葉月のことだからきっと頭ごなしに仁を叱り付けると思い、止めに入ろうと身構えていた陸奥だったが、いきなり肩透かしを食らってしまう。
一体どうしたものか彼を恨めしそうに睨み付けた葉月は、
「もうっ、本当に仁ったら……」
とだけ言ってそのままぷいと横を向いてしまったのだ。
(??)
彼女の反応が理解出来ない陸奥は思わず仁の顔を見たが、彼は少しだけ苦笑して見せると葉月に向き直る。
「でも正直に認めるよ、結局今度も葉月のお陰で上手く行ったんだなって。有難う、本当に助かったよ」
穏やかに彼女を立てたその言葉に、そっぽを向いたままのその頬に少し紅味が注し、口が尖る。
「そんな調子の良い事言ったってダメよ――。何よ、あんなに感情的になって……危うくぶち壊しにするとこだったのよ! ちゃんと分かってるの? 本当に……」
少し予想していた彼女の反応に近くなって来たが、それでもまだ何かしら陸奥には掴み切れない感情の綾の様なものがあり、今二人の会話に割って入ってはいけないと思いそのまま様子を窺い続ける。
「ごめん、何時も気を付けてる積もりなんだよ? でもさっきの中嶋さんは明らかにこちらを威圧しようとしてたんだから、そこは大目に見てくれないかな」
「……はぁっ! もうっ、何時もそうなのね⁉ 気に入らないわ~本っ当に!…………仁のバカ……」
最後は何を言ったのか聞き取れない程小さな声だったが、彼女が明らかに気色を改めたのが判ったので陸奥も安心して話し始められる。
「仁も葉月も本当に有難う、さすがにちょっとびっくりしっ放しだったけど――、でも凄いもの見ちゃった感じだわ♪」
「だよねぇ~、やっぱり葉月はさすがだよ本当に」
「何よ! そんなに持ち上げたって誤魔化されないわよ⁉」
「誤魔化してないよ~、素直に言ってるんだけどなぁ」
「あたしもそう、だって相談してた訳でも何でも無いのに――葉月本当に凄かったわ!」
「あんなのその場の即興止まりの話しよ! それにあれはラッキーだっただけなんだからね?」
「まぁそうかも知れないねぇ」
「分かった振りとかしなくて良いのよ?」
「振りじゃないよ~まだ隊のレベルだったから何とかなったんだ、って言うんだろ?」
「なあに? どう言う事?」
「うん、多分だけどね、この事がもしも政府だとか大臣だとかの判断が必要な位の大事になってたら、全く無視されたり強面な対応されたりしたかも知れないって事――だろ?」
「まぁそんなとこね。事が起こってから日が浅かったのが救いだったと思うわ」
「そうなのね。でも、あたしはあの中嶋副長っていう方が出て来たことも大きいのかなって思ったわ」
「それは否定出来ないわ、一角の人物って印象よね~」
「そうだね、信用出来そうな感じだったねぇ」
「とにかくこれで連絡待ちになった訳ね。どの位かしら?」
「う~ん、数時間? 数日? ま数週間って事は無いよね」
「連絡だけは割りと早くくれるんじゃない? そこからちょっと日が空くとか」
「そんなに何日も待たされたらあたし、おかしくなりそうだわ」
「きっとそんな事にはならないよ、それに龍田さんだって何処かに行ってしまったりしないだろうしね」
「ちょっとダメよ仁! 何の当ても無いのにそんな事言うもんじゃないわ⁉」
「いやそれはそうかも知れないけどさ――」
「うふふ♪ 二人とも有難う、でも大丈夫よ、ちゃんと我慢して待ってられるから」
「そうだよ、むっちゃんはどう見たってカリカリする様なタイプじゃないしさぁ」
「あたしのその――たいぷってなあに?」
「騙されちゃダメよむっちゃん⁉ 男どもはすぐ自分の勝手な理想を作りあげて、女をその型に嵌めたがってるだけなんだから!」
「いや騙さないし……」
「あの――たいぷってそんなに怪しからんものなの?」
「そうよ! 色んなタイプだなんだって言ってるけど、結局男はおっとりしててほわ~っとしてて優しくて一緒にいてホッとする様な――、な~んて手前勝手な願望を女に押し付けたいだけなのよ!」
葉月は嫌悪も露に切って棄てる。
「そこ迄攻撃しなくたっていいだろ……実際むっちゃんってそんな雰囲気なんだしさ」
「それがご都合主義だって言ってるの! むっちゃんはむっちゃんなんだからあんたが勝手なタイプを押し付けたら許さないわよ⁉」
「そんな大袈裟な事言ってないんだけどなぁ」
「な、何だか不味いとこに触れちゃったかしら? 葉月がそう言ってくれるのとっても嬉しいけど、あたしはそんなに気にしてないからその位にしておいて?」
