陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第十五章・第七節〕

 空は一面雲に覆われてはいるものの、雨の気配を湛えてはおらず、絶え間なく頬を撫でていく潮風のお蔭もあり、意外なほど蒸し暑さは感じない。

とは言え、もしも晴れ間の出た時に備えて、『おおやしま』の広々とした後甲板には、一部真っ白な天幕も張られていた。

(結局、ここまで来てしまったか)

引揚げ作業がいよいよ最終段階に差し掛かったとの知らせと共に、海上警備庁の船艇で現場に向かうことになったと知らされたのだが、たいへん有難いことに、勝手知ったる『おおやしま』で運んでもらえるとのことだった。

再会した斑駒船長は、曰く言い難い表情で、

「皆さんと再びお会いできるのはたいへん喜ばしいのですが、此度の事をどう受け止めてよいものか、正直なところを申し上げてしまうと、いささか複雑ですね」

と、組織人らしからぬことを口にして長門らを出迎えた。

少々緊張していた艦娘達は、そんな気の置けない態度に安心させられたこともあって、約一日強の航海の間も和やかに過ごすことが出来た。さらには、現場に到着して、特等席ともいうべき場所に投錨した『おおやしま』の後甲板には、船長のはからいで、天幕の下に人数分の席が用意され、長門と艦娘達全員、それに仁、葉月や中嶋、斑駒(娘)は、その椅子に腰を落ち着けて、先程来咳き一つせずに、ひたすら引き揚げ作業の成り行きを見詰めている。

二隻の巨大な起重機船の、それこそ雲を撞く様な長大なジブの先端から、海中に下ろされたワイヤーの先には、残された陸奥の船体があるはずであり、今しもそれは、ワイヤーが巻き上げられるのにつれて静々と海面を目指しているはずだった。

(お前たちは今、一体何を考えているのだ?)

もう何度目になるのかも忘れてしまったが、顔を動かさずに、横目で隣に座った陸奥と更にその隣の仁の横顔を盗み見た。だが、何度見ても二人の表情には変化が無く、心中ため息をついて再び視線を前方に戻すものの、単調な眺めに没入するでもなく回想に耽る。

祭りの夜、久し振りに姿を見せた塔原葉月の妙にさばけた態度に、理由のないざわめきを覚えていたが、少なくとも、長門の見ている所では何事も起こらなかった。

そのまま、週末の間は何の音沙汰もなかったので、取り越し苦労だったかと思い直したところ、月曜の朝になって、思いつめた顔付きの彼女が現れるに及んで、只ならぬことがあったことをはじめて覚った。

にもかかわらず、その後やって来た陸奥と仁は落ち着き払った様子だった上に、別室で余人を交えずに話し合ったらしい陸奥と塔原葉月が、明るく屈託のない笑顔で現れるに至って、事態は長門にとって完全に理解不能なものとなったのだ。

(やれやれ、人間の女というものは何とも不可解なものだが、まさか、陸奥までそうなってしまうとはな)

もっとも、横波間を出港してから、ここ柱島沖に到着するまでにはそれなりに時間もあったわけで、妹のみならず、仁と塔原葉月も交えて話すことが出来ており、今はもう、その間の経緯全てを聞いてはいた。

(仁の奴を巡る争いの、雌雄は決したわけか――、まぁ、いささか皮肉な結末ではあるが)

勝ちをおさめた陸奥が去った後、塔原葉月はいったいどうするのだろう?

なにより、妹を喪った仁は一体どうするのだろうか?

そんな見方で、あの日の中嶋の発言を思い返してみると、彼はそれらの疑問に対して、明確な答えを持っていたことが理解できる。

しかも、あの言葉は仁に対して語られながらも、陸奥に対する問いかけにもなっていたのだ。

(大切に思うならばその手を放してはならぬ、傍に居たいと思うならその気持ちに素直になれ――といったところか。――もう少し状況が理解できてからであれば、私も全く同じことを言ったかも知れんな……)

そう思うと、いささか無責任なことを言ってしまった自分に後悔がない訳ではないが、反面妹と仁であれば、自分が何を言おうがそれに流されたりしないだろうと思いもする。

昨夜、塔原葉月は二人を指して『頑固者』と断じたが、それが当を得ているのみならず、長門自身も全く同感だと感じたものだ。

(心優しく、自然な心配りの出来る頑固者というところか――。そんなお前たちの選んだ結末を、私如きが捻じ曲げようも無いのが道理というものか)

