陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第二章・第六節〕

 後片付けを終えてスーツケースを引き摺った葉月を見送ったあと、僕はPCを居間のテーブルに据えて長い一日を始める準備をした。

傍らにちょこんと座ったむっちゃんは、これから何が始まるのかと興味津々の様子でディスプレイを覗き込んでいる。

 

「これがこんぴゅーたーって言うものね! でも網は何処にあるの?」

そう言って彼女はディスプレイの裏を見たり、辺りをキョロキョロ見回している。

「網がついてる訳じゃないよ、網の目の様に張り巡らされた通信回線と繋がってるのを省略してネットって言ってるんだよ」

「そうなのね! でもこの黒い線が一本繋がってる様にしか見えないけど――」

「それは電源コードだよ、通信回線とは無線で繋がってるんだ。さあ理屈はさておきこんなものだよ?」

 

僕はブラウザを立ち上げると『陸奥』と入力して検索した。

するとすぐに検索リストが表示され、そのトップにはむっちゃんの在りし日の写真がずらずらと表示されて彼女を面喰らわせる。

 

「何これ、あたしじゃない! 一体どうなってるの⁉」

「こまごました理屈を説明し始めたら長くなり過ぎちゃうから、もう少しむっちゃんが現代に慣れてからキチンと説明してあげるよ。でも一つだけ教えとくとね、このコンピュータの先に世界中が繋がってて何年掛けても調べ尽くせない程の情報が引き出せるんだよ?」

「何だか凄いのねぇ……とても理解出来ないけど、信じられない位広い世界と繋がってるって言うのは何となくだけど判ったわ」

「因みにこれって何時頃のむっちゃんかな?」

 

僕は見栄えの良さそうな画像を選んでクリックしたが、それを見た彼女の返事に拍子抜けしてしまう。

 

「それあたしじゃないわ、姉さんよ」

「えっ、本当に?」

 

画像のタイトルは確かに陸奥になってるのに……。

 

「あのね、ここを良く見てちょうだい?」

 

彼女は舳先の部分を指差す。

 

「ぼんやりしてるけど、丸い物が付いてるでしょ?」

「うん」

「これは菊の御紋章なの、軍艦にはみんな付いてるのよ」

「そう言えば記念館にあったむっちゃんの舳先の模型にも確かに付いてたよ。でもそれがどうかしたの?」

「もう仁ったら! あたしの艦首を見たんだったら判る筈よ? 良く思い出して⁉」

「ええ? う~ん……」

 

そう言えばほんのちょっと違う様な……。

 

「どーお?」

「ひょっとしてだけど――」

「うんうん♪」

「御紋章が下の方に付いてる?」

「大正解!」

 

満面の笑みを浮かべたむっちゃんが僕を抱き締めてくれる。

昨日はここで涙が溢れて来たのだけれど、先程葉月に叱られたから――と言う訳でも無いのだろうが、今日は涙が出てくる様子もない。

それどころか自分の鼻の下がこれ以上は無いと言う位伸びまくっている感じが半端ではなく、絶対他人に(特に葉月には)見せてはいけない顔になっているのが分かる。

 

(いや、これが普通なんだよこれが!)

 

とひたすら強弁して自分を納得させる。

第一こんなに嬉しそうな彼女を見たら、それだけで僕は幸福なのだ。

 

「ねぇ仁?」

「何?」

「姉さんはどうなったの?」

「長門さんか……」

 

そう言いながら何気なく『長門』で検索し直し、リストのトップに上がって来たWakupediaの記事をむっちゃんと二人でしげしげと読む。

だが、すぐにそんな事をしなければ良かったと激しく後悔した。

何故なら、そこに書かれていたのは余りにも非情な事実――いや史実と言うべきなんだろう――だったからだ。

正直なところ知らなかったのだが(と言うか、知っていたら絶対にこんな風にむっちゃんと一緒にそれを調べたりしなかっただろう……)長門さんは終戦迄生き残った数少ない艦だった。

なのにせっかく生き残った筈の彼女は、やはり健在だった二等巡洋艦酒匂と共に1946年7月にビキニ環礁で行われた米軍の核実験の標的にされ、誰一人見送る者も無くひっそりと沈んでいた。

僕は胸が塞がれた様に息苦しくなったが、それ以上に横にいるむっちゃんの顔を見る事が出来ない。

恐る恐る下の方を見ると、彼女の膝とぎゅっときつく握り締められた拳とが見え、その上に次々に涙が滴り落ちている。

 

「むっちゃん――」

 

矢も盾もたまらず声を掛けたが、それ以上言葉が見つからず口籠ってしまう。

彼女の涙を止める術も知らない僕は、只々その涙に濡れる横顔を見詰め続けるしかなかった。

そしてどれ程経った頃だろうか、啜り泣く彼女の嗚咽が少しずつ収まり始め、きつく瞑っていたその目がうっすらと開く。

 

