がアリだけど、それでも悪い奴じゃない事はまあ……確かね」
「へぇ……翼さんに男の子の友達とかいたんだ……」
彼女たちが意外そうにそう呟くと、翼は小さくため息を吐き、
「私にだってそう言う友人はいるわよ。まあ、出会いは最悪だったけど……」
「そうなんだ……で、でさ、この子の反応、もしかして………」
クリスに聞こえないようにか声を潜め、こそこそと耳打ちする彼女に翼は優し気に微笑み、
「まあ、そう言う事でいいんじゃないかしら?私にはまだ分からないけど……」
翼は小さく肩をすくめながら、口ではいろいろ言いつつも多少なりともやる気を見せ始めた後輩を見て小さく頷いていた。