陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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〔第三章・第四節〕

 翌朝、訓練隊からの迎えはかなり正確にやって来た。

8時45分頃にあと15分位で到着する旨の連絡があったので、僕らは三人で家を出る。

そう遠い訳でも無いので9時5分前には公園前に着き、三人でお喋りしながら車を待っていると9時2分前に濃紺色に塗られた四駆車が現れ、僕らの前にすーっと止まった。

 

「緑色じゃないんだぁ」

「あたしは白だと思ってたわ」

「僕もそう思ってたよ」

 

などと感想を言い合っていると助手席のドアが開き、純白の制服にきちんと着帽した士官と思しき男性が降り立ち僕らの横に来てサッと敬礼してくれるので、三人ともに礼を返す。

その直後、ほんの一瞬の事だったので僕の気の所為かも知れないが、その男性は何かに驚いた様に目を見開き、幾らか動揺したかに見えたのだ。

ところが彼はほぼ瞬時にそれを畳み込んでしまい、何事も無かったかの様にキビキビとした声を上げた。

 

「お早うございます、失礼ですが改めてお名前を伺ってよろしいですか?」

 

そして僕らはその声を聞き間違えよう筈もなく、その意外性故につい今し方の些細な出来事は脳裏から消し飛んでしまう。

 

「中嶋副長!」

「わざわざお越し頂いたんですか⁉」

 

葉月のその問い掛けに副長は微かな笑みを浮かべてくれる。

 

「どうやら人違いでは無い様ですね、それでは小官から遠慮なく確認致しますが、渡来さん、塔原さん、それに陸奥さんで間違い無いですね?」

「はい!」

「有難うございます。それでは急かす様で失礼ですが早速こちらに並んで掛けて頂けますか?」

 

そう言いつつ副長は後部ドアをスライドさせると、空いた片手で僕らを誘う。

もちろんここ迄来て躊躇う理由も無いので、僕はむっちゃん、葉月の順に乗せた後最後に乗り込んだ。

副長が助手席に乗り込み、運転席の男性防衛官との間に一頻り安全確認だの帰路確認だのの遣り取りがあった後に車は徐に動き始める。

 

(やっぱり軍隊なんだな)

 

そんな様子を見ながら何となく感心していると副長が後ろを振り向き、

「隊に到着してからの手間を省いておきたいのですが良いですか?」

と、引き締まってはいるがどこか物柔らかな顔で声を掛けてくる。

これもまた何の事だと考える迄もなかった。

 

「学生証で良かったでしょうか?」

「もちろん結構ですよ」

 

僕と葉月は彼に学生証を差し出す。

 

「お二人ともY大の方ですか――とにかく未成年の方で無くてちょっとほっとしました」

 

そう言って学生証を返してくれたので、それを潮に僕は改めてお礼というか挨拶をする。

 

「改めてと言う訳では無いですが――ご無理なお願いをしてしまって申し訳ありませんでした」

「いえ私も正直に言いますが、よく他でも無い我が隊に連絡して来て頂いたと感謝したい位ですよ」

「そうなんですか? ではやはり――」

葉月が勢い込んで話し始めるが、さすがに副長が軽く手を挙げて制止する。

「詳しいお話しは隊に到着してからと致しましょう。そもそも塔原さんは私達が懸念している事は何か良くご存知の筈でしょうしね」

微笑した副長の言葉にさすがの葉月も苦笑する。

 

「そう仰られますと返す言葉もありませんね! ここからですとどの位掛かりそうでしょうか?」

「概ね3、40分と言う処かと思いますよ?」

「……」

「むっちゃんはそれでも長過ぎる見たいだね♪」

「待ち切れませんか陸奥さん?」

「ええ、本当に待ち遠しくて落ち着きません」

「こんな体験をした人間はおそらく居ないでしょうからちょっと想像も付きませんが、それでも同じ境遇の仲間と再会すると言うのは大変な事であるのは理解出来ます」

「そうですよね……。何より、初対面なのに昔から良く知っているってどんな感覚なんでしょうね?」

「それには私も非常に興味がありますが、残念ながらご当人達にもちゃんと説明出来ない様ですよ?」

 

そう言って彼は意味有り気に歯を見せた。

 

(あっ……)

 

