〔第十五章・第一節〕
盆が近づき、斑駒が忙しそうにしている。
訓練隊のあるこの敷地には、陸上・航空の各防衛隊も学校や駐屯地を構えており、これらが合同で納涼祭を毎夏催すらしいのだが、どうやらその際に、自分達が浴衣を着て祭りに参加できるよう奔走しているらしい。そんな費用を、今度はどこから捻り出してくるつもりなのかと思ったものの、斑駒がはぐらかすので仁にそれとなく聞かせてみたところ、なんと隊員達の寄付(現代では『カンパ』とか言うらしいが)とのことだった。
「僕にはカンパさせてくれないんですよ~、さんざん体で払って貰ってますから! って言われてしまって……」
と相変わらず済まなそうに言う彼の様子に、長門は思わず苦笑してしまう。
「それは致し方あるまい、お前が好きでやっていることとは言え、散々ただ働きしているのは事実なのだからな」
実際のところ、毎日のようにやって来ては、斑駒の仕事をほとんど奪う勢いで自分達の世話係りに精を出す仁が、その様に扱われたところで何の不思議も無いし、もっぱら彼が艦娘達の世話係を務めることで、斑駒が他の事に専念する余裕ができているのは間違い無さそうである。
「ねえ仁、お祭りってどんな感じなの?」
「そうだねぇ、花火があって、盆踊りや太鼓の演奏があって、いろんな夜店が出て~って感じかなぁ」
子の日の質問に何気なく答えている彼の横には、当然のように陸奥がいるのだが、この数日間ほどのことだろうか、二人の様子は明らかに以前とは違っていた。近頃では、長門はもちろん仲間達全員が、少々大袈裟な言い方をするなら、腫れ物に触るような調子で接していたのだが、どうしたものか、今の二人からは切羽詰った様な不安定さが感じられない。
無論のこと、不思議に思った長門は一体何があったのか尋ねてみたのだが、妹の返事はいささか曖昧で要領を得なかった。ただ、胡麻化そうとか隠そうとしている訳ではなさそうで、どちらかと言えば、どう説明してよいものか良く分からないといった態に見えた。
(お前が経験していることは、一体何なのだ? 同じような女の姿ではあるものの、私には理解できないことなのか? それとも、いつの日にか我らはみな、今のお前の気持ちを理解できるようになるのか?)
その問い掛けに答えなど無いだろうと思いながらも、長門は胸のうちで改めてその質問を反芻しながら、彼らの会話の続きを見るともなく眺めていた。
「え~、それなあに? どんなものなの?」
「酒匂ちゃんは、どれも見たことが無いのかな?」
「そうよね、海軍記念日の祝祭とかも覚えてないかしら?」
「ぴゃー……、酒匂知らないの」
「じゃあ今度のお祭りの時に、みんなと一緒に全部一辺に経験できるわね♪ あたしだって同じよ、見たことはあっても自分で体験したことは無いんだもの」
人間に対するわだかまりを捨てきれない酒匂は、例え斑駒であろうと自分から話し掛けたりはしないのだが、陸奥が傍にいる所為もあるのか、自分から仁に話し掛けている。どうやら今のところ、彼女が普通に接することの出来る唯一の人間の様だ。
(奴の人柄のせいかも知れんな。何にせよ、良いことだが)
「そうですね、このお祭りこそ、私達が陸奥さんと一緒に楽しく過ごせる最後の機会でしょうから、存分に楽しませて頂きましょう」
一週間前なら、赤城がこんな物言いをすることなど、到底出来るような雰囲気ではなかったが、今はそれもさらりと聞き流せる。
(赤城のやつめ、存外に細かな気遣いもしていたのだな。そこまで粗忽者ではなかったか♪)
「陸奥さんと渡来さん、どうしちゃったんですかねぇ~」
いつの間にか横に来た龍田が、誰言うともなく口を開く。
「そうだな、少なくとも私には完全に理解できぬことらしいが、あれらにとっては、何やらとても意味のあることがあったのだろうな」
「お二人が特別なだけなんですかねぇ~、それともぉ、私達も人間達もいつかは、みんな同じくらい分かり合える様になるんでしょうかぁ~」
あたかも、長門の胸中を見透かしたかのような彼女の言葉に、思わず自嘲の笑みが滲む。
(何と言うことだ、お前は私の心の裡を理解しつつあると言うのか? まぁ、単に私が分かり易いというだけなのかも知れんがな……)
あの日以来、龍田が抱きついてくることはなくなり、そっと寄り添ってきたりごく控えめに手に触れてきたりする程度になっていたが、立ち居振る舞いが控えめになるのと裏腹に、彼女の言動は日に日に長門の心情に寄り添ったものになりつつあった。もちろん、長門自身は相変わらず女色にも色恋そのものにも全く興味は無く、龍田にどれほど本気で恋慕されようと、それに応えることは出来ぬとしか言いようが無いものの、その心根をいじらしくも感じるので、殊更に拒んだりはしていない。
