陸奥と僕のこと改   作:Y.E.H

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第一章
〔第一章・第一節〕


 船の上には、春の穏やかな陽射しが降り注いでいる。

僕はこれといった特別な何かを見ようと言う訳でもなく、淡い春霞の中に浮かぶ柱島の島影をぼんやりとただ眺めていた。

 

(そう言えば、丁度この辺なのかな)

 

ゼミのフィールドワークの課題をどうしようかと迷ったが、特にやりたい事があった訳でもないので、どうせなら馴染みのない土地柄を選ぼうという安易な考えのもと、呉市周辺の旧海軍史跡をテーマにしたのだ。

 

(70年も前なんだし、朽ち果ててるんだろうな)

 

正確には1943年、旧海軍の戦艦陸奥が爆発事故を起こしてこの柱島付近の海に沈んだという事をこの旅行――いや、フィールドで初めて知った。

船体の一部は40年ほど前に引き揚げられており、それらが(野天にだが)展示されている記念館で写真に納めたり手で触れたりして来たのだが、何だか妙に実感が乏しい。

それよりもむしろ、今立っている船の数十メートル下の海底にそれが静かに眠り続けている事の無常や哀感の方が、ずっとリアリティがある様に感じるのは僕だけだろうか?

 そんな思いにかられながらぼうっとしていた僕の脳裏にはとりとめもない空想が浮かんで来る。

 

――大爆発を起こして、船はゆっくりと傾きながら波間に消えていく。

甲板上では、艦と運命を共にすると決意した悲壮な表情の軍服姿の男達が厳かに敬礼し、救助に駆け付けた人々が泪ながらにそれを見送る――

 

「仁! 仁⁉ もう、何処に行ってたのよ⁉」

 

(ちぇっ、こんな小さなフェリーの上で一体何処に行けるんだよ!)

 

口には出さなかったものの、胸の中で葉月に突っ込んでおいてから渋々先程の空想を畳み込む。

「なんで返事しないの⁉ そんなに面倒くさい?」

言いながら、殊更に(わざとと言うべきか)ピッタリ体を寄せて来られたその感触に思わずイラッとしてしまい、ついつい噛み付く様に言い返してしまう。

「どう考えたってあんなの急いで返す様な事じゃ無いだろ! 第一、吉田さんと大崎はどうするんだよ⁉」

「二人とは――別行動だっていいじゃない! その位いいでしょ?」

そう言いつつ、彼女は僕の瞳の奥を覗きこもうとする。

一応、どれだけ本気で腹を立てているのかなどこちらの本心を見極めるためだが、それをわざとらしくやって見せるのこそが真の目的――噛み砕いて言うなら『気を遣ってあげてるうちに、言う事聞いてよね⁉』という示威行動――なのだ。

 

(クソッ、全く……)

 

ムカムカしながらも心の中で深呼吸すると、出来るだけ冷静な声を出す事に集中する。

「分かったから、ちょっとトイレ行って来て良いだろ?」

「ちゃんと戻って来てよ!」

 

(何度も言うけど、この船の上で何処に行くんだよ!)

 

もちろんトイレに行くのも紛れもなく本当なのに……。

 

正直なところ、勘弁して欲しかった。

葉月とは十数年来の付き合いだし、母さんを亡くしてからは彼女の親父さんお袋さん共々それこそ実の家族のように接してくれて、何くれとなく世話を焼いてくれた事には心から感謝している。

それだけに、ある時から彼女の態度が露骨に変わり始めたことに僕は酷く困惑していたし、今も困惑し続けている。

大学受験の時も、全く知らない内に彼女が志望校を変えて同じ大学を受験していたと分かった時、どうにもやり場の無いもやもやした感情が沸き上がって来たのが今も頭にこびりついて離れなかった。

 

(何もゼミまで追い掛けて来なくてもいいだろ⁉)

 

事情を知らない学内の友達連中には、一体何が不満なのかと良くくさされるだけでなく、

「お前さ、あんな可愛い娘のどこが気に入らないわけ?」

と真顔で聞かれた事もあった。

 

(傍目からしたら、確かにそうなんだろうけどさ……)

 

葉月はキャンパスクィーンに担ぎ出される程(その度に固辞しているが)可愛く、多少煩い処はあるものの明るく快活で成績も優秀な上に、世話好きで家事全般もそつなくこなす。

更には彼女の自宅まで僅か徒歩1、2分の至近距離のうえ、幼馴染で親同士も仲が良いと来たら、もう僕の逃げ道など何処にも残されていない。

 

(だから嫌なんだよ!)

