陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第二章・第四節〕

 慌てて居間に戻ったものの、彼の心臓は口から飛び出さんばかりにバクバクしている。

 

(クソッ! 何考えてんだよむっちゃんもいるのに!)

 

しかも何が腹立たしいかと言って、己の体が情けなくも(痛い位に)反応してしまっているのが癪に障る。

キッチンにとって返し、国際政治学の講義を思い出しながら冷たい水をゆっくり飲んで少し気を紛らわしたが、残念ながら健康な成人男性である彼は血液も有り余っている様で、ひとたび集まって来たものはなかなか解散してくれない。

とは言え、意地でもこんな姿を葉月に見せてたまるかと思う。

それこそ勝ち誇った様なニヤついた顔で、

「仁ったら、本当に素直じゃないのねぇ~♪」

などと上から目線の台詞を浴びせて来るのは目に見えているからだ。

仕方が無いので今度は哲学Ⅱの講義を思い出しながら暫し荷物の片付けに没頭していると、どうにかこうにか彼の体も(そして彼自身も)平静を取り戻し始める。

そうこうする内に二人の話し声が聞こえて来たので何食わぬ顔で彼女達を迎え様と思ったのだが、用心深くなった仁は思い直し、スーツケースをしまうために一旦二階に上がる事にした。

 自室の押し入れにケースを押し込むと、気休め程度にベッドを整え着替えを引っ張り出す。

その後階段の上でゆっくりと二度深呼吸した彼が恐る恐る下へ降りて行くと、二人はパジャマ姿で居間に座り込み衣類を整理しながらお喋りしているところだった。

先程の光景を思い出しそうで不安な仁は葉月を直視する勇気が無かったものの、わざわざ意識して目を逸らす必要など全く無い位に陸奥のパジャマ姿に目を奪われてしまう。

あれは彼女が自分で選んだのだろうか?

薄い水色で小さな可愛い襟の付いた上衣と七分丈のスキニーの様なパンツの組み合わせは、何の変哲も無いデザインなのだがとても良く似合っている。

一瞬彼女に話し掛けたいと言う衝動が湧き上がったが、葉月の前ではやはり止めておこうと思い直す。

 

「洗うものはどれ?」

「今出してるから、後で入れといて!」

 

全力を振り絞って平静を装った彼に対して、葉月は全く何事も無かったかの如く普通に返事を返す。

 

(くそっ、負けてたまるか!)

 

「どうせ一回じゃ終わんないから、先に洗うものと分けといてくれよ」

「葉月に聞いたけど今はどこの家でも自動で洗えるのね! 何だか凄いわねぇ」

 

意地になって普通に振舞おうとする仁を気遣ってくれているのか、陸奥はさらりと自然に会話を合わせてくれる。

 

(賢いんだな、むっちゃん……)

 

「畳んだりするのも自動でやってくれると嬉しいんだけどねぇ」

「いいからさっさと入って来ちゃいなさいよ! 先に寝ちゃってるかも知れないけど」

「別にいいよもう遅いんだし。じゃあねむっちゃん、ゆっくり休んでよ?」

「ありがとう仁、お休みなさい」

「お休み」

 

そう言ってバスルームに行こうとする彼を葉月が呼び止める。

 

「何だよ?」

「暗くて間違えるといけないから言っとくわね、わたしは部屋に入って向かって右側に寝てるから♪」

「な、何言ってんだよ! 行く訳無いだろ⁉」

「ウフフ、ねぇむっちゃん、夜中にちょこっと声がしても知らん顔しておいてね♪」

「え、えぇ、ええ……」

 

付き合いきれ無いので、無視してさっさと風呂に入ることにした。

 

(全くいい加減にしろよ! ナニ浮かれてんだよ)

 

ムカムカしながらさっさと服を脱ぎ捨てて浴室のドアを開けるが、ふと見ると何と葉月の体の跡がくっきり残っている。

あたふたするのは何と無くプライドに関わる様な気がしたので落ち着き払って湯を掛けて消したが、悲しいかな先程の光景がまざまざと蘇って来て、彼の意思に反して体は反応してしまう。

 

(クソッ、クソッ!)

 

今日一日でこの体に何度反抗されたのだろうか?

腹立ち紛れにドボンと湯槽に飛び込んだ仁はザバザバと乱暴に顔を洗うが、湯から明らかに男のそれとは異なる残り香が立ち昇り、必死で抑え込もうとしている努力を嘲笑うかの様に反抗的な彼の体は一層健康体をアピールし始める。

遣り場のない怒りが暴発しそうに膨れ上がり、葉月に一矢報いるためには寝込みを襲うしか無いのだろうかなどと精神的に追い詰められ掛けた仁だったが、突然仄かな潮の香りに包み込まれてハッとなる。

 

(あ……)

 

ほんの数時間前の記憶が陸奥の柔らかな笑顔の形をとって脳裏を過り、更にはその笑顔に秘められた不可解な力の所為なのか、彼の局部に集まっていた血液はまるで号令でも掛けられた様に通常配置に戻って行く。

 

(はぁ~……)

 

深い溜め息を吐いて漸く彼は寛ぐ事が出来た。

 

(何でだろう? 本当に不思議だなぁ)

 

ゆったりと湯に体を預けて天井を見詰めながらぼんやりと考える。

極端な想像ではあるが、もしも今彼女が一緒に風呂に入っていても、ひょっとすると普通に理性を保っていられるのではないだろうか?

