陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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第二章
〔第二章・第一節〕


 徳山駅から新横濱迄直通の列車に、3人分の席を取ることが出来た。

窓際にむっちゃんを座らせてあげようと決めていたが、そこが決まれば席順は決まった様なもので葉月は当然の如く真ん中に陣取り、僕は大人しく通路側に座った。

列車が走りだす迄は彼女が大はしゃぎするのでは――と勝手な想像をしていたが、実際にはほぼ真逆だった。

むっちゃんは窓に張り付いたまま、一言も発する事無く食い入る様に窓外の景色を見詰めており、最初のトンネルに入った時に、

「これってトンネル?」

という問いを誰言うとも無く発しただけで、その後幾つものトンネルを抜けて最初の停車駅である広島に到着する間もずっと黙って外を見つめ続けていた。

停車している時に一度だけ彼女は小さく手を振ったが、ベビーカーを押す女性がちらと見えたので子供に手を振っていたのだろうか。

やがて列車が広島駅を発車し、間もなくトンネルに入ると突然彼女ががっくりと首を項垂れたので、僕は思わず席から腰を浮かせてしまう。

 

「どうしたの、むっちゃん⁉」

 

その声に振り返った彼女は、両目に一杯涙を溜めていた。

 

ハッと胸を衝かれて声が出せなくなってしまい、代わりに葉月が、

 

「ちょっとぉ、一体どうしちゃったの?」

 

と声を掛ける。

 

(何でもっと優しく言えないんだよ!)

 

とは思ったものの咄嗟に声が出なかったのは自分だし、今の葉月としては精一杯歩み寄った言葉だったかも知れない。

 

「……驚かせちゃってごめんなさい……でも――本当に、本当に凄いわね……あたしがずっと海底から上を――海面とその先に広がってる空を見詰めてた間に、日本の人達はこんな凄い物を作っていたのね……あたしをこの世に産み出してくれて、来る日も来る日も丹精込めて手入れしてくれた人達は、こんなに立派な町を造っていたのね……あんなに可愛い赤ちゃんがお母さんと一緒に、にこにこ笑って暮らせる国にしていたのね……それを見ていたら――あたし――」

 

そこ迄振り絞る様に話した彼女はそれ以上続ける事が出来なくなり、顔を覆って静かに嗚咽を洩らした。

 

僕は何かを言おうと努力したが、結局何も言えずに涙ばかりがどう仕様もなくポロポロ零れて来る。

 

今すぐ立ち上がって泣いている彼女をきつく抱き締めたい。

 

いや、それが出来ない迄もせめて何か優しい言葉を掛けてあげたい。

 

そう思いながら懸命に言葉を探したものの、結局何時もの様に物怖じしない女性達の後塵を拝してしまう。

 

「ねぇ……もしかして、貴方本当に陸奥なの?」

 

葉月がこれ迄とはがらりと違う、優しい口調でむっちゃんに話し掛けた。

 

良く見ると葉月の瞳も潤んでいる。

 

「あたしにも――正直良く判らなくなっちゃったわ、自分が本物なのかどうかなんて……、はっきりしてるのは、あたしには船として過ごした長い間の思い出があるだけ……。人が羨ましいわ――自分が本物かどうか何て悩む事なんか無いのよね」

 

「やぁね、耳の痛いこと言ってくれるわ……自分が本物かどうかなんて確かに疑った事無いけど、証明しろって言われても身分証出す以外の方法なんて考えたこと無いもの」

 

彼女がそう応じるのを聞くと、むっちゃんはまだ涙を零してはいたが少し笑みを見せた。

 

そして何より、葉月も目を潤ませながら優しげな笑顔を浮かべてそれに応える。

 

情け無い僕はそれを見てまた胸が詰まってしまい、涙が出て来てしまう。

 

「ちょっと仁はさっきから何をボロ泣きしてるのよ! わたしの前でそんなに泣いた事一回でもあったかしら⁉」

「あら、そうなの?」

「本当よ、つくづく感動の少ない薄情なヤツなんだから」

「意外ね♪ そうは見えないのに」

 

そう言いながら、何時の間にか二人はまだ涙の跡が残る顔で愉しげにクスクス笑っている。

 

「それにしても本っ当にトンネル多いわよねぇ、もうちょっと景色でも眺めて感動して貰いたいとこなんだけど♪」

「嫌だわ、これ以上泣いてばっかりいたらその内涙が渇れちゃいそう」

「ウフフ、渇れやしないけど喉は渇くかも知れないわね」

「あら、それじゃあさっきから喉の奥がヒリヒリするみたいな感じがするのはその所為なのかしら?」

「それってひょっとしたら、そんな姿になってからまだ何も飲み食いして無いって事ね?」

「ええ……それに昔も人が飲み食いしてるのをずっと見てたけど、何でそんな事してるのか全然判らなかったの」

「へぇぇ、じゃあお腹空くのもどんな感じか分からない訳?」

「その……これも自信が無いんだけど、さっきからお腹が内側から引っ張られるみたいな感じがしてるのってお腹空いてるからなのかしら?」

「そんな風に言われると凄く新鮮な感じね~まぁ多分間違いないわ、仁! もちろん何か用意してるんでしょうね?」

「コンビニでお握り位は買っといたけど……飲み物はこれでも良いかな?」

「そんな飲み掛けを飲ませる積もりなの? 気が利かないわねぇ~自販機で何か買って来なさいよ」

「はいはい良く分かりました」

「そんな、仁、悪いわ!」

「いいのよ! これからこんな素敵な女性二人と一つ屋根の下で暮らせるんだから、この位の苦労はして当たり前よね?」

「全く仰せの通りですよお嬢様!」

 

