陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十三章・第六節〕

 居室の窓から、長門はぼんやりと外を眺めていた。防衛隊の候補生達が短艇教練に精を出しており、その姿が遠い過ぎ去った日々を思い起こさせる。

(あの新兵たちは、今どうしているのだろうか?)

何気なくそう考えてから、ふと思い至って一人苦笑する。

(何のことはない、あれから八十年以上も経っているのか)

例え、彼らがあの戦争を生き残っていたとしても、ほとんどの者はもう天寿を全うしている事だろう。

(思えば、我等はなんと歪な存在か)

自分達は七十年の断絶の彼方から、戦火の消え去ったこの平和な陸の上に忽然と現れた、過去の忌まわしい記憶そのものなのに、その姿たるや、男達が思わず鼻の下を伸ばすような愛らしく見目麗しい女なのだ。

(我が容姿の、何たる戯画的な事よ)

長門には、自分の容姿が男だろうが女だろうが、自身の本質とでも云うべきものには何らの関わりがないと言う思いしかないが、仲間達にはいささかそれに頓着する者もいるのは事実だし、何より己が妹は、自身が女であることを何の衒いもなく受け容れているように見える。

(さもなくば、奴に惹かれたりはすまいな)

陸奥と仁は、長門を隊まで送ってくれるとそのまま西田や中嶋と面談したが、二人の答えはやはり変わらなかった。にもかかわらず、二人が返答するその瞬間、机の下でひときわ強く手を握り合うのを長門は見てしまう。そのうえ、横に立って控えていた斑駒もそれを見たらしく、彼女が顔をそむけるのも目に入ってしまった。

(何とも奇妙なものだ、話を持ってくる側すら反対しているというのに、当人たちが肯っているとは)

前回、感情的になった中嶋は、この度は終始悲しげな眼差しで、淡々としていたのが印象に残っている。

(何やら古の風を感じさせる、それでいて聡明な良い男だがな)

加賀は、その様なところに惹かれているのだろうか。どちらにせよ妹と同じく、加賀もまた、ごく自然に女としての自分を受け容れているのに違いなかった。

「あらぁ~、どうされたんですかぁ? こんなお一人でぇ♪」

唐突に扉を開けた――同じく、女である自分を自然に受け容れているらしい――龍田は、長門が一人きりなのを見るや、一目散に近付いてくるなり(案の定)ぎゅっと抱きついてくる。

「こらこら、ここは言わば兵学校なのだぞ? その様な不埒が、大手を振って許される所ではあるまいが」

そう窘めると、彼女は素直にすっと体を離すが、それでも婀娜な上目で長門を見詰めると、

「でもぉ~、女の子同士なんですからぁ、少しくらいは大目に見てもらえるんじゃないですかぁ?」

と微かに怨を帯びた声を出す。

(全く――、困った奴だな)

内心が思わず顔に出てしまい、口元に苦笑いを浮かべた長門は、

「それは、何の底意も無い者の話であろう? 龍田には、明確に底意があるではないか」

と押し返すが、無論その程度で怯む彼女ではない。

「もぉ~、ちゃんとお判りなのにつれなくされるんですねぇ、長門さんは私たちの旗艦なんですからぁ、もうちょっと僚艦に優しくしてくださっても、罰は当たらないですよぉ?」

判ったような判らないような理屈を捏ねて口吻を尖らせる龍田は、その相手が長門ではなく並みの若い男であったならば、赤子の手を捻るが如くに容易く籠絡できるだろう。

「別段、私は龍田を疎んじてはおらんぞ? 凡そ、痴話や徒事に興味が無いだけだ。そもそも、どういう訳でそこまで女色にこだわるのだ? 同じことを男相手に為したならば、お前に靡かぬものなぞ木石でもない限りおらぬであろうに」

後半は長門の本心から出た言葉だが、彼女の返答は期待したものではなかった。

「そんなこと言っても胡麻化されませんよぉ~、それにぃ、女の子のほうがずーっと綺麗で可愛いいんですからぁ、こだわらなくても好きになって当たり前じゃないですか~♪」

これは明らかに、龍田の本音ではない。注意深く聞きなおすまでもなくすぐに判ったが、一体なぜ、本音を吐露せずにはぐらかすのだろうか? 仲間たちの中にあっても、確かに彼女は容易にその心中を見せない一人だが、誇り高い妙高や余り進んで己の考えを述べない高雄や朧、そもそも口数が少ない霰などとは随分毛色が違っている。

「それでは、艦であった時から、女色を好んでいたことになってしまいはせんか? それに、胡麻化しているのではなく、本心からそう思っているだけなのだがな」

特に、これと言った思惑を抱いたわけでもなくそう口にした長門は、腕組みをして再び窓外の景色に視線を戻す。先ほどの候補生達が、短艇を収容するためにダビッドと悪戦苦闘している様が何やら微笑ましい。

「ずっと嫌でしたよ――、ずっとずっと……」

思わず振り向いて確認したが、そこに居るのはもちろん龍田だけだ。

「龍田――」

「長門さんは、嫌じゃ無かったんですか?」

「まさかお前は――、ずっと男を嫌っていたと言うのか?」

そう応じながら、常日頃の彼女とは全く違う物言いやその声音に、まるで、今までそこにいた龍田が別人に入れ替わった様に感じていた。

「長門さんは、聞かなかったんですか? 男どもが、今際の際になんて言うのか」

「今際の際に――」

「あいつらが何て言うと思います? あいつらはね――、あいつらは――、女の名を呼ぶんですよ⁉」

「……」

「自分の大切な女の名を呼ぶんですよ――、千恵子だとか、お母さんだとかね……。立派な遺言とかでも何でも無いんですよ?」

「それの、どこがいかんと言うのだ? 結局男は、女の支えが無ければ生きられぬということではないのか?」

「だったら、もっと女を大切にしてやればいいじゃないですか⁉ そんなに大切なら――、支えなしには生きていけないんだったら、普段から大事にしたらどうなんですか⁉」

「龍田、お前……」

彼女は拳を堅く握り締め、それがぶるぶる震えているのがはっきり分かる。かっと見開かれた瞳の奥には、胸を締め付ける様な悲しみと怒りを湛えた焔が燃え盛り、それを鎮めるべくもない涙が溢れそうになっていた。

