陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第二章・第三節〕

 長い長い一日が終わろうとする頃、彼らは漸く仁の家に辿り着く。

結構元気な積もりでいた彼はもちろん葉月も陸奥もすっかり無口になり、玄関のドアを開けた時には今にも崩れ落ちそうな程の疲れを覚えていた。

 

「た、只今ー」

「お帰りー、只今ー、あ~疲れた~」

「只今? お帰り? どっちなの?」

「只今だよむっちゃん、それにお帰り」

「ええ、只今……」

 

そんな遣り取りをしている彼と陸奥とを尻目に葉月はドタドタと上がり込むと、さっさと居間に荷物を放り出してバスルームに向かう。

 

「ねぇ、お風呂ちゃんと洗ってあるの?」

「出掛ける前にざっとだけど洗ったよ」

「まぁいいわよね! 今更洗う気力も無いし」

「オフロニオユヲイレマス、ヨクソウノセンヲタシカメテクダサイ!」

「誰? 仁のご家族? あたしご挨拶しなきゃ!」

 

銀灰色のショートブーツを脱いで廊下に上がり掛けていた陸奥が、彼の腕を掴んで咎めるような口調で問い掛ける。

 

「あれは、給湯器の声だよむっちゃん」

「来て見なさいよ⁉ これが喋ってるのよ」

 

バスルームから葉月が陸奥を呼ぶので仁が目で促すと、彼女はやや上目遣いに彼を見て笑みを浮かべ葉月の許へ向かう。

どちらにしろ陸奥に風呂の入り方やトイレの使い方をちゃんと教えるのは葉月に頼る方がずっといいだろうし、任せておくに越した事はない。

その間に彼は取り敢えず荷物を居間に集めると彼女達の寝床を準備しに掛かったが、ここでちょっと迷った。

二人の寝る部屋は別々に用意するべきだろうか?

葉月がどこで寝たがるかはほぼ予想がつく。

おそらく二階の空き部屋にある折り畳みベッドで寝る積もりでいるだろう。

では陸奥は?

彼女が何も言わなければ一階の客間に布団を敷けばいい事だが、彼の脳裏には列車の中で陸奥が滲ませた心細げな表情がまだ引っ掛かっている。

あの時、固く約束することで一旦は彼女を安心させたものの、それで簡単に不安が無くなるとも思えない。

ここはやはり葉月に頼んでみるより他無いだろう。

彼は客間に布団を二組用意だけしておき、空き部屋のベッドは一先ずそのままにしておいた。

 

居間に戻ったがまだ二人の姿は無い。

陸奥のために買った衣類を取り分けてテーブルの上に置き、自分のスーツケースを開けて洗濯機に放り込むものを取り出していると彼女達がお喋りをしながら居間に姿を見せる。

 

「もうすぐお風呂沸くから、下着とか用意しとくわよ」

「さっき買ったやつね、袋から出すだけでいいのかしら?」

 

言いながらガサガサと袋を開け始めた彼女たちに、仁は声を掛ける。

 

「二人とも今日はどこで寝る積もり?」

「2階のベッドで寝たいんだけど?」

「むっちゃんは一人で眠れそうかな?」

 

「……」

 

案の定彼女は口籠り、不安そうな瞳で彼と葉月を交互に見詰める。

 

「何か理由あるみたいね?」

「情けない事言ってごめんなさい……でも、やっぱり眠ってる間に仁も葉月も何もかも消えてて、たった独りで海の底で目を覚ましたらどうしよう――って思ってしまうの」

「ふふ、全く仕様が無いわねぇ~、仕方ないわ一緒に寝ましょ♪」

「有難う葉月……ゴメンね、仁」

「気にしない気にしない♪ じゃあ客間に二人分布団敷いとくから葉月頼んだよ?」

「分かってるわよ! ところで今夜は洗濯してくれるのかしらセバスチャン?」

「???」

「……何かいちいち突っ込むのも疲れて来た……一応朝上がりでタイマー洗濯はする積もりだよ」

「じゃあネット出しといてね」

「了解」

 

その時、風呂の準備が出来たと給湯器が告げる。

 

「改めて聞くと、何だか不自然な声なのね」

「機械の合成音声だからね」

「さあ入りましょ! お風呂も初めてなのよね、汗流すのってさっぱりするわよ~」

「ええ楽しみだわ♪」

「ちょっとだけなら覗いても良くってよセバスチャン?」

「いやしないから!」

 

とは言ったものの、二人がバスルームに消えた後で彼は思わず生まれたまま(これは厳密に言うと間違っているのだが……)の姿の陸奥が風呂に入るところを想像してしまう。

ところが何故かそれは思った程刺激的な妄想ではなく、却って葉月のその様な姿(もちろん想像の中のである)の方が色々な部分が反応する位なのだ。

彼は首を傾げながらも頭をブンブン振って妄想を打ち消すと、出来るだけ事務的に客間の寝床を整える事に専念した。

 

そんな彼の葛藤を余所に陸奥と葉月は無防備な姿で、

「うふふ、仁が覗くと思う?」

「まさか、そんな事しないわよね? ……するの?」

「まぁしないんだけどねぇ~……ほんっと、その辺はもう少し弾けて欲しいわマジで!」

「あら、それってひょっとして魂の叫びって言うやつ?」

「なんかそう真顔で言われるとちょっと凹むわね……」

と女子だけの気楽なお喋りを楽しんでいた。

 

