陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

23 / 120
〔第三章・第七節〕

 二人が案内されたのは、こんもりとした丘を回り込んだところにある閑静な雰囲気の建物だった。

明るい屋外から中に入ると廊下がやけに薄暗く見えて緊張感を煽るが、先に立った中嶋は幾許もなくとある扉の前で立ち止まり、音高くノックをする。

「失礼します! 中嶋です!」

彼がきびきびと声を上げると扉の向こうから、

「入りたまえ」

と想像していたよりもずっと温和な声が響く。

 

「失礼致します」

中嶋が言葉と共に開けた扉の先には、好々爺と言う程の歳では無いものの雰囲気は正にそのものといった初老の男性が、程良く味の出た木のデスクに掛けて何とも言えない柔和な笑顔を湛えてこちらを見ていた。

 

「司令、渡来さんと塔原さんをお連れしました」

「初めまして、渡来と申します」

「塔原と申します、宜しくお願い致します」

「渡来さんに塔原さんですな、小官は当訓練隊司令を拝命しております西田と申します。こちらこそ宜しくお願い致します。時に中嶋君、お二人の入隊手続きはもう済んだのかな?」

「えっ――」

「いえっ、そのぉ、私達――」

「司令、お戯れは程々にされませんと」

「ハハハハハッそれは残念な。いや、お二人の様に見るからに優秀な方々が我々の仲間に加わってくれれば願ったり叶ったりと思いましたが――そうは問屋が卸しませんでしたか、いや致し方ありませんなぁ」

「司令、お願い致しますよ?」

「ハッハッハ、中嶋君に叱られる前に止めておかねばならんねぇ。さてお二人には改めてお礼を言わせて下さい、よくぞ当隊を正確に尋ね当てて連絡して下さった。本当に有難うございます」

「いえそんな事は――」

「お礼などと言われますと恐縮してしまいます」

「いやいや、今時の若い方々は何かあるとすぐ、やれウィスパーだSNSだなんだと写真や動画を公開して見たくなるのが当たり前の様ですが……、その点お二方はちゃんと事の軽重を慮って手間暇を掛けて探索し、我が隊に白羽の矢を立てて頂いた訳ですから」

「幸運に恵まれたと思っています」

「全くそうですなぁ、ですが何時迄も幸運にばかり頼っている訳にも行きませんので――。そこでご相談なのですが、貴方がたとは秘密を共有する事が出来ると見込んで申し上げたい。更に突っ込んだお話しをさせて頂く前にお二方には一筆書いて頂けるとたいへん有難いのですが、如何なものでしょうかな?」

「守秘義務の誓約、と言う事でしょうか?」

「ええ、そう思って頂いて差し支えありません」

 

 この会話に口を挟まずにいた葉月は仁がこちらを顧みるものとばかり思って待ち構えたが、案に相違して彼は真っ直ぐに西田の顔を見ていた。

その横顔にはどうしたことか迷いの陰がなく、瞳は澄んで涼しげに光っている。

 

(な、何よ――、また急にそんな顔しちゃって)

 

一瞬ドキリとさせられたことが腹立たしく、心中で悪態を吐いて見たくなったがグッと我慢して押し殺す。

この世で一番仁を深く理解しているだけでなく、保護者にして嫁である事を自認する彼女にとって、彼に対する幼稚な感情や依存心を自ら認めてしまう行為は到底我慢ならない。

 

「誓約するのは構いませんが条件があります」

 

思いもよらない毅然とした言葉に西田はおやと言う顔をした(だけでなく葉月にとっても予想外だった)が、傍らの中嶋は口許に微かな笑みを湛えている。

「それはどんな条件でしょうか渡来さん?」

「複雑な事ではありません、彼女達の意思に反して何かが強制されたりしない事と、例え意思に反していなくても明らかに彼女達にとって不利益な事には従わない自由、この二点が保証されない限り誓約は出来ません」

 

きっぱりとした口調でそう言い切った彼にまた不覚にもドキドキさせられてしまった葉月は、

 

(なんなのよこんな時ばっかり……)

 

と恨めしくなってしまう。

 

彼にこんな経験をさせられた事は実は初めてではない。

 

 小学校3年の時、二人は同じクラスになった。

当時既に一端の世話女房振りを発揮していた葉月は、遠足の時も当然の様に頼りない仁を引っぱって張り切っていた。

とは言え今思い返せば当たり前のことだが、年端のいかない子供に本当の保護者代わりが務まる訳もなく、張り切りが空回りして皆と逸れてしまい、焦って滅多矢鱈に歩き回った事も災いしてすっかり迷ってしまった。

