〔第十四章・第一節〕
程なくして梅雨は明け、ゼミも実質的な夏休みに突入する。
昨年(厳密に言うなら今春)までの僕であれば、とっくの昔に、みっちりバイトを入れまくっているところだが、今年の夏のスケジュールは徹底的にガラ空きだった。言うまでもない事だが、とにかく時間が許す限り、むっちゃん達と一緒に過ごすと決めているからだ。中嶋さんに許可も貰ったので、用事の無い日は一緒に訓練隊に赴き、斑駒さんの仕事を手伝ったりする生活を始める。
「渡来さんにタダ働きさせるのは、何だか申し訳無いですねぇ」
「僕が頼み込んでるんですから、逆に給料とか貰ってたら違和感ありますよ!」
とは言ってみたものの、違和感について言うならば、葉月が毎日ついてくる訳ではないということの方が遥かに違和感満載なのだが、そこはやはり、有言実行主義の彼女らしいところかも知れない。そんな事を考えながら、重くて嵩張るウェットスーツのサンプル品を台車に載せて、ガラガラと構内を横切っていく。
今季の防衛隊には、彼女達のために使える予算などほぼ一銭も無いはずだが、被服関係の費用を捻じ込む先をどうにか捻り出したらしく、艦娘達が海上で行動する際に必要な、専用のウェットスーツをオーダーすることにしたそうだ。むっちゃん達から聞くところでは、今彼女達のために調達して貰っているスーツは、やはり間に合わせのためか、特にサイズの面で何かと不都合なことが多いらしい。
夏の日差しの下では、あっという間に汗が滲み出てくるが、すぐにエアコンの効いた屋内に入ってホッとする。そのまま通路を進むと、先に立った斑駒さんが部屋のドアをさっと開けてくれた。
「皆さん、お待たせしました! 見本をお持ちしましたよ⁉」
彼女の元気の良い声に負けない勢いで、艦娘達がワッと歓声を上げて迎えてくれる。部屋の中央に据えられた長机の上にサンプルを運び上げると、斑駒さんがそれを手際よく開封してサンプルを広げていく。それらはみな、こんなに派手なスーツを作っても大丈夫なのかと、少々心配になるくらい鮮やかな色合いで、肩のところが違う色の切り替えになっていたりなど、防衛隊のお堅い雰囲気には全くそぐわないものだ。
「やーん、この色綺麗♪」
「ほんとだぁ~♪ でも、こっちもなんか良いよねぇ」
いつ見ても蒼龍ちゃん飛龍ちゃんは、うちの学内を歩いている女子とほとんど変わらない立ち居振る舞いだが、強いて違う点があるとすれば、桁外れに可愛いということに尽きるだろうか。
「今日ここにない色は、こちらの色見本にありますから、こちらも見てくださいね~」
斑駒さんのその声を聞いた僕の関心は、やはり、むっちゃんがどんな色を選ぶのかという事へと飛んだ。
(何色がいいって言うんだろうな)
そう思って、顔をあげて彼女を探し掛けたその途端、男が好きな物を寄せ集めてそのまま形にしたような容姿が視界を遮る。その男の(かなり末席の方だとは思うが)一員でもある僕の視線は、以前NASAの動画か何かで見たことのある、木星の重力に捉われた彗星の様に釘付けにされてしまう。
「渡来さん、私にはどの色が似合いますか? 私はこれが良いなって思うんですけど♪」
「えっ、あっと――、そ、そうだねぇ――」
高雄さんの胸は、正に太陽系で言うならば木星サイズで、こんなにも身体から前に突き出していてよろけたりしないのかと不思議になるほどだ。支給品の真っ白な半袖シャツの胸元は、はち切れる寸前になっており、この種の制服のいかにも頑丈なボタンでなかったら、とっくに弾け飛んでいるだろう。
しかも、たいへん不味いことに、無警戒だった僕は一瞬それをガン見してしまい、しっかりと彼女に確認されてしまった。ほんのり頬を桜色に染めた高雄さんは、やや俯き加減になると、とても意味有り気な眼差しで、目だけを動かして僕を見上げる。
「――別に、良いんですよ? 仁さんも、やっぱり大きいほうが好きなんですよね」
ダ、ダメだ、これはたいへんどころか凄く不味い! たった2ヶ月程前の高雄さんと、今目の前にいる彼女はまるで別人だ。今の彼女は明らかに僕の心中を見透かしており、巧みに女性の武器を使いこなして、僕の余りにひ弱な理性にとどめを刺そうとしている。そのうえ、ホンとにさり気な~く、僕のことを渡来さんではなく仁さんと呼んでいた!