「もうむっちゃんたら――余り仁を甘やかしちゃダメよ⁉ ま、何はともあれこの後は家で電話待ちね。ちょうどフィールドの纏めも出来るし」
「ああそうだったぁ~、面倒臭いなぁ~」
「何をするの?」
「大学のゼミ――って研究室の方が分かるかな? 僕らはそこに所属してて自由研究のレポ――じゃなくて報告書を書かなきゃいけないんだ」
「それはつまり学校の宿題っていう事?」
「とっても平たく言うとそういう事ね。わたし達が呉やむっちゃんの記念館に行ったのも報告書の為の調査なのよ」
「じゃあ二人は今から勉強するのね? あたしどうしてたらいいのかしら」
陸奥の遠い記憶に残る『勉強』は少なくとも楽しそうではなかった。
「むっちゃんも勉強嫌いなの?」
「あのね、水兵さんも士官さんもみんな口をそろえて勉強は嫌いだとか性に合わないとか言ってたの。そんな事ばっかり聞かされてたから勉強ってどんな嫌なことなんだろうって思ってたわ」
「ははは♪ まぁ確かに嫌な事なのは認めるけどね」
「でも一口に勉強って言っても色々あるわよ? 嫌なことばっかりとは限らないんじゃない?」
「それは何となく分かるの。だって嫌いだ嫌いだって言ってるのに、しょっちゅう『勉強になります!』とか『勉強させて頂きました!』とかって言うのよ? 一体どれが勉強だったのよ! って言いたいわ」
彼女の言い草に思わず仁も葉月も笑い出し、陸奥も一緒になって楽し気に笑う。
一つ大きな峠を越えた様な感覚が三人には芽生え始め、肩の力が徐々に抜けていく心地良さを味わっていた。
「とにかく一緒に見てたら分かるわ、むっちゃんが沈んだ後の艦隊や海軍のことも結構出て来る筈だから」
「あら、それなら興味あるわ♪ でも、もしまた悲しくなっちゃったらごめんね?」
「先に言っとくけど仁、一緒に泣くのは禁止よ」
「わ、分かってるよ!」
「さぁさぁぼーっとしてないでWifiのID教えて頂戴」
「はいはい今見て来るよ」
「はいは一度だけよ仁♪」
葉月を真似て指摘すると彼はさも嬉しそうににっこり笑うが、横目に映った葉月は膨れ面で仁を睨みつけている。
(ちょっと失敗しちゃったかしら?)
やはり今の陸奥にとって、人間或いは心というものを理解するのはそう簡単な事ではなさそうだ。
二人がテーブルの上に例のコンピューターやらカラー刷りの光沢のある冊子やらを広げ始めるのを何とはなしに眺めながらそう考えていると、瞬く間に時は過ぎて行く。
ところが彼女の興味を引き付ける程二人のレポートが進まぬ内に、早々と事態は動き始めた。
葉月の予想が当たったのか陸奥の願いが通じたものか、三人が昼食の用意をしている時に早くも中嶋からの連絡が入る。
それはなんと、明日の朝迎えを寄越すので隊まで出向いて貰いたいと言う少々予想外のものだった。
仁が自宅の住所を告げると中嶋はこう続ける。
「それは思ったより近くで良かった。その付近で人を拾い上げるのに都合の良さそうな場所はありませんか?」
「それでしたら――県道から一本入りますが、小さな公園の前辺りは道幅も広目で車の通りも少ないですね」
「公園、公園と――あっここですね、では明朝9時にここで落ち合いましょう。近づいたら連絡しますので準備して待っていて頂けますか?」
「はい、何か特に用意しておく事とか有りますか?」
「そうですね、念の為に身分証明書だけは持参しておいて下さい」
「ええ分かりました、それではお待ちしていますのでよろしくお願いします」
「それでは失礼します」
彼が通話を終えると二人が待ちかねたようにその顔を覗き込む。
「明日の朝9時に迎えに来るから公園の横辺りで待っていてくれって」
「で、何を持って来いって言うの?」
「身分証明書だよ」
「ま、確かにそれはいるわよねぇ」
「良かったねむっちゃん。明日だって♪」
「嬉しいわ、あたしの声が聞こえてた見たい!」
「それにしても結構なスピード感じゃない? 何かあるのかしら?」
「まぁ、多分中嶋副長が有能なだけなんじゃないかと思うけどねぇ。それとも他に何かありそうかな?」
「うーん何がと言う程の事は思い付かないわよね~、まぁでもむっちゃんが来るのを何となく歓迎してる雰囲気よね」
「ひょっとしてさ、他にも誰か居るんじゃないかな?」
彼の言葉に陸奥が一瞬目を見開き、心底嬉しげな表情になる。
「凄いわ! 本当にそうだったら良いのに」
「まさかとは思うけど、でもあり得ない話じゃないわね。下僕の癖にちょっと冴えてるんじゃない♪」
葉月は彼の召し使いキャラがそんなに気に入ったのだろうか?
