団欒という言葉を、しみじみと実感する夜だった。
陸奥は葉月と共に台所に立ち、仁が初春や子の日と一緒に行ったり来たりしながら、夕食の支度やその他の家事を片付けていくが、お客様である長門が落ち着かな気にするので、結局、初春と子の日も一緒に居間で寛ぐことになる。
そうこうするうちに夕食が整い、初めて六人で囲んだ食卓は、何とも言えない朗らかな空気に包まれた。訓練隊の食事に慣れつつある長門は、頻りに料理の味に感心している。
「塔原殿、一体、どのようにすればこんな味を出せるのだ? 何か、代々伝わる秘伝でもあるのか?」
「それは大袈裟過ぎますよ長門さん、第一、半分は陸奥さんが作ったんですからね」
「葉月も大袈裟よ、半分だなんて……」
「例え半分でなくとも、何がしかは陸奥が作ったものだというのか――、ますますわからんのだが、なぜ見た目は同じような料理なのに、隊の食事とはこんなに味が違うのだ?」
「一度に大量に作ると、大味になり易いとは言いますけどねぇ」
「でも、あの不味さは大味の範囲を超えてるよね」
「子の日、お昼ごはんゆううつ~」
「まことに、当家の食事に馴染んでしまうと、あの昼食が苦痛にござりますぞえ」
それは陸奥も同じだったが、自分である程度料理が出来る様になって判ったのは、意識して不味く作るのはとても難しいということだ。
(だって、美味しそうに食べてもらえるのって、とっても嬉しいし……)
そう思ってちらと仁の顔を盗み見ると、今しも彼は、陸奥がつくった料理を口に運んでいる最中だったので、つい期待を込めて見詰めてしまうが、それを葉月に気づかれてしまう。
「仁、お味はどうかしら?」
彼女が唐突に声をあげたので、聞かれた彼も一瞬固まってしまうが、それ以上に陸奥も緊張する。
(お願い仁! 迂闊な返事はしないで⁉)
そう念じた心の声が伝わったのか、それとも、さすがの仁にも葉月の攻撃が少しずつ読めてきたものか、何とか上手く躱してくれる。
「う、うん、まあまあ美味しいかな?」
「ふうーん、そうなのね、まぁ、なら良いんだけど」
少々残念そうに矛を収めた葉月の様子に、陸奥が胸を撫で下ろしていると、初春がさも愉しげに含み笑いしながら、
「ほほ、妾には、どれもたいへん美味しゅうございますぞ♪」
と言って長門の顔を見る。
「いや全くだ、私も訓練隊を引き払って、仁のところに厄介になりたい位だな」
「長門さん、遠慮なさらず、どうぞ越してきてくださいね」
「なんで、葉月が許可出すんだよ」
「なに、長門さんが来るの気に入らないわけ⁉」
そう突っ込んだ葉月が、彼をやり込めるつもりなのはすぐに判った。これは、三人だけに通じる切り返しなのだ。
「そんな訳無いわよね、仁は咄嗟に色んなことが気になっちゃうから、その場で答えろって言われるの苦手なだけよね♪」
そう、あの時とは違う。女の姿で突然地上に現れて、右も左もわからずに、ただ彼の優しさに頼るより他にどうすることもできなかった自分とは変わり始めている(それでも、自分達がまだ人間の力に頼らなければ立ち行かないことは良く理解しているが……)。
「また、性懲りもなく出しゃばらないでくれる⁉ 何回言ったらわかるのかしらね~」
「塔原殿、とは言われるが、仁の奴はすっかり安居している様にも見えるがな」
「あんたも、情けない顔すんのやめなさいよ!」
(それが仁なんだから、仕方ないわよね♪)
今度は口に出さず胸の内で呟いた陸奥だったが、その胸の奥でずっと疼き続けている想いに、どう触れていいものか今も迷い続けていた。
すっかり陸奥の寝室になっていた一階の客間に、仁が布団を二組敷いてくれたので、初めて姉と二人で枕を並べて床に就く。
「しかしな陸奥よ――、やはりこの夜着は、余りに艶美に過ぎるのではないか?」
「あら、姉さんたらまだ言ってるの? あたしとお揃いなのに、気に入らない?」
