陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十四章・第八節〕

 斑駒に、中嶋の行先を尋ねたところ、

「今、史料館に行かれてると思いますよ! 多分、お一人で♪」

と、意味ありげな笑顔で言われてしまった。

(別に、そんなことを期待してるわけじゃないのだけれど)

と口に出しはしないものの、敢えて胸の中で独り言ちてみるのは、やはり心の片隅に、秘かにそんなことを期待してしまう自分が見え隠れするからだ。

(我ながら困ったものね――、よく人間は、こんな厄介なものを抱え込んで、数十年も生きていられるものだわ)

気を取り直して目当ての建屋を探し当てると、扉を開けて足を踏み入れる。中をうかがうと、人のいる気配があったので、その一角に近付きつつ声をかけた。

「失礼致します、中嶋副長はおられますか?」

「――はい、おりますが?」

柱や書棚の陰になって姿は見えないが、奥から返事があるので歩を進める。

「お忙しいところを申し訳ありません、少し、教えて頂きたいことがあるのですが……」

言いながら角を回り込むと、何やら資料を手にした中嶋が、顔をあげてこちらを一瞥しながら口を開く。

「加賀さんでしたか、ご用の向きはなんでしょうか?」

そう問い返されたものの、努めて朗らかに振る舞っているらしいその声音に、彼の内心の翳りを感じとってしまい、肝心の用を切り出すことに躊躇いを覚える。

(躊躇ったところで、どうせ誰かが尋ねることよ? さっさと聞きなさい加賀!)

内心で自分を叱咤すると、意を決して口火を切る。

「あの――、陸奥さんの船体の引き揚げ作業は、あとどれ位で終わりそうでしょうか?」

だが、そうたずねた途端、事前の予想通りに彼の表情は曇ってしまい、努めて鼓舞した自身の意気も、瞬く間に消沈してしまう。

「おそらく、三週間以内には終わることでしょう、若干天候には左右されるでしょうが……」

「そうですか……」

何か会話を繋げようと思ったが、こんな時に限って何も思いつかない。相手の心中を慮って喋ろうとすると、こんなにも旨くいかないものなのだろうか。そうだとすれば、普段の自分は随分楽をしているものだとやや自嘲気味に思ってしまうが、今日は幸いにも中嶋が続けて口を開いてくれる。

「不謹慎にも、何か重大なトラブルで中断してくれないだろうかなどと、下らないことをつい考えてしまいます、全くもって呆れた話ですが――」

「い、いえ、そんなことはありません、皆も、多かれ少なかれ似たようなことを考えていると思います」

「――ありがとうございます、加賀さんは本当にお優しい……。私の様に駄目な男は、つい、その優しさに甘えてばかりになってしまいます――」

「駄目だなどと、滅相もありません。あなたがおられなければ、私達は、こんなに安穏としてはいられなかった筈です――、どうか、そのようなことは仰らないで――」

「しかし、こんな、誰も望んでいない別離を招きよせたのはこの私です! 己の感情に溺れた、私の不甲斐無さが招き寄せたことです!」

急に、中嶋の語気が荒くなる。あの夜、警備船の小さな会議室で見せたあの姿が再び重なり合い、どうしたものかと戸惑ってしまうが、それでも、何とか気を鎮めてもらおうと言葉を繋ぐ。

「私はもちろん、陸奥さんも渡来さんも、誰もあなたの所為だなどと思ってはおりません。なぜその様に――」

「起きてしまった事実は、動かし様がないからです!」

加賀の言葉を叫ぶように遮った彼は、くるりと背を向け、そのまま吐き捨てるように続ける。

「皆さんの出現は、我が国の安全保障上極めて重要な問題の筈です! それに、彼の様な一般人を関わらせるなど、本来あり得ないことです――。いかに司令が希望されたとはいえ、正しく諫めていれば、彼をこんなに深く関わらせることにはならなかったのに、私は安直に同意してしまった! その上、ビキニ環礁に出向くなど、少し考えれば、漏洩はもちろん疑念を持たれる危険があることくらい、容易に想像できたにもかかわらず、私は気づけなかった! それもこれも全て、私が一時の感情に流されて誤った判断を下す、くだらない男で――」