間違い無い――この人はかなりの切れ者で、なおかつ人間的な深みも兼ね備えている。

この僅かな返答の仕方だけで、余計な事は何も口にせずに同じ様な女性達が複数いることをさらりと伝えたのだ。

僕と葉月は期せずして同時にむっちゃんの顔を見たが、彼女は瞳をキラキラ輝かせて僕らの視線に応える。

 

「とにかく後少しの間我慢して待っていて下さい。その値打ちは十分にあると思いますよ」

 

副長の言葉と笑顔はとても優し気だったし、僕もむっちゃんの弾けんばかりの笑顔が見られると思うと当の彼女以上にソワソワしていた。

 

 その所為か、隊迄の道程はそれこそあっという間に過ぎた様な気がする。

隊の門前に到着しておそらくは型通りの確認が一通り行われた後、そのまま僕らを乗せた車は正門を通過する。

車は少しだけ隊内を走ると、間もなく体育館の様な建物の前で止まった。

 

「こちらでもう一つだけ確認させて下さい」

 

副長がそう言い終わるのと同時に建物の前に立っていた女性防衛官が外からドアを開けてくれ、僕らは地面に降り立つ。

程々に雲を浮かべた青空が丁度良い位に日射しを和らげてくれる穏やかな日だった。

ドアを開けてくれた女性が、

「どうぞこちらへ!」

と元気良く誘ってくれるので迷うこと無くその後に付いて行く。

先に立った彼女はドアを開けて照明を点けてくれたが、それを待つ迄も無くそこがプールである事は塩素の匂いですぐに分かった。

後ろから副長が、

「申し訳ありませんが陸奥さんの身分証明書も確認したいんです。よろしいですね?」

と改めて声を掛けたので、ここにやって来た意図を詮索する必要も無くなる。

僕達はまたむっちゃんの顔を見たが、わざわざ心配する迄も無く彼女はごく自然に、

「はい、結構です」

と肯う。

ドアの所で先程の女性が並べてくれたスリッパに履き替え、プールサイドに歩み寄ると、もう既に件の女性はそこにバスマットを敷いている。

実に手際が良い。

そしてもちろん、むっちゃんも僅かな戸惑いすら見せる事無くそこに向かって歩を進めていた。

それは何と言うのか――そう、とにかく無駄や遊びの紛れ込む余地が無いのだった。

今更ながら僕は彼女が軍艦であることを意識してしまう。

 

就役してから沈む迄の間、彼女は僕の年齢と同じ程の期間を軍艦として過ごし、鉄の規律によって縛られた帝国海軍の軍人達を載せていたのだ。

だから彼女にとってこの隊内の規律正しさや無駄の無さはある意味当たり前の事であり、何の違和感も無く受け入れられるものなのだろう。

ここは常に目的と手段が明確な世界であり、僕らの日常とは異なる価値観が支配している時空だった。

それに気が付くと同時に、急に孤独感と言うか寂しさが湧いてくる。

彼女に命を助けられてからというもの僕は、現代のしかも陸の上という彼女にとって極めて不慣れな世界の水先案内人であり、甚だ頼りない奴にも関わらず言わば保護者に近い役割をも担っていた――いや、いた筈だった。

だが彼女は間もなく同じ境遇にあるかつての仲間達と再会しようとしているのみならず、彼女に馴染みのある世界の中に自分の居場所を見つけ出すかも知れない。

 

(何故なんだろう……むっちゃんの喜ぶ顔が見られるのに……)

 

信じられない事だが、僕は言い様の無い心細さに襲われていた。

そんな戸惑いにも似た瞬間に、何の前触れもなく葉月がそっと体を寄せて来る。

彼女は僕の手をギュッと握る――のかと思いきやどう言う訳かとても控えめにそっと触れて来たのだが、驚くべき事に、その素肌が触れ合った所から思わず縋り付きたくなる様な暖かい何かがどっと流れ込んで来たのだ。

 

(あぁ……)

 

僕は(リアルなのか心の中だけなのか、一瞬それすらもよく分からなかったが)大きくグラリとふら付く。

 

(そうだ、どの道むっちゃんは何時の日か自分の居場所を見つけるんだ……。結局傍にずっと居てくれるのは葉月だけ――――えぇっ?)

