陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十五章・第二節〕

 宿舎前の階段に座った僕の耳に、遠くからざわめきが聞こえてくる。間もなく開門の時間なので、お客さんが集まってきているらしい。

(結構、賑やかになりそうだな)

この祭りがあること位は以前から知っていたが、残念ながら、ある時とてもネガティブな思い出と直結してしまったために、強制的に頭の中から退去願っていた。

祭りに花火と来れば、やっぱり彼女と来たくなるのが人情というものであり、かく言う僕も、あの高二の夏に後輩と一緒に行く約束をしていたが、直前になって彼女の都合が悪くなってしまったのだ。無論、既に言うまでもないことだが、それは実は、二学期が始まってすぐに起こった屋上事件の予兆だったわけで、それ以来、僕にとってはこの祭りは鬼門そのものだったがために、足を運ぼうという気には一度もならなかった。とは言うものの、まさかこんな形で来ることになろうとは、さすがに予想の範囲を大きく超えていた。

「待ちくたびれましたか?」

突然背後から声がしたので、ビクッとしながら振り返ると、ニマッとした笑顔の斑駒さんが立っていた。

「い、いえ! 大分お客さんが集まってるなぁとか思ってたとこです……」

何の捻りも無い思っていたままの返事を返すと、いかにもしょうがないなぁと言わんばかりの顔をした彼女が、

「相変わらずですねぇ、渡来さんは~♪ 楽しみじゃないんですか?」

と突っ込みを入れてくる。

「いえっ、そんなことは無いですよ⁉ 結構ワクワクしてたつもりですけど――」

「仁! 見て見てぇ⁉」

僕の言葉を遮ったのは、随分と艶やかな柄をあしらった浴衣に身を包んだ子の日ちゃんだ。

「どう? 似合ってる?」

「ほほほ、子の日よ無駄なことを聞くでない、仁殿が待っておるのは陸奥殿だけぞ?」

「そ、そんなことないよ!」

その後ろから現れた初春ちゃんは、可憐な薄紅色を基調にした、とても楚々とした印象の浴衣をまとっており、まるで、そのために特注でつくられたマネキンか何かの様に衣装と溶け合っている。

(さすがに綺麗だな~)

そんな風にごく自然な感想が浮かんでくるほど、彼女の美しさは際立っていたが、それに比べると子の日ちゃんは、やはり美しさよりも愛らしさの方がずっと優っている。だが、落ち着いてこんな感想を並べ立てていられたのはそこまでだった。もちろん、華やかな姿の艦娘達が陸続と繰り出して来て、あっという間に彼女達のペースに呑まれてしまったからだ。

「えへへ~、どぉだい⁉ ボク、かっこいいかなぁ?」

初春ちゃんのツッコミではないが、浴衣を着てカッコいいかどうかが気になる皐月ちゃんは、やはり相当マイノリティの様な気がする。

「皐月は何でもそれだよねぇ――、調子に乗って、飛び跳ねたりしちゃ駄目だよ⁉」

そうたしなめる長良ちゃんは、少し日焼けした浅黒い肌に真っ白な浴衣が良く映える。雰囲気もちょっと落ち着いていて、いつもの中高生っぽさが感じられない。

(うんそうだよ、これが夏祭りの浴衣効果ってやつだよなぁ)

ちょっと軽い憧憬に浸った僕は、改めて斑駒さんの仕事ぶりに感心してしまった。まさか、外部のレンタル業者を訓練隊内に呼び寄せて、艦娘達に引き合わせる訳にもいかないだろうし、きっと彼女が一人で行き来して、似合いそうなものをいちいち見繕ったのだろう。その熱心さには、本当に頭が下がる思いだ。

「渡来さ~ん、どぉよこれ♪ 見て! 見て!」

華やかな欝金色の浴衣を着た飛龍ちゃんが、くるりくるりと躍る様に現れ、そのあとに続いて蒼龍ちゃんと高雄さんが現れるが、とてもにこやかな飛龍ちゃんとは対照的に、二人ともなんだか冴えない顔をしている。

(あれ? ひょっとして――)

僕の聞き齧っただけの知識に間違いがなければ、確か、和服というのは余り胸の大きな女性には似合わないので、さらしやタオルで絞めつけたり、帯の下に色々入れたり(ちゃんと名前があるものかも知れないが、僕は知らない)するものだと聞いているが、ひょっとすると、彼女たちも色々と締め付けていて苦しいのだろうか?