そう言ってさっさと席を立つ。

むっちゃんは申し訳無さそうな眼差しで僕を見送ってくれたが、無論全く気になどしていないし、寧ろウキウキしている位だった。

葉月と会話するむっちゃんはとても楽しそうで、それを見ているだけで僕は浮かれてしまっており、スキップでもし始めそうになるのがちょっと怖い。

連結部の自販機で天然水とお茶を買って席に戻ると、相変わらず二人は楽しそうにお喋りしていた。

そんな様子を見た僕も上機嫌で、

「お待たせしましたお嬢様方?」

と柄にも無くお道化て見せたのだが葉月と来たら冷たいもので、

「やっと戻ってきたのね、ちょっと留守番しててくれる?」

と言うなりむっちゃんの手を引いて立ち上がってしまう。

 

「……え?」

「ごめんなさい仁、すぐ戻って来るからね?」

「いいのよいいの! じゃ頼んだわよ仁」

 

それだけ言い残すと二人はさっさと反対側の車両の連結部目指して行ってしまい、僕はむっちゃんのための飲み物とお握りを持ってぽつねんと待つより仕方が無かった。

 

 それから彼是10分程で席に戻って来た二人は何をしてきたとも話してはくれなかったが、概ね想像はついたのでしつこく尋ねたりはしない。

気が利く葉月の事だから、むっちゃんが言わば生まれたての赤ちゃん同然の存在である事を理解したので、恥をかいたりし無い様に女性同士でなければ教えられない事を教えていたのだろう。

 

「さぁお待ちかねのお食事タイムね! って言っても只のお握りなのよねぇ~、本当に気の利かないこと!」

「わ、悪かったな」

「ま、仕方ないわね。じゃむっちゃん、まずは飲む事から始めましょ!」

 

そう言って葉月は迷わず天然水を手に取ると彼女に渡し、

「蓋をこうもって、こっち回りに回してみて?」

と手振りを交えて開け方を教える。

 

「こう? あっ、ぷちっていったわ! これで開いたのね?」

「そうそう、それでこう口を付けてまずは少しだけ口の中に流し込むの。一度にたくさん入れちゃダメよ? 咽るから」

 

ここでも僕は二人の遣り取りを感心しながら見ているだけで、入り込む余地が無い。

ひとたび事情を理解した葉月にとってはこの位は言わばデフォルトの行動なのだろうが、普段いちいち考える迄もなく無意識にやっている事すらむっちゃんにとっては初めての事ばかりなのだということを、今更ながら認識した僕からすればただただ舌を巻くばかりだ。

 

「……ねぇ、これは何?」

「容れ物に書いてある通り、只のお水ってやつよ」

「これがお水? もっと飲んでもいい?」

「もちろんよ! お代わり位この下僕が幾らでも持って来てくれるから♪」

「誰が下僕だよ」

「じゃあ召し使い? 昭和チックにお手伝いさん? どれがお好みかしら?」

「呼び方の問題じゃなくて立場の問題だよ!」

「ほらほらそんなどうでもいい事でグダグダ言ってたら、人生初めてのお水の感想を聞き逃しちゃうわよ。ねぇむっちゃん」

 

そう振られた彼女は何やらうっとりした笑顔を浮かべている。

 

「何だか言葉にしようが無いんだけど、これが美味しいって言う事なのかしら……。体の内側が新しくなってく見たい……」

 

そう言って天然水のボトルを握りしめるむっちゃんの絵面は、そのままCMに使えるレベルだった。

というかこんなCMや広告が出たら、それこそネット上などであの女性は誰だとか言う話題で持ち切りになるだろう。

 

「何だか羨ましいわねぇ、普通の水でこんなに感動出来るなんて」

「そう言うものなの? あたしには良く判らないけど、自分が中から出来立てになった? みたいな気分を口から感じるなんて想像した事も無かったから……」

「すごく詩的だねぇ、美味しさとか味をそんな風に言えるなんて」

 

ところがその時全く詩的でない残念な音が響き渡り、僕の感想を台無しにしてしまう。

そう、むっちゃんのお腹がグーっと鳴ったのだ。

 