「……むっちゃん?」

 

芸の無いこと夥しいが、僕は再び声を掛ける。

 

「……ねぇ、仁……」

「な、何?」

 

「……姉さんは、米帝の実験台にされたのね?」

「そうだったんだね……僕も知らなかったよ、ごめんね」

「姉さんが連れていかれる時、日本の人達はどうしていたのかしら?」

 

「えっ」

 

「姉さんは日本の人達のために戦ったのよ? それも最後まで……それなのに姉さんは米帝に連れていかれて実験台にされて沈められたのよ? 日本の人達はそれを只見ているだけだったの?」

 

彼女の涙に濡れた瞳が僕を見詰めたが、それは見た事も無い怒りの色を湛えている。

出来る事ならその場を逃げ出したかったが、そんなことが出来る訳も無い。

 

(何情けないこと考えてるんだ! こんな覚悟も出来てなかったのかよ⁉)

 

己を叱咤して、何とか口を開く。

 

「その当時の事は僕も良く分からないけど――でも日本は米軍に占領されてたから、きっと文句を言うことも出来なかったんだと思うよ」

「それでも誰も何も言えなかったの? 命懸けで反対する人は一人もいなかったの? 何故? 銃を突き付けられて命が惜しかったから姉さんを見殺しにしたの?」

 

彼女は感情を抑え切れない様だった。

僕は渾身の勇を奮い起こして再度口を開く。

 

「本当に――本当にごめんよむっちゃん……でもこれだけは言わせて欲しいんだ。日本の人達は、多分自分の身を切られる程辛く悔しかったと思う。だって、むっちゃんもお姉さんも日本の人達の誇りだったんだから。……米軍はそれを知っていたから、殊更にそんな仕打ちをしたんだと思うよ。今僕が現に悲しくて悔しくて仕方が無いんだから、その時生きていた人達はきっと僕の何倍も何十倍も悲しくて悔しかった筈だよ……」

 

彼女の瞳の中に燃える怒りの炎に必死で向き合う内に、それが深い――想像もつかない程深い哀しみの裏返しだと言う事に気が付いて思わずハッとする。

そして彼女も僕が気付いたことを理解したらしく、目を伏せて横を向いてしまう。

その仕草に僕の胸は激しく締め付けられ、掻き毟られた。

彼女の怒りと哀しみを受け止めるためには、やはり中途半端な覚悟ではダメなのだ。

 

「むっちゃん――僕はこれ迄ずっとむっちゃんや長門さんが、僕達人間の理不尽な振る舞いの所為で光も禄に届かない海の底で、天国に行くことも出来ずに孤独なまま横たわって居る事に余りにも無関心だったと思う。詫びることに意味なんて無いけど……でも本当にごめん」

 

彼女に命を助けられた時は自然に砂浜に額を付けられたが、今は到底そこ迄頭が回っていなかった。

例えそれに思い至ったとしても、むっちゃんの底知れぬ哀しみを目の当たりにして、そんな紋切り型のお詫びなど出来はしなかっただろう。

 

「僕は本当にちっぽけで頼りにならない奴だけど、でも君にこれだけは誓うよ。何時か必ず、君を長門さんが眠ってるビキニ環礁に連れていって長門さんに会わせてあげる。どんな事をしてでも」

 

更に伝えなければいけないもっと大切なことを口に出すために、自分自身の決意を胸の中で再確認する。

だが、僕の(予想される)一生の長さからすればこの決意のために要した時間はそれこそ瞬きするよりも短いにも関わらず、不思議な程迷いも躊躇いも湧いて来ない。

 

そう、僕はこの瞬間に決めたのだ。

彼女に救って貰ったこの命を彼女のために使うと。

 

「それと、一体どれ程のお金と手間と時間が掛かるのか見当もつかないけど――僕の生涯を掛けて、君が悲しみや苦しみから永遠に解放される処へ――船の天国に送り出して見せる。今ここで君に誓うよ」

 

「……それがどう言う事か、判って言ってるの?」

 

「うん――、その積もりだよ」

 

「……そう……」

 

緊張の余り少々声が上ずってしまったその誓いを聞いた彼女は、暫く横を向いたままだったが、やがて小さくコクリと頷いてくれた。

 

そして更に暫しの沈黙の後、自分自身に言い聞かせる様に訥々と話し始める。

 

「あたしは70年も経ってから、生まれて初めて陸に上がってまだ2日目だわ……。今の日本の事も陸の上の暮らしの事もまだ何も知らない――、それは良く判ってる積もりよ。でも、姉さんのことを知ったらやっぱり我慢出来なかったわ。……これから先、姉さんや艦隊の皆に会えて話をする事が出来て、もっとずっと色々な事が判る様になってからなら少しは考え方が変わるかも知れないけど……。それでも今は納得出来ない気持ちの方が強いわ――」