右も左も分からない山の中で不安は募る一方なうえ、間の悪いことに雨迄降り出してしまい彼女の張り詰めていた心はポキリと折れ、どっと涙が溢れて来てしまった。

 

その時、それ迄ずっと後ろを付いて来るだけだった仁が、突然ぐっと強い力で彼女の腕を掴んだ。

驚いてびくっと顔を挙げた葉月を彼は無言でぐいぐい引っ張り、大きな木の下の乾いた地面の上まで来るとリュックからガサガサと敷物を引っ張り出しながら、

「ここで少し休もう」

と言葉少なに言うのだった。

 

泣いているのを慰めてくれるのなら兎も角、場違いな程悠長な事を言い出すのに腹が立ってそんな余裕など無いと食って掛かったが、彼は全く取り合わず強引に葉月を座らせてしまった。

その力の強さにも驚いたが、横にドサリと座り込んだ彼がいきなり手をぎゅっと握ったのには更に驚いた。

恥ずかしいやら腹が立つやらで改めて食って掛かろうとした彼女の眼に映ったのは、雨空をひたと見詰める仁の眼差しだった。

その瞳は澄みきって強い光を帯びており、葉月が思わず黙ってしまうのには充分過ぎる位透徹としていた。

 

「大丈夫だよ、絶対に一緒に帰ろう」

 

その言葉は遠い天空から響いて来たのではないかと錯覚する程仁には不似合いなものだったが、その頼もしく気高くそして涼しげな横顔は、それが紛れも無く彼の口から発せられたものである事を物語っていた。

 

 あの日から既に十年以上の月日が流れたが、その横顔は今でも時折夢に出て来る程心に強く焼き付いている。

そしてその度に、あの日の彼の手の温もりを昨日の事の様に思い出すのだ。

 

(なのに……)

 

何時も仁はあの顔を見せてはくれない。

 

彼が葉月に見せるのは、優しく思い遣りに溢れてはいるが優柔不断で頼り無い顔ばかりで、本当に見詰めて欲しいと願っている頼もしく涼やかな瞳が彼女に向けられる事は無かった。

 

「いや感服しました渡来さん! 実に立派な態度です。それでこそ共に相謀るに足ると言うものです! いやぁ、益々もってあなた方には是非とも我々の仲間になって頂きたいものだ――。渡来さん、先の事で構いませんので一つ真剣にご検討願えませんか?」

「司令、脱線しておられますよ」

「ハッハッハ、これは失敬。しかしねぇ中嶋君、これもまた大切な事だとは思わんかね?」

「それには異存ありませんが、今は何より渡来さんの示された条件に対するご返答が優先すると思いましたので」

「成程々々――返答などもう分かり切った事ではあるんだが――。オホン、では改めて渡来さん、あなたの仰った条件に同意致しましょう。中嶋君、反映させた文面をすぐ用意出来るかな?」

「デスクをお借りして宜しければ直ちに」

「無論だ、済まんが急ぎ頼むよ」

「図々しいお願いを聞き届けて頂き有難うございます」

「いやいや礼などご勘弁下さい。それよりも塔原さん? 貴方を放ったらかしにして話を進めてしまって申し訳ありません。何かご意見がおありでしたらどうぞ仰って下さい」

 

どんなに唐突に話を振られても葉月は自然に対応出来てしまう。

何だか放っておけ無くなる様なちょっと頼りない女になって『本当に葉月は世話が焼けるなぁ』などと彼に言われて見たいと思うのは所詮贅沢な望みに過ぎないのだろうか?

 

「お気遣い頂いて済みません。今の処は特にありませんが、一旦書面を見させて頂いてその上で決めさせて貰っても構いませんか?」

 

特に理由など無かったが何となく保留してしまった。

快諾するのが癪だっただけだと自分に言い聞かせるが、心の奥底ではそれだけが理由では無いこと位気付いている。

陸奥が現れてからと言うもの、仁がやたらに涙を見せるのがどうにも不安で仕方が無い。

幼稚園に上がる前から彼を知っている葉月にとって、母親を喪った時ですら泣かなかった(もっともこれには訳があるのだが)彼がどうしてここ迄突然に涙脆くなったのかが理解出来ないのだ。

 

別に陸奥が気に入らないとも思わないし、彼が他の女性に惹き付けられるのを見るのも初めてでは無いのでその程度の事は余裕を持って受け止められる筈なのに、その涙の裏にあるものが掴み切れない不安からかつい彼の行動にけちを付けたくなってしまう。

 

そんな彼女の胸中で渦巻く感情に気付く由も無い西田は、

「もちろんですとも。それでは、彼が文面を用意してくれる迄お茶でも如何ですか?」

と言いながらデスクの上のスイッチを軽く押した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。