「やめてください!」

後先も考えず、中嶋の背中にしがみつき、そうすれば彼の心の中にまで声が届くのだとばかりに、その項に頬を押し付けて叫ぶ。

「完璧な人間なぞ、どこにもおりません! 人間も艦娘も、誰もが等しく間違いを犯すものです! それに――、よしんばあなたが神様の様に完璧な方であったとしても、陸奥さんと渡来さんが惹かれあうのを、止めることなど出来ません――、誰かを好きになることを、止めることなど出来ません――――。だからもう、ご自分を責めるのはやめてください――、お願いです……」

中嶋は、肺腑を震わせて荒い息をしていたものの、加賀の願いを聞き入れてくれたのか、そのまま暫く口を噤んでいた。

そして、やはり彼の様子をしばし窺っていた加賀も、その背を固く抱き締めたままである事に不意に気が付き、狼狽して身体を離そうとするが、いきなり突き放すわけにもいかないと既のことで踏みとどまり、いささか名残惜しい気持ちに後ろ髪をひかれながらも、出来るだけそっとまきつけた腕をほどく。

「――あの――」

「申し訳ありません――、加賀さんに向かってこんなことを――」

「いえ、そんな――、でも、どうしてそれほどまで……」

思わず口をついて出てしまったその問い掛けに、不味いことを聞いてしまったと焦り、何とか上手に取り繕おうと心中で七転八倒する間に、答えるべきか逡巡している様子だった中嶋が、押し殺したように口を開く。

「――私には――――、妻と息子がいたのです」

「あっ――、そ、それは、いつ頃の事でしょうか」

「もう、十数年も前の事です」

「そんなに……」

「当時の私は艦艇に乗り組んでおり、西田司令の部下でした。司令は私をたいへん評価してくださり、私も司令を尊敬しておりました。ある時、司令のお兄様の娘さんを紹介して頂くことになり、私はそのつつましやかな様子に惹かれました。そして、彼女も私のことを気にいってくれ、そのまま結婚しました。それから程なく、妻は玉の様な男の子を産んでくれました。私は、慎み深い子に育ってくれるよう、慎と名付けたのです」

「慎さん――」

「ええ――、慎は私の期待通りに、穏やかで心優しい子に育ってくれていました。私はとても幸福でした、何の不満も感じていなかったのです……。ところが、妻はそうでは無かったようです。いつ頃からか、しばしば癇癪を起こしたり、わけもなく泣き出したりする様になり、次第に不安定になっていきました」

「――何故、そんなことになられたのでしょう――」

「はっきりしたことは、今も分かりません――、ですが、私は航海の度に長く家を留守にしていましたし、それは少なくとも一つの要因だったでしょう。――それに、どうやら妻は女の子を望んでいたらしく、そのことにもわだかまりを感じていたのかも知れません。いずれにせよ、このままでは家庭が壊れてしまうと思い、私は陸上勤務を願い出ました。」

「それはやはり、ご家庭を大切になさりたかったから――」

「はい、折角手に入れた自分の家族を、何とか守り抜きたいと思いました。若くして艦艇から降りることは、どう言うことを意味するかも分かっていましたが、それでも構わないと思ったのです――。が、司令はそれを惜しまれ、何か手立てがないかもう一度考えてみるべきだと言われました。妻のご両親も、留守中は自分達が顔を出すようにするから、もう少し様子を見てはどうかと言って下さったのです――。私は、――それを押し切ってまで決断することはできませんでした……。結局、もう少しだけ様子を見ようと思い直してしまったのです……」