 

自分の思考がとんでもない方向に回転し始めるその瞬間、さすがに違和感を感じて我に返る。

見ると、むっちゃんは今しも裸足になってバスマットの上に乗ろうとしていた。

つまり今のはほんの二、三秒の出来事だったのだ。

僕が心細さに苛まれているのを葉月はほぼ瞬時に感じ取るなり体を寄せて来たのだろう。

しかもそっと触れる方が僕の心に与えるインパクトがずっと大きい事も(理屈では無く本能見たいなもの何だろうか)知った上でだ。

 

(神業のレベルだな)

 

何時もならば葉月の恐るべき心理攻撃に戦慄する処なのだが、今回ばかりは何だか悪い夢から醒まさせてくれた様な気がしてむしろちょっと感謝したい位だった。

むっちゃんが居場所を見つけ様がどうしようが彼女が命の恩人である事には何の変化も無く、僕が立てた誓いも変わりはしない筈だろう。

少し冷静にそう考え直して心を落ち着かせると、その余勢を駆って葉月に礼をいう事にする。

 

「有難う葉月」

 

ごく簡潔にそう言ってみたが、彼女は僕の顔をちらりと一瞥して今にも舌打ちしそうな表情になり、

「別に何にもしてないわ!」

と口を尖らせて見せる。

僕は苦笑するより他無くむっちゃんに目を戻したが、彼女はマットの上に立って中嶋副長の方を向こうとするところだった。

 

「中嶋副長、よろしいですか?」

 

彼女が良く通る声で呼び掛けると、

「ええ陸奥さんのタイミング――いえ、間合いで始めて下さい」

と彼が応じたのでむっちゃんは改めてこちらの方を振り返るが、僕と葉月が頷いて見せると頷き返し、そのまま再度プールに向き直る。

そして次の瞬間、特に気負う様子もなくスッと地上を歩く様に右足から水面に進み出た。

正にその時プールサイドに立つ女性防衛官が、

「あっ!」

と小さく声を上げる。

どうやら彼女もこのアメンボ能力を見るのは初めてらしかった。

もっとも僕にした処でまだ二回目ではあるが。

それでも実に不思議な光景だとしか表現し様が無いと感じるし、一度や二度見た位で慣れるものでも無さそうだ。

むっちゃんは何の力も入れず、自然に立った姿勢のまま滑る様に水面を自在に動き回っている。

横では葉月が、

「本当にアメンボよねぇ」

と感嘆頻りだ。

一昨日の事だが葉月は

「スケートする見たいな感じなの?」

とむっちゃんに聞いたのだが、無論スケートをした事も無い彼女が的確に答えられる訳は無く、代わりに僕が、

「違うよ、どっちかと言うと、アメンボ見たいな感じだよ」

と答えた事を言っているのだ。

 

「有難うございます陸奥さん、もう十分ですよ」

 

副長がそう声を掛けたので彼女はまた滑る様にこちらに戻って来ると正確にバスマットの所に戻り、まるでごく自然な事の様に何の衒いも無くマットの上に上がって軽く足を拭う。

僕は歩み寄って、

「むっちゃんお疲れ様」

と声を掛けるが彼女はケロリとした顔で、

「有難う仁、でも何にも疲れて無いの♪」

とわざとお道化た様な返事をしてくれる。

 

(むっちゃん……)

 

神業が使えるのは葉月だけでは無かった。

彼女は僕に向かって柔らかく微笑んでくれたのだが、何となく遠ざかった様に感じていた僕らの距離感をその笑顔一つでいとも易々と元に戻してしまった。

そんなむっちゃんの鮮やか(なのだがおそらく彼女自身は全く意識すること無くしているのであろう)な手際に僕が感心していると、傍らに立っていた例の防衛官の女性にある種の畏敬が籠った不思議な眼差しで見詰められているのに気が付く。

 

(えっ、いやそのぉ)

 

その視線に少々照れ臭くなり、思わず助けを求めて中嶋副長の方を振り返ると彼はすぐに、

「さて、大変お待たせしましたね、陸奥さんのお仲間の処へご案内しましょう」

と応じてくれた。

 

「さあむっちゃん行きましょ! 懐かしい友達に会いに行くわよ⁉」

 

有難いことに、空気を読んだ葉月もまたその場を纏める方を選んでくれたのだ。

 

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