(ど、どうしよう……)
進退に窮したその瞬間、二の腕の裏側あたりに何かが噛みついた様な鋭い痛みが走り、思わず、
「てっ!」
と声をあげてしまう。もっとも、何が起こったのか分からなかったのは本当に一瞬だけで、すぐに怒気を孕んだ迫力のある声が耳元で響き、僕は硬直する。
「お忙しいところご免なさいね。あたしも、高雄ちゃんのあとでいいからどの色が良いか見て欲しいんだけど、駄目かしら?」
「いっ、いえいえ、陸奥さんがお先にどうぞ!」
高雄さんはさっと愛想の良い笑顔に切り替えると、そのまま素早く踵を返す。思わずほっとため息を吐くが、一安心するほどの余裕も与えられず二の腕をグイッと掴まれ、むっちゃんに部屋の隅に引き摺って行かれる。
「で、何か言うことは?」
「ご、ごめんむっちゃん――、でも、そのぉ――」
「一度しか聞かないから、よく考えて答えて頂戴。仁は大きい方が良いのかしら?」
「えっ?」
半目で睨みつけたその瞳を覗き込むと、彼女は僕の視線をガッチリ捉え、そのまま目で下を向かせる。
(あ……)
さすがに、彼女の胸をジロジロ見たことは無かったので、決して小さいわけでは無いこと位しか知らなかったが、今改めて見ると、大き過ぎず小さ過ぎず程よいサイズのうえ、服の上からでもわかる程に、とてもきれいに整った形をしている。
(すごい、知らなかった……)
「どうなの?」
「う、うん、大きさとかには全然興味ないよ、それに、こんなに形が良いなんて初めて知ったよ」
「な、何言ってるのよ、莫迦ね――、もう、仕方ないから赦してあげるわ」
むっちゃんは、ちょっと顔を赤らめながらそう言ってくれる。冷静に考えるとずいぶん理不尽な話なのだが、何だか、やたらに嬉しくなってしまう自分が理解不能だった。
「そ、それで、むっちゃんは何色が良いの?」
「それを話そうと思ったんだけど――、でも、考えてみたらおかしいわよね、あたしまで作って貰うだなんて……」
「そんなことないよ、むっちゃんは現にここにいるんだし、みんなだって特別扱いしない様にしてくれてるんだから、同じ様にしたら良いと思うよ?」
そう言って少し俯いたその顔を見ると、彼女も僕を上目遣いに見返してくれ、
「わかったわ、仁がそう言うんだったらそうするわね」
と少しはにかんだ様な笑顔を浮かべる。先程感じた嬉しさのステージがさらに2段階ほど上がってしまい、普段なら絶対に言わない様なことを、僕は口走ってしまう。
「その――、むっちゃんが気に入った組み合わせは有ったの? この中にあるんだったら、当てて見ようかな?」
「有ったわよ、でも――、仁に当てられるかしら?」
スーツの色は結構種類があるが、肩の切り替え部分の色は数が少ないので、それほど複雑な組み合わせは無いし、ましてサンプル写真が載っている中にあるんだから、彼女の好みさえ読み違えなければまず大丈夫だろう。
「大丈夫だよ、たぶん分かると思うよ♪」
「あらあら、何その自信、ちょっと気に入らないわね♪」
「でも、分かっちゃうんだな~これが。――えーっとぉ――」
さらさらとサンプル写真を見るが、確信を持って言える組み合わせはどうやら一つしかない。
「ねえ仁、降参するなら今のうちよ?」
「そんなのするわけ無いよ、僕にはもう分かったよ♪」
「うそぉ、じゃあどれよぉ♪」
僕は(たいへん珍しいことだが)確信を持って、明るい水色に肩の切り替え部分が白と言う、とても爽やかな組み合わせを指差してみせる。
「むっちゃんが選んだのはこれだね⁉」
「いやだ! 当たっちゃったわ⁉ どうして?」
「どうしても何も、むっちゃんが好きな色を選んだら、これ一択になるだけだよ♪」
「あら、なあにその言い方! あたしの事くらい、何でも判ってるみたいに聞こえるわよ⁉」
「いやぁ、何でもと迄は言わないけど、結構分かってるかなぁなんてね♪」
「なにそれ、自慢なの? 葉月がいないからって調子乗り過ぎじゃないかしら⁉」
「い、いや、とりあえずそういう訳じゃないけど、そのね――」
「やっぱり図星なのね! 仁ったら、情けないんだからもう♪」
「はい、ご指摘の通りです!」