「嫌だ! なに? 何? あたしのお腹どうしちゃったの⁉」

「心配しなくても大丈夫よ! ほら仁、次はお握りよ」

「あのね、多分お水を飲んだからむっちゃんのお腹が動き始めたんだと思うよ? 何か食べたら鳴らなくなるから大丈夫だよ」

「う、うん、判ったわ……じゃあ今度は食べてみるわね?」

「さ、今度は剥き方よ、まずこれを摘まんで引っ張ってみて」

「あっ、すーっと引けるわ……なにこれ、凄くいい匂いがする」

「ふふっ、じゃあ今度はここを摘まんでこっちの方にそーっと引いてご覧なさい」

「あっあっ、何? なんでこんな風に引き抜けるの?」

「ほら、反対側も同じ様に引き抜いて」

「あっ、ひょっとしてこれでその――えっと――」

「海苔」

「そうそう! その海苔がご飯に巻けた訳ね」

「そう、これで準備オッケーよ、何時でも召し上がれ♪」

 

彼女は恐る恐るといった調子で、両手で持ったお握り(昆布だった♪)の角を口に入れてそっと噛む。

そしてその一口を目を瞑ってとてもゆっくりと噛み締めると、やがてコクンと飲み込んだ。

 

「一体何なのこれ……、水兵さん達が食べてるの良く見たけど……こんなに美味しいものだったなんて……」

 

彼女の表情はうっとりを通り越して半ば恍惚としており、思わずこっちも空腹を覚える程だったが、そう感じたのは僕だけでは無かったらしい。

 

「ううっ、何だか猛烈にお腹空いて来たわ。わたしも食べよっと!」

 

そう言って葉月はコンビニの袋に手を伸ばしたが、何も考えずに手を出しているだけに見えるのに狙い違わず(一つしかない)唐揚げ明太マヨを手に取っている辺りはやはり一味違った。

 

「じゃあ僕も」

「仁は普通に食べ慣れてるのね」

「むっちゃんの様な感動を無くしてしまう位ね……」

「全く~地元名産の駅弁を買っておく位の気は利かせて欲しいわね」

「これよりもっと美味しいものがあるの?」

「当たり前じゃない! って言うか昔の海軍って、上級士官は結構豪華な食事してたんじゃなかった?」

「そう言えば艦長さんの食事はお皿がたくさん出て来たと思ったけど……何の意味があるのかもよく判ってなかったわ」

「色んな美味しいものがたくさんあるよ♪ それに葉月は料理上手だしね」

「本当に? 凄いわ、とっても楽しみ!」

「仁の栄養が偏らない様に何時も気を付けてたのよ。放っとくとすぐ面倒くさがってコンビニ飯に走るから」

「ふうぅん、仁は本当に葉月さんのお世話になってたのねぇ」

「まぁそれは認めるよ」

「認めるって何よ! そこは感謝するとこでしょ普通⁉」

「まことにお手数お掛けしました」

「気に入らないわ~その反抗的な態度! それに過去形なのが地味に腹立つわ!」

 

葉月はわざと本音を口にして見せる。

大方彼女は僕が少々後ろめたい思い――言う迄も無いが葉月の気持ちを利用した事――を抱いている事などきっと当然の様に気付いていて「いい加減に観念しなさいよね⁉」というプレッシャーでも掛けているのだろう。

これ迄の長きに渡って葉月は僕の保護者の如く振る舞い、何となく接近しそうな異性には油断無く目を光らせ、場合によっては直接的な圧力も掛けて来た(と思う)。

後になってから何となく分かって来た事だが、恐らくその所為で高二の時に付き合っていた同じ部活の後輩(僕の人生で唯一の『彼女』だ)と別れており、それ以来異性との縁はない。

大学では周囲から勝手に"公認"されており、今更誰かと出会うチャンスなどは無かった。

もっとも、勝手な公認と言うには語弊があるかも知れない。

明るく可愛い葉月が異性の目を惹くのは当然の成り行きであって、知っている限り入学後少なくとも2度告白を受けている筈だが、2度とも「好きな人いるので」と言って素っ気なく袖にしているという事実があるからだ。

もちろん彼女が周囲からの『公認』を既成事実にする様意識的に行動しているのは言う迄も無く、日に日に僕の外堀は埋め立てられつつある。

にも関わらず僕が(以前からだが)理解出来ないのは、だからといって葉月に告白された訳ではない事だ。

それどころか告白ととれる様な言動すら一切せず、それでいて彼女同然の振る舞いは堂々としているのだから、何だかこのまま既成事実ばかりを積み上げて、ある日気が付くと僕の退路は全て完璧に塞がれており、只一つの選択肢以外には残されていないと言う状況に持ち込みたいのだろうか?

そんなロマンティックの欠片も無い恋愛(そう言って良いのだろうか?)が葉月の理想なんだとしたら、幾ら何でも価値観が違い過ぎる様な気がしてならない。

 

そんなモヤモヤとした事をぼんやり考えていると、ふと葉月越しにむっちゃんと目があい、彼女は本当に安らかというか和やかな笑みを浮かべて見返してくれる。

僕のどうにも割り切れないどんよりとした感情はその笑顔にあっさり吹き飛ばされ、ほぼ一瞬の内に感じた事の無い様な不思議な幸福感に置き換えられてしまった。

そのためか、そもそも何故葉月に対してこんなにも後ろめたくなったり遠慮したりするのか――という自問はもちろん、笑顔を浮かべたむっちゃんの瞳の奥にほんの一瞬形容し難い複雑な感情の色が浮かんだのにも僕は気付けなかった。

 

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