 

当たり前のことだ、僕が彼女の立場だったらもっと見苦しく喚き散らしただろう。

 

「でも――」

 

そう言ってむっちゃんは、顔を上げて僕の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「あたし信じるわ、仁が誓ってくれたことも、仁のことも」

 

彼女の眼差しは言葉に出来ないほど暖かく、胸の奥に染み込んでくるようだった。

 

僕は落ち着き払った態度で有難うと二枚目風に言う積もりだったのだが、そんな事が出来るヤツなのかどうか位もう少し冷静に考えるべきだった。

一生懸命に我慢したのだが忽ち視界がぼやけ始め、せっかくむっちゃんが見せてくれた優しげな笑顔も良く見えなくなってしまう。

 

「もう――仁が葉月に叱られるのも当たり前ね……、葉月に言いつけちゃうから! 仁が約束破って勝手に泣いてたわよって♪」

 

そう言って彼女は少し悪戯っぽく笑ったが、そのとても可愛い(筈だ……)笑顔すらもちゃんと見られ無いのはさすがにちょっと情け無かった。

 

それから程なくして戻って来た葉月は、すぐに僕とむっちゃんの様子に気が付き、何があったのかと有無を言わせぬ調子で詰問する。

正直なところ黙っていたかったのだが、間接的にむっちゃんを困らせる事になりかねないので仕方なく事情を話した。

そして案の定、聞き終えるや否や彼女はすっくと立ち上がり僕の前に仁王立ちになったので、小酷く叱られるものと思って反射的に首を竦めた。

――のだが、一体どうしたものか深い溜め息を一つ吐くと、何だか随分シミジミとした声音で独り言とも僕に語っているともどちらともとれる様な事を話し始める。

 

「長門さんの事を話すのは、むっちゃんがもう少し落ち着いてからにするべきだと思ってたのに……。何て言うのかしら、本当にあんたって雷が落ちる時に限って木の下にいる星回りなのねぇ……」

 

それだけ言うと黙ってしまったが、僕は到底顔を上げて彼女を見ることなど出来ずにそのまま固まっているしかなかった。

葉月は押し黙っているものの、僕の耳には『だから、あんたの傍にはわたしがいなきゃ駄目なのよ……』という声無き声がはっきり聞こえていたからだ。

 

(う~、なんか凹むなぁ……)

 

何時もの様にガミガミ言われている方が余程気が楽なのだが、こんな風に出られてしまうと一体どうしたら良いのか途方に暮れてしまう。

だからと言ってじっと黙っていると、これ迄通りであればこの後だんだん昇り調子になって来る葉月からみっちりと、しかも反論のし様も無い説教を聞かされた挙句に、婉曲に『わたし以外にあんたの嫁はいない』事を畳み込まれて更に凹む羽目になるのがオチだ。

但しこれ迄と決定的に違うのは、ここにはもう一人平均以上の気配りの上手さを発揮し始めている女性(艦?)が居合わせている点だった。

 

「ねぇ葉月、仁にお仕置きとかしちゃうの?」

 

むっちゃんはこれ以上は無いと言う絶妙なタイミングで口を挟んでくれる。

 

「えっ――そうかぁ、ウフフ♪ そうよねぇ~、なんかお仕置きはしとかないとね~」

「お仕置きって、まさか――お尻引っ叩いたりとかするの?」

「うっ――あはっ、あははははっ! むっちゃんそれ最高よ! うっふっふっふっふぅっ、いいわぁ~、どぉ仁? わたしにお尻引っ叩かれて見たいぃ?」

「そ、そんな訳ないだろっ!」

「うふふふふふっ♪ まぁ今度だけは見逃してあげるわ! その代わり――ねぇむっちゃん、やっぱりお出掛けしたら美味しいものが食べたいわよねぇ♪」

「なあに? どんな食べ物?」

「それはお楽しみよ、何せこの下僕が奢ってくれるらしいから♪ そうよね⁉」

「はいはい、良く分かりましたよ――」

 

「は・い・は・い・ち・ど!」

「はい……」

 

「ごめんね仁、お尻叩かれる方が良かった?」

「いや断じてそんな事無いからねむっちゃん!」

「わたしはお尻でも全然構わないのよぉ~♪」

「僕が構うんだよ!」

「さ、そうと決まったらさっさと出掛けましょ! わたしのお古だけど色々持って来たのよ」

「有難う、葉月」

 

そう言いながら二人は客間に消える。

その後ろ姿を見送った途端、猛烈な脱力感が襲って来て体の奥底からホーッと息を吐き出すとソファに突っ伏す。

「つ、疲れた……」

 

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