「なんで、そこは自信あるのよ⁉」
「いやでも、自信あったんで……」
「なんなのそれ、ウフフフフフ♪」
「ハハハハハ♪」
僕がやらかす時というのは、大抵こんな風に調子こいてる時なのだが、今回もご多分にもれずその通りになってしまう。むっちゃんと心の底から楽しく笑ったあと、ふと気が付くと周囲がシーンと静まり返っている。
(あれ? なんだ、この空気……)
彼女と目が合うが、説明し様の無いやっちまった感ばかりを共有した僕らは、お互い全くノープランだと言うことを確認しあっただけだ。恐る恐る振り返ると、全員の視線が一気に降り注いできて全身がチクチクする。
蒼龍ちゃん飛龍ちゃん達を中心に、多くの艦娘達と斑駒さんはニヤニヤしながらこちらを見ており、ちょっと困ったような顔の長良ちゃん、ほぼ表情の変わらない加賀さんと霰ちゃん(及びキョトンとしている酒匂ちゃん)がそこに加わるのだが、その皆から離れて、独りだけ一歩前に出ている高雄さんの険しいオーラに、思わずたじたじとなる。
「仁さん⁉ 私、今すっごく不機嫌なんですけど⁉」
いや、それはもう、見たらすぐに分かりますし……。
「ちょっと高雄ちゃん⁉ きちんと、『渡来さん』って呼んでもらえないかしら⁉」
(えーと、そのぉ――)
横からむっちゃんが憤然と反撃したので、一瞬で僕の脳内は真っ白になってしまう。
「どうしてですか⁉ 名前を間違えたわけでも無いですし、何より、仁さんからは何も言われてませんけど⁉」
「名を直接呼ぶほど、いつから親しくなったのかしら? 仁も、ちゃんと迷惑だって言ってあげて頂戴⁉」
「迷惑だなんて言い掛かりです! そんなことありませんよね、仁さん⁉」
(ええっ! ちょっ、いや、えーっ⁉)
例によって僕の(極めて引っ込み思案の)舌は、さっき調子こいていたのが嘘の様に、ひっそりと引き篭もっている。
「何にも言わなくていいのよ、ただ頷いたら良いだけだから。どう、迷惑よね仁⁉」
「ちっともそんなこと無いですよね、仁さん⁉」
なんだか眩暈がしてきそうなのだが、それでもそうはならない自分の体が恨めしい。こんな時に、都合よくぶっ倒れることが出来たらどんなに良い事か! それでも、家族というのは有難いもので、こんな絶体絶命のピンチにもちゃんと助け舟を出してくれる。
「ほほほ、仁殿も、そろそろ妾の申したことが得心ゆきましたろうに。仁殿ほどの艶福家は、そうそう居るものにはござりませぬとの♪」
初春ちゃんのその声は、まるで天空から差し込む眩い一筋の光の様だ。そして、その切っ掛けを長門さんがちゃんと生かしてくれる。
「斑駒殿、私から仁に仕事を頼んでも良いであろうか?」
「もちろん結構ですよ! ただ、渡来さんが承諾なさればと言うことにはなりますけど――、まぁ、拒否できる状況じゃなさそうですね♪」
「ははは、全くだ♪ さて仁よ、お前に頼みたい仕事とは、今からわれら全員の見立てをすることだ。どうだ、出来るか?」
「は、はい、喜んで!」
「そうか、それは良かった。では早速頼むぞ、まずは高雄からでいいな」
「はい♪」
高雄さんはこれまたさっと笑顔になり、僕に向かって笑い掛ける。心の底から安堵した僕はむっちゃんを振り返るが、彼女は口を尖らせ腕組みをしながらも応えてくれる。
「仕方ないわね――、姉さんの顔を立てて来て頂戴」
「うん、そうするよ」
そう短く言い交す間にも、彼女のもとへはさっと子の日ちゃんが近寄ってきて、皆のところへ引っ張っていく。
「早く見てください、私、これが気にいってるんですよ!」
僕の腕を取る高雄さんはもちろん、皆がとても朗らかにしているのに、今更ながら気付かされる。さっき自分で口にしておきながら、改めて、ここにいる全員がむっちゃんを特別扱いせずに、普通に振舞ってくれていることを思い知る。
(君達みんながいてくれて、本当に良かった――。こんな僕でも、何とか頑張れそうな気がするよ)
楽しそうな彼女達の顔を見ながら、僅か1、2ヶ月後にやってくるはずの怖ろしい瞬間が、実はやって来ないのではないかと僕は錯覚しそうになっていた。