「でも、それは致し方の無いことではありませんか? そこまで皆さんが言って下さるのを無視するのは、難しいことの様に思いますが?」

「ありがとうございます――、ですが、起きてしまった事は変えようもありません――――。しっかりと握っていなければならないはずの手を、私が離してしまった事は動かし様も無いのです…………」

「そんな――!」

「それは、航海中に起こりました。急報が入り、極めて異例でしたが、司令は急遽最寄りの港に立ち寄って、私を下ろしてくださいました。そこから、陸路で真っ直ぐ病院に向かいましたが、焦りといら立ちで気が狂いそうでした。やっとの思いで病院に辿り着いたのですが――、病院のベッドの上には、シーツの被せられた、小さな膨らみがありました――。私は、手が震えて――、しばらく、シーツを捲ることが出来ませんでした。どれ程経った頃か、はっきりとは覚えていませんが、やっと、自分で何とか手を動かせたので――、シーツを捲ってみたのです――」

「もうおやめください――、そんな辛いことをお話にならなくても――」

そう言ってはみたものの、彼は加賀の言葉が聞こえているのかいないのか、淡々と言葉を続ける。

「横たわった慎は、身動き一つしませんでした。華奢な首に、黒っぽい痣の様な跡があったので、そこに触れてみると、まるで、その病室のコンクリート壁の様に冷たかったのです。それが信じられなくて、小さな可愛らしい手を握ってみたのですが、彫刻か何かに触っているかの様でした。私は、一体何が起こっているのか、理解することが出来ず、長い間、ただ茫然としていました。そして、その後で知ったのです――。妻は死にきれずに、一命をとりとめていた事を」

「奥様はご無事で……」

「ですが、妻には会えませんでした。既に意識が戻っていたのですが、私が到着すると聞かされると半狂乱になり、死んでも会わないと言い張ったそうです。結局、それ切り、妻に会うことは出来ませんでした」

「どうなさったのですか?」

「妻からは、離婚したいと申し入れがあったのです。何もかもを空しく感じていた私も、それに応じました。やつれ果てたご両親が必死に詫びるお姿を、これ以上見続けることに苦しさも覚えていたからです。離婚が成立して、慎のために小さなお墓をたてて、気持ちもいささか落ち着いた時、司令から艦艇に戻って来てはどうかと言われましたが、私はそのまま陸に上がりました。十年以上、あちこちを転々としましたが、私にとっては、目の前に何かしら仕事があるというだけで満足でした。ところが、昨年になって、この訓練隊への異動命令がありました。司令は何も仰いませんでしたが、私を呼び寄せてくださったのです。そして、図らずも、皆さんや渡来さん達とお会いすることになったのです」

「そうだったのですか……」

そう口にした加賀の胸中にある確信が浮かび、その思いはそのまま口をついて出る。

「あの――、私の勝手な当て推量で申し訳ありませんが、ひょっとして渡来さんは――、似ておられるのですか?」

それを耳にした中嶋は、己を嘲るかのような皮肉な笑みを浮かべる。

「お恥ずかしい限りです――。彼と初めて会った時、混乱してしまいました。実は慎は生きていて、誰かの手で育てられていたのかと、愚かな妄想を巡らせたほどでした。慎が生きていたなら、きっと、こんな若者になっていただろうと想像していた姿そのものだったからです。それに、どうやら司令も同じことを感じられた様なのですが、何よりも、彼の示した人格の片鱗に大いに興味を持たれ、ゆくゆくは、彼を防衛隊に迎え入れたいという希望を口にされたのです」

「それが、先ほど仰ったことなのですね」

「はい、副長として、冷静にそれを諌めるべきでした。にもかかわらず、私は彼の中に慎を見てしまっており、つい司令に同調してしまいました。彼と塔原さんを、通例を甚だしく逸脱するほど、皆さんと深くかかわらせてしまったのです」