「気になるわ、もし会えるとしたら誰なのかしら?」
「まぁまだ決まった訳じゃ無いけど、可能性があるとしたら日本近海に沈んでる誰かじゃない?」
「皆ほとんど引き揚げられてたわね――伊勢さんや日向さん、榛名さんも……」
「小型の艦艇なら沢山沈んでるわよね?」
「駆逐艦より小さな娘達はあたし、余り良く知らないの」
「近海で大型艦と言えばやっぱり大和か信濃だろうね」
「大和さんは一応知ってるけど信濃さんは知らないわ」
それから彼らは幾分高揚した気分のまま昼食の用意に戻り、食事が終わってからもレポートの纏めをしながら一頻り旧海軍艦艇の消息を調べ回る。
陸奥にとっては自分が沈んだ後の事は初見のことばかりなので、ある種やらされてる感のある仁や葉月とは熱の入り方がそもそも違っていた。
「仁、代わりにむっちゃんにレポートやって貰った方が良いもの出来るんじゃない?」
実際、葉月の言葉通り彼女はあっという間に艦艇の消息通になってしまい、PCやネットの使い方にも随分馴染み始めていた。
夕食を済ませて風呂に入ってから(さすがに葉月の挑発行為も今の処はあの1回切りだった)明日の用意をしておこうという段になって、葉月が何気無く口にした言葉が彼らの気分に少しだけ冷や水を掛ける。
「そう言えば、むっちゃん達の事って海難事故とは関係無いのかしら?」
「あっ、う~んそっかぁ~結び付けて考えてなかったなぁ~、て言うか頭からすっかり抜けてた」
「なあに? 何かあるの?」
「あのね、二ヶ月位前からかしら? 海外のあちこちで重大な海難事故が続けて起きてるの」
「重大って?」
「船が沈没してるんだよ、大小合わせて五、六件起きてるんだ」
「本当に?」
「先月は大西洋の真ん中でクルーズ客船が沈没したの。100人近くも亡くなったのよ」
「戦時中でも無いのに――、日本でも起きてるの?」
「ううん、今の処日本船には被害が出てないけど何時起きるか分からない感じだね」
「救助された人達がね、船が攻撃を受けて沈んだって言ってるのよ。水柱が上がるのを見た人も多いみたい」
「それって弾着時の水柱ってこと?」
「多分そうなんじゃないかなぁ?」
「それに一人だけだったっけ――、いたわよね?」
「うん、ウルグアイの貨物船の乗組員だったと思うよ」
「その人がどうしたの?」
「船が沈んでしまった後、木材に掴まって波間を漂ってる時に見たって言ってたの」
「海面に立つ蒼白い女の姿をね」
「えっ……」
「夜中だったみたいだし、蒼白い女っていう時点でもう怪談話扱いでまともに取り上げられて無い見たいだけど。でもむっちゃんが浮かぶの見た時にちょっと思い出したのは事実ねぇ」
「まさかその女が船を沈めたのかしら」
「全くの想像だけどさ、むっちゃんや龍田さんみたいに助けてくれる良い人っていうか軍艦もいれば、人間に悪意を持ってる軍艦もいる――なんて事があるのかな」
「悪意のある軍艦……」
陸奥が眉をひそめて黙りこくるのを見て、仁は自分の軽口を少し後悔する。
そのままじっとあらぬ何処かを見詰めている彼女に何を思っているのか聞いて見たくなったものの、やはりその勇気は彼には無かった。