 

そんな風に大声で叫べたらどれほど爽快だろうか。

 

(これじゃあまるで、完璧にお膳立てされて子供の頃から敷かれてたレー

ルの上を走ってる見たいじゃないか……)

 

その考え方がそもそも子供染みている事位、さすがの僕でも良く分かってはいるが、自分の感情ばかりは理屈でどうなるものでも無いのだった。

 

溜め息を吐きながらトイレを出て(気は進まないものの)葉月のところに戻ろうとしたが、ふと誰もおらずがらんとしている船尾甲板が目につく。

早速そこから船の後方を見渡すと、ぼやっとして消えかかる霞の中に白い航跡が遠く長く尾を引いていて、つい見るとも無く見入ってしまう。

 

(こういうの、兵どもが夢の跡って言うのかな)

 

船尾の中央は何かを上げ下げする都合なのか手摺が切れていて、低いチェーンだけが掛けられており、そこに立って航跡を眺めていると僕が先程仕舞い込んだ空想が蘇って来る。

 

――救助のために集まって来た大小の船の上では、乗員達が泪を浮かべながら沈み行く巨艦と従容として運命に赴く男達に大きく帽子を振って別れを告げる。再び爆発が起こり、船は急速に波間に消えていく――

 

それは全く突然やって来た。

 

風に煽られたのか船が揺れたのか、何が原因だったのかははっきりしないが、何の前触れも無く僕の体がふわりと頼りなく浮き上がって、視界がぐるりと大きくゆっくりと回転する。

次の瞬間体が水中に沈み込んだ事で何とか我に返ったが、それと同時にパニックが襲って来た。

必死に水を掻いて浮かび上がり、大声で叫ぶ。

「助けてくれ! 誰かっ! 助け――がふっ!」

必死に叫ぶ余り掻き手が止まってしまい、水中に沈み掛けるので慌ててもがいて再び浮かび上がり、叫ぼうとする僕の耳になんと汽笛が響き渡る。

 

(なんで、このタイミングで鳴らすんだよ!)

 

何とか必死に水を掻いて船に追い縋ろうとするのだが、なにさま船尾の真後ろにいるせいで水流が激しく、体がどんどん後ろに追い遣られる。

「聞いてくれ! 誰かっ! 誰か、助けてくれっ!」

船が絶望的に小さくなって行き、僕は益々必死に足掻くが体は全く気持ちに付いて来てはくれない。

服や靴がこれ程邪魔なものだとは思わなかった。

でも、それこそ何を今更だ。

とにかくがむしゃらに水を掻き続け、懸命に声を上げ続ける。

「助けてくれ! 助けてくれ! 誰か――」

やがて、冷たい水の中に突然放り込まれたショックと激しく体を動かし過ぎたせいなのか、急速に僕の体は言う事を聞いてくれなくなってしまう。

 

(クソッ、何でなんだよ!)

 

まるでスローモーションのように世界が水の中に沈んでいき、息を吸おうとして海水を飲んでしまう。

激しく咳き込んだ積もりが咳にならず、益々水を飲んでしまうばかりだ。

 

(嘘だろ……まさか、本当にこんなとこで……)

 

目の前が急に暗くなってくる。

 

(こんな事なら、ちゃんと葉月の言う通りにしてやれば良かったな)

 

死ぬ前ってこんな下らない事が頭に浮かんでくるんだと、つまらないことに感心している自分が腹立たしかったが、すぐにその感情も遠ざかって行く。

 

サヨナラ……僕のつまらない人生。

 

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