「……」

とっさには適当な言葉が浮かんで来ず、加賀は黙り込んでしまい、二人の間に、音が吸い込まれてしまった様な空間が出来る。

(駄目だわ――、何か言わないと……)

焦ったものの、気の利いた台詞はやはり出てくる気配もない。仕方なく、逡巡しながらも、あまりに捻りのない質問をしてみる。

「あの――」

「はい――?」

「私にそんなに大切な――、しかも、辛いお話をして頂いてよろしかったのでしょうか」

「いえ、私の勝手な由無しごとばかりお聞かせしてしまいました……。でも、話さずにはいられなかったのです……。私は、己の小さな家庭すら――、幼い命一つすら守れなかった、無力な男であることを――、本当に大切なものは何なのか、それを喪ってから、はじめて気付く様な愚かな男であることを……」

「おやめください! 今のお話をうかがって、一体、誰があなたを責める事ができるのですか⁉」

懸命に否定してみたが、彼はそれには応えず、皮肉な笑みを口元にとどめたまま話を切り上げようとする。

「お引き留めしてしまい、申し訳ありませんでした。他に、ご用件はおありでしょうか?」

その声の事務的な響きに気圧され、一瞬引き下がってしまいそうになるが、必死に己を叱咤して勇を奮い起こす。

(しっかりしなさい! 兵たるもの、機に臨んで変に応ずること位出来なくてどうするの⁉)

「は、はい、一つだけお願いがあります」

「私にお応え出来ることでしょうか……?」

「ええ――、その、今でなくて構いません……。でも、いつかは――――加賀と呼んで下さい」

森閑とした時が気の遠くなるほどの間刻まれ、周囲の世界が消滅してしまったかのような錯覚に襲われた加賀を、中嶋の低く静かな声が現実に引き戻す。

「あなたのお気持ちはとても嬉しいのですが、どう考えても、私如きには身に余ることです……。どうか、ご勘弁ください――」

「一体、何が駄目だと仰るのですか? 私は、あなたがどの様な方であろうと、その支えになりたい……。私の様な、可愛げのない女には興味が無いと言われるのでしたら、素直に諦めもつきますが――、少なくとも、そのお答えをうかがって引き下がることは、致しかねます」

再び彼は沈黙するが、今度は随分と短い時間のように感じてしまい、自分の頭がおかしくなり掛けているのではないかと訝ってしまう。

「出来れば、お聞き入れ頂きたいのですが――、それでも納得いかないと仰るのであれば、少々お時間を頂けませんか?」

「も、もちろんです――、待つことなど、何程の事がありますでしょうか」

「ありがとうございます、加賀さん」

「い、いいえ――、私の方こそ、お仕事中に長々とお邪魔をしてしまいました、こ、これにて失礼致します」

また久し振りに機械仕掛けになった彼女は、例によってぴょこんと頭を下げると、くるりと踵を返して出口に向かうが、一応さきの失敗が生かされており、今度は何処にもぶつかることなく、無事に史料館を出ることができる。

ところが、外に出た途端急に膝が嗤い出し、思わず其処に崩れ落ちそうになる。

(なにやってるの⁉ しゃんとなさい、しゃんと!)

今日何度目かの叱咤を己に浴びせ、がくがくしながらも何とか歩き出すが、今度は激しい自己嫌悪が波浪の様にうちつけてくる。我ながら酷い話だった――。陸奥との別離が迫っており、皆、その不安に何とか耐えながら日々を過ごしているというのに、自分はちゃっかり惚れた男に粉をかけているとは!

(なんて卑しい女なのかしら、私……)

一瞬、情けなくて涙が出そうになるが、そう易々と泣いてたまるかと言う気持ちの方が強く、出掛かった涙もさっさと引っ込んでしまう。

(構わないわ、どうせ、私はがさつで可愛げのない女よ)

無理やり開き直った加賀は、なおもぎくしゃくしながら、大股で歩き去った。

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