そう思って見直すと、確かに普段の印象に比べて二人とも少し胸が目立たないというのか、帯周りに随分貫禄があるとでも言うのか、いささか窮屈そうにも見える。にもかかわらず、とても残念なことに、それでも高雄さんの浴衣は今にも胸元が肌蹴そうになっており、迂闊な動きをすると、それこそ不味いものが零れてしまいそうだ。

(うーん、やっぱり、ほどほどって大事なんだな)

飛龍ちゃんの弾ける様な笑顔を見ながらそう思ったのだが、更に上には上があることを目の当たりにさせられる。

その後に続いて出てきた妙高さんと瑞穂さんの浴衣姿は、もう完全に異次元の領域と言っても過言ではなかった。若苗色の上品な浴衣に身を包んだ瑞穂さんと、しっとりと濡れたような菖蒲色の浴衣を纏った妙高さんは、まるで絵画の世界から抜け出してこの世に降臨したかの様で、もし日本全国(いや、多分全世界でも同じ結果だろうと思う)から浴衣クィーンを選出したら、間違いなく、ぶっち切りの同率首位になるはずだ。

(う、美しい――、そうとしか表現しようがない……)

茫然とするほど二人に見とれていた僕は、例によって油断し切っていた。

「仁よ、一体どこを見ているのだ?」

紛れもない長門さんの声で我にかえった僕は、赤城さん、加賀さん、酒匂ちゃんを引き連れた長門さんと――長門さんと――……、意識が急にリセットされた様に、視界からそれら一切が消え失せてしまい、脳はただ一つのことしか認識できなくなる。

「むっちゃん……」

彼女は、黒白の縦縞に小紋があしらわれた品の良い浴衣を纏い、髪に一輪の花飾りを着けていた。

その落ち着いた佇まいに加えて、そこはかとなくだが恥ずかしげに上気した肌と、伏し目がちな眼差しとが、更にその美しさを際立たせている。

「綺麗だ――、すごく綺麗だよ……」

思わず言葉が口をついて出ると共に、足が勝手に動いて彼女のもとに歩み寄る。

「い、厭だわ仁ったら、そんな言い方して――、恥ずかしいわ……」

「で、でも、こんなに綺麗な浴衣姿なんて、見たことないよ――、ほんとに綺麗だよ……」

「んもぅ、莫迦ね……」

その時、すっかりあちらの世界に行っていた僕の耳に、愛する家族の呼び声が聞こえる。

「仁殿、お気持ちは判り申すが、大概になされませよ」

そう言って肘を引っ張ってくれた初春ちゃんのお蔭で、再び現世に舞い戻ってくることが出来た。

「あ――ご、ごめん、またやっちゃったかな……」

おそらく、また高雄さんにでも食って掛かられるのに違いないと思って向き直ったのだが、皆の顔が笑っていないのに気が付き、これは不味いぞ⁉ と思った瞬間、背中にヒヤッとする様な気配を感じる。

(えっ! まさか……)

「あんたって、どうしてこうも的確に、わたしをイライラさせてくれるのかしらね~」

「は、葉月……」

この瞬間、僕はとんでもない間違いを犯してしまった。彼女は今、確かに僕に向かって憎まれ口を叩いたが、それは言うまでもなく、長い年月の間に経験してきた『いつもの』葉月の姿であり、僕にとっては正常な状態を示すサインそのものだ。

「ったく~、ちょっと目ぇ離すとすぐこうなのね⁉ いい加減、愛想が尽きるわ!」

「もう、分かったって――、悪かったよホンとに――」

全く何の疑念も挟まず、いつものリアクションを返した僕は、さらりとその場を流してしまう。記憶に残る限り、自分から言い出したことを勝手に捻じ曲げてしまう様な真似をしたことが無い彼女が、多少のことは大目に見てやると宣言したにもかかわらず、あからさまに文句を言ったというのにだ。

その上に、葉月がそれを蒸し返す暇もなく、続けて新たな事態が発生したのも間が悪かった。

「遅くなりました!」

きびきびとした声が響き、全員がそちらを振り向くと、キリっとした容姿の士官とおぼしき人物が敬礼をしている。

「いえ! こちらこそ、ご無理をお願い致しまして恐れ入ります!」

斑駒さんがこれまたキビキビと答礼したので、僕らも礼を返すが、一体誰なのだろうかと思う。

「まさか♪ 無理も何も、皆さんをエスコートできると思うと、楽しみで仕方ありませんでしたよ! 本日は、よろしくお願い致します!」

そう、極めて爽やかに言い切ったその男性は、つかつかと僕と葉月のもとに歩み寄ってくると、

「ひょっとすると、あなた方が渡来さんと塔原さんですね? 支援艦『とおとうみ』艦長を拝命しています篠木と申します、以後お見知りおきを!」

と言ってさっと右手を差し出す。

(あっ、この人が――)