「大切な男を戦に送り出して、平気な女がいますか⁉ 海に沈んで、髪の毛一本すら戻って来ないかも知れないのに、その帰りを信じて、安心して待っていられる女が居るんですか⁉」

「――いや――」

「なのに、なのに――、男どもと来たら、女はかなわんだの勝手に心配させとけばいいだの、下らない空威張りのし放題ですよ⁉ 本当は心細くて寂しくて仕方ないのに、精一杯馬鹿みたいに見栄張って、女達には優しい言葉の一つも掛けてやらない癖に――、それなのに――」

「龍田よ、もうそれくらいに――」

「もう二度と会えないってわかってから、名前なんか呼んでも遅いですよね⁉ 自分の腕の中に帰ってきて欲しいって祈ってる女達には聞こえないんですよ⁉ 何でそんな事言ってるんですか⁉ 自己満足ですか⁉」

「もうやめろ龍田、興奮しすぎ――」

「そんなの、自分に言い訳してるだけですよね⁉ 一日千秋の思いで待ってる女達は、いつでも、ただ置いてきぼりにされるだけじゃないですか⁉ 独り善がりで見栄っ張りで狡い男なんか好きになったばっかりに――、どうして、男は責任取らないんですか⁉」

「良く判ったから、もうやめろ!」

龍田に歩み寄るとぐいと両肩をつかんで、真っ直ぐにその瞳を見詰めながらやめさせようとするが、端正な顔をくしゃくしゃに歪めて滂沱と涙を流し続ける彼女は、それを振り払ってなおも続ける。

「そんな無責任で卑怯な男なんか、好きになるわけ無いでしょう⁉ 絶対、絶対好きになったりしませんよ⁉」

少々むきになった長門も、今度は彼女を抱き寄せようとするが、それに抵抗しようと龍田は暴れ、長門の顔と言わず頭と言わず盲滅法に殴りかかる。

「絶対になったりしません! 絶対に! 絶対にっ!」

「もうやめろ龍田! 私が悪かった、こんなことを聞くべきではなかったのだ! だからもうやめるんだ!」

そう言いながら、なおも腕を振り回そうとする龍田を強引に抱き締めて大人しくさせようとするが、それでも彼女は暴れるのをやめようとはしない。

「済まぬ! お前の気持ちも知らずに、無責任なことを言った私が悪かった! 赦してくれ! 頼む、赦してくれ龍田よ!」

ありったけの力で強く抱き締め続けると、ようやく龍田は暴れるのを止め、そのまま長門の腕の中で、まるで痙攣しているかの様に激しく嗚咽を漏らし泣き続ける。

「済まん――赦してくれ、私が悪かったのだ……」

窒息してしまうのではないかと恐れるほど、息を詰まらせながら激しく泣き続ける彼女に、ただそう声を掛けるしかできない長門は、龍田が奥底に秘め続けていた悲痛なまでのその心根に初めて触れたことで、これまでのその振る舞いが胸に落ちていくのを感じていた。

(ずっとその思いを抱いたまま、一面漆黒の世界に身を横たえていたのだな――、何と不憫なことか)

言うまでもなく、龍田は男を嫌悪しているわけではないのだ。だが、こうして女の身となったその瞬間から、自らの脳裏に焼きついたその悲惨な光景が、そのまま裏返しとなって降り掛かって来てしまい、男に想いを寄せることが怖ろしくなってしまったのだろう。

もしも、男を好きになってしまえば、いつの日かまた自分は置き去りにされる――。沈み行く彼女を捨てて脱出した男達は、何も卑怯で狡いわけでは無いが、艦であり女である龍田にとっては、本当に卑怯であるかどうかは問題ではないのだ。

(結局、私も龍田と同じだ――、我らは皆同じなのだ)

自分は、己の理不尽な運命に対する憤りを抱いていたからこそ、それが妄執と化して、仲間達に刃を向けることになったし、それは酒匂も同じで、龍田とはただ目に見える形が違っているだけのことなのだ。

(陸奥は、その痛みを我が事の様に思い遣ってくれる男に――仁に偶然にも出会っただけなのだな)

そう考えると、また先程の光景が胸中に去来して、本当にそれで良いのだろうかという気持ちが湧いてきてしまうが、だからと言って、二人の意思を強引に捻じ曲げてでも翻意させるべきかと問われると、それにはさすがに迷いがある。

(こうして、心と言うものを得てよりどれほどの時が経ったというのか――。歯痒いことだが、私はまだ、余りにも無知で未熟に過ぎる……)

そう思ってふと目を上げると、窓の外では陽射しが傾き始めている。腕の中に注意を戻すと、龍田の嗚咽は大分ゆっくりと穏やかになり、今は静かに啜り泣いている。

(悪かったな、龍田よ)

胸のうちでそう呟き、そっと腕を緩めようと力を抜きかけると、突然、彼女が声を上げる。

「駄目ですっ」

「――なに?」

「駄目です、もう少し――、もう少しだけぎゅっとしててくれなかったら、赦してあげません……」

思わず、何度目かの苦笑が漏れる。

(やれやれ、本当に仕様の無い奴だ。今回だけだぞ、全く……)

仕方なく、長門は改めて腕に力を入れなおした。

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