(いつの日にか、お前の抱いている痛みを、我が事のように受け止め分かち合ってくれる男が現れてくれれば良いのだがな)
仲間と共にいるだけで十分だと思える者や傷を癒される者もおり、かく言う長門も、嘗ての戦友達の為にこそ己はあると思うことで、この様に奇想天外な自分のあり方を享け入れることが出来ている。だが、見たところ龍田は、それ以外に更に何がしかの支えを必要としている様であり、それは正に、陸奥にとっての仁の様な存在なのではないかと思われた。
(まぁ、それを確信を持って言い切れるほど、豊かな経験はしておらんのだが……)
「それはそうとぉ、塔原さんは、今日も来られないんですねぇ~」
「ん――、そうだな、確かに今日もだな」
「やっぱりあれなんですかね~、お二人のこと、傍で見てるのが辛いんでしょうかぁ」
「辛いのか、不愉快なのか、それとも更に別の情念を持って見ているのか――、どう思っているのやらな」
「子供の頃から知っているとか、ずうっと何年も前から好きだったとかって、一体どういう気持ちのものなんですかね~」
「それこそ、少なくとも我らが同じだけの歳月を、この姿で過ごして見ぬ限り――、いや、もっと厳密に言うならば、我らは幼い頃と言うものは経験できぬし、同じ人間達に囲まれた暮らしの中で成長するということも実感できはせんのだから、その胸のうちを垣間見ることすら出来ぬ相談かも知れぬな」
「結局ぅ、人間のことは人間同士で解決してもらうより、仕方ないのかしらぁ~」
「そう言ってしまえばそれまでのことだが――、何より、我らが人間の助けを必要としている以上、そう無碍に突き放すわけにも行くまいが」
「うふふぅ、それもそうですねぇ♪ じゃあ、参考になるかどうか分かりませんけどぉ、一度妙高さんに、加賀さんのことどう思ってるのか聞いてみましょうかぁ♪」
「なんだと、なぜ妙高に加賀のことなぞ――――、おい龍田よ、ということはまさか――」
「そぉなんですぅー♪ 妙高さんが、綺麗さっぱり吹っ切れたのかどうかは分かりませんけどぉ――」
「ちょっと宜しいですか? 龍田さん、一体、何を長門さんに吹き込んでらっしゃるのかしら⁉」
突然背後から、妙高のやけに据わった声が響いて龍田の言葉を遮る。
「あらぁ~、別に、ありもしないことは何にも言ってませんよぉー?」
「そんなことは当たり前です! あるなしの問題ではなく、長門さんのお耳に入れるべきことかどうかの問題です! ましてや、あなたの口から面白可笑しく伝えて良い事ではありませんよ⁉」
たちまち、二人は長門を放り出して言い争いを始めてしまう。が、もちろん彼女らにとっては軽い社交辞令に近いようなもので、深刻な喧嘩に発展するのは見たことが無く、仲の良い証拠だとばかりにそのまま捨て置く。
(それにしても――、やつが、塔原葉月に対して急に気を遣う様になるとも思われんしな……)
そもそも仁は、周囲の誰に対しても過剰なほどに気遣いの出来る男ではあるが、こと今の状況で、それを期待するのは無理な相談かも知れない。傍目から見ている限り、今の彼の目には陸奥しか映っていない様に思われるし、例えそうでなかったにしても、もとより塔原葉月のことを、気遣うべき相手だと認識していない様にも見えるからだ。
(幼馴染と言う言葉の意味は知っていたが――、実際にはこういうものなのか)
そんなことに今更感心しているような自分が、あれこれと心配したところでどうにもならないのかも知れないが、だからこそ、人間達が、己の感情や心といったものとどんな風に折り合いをつけていくものなのか予想出来ず、何か手を打てぬものかと考えさせられる。
(もう少し気を遣えと、初春にでも言わせてみるか――、しかし、素直に聞き入れてくれたところで、それをまともにしおおせるかどうかはまた別物であろうしな……。とにかく、注意して様子を見ておくだけは怠らぬようにせねばなるまい)
心というものの厄介さが、やっと少し判りかけてきたばかりの長門にとっては、出来ることに自ずと限界があると感じざるを得ない。
まして、己自身も間もなく妹と最期の別れをすると思うと、それだけの覚悟が十分に出来ているとは言い難く、それこそ龍田の言い草ではないが、人間達の面倒を見ていられる程の余裕なぞありそうにないと言うのが、偽らざる今の気持ちだった。