そんな風に、心の裡で結論めいたものを捻り出してみたものの、だからと言って、長門自身もこれから起こる出来事をあるがままに受け止められるかというと、やはりその自信はない。

七十年もの歳月を無為に海底に横たわりながら、ひたすら願い続けていた妹との再会を、全く思いもよらぬことに、心を持った人の姿としてこの地上に顕現し、果たすこととなったのは余りにも鮮烈な喜びであった。

そして、互いに言葉を交わして意思を通じあい、更には妹の手になる料理に舌鼓を打つことが出来ようなどとは、正に言葉通り夢にも思わなかったことだ。

だが、その楽しく幸福な時は、今まさに失われようとしている。

船として生まれた己を思う限り、無事にその生涯を終えて天上に旅立つことは、幸福以外のなにものでもないはずだが、このわずかな日々の間に、長門の気持ちや価値観は明らかに変化していた。

(我ら艦娘の幸福とは、なんなのだ? 陸奥よ、お前にとっての真の幸福とはなんだ? ――この私にとっての幸福とは……?)

もしも、このまま陸奥と共に、この明るい日の当たる世界で暮らせるのなら――、妹が仁と共に幸福に暮らす姿を、いつまでも傍で見守ることができるなら――、仲間達が、それぞれに自分なりの幸福を見つけ出していくのを、支え見守り続けられるのなら……。

先程、己が胸中で独り言ちた言葉がそのまま繰り返される。

(大切に思うならばその手を放してはならぬ、傍に居たいと思うならその気持ちに素直になれ――、私もそうだという事なのか……?)

そこまで思い至った長門は、抑え難い衝動が噴出してくるのを感じ、それは直に、抵抗出来ないほど強い力となって己を突き上げ始める。

そして、とうとう自若とした仮面を被り続けることに限界を覚え、横目に見るだけに止めていたのをやめて陸奥と仁を顧みるが、思いもよらない姿を目にして面食らう。

全く気付いていなかったのだが、仁は引き揚げ作業から目を逸らしており、俯いて両手をぐっと握りしめると、顔に血管が浮き出るほど強く歯を食いしばっている。その体は小刻みにぶるぶる震えており、しかも常であれば、陸奥がその手を握ると必ずそれはおさまっていた筈であるのに、今も妹の手が包み込むようにその拳を握っているにもかかわらず、震えが止まらないようなのだ。

(仁よ――、それほどまでに、お前は耐えているのか)

間違いなく彼は、陸奥――長門にとっても、何ものにも代え難い大切な妹――をこの上も無く深く愛し、必要としていた。

(だめだ――私も、これ以上己を偽ることは出来ぬ、お前のその赤心に、目を瞑るわけにはいかぬ)

短く意を決した長門はさっと立ち上がり、二人に声を掛けようと息を吸い込むが、これもまた思わぬことに、陸奥の強い声で遮られる。

「姉さん、座って頂戴――、お願いよ」

 

「――何だと? お前は一体何を――」

「姉さんの言いたいこと、分かってるつもりよ……。でも、それはやめて頂戴、お願いだから、仁の思う通りにさせてあげて」

「陸奥……」

 

胸塞がれて絶句した長門は、それと共に、どういうわけか、陸奥と仁の姿しか見えていなかった自分に気が付く。何故それが見えていなかったのかと不思議になるが、震える仁の反対側の手を、子の日が両手でしっかりと握りしめ、さらに初春がその肩を包み込むようにしており、二人ながらに、訴えかける様な眼差しで自分を見上げていた。

(――そうか――、お前たちは家族なのであったな……。残念だが、私はまだ家族にはなり切れておらぬらしい)

思わず嘆息すると、もう一度軽く息を吸い直し、先ほど舌下にまで達していた言葉を仕舞い込んで、全く異なる言の葉を口に上せる。

「すまぬ、まこと忸怩極まることだが、どうやら私が浅慮であったようだ」

それだけをさらりと言って、再びサッと腰を下ろす。

 

「ありがとう、姉さん」

「すみません――その――」

「仁よ、無理をするな、今はただ、少しでも心静かにその時を待てばよい」

 

「――はい」

「私はお前達がやせ我慢をしているものと、どこかで思っていたのだ。しかし、誤りだった様だな――、お前達にはそれよりも強い願いがあり、そのためにこそ耐えているのだな」

「そんな、大袈裟なことじゃないわ――、ただ、あたし達がそうしたいと思っただけよ……」

 