「な、何を言うのだ、誰もそんなことは言っておらんぞ⁉ ただ、私はだな――」
「姉さんは、演習のとき赤軍の旗艦だったでしょ⁉ あたしは、青軍の旗艦だったからこの色なの! なんかおかしいかしら?」
「い、いや、そんなことはないぞ、――し、仕方あるまい、お前がそのように配慮してくれたのなら、これ以上はもう不服は言わんぞ」
「さ、わかったらもう寝ましょ、ね?」
「うむ、わかった」
陸奥が灯りを消し、長門も大人しく横になる。
「でも、正直夢にも思わなかったわ――、姉さんとこんな風に、一緒に枕を並べながら話をしてるだなんて」
「ふふ、その夢と言うものですら、この様な身にならねば、何のことやら理解できなかったのだからな」
「ほんとにそうよね――、一体どんな運命の悪戯で、こんなことになったのかしらね」
「そればかりは、神ならぬこの身では判り様もないし、人間たちにも判らぬとなれば、謎のまま放置しておくより他なさそうに思えるがな」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
「どちらにせよ、間もなくお前には分かるのではないか? 天上に赴けば、自ずと真実が知れるのではないかと思うぞ」
「――そうね……」
胸の奥で疼いていたもの――、それが急に膨れ上がり始め、同時に様々な感情が流れ出してくる。
全く思いも寄らない姿でこの世界に現れた、自分の不安や戸惑い、怖れや寂寥を、明るい喜びや幸福に変えてくれた仁、たとえ二千浬の彼方にいても、我がことの様に陸奥を思い遣ってくれる仁、彼の優しい眼差しと暖かな手――、それら全ては、間もなく手を伸ばしても決して届かない彼方の存在になる。自分は二度と彼の手のぬくもりを感じることも、彼と共に笑う喜びを味わうこともできなくなる…………。
「――陸奥、陸奥よ、どうしたのだ⁉」
「――何でも――ないわ、何でも――」
「――泣いているのか⁉ 一体どうしたのだ、この私に教えてくれ――」
「姉さん――、あたしにも、よく分からないの――、でも、仁のことを考えると――涙が出てくるのよ……」
「陸奥よ――、お前、本当は仁の傍に居たいのではないのか? 無理をしているのではないか?」
「――そんなことないって言ったら嘘になるけど――、でも、あたしそこまで無理して――引揚げの話、受けた訳じゃないわ」
「しかし、現にお前は――」
「だって――、姉さんも聞いたでしょ? 仁の気持ち……」
「確かに聞いたぞ。やつは心の底から、お前が救いを得ることを望んでいたな」
「そうよ、仁はあたしにはっきり誓ってくれたわ――、たとえ生涯を掛けてでも、あたしが船の天国に行けるようにするって」
「陸奥――、ひょっとしてお前は、――仁の誓いを叶えようとしているのか?」
「だって――、それが仁の願いなのよ? あたしは、それを叶えてあげたいわ」
「――本当に、それでいいのか? 傍に居たいと思っているのはお前だけではなく、仁のやつも同じなのではないか?」
「仁もきっとそう思ってくれてる――、自惚れかも知れないけど、分かってるつもりよ。――でもね、姉さん――、あたしがこの話を断って仁の傍に居ることを選んだら、彼はあたしへの誓いを捨ててくれるかしら?」
「――――いや――、そんなことはせんだろうな……。やつには、そんな器用な真似は出来まい……」
「あたしにも、人間社会のことが少しずつだけど分かって来たわ――。でも、分かれば分かるほど、あたし達の船体を引き揚げるだなんて、一人の人間が簡単にできる様な事じゃないって思い知らされるのよ」
「やつは一生を棒に振ってでも、お前の船体を引き揚げようとし続けると?」