むっちゃん達から、名前だけは聞いていた篠木艦長だった。

「渡来と申します、こちらこそよろしくお願い致します」

「塔原です、お名前はかねがねうかがっておりました。ご挨拶が遅くなりまして、たいへん失礼を致しました」

めいめいに挨拶と握手を交わした僕らを見た艦長は、日焼けした顔に真っ白な歯をのぞかせると、これでもかと言う位の爽やか系の笑みを浮かべて、ちょっと普通の声音で話し掛ける。

「奇跡という一言で片づけて良いものかどうかわかりませんが、たった今もあなた方と我々防衛隊とは、この不思議な体験を共有しているのは事実です。これも、何かの縁だと思いたいですね」

何だろう、中嶋さんとはまた少しタイプが違うものの、この人も、単なる爽やかな海の男という訳ではなさそうに感じる。ただ、ほんの数秒の後、僕は艦長に親しみというか同胞意識をも感じてしまう。

「篠木艦長、本日は、わざわざご足労を頂いてありがとうございます」

その声に振り返ると、得も言われぬ笑み(確か、何かで聞いた記憶がある――アルカイックスマイルというやつかも知れない)を湛えた妙高さんだった。

「いえ、そのぉ――」

篠木艦長は、それきり、口を半開きにしたまま固まってしまう。その瞳は、妙高さんの神懸かった浴衣姿に釘付けになったままで、心奪われるというのをまさに地でいってる感じだ。そのまま、何秒間か不自然な沈黙が流れた後、彼女がふっと伏し目がちに視線をそらしながら頬を赤く染め、片袖で軽く口元を隠しながら、絞り出すような小さな声を出す。

「済みませんが、お赦し下さい――、皆もおります前で、その様に見つめられましては、身の置き所がございません」

「――あ――、こっ、これは失礼を致しました! そのっ、あ、あなたが余りに――、その――、う、美しかったもので――、あの――、も、申し訳ありません!」

爽やかなのにガチガチというこの状況は、多分初めて目にするのではないだろうか。しかも、横で葉月が聞こえよがしにハァーッとため息を吐いたので、ますます艦長の精神的追い込まれ感が際立ってしまう。

(いや~、何だかちょっと嬉しいなぁ)

確かにむっちゃんから話は聞いていたものの、これこそ百聞は一見に如かずで、篠木艦長、妙高さんのこと好き過ぎるでしょう!

「それでは皆さんお揃いですので、簡単に組分けしましょう! まず、篠木艦長に付き添って頂くのは――」

苦笑した斑駒さんが、いつまでも放っておくわけにはいかないとばかりに、事態を前に進め始めたので、僕は再度ちらっと葉月の顔色をうかがってみる。が、口を開くまでも無く、いかにもと言った風情の彼女は、腕組みをしながらあっさりと(いつも通りに)突き放してくれる。

「いちいち、余計な事言わせないでくれるかしら? それとも、撤回した方がいいわけ?」

「い、いや、よく分かりました」

そう言いながらも、いつも通りの反応に安心した僕は、それ切りで、次の段取りへと頭を切り替えてしまった。僕が付き添う組の顔ぶれは最初から決まっているようなもので、念のために斑駒さんの口上を片耳で聞きながら、皆を呼び集める。

「ぴゃあぁ! 酒匂も行くのぉ」

「お祭り、楽しみだね酒匂ちゃん♪」

「仁、塔原殿、なにぶんよろしく頼む」

「じゃあ、まずは、どんな夜店が出てるのか見てみましょうか」

葉月がそう言って先頭を切って歩きはじめたので、家族達及び酒匂ちゃんは行儀よくそれについて行く。僕が殿で動き始めると、むっちゃんがスッと寄り添ってくるなり、一回だけキュッと手を握ってくる。

名前を呼びたくなるのをグッと堪えて彼女の顔を見ると、彼女もまた、何も言わずに見つめ返してきた。

(これが、君との最後の想い出になるんだろうか……)

そう思うと、むっちゃんの瞳から目をそらすことが出来なくなってしまうが、さすがに彼女は顔を赧らめると、恥じらう様な上目使いで小さな声を出す。

「――早く行きましょ♪」

「うん……♪」

頭の先から爪先に至るまで――いやそればかりではなく、この目に映る世界の全てまでも――ただ、彼女の色だけに染まってしまいたいという願いと、この余りに限られたわずかな時間を、一瞬たりとも無駄にしたくないという想いだけが僕を支配しており、そして、どうやらそれはむっちゃんも同じ様だった。

その想いが惹き起こす、無上の喜びと切なさとがない混ぜになった空気に浸りきった僕達には、刹那、ちらとこちらを振り返った葉月の瞳の奥に、禍々しい何かが渦巻く様など、見えるはずも無かった。

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