そう言った妹は、添えていた片手を入れ替えると、空いた方の手を仁の肩に回す。その所為ではないだろうが、彼は少しずつ落ち着いた呼吸をし始め、顔が上がってくる。

そんな様子を見て、静かに声をかけたのは中嶋だった。

 

「私達は、お二人の願いの行き着く先を、見守るよりほかないのですね?」

 

その言葉の寂寥たる響きが長門の胸をうち、自然に思いと言葉とが湧き上がる。

「副長殿、その様に致しましょうぞ。我らはここまで来たのです、最後まで見届けましょう」

それに対して、中嶋は口を真一文字に結び、無言のまま小さく頷いて見せる。

傍らの斑駒(娘)も同じように頷こうとしたのだが、両目にいっぱい涙を浮かべた彼女は、口をへの字に結ぶのがやっとだった。

そのまま長門は視線を流し、仲間達を見やるが、彼女らは互いに手を握り合ったりしながらも、しっかりと見返してくる。

(不思議だな、まるでこれからお前達と共に、乾坤一擲の大海戦にでも臨む様な心持ちだ)

そう思って、改めてぐっと組んだ腕に力を入れたその時、どこからか無線の様な音声が微かに聞こえ、斑駒(父)が低い声でそれに応答するのが聞こえた。

一瞬、全身が耳になったように集中力が全てそちらに注がれるが、船長は一切勿体をつけるでもなく、どこか沈鬱な声でその内容を告げてくれる。

「皆さん、間もなくだそうです」

(来たか……)

思わず身を乗り出して、幾本ものワイヤーが張り詰め、立ち上がるその波間を見詰める。

全員が全く同じことをしている気配を感じ、その滑稽な様を想像してみようとするが、それが叶わぬどころか、一切目を逸らすことすらできないままに、永遠とも思われる時間が過ぎていく。

そして、全員の緊張が限界に達すると思われた瞬間に、それは起こった。

海面が突然幾何学的な形に――なおかつ、思っていたよりもずっと広い範囲に渡って――盛り上がり、ついでそれは重々しい流れとなって、あらゆる方向に拡散する。

それはとても緩慢に思えたが、どこまでも滑らかでとどまることが無く、しかも唐突に終わりを告げた。

海面上に黒々と姿を現したのは、無数の異物が付着し、ところどころが裂けてささくれ立っているものの、紛れもなく軍艦の船体だ。

一体どうなることかと固唾を飲んで見守るその耳に、巨人の呻き声の如く野太い軋轢音が響き、長大なジブが揺れてがくがくとした後、ゆっくりと停止する。

それを茫然と見つめ続けるうち、どこから現れたのか、どうやら浮きドックとおぼしき枠の様な構造物が傍らから近づき、ゆっくりと波間に見え隠れするその船体を取り込むように進む。

その動きがとても静かであったために、いつ停止したものか定かではないが、気が付くと吸い込まれるような轟音が響きはじめており、周囲の海面が泡立ち波打ち始めた。

どれ程の間それを眺めていたものか、海面に突き出したその枠が少し丈高くなった様に感じ、よくよく目を凝らしてみると、張り詰めていた筈のワイヤーに微かな弛みが見え始めている。

(とうとう――とうとう時が来るのか…………むっ⁉)

視界の端に、何やら違和感を感じて振り返った長門の目に映ったそれは、一体どれほどの間艦娘としてこの世にとどまれるのかは分からないものの、それこそ、この身のある限り忘れられない光景だった。

 

「陸奥、お前――!」

 

両手で胸を押さえた妹は、形容しがたい不思議な表情で、自らの船体が少しずつ浮揚してくるのを見詰めていたが、その胸の奥――体の芯とでも言うべきところ――から、金色の光が洩れ出していた。

 

「むっちゃん……!」

 

傍らで立ち上がった仁が声をかけると、妹はその不思議な表情のままに、微かな笑みを浮かべて口を開く。

 

「あのね――、

あたしが生まれてから、今日に至るまでの何もかもが、全部浮かんでくるの……。

でもね、どれもすごく暖かいのよ?

どんなに辛い嫌な事でも、全部がとっても暖かいの――

こうして、しっかり抱きしめていられるの……」

 

 

そこで一旦言葉を切った陸奥は、ゆっくりと立ち上がって仁と長門の顔を交互に見詰め、改めて厳かに口を開く。

それは遥かな天空に打ち鳴らされる鐘の音の如く、二人のみならず、その場に居合わせた者達全ての胸の奥深くにまで響き渡る。

 

 

「仁――

 

 姉さん――

 

 ……………………これで、本当にお別れみたい……」

 

 

 

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