もちろん彼女に女性らしい魅力が欠けている(どう考えてもそれはない筈だ)訳でも無いのにだ。

 

(まぁ何でもいいか……とにかくむっちゃんのお蔭でゆっくり休めそうだよ♪)

 

そんな風に心の中で話し掛けるだけで、何やらホッとした気分になれるのもまた不思議だった。

 

 それから暫くして仁が風呂からあがると、既に居間には二人の姿は無かった。

丁寧に重ねられた二つの衣類の山が出来ていたので、迷う事無くネットの混じった方を洗濯機に放り込み、タイマー予約をすると自室に上がる。

ベッドに座った途端一気に疲れが襲って来るがそれも当然で、こんなに中身の濃い一日を過ごす事は今後も無いだろう。

明かりを消すと、彼は素直に眠気に身を任せた。

 

 その同じ頃、仁以上に中身の濃い一日を過ごした筈の陸奥は、客間の布団の中でまだ寝付けずにいた。

隣の布団の葉月は既に規則正しい寝息をたてており、それこそ本当に彼が忍んで来たとしても簡単には起きそうに無い気配だ。

 

(待ってる筈じゃ無かったの、葉月?)

 

そんな風に心の中で突っ込んで見るのが何と無く楽しい。

ほんの一日前の自分には出来なかった事なのに、今はそれが出来る。

その昔彼女に乗り組んでいた多くの兵や士官達が、それこそ毎日の様に艦内のあちこちで会話を交わし、泣いたり笑ったりしているのをずっと只眺めていたが、会話の意味は判っても何故大仰に笑ったり怒鳴ったり泣き喚いたりするのか全く理解出来なかった。

なのに今日一日で――もっと正確に言うなら僅か半日の間に――自分は、笑い、泣き、怒る程では無いものの少々ムッとし、そればかりか悲しく無くても涙が出る事や、嬉しく無くても笑ってしまうことすら経験したのだ。

 

(心があるのって、本当に不思議なものね)

 

そしてその不思議さと同時に、何かを感じる事の鮮烈な驚きや喜びも知った。

陸奥の心を激しく震わせた日本の景色や町並み、初めて飲んだ水の味、初めて食べた握り飯の味(葉月は、あんなに美味しいものをどうしてあそこ迄扱き下ろすのだろう?)は、胸に込み上げて来る嬉しさ、楽しさ、心地良さ――という様々な感情を呼び起こしてくれた。

 

(それだけじゃないわ……)

 

彼女の思考はどんどん連なって行く。

あの夢という不思議なものは一体何なのだろうか?

あの時、確かに仁はとても優しい眼差しで自分の頭を撫でてくれた筈なのに、それが現実で無かったとは!

そう言えば目が覚めた後に彼は記憶の混乱と言っていたが、例え夢でなくても記憶は混乱する事を既に自分は経験している。

彼女は自分の一部がサルベージされた時の事を嬉しかったと彼に話したが、今冷静になって思い返してみるとどう考えてもあの時の自分が『嬉しい』などと感じる訳が無いのだった。

 

(嬉しいと思ったのは、今のあたしだったのね)

 

そうやって記憶を手繰ってみても、やはり自分に感情が目覚めた切っ掛けは仁が溺れてぐったりするのを見て『焦った』事より以前には遡れない。

と言うことは、自分は彼に出会ったがためにこんな姿を手に入れたのだろうか?

それとも既にその時は女の姿になっていて、只気がついて居なかっただけなのだろうか? 

その答えの出ない問い掛けによって堂々巡りとなった彼女の思考は、微睡と共に脈絡を失って行く。

 

自分が出会った人間(只擦れ違っただけの人々は除いてだ)はまだ仁と葉月だけだ。

較べる対象が無いので何とも言えないが、自分は二人とも多分好きだと思っている。

もう少し言うなら、ほんのちょっとだけ彼の方が好きだと思う。

 

葉月は最初少し怖くて冷たかったし、何より初めて出会った時、直前の電話であれ程馬鹿だとか嫌いだとか言っていたのに、いきなり陸奥の目の前で彼に思い切り抱きついたのだ。

 

あの時、何故か判らないが、自分はそれが――不満だった。

 

その後葉月は――自分を理解してくれて、

優しく接してくれる様に――なったので、

彼女のことも――好きになったが、

 

それでも――葉月が彼のことを――

その――大好きなことが――判ってくると――

 

やっぱり、なんとなく――

ううん、ちょこっとだけ――気に入らなかった。

 

なぜ――だろう?

 

さっきだって……。

 

自分は葉月に――自分をもっと好きに――

 

なって欲しい――のだろうか?

 

……それとも葉月が――仁のことを――

 

嫌いな方が――いいと――

 

思っている――から?

 

 

(それとも――葉月――

 

じゃなくて――――仁? 

 

…………仁が――――

 

あたしの――

 

ことを…………)

 

 

何時しか陸奥は眠りの中に落ちて行った。

 

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