「このスポンジとかタオルで体を洗うのよ」

「石鹸とかつけてごしごし擦るのね? 昔はカンパンハケやブラッシでよく洗って貰ったわ」

「うう、何か良く分かんないけどゾッとしないわねそれ……正直まだ信じられないんだけど、本当に軍艦だったの?」

「ええ、多分お風呂でも浮くんじゃないかしら」

 

そう言って立ち上がった陸奥は湯槽に歩み寄るとそっと水面に足をおろし、呆気にとられる葉月の前で静かに水面に立つ。

 

「……えっ…………な、何よそれ……一体どうやってるの?」

「あたしは特別な事何もしてないわ、逆に浮かばずに水の中に沈もうとする時に何か工夫しなきゃだめだと思うの」

 

そう話す彼女の体は仄かに金色の輝きを帯びており、声も深みを増して神秘的な響きがある。

 

「どういう事なの……信じられない……まさか本当にこんなことがあるだなんて……」

 

「ええ……繰り返しになっちゃうけどあたしもまだ信じられないの。まさかこんな姿で陸に上がってるだなんて」

 

「……ねぇ、旧海軍の軍艦って今もたくさん海に沈んでるんでしょ? その中で貴方だけがこんな事になってるの?」

「それもあたしには判らないの……でも、もし出来るなら皆や姉さんに会いたいわ」

 

「……そうか、そういう事だったのね……仁ったら本当に説明が下手なんだから! やっと状況が飲み込めたわ⁉ でも、やっぱり納得行かない気持ちはあるけどね」

「どうすれば良かったの?」

 

言いながら彼女は湯槽からおりて、葉月の傍らに腰をおろす。

 

「結局、警察やら防衛隊やらの力を借りなきゃむっちゃんの仲間や姉さんを探すなんて無理な話だからよ。でも仁はどうしてもむっちゃんを助けたかったのね。命を助けて貰ったのにその相手を警察だかに連れていって、じゃあ元気でね! みんなに会えると良いね! ってさよならしたくなかったって事なのよ」

「そうなの……葉月は仁の事良く判るのね」

「まぁね、長い付き合いだし」

 

喋りながら葉月は体を洗い、陸奥も見よう見まねでボディソープを含ませて貰ったスポンジで体のあちこちを擦ってみる。

 

「そうそうそんな感じ♪ あんまり強く擦ったら跡が残るわよ」

「あっ、何だか気持ち良いわ! ……でもね葉月、仁の説明は上手じゃなかったかも知れないけど、葉月が迎えに来てくれる迄の間にね『とにかく葉月に分かって貰うのが一番大事だからね』って言ってたのよ?」

「アイツそんな事言ってたの?」

「ええ、仁は葉月のこと本当に頼りにしてるのね……何だか羨ましいわ」

「やぁねそんな訳無いでしょ! んふっ、もう♪」

 

言葉とは裏腹に葉月は目に見えて機嫌が好くなる。

ニヤニヤした笑いを顔に張り付かせて暫く無言で体を洗っていたが、唐突に「あっ」と小さな声をあげると腰を浮かせながら、

「仁! 仁!」

と大声で彼を呼ぶ。

どこか遠くから返事が聞こえたが小さくてよく聞き取れない。

立ち上がった葉月は少しだけドアを開けると、

「いいからちょっと来てよ!」

と更に大きな声を張り上げる。

一体何をする積もりなのかと見守るうちに、彼の足音が近づいて来て今度はかなり近くから、

「どうしたんだよ~、シャンプーとか何か無くなってた?」

と声が聞こえる。

葉月はドアから顔だけを覗かせながら、

「そうじゃなくて~、ねぇ背中流してよ~昔みたいに♪」

と耳を疑う様な事を口にする。

 

「な、何言ってんだよ⁉ 滅茶苦茶言うなよ!」

「え~良いじゃなぁい、ちょっとぐらいぃ♪」

 

と鼻に掛かった声を出した葉月は、何の前触れも無く体を曇りガラスのドアにぺちゃっと押し付ける。

 

「!!」

「バッ、バッ、馬鹿! な、何やってんだよ⁉」

 

途端に彼の足音がドタバタと遠ざかって行く。

 

「えへへ~、もぉ~本当にノリが悪いんだからぁ――ねぇ♪」

 

相変わらずやけに上機嫌な彼女は目を丸くして固まっている陸奥に同意を求めるが、一体何が起こったのかすらよく理解出来ず、疑問を口にするのが精一杯だった。

 

「ねぇ葉月、あんな事したらその――仁に見えちゃうんじゃないの?」

「ウフフ、だってたまには下僕にもご褒美をあげなきゃね♪」

 

男が女の肌も露わな姿を見るのは嬉しいものだというのは何となく判るが、今の場合はどう見ても嬉しそうにしているのは見られた(正確に言うとわざと見せた)葉月の方だ。

 

(葉月ったら、変なの!)

 

何よりもご褒美を貰った側である仁は慌てふためいていただけで到底喜んでいる様子では無さそうだったが、そうでは無くて実は喜んでいたのだろうか?

そう思い始めたら、どういう訳かちょっと腹がたって来る。

 

(何であたしが腹たてるのよ――あたしも変なの!)

 

まだニヤニヤしている葉月を見ながら、陸奥は改めてかぶりを振った。

 

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