「あたしのために、仁がそんな人生を送るなんて耐えられない――。それに葉月だってそうだわ、小さな頃から、ずっと仁のお嫁さんになるつもりでいたのよ? それが、突然降って湧いた様にあたしが割り込んで来て、彼があたしへの誓いのために、残りの人生を棒に振るのを見ていなきゃならないだなんて――。駄目よ、どう考えたって、あたしにはそんな事出来ないわ……」
もう何度となく、頭の中でなぞった事だ。自分が不幸になるとでも言うならともかく、仲間達全員の願いでもある船の天国に行き、永遠の救いを得ることを不幸だなどとは到底いえないし、何より、それを誓ってくれたのは他ならぬ仁なのだから。
あの日の彼を、決して忘れることはないだろう。優しさに溢れていただけでなく、一点の曇りも無い、気高く誠実そのものの声、そしてほんの一瞬しか見られなかった(あの時、意地を張ってぎりぎりまで横を向いていたのを、今となってはひどく後悔していた)が、何処までも無限に続く青空のような、透き通った涼しげな瞳。そのあまりにも純粋な誓いのために、彼が残りの人生を全て費やすことを想像すると居たたまれなくなる。
防衛隊で聞いた軍艦(現代の日本では護衛艦と呼ぶそうだが……)一隻の建造費と、日頃、仁が自分達のために費やしてくれる金額との余りに大きな差に、陸奥は愕然とした。それ以来、出来るだけ彼には知られないようにこっそりと、船を引き揚げるのにどれほどの費用を要するのか、普通の日本人一人が、その一生の間にどれほどの金を手にすることが出来るものなのか調べてきたが、深く詳細に調べるまでも無く、それが現実離れした夢に近いことが判ってきたのだ。
「お前の言う通りなのかも知れんが――、それでも、お前は本当にそれを望んでいるのか? 一切我慢するな、我欲を剥き出しにしろなどと言うつもりは無いが、何も、お前ばかりが我慢する必要など無いのだぞ?」
「さっきも言ったけど、全く何も我慢して無いとは言わないわ――、でも、あたしが大切にしたいと思う誰かを不幸にするよりは、少しくらい我慢したほうがましだって思えるだけよ」
「――そうか――、お前が納得しているのなら何も言わん。――私はただ、お前が最も幸せになれる道を選んで欲しいだけなのだ。だから、私が深い考えも無しに言った希望なぞ、頭から無視して構わんし、もしも気がかわったならば、例えそれが全てが終わる直前であったとしても必ず教えて欲しい――、それだけが私の願いだ」
「――ありがとう、姉さん……」
暫くの間二人は無言だったが、やがて姉が遠慮がちに口を開く。
「なあ、陸奥よ」
「なあに、姉さん?」
「その――仁のやつは、まだ起きているのではないか? 行ってきてはどうだ?」
「――駄目よ、今彼の顔見たら、あたしきっと泣いちゃうから……」
「別にいいではないか、やつにしがみついて思い切り泣けば良い」
「そんなの嫌よ、あたしは泣いてる仁をぎゅっとしてあげたいの。――逆をしたら、仁がおろおろして困っちゃうから……」
「――そうか、お前もつくづく難儀な男を好いたものだな♪」
「大きなお世話よ!」
それきり、姉は何も言わなかった。陸奥も、静かにもう一度自分の思いを反芻していたが、やはり必要以上の欺瞞や韜晦も思い当たらない。ただ、それは自分で自分を理解できる範囲に限ってのことだとも言える。
(まだまだ、こんなにも分からない事だらけなのにね)
もし今心残りがあるとすれば、彼に対する様々な思いや彼自身のことについて、十分に判らないまま、それらに結論を出さねばならない事かもしれない。そう思えば、自分がなすべきことが少なくともまだ一つはあることを思い出した。
(そうよ、時間が無いっていっても、まだ明日だの明後日だのって話じゃないわ)
邪魔が入らない様な時間を見計らう必要はあるが、それすらできないと言うことも無いだろう。
長門の呼吸が、少しずつゆっくりとした寝息にかわっていくのを耳にしながら、昂ぶっていた己の感情が、ゆっくりと潮が引くように静まっていくのを感じた陸奥も、少しずつ微睡みの中に落ちていった。